36 それぞれの一歩
ここ数日、ザバルの村では重い雰囲気が漂っていた。
ガーナが炎に包まれ、またも甚大な被害を受けたことはすでに砂漠中が知ることとなり、周辺の村人たちはせっかく戻った人の足が遠のくのではと危惧し、不安そうに動向を探っていた。しかし、ザバルが沈んでいる原因はそれだけではなかった。
村の恩人ともいえる少年がここ二日戻らず、行方が分からなくなっていたからだ。
「…たく、どこ行ってんだよ、あいつは…」
リツカで開店準備に取り掛かろうとしていたビルゼンは、いつも朝一で箒をもって外へと出ていく少年の姿を想ってため息をついた。
自分一人じゃ手なんて足りないのだから、道草食ってないでさっさと帰って来いと胸の内で悪態をつく。
ダントリオたち三人組はもちろん、他の冒険者で腕が立つものは皆ガーナに手伝いに出ている。そのついでにとガーナに向かったはずのクラウの行方も探しているのだが、手掛かりがつかめないどころか、街でその姿を見たという人間にも出会えずじまいらしい。
一度だけ届いたダントリオからの連絡には、もう少し周辺の村にも捜索の手を伸ばして探してみるつもりだと書かれていたが、それからなにも連絡がないまま、ビルゼンは落ち着かない日々を過ごしていた。
クラウの代わりに掃除を済ませ、厨房に入ると、そこには仕出しの一覧を持ったリカが立っていた。
見かけは気丈にふるまっているが、その実ほとんど寝むれていないらしい。青ざめた顔でどこか思いつめたように黙り込むリカの姿を見るのは、ビルゼン自身、ひどく苦しいものだった。
クラウが店を飛び出したあの日、リカの取り乱し様は尋常ではなかった。
すぐに追って連れ戻すと諌めるダントリオにすら食って掛かり、その夜は部屋に籠って出てこなかったのだ。時々すすり泣くような声が漏れ聞こえ、ビルゼンはどうしていいか分からず、かける言葉も思いつかないまま扉の外で立ち尽くすしかなかった。
ひどく情緒不安定なリカの態度の裏に何があるかなんて、出会ってまだ数年のビルゼンには到底知り得ないことだ。付き合いが長いらしいダントリオは何か思うところがあるのか、ただ黙って様子を見守るように言って出かけて行ったが、ビルゼンは正直そんな弱ったリカの姿を視たくなかった。
しかし、彼女もただの人間なのだとその横顔を見つめながら思う。
どんな人間にだって過去があり、いろいろなしがらみや事情があって当然ではないか。
ビルゼン自身、心の中にどうしても消せない友人への罪悪感があるように―――
「…ったく、こんなに心配かけて。あいつの給料、今月はごっそり減給してやりゃいいんだ」
「それは困ります」
「!?クラウ!?」
返事が返ってきたことに驚き、あわてて裏口を見やれば、今まさに心配していた少年と聖獣の姿がった。
「お、まえ!!!どこ行ってた!!」
「すみません。ご心配をおかけしました」
ビルゼンの怒鳴り声に、静かに頭を下げるクラウは相変わらず冷静で大人びて見えた。だが彼らしいその反応にビルゼンも肩の力が抜け、無事でよかったと安堵の息をついた。
「ほんとに、お前は…。いきなり飛び出してそのまま戻らないから、みんな心配してたんだぞ?」
「連絡できなくてすみません。いろいろと事情が立て込みまして」
「事情って?」
「それは……」
パシッ!!!
