第38話 聖なる泉カナートス
早朝宿場町を出発した一行は、聖なる泉カナートスに向けて馬を走らせていた。
アレス叔父の話では、早朝出れば昼前には着ける距離だという。
泉の近くに小さな街があるため、日中いっぱい泉で修行して過ごしても、夕方に出れば日没前にはその街に着けるそうだ。
アレス叔父たちと一緒に馬車に揺られている美優は、聖なる泉もさることながら、修行の見学ができることにわくわくしていた。
「あの丘が見えると言うことは、だいぶ泉に近づいたな。もう間もなく着くぞ。」
アレス叔父が窓の外を見ながら美優に言った。
「わあ! たのしみ!」
「あの丘はジュノーネの丘と言って、あそこから見る聖なる泉がまた美しいのだ。日中も美しいが、夕日を照らす泉はこの世のものとは思えぬほど美しい。夕方になったらあの丘で景色を見てから今日泊まる街へ行くとしよう。」
「はい! ミユはうれしい!」
「ははは、そうかそうか。やはり子どもは無邪気でよいな。」
「そうですね。」
パンテレイモンとエウフェミアも、喜ぶ美優の様子に目を細めていた。
「どうどう。アレス殿下、聖なる泉カナートスに到着いたしました。」
馬車の外から、御者のエイダンから到着を知らせる声がかかった。
「そうか! では、早速降りるとしよう。」
エイダンが馬車の扉を開けると、一同はぞろぞろと馬車を降り、長時間同じ態勢でいたため固まってしまった体を思い思いに伸ばした。
馬で来た春翔とセラフィムは、すでに馬を下りて聖なる泉に見入っているようだった。
『わあー! すごい綺麗! なんか神秘的だね。こんなに綺麗なところなら精霊がいるのも頷けるよ。』
美優は、春翔とセラフィムの傍に行くと、聖なる泉の美しさに感動したように言った。
『ああ、本当に美しいな。莉奈と海翔にも見せてやりたいな。』
『とーちゃん、みんなをこっちに呼んだらまた来ようよ!』
『わあ、楽しみだね! うちのパパがここに来たら写真撮りまくるだろうなあ。』
『はは、優士は写真撮るのが好きだったよな。』
春翔たちが泉のほとりで和気あいあいと感想を言いながら景色を眺めていると、アレス叔父が背後から声をかけた。
「セラフィ! どうだ、美しいだろう? 聖なる気がびしびしと伝わってくるのが感じられるだろう! はっはっはっ!」
「……いえ、この泉が美しいのはわかりますが、聖なる気ですか。私には特に感じるものはありません…。」
「なんと! それはいかん! 早速修行を再開しよう。ここ2日ばかり修行が出来なかったからな。こういうことは毎日の積み重ねが肝心だ。なあに、心配は無用だぞ。大船に乗ったつもりでいろ! はーっはっはっはっ!」
「……はい。よろしくお願いいたします……。」
『大船って……、まさかタイタニック……。』
『それ沈むやつだな……。』
大船に乗ったつもりでいろというアレス叔父の言葉に、心なしか元気をなくす春翔とセラフィムだった。
修行を始めると宣言したアレス叔父は、体をほぐすようにぐるぐると肩を回すと、ゆっくりと目を瞑った。
そして次の瞬間、カッと目を見開いたかと思うと、赤く染まった目で春翔とセラフィムに大声で指示を出した。
「ハルト! セラフィ! さあ、熱くなれッ! その目に2日分の思いのたけをぶつけろ!」
『ひゃっ!?』
美優はアレス叔父の豹変ぶりに驚き、飛び上がって数歩後ずさった。
『えっ、なにこれ?』
『……これが、修行、なんだ……。』
春翔がそう言うと、セラフィムも暗い表情で頷いた。
「もっとおー! 熱くッ、熱くなれよーーーッ!」
アレス叔父の大声に馬が驚いてあちらこちらでヒヒーン!ヒヒーン!といなないている。
エイダンは慌てて4頭の馬を誘導すると、遠くの方へと避難していった。
