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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第二章 旅路~ザバル村編
36/140

3  結界魔法



 クラウの日常に新しく加わった時間がある。そう、念願のアリーシャによる光魔法の個人授業である。約束を取り付けてから早一年近く。日々の忙しさと、合間に起こったさまざまな出来事に後回しにされてきたが、アリーシャ自身にも余裕ができてきたのか、つい先月からその特訓が開始されたのだ。

 基本休みなしで働いているアリーシャの事情を考慮して、特訓は夕刻、日が沈む一時間前に行うこととなり、今日はその訓練の日である。


 クラウは早々に泉から引きあげ家に戻ってくると、ルカと共にお馴染みのマナリギの木の下へと座り込んだ。その手には手提げのカバンが一つ。クラウはその中から布きれと裁縫道具を取り出すと、それを地面に広げ慣れた手つきで糸を通し、チクチクと器用に縫い始めた。アリーシャが帰ってくるまでの時間つぶしにはもってこいである。

『お前は最近、何をしているのだ…?』

 ルカは自分の腹に寄りかかって作業をするクラウを胡乱げにみつめた。

「見てわかるだろう?裁縫だ」

『……』

 至極真顔で言われ、ルカは一瞬返す言葉に詰まった。いくら聖獣の王といえども、クラウがやっていることが裁縫だということは百も承知だし、聞きたい答えはそんなことではないのだ。

『…わざわざ何のために、お前が縫物をする必要があると聞いているのだ』

「できる男とは、裁縫の腕も一流なのだそうだ」

『………』 

 またそれか、とルカは呆れた。

 ここ最近何かといえば「できる男」とやらを引き合いに出してくるのだ。質問すれば必ず同じ答えを返し、何一つ本心を明かそうとしない。そんなクラウの様子に、ルカは四六時中一緒にいる所為か、何となくその思惑に気づき始めていたが、できれば自分の勘違いであってほしいと思っているのも事実だった。


 ――― 言ってどうこうなる性格ではないがな。


 誰に似たのか言うまでもないが、頑固さはお墨付きだ。どんなに諭したとしても、この子はきっと、自分の意志を貫き通すだろう。

 黙々と針を布に通して細かい縫い目をつくりあげていくクラウを、ルカはいつものようにただ静かに見守った。


 

「さてクラウ、きょうは前回の復習からよ」

「はい、かあさま」

 仕事を終え、合流したアリーシャの前で、クラウはさっと右手を翳した。瞬時に集まった魔力を光属性に変質し、それを解放してやる。

 瞬間、出来上がったのは3メートル四方の結界だった。

「いいわ、完璧ね」

 相変わらず優秀な息子の出来に、アリーシャはにっこりとほほ笑んだ。

 

 結界魔法の難易度は他の属性の最高位技に匹敵するほどと言われている。それはひとえに、光属性だけがもつ特性に由来するのだが、その辺の理屈をすでに理解しているクラウには難しいものではなかった。

 アリーシャが発動した一度目の結界魔法を見てその性質に気づき、二度目でその本質を理解し、そして三度目には変質から発動の仕方まですべてを習得していたのである。魔力を目でとらえることができるクラウには、言葉で説明するよりも、実際に自分の目で見ることが何よりも習得への近道であった。


「結界の規模を大きくすればするほど、難易度は格段に高くなるわ。なぜかわかる?」

「そうですね。均一さにムラができるためでしょうか?」

「そう、その通りよ」

 100点の答えに、アリーシャは満足げに頷いた。

「結界は何より、力を均一にすることが大事なの。もし一点だけに力が集中してたり、逆に力が弱い部分があると、衝撃を受けた際あっさり崩壊する危険性があるの」

「…しかし、結界の壁が厚い方が衝撃に耐えられるのではありませんか?」

「ん~…、確かに一撃だけ耐えるのならわざと魔力を集めて結界に厚みを持たせることも有効よ。でも、そのあとは?魔力を一か所に集中させれば当然均衡が崩れて、歪みを引き起こす。結果、結界はその形を保てなくなり弱まってしまう」

