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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第一章  アルフェンの里編
20/140

18 涙



 クラウの予想通り、その日の晩は夕方からしとしとと雨が降り、里の皆はいつもより早く作業を切り上げそれぞれの家へと帰っていった。

 クラウも泉での訓練を早々に切り上げ家に戻ると、昼間干した薬草の葉を小屋へと片づけ、そのあとは特別することもなかったためリザの夕食の手伝いをかってでた。


「クラウ様は本当に器用ですねぇ」

 リザが隣でゴロイモの皮をむくクラウの手元を見ながら感心したように言った。

「いつの間にナイフの扱い方なんて勉強したんですか?」

「…見よう見まねです」

 と、クラウは適当にごまかしておいた。 


 厳密に言えば、包丁の扱いは前世で鍛えたのだ。

 昔、お手伝いの八重子の包丁さばきに感銘を受けた誠吾が、これは是非自分もやってみたいと思い立ち、1か月ほど近所の料亭の厨房にお邪魔して修行させてもらったことがあるのだが、その修行の成果か、イモの皮剥きなどお手の物だ。リンゴだって、大根のかつら剥きだって、果ては魚を3枚に下ろすのだってわけはない。当時小学四年生。今となってはいい思い出だが、リザに語って聞かせるわけにはいかない。


 ――― それにしても…。

 クラウは改めてこの世界の食事事情について考えた。

 新たな人生を与えられ、この世界を知るうえでいろいろと驚かされることはたくさんあったが、言語の次に衝撃を受けたのは食べ物についてだった。


「リザ、ご飯が吹いてますよ」

「わわ、大変です!」

 クラウの指摘にリザが慌てて、火の上から大きな土鍋を持ち上げた。

 そう、ご飯である。なんとこの世界にはお米が存在し、日本同様、主食となっているのだ。もちろんパンのようなものも存在するが、この里では皆朝晩とご飯を食べる習慣が根付いているのだ。しかも、この里の南側、広場のある場所から薬草園とは逆の方角に、ちゃんと田んぼらしきものが存在し、お米が育てられているのだ。

 初めてその存在を目にしたときは、さすがのクラウも驚きと感動を覚えたのだった。

 

 ――― まさか、異世界でお米を食べられるとは…。


 生粋の日本食派だったクラウにしてみれば、とても幸運なことだった。食事は体を作るうえでも大事なものだ。あまり口に合わないようなものよりは、食べ慣れた食事をとれることはクラウにとっても大変ありがたかった。


「クラウ様は好き嫌いもほとんどありませんし。…あ!でも、グトペギゼの煮物はダメみたいでしたねぇ」

 ご飯の炊け具合を確かめていたリザは、くすくすと笑いながら言った。

 グトペギゼ。その名を聞いて、クラウの顔がなんとも形容しがたい顔にゆがんだ。

 見た目はソラマメに近い、ちょっと大粒の豆のようなもので、一見害のない食べ物のように見えるのだが、如何せん、味が強烈なのだ。


 ――― あれは人が食べるものではないだろう…。

 クラウとしては名を聞くのも、思い出すのも、正直遠慮したい食べ物であった。


 そんなクラウのあまりの渋顔に、リザはますます笑いをもらす。あの日以来、二度とグトペギゼを使った料理は出していないし今後も予定はしていないが、普段めったに見られないクラウの人間味あふれる?その表情に、「話題に出すぐらいは許してください」とリザはそっと心の中でだけ謝ったのだった。





 恙なく食事を終え、皆が寝付いた深夜。

 クラウは、誰かに名を呼ばれたような気がして目を覚ました。

「…ルカ?」

 気配を感じ、ベッドから身をお越したクラウは外の方を覗った。すると、いつもならマナリギの木の下で寝ているはずのルカが、庭に座ってじっとクラウの方を見つめていた。


「どうした?」

 庭へと出て尋ねると、ルカは少しめんどくさそうに溜息をついて見せた。すでに雨は上がっているようで、空にはちらちらと星が見え始めていた。

『…森の方角だ』 

「森??」

 なんのことだと理由を聞こうとして、クラウはふと気づいた。


「これは…、ククリか?」


 ルカの言わんとしていることがわかり、クラウもルカに負けず劣らずの盛大なため息をついた。

 里の西側、つまり森のある方角に、魔力の塊が動いている気配があったのだ。森の中とは違い、ましてやみんなが寝静まった深夜のこと。クラウにもその魔力をとらえるのは、それほど難しいことではなかった。

