第29話 道中の出来事
『春翔、そこに水場がある。このあたりで少し休憩しよう。』
『うん。さすがにちょっと疲れたよ。』
朝早くにエリミアの街を出た春翔とセラフィムは、王都を目指し一心に馬を走らせていた。
とはいえ、春翔がまだ初心者なので、速度を落として休憩を多めに取りながらになる。
春翔とセラフィムがそれぞれの馬を下りると、二頭の馬は水場で水を飲み、辺りの草をもしゃもしゃと食べ始めた。
『そろそろ昼になるな。俺達も美優が持たせてくれた弁当食べるか。』
『うん、食べる! 美優、唐揚げ入れてくれたかなあ? あと、おやつのブラウニーももう食べていいよな!』
春翔は馬から少し離れた草の上に座り、布に包まれた弁当を膝の上に広げた。
広げた弁当の中身はサンドイッチのみで、一瞬がっかりした春翔だったが、よく見るとサンドイッチの具として唐揚げが挟んであった。
唐揚げの他にもう一種類入っていて、そちらにはハムと刻んだ野菜入りのカラフルなオムレツが挟んである。
『はは、そういえば春翔は唐揚げが好きだったな。』
『肉は何でも好きだよ。でも美優の唐揚げは特にうまいんだ。日本で作ってくれてた、醤油と生姜とニンニクで下味つけたのが一番うまいんだけど、こっちには醤油がないんだよなあ。』
『醤油味の唐揚げか、俺も食いたいな。』
セラフィムもサンドイッチにかぶりつきながら、醤油味の唐揚げに思いを馳せている。
『かーちゃんがこっちに来るとき、醤油の作り方の本かなんか持ってきてくれたらこっちでも作れるかも!』
『ああ、それはいいな。醤油に限らず、いろんなものの作り方がわかると助かるな。』
『かーちゃん、今頃大喜びでこっちに来る準備してるだろうな。』
『はは、そうだといいな。』
『早いとこ叔父さんに会って、修行して、かーちゃんたち呼ばないとな!』
『そうだな。』
ガツガツとあっという間にサンドイッチを平らげた春翔は、そのままゴロンと草の上に横になり、セラフィムに尋ねた。
『王都まで馬を飛ばして、最短でどれくらいなの?』
『今のペースなら6日はかかるだろうが、急げば5日目の夕方、門が閉まるぎりぎり位に着けるかもしれないな。』
『俺、できるだけ急ぎたい! 早く帰らないと、美優が一人で待ってるし。』
『俺はいいが、春翔は大丈夫なのか?』
『うん、大丈夫だよ。なんか俺の馬、乗り心地いいし体力もありそうだし、もっとスピードあげてもいけると思う。』
その時、二人の会話を聞いていたかのように、春翔の馬がブルルッと鼻を鳴らした。
『ははは。お前の馬はなかなか賢いな。じゃあ、そろそろ行くか。』
『うん!』
セラフィムと春翔が馬にまたがったところで、セラフィムがふと思い出したように言った。
「そういえば、ハルトは俺の叔父に会う前に、もっとアレクサンドロス語を勉強する必要があるな。王族に対して失礼な発言があれば命取りになる。いまから日本語は禁止だ。アレクサンドロス語だけ話すようにしろよ。」
「はい…、ハルトはわかりました。がんばります。」
「よし、行くぞ!」
セラフィムと春翔はそれぞれの馬に合図を送り、王都へ向けて駆けだした。
……キャーッ
二人がしばらく馬を走らせていると、前方から微かに女性か子どもと思われる悲鳴が聞こえてきた。
「おとうさま! ひめいがきこえました!」
「俺にも聞こえた! 行くぞ!」
馬を急がせ駆けつけると、ドドドドドッという蹄の音に気付いた3人の女性たちがこちらに向かって必死に走ってくるのが見えた。
その後ろでは、大きな茶色い熊が立ち上がり、両手を振り上げて威嚇している。
振り上げた手の先まで、3メートルはあろうかという巨大さだ。
グオオオオオオオオオオッ!