「ちょ、り、リカ姉っ!!待てって…!」
子気味のいい乾いた破裂音にびっくりし、ビルゼンはもう一度振り上げられたリカの腕を慌てて止めた。
いきなりリカがクラウの頬を思いっきり叩いたのだ。いくら心配かけられたからと言って、そう何度も殴っていいはずがない。一度でやめておけとビルゼンが宥めると、リカは眉間にしわを寄せ、クラウを睨みつけていた。
「あんた、今までどこにいたの?」
「………」
「私が、どうしてこんなに怒ってるか、わかる?」
静かだが、確かに怒りを含んだその声に、関係のないビルゼンですらぞくりとした悪寒に背筋を震わせた。一方打たれた本人は、自分が打たれたという事実がまだわかっていないような顔で、唖然とリカを見つめていた。
「どんなに賢くたって、どれだけ自信があったって、あんたはまだ子供なのよ…!
大人の真似事して、それで死んだらどうするつもり!?
あたしは―――あたしは、あんたの亡骸に手を合わせるなんて、絶対に御免よっ!」
どれだけ進化しようと、どれだけ望もうと、人は人でしかない。
打ち所が悪ければ転んだだけで死ぬことだってあるぐらい、弱い生き物なのだと、リカは声を詰まらせながらクラウに言い聞かせた。
「あんたに万一のことがあったら、私はあんたの母親に、どれだけ償っても、償い切れないわっ!」
「リカ姉…」
リカもビルゼンも、クラウが毎日のように母親に充てて手紙を書いていることを知っている。そしてクラウがどれだけ母親を大切に思っているかも知っているからこそ、他人とはいえ、クラウの突拍子もない行動を黙って見過ごすことなどできなかった。
「子供を失った親が、どれだけ惨めか―――
本当に母親が大事なら、あんたは何より自分自身を大事にしなさい」
リカはそれだけ言うと店のカウンターの方へと歩いて行ってしまった。すれ違いざま、その赤い瞳の端に光るものがみえ、それが涙だと気づいたビルゼンは思わず視線を逸らしていた。
クラウと二人残され、気まずい雰囲気が残る中、ビルゼンはやれやれと息をついた。それから固まったままのクラウにとりあえず着替えてくるように進めた。
「ずいぶんとひでぇかっこだぜ。ローブはどうしたんだ?」
いつも着ていた白いローブをどこに忘れてきたのかと問えば、クラウはただ一言「汚れてしまったので捨てました」と簡素に答えた。
「はぁ!?捨てたって…、お前、一体何してたんだよ。ほんとにあぶねぇことしてねぇだろうな!?」
「少し厄介ごとに巻き込まれただけです。怪我もしていないので、大丈夫です」
「……怪我してないからいいとか、そういう問題じゃねえんだよ」
言葉通り大したことじゃないように言うクラウに、ビルゼンはこれは全然わかってないなと呆れた。
確かに子供とはいえ他より突出して賢く、力もあれば、こういう言動が出てくるのもわからないでもない。ビルゼンは出会った当初に見たクラウの魔法の実力を知っているからこそ、納得できる部分もある。しかしそれでは、あんなに泣いて目をはらしていたリカが浮かばれないではないかと、ビルゼンは同情した。
「まぁ…、俺みたいな親不孝もんがとやかく言えた義理じゃねぇけど――」
ビルゼンはそう前置きしてから、この二日、リカや村の人間、もちろん自分も含めて大人たちがどれだけ心配していたかを話して聞かせた。
「お前にしてみればいらぬ心配だって言うのかもしんねえけどさ、もうちょっと周りをみろよ。お前、自分で思っている以上に大事にされてるんだぞ。ダンも寝る間を惜しんでお前を探してた。それは、決してあの男がお人よしって理由だけじゃねぇんだからな?わかってるだろ?」
「…はい。わかってはいた、つもりです」
「つもりじゃなくて、肝に命じとけ。…ほら、さっさと着替えてこい。その間になんか軽く作ってやるから。腹減ってるだろ?」
