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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第二章 旅路~ザバル村編
44/140

11 世界の掟

 


 一歩、足を踏み外せば奈落へ―――間違いなく命はないだろう。

 そんな危険で不安定な足場をもろともせず、クラウは平然と歩みを進めた。


 今、クラウ達一行が歩いている山脈は、北西地方の砂漠地帯と、目的地であるミネアヴァローナの街がある南西地方を分断するように連なっている。クラウはごつごつとした岩がむき出しの状態で、およそ道とは呼べない山脈の岩肌を軽い足取りで歩きながら、左に広がる景色を見つめた。

 砂漠地方。文字通り一面広がる砂の地面が圧巻である。見渡す限りが砂の海と化し、ところどころ砂煙のようなものが舞っているのが遠目でもはっきりと見えた。


「あれは…?」

 遠い砂の海に何かうごめく黒いものが見え、クラウは目を凝らした。

「ヒュー!、珍しいな。ロックマイアンだぜっ」

 クラウの視線に気づいたレノが、口笛をあげながら驚いたように叫んだ。

「どこどこ!?どこっすか!?」

 と、サイルスも興奮したように身を乗り出して砂漠を凝視する。

「ロックマイアン?魔物ですか?」

「いや、聖獣です。それにしても本当に珍しいな」

 ガルフまでもがそう言ってしばし、聖獣が砂地をうろつく姿に見惚れていた。今のこの状況がいかに珍しいことか、何も知らないクラウにもガルフ達の反応を見れば十分に伝わった。

 数百メートル上空のこの場所から十分その形が見て取れることを考えると、実際は相当の大きさなのだろう。巨大な亀のような形にも見える聖なる獣は、どこに向かっているのか、砂の海を優雅に泳いでいた。

「あの辺は彼の縄張りで、魔物もほとんど近づきません。我々人間も、ロックマイアンの活動時間である夜間は通らないことが絶対の条件で、日中だけ横断を許されているのです」

 昼間は地下の巣で寝ているため、めったに目にすることができない幻の聖獣とも言われるらしい。


「夜に近寄ると、どうなるのですか?」

 クラウが単純に疑問思ったことを質問すると、ガルフは少し表情を硬くして答えた。

「それはこの世の掟を破る、禁忌。命の保証はできません」

「まさか…」

 ただ住処かを横切るだけなのにそこまで賭けなければならないのかと、クラウはにわか信じられなかった。

「クラウ様、覚えておいてください」

 ガルフはいまだに見えるロックマイアンを見下ろしながら低い声で言った。


「この世界において、『領域』と『縄張り』という概念はとても重要な意味を持ちます。特に聖獣と人間の関係は一見対等のように見えるかもしれませんが、それはお互いが定めたルールに従った場合だけです」



 『縄張り』内ではそこに生きるもののルールに従うこと―――

 それがこの世界の掟。



「本来聖獣は、とても好戦的な存在なのです。しかもその力は我々人間をはるかにしのぐ圧倒的なもの。彼らが思うままに力を振るえば、人はとても同じ領域では生きていけません。そこでできたのが『縄張り』という棲み分けなのです」

 縄張り内で決められたルールさえ破らなければ、聖獣は決して人間に危害を加えることはないという。だが一度ルールを破れば、敵としてみなされ最悪排除される。まして攻撃を加えるということは宣戦布告と同じ意味をなし、命を取られても自業自得。それがこの世界での暗黙の了解。


「この世界は主に4つの領域から成り立っているのをご存知ですか?」

「4つ?」

 再び歩きだしたガルフについて行きながら、クラウは聞き返した。

「はい。一つは、<精霊界>。文字通り精霊が住む領域で、この世界のもっとも上層、空のはるか向こうの次元にあると言われます。肉体を持つ人間は決して足を踏み入れることができない未知の領域です。そして、二つ目は人間と聖獣が住むここ、<地上界>です。聖獣は地上に住処を作る場合『縄張り』を決めてその範囲内で過ごします。一方人は『縄張り』の制約を受け入れる代わりに聖獣に求めた見返りが、『召喚魔法』なのです」

 力に差がある二つの生物が共存するためにできた掟。

 人間は聖獣が生きる縄張り内では彼らが作るルールに従わなければならない。代わりに、聖獣は人間が力を欲した時に、その絶大な力を貸すことを約束した。それが今の召喚魔法の原型と言われているのだ。

