10 新天地
一章の登場人物紹介をめっちゃ簡単に書きました。出てくる人が多いので、今後の参考にでもどうぞ。二章分はまだ後日…。
それは、長年の疑問だった。
「こんな…、信じられません」
クラウは唖然とつぶやいた。
アルフェンの里を出発してから、森の外で待っていたガルフ・レノ兄弟と合流したクラウとイアは、数時間かけて荒れ地を横断し、里からずいぶん離れた島の西側へと来ていた。
そのままガルフの案内の元、無理やり切り取られたかのような絶壁の崖下にできた洞窟に入っていくと、目の前に現れたものは想像をはるかに超える素晴らしい代物であった。複雑ながら綿密に計算された正確さをもって成り立つ、高度な設計図と言ってもいいかもしれない。
「本当に、なんて素晴らしいのでしょうか」
「……これを素晴らしいと言えるその頭の方がどうかしてるぜ」
興奮しながら感嘆の声を上げるクラウの隣で、レノは理解できないと言いたげに首を振った。
「俺はこういうのを見ると頭が痛くなるけどな」
「何故です?ここまで精巧な魔法陣を人が創り出せるなんて…。とても信じられません」
そう、魔法陣。
クラウ達が入った洞窟はとても深く続いていて、下り坂の道をたどっていくとその先には一際大きな空間がぽっかりと広がっていた。薄暗い中、まぶしい光を放ちながら輝いていたのは、その地面いっぱいに描かれた何重にも重なる巨大な魔法陣だったのである。
クラウがずっと疑問に思っていたこと――ガルフやハンス達がこの島と外の大陸をどのように移動しているのかということ。
その答えが、今目の前にあるこの巨大な魔法陣なのだ。
その名も、転移魔法陣―――
今ではもう想像できる人間はいないと言われるほど古い魔法陣で、長年旅しているガルフですらこの島以外で目にしたことがないという。それほど貴重なものが何故この島にあるのかはわからないが、島に移住して以来100年の間ずっと使用させてもらっているそうだ。
海に囲まれたこの島は本大陸とは数千キロ離れていて、さらに島の周りは絶海と呼ばれる危険水域が広がっているためとても船では渡ることなどできない。もちろん飛行機がないこの世界で、この距離をどうやって行き来しているのか。きっと何か特別な魔法が関連しているのだろうとクラウはひそかに予想していたのだが、よもやここまで素晴らしい代物だとは思っていなかったのだ。
クラウは洞窟の隅から隅を歩きまわり、細部までもらさず観察した。するとどこかで見たような文字の配列を見かけ、しきりに頷いた。
――― あの石板と同じだな
巨大な魔法陣の隅に描かれたものは、以前ルカに案内してもらって見つけた石板に書かれていたものと全く同じで、空気中の魔力を一度結晶石に集めているらしい。やはりその属性はクラウの知らないもので、色は黒だった。これに驚くなと言う方が無理な話である。
「この四つの石碑のようなものはなんでしょう?」
魔法陣を取り囲むように四隅に設置されているものを、クラウは至近距離でまじまじと観察した。それはクラウの倍近い大きさの石で、表面には不思議な魔法陣が描かれていた。
「石碑から一つ選んで、そこに描かれた魔法陣を起動すると、転移先の場所を指定できるのです」
「場所の指定?」
ガルフの言葉にクラウはさらに驚いた。
―――― そんなことまで可能なのか…!