ビルゼンはそう言ってまだ突っ立っているクラウの背を押して、自身は食料庫の中身を覗いた。
「…やっぱり、難しいものですね」
力なく立ったまま、クラウはどこか遠くを見つめながら言った。
「ああ?なんか言ったか?」
「…また、泣かせてしまいました」
「またって?」
「僕が出会う女性は、皆泣いてばかりです」
「………どこの色男だよ、お前…。ほんと、年齢偽ってないか?」
クラウの言葉に、ビルゼンの顔が嫌そうに引きつった。
嫌味か、自慢か、それとも彼女がいない俺への当てつけかとその小さい頭を小突けば、クラウはきょとんとした顔で首を傾げていた。
「事実を言っただけです」
「…あー、もーいい。お前はそういうやつだよな、俺が悪かった」
「僕はただ女性が泣く姿を見たくないだけです」
それが大事な人ならなおさらだ。だから笑ってもらうために努力したいのだが、どうにもうまくいかないと、真顔で言うクラウにさすがのビルゼンも呆れたように閉口した。
「どうかしました?」
「…お前ってさぁ、なんつーか普段極端に冷めてんのに、時々妙に素直だよな。ぜってぇ、それに騙されてコロっといく女いそうだよな。天然のたらし?」
「たらし…?」
「…本人に自覚ないところが一番厄介だよな。だれかれ構わず親切にして、逆に変な女に騙されるなよ?」
まぁ、この精神年齢が妙に高い子供に限って言えばあり得ないだろうが、これからどんな大人になるのか、成長が楽しみなような怖いような―――そんなことを思いながらビルゼンは食材を洗い始めたのだった。
それからクラウの帰還はあっというまに村中に伝わり、入れ替わり立ち代わりにリツカへと人が集まると、クラウの無事な姿に安堵し笑みを見せた。ガーナにいた仲間にも伝令を飛ばし、その日の夕刻にはダントリオたちを加えた村中の連中がリツカに集まりクラウの無事を喜んだ。
「まぁ、何はともあれ、無事でよかった!もう二度と心配かけるんじゃねぇぞ?」
「はい」
ダントリオの言葉にクラウは素直に頷いた。
たった二日。
けれど、待つ側にしてみれば確かに長い時間なのかもしれない。
クラウはリカやビルゼンに説教されたからではないが、今回ばかりは自分の軽率な行動を反省した。今生きているクラウ・オーウェンと言う男はまだ9歳の少年で、第三者から見れば守るべき存在なのだと言うことをクラウは忘れていたわけではないが、どこかで軽視していた部分もあったかもしれない。ダントリオの複雑そうな顔や、ナチルやチャットの泣きそうな顔、心配したんだと村の人間にもみくちゃにされ、安堵の顔を見せられるたびに痛感し、ビルゼンが言ったことが胸にしみた。
里で誓った日、ガルフにも言われたことだったはずだ。
何より、アリーシャのために自分を大事にしろと――――
そして血は違えど、リカもみんなも各々にクラウを想い、大事にしてくれているのだ。
クラウはそのことを絶対に忘れてはならないのだと自分を戒め、胸に刻みつけた。それから数日ぶりにベッドへともぐりこみ、また明日から始まる資金集めの忙しい日々を思い描きながら眠りに就いたのだった。
◇
「おい、キラ?キラ!!!」
『え?なあに、リオくん?』
突然耳元で怒鳴られ、キラはようやく我に返ったように幼馴染の方を振り返った。
「次、お前の番だぞ!」
『……う、うん。あれ?私、どこまでいったっけ?』
「………」
日本のすごろくのようなおもちゃを前に、キラは自分の駒を見失いおろおろと版の上に視線をさまよわせた。
「ほら、ここだろ。…お前さぁ、帰ってきてからずっとぼうっとしてるけど、何かあったのか?」
『へっ!?べ、別に、何にもないよ!』
「…はぁ。お前って、嘘へったくそだよな」