「しかし、聖獣の数の方が圧倒的に少ないのでは?」

 それでは少し契約の内容として不公平ではないかとクラウは首を傾げた。

「一見少ないように見えるのは当然です。確かに、実際ルカ様やロックマイアンのように縄張りをつくって地上に住む聖獣は少ないですからね。しかし聖獣がどれほど生きているかを人間は知りません。というのも、今現在、ほとんどの聖獣は精霊界に住んでいるからです」

「そうなのですか?」

「はい。学者の中には、人の倍以上の聖獣が存在するという方もいるぐらいですから。まぁ根拠は知りませんが」


 ガルフの説明によれば、完全な肉体を持たない聖獣は精霊界に入ることができる唯一の存在らしい。精霊界では魂のみの姿で存在し、人間が望んだときだけその姿を地上に表し、契約を結ぶ。それが今ある召喚魔法のしくみなのだという。地球では絶対にありえない、不可思議な関係だ。

 実際にルカたちのように姿を維持したまま地上で暮らしているのはかなり力が強い聖獣だけで、人間が彼らと契約を結ぶことはほとんど不可能らしい。


 ならば、ルカという聖獣の頂点に立つ存在と契約の関係にある自分の父親というものは何者なのだろうか―――

 クラウは依然としてつかめない父親像が、さらに不鮮明な霧に包まれていくような気がして眉間にしわを寄せた。



「精霊界にも縄張りというルールが存在するのですか?」

「さて、それはどうでしょうね。精霊界に入れた人間はいまだかつていませんから、どういった世界なのか想像もつきません。それに精霊は、唯一ルールらしいルールを持たない存在なので、そもそも縄張りという概念も必要ないと考える方が自然かもしれません」

 精霊の望みはただ、自由であること。彼らにとって自由であるということは、生きることのすべて。どこへ行くのも彼らの自由だし、何をするのもその意思のまま。だからと言って他の領域を荒らすこともない。

「精霊は人間に何かを指示することもありませんし、人間の指示に従うこともほとんどありません。だから正直、クラウ様がプーラ様と契約を結んだと聞いて、ほんとに驚いたのです」

 と、ガルフは何とも言えない顔でクラウを振り返った。


 精霊が見返りを欲することも珍しいが、何より、人が持ち出した契約に同意することがあり得ないのだ。それも一生を賭ける内容。それは互いの自由を縛ることにもつながるのだから、ガルフ達が信じられないのは当然かもしれない。

「では加護付というのは、かなり希有な存在なのですね」

「ええ。それこそ、『奇跡』といってもいいぐらいです」

 縛られることを嫌う精霊にとって契約は対極にある忌み嫌うもののはず。しかし、精霊は自分が気に入った人間と自ら契約を結ぶ。それは一見矛盾しているようで、とても精霊らしいものなのだとガルフは続けた。



『この世に、これほど慈悲深い存在が他にいるだろうか。人よりも人を愛し、人が持つ偽善と強欲すら包み込み許す存在があることを、我々は感謝しなければならない』



「グノエ・スノートマンという冒険家の日記にある有名な一節です。彼が言うには精霊ほど人を愛する存在はいないとか。実際我々は、彼らの多大な恩恵と慈悲によって繁栄してきたのは確かですからね」



「後の残りの二つは?」

「まぁ、その話はまた別の機会にしましょう。そろそろ下山します。クラウ様、足元に十分注意してください」

 ガルフの言葉に、クラウは内心残念に思いながらも頷いた。

 

