6 天命
聖宮『ミシュタリア』の一日は、朝一の祈りから始める。
六聖宮を筆頭に、聖宮に努める聖導師は全員礼拝堂へと集まり、信仰の祈りをささげるのが古くからの習わしであった。ディアナも例に埋もれず聖宮の門をくぐると、中庭に面した長い廊下をゆったりと歩いていた。本日その隣をついて歩くのは同僚のベインではなく、小さな小さな天人族の少女であった。
「キラ、祈りが終わるまでいつもの部屋でしばらく待っていてくださいね」
ディアナが優しく言い聞かせると、その手を握ってとてとてと小さな足を必死に動かして歩いていた少女は、こくりと頷いた。同時に、『チリン』と小さな鈴の音が聞こえる。
「いいですか?決して知らない人について行ってはいけませんよ」
チリンチリン!
「聖宮内ではそんなことないとは思いますけど…、万一と言うこともあります。いいですね?約束ですよ?」
チリン!!
少女が頷くたびに、返事の音が返ってくる。その耳に馴染む心地よい音色に、ディアナはおっとりと微笑み、少女の頭を撫でてやった。
「あなたが正式に私の弟子となる日は、いつでしょうね。キラ」
キラと呼ばれた少女は、それこそ名前のようにキラキラと輝く笑みを浮かべてディアナの胸へと飛び込んで抱きついた。
太陽のように明るいオレンジ色の服に身を包み、大好きな腕の中で微笑む6歳の少女。金に 輝く髪を二つにわけ同じオレンジのリボンで結び、くりくりの碧眼の瞳に背中に生えたちいさな羽。どこから見ても天人の血を引く少女をこの聖宮で知らない者はいない。
―――『ぷはっ!!』
「まぁ、ごめんなさい」
抱きしめたキラの懐から飛び出すようにして出てきた存在に、ディアナはあわてて体を離した。
やや不機嫌そうにふわりと宙へ舞いあがったのは、人とも聖獣とも違う、特別な存在―――キラがこの世に生まれた時からの友人で契約の関係にある、光の精霊、アウラである。
「アウラ様、キラのことよろしくお願いしますね」
ディアナの言葉に、アウラはくるりと舞い得意げに頷くと、慣れたようにキラの腕に抱えられるようにして収まった。コロコロとまるっこいフォルムは、どこかぬいぐるみのようでかわいらしい。大きさも今のキラより少し小さいぐらいで、精霊の中でも小柄な方だろう。しかし、見た目に反し彼は上級の位にあり、その力は六聖宮を超える絶対的な能力である。光属性の精霊ということは当然、結界も治癒も扱え、キラにとってはこれ以上ない守護精霊であり、かけがえのない友でもあった。
精霊の言葉しかしゃべれない、人間の子共。
さらにこの数百年見ることのなかった光属性の精霊の加護を受ける特別な子供。それが、この少女キラ・ウェイクストンであった。
当然聖宮でもキラは一級の保護対象であり、皆大事にその成長を見守ってきた。中でもディアナは目に入れても痛くないほどのかわいがりようで、将来弟子として面倒を見ることをすでに決めていた。
「30分ほどで戻ります」
大聖堂の脇にある六聖宮専用の控室にキラを預けると、ディアナは礼拝堂へと向かった。
聖宮は三つの建物から成り立つ。中庭を取り囲うようにして、南側に大正門と正面玄関があり、北側に大聖堂、東側に聖導師育成のための教育施設、そして西側は主に聖導師たちの私室と研究施設が並んでいる。
天時石で作られた大聖堂の立派な扉をくぐると、その先にはルクセイアで最も神聖とされる礼拝堂が姿を現す。繊細できらびやかな装飾を施された柱が並び、床に敷かれた長い絨毯の先、ご神体として飾られているのは光属性最高位に君臨する精霊神『ゼウラミディア』の石像である。この大聖堂だけではなく、ルクセイアのあちこちに点在する礼拝堂には必ず同じ石像が奉られており、堂内に足を踏み入れた者は皆、最初にその像の前で祈りをささげることが天人族の習わしであった。
ディアナも慣れた動作で祈りを済ませると、すでに席に着いていたベインの隣へと落ち着いた。
「おはようございます」
「ふむ。お前にしては珍しく遅かったな、ディアナ」
いつもなら誰よりも早く来て、祈りをささげる姿を知っているベインは不思議そうに言った。
「ええ、ちょっとキラが一緒だったので」
