20 選ばれし子
地球上の学校に夏休みといった長期休暇が存在するように、この世界でも8月半ばから11月にかけて約2か月半の休みが設けられていた。これは聖戦以降、英雄王リリアを中心に考案された教育方針で世界共通のため、どの大陸でも大抵同時期に学校は休みに入り、寮に入っている子供は実家へ帰るものも多かった。
基本、学校は大きく二つに分けられる。6歳から9歳まで通う幼稚舎と10歳から13歳までが通う育成舎があり、育成舎を卒業した後はそれぞれ専門の分野に別れ研究塔に入り修行を積むのが主で、16歳以降は一般的に大人として扱われ世界各地で活躍していくことになる。
幼稚舎に関して言えば、習うものは基礎的なものばかりで、魔術も適性があるかどうかを見分ける判断のための授業が多く、技などの勉強はほとんど行われない。そのため親も学校選びにはさほど関心がなく手近な近所に通わせるものが多い。
しかし、育成舎に関しては事情が違う。どこの学校に通うかで子供の将来が決まると言われるほど、通う子供以上に大人の関心と趣向が反映される選択となるのであった。
「いいですか?明日からしばらくみなさんとはお別れになりますが、怪我には気をつけて元気で休みを過ごしてください」
ルクセイアの中階層に建てられた貴族や上流階級の子供が集まる特別学校の幼稚舎で、9歳の子供が在籍する最年長クラスを受け持つ教師は、穏やかな笑みを浮かべながら生徒の顔を一人ずつ見つめた。
どの子も皆興奮した様子を隠そうともせずに、そわそわと挨拶が終わるのを待っていた。
「あなた方も来年には育成舎に進学です。どの学校に行くか、決まっている人は合格できるように精進してください。まだ決まっていない子は、早く目標を定め、この長い休みを有意義に使ってください。よろしいですか?決して羽目を外して、周りの方にご迷惑をかけないように」
「はーい!」
元気な声が帰ってくる様子に、教師は再度笑みを浮かべた。
「では、また11月に逢いましょう。天の慈悲が、皆の未来にありますように」
「光の愛に、感謝します!」
教師が出ていくと、一斉に教室中が興奮で満たされ、駆け足で出ていく子や、友人とどこに遊びに行こうかと相談する子供たちなど、長い休みをどう満喫するか計画に余念がない。
そんな中、一人、ぽつんと端の席に座る少女がいた。
皆垢抜け、どこか大人びた顔つきになる同級生の中で、まだまだ幼さが残るかわいらしい顔つきのその少女は、じっと机の上に置かれた一枚の用紙を睨みつけるようにして見つめていた。
その腕の中で、変わった生き物がご機嫌で身体を揺らしていた。
少女がいつも持ち歩いている小さなビンに詰められた、ラムネ菓子のようなお菓子を手に取り、大事そうに口に入れてもぐもぐと食べる姿はとても幸せそうに見える。
『だめだよ、アウラ。半分この約束なんだから、ちゃんと残しておいてね』
止まることのない手に、たまりかねたキラが少し怒ったようにアウラを叱るが、彼は特に気にすることなくまたビンの中へ手を突っ込んでお菓子を鷲掴みした。
『もう!アウラったら!』
もう終いだと、キラはビンをカバンの中へとしまった。
アウラがぷっと頬をふくらまして拗ねる。キラはその頭を撫でてやりながら、また机の上へと視線を落とした。
「何してんだ?」
『あ…!!』
脇からひょいっと手が伸びてきたと思うと、あっという間に用紙を取られてしまい、キラはあわててそれを追いかけた。
「進路調査…?なんだお前、まだ出してなかったのか?」
『リオくん、返して!』
「キラは聖宮に戻るんだろ?なんでまだ持ってんだよ?」
リオと呼ばれた少年は、不思議そうにキラの前の椅子に後ろ向きで座った。
リオディアス・ライラック―――キラの幼馴染であり、キラの言葉を唯一理解してくれる友人であった。
血統書付きの純血を受け継ぐその容姿は端正な美少年で、すでに均等の取れた体は日々の鍛錬のおかげか筋肉がついた逞しいものだった。
ライラック家といえば、ルクセイアで知らぬものはいない聖騎士の家系である。
