3 光魔法
それから数週間、クラウの一日は単調に過ぎていった。
起きて朝食を食べたら、一時間ほど部屋で文字の読み書きの勉強。それからお弁当を下げてルカとともに泉へと移動し、魔力変質の特訓を日が落ちる前まで延々と繰り返す。家に帰ってからは、アリーシャと当たり障りのない会話を交わし、リザの夕食を食べ、お風呂に浸かって一日の疲れを癒す。そして、寝る前に軽く体のストレッチと、その日最後の魔力変質の練習を行ってから布団に入る。
実にシンプルでわかりやすい時間割だが、本人はいつだって真剣だった。昨日よりも今日、今日よりも明日。少しでも上達できるように自分なりに考え、時にはルカにアドバイスをもらいながら、クラウは順調に成長していた。
そしてさらに数週間後―――
おなじみの泉では、たくさんの森の住人達が見守る中、クラウが練習の成果をお披露目中であった。
最初は勢いがありすぎて警戒視された火属性魔法も、今ではすっかり加減にも慣れ、クラウがさっと手を翳すだけで瞬時に拳ぐらいの火の球が出来上がった。
お次は水の魔法。徐々に火の球に覆いかぶさるように水がわきあがると、ジュっと火がかき消される音がし、同じ大きさの水の球に変わっていく。その中心から渦のようなものができ始めると、水の球はどんどん膨れ上がり、やがてパンッという破裂音とともに四方に飛び散った。
掌に渦巻くのは小さな竜巻のような空気の渦。風の魔法だ。さらに、竜巻の中に土埃のようなものが混じり始めると、あっという間に風は消え、パラパラと白い砂のようなものが手からあふれ出し、最後に掌に残ったのは拳大の石の礫だった。土魔法である。
『おぉぉーーー!』
観客の感嘆した声と拍手が沸き起こる中、クラウはそっと詰めていた息を吐き出した。ここまでかかった時間はほんの5分程度。その結果にまずまずだなと頷いた。
『大したものだ』
ルカが心の底からの賛辞を贈ると、クラウは少しだけ笑った。そしてゆるりと首を振り「まだ練習の余地はある」と返した。
今の段階でも十分にすごいことなのだが、満足に至る結果ではなかったようだ。そういう男なのである。
「目標は一秒ごとに切り替えられるようになることだな。それまでは要練習だ」
と、怖いことを軽くいうが、本人はどこまでも本気だった。
残る一般属性魔法は、光魔法のみである。もちろんクラウは漏らさず習得するつもりであったが、ここにきて順調に来ていた魔術特訓に、暗雲が立ち込めた。
「光魔法への変質は、イメージがしにくいな…」
クラウは今までと同じように、魔力を光属性へ変質しようとしたのだが、どうにもイメージがつかみづらくうまくいかなかった。
暖かい日向、晴れ渡る空に輝く太陽、目も眩むほどのまぶしい輝き。
あらゆる光のイメージから魔力を変質させようとするのだが、どうしても似通った火属性魔法へと流れていきそうになるのだった。本来、光魔法の色は金に近い発光色のはずなのだが、何とも言えない中途半端な淡いピンク色にしかならない。
「…ふむ。やっぱり、うまくいかないな」
特別がっかりするわけでもなく、クラウは不思議そうに自分の掌を見つめた。
「ルカ、何かアドバイスは?」
木陰で寝そべるルカを振り返る。
『ない』
「……」
時々、この友人はつれない。
――― まぁ、ないならしょうがないな
クラウは特別怒るわけでもなく再び掌に魔力を集めた。
光と言えば、やはり最大のイメージは太陽だろう。しかし、熱という点においては火と被る。これを完全に区別する変質の仕方をしなければ、いつまでも中途半端なままだろう。
他にも街灯、電球、はたまた蛍の光まで、クラウの持つ知識にあるありとあらゆる「光」をイメージし魔法を組み上げようとするが、如何せんうまくいかなかった。
結局、時間いっぱい頑張ってみたものの一度も成功しなかった。
とはいえ、四属性の魔法はなんとか形になったので、今日はこれで満足することにして、クラウは気持ちを切り替え、しばらく森の住人達の話に耳を傾けのんびりとした時間を過ごしてから家へと戻っていった。
その日の夜―――
お風呂にも入り、あとは寝るだけとなった夜更け。クラウはそっとリザの部屋へと赴いた。理由は簡単、次の本が何かないかと尋ねに来たのである。
「…クラウ様、以前差し上げた魔法入門書は、どうなさったのか、聞いてもいいですか?」
突然部屋に来て、新しい本があれば貸してほしいと頼みに来たクラウに驚いたリザは、流行る気持ちを落ち着かせ質問した。
