17 ククリの冒険
『いいか、ククリ。しばらく父さんと離ればなれになるが、父さんはいつだってお前を思っているから。きっと、必ず、母さんと姉さんと一緒に、ククリのところに帰るから、ちゃんといい子で待っているんだぞ?』
『うん、僕、できるよ!』
『いい子だ。父さんはお前を誇りに思うよ』
『僕、頑張るから、早く帰ってきてね』
『ああ、すぐに。約束だ』
――― 絶対に、約束だからね…。
ククリはふと深い悲しみの中で目を覚ました。一瞬自分がどこで寝ていたのかわからず、あたりを見回す。
見慣れない天上に家具、馴染みのない風景。
――― そっか、僕、まだ一人なんだ
ククリは布団を頭からかぶり直し、ぎゅっと目をつぶった。
父親と別れてから、どれくらいの日が経っただろう。初めての土地に、初めて見るたくさんのエルフ族。今まで小さな森で、家族と父親の友人夫婦とひっそりと暮らしていた時は、エルフはもちろんのこと、他の人間にもほとんどあったことがなかったククリだが、森を出て以来いろいろな人間に出会った。
自分たち家族を連れ去り、狭い部屋に閉じ込めた怖い人間、同じエルフ族のレノやガルフ、その仲間たち、ジークとセニアに、そしてクラウ。
そう、クラウは、ククリにとって初めてできた友達だった。
森の外へは絶対に行ってはいけないと父親から禁止されていたククリにとって、遊ぶ場所はいつも家の前にある川のほとりだったし、遊び相手は森に住む小動物だけ。姉とは30歳も年が離れているため、絵本やお話を聞かせてくれたりするが、走りまわる歳でもないので、動きたい盛りのククリの相手は必然と森の動物になるのだった。
しかし「古の森」にいる生き物のように人懐っこい動物はほとんどおらず、もちろん意志の疎通なんて不可能で、ほとんどククリの片思いだった。それでもククリは動物が好きで、彼らと少しでも仲良くなれるようにと毎日努力した。おやつを分けてやったり、雨宿りできるよう葉っぱでお家を作ってあげたり、一方通行ではあったが、ククリにとっては大事な遊び相手だったのだ。
しかし、クラウは違う。
ちゃんとした人間だし、言葉だって通じる。
――― まぁ、ちょっと変だけど…。
「どうしてあんなへんな喋り方なんだろ、あいつ」
ククリは昨日聞いたクラウの固い言葉づかいを思い出し、むふっと笑いをもらした。
「ほんと、変な奴!」
「ククリ~、起きてるの~?ご飯よー」
「はーい!」
階下で自分を呼ぶ声が聞こえ、ククリは少しだけ明るくなった気分でかぶっていた布団を蹴とばした。
「おう、なんだにやにやして、いい夢でも見たか?」
部屋に入ってきたククリを出迎えたのは、座席でお茶を飲むジークだった。
「…お、おはようございます」
ククリは少し緊張しながら挨拶をした。
そのまま自分にあてがわれた席に着くと、ぐりぐりとジークに頭を撫でられた。
「昨日、森でクラウ坊と一緒だったんだって?さっそく約束破りやがって、いい度胸じゃねえか」
「ご、ごめんなさい!」
「カッカッカ!まぁ、何もなかったんなら別にいいさ。どうだ?あの森はすごかっただろう?」
特に怒っている風でもなく豪快に笑い飛ばし、ククリの肩を抱きながらジークは話を続けた。
「あの森は、特別だ。まぁ、俺が自慢できるもんでもないが、今の中央大陸にはあんな森はないだろう?」
「…うん!あのね、見たことない生き物がいっぱいいた!」
「そうだろう、そうだろう。おめぇ、動物が好きなのか?」
「うん!僕もクラウみたいに、おしゃべりできたらいいのに…」
「あー、それはちと無理だろうな。坊は特別だ。普通の人間には無理だ」