現当主であるリオディアスの父はオルブライト城の護衛騎士長を務める優秀な男で、その弟、リオの伯父にあたる男は、剣術道場を開き多くの門下生を持つ。リオに限らず、ライラック家の子供は幼少より必ず剣術指導を受け、剣士の道を進むことが当たり前とされていた。
中でもこのリオディアスという少年は、類まれにみる剣術の才を持つ子と言われ、ルクセイアでもすでに有名な少年であった。
しかし、ひとたび剣を握れば大人顔負けの気迫と巧みさで相手を凌駕する子供でも、普段の生活は他の子供となんら変わりはない。リオもほかの子供同様、明日からの休みを心待ちにしている一人であった。
「何お前、なんか迷ってんの?」
リオは頬杖をつきながらじっとキラの顔を見つめていた。
『…だって…』
キラは俯いたまま、もじもじと喋った。リンリンと、かすかな鈴の音が鳴るがその音はとても小さく、周りの雑踏に埋もれてほとんど聞こえなかった。
その様子にリオが机を指先でトントンとたたいた。
どこかイライラしたような幼馴染の気配に、キラはばつが悪そうに顔をあげた。
「ちゃんと俺の目を見て喋れって言ってるだろ。わかんねえよ」
『………うん、ごめんね』
今度はしっかりとその眼を見て話す。
キラの耳は精霊の言葉も人間の言葉も同じように聞こえている。しかし、自分自身が言葉をしゃべるとどうしても精霊が発する声と同じ音となってしまい、他の人にはどんなにキラが人間の言葉をしゃべっているつもりでも、鈴の音にしか聞こえないのだった。原因はおそらく、キラの声帯そのもののしくみがすでに人のそれとは違い、精霊のそれに似てしまっている所為だろう。
精霊の『音』しか口にできないキラのために、一から人語を教えたのはこのリオである。当然リオには精霊の言葉を理解することはできないが、キラに人の言葉をしゃべらせ、その口の形を読み取ることで言葉を理解し、二人の間で会話を成立させることにしたのだ。
もともとの勘の良さと頭の良さに加え、生まれて間もない時から一緒に過ごしていた所為か、この特殊な会話はリオにだけできる芸当であった。
「で?何を悩んでんだ?お前は」
『……リオくんは、もう決めたの?』
「あ?俺?俺は前から決めてる通り、デザイアに行く。俺だってあそこの授業が一番だって思ってるし、親父もそれを望んでるしな」
『……』
黙ってしまったキラに、リオはこれ見よがしに大げさなため息をついて見せた。
「ディアナ様はなんて言ってるんだよ?」
『……好きなところ、選びなさいって』
いずれ聖導師として聖宮に入ることになることは決まっているが、16歳までは普通の子と同じように普通に生きてもいいのだと、ディアナはいつだってそう言ってキラに選択の自由を与えてくれていた。
しかし、本心を言えばキラは聖宮を出たくなどなかった。聖宮にはディアナを筆頭にキラのことをよく理解してくれる者しかおらず、キラがちまちまと用紙に文字を書く時間もうっとうしがったりしないでちゃんと待っていてくれるからだ。大好きな人たちと優しい人たちに囲まれて、甘やかされて過ごしていたい―――それがキラの本心で、幼稚舎を卒業したら迷わず聖宮の特殊教育機関に入るつもりでいたのだ。
しかし、ディアナが本心ではもっとキラに外の世界を見て学んでほしいと思っていることを知っていた。直接言われたこともある。人の顔色ばかりを窺って、ただ頷くことしかできないままでは、いずれキラ自身が傷つくことになるのだと――
もっと強く、自分の意志で生きなさい―――
そう言われても幼いキラにはどうしていいか分からず、安全な聖宮にいるだけではだめなのかと理解できなかった。
『…デザイアって、遠いの?』
「まあな。大体地上だし、完全寮暮らしになるからな。長期休暇しか帰ってこられないだろ」
『そっかぁ…』
まだ目の前にリオがいるにも関わらず、早くもキラは寂しくてたまらなかった。
キラが進路を決められないもう一つの理由は、やはりリオと離れてしまうことが何よりも苦痛だったのだ。
父よりも、家族よりもキラを理解し、守ってくれたのは他でもないこの幼馴染の少年である。できることならキラもリオと同じ学校に行きたいのだ。しかし、知り合いがほとんどいないデザイアで、うまくやっていける自信などキラにはなかった。
「ま、なんでもいいけど、早く決めろよ」
