第24話 美優の選択
『えっ、何言ってんだ、美優。腹でも壊したのか?』
『壊してません。私のお腹はいま関係ありません。』
春翔は美優の突然の発言に体の不調を心配した。
『美優、どうして残るなんて言うんだ? 一人で残るなんて危ないからダメだぞ。』
『セラパパ。私が旅について行っても足手まといになるだけだよ。二人でなら馬で行けるんじゃない? 女神がいつ現れるかわからないんだから、少しでも早く叔父さんに会った方がいいと思うんだ。』
『美優……。』
セラフィムは、幼い見た目とは裏腹に、5年前より格段に精神的に成長した美優を感慨深げに見つめた。
『それに、私こう見えても忙しいんだよ? ウィンタースティーン商会で、グラノーラやシリアルバーを作ってるの。結構売れ行きいいんだよ。あとコーヒーの研究もしないといけないし、それにソコたらとかいう飲み物もまだ飲んでないしね!』
『ソコたら? ああ、ソコラタか? チョコレートのことだな。』
『えっ、チョコレートなの? やったあ! わあー、いろんなお菓子作れそう!』
ソコラタの正体はチョコレートだと聞いて、美優は目を輝かせた。
早くも、ウィンタースティーン商会から新しく売り出せるかもしれないお菓子のレシピが、あれこれと頭に浮かんでくる。
『グラノーラか…。莉奈がよく作ってくれたな。そういえば美優は、莉奈にくっついて料理を手伝うのが好きだったな。』
『うん。莉奈ママがいろいろ教えてくれたから、私いますごく助かってるんだよ。』
『そうか。』
幼い頃に母親を病気で亡くした美優は、莉奈が母親代わりとなって、春翔、海翔と兄妹同然に育てられた。
料理が得意な莉奈に教えられたおかげで、美優は中学生ながら様々な料理を作れるようになったのだ。
『うん。ウィンタースティーン商会の仕事は楽しいよ。喜んでくれる人がたくさんいるしね。』
『そうか。』
『だから、セラパパと春ちゃんが王都に行っている間、私はここで仕事をしながら待ってるね。私のことは心配しないで。セラパパと春ちゃんは修行に集中してほしいの。』
『美優…。』
セラフィムが美優の言葉に頷きかけたその時、春翔はテーブルをバンと叩いて勢いよく立ち上がった。
『待て待て待て!』
セラフィムと美優は、呆気に取られていきり立つ春翔を見た。
『なに頷きそうになってるんだよ、とーちゃん! 美優が一人になるなんて絶対ダメだ! 美優は俺がいないとだめなんだから!』
『『……。』』
ダメなのはお前の方じゃないのかという言葉を飲み込んで、セラフィムは言い聞かせるように春翔に言った。
『美優の言うことにも一理ある。今は少しの時間でも惜しい時だ。エリミアの街から王都まで、馬車だと10日ほどかかるが、馬なら6日ほどで着ける。早く行って早く帰ってこれるように、春翔は修行を頑張ればいいんじゃないか?』
それでもやはり、美優を長い間一人にしておくのが心配なセラフィムは、旅の日程を出来るだけ短くしようと提案した。
往路が1週間、王都滞在が3週間、復路が1週間の計1ヵ月の予定だ。
そして、やむを得ず王都滞在が延びる場合や、美優から緊急の連絡をしたいときは、翼竜便で手紙を送って知らせることにした。
春翔は納得したわけではなかったが、1ヵ月ならと渋々頷き、席に戻った。
翼竜便で手紙を送る、という言葉に内心わくわくしたのは秘密だ。
しばらくして運ばれてきた食事を食べながら、美優が作るもののほうがずっとおいしいと思う春翔だった。
三人は食事を終えると、春翔と美優の服を買いに洋服屋へ赴いた。
既製品はあまりサイズが豊富ではなく、春翔は少し大きい程度で問題はなかったが、美優に合うサイズが子ども服しか置いてなかった。
「お嬢様に合うものでただいまご用意できるのは、こちらとこちらになります。どちらもお子様には人気の型なんですよ。」
店の売り子が服を両手に持って勧めているが、美優は曇り顔だ。
『う…、これは子どもっぽすぎるよ…。』
アレクサンドロスでは、フリルやリボンがあしらわれた、すとんとしたエプロンドレスのような形の子ども服が主流らしい。