「なるほど」

 ――― いろいろと複雑なのだな


「結界魔法が何故光魔法なのか、わかる?」

 クラウはアリーシャの質問に「ふむ…」と考え込んだ。

 光属性である理由。それは他でもない、光属性だけが持つその特性にある。

「5属性の中で唯一、粒子と波動の二つの形を作ることができるからです」

「そうね。『魔力を波動の形で現した究極の形』、それが結界魔法だといわれてるわ。でももう一つ、光属性には特性があるのよ」

「もう一つですか?」

 不思議そうに聞き返すクラウに、アリーシャは微笑んだ。自分を見つめるその瞳は真剣そのもので、相変わらず勉強熱心な様子だ。


「もう一つの特性。それはね、光属性が唯一独立した属性だということよ」

「独立した属性…?」

 例えば、火属性は水属性に弱い一方で、風属性とは相性がよく、風の力で威力を増したりする。ほかにも、地属性は水属性と相性がいいが、風属性に耐性があまりない。

 このように4つの属性は他属性の影響を受けやすい性質を持っているが、それに対し光属性は、他属性からの影響を受けつけず、他の4属性よりも上位の位置に存在する。光魔法が一般属性魔法の中で最も強力とされる理由もここからきているらしい。

 しかし、クラウはふと疑問に思う。

「…他の属性の影響を受けないということは、同時に他の属性に影響を与えることはできないことになるのではないでしょうか?」

「……」

 鋭い質問に、アリーシャは一瞬絶句した。

「影響を与えられないなら、結界が光属性である理由にならないのでは…?」

「ええそうね。あなたの言う通り、光属性は他の属性に影響を与えることはできないわ」

「では…」

「けどそれは、あくまで粒子の状態で結界を張った場合のこと。そこで生きてくるのが、最初の『波動』の特性になるの。…わかる?」

「…なるほど。つまり、周期的な光の波が魔力の流れを遮る、と?」

「そう。光属性の魔力が他とは違うことはクラウもよく知っているでしょう?この特別な魔力が作る波動の波は、ぶつかった魔法の粒子の流れを遮り拡散させてしまうの。結果、魔法は形を保てずに消滅する。―――そうね、結界が魔法を弾き返すというよりは、「無効化」に近いかしら。だから魔法は結界の壁を通り抜けることができないのよ」

「…ん?待ってください。では、結界魔法に、結界魔法同様の波動の魔力をぶつけると、それは透過するということですか?」

「…………まぁ、あなたって、ほんとに…」

 一聞けば十を理解するその才に、アリーシャもさすがにしばらく言葉が出てこなかった。一体どこから知識を仕入れてくるのか。クラウの複雑な「事情」をしらないアリーシャは心底感心したように驚き、わが子を見つめた。

「そう、その通りよ。結界魔法は同じ波動の魔力の干渉を受けると穴が開いたりすることがあるの。結界魔法の唯一の弱点と言ってもいいわ。だから、結界を張る際は一度の発動できっちりと仕上げる必要があるのよ」

 一度かけた魔法の魔力が中途半端に残った状態で再度結界を構築しようとすると、波が歪みうまく発動できなくなるのだ。

「だから結界を二重にかけたり、連続して使う場合は十分に気をつけなきゃだめよ」

「なるほど。大変勉強になりました」

「それからもうひとつ」

「なんですか?」

「結界魔法の強さは、その術者の魔力の強さによって決まるわ」


 ―――魔力の、強さ?

 クラウはその言い方に違和感を覚えた。

 これまで個人が持つ魔力量やその操作能力には個人の差があるという記述はあったが、魔力自体に差異があるなどどの本にも書かれていなかったからだ。


「魔力にも、差があるのですか?」

「ええ。魔力の保有量とは別に、その魔力の質って言うのかしら…?ちょっと言葉があいまいかもしれないけれど、例えば、同じ威力の、同じ属性の魔法を二人が同時に放った場合、その優劣をつけるのはなんだと思う?」

「…互角、ではないのですか?」

「普通はね、大した差はでないものよ。でも、位の高い魔術師の方が勝つことがほとんどね。理由は魔力自体の強さが違うから。そうね、ミディやゼーシル達精霊の魔法がとても威力が高いのはクラウも見たでしょう?」