「ハルト! セラフィ! 自分を信じろ! 熱いっていえば熱くなるんだ! よーし、熱いって10回言ってみろ! あついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい! ほら、熱くなっただろう! その熱さで乗り越えるんだッ!」
「「…………。」」
青ざめた顔の春翔とセラフィムは、ドン引きするあまり言葉がでなかった。
「あついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい!」
『『えっ、美優!?』』
「わあ! ほんとうにあつくなった!」
『『えええーーーっ!』』
アレス叔父の修行に、内心とてもついていけないと思っていた春翔とセラフィムは、この珍妙な修行をあっさり受け入れた美優に心底驚いた。
「そうだ! いいぞ、ミュウ! なかなか見どころがある! ハルト! セラフィ! ミュウに続くのだ! ファイヤーッ!」
「ふぁいやーっ!」
美優は真剣な顔で力強く腕を振り上げると、春翔とセラフィムに言った。
『どうしたの? 莉奈ママと海翔とうちのパパを呼ぶんでしょ? 女神と対決して、みんなを呼び寄せるために頑張って神力を発動させようよ。修行が恥ずかしいからって、そんな理由で諦めるの?』
春翔とセラフィムは、美優の言葉にハッとした。
そうだ、恥ずかしがっている場合ではない。
どんなことをしてでも家族に会いたいのだ。
家族に会うためならば何でもすると思っていた筈が、いつの間にかその気持ちを忘れてしまっていたのか。
『いや! 俺は絶対に諦めない! 莉奈と海翔を諦められるものか!』
『俺も! 俺も諦めないよ!』
『『うおおおおおーーーーーッ!』』
そう叫ぶ春翔とセラフィムの目は、いつの間にかどんどん赤みを帯びて行った。
「おお、突然どうしたのだ!? だが、いいぞ! もう瞳が赤紫になっている。あと一歩だ! その情熱で自分の殻をやぶるのだっ!」
突如として覚醒し始めた春翔とセラフィムに驚きつつも、アレス叔父はあと一押しとばかりに発破をかけた。
『『おおおーーーーーッ!』』
春翔とセラフィムが力強く雄たけびをあげると、とうとう二人の目は真っ赤に染まった。
ついに二人は、自分の意思で神力の発動をコントロールできるようになったのだ。
「ハルト! セラフィ! おめでとう、よく頑張ったな!」
アレス叔父は目に涙を浮かべて喜んでいる。
修行を見守っていたパンテレイモンとエウフェミアも、口々に二人を祝福した。
春翔とセラフィムはお互いの目の色を確かめ合って、ついに発動のコツを掴んだことを実感した。
『セラパパ! 春ちゃん! おめでとう!』
『ありがとう、美優。美優のおかげで目が覚めたよ。』
『美優、俺も、ありがとな。』
『えへへ。よかった。』
春翔とセラフィムが美優に感謝の気持ちを伝えていると、パンテレイモンは高揚を抑えきれない様子で問いかけた。
「ところで、精霊の姿は見えるようになりましたかな?」
春翔とセラフィムは、その言葉に顔を見合わせると、泉の方を向いて精霊の姿を探した。
『なんか、丸くてぽやぽやした光みたいなのは見えるけど…。精霊って人の形してるのかな?』
精霊を見たことがない春翔は首を傾げた。
「パンテレイモンさん、私もハルトも丸い光のようなものは見えますが、人の姿は見えません。」
「おお、そうですか! それは確かに見えていますよ。今ここにいるのは下位精霊ばかりで、人の形を取れる上位精霊はいないのです。」
「あの光が精霊なのですか……。美しいですね。」
あちらこちらで光の玉が輝く聖なる泉は、それまでよりも一段と幻想的な佇まいになっていた。
一同は無事に精霊の姿が見えるようになった喜びに沸き、春翔とセラフィムは再度祝福を受けることになった。
その時、何の前触れもなく、地の底から湧き上がるようなおどろおどろしい声が辺り一帯に響き渡った。
「忌々しい……、ここから感じるこの忌々しい気配は何なのだ……!」