「キラ?なんだ、来ているのか?ならばいっしょに連れてくれば良かったものを」
「いいえ、それはいけませんわ。一応、聖導師のみの祈りと決まりがある以上、参加させるわけにはいきません」
「構わん、誰も文句など言わんだろう。まだ儀式を受けてはおらんが、あの子は聖導師も同然だ」
「そうはいいますが…。規則は守るためにあるものですよ。あの子だけ特別というわけにはいきません」
「………」
きっぱりとディアナが言うと、ベインは面白くなさそうにそっぽを向いた。なんともわかりやすいその仕草に、ディアナは小さく笑いを漏らした。
なんだかんだ言って自分がキラに会いたいだけなのだ。ディアナ同様、ベインもまたキラがかわいくてしょうがないのだった。
昔々、まだ人と精霊の間でも盛んに交流があった時代。このルクセイアにも多くの精霊が住んでいたが、中でもゼウラミディアは天人の民を深く愛し慈悲を与えてきたと伝えられている。民は長い間彼女を守護神と称え、崇拝してきたが、精霊の姿が次々と消えていく中、ゼウラミディアもある時を境にぱったりとその姿を見せなくなってしまった。
彼女の怒りに触れるような行いをしたのか、それとも愛想をつかされてしまったのか、はたまた別の理由か。あれこれ推察するが、所詮人間には知る術などなかった。
途方に暮れた天上の民は悲観こそすれ、ゼウラミディアへの忠誠の想いを消すことはなかった。その祈りが途絶えることはなく、これまでと同じ信仰心を示すことでいつの日かまた精霊の神と会いまみえる日が来ると信じてきたのだ。
そして、長く光を見失っていたルクセイアに、ある日一人の希望の子が生まれた。
その娘は精霊の言葉を理解し、多くの精霊に愛されるまさに天の子。人々は彼女の存在こそ、ゼウラミディアの化身であり、ルクセイアの希望だと信じて疑わなかった。
しかし―――
聖戦の折り、戦いの最中その行方が分からなくなり、以後誰もその姿を見るものはなかった。
再び落ち込み、光を見失った天人の民の間に、6年前新しい希望が生まれた。
それが他でもないキラ・ウェイクストンである。
人の言葉は喋れないが、精霊の言葉を話し、そして何より光精霊の加護を受けた奇跡の子共として、ルクセイア中がキラの誕生を喜んだ。中でも聖宮の聖導師たちの喜びようは大きく、以来皆が大切に守り育ててきたのだった。
時刻は7時。大聖堂の大屋根に設置された鐘が鳴り響く。
古き格式に従い、聖宮の代表を務める一の宮ギースと、二の宮カエラが左右の扉から現れるのを、聖導師一同は膝を折って出迎えた。
「天にまします光の神に、我らの祈りの声が届くよう、今日という一日の始まりの挨拶をささげます。広く、世界にその慈悲と愛が、ありますように―――」
ギースの誓いに続き、皆が黙祷をささげる。
時間にして一分近く祈りを行ってから、ギースは皆に顔をあげるよう促した。
「さて、今日は何の話をしようかの」
師弟で似てしまうのか、ディアナのようにおっとりと笑うギースは、隣に立つカエラと共に壇上に立ち、ゆっくりと話し始めた。
「皆も周知の通り、今の聖宮はかつてないほど多忙を極めておる。無理もないがのう、過去の悪夢が再びよみがえり、世界に影を落とす今、我々聖導師の力は必要不可欠。種族に関係なく、皆、己のもつ力をその命を救うために使い、世界の脅威から守ってやっておくれ」
偉大な聖導師の言葉に、皆が頭を下げる。
「ほっほ、そういえば、天上の庭のプリセアの花が、今年も見事に咲いたのう。何よりの吉兆の証じゃ。…不安はあるじゃろうが、皆、グレンディス様の力になってやって欲しい。これは我々天人の民だけではない、世界の問題。いろいろ思うところはあると思うが、手を取り合い、未来を明るくする努力を惜しまんでくれ。…はて、ほかに何かあったかのう?」
のんびりと髭をさすりながら、隣のカエラと交代する。
「今年もあと残りわずか。みなさん、気を抜かず己の役目をきっちりとこなし、新しいよき年を迎えられるよう精進なさい。以上です」
「ほっほ、では、今日も一日、万の民に幸多からんことを―――」