「おじさんも?」
「ハッハ!俺にそんな芸当できるわけがないだろう?ま、ベイシャルの言葉ならわかるがな」
「べいしゃる…?」
「おう、なんだ?興味あるのか?」
ジークはニヤリと笑った。ククリが興味を示したことがうれしいようだ。
「いいだろう。俺のとっておきの秘密だ。あとで特別に教えてやる」
「ほんとう!?」
「セニアには内緒だぞ?」
こっそりと耳打ちしてきたジークに、ククリは興奮したように頷いた。
「なんだい、二人して内緒ごとかい?仲良しなのはいいけど、ご飯を食べてからにしておくれよ。ククリ、運ぶのを手伝ってちょうだいな」
「はーい!」
セニアに呼ばれ、ククリは足取り軽く席を立って走っていた。その後ろ姿を見つめながら、ジークはゆっくりとお茶を啜った。
「おはようございます、ジーク様」
「おう、問題ねぇか?」
ちょうど朝食の準備ができたころ、3人の男がジークの屋敷を訪れた。皆何かしらの武器を装備し、その物々しい雰囲気に、器を運ぼうとしていたククリは、取って返しセニアの背に隠れてしまった。
「…あの子が?」
と、男の一人がククリを見ながらジークに囁いた。
「おうよ、ククリだ。しばらく家で預かるから、よろしく頼むぞ」
「はい、わかりました。ククリ、よろしく」
「よ、よろしく」
見慣れぬ男たちのこわごわと見つめながらククリは小さく挨拶する。その姿に、男たちは「かわいいな」と皆笑みを返しながら、ジークと共に外へと出て行ってしまった。
「みんな、どこいくの?」
「ん?ああ、あの人たちはね、これから結界の外に見回りに行くんだよ。外に魔物や変な人がやってこないか、見張りを立てて、里や森を守る立派なお仕事に行くんだ。わかるだろう?」
セニアの言葉に、ククリは改めて窓の外の男たちを見つめた。
ジークと何かを話している大人たちは皆、真剣な表情で、少し怖いくらいだ。だけど、ククリは大人にとって「お仕事」がとても大事なことを知っていた。
「父さんも、いつもお仕事だって言って、出かけて行ったんだよ」
「…そうかい、ククリのお父さんも、ククリや、お母さん、お姉さんのために、一生懸命お仕事してたんだねぇ」
「あのね、父さんはお仕事から帰ってくると、いっつもお土産買ってきてくれるんだよ!僕、だからいつもいい子で待ってるんだ!今度だって…」
幼いながらも、どこかで不安を感じているのだろう。離され、遠い地で一人、悲しみに耐えながら言うククリの様子に、セニアはたまらずその小さな体を抱き寄せた。
「早く、帰ってくるといいねぇ。こんなにいい子が頑張ってるんだ。大丈夫、みんなだってククリに会いたいと思って、必死に頑張ってるよ。きっと、大丈夫さ」
「…うん!」
男たちはいつものようにジークと一日の打ち合わせをしながら、出発の準備を整えていた。
「ガルフさんから何か、連絡はありましたか?」
と、仲間の一人が聞いた。
「昨日の定期連絡では、まだ少しかかるだろうときた。ある程度場所はわかったらしいが、確実に取り戻すためには慎重にならざるを得んとな。幸い、開催日が今月の半ばだとわかったから、幾ばくかの猶予はある」
「…そうですか。ほんと、早くけりがつくといいですね」
「そうだな。それより外はどうだ?変わりはねぇか?」
ジークの言葉に、男たちは何やら言い辛そうにお互いの顔を見合った。
「なんでぇ、報告はきちんとしろ」
「…は、はい!あの、確かではないのです。だから報告すべきかどうか…。決して俺たちが怠けてるわけじゃなくてですね、なんていうか…」
「ああ?何の話だ」