そりゃこれだけ複雑な式になるはずだと納得する。しかもこの規模の術式を一切の破綻を起こさずに正確に作り上げるその技術はまさに神の所業で、見れば見るほど美しい魔法陣であった。
「しかし、これをどのように起動するのですか?」
電源はすでにオン状態になっているらしいが、見たところ端の方がまだ光っていない箇所があるのだ。ということは、魔力を自ら操作して起動させる必要があるということ。しかし本筋の魔法陣には結晶石が組み込まれていないので、この不思議な黒い属性の魔法陣を操作できる人間は、この場にいないことになる。
「いえ、我々が実際に魔力を操作する必要はないのですよ」
「え?ではどうやって…」
ガルフの言葉に、クラウは振り返った。
「まぁ、俺も詳しいわけではないですが、クラウ様は魔法陣に必要な設定が何かご存知ですか?」
「設定?」
「はい。魔法陣には必ず設定しなければならない条件が三つ存在します」
「それは…、属性と詠唱、循環の法則ですか?」
魔法陣の一番真ん中に設定される基本構造の三つだ。
「さすがですね、その通りです」
「しかし、それと操作の必要がないのと、どういった関係が?」
「この魔法陣の一番特殊な部分はその三つの内の詠唱部分です」
「詠唱?」
「はい。我々人間が魔法陣を扱う場合、起動時に必ず詠唱が必要だと言われています。一般的に使用されているのは、そうですね…、アストレア<展開>、ブレ<解放>、テスタ<開始>といった簡単なものですが、本来なら詠唱の言語はものすごい数と組み合わせがあるそうです」
しかし、使われている言語はそもそも精霊のものであり、人には解読できないものがほとんどらしい。
ガルフの話を聞いたクラウは、改めて魔法陣の中央部分を観察した。
属性はやはり石板と同じ文字で、黒い魔力――おそらく『闇属性』を意味しているのだろう。魔力の循環法則は空気中の魔力を使うベステ<生成>に指定されている。そして詠唱は―――
「…なるほど、これは複雑ですね」
明らかに文字数が可笑しいことになっていた。とても解読などできそうもない。
「正直、私もここまで複雑なものは見たことがありません。言葉にすると意外と短いんですがね、この魔法陣の詠唱に使われている単語は、私が生きてきて初めて聞いたものばかりですし、当然その意味も知りません」
あのガライアスですら、これほど高度なものは見た記憶がないと言うぐらいだから、かなりの代物だろう。
「魔法陣とは本当に奥が深いものなのですね」
「深すぎて、我々の手には負えませんが…。まぁ、あまりここで時間をかけるのも得策ではありませんので、実際に起動してみましょうか」
ガルフは緩やかに笑みを浮かべながら魔法陣の中央へと立った。そしてレノとクラウにもそばに来るように言った。
「予定の行先はミネアヴァローナに一番近い西の地点なので、右の石碑を選択します。この選択も詠唱に含まれるので、いちいち石碑の前に立って起動する必要はないのですよ」
「……」
――― 便利だな…。
機械と比べるとどちらが便利かなど断言はできないが、魔法というものがここまで優れた物とは思わず、クラウは感心する以外できなかった。
「起動されたら一瞬で転移します。少し平衡感覚が狂うかもしれませんが、あわてずゆっくりと呼吸を保つようにしてください」
「はい」
クラウがしっかり頷くのを確認してから、ガルフはそっと手を前方に翳した。
「我、その真価を願うもの。フェルス・ネア・ダグス・イルメイディア・リ・ライトネル」
詠唱が終わると同時に一瞬で魔法陣のすべてが輝きだし、あたり一面に光が満ちた。
あまりのまぶしさに、クラウは思わず右目を手で覆った。
――― す、すごいな…!