二人が壇上を去るまでの間、再び祈りをささげながらその姿を見送り、後は各々の仕事に向かうため皆足早に礼拝堂を出ていく。
ディアナも部屋で一人待たせている子供のもとへ急ごうと席を立ち歩き出したところ、何故かベインも後ろをついて歩いてきた。
「まぁ、ベイン…、あなた確かこれから東へ出向ではなかったのですか?」
「まだしばらく時間がある」
「あら、反対の出口で待ってるのはあなたの弟子じゃないのかしら?あなたを待っているようですよ?」
「あいつはせっかちでならん。少しぐらい待たせておいた方がいいのだ」
「まあ…」
――― 妙な理屈だこと
ディアナは同僚のわかりやすい行動に可笑しそうに笑った。
「ふふ、いやですわ。素直にキラに会いたいと言えばよろしいのに」
「…だれもそんなことは言っておらんだろう。我は、時間があるから控室で少し休憩しようと思っているだけだ」
澄ました顔でそういってディアナを追い越して歩いていってしまうベインは、昔から変わらない。
「ふふっ、誰に似たなんて、言うまでもありませんわねぇ」
やはり長い間一緒にいると性格も似てしまうのだろうか。それとも、似ているからこそ縁があるのか―――
あまのじゃくなところは、師匠であるカエラにそっくりなベインなのであった…。
◇
「グレン様、ルミエナです」
「…おー、入れ」
ルクセイア最上階にそびえたつオルブライト家王城。その執務室の扉をノックした天人族の女性は中からの返事と共に室内へと足を踏み入れた。
「おはようございます」
「おはよう。…相変わらず時間きっちりだな、しばし待て」
室内の奥に鎮座する座席に座り、大量に積まれた書類と睨めっこしていたグレンディスは、就業開始時間ピッタリに現れた自分の部下に少し待つように言った。
ルミエナ・ツェッペラン。
長年、グレンディスの下で秘書を務め、今最も多忙だと噂される天人族の女性であった。
グレンディスと同じ白の軍服に身を包み、終始真面目な表情を崩さず主の指示を待つ彼女はとてもきっちりした性格であった。時間は然り、挨拶、期日、下準備。何においても一切手を抜かない完璧主義な彼女は、どんなに親密になろうと自分と他人の間にきっちりとした境界線を引き、踏み入ることも、踏み入らせることもさせない根っからの仕事人間であった。
「…くそ、何だってこんなに書類が多いんだ?いくらやっても終わりが見えん」
「皆グレン様に期待しておられるのです。これでも少ない方ですよ。さっさと済ませてください」
ぐちぐちと文句を垂れる主人に対し、ルミエナの容赦ない激励が飛ぶ。
「…お前、年々厳しくなるな」
「気の所為では?」
「………。今日の予定は?」
「本日はこれから9時より謁見が5件。そのあと三大公爵様との会合と昼食会、後、サーペンタリアにてザイル様と共に軍法会議にご出席していただきます」
「…それだけか?」
「まさか。そのあと新しく増設した軍事訓練場の視察、それから夕食後にザイル様、聖宮の方々と来月の遠征についての打ち合わせがあります」
「……」
「ちなみに、そこにある書類はすべて期日が今日までですので、空いた時間を使って必ず処理して下さい」
「……」
「それからもうひとつ」
「………まだあるのか?」
「オンドール様より、ご令嬢と共にお食事をご一緒にとのお誘いがありましたが、こちらはとても時間に余裕がなかったので、私の判断で丁寧にお断りさせていただきました。以上です」
「………ありがとう」
よくもまぁこんなにみっちりと予定を組めるものだと、呆れを通り越して感心してしまう。
何も今日だけではないのだ。明日もその先もずっと、グレンディスの予定は半年先までギュウギュウに埋まっているのだから、そりゃ愚痴の一つや二つや三つ、いやここはもう何十という愚痴を漏らしても許されるのではないか。
最もそれに付き合わされるルミエナだって大変だろうに、彼女は決して不満を漏らすことはなかく、いつだって真面目に仕事をこなしている―――何とも優秀な部下だと、グレンディスは改めてルミエナを見つめた。
「なんですか?」
「いや、なんでもないさ。お茶を入れてくれ」
「はい」
それからしばらく、謁見までの時間を書類の片付けに充て奮闘していたグレンディスの下に客が訪れた。