「グリズリーだな。こいつは凶暴だから、俺がちょっと行って倒してくる。ハルトはここで彼女たちを助けてやれ。」
「ええっ!! にげないと、ころされます!」
制止する春翔の言葉を無視して、セラフィムはグリズリーの近くまで馬を走らせると、ひらりと飛び降り腰の剣を抜いた。
「おとうさまっ!」
興奮したグリズリーがグオオッと声をあげながら、セラフィムに向かって右手を振り上げた。
セラフィムは落ち着いた様子で剣を構えると、振り上げられたグリズリーの右手を一刀のもとに切り落とした。
そして、セラフィムは血しぶきを避けるように横に飛び退ると、その勢いのままもう片方の腕も切り落とした。
グオオオオオオオオオオッ!
両腕を失ったグリズリーは怒り狂い、今度は牙で攻撃しようと大きな口をあけて襲い掛かってきた。
セラフィムは慌てず正面からグリズリーの首筋を狙い、頸動脈を撫でるようにスパッと断ち切った。
ドシャッ……
巨大なグリズリーは、血しぶきをあげながらゆっくりと前のめりに倒れこんで絶命した。
「おおっ! おとうさま、すごい!」
グリズリーを発見してから倒すまでの所要時間は、5分もかかっていない。
春翔は、セラフィムの危なげない戦いぶりの一部始終を、尊敬のまなざしで見つめていた。
「ああ、ありがとうございます!」
女性たちは、わっと歓声をあげてセラフィムを取り囲んだ。
グリズリーから逃げていた女性たちは、森へ木の実を取りに来ていたところをグリズリーに鉢合わせてしまったのだという。
この辺りでは見たことがないほど巨大なグリズリーに出くわし、なすすべもなく逃げ惑っていたそうだ。
女性たちは、皆一様に頬を赤らめ、うっとりと潤んだ目でセラフィムを見つめている。
「そうですか。無事でよかった。『春翔、馬に乗れ。急げ。』」
『えっ?なんで。』
「では、私たちは先を急ぎますので、これで。倒したグリズリーは村の皆で分けてください。」
「そんな! ぜひ村までお越しください。どうかお礼を、あっ、待ってーーー!」
セラフィムは女性たちの言葉を遮るように、あっという間に馬を走らせその場を去ってしまった。
ぼーっと見ていた春翔は、置き去りにされて慌ててその後を追った。
「お、おとうさま! なぜいそぎますか?」
「ハルト、女性を助けたら直ちにその場を立ち去れ。これを破ると大変なことになるぞ。よく覚えておけよ。」
「ええ? ハルトはいみがわかりません。」
「そうだな、お前にはまだ早いな。お前も大人になれば女性の怖さがわかるようになるさ。」
セラフィムの言う通り、春翔にはモテる男の処世術はまだ早かったようで、状況を飲み込めない春翔はしきりに首を傾げていた。
予期せぬ野獣退治で多少の時間を取られはしたが、夜には予定していた宿場町に辿り着くことが出来た。
エリミアの街から王都までの街道沿いには、大きな街や宿場町が点在しているため、野宿をせずに王都まで行くことができる。
春翔とセラフィムは目に付いた宿に部屋を取り、その宿で夕食を済ませると、明日に備えて早々に眠りについた。
その後の道中でも、春翔たちは虎やら猪やらと、それらに襲われている人たちに何度か遭遇した。
その度にセラフィムは鮮やかに獣を倒し、迫りくる女性たちを回避しながら、いよいよ今日には王都へ入れるという距離まで来ることが出来た。
「ハルト、今日は夕方の閉門の時間までに王都に入らなければならない。今まで以上に急がなくてはならないが、あともう少しの辛抱だ。がんばれよ。」
「はい、がんばります。」
グルルルルルル……
