20 笛の音
ミネルディア発案の計画を実行するに当たり、クラウはまずいくつかの問題点をリストアップし、それらを解決するべくさっそく行動を開始した。
まず一つ目は、練習場所と時間である。
サプライズを予定しているので、アリーシャに気づかれないようにしなければならない。しかし、いくらリビングの隅に置いているとはいえ、いつもあるものがなくなっていれば簡単に気づかれてしまうだろう。よって、練習時間は必然的に夜、アリーシャが眠ってからということになる。
そして練習場所。
夜中に外に出るわけにはいかないので、やはり自分の部屋が一番無難だろう。仮にアリーシャが様子を見に起き出してもすぐに対応できるからだ。
そんなことをあれこれ考えながら、クラウはキッチンの方へ向かい、朝食の支度に取り掛かろうとしていたリザの下へと歩み寄った。
「あら、クラウ様!おはようございます。今日は一段と早いですね!」
「おはようございます。リザ、少しお話があるのです」
「?はい、なんですか?」
「実は…」
クラウは昨夜の出来事をリザに話てきかせ、少し協力して欲しいと頼んだ。
「ああ、あの古い笛ですか?そういえば、アリーシャ様、大事にしてましたね」
「…リザはあの笛が誰のものか知っていますか?」
「うーーーーん?そういえば昔、誰かが吹いているのを見たようなないような…、すみません、あまりはっきり思い出せません」
リザにも心当たりはないらしい。クラウは少しがっかりした。
「…そうですか。では、あの笛を使用すること、かあさまには黙っていてもらえますか?」
「ええ、もちろんです!それにしても、ミネルディア様がわざわざクラウ様にお願いするなんてよっぽどですね。そんなにアリーシャ様はあの笛がお好きなんでしょうかねぇ」
アリーシャとは付き合いが長いはずのリザにも覚えがないらしく、不思議そうに首を傾げていた。
「でも、クラウ様。あの笛の吹き方、わかるんですか?」
「いえ、それはこれからです。そこでもう一つ、お願いがあるのですが…」
クラウは計画実行にあたる最大の問題について、リザに相談した。
「音が聞こえないようにする方法、ですか?」
そう、最大の問題は、練習している笛の音がアリーシャの耳に入らないようにすることだ。
「かあさまが寝た後練習するにしても、さすがに音を出せば気づかれてしまいます」
「確かに、問題ですね~」
「何かいい方法を知っていたら教えていただきたいのですが」
「そうですねぇ…」
クラウの質問に、リザはしばし腕組みしながら考え込んでいた。
「一番は音を遮断する効果を持つ結界を張れば、音漏れは完全に抑えられますけど…」
「結界?そんな結界があるのですか?」
「ええ、結界と言ってもいろんな条件の結界があるんですよ。でも、別にそんな特殊な結界じゃなくても、笛の音ぐらいだったら普通の守護結界でもある程度は抑えられるんじゃありませんかねぇ」
「ほんとうですか!?」
と、クラウは一瞬喜んだが、しかしよくよく考えて自分がまだ結界を張ったことがないことを思い出す。非常に残念なことに、クラウは結界魔法についてはアリーシャからの指導待ちのため、まだ実践したことがないのだ。
「…結界魔法はかあさましか扱えないのですよね?なら…」
「ああ、クラウ様はご存じないんですね?大丈夫、結界符を使えばだれでも張れますよ!」
「結界符?」
「はい。いつでもどこでも結界が張れるようにって、結界魔法陣が書かれた薄い板があるんです。といっても、本当に小さい規模の結界ですけど。結界魔法は術者が希少ですからね、使えない人間は、ほとんどこの結界符で代用しているんです」
「なるほど…。その、結界符はどこで手に入りますか?」
「んー…、昔、アリーシャ様がいくつか作ったはずですけど…、ほとんどが外に出る男の人たちが持ってるんじゃないでしょうか。あ!そういえば、ユルグさんが一枚、持っているかもしれませんよ」
「ユルグさんが?」
「ほら、あの人、しばらく外に行ってたじゃないですか。その時護身用にって族長が持たせてた気がしますけど。でも、もうずいぶん昔の話ですからね~、今も持っているかどうか…」