「すべて、読み終えたのですか?」
「はい。大変、興味深いものでした」
「そ、そうですか。それで…?魔法は、試してみました?うまくいきましたか?」
「……」
クラウは少しの間思案した。素直に言ってもいいものかどうか、判断しかねる。
「僕にはまだ少し早すぎたようです」
しかし結局、魔法のことに関しては隠しておくことにした。いろいろ騒がれると面倒だ。
「もう少し大きくなったら改めて練習してみます」
と、クラウが澄ましていうと、リザはあからさまに残念そうな顔をした。
「そうですかぁ…。クラウ様なら、ちょちょいっと練習すればできるようになると思うんですけどねぇ。こればっかりは難しいですかね」
「あの、それで、できれば光魔法について書かれている本があれば、貸していただきたいのです」
「光魔法、ですか?」
「はい、僕もかあさまのように、光属性の魔法を使えるなら、少し勉強したいなと…」
クラウの言葉に「確かに」とリザは思い直す。冷静に考えてみれば、母親であるアリーシャの魔法属性が光なのだから、その操作能力を受け継ぐクラウも光魔法を使える可能性が高いはずだ。もしかしたら、その先の治癒魔法、果ては結界魔法まで…。リザの目がきらりと輝く。
――― これはもしかすると、もしかすると…!?
この里で二人目の光魔法の使い手が誕生するかも!と、リザは新たな希望に胸を躍らせた。
「そうですよね!クラウ様はなんといってもあのアリーシャ様の血を引くんですから、光ですよね!?」
「……」
血で魔法の属性が決まるわけではないので返事のしようがないが、クラウとしてもぜひ光魔法については習得したいと考えていたので、反論はしない。
「うーん。でも、光魔法について書かれた本は、私はちょっと持ってないんですよね」
「…そうですか」
それ以前に、リザは獣人族ということもあり、魔法に関してはあまり才能がないのだ。体内の魔力量も極めて少なく、その操作力も平均以下で早々に魔法はあきらめてしまったほどだ。なので、もっている魔法関連の本もクラウに渡した入門書のほかには、風魔法の初歩的な術が乗っている指導本ぐらいしか持っていないらしい。
困ったな、とクラウは思う。一般属性の魔法ならば使えないこともないだろうが、治癒さらに結界魔法となると、さすがのクラウもさっぱりである。
どうしたものかと考えあぐねいているクラウを見つめながら、リザはくすくすと笑いだした。
「クラウ様、そんなに気になるなら、アリーシャ様に直接聞いてみればいいじゃないですか」
確かに、実際に使えるアリーシャに聞くのが一番手っ取り早いし、確実だろう。
「アリーシャ様なら、なんでも答えてくれると思いますよ」
「…でも、ご迷惑じゃないでしょうか」
まだ5歳にも満たない子供が、何を遠慮するのか。リザはクラウの小さな手を握り返して優しくいった。
「アリーシャ様がクラウ様のことを迷惑がるはずがありません。クラウ様はもっとわがままを言ってもいいんですよ」
「しかし、僕のわがままでお仕事の邪魔をするわけにはいきません」
真顔できっぱりと言い切られ、リザはたじろぐ。
「う…。そ、そうですね…。でも、たとえそうだとしても、少しくらい大丈夫です!アリーシャ様なら笑ってクラウ様のことを優先してくださいます。なんといってもかわいいわが子のお願いなのですから」
――― そんなものなのだろうか。
クラウにはわからない。ただ、ここに住んでいろいろと工面してもらっている以上、彼女の仕事の邪魔になることだけは避けたいとずっと考えてきた。だから普段は目につかないよう森へ行くようにしていたし、困らせることがないようにと細心の注意を心掛けてきた。なのに、わざわざ自分のわがままのために、その貴重な時間を割いてもらおうなど、頼めるわけがない。
「わがままが許されるのは、子供の特権ですよ。甘えていいんです。それをきっとアリーシャ様も望んでいます」
「…わかりました。少し、考えてみます」
そういって自分の部屋に戻っていくクラウの後姿を、リザは複雑な表情で見送った。
実の親子なのに、どうしてあそこまで他人行儀なのか。クラウの複雑な内情を知らないリザは不思議でならなかった。
クラウは自分の部屋に戻ると、ベッドには向かわずに、庭に面した扉を開けて外へと出た。そのまま家のすぐそば、丘のちょうど頂のあたりに立つ巨大なマナリギの木のところまで歩く。