「森には入ってないみたいだな。一応言いつけを守っているのか…?」

 とはいえ、こんな夜中にひとりで出歩いているのでは意味がない。

 時間はちょうど夜中の3時を過ぎたところだった。


 ―――しょうがない。


 クラウはルカに少し待っていてくれと頼むと、棚から着替えとローブを引っ張り出してきた。それらに袖を通し身支度を整えてから、次は台所へと赴きテーブルにのった籠から少し果物を分けてもらう。水筒代わりの入れ物にジュースを注ぎこみ、果物と一緒にいつもお弁当を入れるカバンに入れて担ぐと、クラウはまた足早に自分の部屋へと取って返した。

 そして、机から紙とペンを取り出しさらさらと文字を書き連ねた。


「えっと…『かあさまへ、ククリと森にいます。心配しないでください。すこし、食べ物をもらっていくので、リザにもよろしくお伝えください。クラウ』っと。ま、これでいいだろう」

 我ながら上達したな、と自分が書いた文字を見直しながらどうでもいいことを思う。 

 

 クラウはその書置きをベッドの上に置くと、ルカの背へと飛び乗った。

「さて、行こうか」


 ――― それにしても困った奴だな

 ゆっくりと歩き出したルカの上で、クラウはまたそっとため息をついたのだった。




 

「……まっくら」

 暗闇に一人、ククリはぽつりとつぶやいた。


 家が建っているあたりは、数は少ないが一応街灯らしきものが立っているので、それなりに明るかったが、森のそばまで来るとさすがにあたりは闇に包まれ異様に静かだった。ただ、時折何かの生き物の息遣いが耳に届き、ククリはその度にびくりとして後ろを振り返ってしまうのだった。

「別に、怖くなんかないやい!」

 そんな強がりを口にしながら、ようやく見えた森の入り口で立ち止まる。里の方と比べると、森の中はなお一層不気味に見えた。


『約束だぞ』


 ククリの脳内に、ジークやクラウの声が響いた。

「…わかってるもん、ぼくだって、そんなわるいこじゃないもん」

 初めから森の中に入るつもりなどなかった。特別なにか目的があったわけではなく、ただ昼間動き回ったせいか疲れが出て、夕食を食べてすぐに寝てしまい、真夜中過ぎという変な時間に目が覚めてしまったのだ。

 ジークやセニアに何も言わずに出てきてしまったことは、ククリもいけないことだとわかっていた。けれど、じっとしているといろいろとよくないことを考え込んでしまって、苦しくなるばかりで、耐えられなかったのだ。それにしばらく散歩すればそのうち眠くなるだろうと考え、すぐに戻る予定でいたので、見つからなければ大丈夫と高をくくっていた。


 ククリは少しでも父親や母親のいる場所の近くに行きたかったのだ。ここがどのくらい離れているかなんて知らない。けれどこの森を抜けなければ、大人たちの言う「外」には行けないこともククリは理解していた。