「はい」

「あの子たちは、そもそも持っている魔力の質が、私たち人間が持つものとは違うのよ」

「なるほど」

 ――― そういえば、ルカも言っていたな

 クラウは以前、ルカが精霊は『福音』の有無に関係なく、簡単に結界を通り森と荒れ地を行き来できると言っていたのを思い出し、納得したように頷いた。


「特にその魔力の質の差が顕著に表れるのが、結界魔法なの」

 同じように結界を張っても、その魔法を発動した人間によって強度に差が出るというのだ。たとえば、同一の結界符でも、結晶石の魔力を誰が込めたかで性能が違ってくるというのだ。

 クラウは初めて聞いたその情報に、興味津々で聞き耳を立てた。

「この差が、とても厄介でね。ほかの属性魔法なら圧縮して威力を高めたり、規模を大きくしてその差を埋めることができるけど、結界魔法だけはそうはいかないの。最初にも言ったでしょう?均一さが何よりも重要な魔法だって」

「形が決まっているからこそ、差が出やすいと?」

 アリーシャはクラウの言葉に「そういうこと」と、深くうなずいた。

「魔力の質は生まれた時点で大抵決まっているものなの。だから、努力して変えることはほとんどできないと信じられてるわ。魔術には『才能』が必要だってよく言われるけれど、確かに操作能力も重要よ?でもね、この『才能』って言われる多くの部分は、その魔力の質を意味しているのよ」

「初めて知りました」

「…そうね。世間ではあまり教えないものだからね。あなたが持っている文献にも、ほとんど書かれていなかったでしょう?」

「はい。なぜですか?」

「こればっかりはね、人の目には見えないし、測ることもできないものだからよ。でも…、そうね、魔力をそれだけはっきり目視できるあなたになら、わかるかもしれないわね」

 アリーシャの言葉に、クラウは去年見た異様な存在を思い出していた。

 呪魔。それは明らかに異質な魔力の集合体であった。人が持つ魔力とも、精霊や聖獣たちが持つものとも違う、どこか薄暗い闇が付きまとう、―――もっと「重い」もの。

 そう、「重い」のだ。

 あの時、クラウは呪魔の姿を見て、確かにそう感じたのだ。


「かあさま、一つ、質問してもよろしいですか?」

「ええ、何?」

 クラウはじっと母親の顔を見つめた。


「この世界に、闇属性の魔法は存在しないのですか?」


 それはずっと思っていた疑問だった。

 闇属性。この森を囲う結界魔法陣にもあった黒い魔力の流れ。あれはいったい何なのか不思議だったのだ。大体、ミミモンドをはじめとした闇属性の精霊がいるのだから、闇属性魔法が存在してもいいはずではないのか。

「かあさま?」

「…そうね、ないとは言わないわ」

「存在、するのですね?」

「ええ。でも、今この世界で扱える人は多分いないんじゃないかしら?」

「どういう、意味ですか?」

「うーん、私もあまり詳しくはないのよ。でも、昔聞いたことがあるんだけど、闇属性はとある一族しか使えないかなり特殊な属性らしいのよ」

「とある、一族?」

「そう。その一族ももうずっと誰も姿を見ないから、世界では扱える人間がいないと思われているって…」

「そうなのですか…」

 なら、この森の結界を張ったというルカの主人は、その一族だったのだろうか?

 ――― ルカに聞いても…、答えないだろうな

 命令で口止めされている限り、彼は何も答えてはくれないだろう。クラウはそばで眠る友をそっと見つめたが、彼は会話が聞こえているのかいないのか、われ関せずと言わんばかりに瞳を閉じていた。


「さて、クラウ。話はこれぐらいにして、次の段階に進みましょうか」

「?次の段階?」

「あら、今までのはほんの序の口。結界魔法の神髄は、ここからよ」

 ニッコリと笑って言うアリーシャに、クラウは面食らったように瞳を瞬いた。





「いい?クラウ。今まであなたに教えてきた結界魔法は、あくまでも魔法を防御するもので、物理的攻撃にはあまり効果がないの。わかる?」

「…確かに、そうですね」

 言われてみれば、ここまでの説明はずっと魔法の透過についてだけで、物質を透過するかどうかの話は出ていなかった。

「物理攻撃を防ぐには、単純に物理的な光の壁が必要になるわ」

「…ということは波動ではなく、粒子の形で光魔法の壁を作ると?」

「そいうこと」

 アリーシャは頷くと、さっと手を翳して自分の周りに小さな結界を張った。それはまさしく文字通りの光の壁で、クラウがその手を伸ばしても見えない壁に当たり、アリーシャの身体には触れることができなかった。