『…うん。あ、リオくん、何かご用があったんじゃないの?』
「ああ、そうだ…、兄貴からお前にって預かったんだ。ほら」
『!!!!!』
ひらりと差し出されたものに、キラのくりくりの目が一瞬で輝いた。
『こ、これ!白騎士と愛の奪還のお芝居のチケット!?』
しかも、もう売り切れて手に入れられないと思って、泣く泣くあきらめたものである。驚かない方が無理であった。
「お前、もうすぐ誕生日だろ。その頃は兄貴、地上にいて会えないだろうからって、先においてったんだよ」
『本当!?もらっていいの?』
「お前にってくれたんだから、当たり前だろ」
『わぁ、ありがとう!…あれ?三枚あるよ?』
キラは手の中のチケットを広げて見せると、不思議そうに首を傾げた。
悲しいことに、キラにはリオ以外に友人と呼べる人がいない。よって芝居を見に行くときは、いつもリオを無理やり引っ張って連れて行くのだが、その辺の事情はリオの兄も知っているはずなのに何故一枚多いのか。
「俺が頼んだんだよ」
『どうして?』
「俺、その日別のやつと出かける約束してるから」
『…え』
リオのまさかの言葉に、キラは目に見えて落ち込んだ。リオにはキラとは違い友人がたくさんいる。いつもキラの相手をしてくれるわけではないことはわかっているが、しかしリオが一緒に来てくれなければ、キラはまともに街など歩けないのだ。何度か足を運んだこともある劇場だが、いつだってリオの後をついて歩いていただけなので道順もわからず、キラは一人で行ける自信がなかった。
「誰か、他のやつ誘えばいいだろ?」
『だって…』
「女子どもは好きだろ、そういう芝居。一緒にいこうって誘ってみろよ?」
『……』
リオの言葉に、キラはおずおずと教室を見回した。まだ何人か女の子が固まってそれぞれ楽しそうにしゃべっている姿が見えるが、キラにはその輪に入っていけるだけの勇気はなかった。たまに気を使って話しかけてくれる子はいるが、挨拶や短い言葉をやり取りするだけで、今までキラはリオ以外の子とまともに会話したこともなければ、まして一緒に遊びに出かけることもなかったのだった。
そんなキラにいきなり誘えと言っても無理な話で、リオもわかってはいたが思わずため息が漏れていた。
しょうがないなと思いながら、リオは身近にいた女子二人組に声をかけた。比較的静かな子たちで、時々キラと挨拶を交わしている姿を見かけていた子たちだ。
「なぁ、お前らさ、この芝居に興味ない?」
「きゃ!ら、ライラック様!?」
「うそぅ!」
きゃあきゃあと頬を赤らめて騒ぐ二人を無視し、リオは余ったチケットを見せて、良かったらキラと一緒に行ってやってくれないかと頼んだ。
「え!?こ、これ、ヴィクトル様主演の!?嘘、本物!?」
「わぁ、すごい!さすがライラック様!」
「何?お前らこの芝居、知ってるのか?」
「はい!かっこいいですよね、ヴィクトル様が演じる白騎士様!私たち大好きなんです!」
「でもこれもう完売して、手に入れられなかったのに…」
少女二人は、まぶしげにチケットとリオの顔を交互に見つめた。それから本当に自分たちがもらっていいのかと、不安そうにしかしどこか期待したように言う。
「ああ、俺、興味ないし。でもそれキラのだから、キラも一緒に連れてってやってくれよ」
「…もしかして、キラちゃんもヴィクトル様、好きなの?」
そこで初めて、少女たちは机に座ったままもじもじと様子を覗っていたキラの方へ視線をよこした。
問われ、キラはぶんぶんと首を縦に振った。最もキラは芝居の内容が好きなのであって、演じている人間がどうこうというわけではないのだが、ヴィクトルは役者の中でも随一のイケメンで、実力もあり、キラも彼が演じる白騎士が一番好きなのは確かだった。
「そうなんだぁ。格好いいよね、ヴィクトル様!」
尚もぶんぶんと首を振り続けるキラの様子に、腕の中のアウラまで面白がって真似をする。あまりに強く振り過ぎたせいか、目が回り、キラとついでにアウラも揺れる視界に酔って机に突っ伏してしまった。
「…何してんだ、お前」
リオが呆れたように言う。ほかの二人もキラの天然ぶりに、思わず笑っていた。