明らかに動揺した様子でどもるキラの様子に、リオは特大のため息をついて見せた。
キラがココルに手をひかれて戻ってきてからすでに4日が経っていた。
突然の神子の帰還に驚きと歓声に湧いた城内の様子を置き去りに、疲れていたキラはそこから丸二日寝入り、先日ようやく目覚めたところだったのだ。それからレイモンド王やエルトリアに事情を説明し、ようやく落ち着いた今、リオと共に遊びながら客室で暇をつぶしていたのだった。
キラはあの日約束した通り、クラウのことは誰にもしゃべらなかった。連れ去られてから砂漠の縄張りに放りこまれ、地下の世界に落とされたところまでは正直に話したが、そこからはアウラの力を借りて何とか自力で地上に戻り、砂漠を歩き続けたが力尽き、気づけばガーナに戻っていたと嘘をついたのだ。
話をそばで聞いていたココルは一人、腑に落ちない顔をしていたようだが、言及する気はないらしく何も口出すことはしなかった。
キラ自身、エルトリア達に嘘をつくことに心苦しさがなかったわけではないが、クラウに迷惑をかけるわけにはいかないと嘘をつきとおしたのだった。
しかし、よくよく考えて、自分がクラウの名前以外を知る手段がないことに気づき、ひどく落ち込んだのだった。
もし二人の間に縁があれば会えるかもしれないと言ったクラウの言葉は、今のキラには何の慰めにもならなかった。
このままルクセイアに帰れば、間違いなくキラは聖宮に入り、本格的に聖導師としての道を歩むことになるだろう。そうなれば外出どころか、人に会うことすら制限されてしまうかもしれない。
やっと出会えた唯一の人とのつながりが、自分の掌には何一つ残っていないのだ。
なんでもいいから名前以外の情報を知りたいと考えてみるのだが、キラにはその手段も伝手もなく、否応なしに近づく帰還の日を前に焦りと溜息ばかりが口をついて出てきてしまうのだった。
「ちょっと、リオ少年いるー?なんかでっかい荷物が届いてるわよ?」
仕切り直しだとリオが最初からゲームをやり直そうと提案した時、部屋の扉が勢いよく開き、ココルが両手いっぱいに荷物を持って現れた。
「荷物?俺に?」
リオが訝しげに席を立ち、ココルの元へと走っていくのをキラはぼうっと見つめていた。
「うお!?、これ、おれが買った土産じゃん!」
「あら、こっちはピザじゃない!?どうしたの!?」
リオもココルも、荷物の中身に驚き、声を上げた。それは確かにリオがガーナやザバルで買いあさったキラへの土産物だったのだ。さらになぜか特大のピザ付き。しかもご丁寧に結界に包まれ、アツアツの焼きたての状態を維持したものが届いたのだった。
「……これ、誰が届けてくれたんすか?」
「さぁ、朝早く門兵が預かったんだって持ってきただけで、誰かはわからないって。あら、ここになんか書いてあるわよ」
ココルに指摘され、リオは荷物の隅に挟み込むようにして入っていたメモに目を通した。
[代金は店に付けておく―クラウ]
「…あいつか…」
「やだ!?クラウからじゃない!あの子ったら、やっぱりザバルに帰ってたのね!良かったわ」
「あれ?おばさん、あいつと知り合い?」
「私の天使よ!ていうか、あんたたちこそいつの間に知り合ったのよ?」
「んー、まぁ、ちょっと…、ザバルに行ったときに知り合ったんだけど。それにしても…」
と、リオは荷物とピザを見つめながら力なく笑った。
リオ自身、荷物のことを忘れていたわけではないが、今回は仕方がないと半ば諦めていたところにこれだ。
「たく…、おれが貸しつくる一方とか、腹立つだろうが」
ガーナまで送ってくれた件と、荷物の件と、もし本当に会う機会があればこれは本格的に奢らなければならないなとリオは自嘲気味に笑ってキラの元へピザを運んだ。
「ほら、キラ!例のやつ!冷めないうちに、食べてみろよ」