「聖なる木」とも呼ばれるその巨木は、一年中緑の葉で生い茂り、夜になると淡い光を放つので、真夜中にもかかわらずあたりはほんのりと明るい。そして、ここはルカの一番のお気に入りの場所でもあり、今も彼は木の根元で眠っていた。
クラウはそっとルカに近づくと、寝ている彼の腹あたりによりかかった。大した重みがあるわけではないが、その気配にルカが目を覚ます。
『…眠れないのか?』
クラウは静かに首を横に振るだけで、答えようとしなかった。
また何事かを考えているらしいことがルカにもわかり、そのまま好きにさせておく。
とても静かな夜だった。
里の皆はとっくに眠り、家の明かりもほとんど見えない。ところどころに置かれた街灯の明かりだけが、畑の合間で揺らめいていた。
「甘えるとは、どういうことだろうか」
どれくらい経った頃だろうか。ぽつりとクラウは独り言のようにつぶやいた。
リザにあそこまで言われても、やはりクラウはアリーシャに対して何か頼みごとをするのは気が引けた。
彼女のことは嫌いではない。どちらかといえば好きなのだと思う。しかし、だから甘えろと言われても、クラウにはどうしていいかわからない。
『お前は賢い。大人が喜ぶ言葉を選び、大人が許す範囲の行動を見極めて、決して逆らわない』
「それは悪いこと?」
『いや、やさしい心からくる、やさしい行いだ』
「……」
それは買いかぶりすぎだと思う。クラウは面倒事を避けるために合理的に行動しているだけで、優しさから行っているわけではない。
『だが時には思いのままに行動することも必要だ』
「迷惑をかけても?」
『子供とは本来そういうものだ。わからないなら、その気持ちをありのままに話せ』
そういってルカはちらりと家の方を振り返った。つられてクラウも視線を移すと、眠っているはずのアリーシャがこっちに向かって歩いてくる姿が見えた。
――― ああ、失敗した。
クラウは瞬時にそう思った。
見つからないだろうと思ったのに、油断した。子供がこんな夜遅くまで起きて、外をうろついているなんて言語道断。怒られる。
『大丈夫だ、何も構える必要はない』
緊張し、ピクリと体をこわばらせたクラウに、ルカは優しく言い聞かせた。この子供は極端に「怒られる」ことを恐れている節があるとルカは察していた。
誰だって怒られるのはいい気分ではないだろう。しかし、クラウのそれは「異常」だ。迷惑をかけない、邪魔をしない、徹底したその姿勢を貫こうとする幼子に、ルカは感心すると同時に不憫さを感じていた。
『心配するのは親として当然だ。お前が間違ったことをすれば、アリーシャも赤毛の娘も怒るだろうが、それはお前を心配してのことだ。迷惑がっているわけではない』
以前、会話の流れでそんなことを言った時もあったが、その時クラウはとても微妙な顔をしていたことをルカは思い出す。言葉の意味が全く理解できない様子で、ルカがいくら言い聞かせても、クラウのこの遠慮がちな性格は変わることがなかった。
「いないと思ったら、こんなところに。クラウは本当にルカが好きなのね」
「…ごめんなさい」
開口一番、クラウは謝罪の言葉を口にした。いつもの優しい笑みを浮かべるアリーシャを見ても、クラウのこわばった顔は治らなかった。
「何を謝るの?」
「勝手に外に出て、ごめんなさい」
確かに部屋をのぞいたらその姿がなく、アリーシャが一瞬あわてたのは事実である。しかしすぐにルカと一緒にいる姿が見えたので、特別心配はしなかった。
「そうね、黙って出たことは、確かに悪いことね」
「……」
アリーシャは息子の横に腰を下ろして、その顔を覗き込んだ。相変わらず表情は乏しいが、何となく落ち込んでいるのがわかる。
「今、クラウがなにを考えているか、当ててみましょうか」
「……」
「ああ、失敗した。こんなドジをするつもりはなかった。かあさまの貴重な寝る時間を邪魔してしまった。次は同じ過ちは繰り返さない。絶対に」
「!!!」
まさに的中。頭の中をずばり読み取られてしまい、クラウは目を見開いた。
「ふふ、クラウのことなら何でも分かるのよ。なんたってクラウのかあさまですから」
――― 天人族というのは、人の心までのぞけるのだろうか。いや、でも、まさか…
なんてことを真剣に考えだしたクラウをよそに、アリーシャはとても楽しげに笑った。
「なぁーんていうのは嘘!いつだってクラウのことを考えているけれど、クラウが何を考えているかなんてことまでは、母様にもわかりません!」
「……」
「だって、私のかわいい息子はとっても無口なんですもの」
事実なだけに何も返せないクラウは、ニコニコと微笑むアリーシャの顔をただ黙って見つめた。