その感覚をどう表現すればいいのか。
一番似ているのはエレベータで高層ビルの最上階から一気に一階まで下りる感覚だろうか。
一瞬の浮遊感と、落下するような足元がおぼつかないぞわりとした感覚。
そのあとは強力な磁石に引き付けられるかのように、身体が何かに引っ張られるように感じ、クラウは咄嗟に隣のイアの身体を抱き寄せていた。
時間的にはほんの数秒の出来事なのだろう。
体感的にはもっとかかったように思うが、気づけばクラウとイアは暗い洞窟の中ではなく、燦々と光が降り注ぐ空の下に立っていた。
「あ!隊長、レノさん、お帰りなさいっす!」
一人待ちぼうけを食らっていたサイルスが、待ちかねたように笑顔を浮かべて立ち上がった。
「おう、サイルス。守備はどうだ?」
「まずまずっすね。わぉ!クラウ様、ほんとに来ちゃったんすね!!!」
「わざわざ迎えに行ったんだから、当たり前だろ」
大げさに声を上げるサイルスに、何をそんなに驚くんだとレノは呆れたように言った。
「そうっすけど…。ほんとに大丈夫なんですか?まだ子供じゃないですか…」
「…しょうがねぇだろ、ジジイも兄貴も、アリーシャまで許可したってんだから」
ひそひそと交わされる二人の会話は、しかし、クラウの耳には全く届いていなかった。
「すごいな…」
―――― これが、『世界』
クラウは、見えた景色に圧倒された。
移転した先はどこかの山脈の頂上らしい。標高がどのくらいか分からないが、クラウの目にはどこまでも続く雄大な大陸が映っていた。山脈のふもとは荒れ地とは違い、鮮やかな緑の草原が広がっている。その向こうには泉らしき青い水のきらめきが見え、さらに奥、あれは集落だろうか。森と森の間に建物らしきものがあり、数頭の家畜のようなものが動いている様子がわかった。
そして、さらに遥か彼方―――
いくつもの山を越えた先にあるのは、蒼い空の中に浮かぶ島だった。
「あれは…」
「あれこそが天人族の領土。天上の国、ルクセイアです」
いつの間にか隣に立っていたガルフがそう教えてくれた。
「ルクセイア…」
「ええ。アリーシャ様の故郷ですよ」
「……」
――― あれが、かあさまの…
妙な気分だった。
アリーシャの故郷云々というより、「浮島」という地球ではありえなかったその存在にただ驚き、この世界の神秘を見せつけられたような気分だ。これまで自分が持っていた常識を覆す、『異世界』という曖昧な、しかし確かな現実。
――― 不思議だな
この異様な景色に驚くと同時に、どこかでひどく懐かしさを感じるのはなぜだろうか。はじめて訪れた場所なのだから当然見覚えがあるわけではない。しかし、どの世界でも変わらないものがあるのだと知る。
空の色、水の色、木々の色。
懐かしさなどという場違いな感情を持つのは、地球のそれと何一つ変わらず存在する自然にどこか安堵の気持ちを抱いたからかもしれない。
「クラウ様、出発しましょう」
「はい」
呼ばれ、クラウはガルフを振り返った。
予定では今日はもう近くの拠点で休むことになっていたので、クラウはガルフにつれられるままに山脈を降りて行った。
*****
「なんだこれ!?めちゃくちゃうめぇな!!!」
「……」
夕食を食べながら叫ぶレノを前に、クラウは顔をしかめた。口の中が空になってから喋ればいいと思うのに、どうにも行儀がよろしくない。レノが何か喋るたびに、前の席に座るクラウの方へとご飯が飛んでくるのだった…。
そこは、頂上から一時間ほど降りた山の中腹にある小さな拠点で、一行はクラウが作った夕食を囲んでいた。
拠点と言っても小さなテントらしきものを張ったとても簡易なもので寝るスペースしかない。よって食事は必然的に外でたき火を囲んで食べるスタイルなのだが、クラウはこれからしばらくガルフ達に世話になることに対するお礼をしたいと思い、自ら食事の用意をすると申し出たのだ。