要領をえない言葉に、ジークのイライラが増す。元来、気の短い男なのだ。
「…最近、魔物が強くなっている気がするんです。なあ?」
一人がほかの男たちに問うと、皆が頷いた。
「今まで、ジェルニドラ一匹に、大した時間はかかりませんでしたが、それが結構てこずるように…」
「何が違うと聞かれると、困るんですけど…。なんていうか、しぶといというかタフというか…」
「…まて、そいつの肌の色は?黒くはなかったか?」
少し、緊張をにじませた声でジークが聞いた。
「いえ、そういった姿形の変化はほとんどないんです。だから、俺たちもはっきりとしたことがわからなくて」
「…黒いって、まさかジーク様…」
黒い魔物。その意味するものに、男たちは顔をこわばらせた。
100歳以上が大半の里の者たちは、「呪魔」の恐ろしさを十分理解している。もちろんこの里で生まれ育った若い者にも、世界と自分達一族がたどった歴史についてきちんと教え、その上で里と森を守ることの重要性を説いてきたので、皆「呪魔」の存在については知っているのだ。
「…見たという噂をな、外の大陸で偵察班の奴らが聞いたらしい」
と、ジークが神妙な面持ちで言った。その言葉に、男たちが動揺を見せる。
「そ、そんな…!?」
「お前たちは実際に一日の大半、結界の外にいるから、知っておくべきだろうとあえて言ったが。いいか、絶対にほかの女子供には言うんじゃねぇぞ。いらん心配をかけるんじゃねぇ」
「はい…」
「あくまでも、噂だ。だが、用心に越したことはない。お前たち、アリーシャ殿の作った結界符は持ってるな?」
「はい、大丈夫です」
「もし少しでもやばいと思ったら結界を張って、バイハルンドを飛ばせ。万一呪魔だった場合はルカ様に頼んで助けに行く。わかったな」
「はい!」
「夜の奴らにも伝えろ。夜の方が魔物も活発だ。くれぐれも注意しろってな。行け」
男たちはジークに一礼すると、森の方角へと出かけて行った。
「厄介なことにならんといいがな…」
「あんた、終わったのかい?朝食にするよ。さっきからククリのお腹の主張が大変なことになってんだから、ねぇ?」
と、セニアがドアから顔を出したちょうどその時、その後ろから抜群のタイミングで「ぐごぉー」とものすごい音が響いた。
「おお、こりゃ元気な虫だな!!わっはっは」
遠慮なしに大口を開けて笑うジークを、セニアの後ろから真っ赤な顔をしたククリが恨めしそうに睨んでいた。
朝食後、約束通り秘密を見せてくれるというジークについて、ククリは里の一番東にある海岸線に来ていた。
「よし、いいか?あぶねえから、ちょっと後ろに下がっとけ」
意味深な顔でジークにそう言われて、ククリはごくりと唾をのみ込み、その姿を見守った。
「坊主は、召喚魔法って知ってるか?」
「ううん」
ククリは首を振った。
「そうか、おめぇの親父さんは、聖獣と契約してなかったんだな」
そりゃ反応が楽しみだと、ジークはさっと手を翳し、詠唱を始めた。
「天の導きに、恩の義をもって我、召喚す。サモン<召喚>!」
ジークの掌に何かの文様が浮かび、光り出す。やがて足元に巨大な魔法陣が現れると、あふれんばかりの光の中、何かの生き物のシルエットが浮かびあがった。
「俺の相棒、ベイシャルだ。どうだ?かっこいいだろう?」
「わぁ~、すごいすごい!かっこいい!」
ククリは大きな瞳を限界にまで開いて、魔法陣の真ん中に現れた不思議な生き物を凝視した。
現れたのは一頭の聖獣だった。
