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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第三章 魔導学園デザイア編
93/140

21 旧友②



 エストア大陸北東の端に、かつての獣人族の里<ケインゴルグ>が存在した地域がある。周りを高い山脈に覆われ、聖域へ渡る唯一の入り口へとつながる土地である。

 聖域―――マナレイア

 森の民の故郷が存在したその巨大な森は、最奥に天光樹と呼ばれる巨木が存在し、魔力が生まれる場所とも言われ神聖視されていた。人に支配されることなく、動植物はあるがままに生き、多くの精霊や妖精たちが集うまさにその名にふさわしい場所であった。しかし、先の聖戦で森の民を探し求めて侵入した人間たちに踏み荒らされ、世界の掟に背く残虐非道な行いを前に天光樹はその輝きを失い、以来、森の木々をはじめとしたあらゆる生物が次々と息絶えていった。

 それまで二千年以上にわたり、ケインゴルグで聖域を守り続けてきた獣人族たちは、見るも無残に朽ち果てた聖域の有様に言葉を失い、己らが犯した罪の重さに愕然とした。

 だが、償う方法もみつけられないまま、現実から目をそらすように聖域に背を向け、一つ、また一つと、故郷を離れていく部族が後を絶たなかった。

 やがて、世界で5人の若者が闘神の前に立ちはだかり激戦を繰り広げる頃には、すでにケインゴルグに残った部族はなく、朽ち果てた廃屋と人の罪だけがその地に置き去りにされていた。


 あれから、100年余り―――


 ケインゴルグに続く『迷いの森』の中に、一人の男の姿があった。


「…くそ、あの女、また余計な道増やしやがったな。いつまでたっても着きやしねぇ」 


 黒髪、赤目の魔人族。背はそれほど高くないが引き締まった体を持ち、足場の悪い道を文句を言いながら身軽に歩いていく。

 腰に携えた得物は、黒い柄に黒い刀身の黒剣―――

 一般的に出回っている黒剣とは違い、世界に十本だけ存在するといわれている、剣神の愛刀。そのうちの一本が彼の持つ「四の型<黒姫>」であった。


 そんな世にも珍しい黒剣を持つ男、ミダイ・ナナキはうんざりした顔で自分が歩いてきた方向を振り返った。

 どこを見ても周りは木ばかりで、探し求める景色は一向に見えてこない。一応道らしきものが作られてはいるので何とか古い記憶を頼りに歩いていたのだが、なんせ10年以上も前の記憶なのであいまいな部分も多い。いつしかナナキは全く記憶にはない場所に立っていたのだった。

 要するに、迷子である。

 最強の剣王と恐れられた自分が、とんだ醜態だと舌打ちする。

 だが、ナナキが方向音痴なわけではなく、何分この森の道が複雑すぎるからいけないのだ。とにかく道の入り組みようが半端ではない。ところどころ看板や目印らしきものはあるのだが、あいにく何を意味しているのか理解できず、覚えるにも数が多すぎる。挙句に下手に推察して当てにすれば、逆に入り口に戻されることもあるのだから、難関な上に意地が悪すぎた。


「はー、いくら侵入を防ぐためったって、これはやり過ぎだろ…」


 確かに、その名にふさわしい巨大な迷路を前に、ナナキは一人うんざりしたように悪態をついた。

「…ま、なるようになれ、か」

 この迷った状態のまま下手に歩いても事態はもっと悪くなるだけかと、ナナキは清く進むのをあきらめた。それから近くの木の根元に腰掛け、徐に荷物から大きな包み取り出すと、勢いよくその中身にかぶりついた。