『まあ、美優もまだ子どもなんだから子ども服で問題ないじゃないか。子どもらしくてかわいいぞ。』
『私もう中三だよ! 子どもじゃないもん!』
『そう言われてもなあ。大人用のドレスはぶかぶかで着られないだろう。』
セラフィムの言葉に反論できない美優は、ぷくっと頬を膨らませながらむむむと考え込んだ。
『そうだ! 古着屋さんも行ってみていい? 新しいドレスをリメイクするのはもったいないけど、古着ならリメイクしても罪悪感がないし、私やってみたい!』
『そうだな。古着の方がたくさん種類があるだろう。春翔も気に入った古着があれば、そっちも買っていいぞ。』
『俺は別に美優みたいなこだわりはないから何でもいいよ。』
そう言って、春翔はその洋服屋でシャツとズボンを数枚購入した。
美優も下着だけは新しいものがよかったようで、二人分の新しい下着も買って店を出た。
古着屋では、気に入った柄のドレスがいくつか見つかったため、美優は数枚買って丈を詰めることにした。
春翔は別に何でもいいと言ったわりに、その店にあった黒い皮のマントと、おそろいの剣帯ベルトを見て一目で気に入ったようだった。
『とーちゃん、あれ! あれ、かっこいい!』
『ああ、そういえばマントも必需品だな。仕立てる時間もないし、とりあえずは古着でいいか。気に入ったならあれにするか?』
『うん、あれがいい! 強そうで気に入ったよ!』
『しかし、黒髪に黒マントじゃ黒ずくめだな。これで馬まで黒だったら…。そうだ、貸し馬屋に行って、馬を借りないとな。買い物が終わったら貸し馬屋へ行くぞ。』
『うん!』
三人は街門近くの貸し馬屋へ着くと、たくさん並んでいる馬を見ながら店の男に声をかけた。
「「こんにちはー!」」
「明後日から馬を借りたいんだが、2頭借りられるかな?」
「おう、今そこに並んでるのは空いてる馬だぜ。好きなのを選んでいいぞ。」
愛想のない男は、チラリとこちらに視線をやっただけで、積極的に接客をする気は皆無のようだ。
「ハルトは、あのくろい馬がいいです!」
「あの黒い馬なあ。あれは気性が激しいが大丈夫かよ。むこうの栗毛の馬はおとなしいぜ。」
『そういえば春翔、馬に乗ったことあるのか?』
『こっちにきてから、大平原でエヴァンスさんに少しだけ教わったことがあるよ。俺、筋がいいって褒められたんだよ!』
『うーん…。それはつまり、遠乗りもしたことのない、まったくの初心者ってことだな。春翔、悪いことは言わない。栗毛の馬にしとけ。』
『ええ! なんで? ほんとに俺うまいって言われたよ?』
揉め始めた春翔とセラフィムを見て、店の男が割って入った。
「おう、なんだなんだ。馬が驚くから大声は出すな。そっちの坊主は黒い馬に乗ってみるか? 乗ってみてダメなら納得するだろ。」
「はい! ハルトは乗ってみたいです!」
春翔は店の男の後について柵の内側へ入り、店の裏にある試し乗り用のスペースへ行った。
セラフィムと美優は柵の向こうから心配そうに見ている。
店の男は春翔の傍まで馬を引いてくると、馬の背に鞍を乗せ、手綱を春翔へ渡した。
春翔は馬の目をじっと見つめて「よろしく」と挨拶をすると、馬も春翔の目を見返し、暴れる様子もなくブルルと返事をした。
『よーし、よしよし。いい子だからそのまま大人しくしててくれ。』
春翔は馬の首筋を撫で、鐙に足をかけると、ひらりと馬の背にまたがった。
そして春翔が手綱で合図を送ると、馬は従順にパカパカと歩き出し、やがてパカラッパカラッと軽快に走り出した。
「おお!? こいつは驚いた。坊主とは相性がいいみてえだな! これなら大丈夫だろう。」
店の男が驚いて声を上げている。
春翔が軽快に馬を駆る様子を遠くから眺めていたセラフィムと美優も、その光景に目を瞠っていた。
『おおっ! 本当に乗れたんだな!』
『春ちゃん、ごめん! わたし疑ってたよ!』
春翔はもともとスポーツ万能で運動神経がいいにもかかわらず、このところ神力絡みの不発が多かったために疑いの目で見られていたようだ。
黒馬を自在に操り、久しぶりに面目躍如となった春翔は、日の光を受けてきらきらと輝いて見えた。
1週間=6日
1ヵ月=30日