ルカやアナモグマのグレンほどではないが、それでもククリからすれば巨大に見えるその生き物は、四足歩行の、黒い馬のような姿をしている。額には立派な角が生えており、シャープな顔立ちに透き通るような真っ青な瞳が、凛々しさを際立たせていた。そして鞭のようにしなやかな長いしっぽが揺れている。
ジークは優しくベイシャルの頭を撫でてやりながら、今だ感動の渦の中にいるククリに話しかけた。
「俺が16歳になったときに契約して、以来多くの苦楽を共にしてきた大事な相棒だ。ククリ、おめぇがもう少しでかくなったら俺が直々に契約の儀式を教えてやる」
「ほんとう!?」
「ああ、動物好きのおめぇのことだ、きっといい相棒が来てくれるだろうよ」
「僕も、けいやくしたら、その子とおしゃべりできる?」
「もちろん、聖獣と契約するってことは、お互いの胸の内をさらけ出して、信頼し合うってことだからな。お互いがある限り、一生もんの絆だ」
「わぁ、いいな、楽しみだなぁ~」
ククリはすでにその時の様子を想像しているのか、瞳をキラキラさせて、ジークとベイシャルのツーショットを見つめていた。
ジークはそんなククリの身体をひょいっと抱き上げると、ベイシャルの背に乗せてあげた。自分もその後ろに飛び乗り、またがると、ベイシャルはジークの気持ちを察したように浜辺を走り出した。
「きゃ~!はやい、はやい~!!」
「どうだ?最高だろう!!」
「うん!さいこー!」
キャッキャと笑い声をあげながら頷く幼子に、ジークも笑みを浮かべる。
子供に暗い顔など似合わない。
願うならば、この笑顔が曇ることがないように。
どうか、この子とその家族に、世界の慈悲がありますように。
――― ガルフ、レノ、みんな、…頼んだぞ
ジークは、遠い地で必死に頑張っているはずの仲間たちに祈りとエールを送った。
仕事があるからと言って、里の広場の方に行ってしまったジークを見送り、ククリはぶらぶらと丘の合間の道を歩いていた。まだ先ほどまでの興奮が残っていて、ククリは今なら自分は何でもできるような気がした。
別れ際、ジークに再度「森へは一人で入るな」と念を押されたので、ククリは約束通り森の方へは行かなかった。
「よし、今日は里の探検をしよう!」
ククリはそう決めると、まずは東側に一軒だけぽつりと立っている屋敷の方へと歩いて行った。
その家は、他の家と比べるとどこかこぢんまりとしていた。石でできた丸い屋根に、小さな窓ひとつと、質素な扉。子供が作ったか、歪な形の置物が所々に飾られ、小さいながらもどこか温かみの感じられる家だった。その脇に作られた簡易な庭には、色とりどりの花が咲き乱れ、ククリはその美しさに目を奪われた。
「わぁ、きれいだなぁ」
「ほう、珍しい清い魔力じゃの。はて、覚えがないが、どちらさんかな?」
「あ、あの、こんにちは!」
誰もいないと思ったククリだが、よく見れば庭先の椅子に年老いた老人が一人、座ってこちらを見ていた。
ククリが慌てて挨拶すると、その老人は優しく笑った。
「ほっほ、こんにちは。小さいお客さん。もしや、ククリといったかな?」
「…僕のこと、知ってるの?」
「さて、君とは初対面じゃなぁ。じゃが、君のおじいさんは知っておるよ」
「僕の、おじいちゃん…?」
「そうさなぁ、もうずっと昔の話だが。はて、お父さんからドープのことは聞いたことがないかの?」
老人の言葉に、ククリはようやく思いついた。
「…ドープおじいちゃんは、お父さんの、お父さんで、死んじゃったって」
「そうかい、そうかい。難儀な堅物男じゃったが、如何せん、こんなにめんこい孫ができるとはのぅ。そういえば、嫁は里一番の美人の女子だったから、不思議でもないかの。ほっほっほ」
――― この人、誰だろう?