『………』
「キラ?おーい!キラ!」
「ちょっと!私たちにも分けなさいよ!せっかくクラウが気を効かせて特大を届けてくれたんだから!」
ココルが子供二人と精霊だけで食べるなと、キラ達のテーブルにわがもの顔で座り込むのをリオががっつきすぎだと呆れて見つめている。
「ほら、エルトリアもフェグレス様も!ピザ、食べたことないでしょう?」
他のテーブルで帰りの旅路の計画を立てていた二人も呼びつけ、ココルはさっさとピサが入っている結界を解いた。と同時に部屋中に充満したその美味しそうな匂いに、みんなの顔が満面の笑みに染まった。
「おお、うまそうだな。どれ一つ…」
「まぁ…変わった食べ物ですわね?」
「ほら、キラも!さっさと食わねぇと取られるぞ」
『え…?あ、う、うん』
キラもリオに促され、一枚手に取ってかぶりついた。あまりのおいしさに、頬がとろけ、幸せな気持ちになる。アウラなどはすでに両手に持ち、押し込むように口に詰め込み頬を膨らませていた。
「まさかガーナで食べられるとは思わなかったわ。クラウ様々ね!」
活躍した私へのご褒美かしらとココルが満面の笑みを浮かべてピザにかぶりつく。
その姿を、思いつめたようなキラの視線がじっと追っていた。
その日の夜、宛がわれた寝室に引っ込んだキラはとても寝てなどいられず、そわそわと部屋の中を歩き回っていた。それからピザをたらふく平らげてコロコロになったアウラ相手に、一人懺悔するように話しかけた。
『アウラ…、どうしよう。だめかな?でも、私…』
『ん、ゲフッ…、キラ?どうしたの?』
『ねぇ、勝手なことして、嫌われちゃうかな?…ちょっと約束破っちゃうけど、きっとゆるしてくれるよね?ごめんなさい!』
『??』
これから自分がしようとしていることに後ろめたさが残るけれど、キラはどうしてもこの機を逃したくはなかったのだ。
今を逃したら次に会えるのはいつかわからない。
そう思ったら、キラはいてもたってもいられなくなり部屋を飛び出し、驚くエルトリアにお願いしてココルの部屋に行く許可をもらった。
「はいはいはーい、何よ?こんな時間に誰?」
キラの焦りを代弁するように、せわしなく部屋の扉をノックする音に、ココルが何事かとあわてたように扉を開けて出てきた。
『あ、あの!』
「あら、キラちゃん、どうしたの?まさか、夜這い!!?」
[クラウ・オーウェンって子のこと、教えてください!]
キラはあらかじめ書きつけたメモをココルに見せて、必死で頭を下げた。
思えば、ココルはこの砂漠地方に詳しいはずだ。そして何より先ほどのリオとのやり取りで、ココルとクラウが知り合いだと確信したのだ。
『あの、何でもいいんです!どんなことでもいいから、教えてください…!』
メモをココルに押し付けて、尚頭を下げる。
キラのその必死な様子に、ココルは何かを察したのか、とりあえず部屋に入るように促した。
部屋に通されてからも、キラは地下に落ちた二日間のことを必死で書き連ねて、自分とクラウのことをココルに伝えた。
縄張りの罰で地下に落とされようとしていたところに、危険を顧みずにクラウが飛び込んできてくれたこと。
必ず地上に連れて帰ると約束してくれたこと。
そして、その約束通り、力を尽くして自分を助けてくれたこと―――
そのすべてを説明した上で、キラはどうしてもクラウという少年についてもっと知りたいのだと訴え、何でもいいから教えてくれと頭を下げた。
「なるほどねぇ…。だから、イアが一緒にいたのね」
全文を読み終えてから、ココルはようやく合点がいったように頷いた。イアがどうしてキラとアウラの居場所を知っていたのか、ずっと不思議だったのだ。
「それにしてもクラウがねぇ。あの子も、冷静に見えて結構無茶するのよね」