 ――― だって…、僕のおうち、ここじゃないもん

 どうして、みんなが一緒じゃないんだろう。

 クラウのお母さん、すごく優しそうだった…。

 僕のお母さんだって、とっても優しいし、そりゃ、怒るとちょっと怖いけど…、でもお料理だって上手だし!それに…。


 家族のことを想うと、勝手に涙が溢れそうになる。父親と頑張ると約束したけれど、やっぱり一人ぼっちの寂しさには慣れることなどできなかった。



「今何時か分かっているのか?君は…」

「だ、だれ!?」


 突然聞こえた声にびくりと震え、振り返る。

 ククリはその眼に見えたものに驚いて、息をのんだ。


「く、クラウ…、なんで…?」


 いつの間に来たのか、ルカの背にまたがったクラウが、じっとククリを見つめていた。

 訳が分からず唖然とルカの上のクラウを見上げることしかできないククリに、

「なんだ?いかないのか?」

 と、クラウが静かに言った。

「え…」

「森に行きたかったんだろう?」

「…で、でも、入っちゃいけないって」

「一人では入るなって言われたのだろう。だったら僕とルカが一緒なら何も問題はない」

「!!」

「ほら、今日も『特別』だ」

 そういって自分に向かって差し出されたクラウの手を、ククリは戸惑ったように見つめた。


 ――― な、なんで?

 どうして、ここにクラウがいるのか。

 ククリは訳がわからず、頭の中がぐるぐると混乱していた。でも、クラウに言われた『特別』という言葉が、なぜか胸に響き、また泣きそうになってしまう。


「いかないなら、ぼくは帰るぞ」

「い、いく!」

 再度せかされ、ククリは咄嗟にクラウの手をつかんでいた。

 そのまま強い力で引っ張り上げられ、気づけばククリはあっという間にルカの背中にまたがっていた。



 それからしばらく二人は何もしゃべらず、ルカの進むままに移動した。

 ようやく気分が落ち着き、周りを見る余裕ができると、ククリは以前見た時とは別世界の森の様子に、思わず感動の声を上げた。

「…わぁ、きれい。あ、青いちょうちょ!」

「青鈴蝶だ」

「せいりん、ちょう?」

「そうだ。別名、精霊王の使いとも言われる、とても古い生物だそうだ」

「せいれいおうって?」

「精霊界の王様だ」

「おうさま!」

 わかっているのかいないのか、それでも王様というものがすごいことだけは知っているのだろう。「すごい!すごい!」と驚いているククリの様子に、クラウはふっと笑みを浮かべた。

「君はとても素直だな」

「な、なんだよぅ」

 いきなりそんな風に言われ、ククリは戸惑ったように俯いた。

「実に子供らしいということだ。僕には到底まねできない」

「…クラウだって、こどもじゃん」

「ああ、そうだな」

 笑って、泣いて、また笑って。拗ねたり、膨れたり、感動したり。人として当たり前の感情を当たり前に出せるその素直さは、自分には決してまねできそうにない。クラウは、以前の誠吾の時を思い返しながらしみじみと実感した。


 ――― 今思えば、相当可愛げのない子供だったな。

 まぁ、今も大して変わらないが…。


 クラウの口から苦い笑いが漏れる。泣きも笑いもしない子供など、周りの大人たちからすれば相当つまらない子供だっただろう。

 自分を卑下するつもりはないが、人には必ず、長所と短所があるのだと思う。ずっと「超えられない壁はない」を信念に生きてきたが、どんなに努力しても、人が持つ「らしさ」だけは、まねできないことをクラウは知っていた。