「そうですか…。ありがとうございます、一度、ユルグさんに聞いてみます」
クラウはそういって頭を下げ、自室へと引き上げた。あまり話し込んでいるとアリーシャが起きてきて、計画がばれるのを危惧したためだ。
調合室にて―――
「おはようございます」
朝の挨拶をしてきたクラウの顔を見て、ユルグは「おや?」と思った。
ここ最近、アリーシャへの贈り物ついて悩み、いつも以上に無表情で思案気だったクラウの表情が、どこか明るくなったような気がしたのだ。
「おはようございます。…その顔だと、ようやく決まったようですね」
「はい、おかげさまで」
必要器具を棚から取り出してきたクラウは、少し表情を和らげて頷いた。クラウにしては長いこと頭を使って考えていた悩みが解決し、幾分か気持ちが軽くなっていた。
「昨晩、思いがけない方から提案がありまして。ようやく決定しました」
「それはよかったですね」
「それで、一つ、ユルグさんにお聞きしたいことがあるのです」
「なんでしょう?」
クラウは、ユルグが結界符を持っているかどうか、さっそく質問した。
「結界符ですか?ええ、持っていますよ」
「本当ですか?よろしければ、それをしばらくお借りしたいのですが」
「ええ、もちろんいいですけど。でも結晶石の魔力が切れていますから、アリーシャ様にもう一度魔力を込めてもらわないと使えませんよ?」
「…かあさまに、ですか」
これは困った。
一つ解決したと思ったら、また次の問題が出てくる。しかし、クラウは即座に考え直す。
「それ、僕には無理でしょうか?」
「え?それって…、クラウ様が、魔力を込めるってことですか?」
「はい。無理でしょうか?難しいものなのですか?」
「いや、そんなことはありませんけど…。光属性の魔力ですよ?」
「?はい」
それが何か問題あるのかと言いたげなクラウの様子に、ユルグはぐっと言葉に詰まってしまった。
――― そうだ、この子供には愚問だったな…。
ついつい忘れてしまいそうになるのは、このかわいらしい顔の所為か。ユルグはまっすぐ見つめ返してくるクラウの純粋な瞳が、今は少し恨めしかった…。
「わかりました。すぐに必要なら、昼食を食べに戻ったときに、持ってきますけど」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
――― よし、これで大方クリアだな
とりあえず問題が一つ解決したことに、クラウは安堵の息をついたのだった。
その日の夜から、クラウの猛特訓が始まった。
アリーシャが寝室へと引き上げたのを確認してから、笛を持ち出す。そして自室のベッドの上に座ると、まず初めにユルグに借りた結界符に光属性の魔力を注ぎこみ、結界を張ってみた。
「おお!便利だな」
リザが言っていたように、その規模はほんの2メートル四方の小さな結界で、部屋の中で使うにはちょうどいい大きさだった。
クラウはとりあえず一度音を出してみようと、笛を持ち上げ、構えてみた。
「この持ち方で合っているのでしょうか?」
クラウの隣にちょこんと座り、ニコニコと笑顔を浮かべているのは、今回の発案者であり指導役でもあるミネルディア。彼女は笛を持ったクラウを見つめて、しっかりと頷いた。
「では…」
フー……。
「…?」
フー、フー…。
――― まさか、壊れてるのか?
吹けども吹けども、乾いた息の音しか鳴らない笛に、クラウは首を傾げた。
「ミディ…、これはどういうことでしょうか…」
いきなりの挫折に、クラウは隣のミネルディアを見やった。
すると、指導の先生は、「そうじゃない」と首を横に振り、初心者のクラウに丁寧に説明してくれた。
「え…、魔力?笛を吹くのに、魔力が必要なのですか?」
思いがけない言葉に、さすがのクラウも驚きを隠せない。
ミネルディアが言うには、この笛は特殊で、吹く息に魔力を込めなければ鳴らないようにできているらしい。
――― まさか、楽器を鳴らすのに魔力が必要とは…。いったい何のために?