『あ、あの…!』
「ん?ああ、クラウのことが知りたいって?と言っても、あたしもそんなに知ってるわけじゃないけど。今はザバルって言う小さな村の酒場に居候してるのよ」
『居候…?』
「そこで店の手伝いしながら、デザイアに通うためのお金を貯めてるのよ。ほんと今時珍しいぐらい苦労人で、努力家なのよ。それに恐ろしいぐらいタフだしね」
デザイアという単語に、キラはハッとしたようにココルを見つめた。
「ああ、そういえばあなたたち三人とも同い年だったわね。来年は育成舎でしょ?キラちゃんは聖宮の特別舎に入るのかしら?」
『……』
キラは応えられず、俯いた。
ココルが言うまでもなくすでに決まったようなものだし、聖宮の皆もキラが自分たちの元へ戻ってくると信じているはずだ。
もちろんキラもそのつもりでいた。しかしここにきて、キラの前には新たな選択の道が見え始めていた。
「ねぇ、キラちゃん。何でそんなにクラウのことを知りたいの?」
少女の胸中に渦巻く葛藤を見透かしたように、ココルは悪戯な笑みを浮かべて質問した。
『あ、あの、それは…』
対するキラはなんと説明していいか分からず、視線をきょろきょろと動かしてまた黙りこんでしまった。
会いたい理由などいっぱいある。しかし、一番の理由だけは言えないし、言うつもりもなかった。
確かにココルにはいろいろと喋ってしまったが、キラはクラウが自分の言葉を理解してくれるという事実だけは決して口にしなかったのだ。事情があるから黙っていて欲しいと言ったクラウの言葉通り、キラはそのことだけは誰にも言うつもりはなかった。
『あ、あの、そう、と、友達に!なりたくて!』
「んー?…と、も、だち?って言ったのかしら?」
ココルがなんとか口の形を呼んでそう答えれば、キラはぶんぶん首を振って頷いた。
「ふーん、友達ねぇ。恋人になりたいんじゃなくて?」
『こ!?』
ココルの返しに、キラの顔が真っ赤に染まっていった。それから首がもげそうな勢いで今度は横に振って必死に否定したのだった。
「やぁだ!真っ赤になっちゃって、かっわいい!食べちゃいたい!」
『……』
「ふふ、確かに良い男だもんねぇ、クラウってば。あたしだっていつも会うたびべろべろ頭から舐め回したいくらいだもの」
監視役のミシェーラが目を光らせているので、未だにその願望が叶ったことはないが…、とにかく変態のひいき目を抜きにしても、キラがクラウに思いを寄せても不思議ではないとココルは頷いた。
「いいわねぇ、若いって素晴らしいわっ!天使二人の仲睦まじいイチャイチャ場面とか、目の保養過ぎて吐きそう!」
『あの、ち、ちがっ』
キラは必死でココルの誤解を解こうと抗議した。しかし、変態の耳は華麗にスルーし、ココルはニマニマとさらに気持ち悪い笑みを浮かべてわかったように頷くだけだった。
「別に普通のことじゃない。どんなに特殊な立場にいようと、恋をしちゃいけないなんて決まりないんだから。もっと堂々として、自分の想いを大事にしないと損するわよ」
『……』
ディアナと同じような言葉を返され、キラは胸の奥からこみ上げる思いが喉をついて出て行ってしまうのを恐れるように、ぐっと唇をかんだ。
「ほら、俯かないの!あんまり下ばっかり見てると、周りにある素晴らしいものを見ないまま通り過ぎちゃうわよ」
『…ココルさん』
「ねぇ、キラちゃん。ツキってやつはね、案外、近くにあるものよ」
『え…?』
「キラちゃんはクラウとお近づきになりたいんでしょ?実は、私も今、とっても欲しいものがあるのよねぇ」
『欲しい、もの?』
満面の笑み浮かべて正面から見つめてくるココルに、キラは何の話かと首をかしげた。
「それでね、私、お互いの望みが叶うとっっっってもいい方法を思いついたんだけど…、どうかしら?