 腹が減っては何とやら。適度な栄養補給は大事だと、ナナキは黙々と巨大な肉の塊をお腹の中に収めて行った。

「…ん、うめぇな。やっぱ、肉っていや、ベルガルトンの特上肉だな」

 ここで年代物の美酒でもあればいうことなしなのだが、これから会う人物の前で酒臭いといろいろ面倒なので今回は手持ちにない。

 そのうち迎えが来るだろうし、それまで一眠りでもしようかと楽天的に考えながら、ナナキはきれいに食べ終わった肉の骨部分をぽいっと適当に放り投げた。


「あー!おじちゃん、いけないんだ!ゴミはちゃんと自分で持って帰らなきゃダメなんだぞ!」

「だ、だめなんだよ!」

「あ?」

 どこから現れたのか、小さな子供が二人、ナナキを指差してぷりぷりと説教を始めたのだった。

「もう!こうやって勝手に入って、勝手に汚していく大人がいるから、僕たちの仕事が増えるんだよ!」

「おーおー、生意気なガキだな」

 ナナキはニヤニヤと笑いながら子供の一人を見つめた。見た目は獣人族の男の子らしい。だが、片耳がなかった。

「が、ガキじゃないよ!」

 もう一人は、口は立派に刃向っているのだが身体の方は逃げ腰で、一言いうたびにもう一人の子供の背中に隠れてはナナキの様子を覗っていた。黒髪、赤目ではあるが、純血ではないことをナナキは一目で察した。こちらは何ともかわいらしいおかっぱの女の子である。


「おいおい、お嬢ちゃん。魔人の血を少しでも引いているなら、その逃げ腰はいただけねぇな」

「良いんだよ、クルミはまだ小さいんだからな!それに女の子だもん。僕が守ってやるんだ!」

「女だろうが魔人族が他人の力当てにしちゃ、恰好がつかねぇな。女だから戦闘は無理なんて、ジゼルで言ってみろ。尻百叩きの刑だぜ?」

「ほ、ほんとに……?」

 尻百叩きという単語に怯えたらしい男の子は、クルミを背中に隠しながら不安そうにナナキを見つめた。

「うちの女どもは血の気が多すぎるからな。…まぁ、お嬢ちゃんみたいなしおらしいのが一人ぐらいいても、たまにはいいかもな」

「…じ、じゃあ、クルミ、ぶたれない?」

 おずおずと聞いてくる子供の様子に、少しいじめすぎたなとナナキは苦笑いした。


 ―――この手の話題は、こいつらには酷か…。


「ああ、安心しろ。お前らのことは、院長様が守ってくれるだろ?」

「うん!」

「院長様、だいすき!」

 ナナキの言葉に、二人の顔がパァッと華やいだ。


「で?子供が二人だけで、なんでこんなところにいるんだ?」

「あ、そうだった!僕たち、おじちゃんを迎えに来たんだよ!」

「…おじちゃんはやめろ。迎えだと?お前らが…?」

「うん!院長様が、きっと迷子になってるだろうから、お迎えにいってあげなさいって!」

「で、でも、お酒臭かったら、置いてきなさいって!」

 そう言って子供二人はナナキに鼻を近づけ、遠慮なしに匂いを嗅いだのだった…。

「よし、大丈夫!案内してあげる!」

「あげる!」

「そらどうも…」

 応えながら、ナナキは今すぐ帰りたい衝動に駆られた。


「…だから嫌なんだよ、あの女のところに行くの」

「はやくはやくーーー!!」


 子供にせかされ、ナナキはしぶしぶ腰を上げてのんびりと後をついて行った。





 ずいぶんと様変わりした道順に、ナナキは子供の後ろでなんとか途中までは覚えようとしたのだが、最後はあきらめてしまった。戦で焼けた木々はもうすっかり再生し、以前同様とまではいかないまでも、緑豊かな森に戻っていた。

 それにしても、いくらここに住んでいるとはいえ、迷いなく進んでいく子供たちの様子には違和感がある。ナナキはどうやって進むべき道を判断しているのかと聞いたのだが、子供たちは満面の笑みをうかべながら、

「内緒!!」

 と、答えるだけだった。

 どうやら何かコツがあるらしいが、教えてくれる気はないらしい。


 やがて、森の切れ目に到着するとようやくケインゴルグの門が見えてきた。

 周りを天を突くほどの山脈が囲い、マナレイアまでの道の前へと立ちふさがるその地形は、完璧とすら思えるほどの要塞であった。

 山肌を削って造られた大門を通ると、古い廃屋が並ぶ奥に、真新しい白い屋敷が見えた。周囲には自給自足のための畑に、家畜、それに手製の井戸が備わっている。こちらも手作りらしい遊び場には、数人の子供たちが声を上げながら走り回っていた。どの子も日に焼け、泥だらけになりながらはしゃいでいた。

 人の業が残した血のにおいと、罪が置き去りにされたこの土地で、どこか別の次元に飛んだような錯覚を覚えるほど、その一角だけ暖かく幸せな時間が流れていた。

「おじちゃーん!はやくーー!」

「はやくーーー!」

「おー。はしゃいで転ぶなよ!」

 平和な光景の合間を抜け、ナナキは導かれるままに子供の後をゆっくりと進んでいった。屋敷の前まで来ると、扉の前で出迎えるように白い毛並みの女性が一人立っている姿が見えた。