この笛を作った人は、何故そんな手間のかかることをしたのかわからないが、鳴らなければ話にならないので、クラウは適当に息に魔力を込めて、改めて吹いてみた。
すると―――
フォーー…
と、厚みのある、確かな音が結界内に響いた。
「おお、本当に鳴りました。すごい笛ですね、これは」
隣のミネルディアが、感激したように手をたたき、クラウを誉める。
――― よし、これならいけそうだな
なんとかスタート切ることはできた。
とはいえ、本題はここから。
クラウは改めて気を引き締めて、笛を構えた。
まずは音と指の確認をしなければならない。どの穴を抑えれば、どの音が出るか。基本中の基本だが、これを確認し覚えなければならない。
クラウはまず10個の穴に番号をつけ、一つずつふさぎながらどのような音が出るのかを確かめた。
しかし楽器らしい楽器を弾いたのは、学生時代のリコーダーぐらいだったクラウは、あまり音楽に関しての知識がなく、自分が吹いている音が何の音なのかさっぱりわからなかった。
「まぁ、別に音階順にふけなくても、曲が弾ければいいか…」
なんといっても時間がないので、クラウはとりあえずミネルディアに曲の最初の一音を声に出してもらった。
『あ~』と、相変わらず澄んだ声で素直に発生してくれる精霊神は、言いだした手前か、とても協力的だ。クラウはその声を聞きながら、同じ音が出るようにいろいろなポジションで指を抑えながら確かめていく。
実に根気のいる作業だった。
指の運びを覚えるのも大変だが、吹いている間中、ずっと魔力を消費し続けるのだ。加えて結界符の結晶席にも限度があるため、定期的に魔力を補充しなければならない。微量とはいえ、長時間魔力を使いっぱなしの状態はクラウも初めてなので、珍しく体が疲労を訴えていた。しかし、そんなことぐらいで弱音を吐くわけにはいかない。
――― 何としても成功させなければな
きっと喜んでくれるだろうアリーシャの笑顔を思えば、これぐらいの努力などまったく苦にはならなかった。
クラウは相変わらずの集中力を発揮し、一度も休憩することなく黙々と吹き続けた。それを隣で見守っていたミネルディアは、少々呆れながらもちゃんと最後まで練習に付き合ってくれたのだった。
結局、一曲丸々確認し終えるのに4時間近くかかってしまい、気づけばもうあと一時間ほどで夜が明ける時間が迫っていた。
「ご協力、ありがとうございます。もうすぐかあさまが起きる時間ですから、今日はもう終わりにしましょう」
アリーシャが起き出す前に、笛を元の場所に戻さなければなさない。
クラウはずっと隣で付き合ってくれたミネルディアに頭を下げ、感謝した。
「とりあえず、終わりまでの音の確認はできました。あとはスムーズに弾けるようになるまで練習するのみです」
ミネルディアに『頑張って』と応援され、クラウは頷いた。
精霊界へと戻っていくミネルディアを見送って、笛をリビングへと戻した後、クラウはベッドには入らず机へと向かった。
引き出しから紙を取り出し、ペンを握る。
とりあえず、クラウは今日覚えた指の運びを忘れぬよう、自分用の楽譜を作ることにしたのだ。もちろん知識がないので、自分にしかわからない世界に一つだけの楽譜だが、きちんと形にするのも復習作業では大事だ。
あーでもない、こーでもないと、工夫しながらようやく書き上げたころ、扉の向こうから朝食のいい匂いが届き、クラウは新しい一日の始まりにうんと伸びをした。
「さて、今日もいい天気になりそうだな」
多少の疲れはあるが、徹夜したにもかかわらず元気な自分の身体に感動しながら、クラウは窓から入る日差しに目を細めた。