材料も器具もそろっていないこの状況では大したものは作れないが、幸いなことにガルフに聞けばお米とお肉があると言うので、炊き込みご飯を作ってみたのだ。もちろん、出汁はちゃんと粉末にして持ち歩けるようにしてあるので、それをさっとお湯に溶かすだけでできてしまう。
さらに、クラウは借りた鍋が余り炊飯に適していないことに不満を感じ、ならば一つ作ってしまおう!と、粘土質の土と銀硝石と呼ばれる鉄に似た鉱物で飯ごうもどきを作ったのだった。
キャンプの経験は誠吾時代の小学生以来だが、なかなか覚えているもので、特に問題もなくクラウ特製の炊き込みご飯ができあがったのだった。
「うまっ!こんなうまい飯、久しぶりっす!」
レノの隣に座ったサイルスも大満足らしい。食の進み具合が半端なかった。
「なんだ、サイルス?てめぇ、昨日俺が作った飯がまずかったって言ってんのか?」
「レノさんのは料理って言わないっす。だいたいいっつも同じ肉の丸焼きだけだし、いい加減飽きたっす」
サイルスはさわやかな顔に似合わず、思うことをずけずけというタイプらしい。遠慮なしにレノに文句を言うその顔は、本当に不満だったらしく、うんざりしたように歪んでいた。
「おお、いい度胸じゃねぇか。なら今度から食事はサイルスの担当な。これ、自分でも作れるようにクラウからちゃんと習っとけよ」
「えーー!?それは横暴っす!食事当番はちゃんと交代制なんだから、レノさんも覚えるべきっすよ!」
「俺がぁ?んーーーーー」
レノはじっとご飯が盛られた器を掲げ睨みつけながら唸った。
何もそこまで難しい手順はないので誰でもできるだろうとクラウは思っていたのだが―――
「無理だな」
と、レノは考え抜いた末にそう言い切ったのだった…。
「うわ、最初っからやる気がないだけじゃないっすか…。ていうかもう肉の丸焼きだけとか、ほんと無理っすよ」
「あ?なんでだよ?肉、最高じゃん」
「そりゃあ肉はうまいっすけど…」
「ならいいじゃねぇか」
肉至上主義のレノにしてみれば、不満などないだろうと言いたいらしい。しかし、人は大半が「飽き」を感じる生き物だ。毎回同じではさすがに嫌気もさすだろうと、クラウはサイルスに同情した。
「レノ、お前は作業が面倒なだけだろう。器用なんだから、やろうと思えばできるはずだ」
クラウの隣に座ったガルフが静かにたしなめると、レノはけだるそうに兄を見つめた。
「んー、そういうのはほら、向き不向きっていうかさぁ」
「向いているかどうかは本気でやってみてから言え」
「えー、必要ないじゃん。兄貴得意だし、兄貴が覚えりゃいいじゃん。俺、兄貴の作った飯、好きだし」
「…そういうことではない。面倒なのは皆一緒だ。だからこそ平等であるべきなのだ」
「ふーん。あ!なぁなぁ、この間のさ―――」
もう話題に飽きたのか、突然話を変えたレノに、ガルフは軽くため息をついて見せただけであとは黙って聞き役に徹していた。弟の言動には慣れたものらしい。
「…ほんと、この二人が兄弟とか信じられなくないですか、クラウ様」
サイルスに話を振られ、クラウは改めてブランド兄弟を見つめた。
どちらも相変わらずのイケメンで見た目は結構似ている部分があると思う。付き合いの浅いクラウには性格まではよくわからなかったが、言動から推測するに、ガルフはなかなかきっちりした性格なのに対し、レノはあまり細かいことを気にしない性格らしい。
「兄弟というものがどういったものか分かりませんので、何とも言えませんが。家族は多い方がいいと思います」
「クラウ様一人っ子ですもんね~。俺は姉貴が三人いるっす、あ、クラウ様知ってます?」
「はい、何度か一緒に作業させていただきました」
繁殖能力が低いエルフ族の中では極めて珍しいレイナドール三姉妹はとても仲が良く、何かとおしゃべりが好きでにぎやかな三人だ。クラウも時々収穫作業でお世話になったことがあるが、とにかく三人集まると話が尽きることがなく、クラウは終始その話声をBGMに作業したものだ。