「これが物理攻撃を防ぐ結界の形ね。クラウもやってみて」

 クラウは言われた通りに魔力を解放した。こちらは魔法防御とは違い、単純に光の壁を作るだけなので何も難しいことはなかった。

「いいわ、完璧ね。あなたは魔力の質も相当高いから、大抵の物理攻撃は防げるでしょうね」

 自分と同じように光の壁の向こうにいる息子にアリーシャは笑いかけた。しかし、クラウは何か納得がいかないのか、難しい顔をして考え込んでいた。

「かあさま…。ということはですよ?物理攻撃と魔法攻撃を同時に防御する結界魔法は、存在しないということですか?」

 心なしかがっかりしたように言うクラウに、アリーシャは再度くすりと笑って自分の結界を解いた。

「まさか。それじゃ結界魔法が万能だって言われる理由がないわ。あのね、結界には大きく分けて、二種類あるの。今まで教えてきたのは、『包囲結界』。これは役割がきっちりと別れているのよ。物理防御、魔法防御、防音、温度固定、それから、ああ、熱にだけ耐性をもつ結界なんてものもあるわね。とにかく、ある役目にだけ特化した結界を『包囲結界』と呼ぶの。そして、その上位にあるのが、『完全結界』よ」

「完全結界…?」

「本当は教えるべきか迷ったんだけどね…。あなたを見てたら、迷うのもばかばかしくなっちゃったわ」

 アリーシャはそういって笑った。


 本来なら聖宮の聖導師でも、かなりの年月を費やして習得する高位魔法だ。果たしてまだ6歳という幼子に教えることがいいことなのか、アリーシャは長い間一人悩んでいたのだ。だが、実際に間近でその実力を目にし、迷いはとうに消えていた。

 自分と同じ、いやそれ以上の才と質を兼ねそろえたこの子ならきっと―――。


「クラウ、手を出して」

「?はい」

 アリーシャに促され、クラウは言われるままに手を差し出した。

「あなたに宿題よ」

「宿題?」

「ええ。今から私が作るものと、同じものを作って見せてちょうだい」

「同じもの、ですか?」

「そう、『完全に』同じものよ」

 これがいいわね。アリーシャはそういって道端に転がっていた5センチ角の石ころを拾い、クラウの小さな手に乗せた。そして、その上に自分の手を重ね、何かの魔法を発動した。

 数秒後、クラウの掌には、20センチほどのサイコロのような立方体の形をした『何か』が載っていた。その『何か』の中に先ほどの石ころが入っている。

「これは…」

 光の魔法で作られた淡く光る透明な箱のようなものだった。

「普通の、結界魔法のように見えますが…?」

 ――― いや、しかし、何か…。

 すでに自分の思考に入り込んでいるのか、難しい顔をしながら掌を凝視しているクラウを見つめながら、アリーシャは微笑んだ。

「あなたならきっとわかるはずよ」

「はい」

「そうね、一つヒントをあげる」

「ヒント?」

「『囲う』じゃなくて『切り取る』のよ」





「切り取る…?」

 クラウは目の前に置いた光る箱をじっと見つめながら、つぶやいた。

 時間は夕刻、場所は珍しく泉のほとりではなく、オーウェン家の風呂場であった。

 湯船につかり、枠に頬杖をつきながら考えることかれこれ30分ほど。そろそろのぼせそうになる身体を湯につけたまま、クラウはずっと考えていた。思いがけずアリーシャから与えられた「宿題」だが、いまいち何を意味しているのかわからなかった。

 見た目が同じものを作るだけなら簡単なことだが、そんな宿題をわざわざ出すはずがない。

 『完全に同じものを作れ』と、アリーシャは確かにそう言ったのだ。

 その言葉が意味するものとは―――?


「完全結界、か」


 クラウは指先で箱をつついてみた。当然、指は光の壁に阻まれ、中にある石に触れることはできない。試しに桶で組んだお湯を真上からかけてみるが、当然箱の内部に流れることはなかった。おそらく、調合室の棚に施された結界魔法と同じ原理なのだろう。石は完全に光の結界に守られ、物理的干渉を一切受け付けなかった。

 では、魔法ならどうだろうか。

「包囲結界ならば、魔法は防御できないはず…」

 クラウは試しに水魔法で作った水球を箱に向かって投げつけてみた。

 手から離れたそれは、しかし光の壁にぶつかることなく箱をすり抜け風呂場の壁へとぶつかってしまった。

 ―――ふむ。やはり魔法を透過してしまうというということは、包囲結界と変わりがないということか?