「ふふ、キラちゃん可笑しいの!」
「アウラ様も、かわいい!」
ケラケラと声をあげて笑うクラスメイトの姿を、キラは笑われてしまった羞恥に顔を真っ赤に染めながら、夢でも見ているのかと信じられない思いで見つめた。
あんなに近づき難いと思っていたのに、話せばただ自分と変わらない芝居が好きな少女達なのだと知り、嬉しくてしょうがなかった。
「キラ、ほら言うことがあるだろ」
リオは何もかも理解した様子でそう言って、成り行きを見守るように自身は一歩下がった。
キラはその意図を理解し、急いで鞄から紙を取り出すと、そこに文字を書いて二人に見てもらった。
[一緒に、お芝居見に行きませんか?]
緊張の所為か、少し曲がってしまったのは愛嬌だ。
震える手でおずおずと差し出されたそれを読んだ少女二人は、お互い顔を見合わせてからニッコリと微笑んだ。
「もちろん!こっちこそ、誘ってくれてありがとう!」
「楽しみだね!」
『!!うん!』
チリン!と一際澄んだ音が響く。
その声は、リオがここ最近聞いた中でも一番弾んだ音だった。
『…リオくん、ありがと』
「ばぁーか」
言葉とは裏腹に、温かい手でくしゃりと頭を撫でられ、キラは照れたように笑った。
「待ってください!キラをガーナに連れて行くなど、そんな話、聞いていません!」
話があるからと聖宮の最上階にある、二の宮カエラ・ヘンゼルの執務室に呼ばれたディアナはそこで思いがけない話を聞き、ありえないと首を振った。普段は温厚で、決して声を荒げるような性格ではないが、この時ばかりはディアナは動揺と怒りでついつい大きな声をあげていた。
「この不安定な状態な中、ひと月もの間、非力な子を旅に連れ出すなど危険すぎます!しかも、三日後に出発なんて…、ベインも、何とか言ってくださいまし!」
同じく呼ばれて隣に座っている同僚に詰め寄ると、ベインもいつもの神経質な顔を更にしかめて頷いた。
「我もあまり納得できませんな。一体いつのまにそんな話が?」
元弟子の不機嫌面に臆するようなカエラではないが、さすがに彼女も思うところがあるのか重いため息をついた。
「我々も聞いたのは今朝です。何分急な命だったので、反対しようにもすでに決定事項として扱われ、どうしようもなかったのです」
「命って…、一体誰からの依頼ですか?」
「ドールズマン・フィリップ様です」
ディアナもベインも、まさかの名に黙り込んでしまった。
フィリップ家はルクセイアを統治する三大公爵家の一つで、中でも当主ドールズマンはルクセイアの西側を預かる第一領主である。しかもキラ達ウェイクストン一家が暮らすのは、そのドールズマンが治める領地なので、領主が民を連れ出すことに、周りがとやかく言える立場ではなかった。
まして、権力的に言えば王の次に立つ有力者である。いくら聖宮の代表とはいえ、カエラやギースが反対しても届かないのは当然であった。
「どうして、フィリップ様がガーナにキラを連れて行くなどというお考えを…?」
「よくは知らぬが、フィリップ様とガーナの王、レイモンド・ガルーシャは旧友のようですね。イノヴェア妃を失って以来、何かと励ましの言葉をかけているそうですが、一向に立ち直る様子が見られず、藁にもすがる思いでキラの…、というよりもアウラ様の癒しの力に頼りたくなったのだそうです。ウェイクストン家に相談したところ、キラの父親が快諾したので、一気に話がまとまったようですね」
キラを預かっている身としては、聖宮にも一言あってもよかったのではとカエラも不満はあるようだが、だからと言ってと反対できる立場ではなかった。
「…しかしそれは…。アウラ様は、キラと契約しているキラ専属の精霊様です。その力はキラの為にしか使われませんわ」
本来、加護付の精霊は加護している人間のためにしか力を使わない。アウラの場合も同様で、キラが怪我を負えばアウラはすぐに治癒の魔法をかけるが、キラ以外の人間のために力を使うことは基本的に無かった。
しかし、例外がある。
「それは我々も重々承知。しかし、キラがアウラ様に願えば話しは別でしょう」
そう、精霊というのは加護すると決めた人間に対しては極端に甘い傾向がある。どの精霊も契約した人間を守り、その望みをかなえることを至上の喜びとする。
