19 難関
「あ、クラウ様!ちょっと待ってください!」
朝、仕事に出かけようとしていたクラウの下に、あわてたようにリザが駆け寄ってきた。
「何か、ご用でしょうか?」
リザが慌てているのはそんなに珍しいことではないが、急ぎの用事でもあったのだろうかと、クラウは首を傾げた。
「クラウ様、ちょっとローブを脱いでください」
「?なぜです?」
「もうだいぶ成長されて、このローブもきつくなってきたんじゃありませんか?」
リザに言われ、クラウは自分の身体を見つめる。あらかじめ大き目に作られていたローブだが、リザの言うように今は袖が少し足りていない状態だ。
「早いものですねぇ~、クラウ様、こんなに小っちゃかったのに、あっという間に大きくなられて」
「……」
「というわけで、新しくローブを作り直そうと思いまして、採寸させてくださいね」
そういうことか、と納得したクラウは逆らう理由もなく、むしろありがたく思いながらローブを脱ぎ、手製の巻尺のようなものを持つリザの前に立った。
「リザは洋服を作るのが上手ですが、昔から好きなのですか?」
「そうですねぇ、料理も好きですけど、裁縫も好きですよ~。出会ってからずっと、アリーシャ様の服は全部私が作らせてもらっているんですよ」
「へぇ」
――― それはすごいな
クラウは素直に感心した。
この世界にも洋服屋ぐらいあるだろうに、リザはわざわざ一から作っていたらしい。それがまたアリーシャによく似合っていて、リザはアリーシャの好きなものや、似合うものをよく理解しているのだろう。
「もうすぐ、アリーシャ様のお誕生日ですからね!クラウ様のローブと一緒に、また一着新しく作ろうと思って考えていたんですけど、なかなかいい形が思い浮かばなくって」
「…誕生、日…?」
「あ!クラウ様、忘れてましたねその顔!14月の10日は、アリーシャ様のお誕生日ですよ!」
「……」
完全に忘れていたクラウは、ばつの悪い思いでリザを見つめた。
「ふふ、クラウ様、本当にそういうことにはあっさりしてますよね。ご自分の誕生日もあまり興味なさそうでしたし」
と、クラウの胴回りを量りながらリザが笑った。
興味ないどころか、ギリギリまで忘れていたクラウだ。人の誕生日のことまで覚えているはずもなかった。
「…リザは、いつもかあさまに贈っているのですか?」
「はい、もちろんですよ。特別豪勢なものでもありませんが、気持ちだけはこもってますよ!」
何しろ手作りですからね!と、茶目っ気たっぷりに言うリザはとても楽しそうだ。そんなリザの姿に、クラウは思案する。
「僕も何か贈った方がいいのでしょうか…?」
これにはリザも驚いたのか、きょとんとした顔でクラウの顔を見返してきた。
「今年はとてもたくさんのものをいただきました。僕もなにか、かあさまにお返ししなければならないのではと、思ったのです」
「それは素晴らしいですね!きっとアリーシャ様、喜んでくださいますよ」
――― それならいいが
クラウは笑顔を浮かべるアリーシャを想像し、少し胸が弾んだ。
「しかし、僕は贈り物というものをしたことがありません。どういったものが喜ばれるのでしょう?」
「そんなの、なんだっていいんです!大事なのは気持ちですよ、クラウ様」
あまり参考にならないリザの意見だが、確かに気持ちが大事なのはクラウにもよくわかった。
アリーシャなら、それこそ何を贈っても喜んでくれそうだが、やはりここは飛び切りのものをあげたい。しかし、人にものを贈るという行為自体初めてのクラウは、相手が喜ぶものとわかっていてもいいものが思いつかなかった。
――― とりあえず情報収集だな
何事も、知ることが大事である。
そう考えたクラウは、家から仕事場へと向かう途中、まずはアリーシャのことをよく知っているはずのルカに聞いてみた。
『アリーシャへの贈り物?』
「そうだ。今度かあさまの誕生日らしい。それで、僕も何か贈ろうと思うのだが、いいものが思いつかなくてな。ルカなら、かあさまが好きそうなものを知っているかと思って」
『…我は、人の贈り物についてなどわからん』
ルカはあまり興味がないのか、食いつきがよくない。一言そういうと、聞くなと言わんばかりに黙ってしまった。
