第39話 女神の降臨
美しい泉のほとりに突如響き渡った恐ろしい声に、一同は震えあがった。
明らかに人間のものではないその声は、とても友好的なものとは思えなかった。
『と、とーちゃん……、この声って、ま、まさか……。』
『ああ、どうやらそのまさからしいな。まさか神力を発動できるようになった途端に対決することになるとは思わなかったな。』
まだ昼前だというのに、辺りは見る見るうちに薄暗くなっていき、春翔たちから少し離れたところにモヤモヤとした黒い影が現れた。
その黒い影はどんどん人の形を作り、最終的には死人のようにも怨霊のようにも見える女性の姿になった。
女神と対峙することになると知っていた、春翔、セラフィム、美優の三人は、その女性の怨念のこもった表情を見て、やはりこれは女神に違いないと確信した。
しかし、女神のことを聞かされていなかったアレス叔父たちは、突然このような事態に陥ったことに動揺を隠せない様子だった。
「いまいましい……、いまいましい……、わたくしの夫と、憎いあの女の気配がする……。」
気配。
女神は、春翔とセラフィムが発動した神力の気配に引き寄せられて来たのだろうか。
いや、先ほどはアレス叔父も神力を発動していた。
一度にこれほどの神力が発動したことで、女神の目に留まってしまったのだろうと思われた。
ここで戦いが始まるのだろうか。
一同に緊張が走った。
ヒソヒソ…(は、春ちゃん、やっぱり女神だよね。まだだいぶ怒ってるけど、どうしよう?)
ヒソヒソ…(俺に聞くなよ。うちのかーちゃんなら、話を聞いて慰めるとかしそうだけど……。)
ヒソヒソ…(はっ! それだよ!)
『おまえたち、なにをコソコソと話しておるのじゃ?』
思いがけず、女神が春翔たちに日本語で話しかけてきた。
『ふぁっ!?』
『えっ、ににに、日本語お上手でーすネー?』
まさか女神が日本語が話せるとは思っていなかった二人は、裏返った声で返事をした。
『わたくしには全ての人間の言語は同じに聞こえる。特に日本語とやらを話しているつもりはない。』
女神だけに自動翻訳機能を標準装備しているのだろうか。
そういえば、あのいい加減な神も流暢な日本語を話していたっけ、と考える春翔と美優だった。
『あ、あの。女神さまは、たいへんひどい目に遭われたとか……。』
美優がそう切り出すと、女神は顔をゆがめ恐ろしい迫力で捲し立てた。
『なにっ! 聞いてくれるか! そうなのだ、わたくしの知らぬ間に、わたくしの夫は人間の娘と結婚していたのじゃ! わたくしという妻がありながらなんという裏切り! しかも、その娘は子どもまで産んでいたのじゃ! ああ、憎い! 憎い、憎い、憎いッ!』
自分の言葉で昔の怒りが蘇った女神は、ますます鬼のような形相になっていった。
『それはひどいです! ひどすぎます! 旦那さんは女神さまにちゃんと謝ったんですか?』
『そうであろう! あまりにも酷すぎる裏切りなのじゃ。それなのに、わたくしの夫は一度たりとも謝ったことなどないっ!』
激高する女神に、空気はびりびりと震え、水面はじゃぶじゃぶと波打った。
アレス叔父たちは賢明にも騒ぐようなことはせず、息をひそめて成り行きを見守っているが、額には冷や汗が浮かんでいた。
『そんな! 謝らないなんて信じられません! 旦那さんが謝らないんじゃ、許せるものも許せないですよ! ここに旦那さんを呼んでキッチリ謝ってもらいましょう!』
『おお、それはよい! おまえは話が分かるな。よし、わたくしの夫をおびき寄せよう。わたくしがいると出てこないに決まっているから、わたくしは気配を消す。その間に神力のある者たちがわたくしの夫を呼び出すのじゃ。』
『はい! その作戦で行きましょう!』
女神は美優に向かって一つ頷くと、その姿と気配をすうっと消した。
いつ戦いが始まるのかとハラハラしていた一同は、女神の姿が消えたことでほっと息を吐き出した。
「ミュウ、いったい何を話していたのだ? あの方はいったい何者なのだ?」
「あれは、めがみさま! いまから、かみさまをよぶ!」
美優の説明になっていない説明を聞いて、アレス叔父たちはますます混乱した。
「アレス叔父様、さきほどミユの話していたことですが、神は二千年前の裏切りについて女神に一切謝罪をしていないそうなのです。それでミユは、神を呼び出して女神に謝罪させようと提案したのです。女神はその案を気に入り、私たちに神を呼び出すよう言いつけていったん姿を消しました。」
「なんとっ! そのような話をしていたのか。ミュウはとんでもない度胸の持ち主だな。あの恐ろし気な女神にそのような提案が出来るとは、なんという豪胆さだ。」
「はい……、私もいささか驚きました。」
一同が驚愕の表情で美優を見ていると、美優は焦れたように言った。
「はやく、かみさまをよぶ!」
美優に促され、春翔とセラフィム、そしてアレス叔父は神力を発動して神に呼びかけた。
「かみさま、きてください!」
「神よ、我らの前に姿を現し賜え。」
「天上の神よ、どうか我らの前に尊き御身を現し、我らを導き賜え。」
泉のほとりはシーンとしたまま何の反応もない。
『大事な用事があるんだから、無視しないでよ!』
『だいたい、神のせいでこんな状況になってるんだから、責任とれって話だよな!』
『ほんとだよね、こっちに丸投げってありえないよ!』
『浮気しといて一度も謝ってないとか、クズ過ぎるだろ!』
『『ほんと、神サイテー!!』』
『----君たち。いくら僕が美しくて温厚な神でも、いい加減怒っちゃうよ?』
春翔と美優がいい加減な神への不満を爆発させたその時、神はパッと姿を現した。
本日の衣装は黄金の生地に金糸の刺繍という金づくしで、目がチカチカするほどの輝きを放っていた。
『あっ、神さま、こんにちは!』
『神様、こんにちは。俺、神力発動できるようになりました!』
『あー、うん。そうみたいだねー。えー、まさか、そんなことで僕を呼び出したんじゃないよね? 僕忙しいんだけど。』
春翔と美優は目で合図を送り小さく頷くと、じりじりと神の傍ににじり寄って両側から腕をがっちりと掴んだ。
『捕まえましたーーーー!!!』
『うん? なになに、なんの遊び?』
『うーん、鬼ごっこ、かなあ?』
神が危機感なく子どもたちを両腕にぶら下げていると、そこへ女神がパッと姿を現した。
神に会うにあたり身だしなみに気を使ったようで、最初に見た時よりも怨霊感が減っていた。
『あなた。』
『えっ、えええええ!? まさか、エラちゃんっ!?』
遅まきながら自分の危機を自覚した神は、汗をだらだらと流しながら必死に言い訳を考えているようだった。
『二千年ぶりですわね。』
『えっ、もうそんなになるかなぁ? いやあ、時が経つのは早いよね? エラちゃんは、相変わらず、き、キレイ?だね? はははっ!』
キレイ、という言葉が口先だけのものと感じ取った女神は、鋭い目つきで神を見据え、どす黒い怒りのオーラをその身に纏っていった。
『言いにくそうですわね? わたくしはもう綺麗ではありませんものね? ーーーあなたの結界が、わたくしを蝕んでいるせいでこうなったというのに!』
そう言って女神はあっという間に怨霊感を取り戻すと、一瞬で距離を詰めて神の真向かいに立ちはだかった。
『ひ、ひえええええ!』