だから今回の場合も、キラがアウラに力を使ってくれと願えば、アウラはきっと躊躇しないことも大人たちは皆理解していた。口を開けば皆「キラ、キラ」とその存在を特別視するが、期待しているのはそのキラを守護する光精霊アウラという絶対的な力の方なのだ。
そして、言ってしまえばキラは、その力を都合よく使うための『駒』に過ぎない――――
十分わかっていることなのに、ディアナの胸が、張り裂けそうなほどに痛んだ。
「…いずれ、世界のためにアウラ様の力を使わねばならぬこと、私だって、あの子だってよく理解しています。優しい子ですから、困っている人がいれば手を差し伸べるでしょうし、世界のためだと言えば、あの子はきっと迷わず自分の役目を果たすでしょう」
何より、聖宮がキラをそういう風に育ててきたのだ。
「…しかし、16になるまで、あの子には自由にさせてやる約束だったはずです!務めが大事なのはわかっています、でもあの子はまだたったの9歳なのです。遊びたい盛りの、子供なのです!それを大人の都合で振り回すなど…!」
「ディアナ、もうよせ。これは我々にはどうしようもないことだ」
「ベイン…!」
「聞け、ディアナ。お前があの子をどれだけ大事に思っているかは知っている。だが、あの子は選ばれたのだ。天の意志である以上、その務めを果たすのがキラの使命。ほかの子と同じように人として暮らすことも、確かに意味ある事だろう。だが、どんなにその生活に身を置いても、あの子は決して普通にはなれんのだ」
「…わかっていますわ、でも!」
「ディアナ・マーシャル。わかっているというのなら、これ以上の口出しは無用です」
カエラの厳しい声に、ディアナは体を震わせてぐっと言葉を飲み込んだ。
「あの子の立場はとても危うい。特例とはいえ、ウェイクストン家は本来貴族の地位を剥奪された『落ち家』で、今は一般階級と変わらぬ身分。にもかかわらず、キラを我々の庇護下に置き、本来なら資格のない上学校にも通わせ、いろいろと特別扱いすることをよく思わない連中がいるのも確かです。そんな現状の今、見苦しい嫉妬や批判を鎮圧するためにはキラの存在がいかにルクセイアにとって重要か、その力を証明しあの子の立場を確立せねばなりません」
「……」
「時期尚早とみるあなたの言葉ももっともです。ですが、我々が庇えばかばうほど、周りの批判は大きくなるばかり。守るだけでは限界があるのです。あの子が我々とは異なる神聖な神子であることをわからせるためにも、今回の件はいい機会なのではないかと我々は判断することにしたのです。理解できますね?」
「…グレンディス様は、なんと?」
同じくキラを我が子のようにかわいがっている英雄王のことだ。きっと反対したはずだとディアナは最後の望みを託すように聞いた。
「王は我々以上にルクセイアの情勢を知っておいでです。当然キラが置かれている状況も誰よりも理解しておられる。渋い顔をしてはいましたが、反対はしませんでした」
領主であるフィリップの命令をなかったことにできるとすれば、それは王であるグレンディスだけである。しかし、その王が受理したとなればもうディアナには贖う術はなかった。
自分はなんて非力なのだろうと、ディアナは力なく肩を落とした。
「カエラ様、遠征の件はわかりました。だが、一つ条件があります。せめてあの子と親しい聖導師を同行させることを許していただきたい」
「ベイン…」
ディアナは、自分の思慮の足りなさを憂うように唇をかみしめて同僚を見つめた。
「意思の疎通もままならないキラが、ひと月もの間見知らぬ騎士団の大人たちに囲まれて旅をするのではあまりに哀れでなりません。我々のどちらかが同行できればそれが一番ですが、あいにく仕事があります。ならばせめて、聖宮の見知った人間を一緒に連れて行ってやってくれませんか」
「…わかりました。私からフィリップ様にお願いしておきましょう。嫌とは言わせません」
「ありがとうございます。ディアナも、それでいいな?」
「…はい」
「では、出発は三日後、手筈はすべてベインに任せます。話は以上です、下がりなさい」