「ま、姉ちゃん達とはすごい年が離れてるんで、あんまり一緒に暮らした記憶はないっすけどね。でもやっぱり、たまに会うといいもんだなって思うッすよ」
ニッとあどけなく笑う顔は、なるほど、長女の笑った顔によく似ているなとクラウは思った。
「なんだお前、恋しいんなら、いつでも帰っていいんだぜ?サイルスちゃん」
レノがにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「あ、またそういう意地わるいこと言う!顔は良いんだから、その性格、直した方がいいっすよ」
「ああ?わかってねぇな、お前。だからお子様っていじられんだよ」
「えー…、なんでっすか?素直で優しい人の方がモテると思うッすけど…」
納得いかないようにぶつぶつ言いながら夕食を再開するサイルスは、仲間内で一番年が若い所為か、何かと仲間からいじられることが多いようだ。もともと持っている末っ子気質が影響しているのかもしれない。
エルフというきれいな顔立ちと不思議な無邪気さが相まって、笑うと本当に子供のように見えるが、若いうちでもれっきとした戦士なのだから見た目ではわからないものだ。
レノとふざけ合いじゃれるその姿を見れば、コモルを失った悲しみからだいぶ立ち直っているようにみえる。少なくとも、クラウにはそう感じられた。
里では終始泣いている姿しか見ていなかったが、こうして再び笑えるようになったのならもう心配ないだろう。相棒を失ってからはずっとレノと行動を共にしていたようで、口ではあれこれ意地の悪いことを言われながらも、いろいろ支えられ励まされてきたはずだ。そういう意味ではガルフ同様、リーダー的な素質がレノにもあるのかもしれない。
「…ところでよぉ、その真っ黒いの、イア?っていったっけ?そいつは聖獣だよな?」
クラウがイアの口元に甘いヴィオレットの実を運んで食べさせてあげていると、レノが不思議そうに聞いた。
「もちろん、ルカの妹なので聖獣ですよ」
「はぁ!?」
「ええ!?ルカ様の!?」
「ゴホっ……そ、それは本当ですか?クラウ様…」
「?言ってませんでしたか?」
「聞いてねぇよ…」
きょとんとした顔で首を傾げるクラウの様子に、大人三人は驚き、苦笑いを漏らす。特にガルフは思わずむせてしまうほどの衝撃だったらしい。
「はぇー…、ルカ様にも兄妹がいたんっすねぇ。あんまり似てないっすけど」
「人の兄弟という関係とは少し違うのだと言っていました」
「ふーん。…で?何で一緒についてきたんだ?」
不思議そうにイアを見つめるレノに、クラウはことの成り行きを簡単に説明した。
「愛されてるっすね、クラウ様」
「……」
まぁ、多少過保護ではあるが…。
「その首の怪我は?結構ひでぇな」
「痛そうっす…」
「詳しい事情は知りませんが、だいぶ昔に負った傷だとか。もう痛みはないようですが、この傷の所為でイアは喋ることができないようです」
言いながら、クラウはイアの汚れた口元を拭いてやり、また新しい実を取ってあげた。
「………。まぁ、そもそも契約してない聖獣の言葉を理解できる方が可笑しいんだけどな」
「確かに…」
レノのもっともな意見に、サイルスもガルフも苦い笑いを浮かべた。アリーシャ同様、やはりこの子供も特別な星の下に生まれた人間なのだと、三人は改めて思い知らされたのだった。
「ルカ様の妹ってことは、やっぱりイア様も聖獣界での王族になるってことっすか?」
「それはどうでしょうか」
人間社会の常識で考えればそうなるだろうが、聖獣の世界が同じとは限らない。
「そもそも彼らの世界では、長い時を生きるものほど尊ばれるようですし。ルカが言うには、人ほど序列というものにこだわらないとか」
「へぇ~、ん?じゃあ王を名乗るルカ様って、何歳になるんっすか…?」
