第2話 気付いたら大平原でした
母国語を「」、外国語を『』で表記しています。
舞台が日本の時は日本語が「」ですが、アレクサンドロスでは外国語になるので『』になります。
『ん…ここは…?』
春翔は照りつける太陽の眩しさに目を覚ました。
半身を起こすと、遥か遠くまで続く平原の向こうに、森と山が小さく見えた。
『え…なんで東京にいきなりこんな平原が?あれは富士山?あんな形だったっけ…?』
山脈が連なる中、一つ飛びぬけて高い山が見える。富士山とは似ても似つかない形状であったが、都心からでも見える山といえば富士山しか思い浮かばなかったようだ。
『はっ、それよりも美優は?確か二人乗りで帰るときに雷が落ちて…。美優!美優!』
春翔は美優の存在を思い出すと、焦ったように美優の名を呼んだ。
『美優!どこだ!返事しろ!』
『ーーう…。』
か細い声にはっとして振り向くと、思いの他近くに美優が倒れていた。
美優の傍らには春翔の自転車が横倒しになっており、二人の荷物があちこちに散らばっていた。
『美優!大丈夫か!美優、死ぬなーーーーっ!』
『ーーうぅ…春ちゃん、うるさいよ。死んでないよ。』
『美優!』
春翔はほっとして美優を抱き起こした。
『大丈夫か?どこか痛いところは?』
『・・ん。なんかぼーっとするけど、たぶん大丈夫だと思う。・・って、ここどこ?なんで原っぱにいるの?』
『俺にもわからん。なあ美優、あれ富士山かな?』と、遠くの山を指差した。
『えー?なんか山脈だし違うんじゃない?真ん中の山すごい高いし、エベレストかな?』
『日本なんだからエベレストなわけないだろ。』
『…日本かな?』
『…日本だろ?』
二人は立ち上がり、ぐるりと回って360度見渡した。
『…なんか違うような?』
『…なんか違うかもな。』
目視できる範囲にあるものは、草、草、草、木、森、山、草、草、草…。
公園にも草木はあったが、通学路の景色とはまったく一致しない光景が広がっていた。
ビルも家も道も、見える範囲に何もないのだ。
『ねえ、こんな何もない原っぱの真ん中にいたんじゃ飢え死にしちゃうよ。とりあえず助けてくれそうな人を探そうよ。』
『人を探すのは賛成だけど、どっちに行けば人がいるんだ?見渡す限り平原で、山しか見えないぞ?』
『…どっちかな?』
『…どっちだろ。』
二人は途方に暮れていた。中学3年生の二人はまだ子どもだ。
泣きたい気分になったが、しかし、いつまでも途方にくれたままでいるわけにはいかない。
『とりあえず山に向かうのはナシだよな。山の反対方向に行ってみるか。』
『そうだね。明るいうちにできるだけ移動しよう。』
『せめて小川が見つかるといいけどな。』
『なんで小川?』
『まず水分を補給できる。それに川の流れに沿っていけばそのうち大きな川に出るから、そしたら助かる手がかりが見つかったり、人に会えたりして助かる確率があがるって何かで読んだ気がする。』
『なるほど!春ちゃん頭いい。』
美優に褒められて照れたのか、春翔はさっと自転車を起こして状態を確認するふりをした。
『見つかってから褒めてくれよ。さっさと行くぞ。』
『はーい!よーし、がんばるぞー!』
美優は元気良く返事をし、散らばった荷物を手早く拾って、自分の荷物を肩に掛け、春翔の荷物をおなかに抱えて自転車の後ろにまたがった。
『がんばるのは自転車こぐ俺なんだけど。お前は後ろに乗ってるだけだろ。』
『私は応援をがんばるよ!』
ふんす!と鼻から息を出す美優に文句を言いつつも、美優の明るさに元気付けられ、軽い足取りで自転車を漕ぎ出す春翔だった。
グル…グルル…グウ…
『ん?なんか聞こえる?』
『お前の腹の音じゃないよな?』
『失礼な!違います!』
『じゃあ何の音だ?』
きょろきょろと周りに目をやると、風もないのに揺れる草が目に入った。
『ん?草が揺れてるね?』
『どこ?』
『私たちの後ろの方だよ。あれ?あっちもこっちもザワザワ揺れてる?』
ウゥー、ガウガウッ!