 時間にして一時間ほどだろうか。山の中腹をずっと東に向かって歩き続けた一行は、少しだけなだらかになった岩の斜面を下りることにした。

「向こうに見える街に一度よって物資を調達します。そこで一晩すごし、そのあと一気に谷を越えて、ミネアヴァローナがあるオーガスト王家の領土に入ります」

「はい」

「レノ、続けてサイルス先に行け。気をつけろよ」

「うっす」

 二人はガルフの指示に従い崖を降りていく。普通の人間なら躊躇するはずの細い足場も難なく飛び越え、あっと言う間に見えなくなってしまった。


 ―――やはりエルフは身が軽いな


 クラウはその後ろ姿を見ながら、一人感心した。

 以前、ハンスと戦った時も思ったことだが、その身のこなしはエルフという種族の特徴なのだろう。

「次、クラウ様の番です。慌てずゆっくりでいいので、確実に足場を確保しながら降りてください」

「はい」

 軽く返事を返し、進もうとしたクラウの前に、イアがスッと進み出た。

「どうした?イア」

 不思議そうに問うクラウを見つめてからイアは踵を返して崖を降りていく。そして数メートル進んだ先で改めて振り返って、じっとクラウを見つめていた。

 どうやら自分が通った後をたどってこいと言っているらしい。安全かどうか先に確認して、クラウが通れる足場を確かめてくれたのだ。

「かわいいな」

 正式な契約を交わしたわけでもないのに、なんて従順で優しい子なのかと、クラウはうっすらと口元を緩めた。聖獣は気性が荒い好戦的なものだと先ほどガルフは言っていたが、イアのこの行動を見る限り信じられなかった。


 イアが進んだ通りの足場をたどり、彼女が飛べば同じように飛び、クラウはイアが通った道順を正確にたどっていった。

 初めての山下りにも関わらず、クラウは大した時間もかけずにレノ達の下へとたどり着いたのだった。

「ありがとう、イア。すごく助かった」

 しきりに誉め、その頭をなでてやると、イアは嬉しそうに喉を鳴らした。

 仲睦まじい二人の様子に、後をついて降りてきたガルフもほほえましい気持ちになる。本当ならもっと時間がかかるだろうと予想し、最悪ガルフがクラウを抱えて降りることも考えていたくらいなので、こんなにすんなりと下山してしまったクラウの身のこなしの方にガルフは驚いていた。

 確かにイアの案内のおかげもあるだろうが、それについて行けるだけの身体能力がクラウにあることの方が驚きなのだが―――まぁ、本人に言えば大したことはないと首を振られるのがオチだろう…。




 ガルフが言っていた街に到着すると、レノとサイルスはわかれて物資の調達をするらしく、クラウ達とは別の方角にそれぞれ歩いて行ってしまった。ガルフと二人きりになり、クラウは案内されるままに初めての街を歩いていた。


 そこはあまり規模は大きくないがどこか温かみの感じられるのどかな街で、クラウが想像していた風景とは少し違っていた。アルフェンの里にある建物はどちらかと言えば日本の家屋に似ている部分があったが、この街はほとんど西洋の建物に近かった。窓がいっぱいついた大きな建物がずらりと並び、一階部分に店が軒を連ねている。大通りには多くの人であふれ、何よりずっと話に聞いていた様々な種族が行き交うその光景は感動を覚えるものだった。

 リザ同様、獣のような耳を持つのは獣人族で、その体つきはがっしりとしたものから、かわいらしいうさぎのようなしなやかな体を持つ人間もいた。

 純人族はクラウの知る人間に一番近い姿であった。もちろん着ているものも見慣れないものだし、その髪色や目の色はさまざまだが、地球人が少し派手なコスプレをしていると思えば、妙に愛着のある人種だった。顔つきは日本人というよりは欧米人の彫の深い作りに似ている。


「クラウ様、初めてでわからないことも多いでしょうから、歩きながら少し説明しましょう」

「はい、お願いします」

 クラウの目がこれでもかというぐらいに輝いた―――ようにガルフには見えた。

「通貨は全世界共通でメルと言います。そうですね、この街はそこまで物価が高いわけではありませんので、16歳で独り立ちした子供がもらえる初任給は、大体2万メルから3万メルの間といったところでしょうか」

「それは多いのでしょうか、少ないのでしょうか?」

「まぁ、その辺の価値観は人それぞれですが、決して少なくはないはずですよ。月契約の住まいを借りても贅沢さえ望まなければ生活していくことは十分可能ですから」

「なるほど。大変勉強になります」

 クラウとしてはもっとせっぱつまった暮らしをしているのかと思ったが、そうでもないらしい。職業による差はあっても、初任給で十分やっていけるだけの額をもらえるのならとてもいい街なのではないか。


「まあ、こういったことは実際に目で見て、体験するのが一番です。クラウ様、少し街を回ってみてはいかがですか。千メル渡しますので、これで何か買い物してみるといいでしょう」

