29 悲しみの痕
この里の葬儀は、日本のそれと比べると実に簡素であった。
エルフの民は古くから、祖先「アルテイリス」を神として崇め祈りをささげてきたが、信仰と呼べるほど盲目的なものではなく、それはただ命の根源に対する敬意と感謝を示すものに過ぎない。死した魂を導く祈りの儀式などなく、焼く遺体すら残されていない今回は、その残った灰をただ地下に埋めるだけであった。
その日の朝、砂となってしまったコモルのそれを胸に抱えて家から出てきたオリエントを、里中の皆で出迎えた。彼はすでに家族を亡くし、独り身だったため、師であるオリエントが喪主を務めることとなった。
喪服は黒と決まっているのは同じらしい。黒い衣装に身を包んだオリエントは、戸口で待っていたアリーシャと共に里の皆に一礼した。
行き場のない悲しみに涙し、鼻をすする音があちこちで上がる。
訃報を受けた里の住人は、皆その現実を受け止めることができずにいた。
終わったと思っていた悪夢が、再び世界に牙をむき、暗い影を残していったのだ。尊い仲間の犠牲を始まりとして―――
族長のジークが皆に向かって一言声をかける。やがて彼を先頭にアリーシャとオリエント、ガルフが歩みだし、多くの苦楽を共にした仲間が重い足取りでついて行く。長年相棒として連れ立ったサイルスは、終始涙し、苦しげに息をつくその肩をレノに支えられていた。
新しく里に迎えられたガーランド一家もその列に加わり、ガルフによって導かれた友人一家の灰を抱えて歩いている。母親の手に引かれて歩くククリは、家族に会えた喜びと父親が負った傷への戸惑い、そして里を取り巻く悲しみの渦に挟まれ、ただぎゅっと唇を噛みしめたまま握った手を離そうとはしなかった。
向かう先は、里のはずれにある墓地。
クラウはその姿を、列のずっと後ろから見つめていた。隣によりそうルカも、今日はいつも以上に無口で、ただ静かに一行を見守っていた。
歩きながら、クラウは自分が死んだ時のことを思い出していた。
「死」という漠然としたものが背後に迫る、あの瞬間。
生の世界とは異なる、得体のしれない世界に引きずり込まれるような、恐怖と安堵が奇妙に入り混じった感覚は、今思い返してもやはり気分のいいものではなく、背筋に悪寒めいたものが走る。
自分が死んだあとのことなど知る由もないが、自分の体もこんな風に人に見送られて冷たい土の中へと埋葬されたのだろうか。そう思うと少し妙な気分だった。
誠太郎、小百合、八重子。その懐かしい面影が脳裏に浮かぶ。だが、その顔が自分の死によって悲しみに染まる場面を想像するのは、いささか難しかった。
自慢にもならないが、人に好かれていたとは到底思えない。例え誰かが嘆き悲しんでくれたとしても、自分が世界を去ったという一つの出来事が、誰かの人生に影響を及ぼすほど大層なものだとは思えなかった。
地球では事故死など日常的なものだ。日々の端々にいろんな「死」が満ち溢れ、その数だけ悲しみの形が存在する。
生きている限り、『死』は必ず訪れる。
それは、唯一平等で、決して逃げることの許されない、終着の在り方。
有限の世にある限り、人はその絶対的な運命に翻弄されて生きていくのだ。
ならば、限りあると知りながら、何故簡単に奪うことができるのか。
そんな権利など、誰にもありはしないのに――――
道の途中、ルカがふと歩みを止めた。つられてクラウも立ち止まり、隣を仰ぎ見た。
「…どうしたんだ?」
『少し、森へ寄ろう』
そういって列をはずれ歩き出すルカに、クラウはついて行った。
森の入り口で立ち止まる。すると、しばらくして森からグレンがそろりと姿を現した。その肩にはリリアたちチグラットの姿があり、両脇に精霊リーラとゼーシルがふわりと浮かんでいる。そして最後にナナキが姿を見せ、一匹前に進み出ると、クラウとルカに向かってお辞儀をした。
「お前たち…」
彼らもこの悲しい出来事を理解しているのだろう。その手には、それこそ持ちきれないほどの花が抱えられていた。種類は様々だが、そのどれもが白い色をしていて、日の光に反射して光っていた。まるでエルフの銀色に輝く髪のように―――
そっと差し出されたたくさんの花に、クラウは首を振って、そのうちの一束だけを受け取った。
「お前たちもおいで」
クラウの意外な言葉に、森の住人たちは困惑したようにお互いに顔を見つめあった。
行くべきか否か。
やがて、一番に進み出たのはナナキだった。彼はいつものお調子者のなりをひっこめ、真剣な顔でクラウのもとへ歩み寄ると、そっとその手を取って歩き出した。
青い海を一望できる崖の上で、アリーシャはハンスたちの手によって掘り返されていく穴を見つめていた。里の者は、その命が尽きると皆ここへ埋められる。もっとも、狩りに合い、その亡骸すらないものも多い。
大きな墓石には数百に上る名前が掘られ、すでにコモルと三人の仲間の名もその最後尾に付け加えられてあった。
師と友の手によって、その灰が収められる。
「どうか、安らかに…」
その言葉を最後に、土がかけられ、あっという間に見えなくなっていった。そしてジークをはじめ、里の者が一人ひとり花を添え、別れの言葉をかけていく。
アリーシャはその様子をじっと見守った。
こんな思いはもうたくさんだと思う。
人なのだから寿命があるのは当然だし、病気にかかって死ぬことだってある。不慮の事故にあうことだってあるだろう。それは仕方のないこと。
けれど、人は人を傷つけ、その命を奪う。
――― なぜ、そんな悲しいことができるのだろうか
ぐっと耐える。痛みに、悲しみに。どんなに泣いても彼らは帰ってこない。
「アリーシャ様…」
涙に鼻を鳴らしながら言うリザの声に、アリーシャは振り返った。
そして見えた光景に、目の奥がじわりと熱を持つ。
「クラウっ…」
あの無愛想で、何より愛しい息子が、森の者と手をつなぎ歩いてくるのだ。その後ろに何人もの友人を連れて、手にいっぱいの花束を抱えて―――
誰もが言葉につまり、こらえきれず嗚咽をつく。オリエントは泣き崩れ、それを支えるガルフも片手で顔を覆い、それまで必死に我慢してきた悲しみを涙と一緒に吐き出した。
―――『散る花に 導く光と包む影の 息吹あり
導の先で待つ幾千の花に かの魂の安息を預けましょう
見えるは永劫 天に輝く万の星
果て無き彼方 届くその無償の慈悲に
歩みこそすれ 嘆くことなかれ
尊き創世の御方 世界に与えし導きの恩恵に 開花の光あり』
どこからともなく聞こえる精霊の歌声を背に、クラウはそこに眠る数多の魂を想って手を合わせた。
――― 自分は何も知らない。
子供だから?
――― そんなものは理由にならない。
弱いから?
――― ああ、そうだな。自分は弱い。
この世界の者じゃないから?
――― それこそ、愚問だ。
僕は、生きている。今ここで、確かに生きている―――
どこまでも広がる海の先。
クラウはまだ見ぬ未知の大陸があるはずの空を見つめ、いつまでもその場に佇んでいた。