「もちろん、無口がだめなんて言わないわ。世の中、口の軽い男よりは、秘密を守れる男の方がずっとモテるものね。でも、せっかく人に生まれたんですもの。話して、思いを伝えて、分かり合いたいじゃない?そのための言葉だものね」
「……」
「あなたが何を考えて、何を思っているのか。それは口に出して言葉にしなきゃ、伝わらないのよ?」
と、アリーシャは続ける。
しかし、それを頭で理解はしても、いざ実行しようとするとクラウにはなかなかハードルが高かった。
自分の気持ちを言葉にするのは苦手だ。まだ誠吾だった時、その「言葉」はいつだって母親と父親の身体をすり抜けて、むなしく散って行った。そして、いつしか感情も言葉も黙って飲み込むことを覚え、そのまま24年の時を過ごしたのだ。
今更だ、とクラウは思う。
しかし…。
「母様はもっとあなたのことが知りたいし、もっといろんなことをおしゃべりしたいのです」
だめでしょうか?と、首を掲げながら優しく微笑むアリーシャは、とてもかわいらしく、まぶしかった。こんな人が本当に自分の母親なのかと、不思議に思う。
「…努力、したいと思います」
クラウなりの精いっぱいの答えだった。
超えられない壁はない。いつだってその「教え」を信じ、歩んできたのだ。時間はかかるかもしれない。それでも、その努力が彼女の笑顔に繋がるのであれば、少し頑張ってみてもいいかもしれない。
クラウはその夜、初めて「人のために」努力しようと思ったのだった。
そして、あることをひそかに決意した。
翌日の朝食の場で、クラウは少しそわそわしながらアリーシャが食べ終えるのを待っていた。いつもなら食事が終わればさっさと自室にこもり、勉強の時間に入るところだが、今日は少し予定を変更して、じっと椅子に座りながらアリーシャの食事風景を凝視している。
「…クラウ様、どうしたのでしょうか…?なんかいつもと違いませんか?」
「…そうね。ずっと何か考えているみたいね…」
起きた時から何やら様子が可笑しいクラウに、リザとアリーシャはこそこそと会話する。
「…見られていますよ。アリーシャ様」
「そ、そうね…。なんだか落ち着かないわね…」
アリーシャが座る正面がクラウの席なので、当然その視線をもろに浴びているアリーシャはなんだか観察されているようで気恥ずかしい。もともと他人に無関心なところがある息子だ。こんなことは初めてなので、アリーシャは困惑した。
――― 昨日、何かへんなこと言っちゃったかしら…
昨晩の会話を思い出してみるが、特別おかしな会話はしていないと思う。アリーシャとしては少しだけ息子との距離が縮んだ気がして、とても浮かれた気分で眠りについたのだが…。クラウにはうざがられてしまったのだろうか、もしかして反抗期?と検討違いのことを考える始末。
アリーシャが何か声をかけるべきか否か迷っていると、先にクラウが口を開いた。
「…かあさま」
「は、はい!」
「実は、かあさまに折り入ってお願いしたいことがあります」
まさかのクラウからの「お願い」に、アリーシャは一瞬驚いた後、破顔した。
「も、もちろんよ!何かしら?」
「もしよろしければ、かあさまのお仕事を見学させていただきたいのです」
「見学?」
どこぞの営業マンのような、何とも堅苦しい言い方だが、今更それを突っ込む家族ではない。アリーシャもリザもそのお願いの内容に、顔を見合わせた。
「それは構わないけれど…。いきなりどうしたの?」
「かあさまが、どのようなお仕事をして、どのように一日を過ごしているのかを知りたいと思ったのです」
「どうして?理由を聞いてもいいかしら?」
アリーシャが優しく問い返すと、クラウはしばらく思案した後、
「…かあさまは僕のことを知りたいとおっしゃってくれました。そして、僕もかあさまのことを知りたいと思ったのです」
と、言った。そして、
「努力すると、昨日、約束しました」
と、意志の強い瞳で、アリーシャの顔を見つめ返した。
「クラウ…」
どこまでもまっすぐで、真面目な子だとアリーシャは改めて思う。
確かに異常なぐらい賢く、大人びていて、喋る言葉も他人行儀で、無口・無愛想だが…。それでも、彼はいつだって真剣に、真正面からぶつかっていく。できないことをできないままに放り出すことは決してしない。
「あなたが考えて、そうしたいって思ったのなら、構わないわ。ただし、みんなの邪魔だけはしないようにね」
「はい。ありがとうございます」