「少なくとも3000年は超えているようですね。実際はもっと長生きしているはずですが」
「3000!?ガライアス様より、全然長生きなんすね~」
妙に感心しているサイルスは、比べる対象が可笑しいことに気づいていないらしい。そもそも、人と聖獣では、肉体という概念においてずいぶんと違いがあるので、考えるだけ無駄なのである。
「…さて、そろそろお開きにしよう。見張りはレノ、俺、サイルスの順番で二時間ずつ交代だ」
「うーっす」
「了解っす」
ガルフの言葉に、他の2人は素直に返事を返す。気づけば夜も深まり、山のうえということもあり気温が下がってきていた。
「クラウ様も早めに休んでください。明日は早朝から出発です。だいぶ距離を歩くつもりですので」
「はい」
頷き、食器を片づけると、クラウはイアを伴いあてがわれたテントの中へ入っていった。
しかしまだ寝床には入らずにごそごそと自分のリュックを漁り、そこから紙の束と羽ペンを取り出すと徐に文字を書き連ねていく。
「クラウ様、何しているんですか?」
しばらくして入ってきたガルフは、すでに寝ているかと思っていたクラウが何やらやっている様子に首を傾げた。
「ちょっと、かあさまに手紙を書いていたのです」
「手紙、ですか?何かアリーシャ様に用事でも?」
「いえ、毎日手紙で様子を知らせるとかあさまと約束したので」
「…毎日?」
予想外の言葉に、ガルフは戸惑ったようにクラウを見つめた。
確かにバイハルンドならば手紙をアリーシャの元まで運ぶことは可能だが、さすがに毎日往復させるのは無理である。バイハルンドがどれだけすぐれていても、人間のように魔法陣を起動して移動するわけにはいかないのだ。この距離を飛び続け、一日で移動することは不可能に近い。
しかし、クラウは特に気にする様子もなく、したためた手紙を丁寧に折りたたむとガルフと向き合った。
「心配無用です。あらかじめ手紙を運んでくれるように頼んでありますので」
「頼むって…、誰にですか?」
「ちょっとした伝手で、紹介してもらったのです」
「????」
「プーラ、君の出番だぞ」
クラウの言葉を理解できない様子のガルフよそに、クラウは軽く笑みを浮かべてそっとささやいた。
すると次の瞬間、ぼわっと空間に穴が開き、そこからプーラがふわりと飛び出しクラウの目の前に現れた。呼ばれて嬉しいのか、ニコニコと笑みを浮かべながらくるりと踊るその姿は、相変わらずとてもかわいらしかった。
「さて、今日から頼んだぞ。これをかあさまに届けてくれ。もし眠っていたら、無理に起こさなくていいからな。枕元にそっと置いてくれ」
クラウが手紙を渡すと、プーラは了承したと頷いてから空いたままの空間に戻って行ってしまった。
「い、今のは…?」
「空間をつかさどる精霊です」
「ま、まさか、精霊と契約を…?」
自分で言ってあり得ないとガルフは首を振った。加護付という特殊な人間以外、この世界で精霊と契約できる人間などいないはずだ。
だが、クラウはその常識を平然と乗り越え、軽くうなずき返した。
「ええ。彼女の望みをかなえる条件で、手紙を運んでもらうように契約したのです」
「……」
絶句するガルフをよそに、クラウは淡々と説明した。
「ミミモンドの知り合いで助かりました。素晴らしいことに、彼女は移動に関する制限もリスクも一切ないようなので、こちらとしてもとても助かります。もっとも、運べる重量には限界があるようで、生身の人間を運ぶことは不可能らしいですが」
「はぁ…」
「やはり簡単に移動できるのは彼女が肉体を持たない精霊だからでしょうね。空間を横断するとなれば、物質にかかる負荷が相当量あるはずですし、下手をすれば形を保てなくなることもないとは言い切れません。空間を渡って出てきたら、手がなかった…なんて悲惨な結果にならないとも限りませんし」
「………」