「それはダメです。受け取れません」

 クラウがきっぱりと断ると、

「はは、きっとそういうと思っていました」

 と、ガルフはさわやかに笑った。思わず近くを通りかかった女性二人が振り向くほど、その顔は清々しいイケメンでまぶしい。 

 実は先ほどから妙に周りの視線が集まってしまっているのだが、ガルフ本人は全くその視線に気づいていないらしい…。


「ではこうしましょう。このお金はあくまでもクラウ様にお貸しするだけです。いずれクラウ様が立派に稼ぐことができるようになってから返していただければ結構です」

「…わかりました。ありがとうございます」

 そこまで気を使われてしまってはクラウとしても断りづらい。これもいい機会だと思い直し、素直に差し出された千メル札一枚を受け取った。

「私はその間に必要なものをそろえてきますので、一時間後、ここに集合ということでよろしいですか?」

「はい、結構です」

「治安もそこまで悪い町ではないので大丈夫だと思いますが、もし万一何かあった場合はこの笛を吹いてください。この街の範囲ならば、我々エルフの耳は確実にこの笛の音を聞き分けることが可能ですから」

「それは頼もしいですね。わかりました」

 クラウは小さな笛を受け取りポケットにしまうと、さっそく人の流れに交じって歩き出した。



「さて、どこへ行こうか、イア」

 しっかりと隣をついて歩くリアに聞けば、彼女はしばらくあたりときょろきょろと見つめると、あるお店で視線を止めた。


 ―――なるほど、やはり賢いな


 イアが見つめていたのが本屋であることがわかり、クラウは感心したように頷いた。

「よし、あの店を覗いてみよう」

 イアと二人、途中にある八百屋などの様子を覗きながらのんびり歩いていく。その店は角にあるこぢんまりとした本屋だった。

 表に並んだ一冊を手に取って見ると、何か子供向けの絵本らしい。A4版ほどの大きさで厚さも一センチぐらいしかない薄い絵本だ。値段が、これが驚いたことに一冊10メルほど。

「いくら絵本とは言え、安いんだな」

 他にも並んでいる本を取って見るが最高でも30メルほどで、野菜の値段とそう変わらないものだった。


 中に入ると、初老の男性が一人椅子に座って何かの紙媒体を広げて読んでいた。

 ――― 新聞、のようなものだろうか?

 クラウがじっと見つめると、その男性はようやく気付いたように顔をあげた。どうも純人族らしく、至って普通の人間のように見えた。

「おや、いらっしゃい。かわいいお客さんだ」

「お邪魔します。すみません、地図を見せていただきたいのですが」

「地図かい?ほら、そこの入り口の棚だよ。見たところ天人族のようだが、お使いかい?えらいな」

 顔をくしゃくしゃにして笑うと、男性は「ゆっくり見て行ってくれと」と言って再び手元に視線を落とした。

 クラウは言われた通りの棚に近づき、世界地図を一つ手に取って広げてみた。

「…ふむ。ユルグさんが持っていたものと、だいぶ違ってるな」

 やはり100年前の地図と比べると、街の数も、街道の整備もだいぶ違っていた。

「一枚、買うか」

 何も持たずに旅をするのは無防備すぎるかと、クラウは大きな世界地図一枚と、この辺りの詳しい地図を一冊購入することにした。合計で300メルほど。まぁ、妥当だなとクラウはそれを店主の下へと持って行った。