 自分らしさ、ククリらしさ、アリーシャらしさ。

 良し悪しなど関係なく、それは人が人である限り存在する個人の色なのだとクラウは改めて思った。




「さて、目的地まではもう少しだ」

「どこ行くの?」

「ついてのお楽しみだ」

 クラウはそれ以上何も言わず、二人はルカの背に揺られながら森の中を進んでいった。

 それから数分後。着いた場所は、つい最近クラウがアリーシャに連れてきてもらった、光ゴケが群生している広場だった。

「わぁ、なあに、これ!?」

 ククリの視界に、地面いっぱいにわさわさと生えた緑色の植物が映る。

「光ゴケだ」

「ひかりごけ?」

 クラウは「そうだ」と、頷き返しながら、広場の真ん中にある大きな岩の上に座った。

「夜明けまでまだ少し時間があるから、おやつタイムといこう」

「おやつ!?」

 まさか、こんなところでおやつを食べられるとは思っていなかったククリは、クラウに飛びつかんばかりの勢いで抱きついた。

 クラウが持ってきたカバンを一緒になって覗く。そこにはオレンジ色の何かの果物のようなものが入っていた。

「ほら、ミルミコの果実だ。昨日の夕方収穫したばかりの、とれたてだ」

「ミル実!僕大好き」

 クラウの手から一つ受け取り、嬉しそうに笑顔を浮かべていたククリだが、徐々にその顔は曇っていった。

「どうした?食べないのか?」

 クラウが促すと、ククリは、はむっと実にかじりついた。

「ふっ、うぐ…」

 一口、二口と無言で食べ続けるククリの目から、やがて大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 ずっと耐えていたせいか、一度こぼれてしまったそれは止まらず、ククリの手とミルミコの実を濡らした。

「おね、ちゃんも、大好き、なの、うっく、この実…」

「そうか」

「お、かあさんと、いっしょに、もりに、ひっく、とりにいって、、、」

「そうか」

「うぅ…あいたい、会いたいよ、おかあさんに、会いたいっ…」

 ついに、声を張り上げ泣き出したククリに、クラウは何も言わずただ黙って隣に寄り添っていた。


 やがてククリの涙が収まりかけたころ、クラウは静かに言った。

「君が家族を思っているように、君の家族だって、君のことを思っているさ。悲しくても、つらくても、頑張って踏ん張るんだ」

「ひっく、ん、うん」

「ククリ、君は優しい人間だ。世界はきっと、そんな君を見捨てたりしない」

 クラウは突然立ち上がると、すっとククリに向かって手を差し出した。その手をククリもなんとなく握り返す。

「さて、お楽しみはこれからだぞ」

「???」

 ニヤリとクラウが笑う。とても珍しいその顔に、ククリだけでなく、一部始終を見守っていたルカも驚いた顔をした。

「ちゃんとつかまっておけよ!」

「え!?わあああ、なにこれぇ―――――!!!」

 ぐっとつないだ手を引かれ、あわてて立ち上がった瞬間、ククリの口から悲鳴に近い絶叫が飛び出した。

 無理もない、いきなり自分が座っていた大きな岩が見る見るうちに盛り上がり、ぐんぐんと天に向かって伸び出したのだ!