コンコンと控えめにノックされた音に、ルミエナが扉を開ける。
「これはアルマン様…。いかがなさいました?」
「いや、最後に挨拶をと思ってね。だいぶ長居したが、これからローグロゼリアに帰る予定なんだ。時間は取らせないから、少しだけ構わないか?」
「もちろんです、どうぞ」
まさか英雄王の申し出を断るはずもなく、ルミエナは快くアルマンに中に入るよう促した。
「どうした?珍しいな」
「うん、ちょっと”お礼”を言いたいと思ってね」
「……なるほど」
アルマンの含みある言い方に要件を察したグレンディスは、ルミエナにしばらく席を外すように言った。
その背を見送り、扉が完全に閉まるのを待ってから、グレンディスは緩やかな笑みを浮かべて客をソファへ座るよう促した。
「礼など必要ない。お前も大変だな、ジュリアス」
グレンディスは軽くそういってから、にやりと癖のある笑みを浮かべた。
「…やはり、お気づきでしたか。さすがはグレンディス様ですね」
対するアルマン、いや、ジュリアス・ブラックも降参したように口元を緩めて笑った。
「家族以外で、僕と兄上の見分けがつくのはあなただけです」
兄弟、しかも双子なのだから似ていて当然だ。さらに今目の前にいるジュリアスは、着るものから、その仕草、言葉遣い、癖に至るまで完全に兄であるアルマンの真似をしているのだから周りが気づかないのも無理ない話であった。
「まぁ、長い付き合いだからな。ナナやオリヴィアだって会えば気づいただろうさ」
「……そういうものかもしれませんね。ナナキ様は結局、一度もいらっしゃいませんでしたが」
「あいつはなぁ…。堅苦しいのが嫌いだし、きっとうまくキリエを撒いて、一人でほっつき歩いてるんだろう」
「なるほど。実にあの方らしいですね」
ジュリアスがそう言ってくすりと笑う。それはグレンディスがよく知る男の笑みであった。
「ああ、そういえば、ミューラー殿の話では、オリヴィア様はメイロス豚の出産が近いとか何とかで、手が離せないそうですよ」
「…旧友の誘いより、豚の世話かよ。全く、どいつもこいつも…」
アルマンだけでなく、オリヴィアもナナキも代理をよこし、結局グレンディスの呼びかけに律儀に答えて参加したのは、一番若いフェンデルだけ。仲間の性格など知り尽くしているが、さすがに少し寂しいグレンディスであった…。
「それで?アルマンは、結局行方不明のままなのか?」
「ええ…、どこで何をやっているのか。連絡も一切ありませんね」
「…その割には落ち着いてるな?」
どちらかといえばジュリアスの方が兄に執着していたはずなのに、特に心配する風でもなく穏やかな笑みを浮かべているのを、グレンディスは不思議そうに見つめた。
「最初はそれこそ、何としても見つけて無理矢理にでも連れ帰るつもりでしたが、兄上は…。まぁ、とにかく、あの人の好きにさせることにしたのです」
「…意外だな」
「兄上に非は何もないのです。むしろ我々に愛想を尽かせて出て行ったのは当然のこと。それほど、ブッラク家は兄上に対し許されないことをしました」
ジュリアスは己の行動を悔やむように、自嘲の笑みを浮かべた。
「だからお前が身代わりに?」
「はい」
「…まぁ、詳しい事情は分からんが、無理にお前が背負う必要はないんだぞ?」
英雄王という冠の重さはグレンディスが一番よく知っている。いくら自分の兄だからといって、その重責を弟が背負う必要はないはずだ。だが、ジュリアスは首を振り、強く否定した。
「それは違います、グレンディス様。あなただってお分かりのはずだ。何故、あれほどまでに憎み合い、貶し合っていた種族同士がここまでの歩み寄りを見せることができたのか。それは間違いなく、兄上を含め、あなた方5人の存在があったからです」
何故、5人なのか。何故、5人すべてが英雄王でなければならないのか。
天人族のグレンディス、魔人族のナナキ、獣人族のオリヴィア、純人族のリリア、そして、地人族のアルマン。
バラバラの種族5人が集まった意味―――
「いや、”集めた”意味といった方がいいでしょうか?」
「……」