カエラの執務室を出て、ベインと別れ自室へ戻ったディアナは、力なく椅子に座った。
皆特別だと言うけれど、ディアナは他の子と何ら変わりなく屈託なく笑うキラがたまらなく愛しかった。そして時々、その笑顔が消えてしまうのではなないかと無性に不安になるのだった。
光の加護をうけた、奇跡の子。
選ばれし、聖なる神子。
果たして、選んだのは本当に「天の意志」なのか、それとも「人の欲」か―――
ディアナはその答えを知るのが、ひどく怖かった。
『ねぇ、アウラ、こっちはどう?変じゃない?』
『んーーー?』
キラは実家の自分の部屋で、姿見の前に立ち、先日叔母のメリンダに買ってもらった洋服に合う帽子と鞄を吟味していた。相棒のアウラに意見を求めるが、彼はそんなことには興味がないらしくまともな回答など返ってこなかった。
『キラぁ、お腹すいた!おかしちょうだい!』
『もう!アウラったら!そんなに食べたら、コロコロの丸々になっちゃうんだからね!』
『やぁ~、おかしーーー!』
ベッドの上でゴロゴロと転がりながら手を伸ばす姿は、なかなか愛嬌があってかわいいが、キラはお行儀が悪いとたしなめた。基本、精霊は食事をする必要がなく、人間ほど食べ物に執着しない生き物なのだが、契約主に似てしまったのか…、アウラは食べることが特に大好きな変わった精霊であった。
『もう…、アウラの食いしん坊』
『キラも、くいしんぼ!』
ニコニコ笑いながらそんな風に返されてしまってキラはむっと膨れるが、事実なのでしょうがない。そういえば自分も小腹がすいたなと思う。
いったんファッションショーは中断し、キラはごそごそとベッドの下を漁ると、メリンダに内緒でこっそりと買ったお菓子を取り出して、アウラの隣に飛び乗った。
『ご飯が食べられなくなったら怒られるんだから、少しだけね』
秘密ごとを楽しむように、二人はにんまりと笑って我先にとお菓子に手を伸ばした。
『ん!おいしい!』
『うまうま~』
『ねぇアウラ、楽しみだね、お芝居』
『キラ、ニコニコ!うれし?』
『うん、とっても!』
なら僕も嬉しいと一緒に笑ってくれる友をその胸に抱きしめて、キラは無意味にチケットを見つめた。
約束の日まではまだ10日以上もあるのに、キラは今からその日が楽しみで仕方なかった。
しかし―――
その日の晩、珍しく夕食前に帰ってきた父親のロイズによって聞かされた話の内容に、キラは呆然と立ち尽くした。
「ガーナ!?そんな遠いところにキラを連れて行くって、本当なの?お兄さん!?」
「ああ、フィリップ様直々のご命令だ」
「そんな…」
ロイズの妹で、キラの叔母にあたるメリンダは、戸惑ったようにロイズを見つめた。その横で、キラが愕然とした様子で立っている。目の前の父親が何を言っているのか、理解しようとしてもわからなかったのだ。
「キラ、お前は明後日から西へ遠征に行くことが決まった。詳しいことは明日、ベイン様が話をしてくださるそうだから、お前はメリンダに手伝ってもらって旅の支度を整えなさい」
『で、でも…』
「私は仕事があるから共にはいけんが、旅路は光栄にも第一護衛団がついてくださるそうだ。何も心配はいらん。お前はお前の務めのことだけを考えろ。いいな?それから…」
『いや!わたし、行かない!行きたくない!だって、約束が…』
「キラ!喋るなと言ってるだろう!!」
つい、文字を書かずに声を出して抗議したキラに向かってロイズの怒声が飛んだ。それだけでなく、彼はその手で娘の口元を塞ぎ、目を吊り上げてその顔を睨みつけたのだった。
怒鳴られ、否定され、キラの目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「なんてこと!?お兄さん、離してあげて!」
「お前は黙っていろ!これはキラの問題だ!」
妹にも怒鳴りつけ、ロイズは娘の肩をつかむと、その顔を覗きこみながら言い聞かせるように言った。
「いつも言っているだろう。軽々しくその声を人に聞かせてやるなと。いいかキラ、お前の言葉は皆とは違う、天から授かった神聖なものなのだ。その声は、天の声と同等の価値があることを忘れるな」
――― わからない、全然、わからない!