一人、懐かしむように話す老人に、ククリは不思議そうに首を掲げた。
と、そこへ、
「ガライアス様、おはようございます」
一人の男が家の裏手から現れた。その肩には一羽の大きな鳥がつかまっている。
「わぁ!おっきな鳥!」
ククリは感嘆の声を上げた。
「おや、この可愛い御嬢さんは?こんな子、里にいたかな」
見慣れない子供の姿に、男が首を傾げる。
クラウに続き、またもや女の子と間違われてしまったククリは、
「むぅ、僕は男だ!」
と、強く抗議した。
「え!?いや、それは失礼なこと言ったな、済まない」
「ほっほ、モールスもまだまだじゃのう」
「いやぁ、さすがに、これは…」
盲目のガライアスに同意を求めても無駄なことだが、モールスは自分だけが間違えたわけじゃないと信じたかった…。
「おじさん、モールスさんっていうの?僕、ククリ」
「ああ、例の子か!そうかそうか、通りで見たことがないと思ったよ」
ククリという名に聞き覚えのあったモールスは、ようやく合点が言ったようでしきりに頷いた。それに呼応するかのように、肩に止まった鳥も、きゅいきゅいと鳴き声を上げた。見た目とは裏腹に、かわいらしい声を出すその様子に、無類の動物好き血が騒ぐのか、ククリの視線が釘付けにされてしまった。
「ねぇねぇ、その鳥、僕知ってる!この間、えっと、何とかさんのお手紙を、なんとかさんに、お届けしたんだよ!とってもお利口さんなんだよ!」
「ほぉう、ククリは物知りじゃな?」
自慢げに言うククリに、ガライアスは破顔して褒めた。
「ああ、外で見たんだな?そりゃあガルフ達についているバイハルンドは、歴代の中でも最高の優秀さを誇る子だからな。そうだ、今から餌を上げる時間なんだ。ククリもやってみるか?」
「ほんとう!?」
モールスの誘いに、ククリは飛びついた。
「こっちだ」と案内されたのは、ガライアスの家の裏にある石垣を潜った先、円形状に切り取られたバイハルンド専用の訓練場だった。広い地面の所々に木の棒が無造作に立っており、その上に数羽のバイハルンドが羽を休めて止まっていた。
南の端に作られた大きな小屋の前に来ると、モールスはバケツのような容器を持ってきて、ククリの前に置いた。
「さぁ、これが彼らのご飯だ。何か分かるか?」
モールスにそう問われ、ククリはその中身を覗いた。
「わぁモドミミズだぁ~、きもちわる~い!」
バケツの中でうごめく生き物に、ククリはケラケラと笑い声をあげた。太さ1センチ、体長20センチほどの深い緑色をしたモドミミズ数十匹が、所狭しと絡み合い、ぐねぐねとうごく様はかなりの気持ち悪さである。大人子供にかかわらず、大抵の里の者は早々に逃げ出してしまうくらいなのだが…、ククリは違った。
いきなりずぼっとバケツの中に手を突っ込んで、中の1匹を手でつまむと、まじまじと見つめて、「意外とかわいい…?」とつぶやいたのだった。
「ぶっ!あっはははっは!すごいな、君!モドミミズがかわいい?本気かい?」
さすがのモールスも、このククリの予想外の言動には驚き、つい吹き出してしまった。
「君で2人目だよ!最近の子供は、変わった子が多いんだな。みんなそんななのか?」
「2人目って?」
「ああ、クラウ様だよ。ククリはもう会ったかい?丘の上の家に住んでいる子共なんだけど」
「うん、知ってる」
「そうか、クラウ様も相当変わっているが、君もなかなかだな!」
モールスはかなりツボにはまったのか、しばらく笑いが収まらなかった。
あれは1年ほど前だろうか。クラウが4歳になったばかりの頃の話だ。
その頃のクラウはルカと共に里の中を歩き回るのが日課で、毎日あちこち見て回っている姿が里の者たちに目撃されていたが、皆あの子はかなり変わっていると口をそろえて噂したものである。その話を聞いていたモールスは、興味だけが先歩きし、どんな子共なのだろうとあれこれ想像していたのだが、いざ対面すると予想をかなり上回る変人さを見せつけられたのだった。
「ほう、これは珍しい生き物ですね。…緑ですか。おお!このミミズは目がはっきりとあるんですね!地中に住む生物なのでは?退化せずに残っているということは、何かしらの役割があるということか…?それにしても、緑というのはどういうことだろうか。地中の魔力の影響か…?もしくは…」
モドミミズの1匹を自分の掌に載せ、隅々まで観察しながら、何かぶつぶつとつぶやく様子に、モールスもガライアスも唖然と黙るしかなかったのだった。今思い返しても衝撃的だ。
「いやぁ~、笑った笑った。酸欠になるかと思ったよ」
「むぅ、ぼく、クラウほど変じゃないやい」
面白くなさそうに頬を膨らませて言うククリに、モールスは「ごめんごめん」と謝った。
「くくく、それにしても、同い年のククリにまで変だって思われるクラウ様は、相当だな!」
「だって、本当に変だもん。変な喋り方だし」
「まあ、子供らしくはないよな。でも、素晴らしい方なんだぞ?すごく優しくて頭もいいし、器用だしな。この間なんて怪我したバイハルンドの子供を自分で手当てして、送り届けてくれたんだ。薬草園の手伝いをしているから、薬のことについては詳しいらしい」
「…ふーん」
――― 優しい?あいつが?