「院長様!連れてきたー!」

「た、ただいま!」

「ああお帰り、大役ご苦労だったね。さぁ、中でエルドがおやつを取っておいてくれているから、食べておいで」

 走って飛びついてきた子供二人を優しく受け止め、その頭を順番に撫でてやる。歓喜の声を上げて、おやつにありつこうと屋敷の中へ駆けて行く小さな背を見送り、彼女は後からやってきたナナキを振り返った。


「ずいぶんと久しいな、剣王よ」

「―――よう、くそ女」

「変わらんな、そなた」


 横柄なナナキの挨拶に怒るでもなく、『博愛』の英雄王――オリヴィア・ディッセルハインは目を細め、優雅に笑った。







 獣人族という種族は、実に多種多様な容姿に富み、それぞれ毛色や、尾・耳の形の違いによって部族が分けられる。

 聖戦前は30近い部族が同じ志を持って結託し、ここケインゴルグで『聖域の守護神』としての誇りを胸に共存していたが、世界中に散り散りになってからは、皆で他の土地へ移り住む一族もあれば、部族そのものが解体されなくなってしまった一族もあった。よって今では明確な数は曖昧になりつつあるが、それでもこの世界では純人族の次に人口数が多い種族であった。

 そんな数多の部族の中で、最も古い、由緒ある血統の一族がある。

 マンセルハイン家、ゴルディスハイン家、そしてオリヴィア率いるディッセルハイン家―――

 いずれも同じ『ハイン族』と呼ばれる彼らは白い毛と大きな三角耳をもち、これまで何度も獣人族の長を輩出してきた歴史ある部族であった。

 ナナキが今現在訪れている、ここ『ハイン光導孤児院』も一族の名をとってつけられたもので、聖戦後、オリヴィアが最初に建てた保護施設である。

 戦で親と家を失い、荒れ地に置き去りにされた子供たちを集めて保護するため、オリヴィアは当時から副官を務めていたエルドラス・ミューラーを筆頭とする部下数名と残り2家のハイン族を集い、子供たちと暮らすための屋敷を手ずから作り上げたのだ。


 仮にも英雄王の一人で、しかも同族からは『白の獣王』として慕われるオリヴィアが、山奥に引きこもり子供たちと暮らす生活に難色を示す輩は多かったが、かねてからの彼女の願いだったことと、何よりハイン族の持つ力の強さに同族たちは止める術をもたなかった。また、進んで彼女の改革に手を貸そうとする人間もほとんどいなかった。

 いくら終戦したとはいえ、そう簡単に異種族間の溝が埋まるわけもない。特に、獣人族が天人族に向ける嫌悪と憎しみは簡単には消えず、数年間は衝突やいざこざが絶えなかった。その度にグレンディスやオリヴィアたちが間に立って説得し、長い時間をかけて話し合い、双方が納得いく形での歩み寄りを模索してきたのだ。

 勿論、例え同族の反感を買おうと、何度説得されようとオリヴィア自身の意志と理念が消えることはなかった。ケインゴルグでの生活基盤を固めた後も彼女なりの『平等』への改革は続き、『ハイン光導院』の存在は徐々に世界へとその輪を広げていった。


 最初こそ光導院で従事する人間の大半がハイン家にゆかりのあるもので占められていたが、今では彼女の理念と行動力に感銘し、参加したいと申し出る者も多く、さまざまな種族の人間が各地に点在する光導院で働いていた。その活動規模は聖宮の聖導師と肩を並べるほど広域にわたり、いわゆる日本の“駆け込み寺”のように毎年様々な事情を抱えた人間が訪れるほどにまで発展していた。




 短い挨拶を交わしたあと、清潔感あふれる白を基調をとした扉を開き、オリヴィアは孤児院内にナナキを招き入れた。

 内装も白色であふれ、あちこちきれいに手入れが行き届いた実にオリヴィアらしい屋敷である。ナナキのような男でも、思わず泥だらけの己の靴を見下ろし、一瞬入るのを戸惑ってしまうほどだ。そんな旧友の気遣い様にオリヴィアは声を上げて笑った。