「はいよ、毎度あり。なんだい、旅行でも行くのかい?」

「はい、ミネアヴァローナという街へ行く予定なのです」

「ほう!そいつは楽しみだなぁ。青き水の都、いやぁ~いいね!あの街は素晴らしいところだって、冒険者の間でも評判さ。ほら、楽しんできな!」

「ありがとございます」

 ニコニコと手を振って見送ってくる店主に礼を言って、クラウは再び大通りへと歩いて行った。




 それから数件店を回り、何となくこの街の物価について理解できたクラウは、最初の待ち合わせの場所に戻って来ていた。

「おい、ガーナに行ったって?どうだった?相変わらずか?」

 中央の広場にある噴水のそばに座り、何とはなしにあたりの様子を見ていると、ふと話し声が耳に入りクラウはそばで話す商人のような地人族の男二人を見つめた。

「ああ…、ひどいもんさ。イノヴェア様が亡くなってさらに陰気くさくなっちまって、王はかなりの落ち込み様で城に籠ったまんまらしい」

「無理もねぇな。魔物の襲撃に、嫁さんまで亡くすなんてよ」

「客足も一気に減って、あっち方面の仕事をあてにしてた渡りの連中もこっちに流れてきてるって話だ」


「なぁ、おい…知ってるか?」

「あ?なにをだ?」

 一人がそっと相棒の耳にささやくその声を、クラウはきっちりと拾っていた。




 イノヴェア様の死因、呪いだって噂だぜ――――







「クラウ様、クラウ様…!大丈夫ですか?」

「…はい、大丈夫です」

 怖いほどじっと地面を睨みつけたままのクラウの様子を、戻ってきたガルフが心配そうに見つめていた。

「…何かあったんですか?」

「いえ、なんでもありません。行きましょう」








 その日の晩、初めて異世界の宿に泊まったクラウは、ちょっとしたショックを受けていた。

「…まぁ、ご存知ないのは当然です。里では当たり前でしたからね…」

「……」

 心なしか意気消沈したようにベッドに座るクラウのそばでガルフが慰めの声をかけるが、返事は返ってこない。

「我々だって島に移ってから知った習慣ですし、大陸にないのは仕方ありません」

「……」

「ああ、そ、そういえば、ミネアヴァローナには、確か一軒だけそれ専用の店があったはずです」

「……本当ですか?」

「え、ええ。着いたら、必ず案内しましょう」

「……お願いします」

 クラウは一言そういうと、日課である手紙を書くために紙の束を取り出し、そこに今の心境を書き連ねた。



 かあさま、聞いてください。

 大陸には、お風呂に入る習慣がないそうです――――



 そう、風呂だ。

 日本人なら当たり前の習慣だ。里でもエルフ族は皆お風呂に入っていたのに、何故大陸ではその習慣がきれいさっぱり伝わっていないのか…!?

 一日の疲れを癒そうと、風呂場を探して歩きまわったクラウは、そもそもそんな習慣すら根付いていないのだとガルフに説明され、大変なショックを受けたのだった。代わりに連れて行かれたのは壁に小さな魔法陣が描かれた一メートル四方の小さな部屋で、魔法陣を起動するとそこからお湯が流れ、それで体をきれいにするのがこの世界の常識らしい。さながら自動式のシャワーと言ったところだが、湯船にゆっくりとつかることを期待していたクラウは、なかなかショックだったのである。

 その悲壮な気持ちを手紙にしたためてプーラに預けると、クラウはベッドに上がりイアの横にゴロリと転がった。


「ガルフさん、少し、聞いてもいいですか?」

 反対のベッドで大剣の手入れを始めたガルフに、クラウは話しかけた。

「はい、構いませんよ」

「ガーナという街をご存知ですか?」

「…ええ、知っています。砂漠の街、ガーナ。昼間見たロックマイアンの住処をさらに北上した渓谷の脇にある街です。それが何か?」

「魔物に、襲われたと聞きました」

「……そうですね。ちょうど一年前、クラウ様たちが里を守ってくれたあの襲撃と同じ日です」

「え?」

「あの日、襲われたのはアルフェンの里だけでないのです。同時に、全く同じ魔物の襲撃に遭った場所が、他に6箇所あったんですよ。その一つが、ガーナです」

「それは本当ですか?」

 まさかと、クラウはガルフの方を振り返った。

「ええ…。中でもガーナは、聖導騎士団の護衛が間に合わず甚大な被害を受けたそうです。…無理もありません。あの辺は砂地で、移動にかなり制限がありますから」

「……」

 自分達以外にあの無慈悲な襲撃に遭っていた人がいたとは知らず、クラウはじっと天井を見つめて考え込んだ。

 初めて見た、魔物という生き物。記憶に残るその異様さはなかなか強烈で、忘れられるものではない。彼らは何故あれほどまでの敵意をもって生きているのだろうか。


「魔物は、何故人を襲うのですか…?」


 クラウにとって、魔物という存在がいまいちわからなかった。何のために生まれ、何故、人を襲うのか―――




「…今朝の話の続きをしましょうか」

 ガルフは大剣を壁に立てかけると、静かに話し始めた。



「4つの領域の内、二つは説明しましたね。<精霊界>と<地上界>。3つ目の領域は、地下にある<深層界>と呼ばれる領域です。いわゆる地下世界のことを指し―――ここは影魔えいまと呼ばれるものの領域です」

「影魔?魔物とは、違うのですか?」

「全く違います。彼らは聖獣同様、深層界で縄張りを張ってお互いに干渉しないようにいきています。とはいえ、聖獣よりも気性が荒く、縄張り内に足を踏み入れただけで攻撃してくるものも多いので、人間もむやみには近づくことはできません」