真面目に聞いていたガルフの顔が、若干青ざめていくことにも気づかず、クラウはぶつぶつと一人世界に入り込んでいた。
「その点で言うと、今朝の転移魔法陣は大変優れた物ですね。やはりあの魔法の属性に何か秘密があるのでしょうか。闇属性は扱える人間がいないという話ですが、とうさまは一体どこでその知識を手に入れたのか。…ああ、大丈夫ですよ、ガルフさん達が話せないことは十分わかっていますし、その辺は自分で調べるつもりですから。となると、やっぱり都市部の…」
「………」
こんな風に自分の世界に入り込むクラウの姿は、里の者たちしてみれば慣れたものであるが、さすがに付き合いの浅いガルフには衝撃が強すぎたらしい。ひとしきりつぶやいてから「ではおやすみなさい」とイアと共に寝床で丸くなるまで、ガルフはただただ唖然と突っ立っていたのだった…。
翌朝、クラウは日の出前に目が覚めると、その場でうんと伸びをした。
「おはよう、イア」
『……』
隣で顔を起こしたイアの頭をなでてやると、気持ちよさそうに目をつぶってされるがままだった。やはり山の上ということもあって空気が冷たく、ローブをまとった状態でも肌寒さを感じたが、隣で眠っていたイアの温もりがあったおかげですんなりと眠ることができた。
辺りを見回すと寝床にはサイルスの姿しかなく、クラウはイアを伴って外へと出て行った。
「おはようございます」
「おはようございます、クラウ様。早いですね」
朝食の準備らしきものをしているガルフに挨拶してから、クラウは少し離れた崖の方に歩いていくと、そこに座って笛を取り出した。
慣れた様子で吹き始める。すると、さっそく空間に穴が開き、昨夜大役を使わされたプーラがニコニコと笑顔で飛び出しクラウの膝へと落ちついた。
その辺にいた小動物もその珍しい音色に集まりだしクラウのそばに腰を落ちつけ、やがてどこからか精霊までもがふっと姿を現しうっとりと心酔した様子で聞き入る様子に、クラウ本人は特に驚くこともなく笛を吹き続けた。
だが、その様子を遠くで見つめていたガルフは一人、自分が見ている光景が信じられず、作業を忘れて見入っていた。
「なんだ、ありゃ…。すげぇな」
いつの間にか薪を拾い終え戻ってきたレノが隣に立ち、同じく呆然とした様子で立っていた。ガルフだって初めて見たときは驚いたのだから当然だ。誰だって今目の前で起こっている光景を見れば、言葉を失うに決まっている。
実際、すごいことなのだが、当の本人は少しも実感がないようで、吹き終えて戻ってきたクラウは、驚き固まる大人を不思議そうにみて首を傾げたのだった。
「どうかしましたか?」
「いえ…。その肩にいらっしゃるのは、昨夜の…?」
「ああ、プーラと言います。これから長い付き合いになると思いますので、みなさんもよろしくお願いします」
クラウがそう言って紹介すると、プーラはくるりと舞いガルフ達の前に浮かぶと、かわいくかしこまってお辞儀をした。
「いや、こちらこそ」
「まじで、これ、精霊かよ…」
同じく礼を返すガルフと違い、訝しげにプーラを見つめるレノは、その存在が信じられないらしい。思わず手を伸ばしその体に触れようとするが、プーラはつんっと顔をそむけて再びクラウの肩に落ち着いた。
『失礼だわ!あの人間』
可愛らしくぷんぷんと怒るプーラの言葉は当然クラウにしか届かないが、チリチリと鳴る小さな鈴の音がどこかあらぶっている感じに聞こえ、ガルフは即座に弟のの非礼をわびた。
「むやみに精霊様に触れようとするな」
「あ?何でだよ、クラウは触ってんじゃん」
「クラウ様は特別なのだろう。…契約したと言っていたからな」
「はあ!?契約って、精霊と素で契約したっていうのか!?」
「……らしいな」
自分と全く同じ感想を持つ弟をガルフは複雑な気持ちで見つめた。クラウが余りにも平然としているので混乱しがちだが、これが普通の反応なのだ。
「クラウ、ちょっとこっち来い」