「そのままでかまわん。気にせず入ってくれ」

 掃除をしたばかりできれいに見えるだけで、一日もすればあっという間に子供たちの手によってひどい有様になってしまうらしい。

「なんともいたずら好きが多くてな、我も手を焼いている―――それにしても久しいな。ここにそなたが来るのは…およそ10年ぶりか?集まりにも顔を出さず、相変わらず好きにあちこち出歩いているらしいな」

「…まぁな。自由が性にあってるもんで」

「そういえばあの頃もそなたはふらっと一人で出かけることが多かったな。縛られることが嫌いなそなたらしいといえばらしいが。だが、そろそろ所帯をもって、ジゼルに落ち着いたらどうだ?」

「…さてね」

 先を歩くオリヴィアの後をのんびりとついていきながら、ナナキは答えた。

「そういう未来は、あんま考えたことはねぇなぁ」

「何故だ?相手には困らんだろうに。歴代を凌ぐ剣王として、その血を世に残すことも意義あることだと思うがな。


 ―――それとも、まだ“彼女”にこだわっておるのか?」


 オリヴィアはふとナナキをふり返り、意味ありげな笑みを浮かべた。

「…別に、そんなんじゃねぇ。あんたが期待するような甘ったるい事情は何もねぇよ。ただ、俺はもっと強くありたいだけだ。恋だの愛だの、そういう人間臭いもんは柄じゃねぇ」

「なんと、この100年、ずっと彼女に相まみえることを願い、せめて声だけでも聴きたいと『神の山』に足げく通っているのだろう?なのに、それが恋ではないと…?いくら相手が『神』と呼ばれる一族とはいえ、己の気持ちぐらい素直に認めたらよかろう」

「だからちげぇって!」

 しつこいと叫びながら、ナナキはオリヴィアを睨んだ。


「―――ククッ、難儀よのぅ。そなたもグレンディスも、大概一途な人間ゆえ、そなたらがまたいらぬ傷を負うのではと、我は心配でたまらんのだ」

 と、慈愛に満ちた顔でオリヴィアがふわりと笑う。

 


 ――― ああ…、こういう笑い方する人だったな



 昔と変わらない懐かしいその笑みに、ナナキはしばし動きを忘れ、感傷に浸った。

 仲間内でも最年長のオリヴィアは出会った当時から大人びた言動と冷静な判断を下しながらも、いつだって周りに愛を分け与えることに躊躇しない人間だった。

 旅路では小言を言われたり、あれこれと世話を焼かれ、口げんかも多かったが、厳しく叱りながらも最後は今と同じような笑みを浮かべるオリヴィアがナナキは決して嫌いではなかったのだ。むしろ、兄弟がいないナナキには、姉のような存在に思える時もあったほどだ。 

 もっとも、そんなこと口が裂けても本人には言わないし、悟られるのも癪だったので、ナナキは不機嫌さを装ってそっぽを向いた。

 

「―――それで?あの男…、グレンディスも、息災か?ずいぶん忙しくしているらしいが」

「…まぁ、あれは頑丈だからな。知ってるだろ?昔っからどんな土地に行こうが、病気一つしなかった野郎だぜ?」

「ああ、そうだったな。懐かしい記憶だ」


「―――あいつは、今も昔も、何ひとつ変わっちゃいねぇよ」


 苦い顔をして言うナナキの様子に、その内心の葛藤を見通したオリヴィアはまた声を上げて笑った。

「フフッ、そなたも相変わらず苦労人だな。その凶悪な顔に似合わず、意外と世話好きなところがあるからな」

「………けっ、一言余計だっつの。…そういうあんたはすっかり孤児院の院長が板についてるな」

 とても昔魔物相手に暴れまわっていた人間には見えないと、ナナキはどことなく寂しげに言った。 

 仲間内でナナキの剣技に唯一対抗できるのはオリヴィアの格闘だけで、ナナキが戦士としての力量を認めている数少ない人物の一人でもあった。

 闘神との決戦のおり、初めて目にしたオリヴィアの帰獣化には、さすがのナナキも全身鳥肌を立てて興奮したものである。だが、今はそんな過激さはなりを潜めて、毎日子供を相手に奮闘しているらしい。

 無論、ここから一歩外に出れば、英雄王として、また獣人族の代表としての威厳あるオリヴィアがいることは知っているが、それでもただがむしゃらに生きていた人間臭いオリヴィアをよく知っているナナキは、時の流れ中にどうしようもない寂しさを感じてしまうのだった。