―――キラちゃん、私と取引しない?」
何を思いついたのか。
ココルは、悪魔のような怪しい光をその瞳に宿して、ニッコリと笑ったのだった。
それから月日はあっという間に過ぎ、あと二週間で学校の長期休暇が終わろうとしていた頃、キラ達一行は約一か月近くの滞在を終え、ガーナを後にすることとなった。
街を出る際、見送りにはレイモンドを筆頭にガーナの民が総出で見送り、国を挙げての送別の儀式となった。それは、これまで数多の国の上に立って支配の力を見せつけてきたガーナの歴史を顧みても異例の行いであった。
レイモンドがキラに対し表明した宣誓はすぐに世界中の国が知ることとなり、まだほんの9歳の少女が砂の一国を味方につけたという異例の巡業を噂する声があちこちで上がった。そして、今まで不鮮明だったルクセイアの神子と光の精霊の存在は、瞬く間に多くの人の記憶の中に残ることとなったのだった―――
「キラもリオも、本当に忘れ物はないわね?簡単には戻ってこられないから、ちゃんと確認してね」
『はぁい』
北の詰所で馬車へと乗り換えた子供二人は、エルトリアの言葉に自分の荷物がちゃんと乗っていることを確認して席に着いた。
「あら、キラ?そういえばあなたローブを着てないけど、ちゃんと持ってきたの?」
『あ!えっと、あのねっ、汚れちゃったし…、もう着れないかと思って…置いてきたの。ごめんなさい』
慌てたように謝るキラの言葉をリオが通訳すれば、エルトリアはしょうがないとため息をついた。
「…いいわ、聖宮に帰ったら新しく作ってもらいましょうね」
『う、うん』
キラはなんとか追及されずに済んだと安堵の息をついた。その様子を正面に座ったリオが、じっとりとした目つきで見つめていた。
「……何隠してるんだ?お前」
『な、何でもないよ!』
「ふーん…、まぁ、良いけど。それにしても、お前、なんか、一躍有名人だな」
『……』
見納めにと砂漠に視線を走らせながらぽつりと言ったリオの言葉に、キラはギュッと膝に置いた拳を握りしめた。
「まぁ、あれだけ派手にやれば、誰だって噂するか」
『リオくん…』
「あ?…なんだよ、そんな不安そうな顔するなって。いずれこうなることはわかってただろ?」
それでもディアナのような聖導師を目指すと決めたのなら、胸を張って進めと、リオはキラの背を押した。
「…俺も、強くなるよ。もっと強くなって、いつか親父を超える聖騎士になる。あんな思い、二度とごめんだからな」
『リオくん…』
何かを決意したように言うリオの姿を、キラはじっと見つめた。
いつになく険しい瞳で、砂漠の地を目に焼き付けるように睨むその視線の先に、何を見ているのか。キラだけでなく、彼もまたこの一か月を通して強く思うところがあったようで、自分の中で決意を固めたように見えた。
「ああ、キラ、そういえばココル・ハーマットからあなたにって、手紙を預ったんだけど…。あなたたちいつのまに仲よくなったの?」
腑に落ちないようなエルトリアの言葉を横に、キラは飛びつくように手紙を受け取ってすぐに目を通した。
[約束はちゃんと守るわ―――ココル]
最後にそう締めくくられた内容に、キラは手紙を大事そうに抱きしめてぎゅっと瞳を閉じた。
長い人生の中に、奇跡なんてそう何回もあるわけじゃない。
ならば、今自分の手の中に落ちてきたこの「奇跡」を、キラは逃したくなかった。
――― 私だって、自分のために、自分の一歩を踏み出したい
他人から見れば、不純な動機だと呆れられるかもしれない。それでも、手紙が届けてくれた縁に縋ってでも、己の願いのために生きてみたいのだと覚悟を決め、キラは幼馴染の顔を真正面から見つめ返した。
『リオくん、私、決めた。
―――――私も、デザイアに行く』
それは、ずっと暖かな加護の中で守られてきたキラにとって、生まれて初めて己の意志で選んだ決断の一歩であった。