もう王都までごく僅かだというのに、春翔たちの前にまたもや獣が現れた。
春翔とセラフィムに向かって唸り声をあげている。
「グレイウルフだな。初めて戦う相手にちょうどいい。ハルト、戦ってみるか?」
「はい! ハルトの剣をつかってみます!」
いままでずっと見学しかしていなかった春翔は、ここぞとばかりに意気揚々と答えると、すたっと馬から飛び下りた。
買ったばかりの黒い剣を鞘から抜き、グレイウルフに向かって構える。
グルルルルルル……
グレイウルフは歯をむき出して唸り声をあげながら、態勢を低くして春翔に隙ができるのを狙っている。
ザザッ、ガサガサガサッ
春翔とグレイウルフがにらみ合う中、場違いにも茂みをかき分けるような音がした。
音のした方に目をやると、茂みの向こうにベリーのような果実を摘んでいる少女が見える。
少女はグレイウルフに気付かず、のんきにベリーを摘んでは口にぽいぽい入れていた。
「そこのおんなのこ! にげてください!」
春翔が緊迫感にかけた警告の声をあげると、少女は春翔の存在に気付いたと同時にグレイウルフの存在にも気が付いた。
「キャアーーーーッ!」
悪いことに、悲鳴をあげたせいでグレイウルフの標的が少女に移ってしまった。
ザザッと茂みをかき分け、グレイウルフはあっという間に少女に近づいていってしまう。
『まずい! 待て! お前の相手は俺だッ!!』
春翔はグレイウルフの関心を自分にひきつけようと、大声を上げながら後を追ったが、グレイウルフの目は少女を見据えたままだ。
『うおおおおーーーーーッ!』
春翔は雄たけびをあげながらグレイウルフの胴体に切りかかった。
ギャイン!
グレイウルフは飛び退って剣をかわそうとしたが、剣先が僅かにグレイウルフの脇腹を傷つけた。
春翔の攻撃は致命傷には程遠く、グレイウルフを怒らせただけだったが、少なくともグレイウルフの関心をひきつけることには成功した。
ヴーーーッ、ガウッ!
グレイウルフはすぐさま体制を立て直すと、春翔を噛み殺そうと飛びかかってきた。
春翔は狼が跳躍したのを見てとると、剣を下からすくい上げるように振り上げ、グレイウルフの柔らかい腹を切り裂いた。
ギャンッ!
腹を切り裂かれたグレイウルフは、もはや虫の息で舌をだらりとたらして横たわるだけだった。
「ハルト、よくやったな。グレイウルフにとどめを刺してやれ。」
「は、はい…。」
春翔の戦いを見守っていたセラフィムから、とどめを刺すよう促された。
春翔は、生まれて初めて生き物の命を奪うことに若干の罪悪感があったが、ここは弱肉強食の世界なんだと自分に言い聞かせ、とどめを刺した。
「あ、あの! 助けてくれてありがとう!」
助けた少女は春翔と同じくらいの年齢で、腰まであるサラサラの金髪と、大きな丸い目が愛らしい村娘だった。
「ん? ああ、けがはないですか?」
「うん、大丈夫よ。あなた強いのね!」
少女は、春翔を見て頬をピンクに染めている。
『春翔、行くぞ。』
『ええっ、でも村まで送って…。』
『ダメだ。早くしないと門が閉まるぞ。』
『はっ、そうだった!』
春翔とセラフィムは馬に乗り、その場を後にしようとしたが、少女が必死な声で呼び止めた。
「えっ、もう行っちゃうの?」
「おうとにいかなくてはなりません。」
「あっ、待って! あたしローナよ。あなたは何ていう名前なの?」
「ハルト。」
セラフィムは既に馬を走らせ先に行ってしまった。
春翔も名前を告げると同時に馬を走らせ、少女を残してその場を立ち去った。
「ハルト…。」
少女は春翔の名をつぶやくと、春翔の姿が見えなくなるまで後姿を見送った。