 10年という間が空いてしまったのも、そんな確かな『変化』を悟ってしまうことを本能的に避けようとしていたのかもしれない―――


 孤児院にはいたるところに子供のための器具や小物が見受けられ、廊下の壁には子供たちが描いたらしい絵が飾られていた。どれもなかなか個性的で、正直何が描かれているか判断するには、絵よりも下の題名で判断した方が早そうだ。

 一つ一つの部屋には子供たちにとって住みやすいようあらゆる工夫が施され、この施設が誰のためのものかなど一目瞭然であった。

 そんな様子を横目で観察しながら、ナナキは、ふと廊下の窓から見えた光景に足を止めた。

「何だあれ……?あんな大量の食糧、どこに持って行く気だ?」

 離れの食料庫の前で、何やら大きな荷物が、数人の大人の手によって荷車に積みこまれていたのだ。

「ああ、あれか。なに、つい最近のことだが、深く傷ついた様子の男を拾ってな。その男の元へ届ける食料だ」

 オリヴィアは同じく視線を窓の外に向けながら、どこか楽しげに言った。

「男?何者だ、そいつ?」

「――さてな。突然迷いの森にきて、驚いたことに自力でここにたどり着いた猛者だ」

「まじかよ…」

 あの迷路じみた森を案内なしで攻略したと聞き、ナナキは素直に驚いた。

「身なりもボロボロで、銀貨一枚も持たぬ身で、ただ他人の目があるところで暮らすのはうんざりだと申してな。誰とも会わず、山の奥ででもひっそりと暮らしたいと言うので好きにさせることにしたのだが、さすがに野垂れ死にでもされたら後味が悪いだろう?あれは男に届けるための一週間分の食料だ」

「…名前は?」

「ふむ、どうだったかな」

「おいおい、まさか素性も調べてないのか!?」

「ククッ、そんな必要はないさ。我自身、直接会ってそう判断した―――あれはただ繊細すぎて、不器用なだけの人間だ」

 オリヴィアは穏やかに言うと、廊下奥の扉を開けてナナキに入るように促した。


「さあ、何もないところだがくつろいでくれ。例の話はエルドが来てからにしよう」

 そこはどうやらオリヴィア自身の私室らしく、ところどころに見慣れたものを見つけたナナキは、その懐かしさに目を細めた。

「すまんな。酒好きのそなたにお茶しか出せぬのは心苦しいが、子供たちがいるのでな。我慢してくれぬか」

「…わかってるって」

 席に着き、オリヴィアが自ら入れてくれたお茶を受け取りながら、ナナキは改めて正面に座ったオリィヴィアを見つめた。

 聖獣王を連想させる、その純白の立派な毛並みは健在で、少しも色あせることなく光魔法の下で輝いていた。彼女が獣人族内で「白の獣王」として親しまれるのも、納得のいく威厳ある姿であった。

「なんだ?我の顔に何かついているか?」

 あまりにも熱心に見つめ過ぎたのか、オリヴィアが不思議そうに首を傾げた。

「…いや、なんつうか、あんたもやっぱり根っこは変わってねぇなってさ。身元も定かでない男にまで情けとか、あんたらしいぜ。ここの経営だって、そう楽じゃないだろう?」

「まぁ、それなりにかかるのは確かだがな。我が理念を後押ししてくれる物好きは意外と多い。お主が心配するようなことはないから、安心しろ」

 と、オリヴィアは穏やかに言った。

 出会った時から、弱く、虐げられているものを救いたいのだと語っていただけに、今の暮らしは彼女にとっての理想なのだろう。



「―――そういや、例の“赤髪”、手放したんだってな。今年、デザイアに入れたって聞いたぜ?」

 壁に飾られた絵を見てふと思い出し、ナナキは聞いた。

「相変わらずよく知っているな」

「まぁ、地獄耳なんでね。しかし意外だな。あんたのことだ、ずっと手元に置いとくもんだと思ってたんだが…。ずいぶんもめたただろう?」

「ふむ…。普段へりくだってお膳立てばかりの貴族どもが、これ見よがしにフェンデルの所に文句を言ってきおったらしい。あと、ここにも大量の手紙が届いていたな」

「…だろうな。“赤髪”と聞いて冷静でいられる獣人族は早々いねぇだろうからな」

 それが、最も生徒数の多いデザイアに入学させる話となれば、黙っている方が無理だとナナキは頷いた。


「まこと、不条理よのぅ。同じ赤髪でも、地人族にとっては縁起の良い髪色としてもてはやされるというに……。我が同胞は、悪魔と呼んで排除するのが習わしだ―――いったい、いつまでこんなことを繰り返さねばならぬ?」