「何これぇ―――!!どうなってるの―――!」

 ものすごい勢いで伸びていく岩のてっぺんで、ククリはあまりの恐怖にクラウの身体にしがみつきながら声を張り上げた。

「地属性の魔法だ!地形変化はまだやったことがなかったからな、どうなるか分からなかったが、うまくいったようで何よりだ!」

 ゴーっという風の音にまぎれ、クラウがいつもの口調で答える。

「ええーー!?何それ、しぬぅ~!」

「まぁ大丈夫だろう、万一落ちてもルカがいる!死にはしないさ!」

「むせきにんーーー!!」

 確かに少し無責任かもしれない。しかし、クラウはルカのことを心から信頼していたし、それ以前にククリを落とすつもりなど毛頭なかった。


「見ろ、ククリ!」

「わぁ~!!!」

 クラウに言われ、恐怖にぎゅっと閉じていた目を開いたククリは、見えた景色に感嘆の声を上げた。


 どこまでも続く木々のはるか上、気づけばククリは、空の中に立っていた。


 足元の岩の柱は、いつのまにか森の木々を追い越し、地上から数十メートルの高さにまで上り詰め、子供二人の身体を押し上げたのだ。

 雨上がりの澄んだ空に浮かぶ大きな月。

 満点の星に手が届きそうなその距離に、ククリは飛び跳ねる勢いで喜んだ。

「すごい、すごい!クラウ!」

「こら、あんまりはしゃぐと本当に落ちるぞ」

 そんな興奮冷めやまぬククリを支えてやりながら、クラウは右手をさっと翳した。

 慣れた感覚で魔力を掌に集める。

 見る見るうちにクラウの手の上に大きな水の球が出来上がると、やがてその球は勢いよく上空へと駆け上がり、縦横無尽に夜空を駆けまわった。

 次は光魔法。クラウの手から放たれた光の球は、徐々にその姿を変え、シカのような四足歩行の動物の姿へと変化した。

「あ!メイメイだ!」

 さすがは動物好きのククリ。夜空を自由に駆け回る光り輝く生き物を指差して、その名を叫んだ。

 光魔法でできたメイメイは、水魔法でできた道の上で飛び跳ね、踊り、走っていく。

「次はこいつだ、わかるか?」

 クラウは同じように光魔法を発動し、今度は丸っこい体に、丸いリングのようなしっぽ、そして背中に小さな羽が生えた生き物を空に放つ。すかさず、ククリの声が飛んだ。

「ディーグリング!」

「おお、正解だ。すごいな君は。きっと僕より詳しいな」

 クラウはこの森の生き物ならば大抵は知っているが、外の大陸に関して言えば、今の二匹ぐらいしか知らないのだ。

 なので、ここからは地球上の生物で勘弁してもらう

 うさぎに、リスなどの小動物に、シマウマやキリン、果てはライオンまで思いつく限りの動物を空へと放つ。

「キャ~、すごい!あ、何あれ、変な顔!」

 ククリの無邪気な笑い声に誘われたのか、いつの間にか森に住む精霊たちが姿を見せ、光の動物たちの周りでくるくると踊りだした。


 見たことのない動物に、外の大陸では見られない精霊たち。

 ――― こんなすごい魔法見たことない!


 どれもこれも、ククリには初めてのものばかりで、自分は素敵な夢を見ているのではないかと錯覚しそうになる。思わず隣に立つクラウの手を握ると、それはちゃんと暖かく本物であることを伝えてくれた。



「さて、そろそろフィナーレだぞ」

「?」

 フィナーレという言葉の意味が分からず、ククリは首を傾げた。

 その数秒後。

 ククリ達の足元から、無数の光の球があふれ、夜空へと舞いあがった。

 それは光ゴケの胞子だった。


 風に乗り、天高く昇っていく光の粒子。


「わぁ……きれい」

 その現実離れした光景にククリは目を真ん丸に見開いて、感嘆の溜息をもらした。 


「もうすぐ夜明けだ」

 海の向こうの水平線がキラキラときらめき、やがて日の光が世界を照らす。

 ふわり。

 その日の出の景色をバックに、一体の小さな下級精霊がクラウとククリの前に進み出てお辞儀をした。


 ――― チリンチリン!


 精霊が何かを喋る。その声は、当然ククリには理解できず小さな鈴の音のようにしか聞こえなかった。

 しかし、クラウにはきちんと言葉として伝わっていたらしく、

「君の言葉を届けてくれるそうだ」

 と、ククリに通訳してくれた。

「え…?」

「ほら、ご家族に何かあるだろ?」

 クラウの言葉に、ククリは一人戸惑ったように精霊の顔を見返した。


 ――― 届ける?言葉を?


「え、え?どういう…?」

「何でもいい、今の気持ちを、家族に届けてもらえ」

「ええ…?……、ほんとに?そんなこと、ほんとに、できるの?」

 混乱するククリを前に、精霊はふわりと微笑し、はやくはやくと言いたげに首を上下に振る。


 言葉を―――


 ククリは海の向こうをじっと見据えた。やがて、ひとつ大きく深呼吸すると、遠い地にいるはずの父親に向けて叫んだ。

 

「父さん!頑張ってーーー!!!!」

 ――― 待ってるから、ずっと。


 木霊するククリの思いをしっかりと受け取った精霊は、朝焼けの中、空の彼方へと消えていった。

 その姿を見送りながら、ククリはまたジワリと瞳に浮かんだ涙を、ぐっと拳でぬぐった。


「…ちゃんと、届くかな?」

「ああ、大丈夫さ。きっと届けてくれる」

「…クラウ、ありがとう」

「少しは元気が出たか?」

「…うん!!!」

 あふれんばかりのその笑顔に、クラウはまぶしそうに眼を細めた。


 



『眠ったのか』

 朝焼けの靄の中、地上へと降り立ったクラウ達の下に、ルカが近寄ってきた。クラウの背に抱えられているククリは、興奮して疲れたのか、ぐっすりと眠っている。その顔はとても幸せそうで、口元が緩く弧を描いていた。