 もっとも、影魔が住むのはそれこそ深層界のずっと下層の方で、地上に近い上層にはほとんど姿を現さない。以前は人間と領域を分かち合っていたとされる文献もあり、その証拠に地下遺跡が世界のあちこちに残っているが、その姿を実際に見たものはいないとされていた。


「そして最後―――これこそもう伝説の域の話で、根拠も証拠も全くない話ですが…、深層界をずっと深く降りた先には、ある境界線が存在するそうです」

「境界線?」

「はい。最もそれがどんな形で、どんなふうに存在するものなのか人間は知りません。古い歴史書によれば、人はその境界線を、ゼロ・ラインと呼んでいたそうです。そして境界線を超えた先、世界の最深部にあるのが<始界しかい>―――


 別名、ダグス・ローゼと呼ばれる領域です」


「ダグス、ローゼ…?」

 

「始まりの世界。そこがどんな世界で、どんなものが生きているのかも何一つわかっていない領域―――まぁ、ほとんど伝説に近い話ですね。覇王ですら、深層界の中腹であきらめ、ゼロ・ラインを超えることができなかったといわれるほど、<始界>は未知の領域なのです」

 それこそいろんな冒険者が怖いもの見たさに地下へと入っていくが、ゼロ・ラインどころか、地下の遺跡を抜けることすら適わずに終わる人がほとんどなのだ。人とはそれほどまでに弱い生き物であった。




「先ほど、何故魔物は人を襲うのかと言いましたが…。これまで話したように4つの領域で、それぞれの縄張りとルールによってこの世界は成り立っているのです。精霊、聖獣、人間、そして影魔。皆、その領域での決まりを守り、互いの共存を保ってきたのです。しかし、魔物は違います」

 それは、世界の掟からはみ出た異分子。

「魔物に縄張りという意識は存在しません。奴らにとって共存などという考えも、慈悲や情けの感情も一切ない。ただあるのは、生ある者に食らいつきその血肉をすすることだけ。それが奴らのすべてなのです」

 ある種の執着と言ってもいいほどの異常性。そこが誰の縄張りでも関係なく、目に入った命を狩り、生を奪いに行く。


 それ以外成り得ない、決められた人の『敵』―――

 どこからきて、何のために存在するかなど考える意味もないほどに、絶対的な『悪』でしかないのだと人は言う。


「今では地下遺跡はほとんど奴らの巣窟となってしまっていて、以来、ずっと人間はその領域を取り戻そうと頑張ってはいますが、まぁ、あまり芳しくはありませんね。ここ数百年の間で、もう我々人間が行き来できる領域ではなくなってしまったのです」

「そんなに強い魔物がいるのですか?」

「ええ。地下に行けばいくほど魔力の濃度も濃くなりますからね。必然的にそこに住む魔物も、比例して力が強くなる。実際、人は地上に近い上層の魔物を排除するだけで精いっぱいなのです」



「ガルフさん…」

「はい?」

「本当に、その存在に、意味はないのでしょうか…?」



 クラウはやはり納得できなかった。

 実際に魔物と対峙した時、自分と仲間の命を守ることだけで精一杯で、結果その命を奪ったのはクラウ自身である。それを悔やんでいるわけではないし、誰だって自分や大切な命を他には変えられない。

 しかし、たとえどんなに醜くても、どんなに弱くても、どんなにちっぽけでも、命をもって生まれてきた以上、そこに何かしらの意味があってしかるべきではないのか。

 生きる過程で「悪になる」ことはあっても、「悪そのもの」として生まれる存在があるのだろうか。

 ただの偽善と甘い戯言でしかないのかもしれない。それでもやっぱり、クラウは納得できなかった。


「さて、どうでしょうね…。少なくとも私にはわかりません。私が生まれるずっと前から、奴らは『敵』として存在していたのです。…仲間の命を奪われたことだって何度もあります。奴らに、『悪』以外の意味を見つける意義があるとは、私には思えません」



 すべての話を聞き終え、クラウは、一人そっと目を閉じた。

 そして思う。


 それは『考える意味がない』のではなく、

 ただ、『悪』以外の意味を知ることを、人間が拒絶しているだけなのではないかと―――



 眠りに落ちるクラウの脳裏に、あの日見た、呪魔の異様な姿が浮かんで消ていった。







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