「俺に聞かれてもな。その解決方が見つかってないから、今もややこしいことになってんだろ?」

「…わかっておる。尤もだ。だが、あまりにも不憫でな。あの子もすでに10の歳。育成舎の教育をどうするべきかと迷っていた時、ちょうどルクセイアの神子娘がデザイアに行くと耳にしてな。あの子にとってはまたとない機会だと思ったのだ」


「悪魔の子の隣に立てるのは、選ばれし神の子――――か?」


「そうだ。あの子たちの未来に、光の加護に、賭けてみたかったのだ」


「だからって、ずいぶんと危険な博打じゃねぇの。らしくねぇな」

 と、ナナキはあからさまに深い溜息をついて見せた。

「確かに、あんたの言いたいことも考えもわかるし、説教する気はさらさらねぇよ?けどよ、うん百年引きずったままの“恨みの結晶”を、なんも関係ない子供に背負わすってのは、どうなんだ?」

 あんまり歓迎できる話ではないと、ナナキはじっとオリヴィアを見つめた。


「無責任だということは重々承知だ。周りやフェンデルにもずいぶんと無理を言ったし、迷惑をかけたと自覚もしている―――だが、それでも我は、どうしてもあの子に、普通の子と同じ日常を与えてやりたかったのだ…」

 ディアナがキラに対してそう願ったように、オリヴィアもまた願っただけなのだ。

 ただのありふれた生活と、幸せなひと時を―――

 例えそれが一時の夢に終わろうとも、己が生まれてきた意味に絶望することがないように、ただ願い、憂いただけ。


「そもそも考えてみよ。赤髪と同じ年の子に、光の加護を受けた加護付がいるなど、どう考えても世界があの子に与えた唯一の慈悲としか思えぬ。…そうだろう?あの子は確かに可哀そうな子だが、同時に運のいい子でもある」

「悪魔に魅入られて運がいいって?ハッ、ずいぶん皮肉な話だな。だからって、これまでの歴史を振り返ればそう楽観視はできねぇはずだろ?」


「無論、できるだけの対策は施してある。

 ―――もし、万一のときには、すべてフェンデルとアイゼリウス様の判断に委ねると伝えてある」

 と、オリヴィアは苦しげに言った。


「…それ、本人は知ってるのか?」

「…ああ、あの子自ら望んだことだ。それに、最後はお主の頼れる愛弟子に一任してある」

「あ?まさか、タマコのことか?…いいのか?あいつ、あんまり融通きかねぇぜ?」

 ヒサギ・タマコ―――

 ナナキが手元で育てた唯一の弟子である。

 独り立ちしてからはほとんど連絡もなく、ずいぶんと久しぶりに名前を聞いたが、弟子とはいえ、にこりともしないで仕事を忠実にこなす姿しか思い出せないナナキは、あいつで大丈夫かと問い返した。

 どうにも魔人族という種族は、性格に”癖”がある人物が多いらしい。


「だからこそだ。そなた同様、いざというときの頼もしさは学園随一だとフェンデルも言っていた。むろん、背負わすことへの罪悪感はある…。されど、帰獣化したあの子を“止める役”は彼女にしかできぬだろう―――すまぬ」


 ただ静かに、寂しげな瞳でそう言うオリヴィアに、ナナキはそっと息をついた。


「俺に謝るな。あいつだってわかってるさ」


 もちろん、ナナキもオリヴィアも誰も、そんな未来のことなど想像もしたくなかった。





「失礼いたします」

「……ああ、お入り」


 何となく部屋の空気が重くなりかけた時、扉をノックする音と共に、一人の立派なガタイの男が入ってきた。


「よう、ミューラー。相変わらず、嫌味なくらいいい身体してるな」

 その身長を少し俺に分けろと、ナナキは無茶を言いながら笑った。

「剣王殿、お久しぶりです。この前の招集でお会いできるかと思いましたが、御姿がありませんでしたな」

 いかつい顔でちくりと嫌味を言う男の名はエルドラス・ミューラー。

 ナナキの中では、根っからの“オリヴィア狂”という認識で通っていた。


「お前もお座り、エルド」

「はい。失礼します」

 エルドラスが一礼して隣に座るのを待ってから、オリヴィアは改めてナナキに話を切り出した。


「さて、そろったところで、本題といこうか」







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