「さて、帰るか。かあさまたちに謝らないとな」

 クラウはククリをルカの背中に乗っけて、自分も乗り上げると、ルカにジークの家へ向かうように言った。


『珍しいな。お前がここまで他人を気にかけるのは』

 道中、ルカが静かに言った。

「そうだな。自分でも意外だが、何となく放っておけないんだ」

 クラウ自身、理由を問われてもあまりよくわからなかった。ただ、自分とは全く違う、子供らしい子供のククリに、何かしら惹かれるものがあったのかもしれない。

「それに、健気でかわいいじゃないか」

『………』

 思いのほか気に入っているらしいクラウの様子に、ルカは何とも言えない顔をする。この男、意外と面食いだな…と、5年目の付き合いにしてどうでもいいことに気づくルカであった。


 森を抜ける頃、あたりはすっかり夜が明け、照りつける日の光に、クラウは目を細めた。

「まぶしいな…。今日もいい天気になりそうだ」

 丘の合間を抜け、ジークの家が視界に入る頃、クラウは屋敷の前に見慣れた姿があることに気づき苦笑した。

 遠目に、朝日に照らされキラキラと光って見えるのは、見慣れた白髪と銀髪の大人三人。どうやら、みんなで出迎えてくれたらしい。中でも小柄の女性二人がこちらに向かって手を振っている。

 ――― これは説教かな

 まぁ、仕方がないなと、クラウはあきらめそのまま人影に向かって手を振りかえして見せた。



「お帰りなさい、クラウ」

「ただ今戻りました、かあさま」

 ルカの背から飛び降り、待っていたアリーシャの前でクラウは頭を下げた。アリーシャの隣に立っていたセニアとジークにも挨拶すると、セニアはほっとしたような顔で笑いルカの背で眠りこけているククリを受け取り、抱きかかえた。

「まぁ、幸せそうな顔で寝ちゃって。私たちがどれだけ心配したか、わかってるのかねぇこの子は」

 言葉とは裏腹に、安心したような優しい声色で話すセニアに、クラウはやはり心配をかけてしまったのだと悟った。


「ジーク様、セニア様、ククリを叱らないでやってください。今日のことは、僕が誘ったのです。お叱りなら、僕が受けます」

 改めて二人に向き直り、頭を下げる。すると、それまで腕組みして黙ってみていたジークが、呆れたようにため息を吐いた。

「坊が責を負う必要がどこにある。誘ったのがどちらにしろ、黙って出て行って、俺たちに心配をかけたのはククリ本人だ。ククリが罰を受けるのが妥当だろう?」

「それはそうですが。僕は彼があなた方に黙って家を出たことを知っていて、放置しました。本来ならちゃんと戻って説明し、許可を受けるべきでした。けれど、僕はわかっていながらそうしませんでした」

「…坊らしくねぇな、何故だ?」

「そうですね…。何故と問われると、自分でもはっきりとしたことは言えませんが。ルカも一緒ですし、かあさまに書置きを残してきたので居場所はわかると思っていたのも一つですが、たぶん…そうですね、少し、彼の味方をしてやりたかったのかもしれません」

「味方?」

 クラウの言葉に、ジークは怪訝そうな顔をした。

「誤解しないでください。言葉が悪いかもしれませんが、この里やジーク様たちにどんなに優しく受け入れられても、彼は一人です。いや、彼がそう思っているという話ですが…、ククリにとって一人であるという事実は、耐えがたい苦痛なのだと思います。堪えて、耐えて、笑っても、その悲しみは本来の家族にしか癒せません」

「そりゃあ…、坊の言う通り、俺たちだってわかっているつもりだ。そんな境遇の子供をたくさん見てきたからな。だが、耐えなきゃならんのだ」

「ええ、その通りだと思います。どれほど悲しくても、今は我慢するしかないとククリもわかっているのでしょう。…まぁ、ぼく自身、一人ということがそれほど悲観するべき事項かと思いはしますが…、そんな我慢ばかりしている彼に、またダメだと縛るような気にはなれなかったのです」