「兄上はよくあなたのことを話してくれました。自分が一番尊敬する人だと」
「…そいつは初耳だな」
思いもよらない話に、グレンディスはこころなしか照れたように笑った。
「…100年前、度重なる戦に嫌気がさしたあなたは、世界を変えるためにひとりで旅に出られた。そして同じ志を持つ仲間を見つけ、共に世界の脅威に立ち向かうことを誓った。その仲間を探す際、あなたはひとつだけ心に決めていたことがあったそうですね。それは、仲間はすべての種族から必ず一人だけ選ぶこと。だから種族の違う5人が、あの日、あの場所に立っていたのです」
「まあ…、必要なことだったからな」
「そう、とても重要なことだったのです」
英雄王という特殊な席の意味。その一人として君臨するものに、自分と同じ種族の人間がいるということ。それが今この世界の均衡を保つ大きな柱であった。
「人の欲は、そう簡単に消えるものではありません。今だって、隙あらばと狙うものは多いのです。そんな今だからこそ、兄上の行方が分からぬことを世間に知られる訳にはいかないのです。もし、知られれば…」
「地人族は発言権を失い、あっという間に失墜する…か?」
「…ええ、その通りです」
だからこそ、たとえ偽物でもアルマン・ブラックという存在が必要なのだと、固い意志をもって言うジュリアスをグレンディスはただ黙って見つめた。
「リリア様の後を継がれたフェンデル様は、まだお若い身で担ぎ上げられたのですからそれこそ計り知れない重責でしょう。しかし、あの方はまれにみる才能をお持ちの方だ。何より加護付で聖宮出身という特殊な身分のお方。誰も敵に回そうなど思わないでしょう」
英雄王の座を受け継ぐにはこれ以上ない人材である。
「それに対し私はしがない商家の二男坊です。兄上のように優れた才もない、平凡な男。いくら姿が同じだと言っても、ジュリアス・ブッラクの名で英雄王の座に就くことは一族の誰も認めないでしょう」
かといって、フェンデルのような後を継げる人間もいない。
だから周りの目を欺いてでもアルマン・ブラックとして振る舞い、ここまで来たのだという。
それが最善の策だからと―――
「今回の招集はとてもいい機会でした。どこから嗅ぎつけたのか、兄上のことを探る無粋な輩に存在を示す絶好の機会をあなたが与えてくださった。そして、すべてに気づいていながら何も言わずに合わせてくれたあなたに、一言礼を言いたかったのです。ありがとうございます」
ただそれだけを言いたかったのだと笑うジュリアスは、すっきりした顔をしていた。
「だったらなおさら、アルマンを連れ戻すべきなんじゃないのか?あいつだって弟のお前に何もかも押し付けていいとは思っていないだろう」
「いいえ。兄上が自分の意志で戻ると決意するまで、私は兄上を演じ続けると決めたのです」
「…お前は、それでいいのか?」
「はい。これは我々地人族の問題。ほかの英雄王様方にご迷惑をかけるつもりはありません。お忙しいのにお時間をいただき、ありがとうございました」
礼の仕方、歩き方ひとつとってもアルマンを真似るジュリアスは、そういって颯爽と去っていった。
――― 礼なんて、言われる筋合ないんだがな。
「…グレン様?」
しばらくしてルミエナが戻ってくるまで、グレンディスは何かを考えるようにじっと窓の外を見つめていた。
ルクセイア最上階。その浮島の一角に、『天上の庭』と呼ばれる庭園が広がっている。「世界で一番空に近い楽園」と呼ばれ、昔は多くの精霊たちの憩いの場でもあった。今ではもうほとんどその姿を見かけることはなく、小さな動物と、白霊鳥と呼ばれるまっ白いクジャクのような鳥が数羽いるだけであった。
時々、ふっとどこからか精霊が姿を出すこともあるが、彼らは皆しばらくじっと庭園を見渡し、以前のにぎやかな頃を思い出しているのか、やがてどこかさびしげな顔で去っていくのだった。
中央に流れる噴水から小川が流れ、両脇には色とりどりの花が一年中咲き誇っている。中でも、年末の14月~15月にかけてさくプリセアの花は、この天上の庭にしか咲かないともて貴重な種類で、精霊神ゼウラミディアが最も愛した花として大切に育てられていた。