「かあさまの好きなものが何かくらいわかるだろう?」
少なくとも、クラウよりは断然付き合いが長いのだ。少しくらいアリーシャの嗜好を知っていてもいいはずである。
『アリーシャが好きなもの…?』
クラウの質問に、ルカはしばらく何か考えているようだったが、結局参考になるような答えは返ってこなかった。
「難しいものだな、プレゼントというのは」
『プレ…?あいつが一番好きなのは他でもない、息子のお前だろう。ただお前が無事に育ってくれれば、アリーシャはそれだけで満足なはずだ』
「…そんなものなのか?」
『親とはそういうものだ』
――― いろいろな親がいるものだな
同じ人間がいないのと等しく、同じ親もいないのだろうが、アリーシャの寄せる愛情が普通なのだとしたら、小百合はかなりの規格外だなとクラウは思った。
さて、ところ変わって調合室でも、クラウは情報収集を行っていた。相手は比較的アリーシャと接する時間が多いユルグである。
「アリーシャ様の好きなもの、ですか?…ああ、そういえばもうすぐ誕生日でしたね。クラウ様、もしかして何か贈るつもりなんですか?」
と、祝い事には疎そうなユルグですらアリーシャの誕生日は覚えていたらしい。
「はい、今年はとてもたくさんのものをいただいたので、何かお返しをと思いまして」
「そうですか。それはきっとアリーシャ様は喜ばれるでしょうね」
「そのために、こうして皆さんにかあさまの好きそうなものをお伺いしているのですが…」
「うーん、困りましたね…。僕もアリーシャ様のことを知っているかと問われると…」
ユルグは困ったように唸りながら考え込んでしまった。
これはあまり期待できそうにないな、とクラウが少々がっかりしていると、
「ああ、そういえば…」
と、ユルグが何か思いついたらしい。
「何でしょう?」
「この間、愚痴っていたのをちょっと聞いたのですが。アリーシャ様、クラウ様ともっと一緒に過ごしたいらしいですよ」
「…そう、なのですか?」
「クラウったらいつもそっけないのよ。誰に似たのかしら。いつもルカとどこかに消えちゃうし、家にいても部屋に籠って本を読んでるか、リザの手伝いしているかで全然かまってくれないのよ!この間なんて、クラウを抱っこしようとしたら、かあさま邪魔です、座っててくださいって言うのよ?冷たくない?もう少し、私との時間を作ってくれてもいいって思うわよね?って言ってましたよ」
よくもまぁ、そんな夫に対する不満のような愚痴を、一字一句忘れずに覚えていたものだ。クラウが感心するとユルグは、
「あなたほどではありませんが、僕も記憶力は結構自信があるんですよ」
と、やんわりと自慢してきたのだった。
「だから一日アリーシャ様とお出かけするとか、どうですか?きっと大喜びですよ」
「…そうですね、候補に入れておきます」
クラウの返答はあまり乗り気ではなかった。とはいえ、他に候補らしい候補もないので、何もなければユルグの案になるだろう。
――― 正直気は進まないが…
クラウとしては、別にアリーシャと出かけることに不満があるわけではない。しかし、ここ最近のアリーシャは本当にスキンシップ過多が目立ち、慣れないクラウには長時間一緒に過ごすことに抵抗を覚え始めていた。
それに、人生初めてのプレゼントだ。何か形として残るものを贈りたいと思ったのも本音だ。
――― この世界、カメラなどという気の利いたものはなさそうだからな。
将来、魔法陣を詳しく習う機会があったら、魔法でそれらしいものができないか試してみるのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、クラウは手先を動かし、着々と仕事を進めていったのだった。
いろいろな人に聞き込みをし、あれこれと悩み、考えた結果。
花束、何か身に着けられるもの、置物、肩たたき券、一日お出かけプランといった候補が残った。
「ふむ…」
クラウはマナリギの木の下で、ルカにブラッシングしてやりながら考えていた。昼食を終え、午後からのトレーニングに出かける前の休憩タイムである。
「花は確かにかあさまは好きだが、少し安易だな。もう少し、インパクトのあるものがいい気がするな」