美優が指差す方向からザザッと音を立てて飛び出してきたのは、緑色の体毛を持つ四つ足の獣だった。
『うわっ!春ちゃん、犬だよ!』
『なんだ、犬かよ。びっくりさせやがって。』
『でもなんか変だよ。緑色の犬なんて見たことない。それにすんごい怖い顔してる!』
グルルと唸り声をあげながら犬のような獣がどんどん近づいてくる。
『どれ?…ほんとだ。超こえーよ。すげえ牙。あれ、狂犬病の犬かな?』
『ええ?狂犬病の犬なの?狂犬病になると緑色になるんだ。』
ここには本物の狂犬病の犬を見たことのない二人しかおらず、つっこみは不在であった。
『狂犬病の犬に咬まれたら病気が移る!人間が狂犬病になったら100%死ぬんだぞ!』
『ええっ、私たち死んじゃうの?怖いよ、春ちゃん!』
その獣が何であるか理解してはいなかったが、生まれて初めて殺気を向けられ身の危険を察知した。
『逃げるぞ!振り落とされるなよ!』
『うわーーー!追いかけてくるーーー!』
『絶対咬まれるなよ!』
獣は数分自転車に並走していたが、仲間が5~6匹に増えたところで自転車を囲むように左右に別れ、狩りの体制に入った。
ヴーーーガウガウッ!
『きゃあっ!飛び掛って来た!あっちいけーーー!』
牙をむき出して左右から襲い掛かってくる獣に向けて、美優は抱えていた荷物をぶんぶん振り回した。
『お前、それ俺のスクールバッグだろ!自分の使えよ!』
『春ちゃん、今そんな細かいこと言ってる場合じゃないでしょ!』
『くそお、病原菌が付くじゃねえか!全速力で振り切るぞ!しっかりつかまってろ!うおーーーーーー!』
春翔は火事場の馬鹿力とも言うべき脚力を発揮して、何とか緑色の獣を振り切ることに成功した。
『はあ、はあ…。あー、づがれだーーー。もう足がパンパンだよ。』
『春ちゃん、お疲れさまー。何とか逃げ切ったね。』
『ちょっと…休憩…。』
そう言って春翔は自転車を止めると、息も絶え絶えにごろんと草の上に倒れこんだ。
『あっちぃ…のど渇いた…みず…。』
大量に汗を流した春翔は水分を欲していた。
『そうだ!二人の持ち物を確認しとこうよ。飲み物とか食べ物とか、何か役に立ちそうなものとか持ってる?』
『俺は食料は、部活上がりに食べる用にエナジーバー2つ持ってたはず・・。あと、飲み残しのペットボトルのお茶が半分くらいあったと思う。』
『私はおやつに飴とチョコレート持って来てた。ちょっと食べたけどまだ半分以上残ってるよ。』
食料を並べて見ると、節約しながら食べれば3日くらいは飢え死にすることはないだろうと思われたが、水分がまったく足りなかった。
二人がお茶を一口づつ飲むと、残りは1/3程になってしまった。
もっと飲みたいと思ったが、水場を発見するまでは我慢しなければならない。
代わりにミルク味の飴を一つ口に入れた。
『問題は水だな。やっぱり小川見つけないと。』
『水重要だよね。あと持ってるのは、スマホとお財布と家の鍵。教科書とノートと筆記用具とジャージ。
折りたたみ傘。ハンカチとティッシュと化粧ポーチ。それと空のお弁当箱と水筒と歯磨きセット。』
『すげぇ入ってるな。俺も大体そんなものだけど、傘とポーチと歯磨きセットは持ってない。あ、スマホのソーラー充電器とスポーツタオルが入ってた。それにしても暑いと思ったらレインコート着たままだったわ。』
春翔は制服の上にアメリカンサイズの迷彩柄のレインコート、美優は赤い花柄のレインポンチョを着ていた。