 でも、それではアリーシャがわざわざ宿題として出した意味がなくなってしまう。


 クラウはもう一度同じように水の球を箱に向かって投げつけた。

 やはり、球はそのまま箱の向こう側まで飛んで行ってしまった。

「ん?これは…」

 しかし、クラウはあることに気が付いた。

 もしかしたらと思い、今度は先ほどよりも小さな球を、ゆっくりと箱に向かって投げつけてみる。


 すると―――


 水の球は、ふらふらと空中を漂い、やがて光の壁に突き当たると、ふっとその姿を消した。そしてしばらくすると、箱の反対側の側面から姿を現し、やがて風呂場の壁へとぶつかったのだった。

「そうか、そういうことか…!」

 クラウはようやく合点がいき、しきりに頷いた。

 一見、魔法が箱の内部を通り過ぎているように見えるが、実際は箱の内側には「一切干渉していない」のだ。

 クラウは光の箱を自分の掌にのせると、今度は箱の真上から水魔法を滝のように流してみた。やはり、水は壁にぶつかった箇所で途切れ箱の内部に流れることはなかった。当然中の石も一切ぬれていない。しかし、箱を乗せている自分の掌には確かに水の魔法が当たる感覚があり、そこからポタポタと風呂場の床へと水が滴り落ちていた。

 つまり、水魔法は「箱を認識できないまま流れ、クラウの手だけを濡らした」というわけだ。それはまるで、箱だけが「別の次元」にあるような、不思議な現象だった。

「素晴らしいな!結界魔法というのはここまでの性能なのか」

 リザやユルグがしきりに光魔法の特別性を唄っていたのも頷ける。


 ―――囲むではなく、切り取る、か…。


 クラウはヒントの意味がようやくわかったような気がした。

 包囲結界はあくまで空間を魔力の壁で包みこむだけなのに対し、完全結界は文字通り完全に空間を遮断するのだ。

 切り取る。

 それはつまり、「空間ごと切り取り、囲う」と意味なのだろう。

 理屈はまだ完全に理解できていないが、そういうことなのだろうと理解する。

「空間を切り取る、か。やはり、かあさまはすばらしいな」

 規模が小さいとは言え、この完全結界を張るのに全く時間を必要としなかったアリーシャは、クラウが思うよりもずっと優秀な術者なのだろう。ルカも彼女の操作能力はずば抜けていると言っていたし、里の皆も一目置くほどだ。

 自分の母親が認められ尊敬されているのは、クラウとしてもどこか誇らしかった。

「よし、これは完璧に習得しなくてはな」

 こんな素晴らしい魔法を見せられて興奮しないわけがない。クラウは俄然やる気がみなぎり、この結界魔法を完全にマスターしようと意気込んだ。



 それからわずか3日後、アリーシャは朝方、居間の窓際にミルミコの実がお皿の上に載って飾られているのを見つけ、破顔した。

 綺麗に皮がむかれ一口サイズにカットされた果実は、ちょうど食べごろらしく、みずみずしい状態で、朝日を受けて輝いていた。

 それに触れようとして腕を伸ばすが、しかしその手は皿には届かなかった。そう、アリーシャがクラウに渡した小石のように、ミルミコの実は完璧な結界魔法の中に収められていたのだ。

「さすがね…!」

 自分以外にこんなことができるのは一人だけ。息子がたった一言のヒントを頼りに、本当にたった一人で考え、そしてみごとに成し遂げたのだ。


 ――― ほんと、あっさりと超えられちゃったわね


 一術師としては悔しいような、母としては誇らしいような…。しかし、やはり嬉しさの方が勝り、アリーシャは朝日も霞むほどの笑みを浮かべて光り輝く箱をそっと撫でてから、その場を後にした。



 それから一週間、光の結界の中に飾られたミルミコの実は痛むこともカビが生えることもなく、堂々とそこに存在していた。剥いたときと同様、みずみずしい状態を保ったままで―――








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