と、初心者ゆえに張り切っているのか、あれこれと考えすぎて逆に決まらないらしい。
広い背中の少しごわついた部分をブラシでほぐすように梳きながら、ぶつぶつと悩んでいるクラウに、ルカは『もっと集中しろ』と言いたいのをぐっと我慢していたのだった。
「リザのように、洋服か何かにするか?」
こう見えて、クラウは裁縫も得意な優良男子である。
余談だが―――
誠吾時代、当時中学生だった彼は、自分の制服のボタンが取れ、八重子に直してもらった時にみたその裁縫の技術と速さに感嘆し、手芸部に入部したという逸話があるほどだ。在籍していたのは一年ほどだが、もともとの器用さと吸収率の高さ故か、その上達ぶりは凄まじく、周りの部員を圧倒したのだった。
「しかし、先立つものがな…。生地を買うお金も、方法もないし。まぁ、今年はこの案は無理だろう」
無一文の今のクラウには、豪勢な贈り物を用意するには条件が厳しすぎた。
――― そういえばリザはどうやって生地を調達しているのだろうか
そんな疑問が浮かぶが、今はそれどころではないと頭を振る。何しろ時間がないのだ。誕生日本番まで、あと一週間を切っている今、すぐに決めて準備に取り掛からなければならない。
「えっと、次は、置物か…。これなら地の魔法でどうにかなるかもしれないが…」
お金がかからないとはいえ、時間はかかってしまうだろう。果たして間に合うか。
地属性の魔法が使えるとはいえ、立体魔法についてはまだ実践したことがないし、その知識もない。また、この辺には土はあっても、立体魔法に使える鉱石があるのかクラウは知らない。その辺の知識に関しても、未知の領域なので果たしてうまくいくかどうか…。
「まぁ、試してみるのはいいかもしれないけどな」
プレゼント用になるかは別として、クラウとしても一度はやってみたいと思っていたので、この案は保留にしておくことにした。
後の残りは肩たたき券とお出かけプランだが、この二つに関しては準備も大してかからないのでとりあえず後回しにする。悪い案ではないと思うが、最終手段に指定しておく。
「ふむ、思った以上に難題だな…」
クラウは思わずブラシを置いて腕組みし、深々とため息をついていた。それに気づいたルカが、しっぽでぺしりとクラウの手を打った。
『おい、まだ途中だ』
「ん?ああ、すまない」
ルカに促され、再びブラシを持つ。しかし、思考がプレゼントのことでいっぱいで、その手はなかなかルカの体毛にまで届かない。
『………はぁ』
「………はぁ」
重なるため息。お互い、あまり似たところがない二人だが、今日は見事にシンクロしていた。――― もしこの場にアリーシャがいたら、「そんなところまで仲がいいのね」とからかい、拗ねて見せたに違いない。
そんなクラウ達の下に、何やらものすごいスピードで近づいてくる気配があった。
「クーラーウーーーー!!!」
「ぐっ、……ククリ、全速力で飛びつくのはやめなさい。それから少し力を抜け。首が締まる」
クラウはタックルでもする勢いで背中に張り付いてきたククリを引っぺがしながら言った。見た目の細い体からは想像つかないが、ククリはとにかく足が速いらしい。
「うへへ、クラウ、遊ぼう!」
と、ククリはご機嫌だ。
あの夜以来、妙に懐かれたクラウは、こうして突然現れるククリに驚きながらも、相手をしてあげているのだった。
「しばし待て、考え事の最中だ」
「?まだ迷ってるの?おばさんの贈り物」
情報収集の一環としてククリにも質問していたので、彼もクラウが何について悩んでいるか見当がついたらしい。
「肩たたき券じゃ、だめなの?」
と、自分の経験談をもとにアドバイスしたククリは、何を悩む必要があるのかと、不思議そうにしていた。ククリは去年、母親に肩たたき券を贈って大変喜ばれたので、クラウにも話して聞かせたのだ。
「いや、悪いわけではないのだがな。やはり、何か、インパクトが…」
「いんぱ…?」
また難しい言葉使う、とククリはむっとした顔を見せた。
「クラウは考え過ぎ~!ね、ルカ」
『ふむ、同意だ』
と、ルカが言った。
ククリにはルカの言葉が理解できないはずなのだが、何やら感じるものがあったらしい。ルカと意見が合って嬉しいのか、ムフフと笑ってルカの巨体に飛びついた。