天上の庭に面した、日当たりのよい一室。そこは今現在誰も使用するものがおらず、静寂だけが居座っていた。
次の仕事までの間、休憩がてらにとこの部屋を訪れたグレンディスは、がらんとした室内を見回してその懐かしさに目を細めた。
この部屋に人の出入りがなくなってどのくらいだろうか。外壁と同じく、白を基調とした家具が日差しに照らされ鎮座する中、その持ち主だけが足りない。
本来の部屋の主はずっと昔にいなくなってしまい、今ではグレンディスと一部の人間しかここに来るものはいなかった。
ガラス戸をあけて、庭へと出る。
今年も鮮やかな黄色のプリセアが日の光を浴びてあたり一面に咲き乱れるその光景に目を細め、グレンディスはしばらくその場に佇んでいた。
「ここは変わりませんね」
「ディアナ様…!」
突然聞こえた声に驚き、振り返ったグレンディスは、そこに変わらぬ笑みを浮かべて佇むディアナの姿を見つけさらに驚いた。
「どうされました?御一人で、ここまで?」
「ふふ、少し散歩でもと思いまして」
「散歩、ですか…?」
聖宮の忙しさはグレンディスが一番よく知っていた。現に、ディアナは今日の午後にはまた遠征について行く予定になっていたはずだ。その辺の複雑な思いが顔に出ていたのか、ディアナは察したように柔らかな笑みを浮かべた。
穏やかな風に煽られ、白く長い髪がふわりとなびく。
「いえね、朝のあいさつでギース様がプリセアの花が見事だと話題にするものですから、私も久しぶりに見たくなったのですよ」
「そうですか」
「ところで、何かお悩みでもありまして?難しい顔をされていましたけど」
「…おっと、これは変なところを見られてしまいましたね」
よもや見られていたとは思わず、グレンディスは照れたように笑った。
「ふふ、顔のよろしいグレン様のこと。憂い顔も大変魅力的ですが、やはりあなたは笑顔が一番ですよ」
「…それは嬉しい言葉ですけどね。いろいろとあり過ぎて、心に余裕がないのです」
おどけたように首をすくめて言うグレンディスに、ディアナは変わらずおっとりと笑った。
「まぁ、どうしましょう。英雄の王と言われるお方が、そんな弱気でどうします。ねぇ、キラ?」
「キラ?」
チリンチリン。
聞きなれた音と共にディアナの背からこそっと顔を覗かせた子供の姿に、グレンディスは破顔した。
「キラ!お前、来てたのか!」
満面の笑みで駆け寄る子供をグレンはたまらずその腕で抱きとめた。またつぶされては適わないと言いたげに、ギリギリの距離でキラの腕からアウラが飛び出していった。
「なんだよ、来てるなら来てるって言え!」
「まぁ、この子にそれは無茶ですわ」
人語を話せないキラには無理なこと。グレンディスとてそんなことは百も承知なはずなのに、本気で言っているらしい様子に呆れながら、ディアナはまた笑みをこぼした。
「本当に久しぶりだな。一年ぶりか?でかくなって!元気にしていたか?」
チリン!!と一際元気な音が返ってきて、グレンディスはますます恰好を崩して腕の中の身体を抱きしめた。
「今年から学校に通うようになって、聖宮に行ってもお前の姿が無いからつまらなくてな。なのに、学校まで会いに行こうとすると、ルミエナの奴がだめだと怒るんだ。ひどいだろ?」
泣きまねをして同情を引こうとする王を、幼子はきょとんとした顔で見上げ、ぱちぱちとその瞳を瞬かせた。なんとも愛らしいその姿に、溺愛の王はますます頬を緩めて笑う――――彼もまた、キラの誕生を誰よりも喜び、その存在に救われた人間のひとりであった。
しばらく、三人で庭を散策していると、あたりを飛び回っていたアウラが興奮したようにキラのもとまで飛んでくると、何かをささやいた。
頬を蒸気させて話すアウラの言葉に、キラも瞳を輝かせて答える。何やら二人だけで盛り上がり楽しげに話に花を咲かせているが、残念ながら大人二人には会話の内容はわからず、チリンチリンとかわいらしい音しか聞こえなかった。
「なんだ?何か見つけたのか?」
たまりかねたグレンディスが問うと、キラは慣れたように首から下げていた用紙に何やら文字を書いていった。