春翔がガサガサとレインコートを脱いでいるのを眺めながら、美優は言った。
『春ちゃん、それ脱いだら制服が汚れちゃうから着てたほうがいいんじゃない?』
『えー、蒸れるし暑すぎるよ。じゃあ俺ジャージに着替える。…というか、いま気付いたけど、美優のソレ。その花柄が目立ってあの犬に狙われたんじゃないの?』
『ええっ、そうかな?』
『そうじゃん?めっちゃ花柄だし赤いし、緑一色の中にいたら遠くからでもすごく目立つよ。』
『ええっ、じゃあ私も着替える!私たちの学年のジャージ、緑でラッキーだったね!ちょうど保護色になるよ!』
美優はポンチョの下でさっさと制服を脱ぎだした。春翔はあわてて背を向け、着替え始めた。
『お前、こっち見るなよ。』
『いまさら何言ってるのー。小さいころは毎日一緒にお風呂に入ってたのに。』
『お前な。俺は思春期なんだよ。もっと気を使え。』
脱いだレインコートを小さくたたみ、サドルバッグにしまいながらブツブツと文句を言う春翔であった。
二人が一休みしていると、空の色がだんだんオレンジがかってきた。
夕暮れが近づいてきたのだ。
『ねぇ、もしかしてもう日が暮れるのかな…?』
『なんかそんな雰囲気の空の色だな。ーー日本時間なら16時55分だけど。』
春翔は手元の時計を見て言った。
『狂犬がうろついてるようなところで夜になったら危険すぎるよね?死んじゃうよね?』
『他にも毒蛇とか危険な生き物が居るかも知れないし、せめて大木とか洞穴とか身を隠せる場所を見つけないと。』
『洞穴って危険動物の住処ってイメージなんだけど…。』
『それもそうだな。じゃあ避難先は大木が第一候補か。』
グル…グルル…グウ…
『ん?なんか聞こえる?』
『お前の腹の音じゃないよな?』
『なんかデジャヴ…。』
『さっきの犬だ!なんか増えてる。諦めたんじゃなくて仲間を呼びに行ってたんだーーー!』
『きゃああっ!』
『美優!自転車に乗れ!』
二人はスクールバッグをひっつかみ、急いで自転車に飛び乗った。
『きゃあっ!きゃああっ!怖いよーーー!』
ヴーーーガウガウガウッ!
先ほどよりも多くの獣が併走しながら吠え立て、ひっきりなしに飛び掛ってくる。
春翔は必死に自転車を漕ぐが、追いつかれるのは時間の問題だった。
ガウッ!
群れの中でも一際大きな一匹が美優に狙いをつけ飛び掛った。
『きゃああっ!』
『美優!』
ぎゅっと目を瞑り諦めかけたその時、ヒュン!と鋭い音が横切った。
ギャイン!
悲鳴と共に獣が横に吹き飛ばされた。
美優が目を開けると、頭を矢に貫かれた獣が死んだように横たわっていた。
『矢!?誰が?人がいるの…?』
『どこどこ?おーい!誰か助けてくださいーーー!』
春翔が自転車を止め、きょろきょろしながら大声で助けを呼ぶと、ドドッドドッドドッと蹄の音が聞こえてきた。
『馬だ!人が乗ってる!助けてぇーーー!』
「どうどう。」
ライオンの鬣のような赤毛の髪を靡かせ、春翔達の前で馬を止めた馬上の人物は、春翔よりも背が高そうながっしりした体格の30歳くらいの髭面の男だった。
腰に剣を帯び、片手には弓を持っている。
その男が乗る馬は、テレビで見るような美しいサラブレッドではなく、世紀末の覇王に似合いそうな黒い巨大な馬だった。
「大丈夫か!?どうやら死んだ狼は群のリーダーだったらしいな。残りは逃げたようだ。」
『『えっ!?』』
「どうした?もう大丈夫だぞ。」
『『ア…アレクサンドロス語!?』』