キラは駄々をこねるように首を激しく横に振った。思いを代弁するように次々とこぼれる涙が、床へと飛び散る。
昔からそうだった。ロイズはキラが人前で声を出すことを極端に嫌い、その度に喋るなと怒り、面倒でも文字を書いて意志を伝えることを強要してきた。しかし、大抵の人間はキラと文面で会話することを面倒くさがり、いつしかキラはリオや大切な人以外と会話しようとする気持ちを失っていたのだ。そうして過ごすうちに、ただ話しかけられたら笑って頷くクセだけが残ってしまったのだった。
しかし、今回だけはどうしてもキラは、簡単に頷くことはできなかった。
「…これはお前の将来にかかわる大事なことなのだ、わかるな?」
『わからない!!!』
「キラ!」
父の手を振り切り、キラは自分の部屋へと駆け込んだ。
おろおろとアウラがその背を追って出ていくのをメリンダは心配げに見つめてから、キッと兄を睨みつけた。
「お兄さん、あんまりだわ!あれではキラがかわいそうすぎるじゃない!」
「…黙れ、わかっている。だが、これがあの子の為なんだ」
「お兄さん…」
ロイズは疲れたようにソファに座り込んだ。頭を深く落とし、祈るように手を組んでじっと目をつぶっているその様は、言葉とは裏腹に天に許しを乞うているようにも見え、メリンダはぶつける言葉を失ってしまった。
自分の兄ながら、なんて不器用な人なのかと同情してしまう。
キラの母親である妻を失ってから、必死にキラのために尽くしてきたことを知っているだけに、横暴ともいえる今の言動もメリンダはこれ以上強く攻めることができなかった。
「キラの様子、見てくるわ…」
気まずい空気から逃げるように、メリンダはキラの自室へと向かった。
「キラ、入るわよ…?」
扉の外にも漏れ聞こえる『声』に、胸が締め付けられる思いでメリンダは扉を開けた。
「キラ…」
小さな姪は、ベッドの上で顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
その手には見慣れたチケットが握られていて、メリンダは言葉に詰まってしまった。
リオ以外の子たちと初めて出かけるのだと嬉しそうにしていた姿を知っていただけに、哀れで仕方がない。
「…こんなに泣いて、かわいそうに…」
『ふ、っく、、ひっく』
キラは必死に文字を書いて、メリンダに見せた。
[約束、やぶったら、嫌われちゃう]
「ああ、優しいキラ…」
たまらず、メリンダは震える小さな背を抱きしめた。
「そんなことない、大丈夫、大丈夫よ。…今回はダメになっちゃったけど、またきっと機会があるわ。みんなわかってくる、大丈夫よ…」
『…きら、い、、お父様なんて、だいきらい!ああああん』
リーンリーンと、悲しみの声が部屋に木霊する。その声に同調するように、アウラの目からも涙がぽろぽろと零れ落ちて行った。
幼い心は、悔しさと悲しさでいっぱいだった。
リオに作ってもらったせっかくの機会なのに―――
楽しみにしていたのに、楽しみだねと笑ってくれたのに―――
キラはチケットを胸に抱きしめながら、いつまでも声をあげて泣き続けた。