 普段のクラウならば、ククリが外にいるとわかった時点で、ジークやセニア、あるいはアリーシャにそのことを伝え、家に戻るように促していただろう。それはクラウ自身が大人側の立場として立ち、都合を理解しているからで、どうしたって大人の嗜好になりがちなのは仕方のないことだ。

 しかし、ククリがクラウに期待していることはそんな大人な部分ではない。先日セニアに二人が友達だと言われ嬉しそうにしていた時、そして今日の昼間、ククリが家にまでやってきた時、クラウは、ククリが自分と同じ「子供」のクラウに相手して欲しかったのだと感じたのだ。


「この里でククリが知る子供は、今のところ僕しかいません。だから、僕は彼と一緒に、子供として接することを選んでみたのです」

「……」

 ジークもセニアも、クラウの言葉に黙り込んでしまった。何となく、クラウの言いたいことはわかるような、わからないような…。

 ――― 相変わらず、面倒な性格してるな…

 ジークは改めて思った。この子供は、とことん子供らしくない。だからこういう考えが出てくるのだろうが、それにしても…。

「遊ぶなら昼間でいいだろうが。わざわざ夜に出かけるなって言ってるんだ」

「わかっています。二度としません。ですから今回のことに関してのお叱りは、僕が受けます」

 どちらも引けないらしい。お互いの顔を見つめ合う二人のそばで、セニアは呆れたようにため息をついた。彼女としては、二人が無事に戻り、こうして自分の下で眠っているククリを見ていたら、早々どうでもよくなってしまっていたのだ。


 一方、終始黙ったままのアリーシャは、なぜかくすくすと笑い始めたのだった。

「かあさま…」

 なぜ笑うのか、とクラウがじっとりとした瞳でアリーシャを見つめる。

「はい!ごめんなさい!ふふ、でも、だって…!」

「なんですか?」

「まさか、クラウにお友達ができるなんて、嬉しくって!」

「……」

 どういう意味だと言いたい気持ちが顔に現れていたのか、アリーシャはクラウの反応にますますニコニコと嬉しそうに破顔した。

「だって、あなた里の子たちと遊んだことなんてないじゃない。いつもルカと森に出かけちゃうし、これでもちょっと心配してたのよ?」

「…別に必要ありません」

「ほら、そんなこと言う。まぁ、あなたの性格じゃ、子供の遊びが性に合わないんでしょうけど、それが、まさか!ふふ、私、とっても嬉しくって」

 クラウのベッドにぽつんと残された書置きを見つけた時は、一瞬あわてたアリーシャだったが、冷静になって思った感想が、「あの子に一緒に出掛ける友達ができたのね!」だったのだ。それを聞いたリザまでもが感動し、しばらく二人で盛り上がっていたのだが…、クラウは知らない方がよさそうである。


「もう、私が話した時は、興味なんてありません!みたいな顔してたのに。いつの間に仲よくなったの?」

「…離してください、かあさま」

 アリーシャにガバッと抱きつかれ、頬ずりまでされて、クラウの顔がそのくすぐったさにゆがむ。最近のアリーシャはやけにくっついてばっかりだと、クラウは少々げんなりした。

「いやよ~。ふふ、素敵ね。お友達は大事にしなきゃだめよ」

「…はい、かあさま」


 ――― しょうがないな


 クラウの口から洩れた小さなため息が、朝の澄んだ空気に吸い込まれていった。

 

 結局、終始アリーシャがニコニコと嬉しそうにしていたせいか、毒気を抜かれてしまったジークは、今回のことに関しては、クラウにもククリにもお咎めなしということで話は終わったのだった。


 ここにも、ルカ同様、アリーシャに弱い男がいたらしい。


 ――― 天然の成せる業か


 何とも言えない顔でクラウ達親子を見送るジークの姿に、ある意味この里『最強』は自分の母親ではないかと、隣を歩くアリーシャを見ながらクラウは一人考えていたのだった…。







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