最初の怯えようはどこへやら、ククリはもうすっかりルカにも慣れたらしい。ルカもそんな遠慮なしに接してくるククリにはじめは抵抗があったようだが、今ではあきらめたのか好きなようにさせていた。
「だが、やはりここはあっと驚くものを贈って、かあさまの笑顔を見たいだろう?」
「それはそうかもしれないけどさぁ。そういうのは、えっとなんだっけ、じ、じこまんぷく?なんだって」
「自己満腹?なんだ?そんなにお腹いっぱいご飯を食べたのか?」
「ち、ちがーう!えっと、じ、じこ、んー?…なんだっけ、忘れちゃった!」
「…もしかして、自己満足と言いたいのか?」
「そう!それ!まんぞく!」
自分の言いたいこと酌みとってもらえて嬉しいらしい。ククリは終始笑顔でご機嫌だった。
「贈り物が自己満足?」
確かに、とクラウは思った。贈る側がどれだけ考えたって、相手がどう思うか結局その時までわからないのだ。どんな反応が返ってくるかまで想像し、選ぶのは楽しい反面、自己満足の面もあるかもしれない。
「でも、その贈りたいって心がぁ、とっても大事なんだって!」
「ふむ、なるほど。それは誰の言葉だ?」
「とうさん!!」
「………」
――― 本当に、いろんな親がいるものだな。
百合子に続き、誠太郎も規格外だということは理解していたが、こうも違うものなのかとクラウは改めて感心(?)したのだった…。
結局何も決まらないまま、クラウはその日の夜を迎えてしまった。リザはどうやらいいものが思いついたらしく、夜な夜な服作りに励んでいるようだった。クラウのローブは少しかかるけど待っていてほしいと言われ、クラウはもちろん快諾したのだった。
「ハンスさんの意見も聴けたらよかったんだが…」
あいにく、彼は今里を離れ、外の大陸に渡っているらしい。通りで最近見かけないと思っていれば、いろいろと忙しくしているようだ。
ベッドに横になり、悶々と考え込んでいると、窓の方からコンコンと誰かがノックする音が聞こえた。
クラウはその気配に身を起こし、窓際へと近づいた。
「ミディ…!どうしたんですか?こんな時間に…」
いや、こんな時間だからか。思えばこの間、自分の誕生日にあったときも深夜だったなと思い返す。
夜空をバックに、美しい笑みを浮かべクラウを見つめるミネルディアは、何やら話したいことがあるらしく、ふわりと部屋へと入ってくるとそっとクラウの手を握ってついて来いと言った。
「かあさまはもう寝ていますけど…」
起こしてきましょうか、という言葉はミネルディアによって遮られた。
彼女は、クラウに向かってシッと言うように唇に人差し指を当て、首を振って見せた。
「かあさまには内緒?なぜです?」
ミネルディアはクラウの質問に答えず、つないだ手を引っ張ってクラウをリビングの方へと連れて行った。
――― いったい何があるんだ?
全く予想がつかない事態に、クラウは混乱しながらもミネルディアの思うように任せた。
やがてリビングの奥にあるいろいろな置物が飾られた棚の前に来ると、ミネルディアはそっと何かを指差した。クラウもつられて、指の先へと視線を向ける。
「これ、ですか…?」
ある一点を刺され、見えたものに、クラウはますます混乱した。本当にこれなのかとミネルディアに確認すると、彼女はしっかりと頷いて見せた。
棚の上で、他の置物とは別に少し離れた一角に静かに飾られているそれは、クラウもよく目にしていたものだ。時々、アリーシャが丁寧に磨いているのを見たことがあった。
クラウは、とりあえずそれを手に取ってつぶさに観察した。
「これは…笛、か?」
それは、日本で言うところのオカリナのような形をした笛のように見えた。子供の手では少し握りづらいが、両手で持って握るとちょうどいい大きさのそれは、何かの木でできているらしく、楕円形のような形で、表面はきれいに加工されていた。そこに丸い穴がちょうど指の数と同じ10個開けられており、上の方には口をつける部分と思われる箇所が作られていた。
さらに裏返してみると、何やら奇怪な模様が掘られている。
相当古いもののようで、ところどころ傷がついているが、見る限りでは壊れている箇所はなさそうだった。
――― いったい、誰のものだろうか。