「はい、何ですか」
怖い顔をしたレノに呼ばれ、クラウは素直に近づいた。
「このちっこい精霊と、契約したって?」
「はい。まぁ、契約と言っても、そこまで大げさものではありませんが。単純に、僕の望みをかなえてもらう代わりに、彼女の望みを僕も叶えるというものです」
当然、クラウの望みはアリーシャに毎日手紙を届けてもらうことである。世界の端から端まであっという間に移動できるプーラだからこそできる、まさに適役である。
「…じゃあ、その精霊の『望み』っていうのは?」
「大したことではありませんよ。彼女や他の精霊のために、笛の音を聞かせてあげることです。僕の命が続く限り一生」
「え…」
まさに絶句。さらりと言われた内容に、二人は言葉を失った。
確かにただ笛を吹くだけなので大した問題ではないのかもしれない。だが、まだ子供の身で安易に一生ものの契約を結ぶのはどうなのかと、大人二人が心配するのをよそに、クラウはけろりとした顔で答えたのだった。
「別に構いません。それでかあさまの安心が買えるのなら、安いものです」
自分がこれからやるべきことに比べれば、笛を吹くことぐらい大した問題ではない。
この先歩む人生、すべての行いの行く着く先は同じところにつながっているのだから―――
一方、アルフェンの里では――――
クラウというかけがえのない宝が欠けて、その寂しさを紛らわせるように久しぶりにルカと共に眠ったアリーシャは、翌朝、目をあけると不思議なものが目に入り、ぱちぱちと瞬きした。
何かまだ夢を見ているのかと、目をこすり、頭を振ってみるが、やはりそれはそこに存在していた。
「何かしら、これ…?」
枕元にある小さな棚の上にそっと置かれた白いものは、ただの紙のように思えた。眠る前は確かに無かったはずだ。ならばいつからそこにあったのか、部屋の一部に溶け込むように静かに存在する紙を手に取って見る。そしてそこに書かれた文字に、アリーシャの顔がくしゃりと歪んだ。
かあさまへ――――
達筆できっちりと書かれたそれは、紛れもなく愛しい息子がかいた文字で、何故ここにあるのかと戸惑う。しかし確かに存在するその手紙の感触に後からじわじわと嬉しさがこみあげ、アリーシャは叫んでいた。
「まあ、どうしましょう…!!た、大変…ルカ、リザ、大変!手紙だわ!あの子から、クラウから手紙よっ!!」
どたどたとあわただしくベッドをおり、手紙を胸に抱いて満面の笑みで駆け出していく。
『……まったく、相変わらずだなあいつは』
一緒に寝ていたことすら記憶が吹っ飛んでしまったのか、自分を置いて出て行ったアリーシャに、ルカはひとつ大きな欠伸をこぼしてから、のっそりと後を追って出て行った。
かあさまへ
いかがお過ごしですか?僕は今、大陸の西側にある山にて、この手紙を書いています。
旅の始まり日。この日、僕がずっと不思議に思っていた謎が解けました。
転移魔法陣というその存在の素晴らしさは、僕の想像をはるかに超え、いつか自分でもこんな風に素晴らしいものを作れたらなと、俄然やる気が出ました。学校では魔法陣専門の学科があるそうなので、その道に進むのも楽しいかもしれません。
そして、初めて見る大陸はとても広く、美しい世界でした。
しかしこの美しい世界の裏で、呪いという暗い影が存在することも事実。まだまだ旅は始まったばかりですが、これから少しずつ、この世界を知っていければと思います。
ところで、手紙を届けてくれた子は、僕が契約したプーラと言う名前の精霊です。彼女にはこれから毎日手紙を届けてくれるように頼んであります。長い付き合いになると思いますので、もし会う機会があったらたまにおやつをあげてください。きっと喜ぶと思います。甘いものが好きらしいので、リザのジューツリップルパイが良いかもしれません。
では、また。
リザ、ルカ、ククリ達にも、よろしくお伝えください。
クラウ――――