「白い、きれいな、とり?…ああ、白霊鳥のことか?なんだ、キラはまだ見たことがなかったのか?」
グレンディスの言葉に、名前を知れてうれしいのか、キラはますます興奮したように隣のアウラと言葉を交わし始めてしまった。
楽しげなその会話を邪魔するのも憚れ、グレンディスとディアナはしばらく鈴の音に耳を傾けていた。
「キラは…、学校ではうまくやっていけてるのですか?」
仲のいい二人を遠目に見つめながら、ふとグレンディスが言った。
「…どうでしょうね。あの子は…、やはり人の子といるより、アウラ様と一緒にいる方が楽なのでしょう。話しかければ答えはしますが、まだ自分から話しかけることはほとんどできていないようです」
「…そうですか」
無理もない、と溜息をつく。やはり筆談は時間がかかってしまうものだ。事情を知る大人ならまだしも、相手は同じ子供―――
とても難しい問題であった。
「聖宮ではもう慣れたことですが、一歩外に出れば、キラにとってはなかなかつらい空間なのかもしれません。しかし…、あの子には必要な経験だと思うのです」
この聖宮内だけでは学べないこともある。キラのような特殊な立場の人間ならなおさら、より多くの人との関わり合いが必要なのではないか。そう考えたディアナは、あえて一般の学校へとキラを通わすことに決めたのだ。
「酷なことかもしれませんが、幸い、そばにはリオもいますし…。あの子はあの子なりに、少しずつですが言葉が通じないなりに頑張っているようですよ」
「なら、いいのですが。……ディアナ様は…、キラが、心から幸せだと笑える時がくると思いますか?」
「それは…」
「キラの孤独は、きっと誰にもわからないでしょう。……俺にもキラの言葉が理解できたらよかったのですけどね。姉上なら……」
グレンディスはそこではっとしたように身を固くして、言葉を噤んだ。
「グレン様…」
「いえ、なんでもありません。この話はよしましょう」
いない人間の話をしても意味はないと、グレンディスは首を振った。
「…まだ、”あの方”を探しておいでなのですね?」
「………」
「グレン様は、本当に”あの方”が生きていらっしゃると信じておられるのですか…?」
「…ええ。俺はあきらめの悪い男なのです」
ディアナの問いに、グレンディスは力なく笑った。
プリセアの花に囲まれて精霊とともに笑うキラの姿を見ると、いつも懐かしい姿を思い出す。だが、その度に自分が未練をひきずっている事実を突きつけられ、グレンディスは息がつまったように苦しくなるのだった。
「……よーし!キラ、探検だ!」
チリチリン!!!
「探検」という言葉は、どの子どもの胸にも響くらしい。キラは急げと言わんばかりに手を振ってグレンディスを待っていた。そんな純粋無垢な姿に癒され、王の身分を忘れて走り出す男――――
ディアナはまるで親子のような二人の背をまぶしそうに見送ってから、一人、主のいない部屋の方を振り返った。
部屋の隅に飾れた小さな絵を見つめる。
そこで微笑むのは、天人族の歴史の中で最も人に愛され、人を愛した娘。行方が分からなくなって以来姿を見た者は誰もいないが、ただ一人、グレンディスだけはどこかで生きていると信じ、今もその行方を捜させているのだ。
それこそ何年も、ずっと…。
ディアナはその絵を見るたびに、やり場のない深い悲しみに襲われるのだった。
本当ならば、他人に託すのではなく自ら探しに行きたいはずだ。
しかし、英雄王グレンディス・オルブライトという名が、それを許してはくれない。
民が望む限り、英雄であり続けること。
それが、グレンディスが自らに課した「天命」であり、「贖罪」の形―――
「あなたは、どこまでも罪深い方ですね…」
絵の中の人間に向かって言ってもしょうがないことだと思いながら、つい責めるような言葉を投げかけてしまい、ディアナは一人自嘲気味に笑った。
「なぜ、こんな未来になってしまったのでしょうね…」
生きているのなら、もう一度会いたいと願うことは、罪なのだろうか。
もう絵の中でしか見ることのできないその笑みに、せめてもう一度―――
――― どこにいらっしゃるのですか、アリーシャ様…。