クラウは当然知らないし、アリーシャやリザが吹いているのを見たこともない。
それにしても…。
「もしかして、これを、僕に吹けってことですか?」
まさかと思いつつも、ミネルディアが自分をここに連れてきた理由など他に思いつかなかったクラウは苦い顔で聞いた。すると、やはりその予想が的中したらしく、ミネルディアはにっこりと笑って頷いたのだった。
「…さすがに、無理じゃないでしょうか…」
と、クラウにしては珍しく戸惑った声色が口から洩れた。
いくら器用とはいえ、楽器は一朝一夕で上達できるものではない。さすがにあと一週間で、人に聞かせられるほどの演奏ができるとはクラウはとても思えなかった。
しかし、ミネルディアはそうは思っていないようで、しきりにクラウに笛を吹けと猛アピールした。
「どうしてこの笛なのですか?何か、特別な理由が?」
さすがにここまで粘るには理由があるのだろうと、クラウが問うと、ミネルディアは、何かを思い出すように眼を閉じ、静かに語った。
―――『あの子の、一番好きなものだから…』
「かあさまが、一番好きなもの…?この笛の音が、ですか?」
ミネルディアの話によれば、アリーシャはいつもこの笛の音を聞いて幸せそうにしていたらしい。
「この笛、誰のものなのですか?」
と、クラウはずっと引っかかっていた疑問を口にした。
しかし、ミネルディアはその質問には答えるつもりがないらしく、ただそっと首を振り、クラウにこの笛を吹いてほしいのだと必死に訴えてきた。
他でもない、アリーシャのために―――
そのあまりにも必死な様子に、クラウはとうとう根負けした。
「…わかりました。僕よりもかあさまのことをよく知っているミディの言葉を、信じることにします。あまり自信はありませんが、やれるだけやってみましょう」
クラウがそう言うと、ミネルディアはとても嬉しそうに破顔し、その場でくるくると回ると、最後にクラウの手を握ってその手にキスをした。
「しかし、僕はこの笛の吹き方も知りませんし、音楽も詳しくありません。さて、どうしたものでしょうか…」
引き受けたのはいいものの、これはなかなか難題だなと、クラウは思案する。そんなクラウに、ミネルディアはつないだ手を引っ張って、クラウに外へ出ろと促した。
手をひかれるまま外へ出て、庭を突っ切り、ルカのいるマナリギの下までやってくると、ミネルディアは「とりあえずそこに座れ」と地面の上を指差した。
訳が分からないまま、クラウは指示通りに腰を下ろす。
『何事だ?』
と、一人事情を呑み込めないルカが顔を起こした。そして、見えたミネルディアの姿に目を見張り、聖獣の王はそっと頭を垂れた。
「起こして済まない。少し、邪魔をする」
『それは構わんが…』
詳しく説明しろとルカが身を乗り出そうとしたとき、二人の正面にふわりと浮かんだミネルディアが、パンパンと手をたたいた。自分に注目しろ、と言いたいらしい。
ルカに後で説明するとささやき、クラウはミネルディアの方を向いた。
やがて、月と夜空をバックに、淡いマナリギの光に包まれながら、ミネルディアが静かに歌い始めた。
初めて聞く、精霊神の歌声。
それは、人の声では到底出せない領域の、聖なる歌声だった。
どこまでも清く、聞くものすべてを魅了する神秘の声が、夜風に乗り、飛翔し、天に響き渡る。
「……」
クラウもルカも、無言でその歌に聞き入った。
歌詞のない、旋律のみのとてもシンプルな曲だが、どこか懐かしい感じがするのはなぜだろうか。
そういえば、ミネルディアはめったに人前で歌わないとアリーシャが言っていたのをクラウは思い出した。ただ、今夜は自分にこの曲を教えるためだけに歌ってくれているのだろうと解釈する。
そこまでして、この曲を吹いてほしい理由とは一体なんなのか。
クラウには到底、その答えはわからなかった。
しかし、ミネルディアが望む通り、自分があの笛でこの曲を弾いたとして。それがアリーシャの笑顔に繋がるのならば…。
きっと誰よりもインパクトのある、素晴らしい贈り物になるだろうと、クラウは確信した。
――― 久々に、やりがいがありそうだな
俄然やる気に満ちたクラウは不敵な笑みを浮かべ、聞こえる歌声のすべてを吸収するべく、耳を傾けたのだった。