でも、そういえばおやつもくれたし、家まで送ってくれたし…。まぁ、悪い奴じゃないかな?変だけど!
最後の部分はやはり譲れないらしいが、ククリの中で、少しだけクラウの株が上がったようだ。
しばらくモールスと共にバイハルンド達の餌やりを楽しんでから、ククリは訓練場を後にした。
「えっと、つぎはぁ、あ、なんだあれ!」
ガライアスの家の前の道をそのまま進み、歩いていると、ククリの視界に何やら怪しげな物体が映り込んだ。
近づくと、厚さ10センチほどの円形状の木の板が、ずらりと壁にかけられているようだった。その表面にはいくつもの円が書かれており、中央には×印がつけられていた。
「なんだろ、これ?」
「あ、おい!そこのお前、何してるんだ!?あぶないだろ!」
「え?」
いきなり怒鳴られ、何のことだと振り返ると、一人の少年がすごい形相でククリの方へと走ってきた。
「こら!弓の的の前にぼけっと突っ立って、危ないだろ!練習中だったらどうするんだ!」
「え、えっと、ごめんなさい!ぼ、ぼく…」
どうして自分が怒られているのかわからず、でも、きっといけないことをしてしまったんだと悟り、ククリは泣きそうになった。
「?お前、里の子じゃないな?」
「うぅ、ぼ、ぼく、、、ふぇ」
「ああ!泣くなよ、これぐらいで!」
「これ、何をやっとるんじゃ、騒々しい。的の近くは立ち入り禁止じゃと、あれほど言うたじゃろうが」
「師匠!」
少年の後ろから現れたのは、身長190センチ近くの大きな男だった。師匠と呼ばれたその男は、子供たちに剣術、弓、そして槍の扱い方を教える役割を担った、ユンガイルであった。
朝の訓練の準備をしていたユンガイルは、的場の方で何やら話し声が聞こえたのを不思議に思い、こうして様子を見に来たのだった。そして、もうすぐ15歳になろうという里の少年と、これまたかわいらしい見たことのない子供が一緒にいる光景に、
「はて、どこの子だ?見かけん子じゃな」
と、首をかしげた。
「師匠も知らないんすか?」
少年も不思議そうだ。
ククリはなんとか涙を抑え、自己紹介をした。
「く、ククリです!えっと、ジークおじさんのところで、お世話になって…」
「おお、おお、お前さんか!そうかそうか!…ん?男の子だと聞いておったが、はて、わしの記憶違いか?」
どこをどう見ても女の子にしか見えないククリの容姿に、ユンガイルはさらに首をかしげた。
「師匠もいい年だしな、ボケが始まったんじゃないんですか?」
「何を!?」
少年の遠慮のない言葉に、ユンガイルは年甲斐もなく憤慨した。
「ほら、顔真っ赤にして、血圧上がるっすよ。大人気ねえなぁもう」
やれやれといった感じでため息をつく少年に、ユンガイルがさらに顔を真っ赤にして怒り出したのは言うまでもない…。
「うぇぇ、うっく、ひっく」
「ほらぁ、師匠の顔が怖いからまた泣いちまったじゃないっすか!」
「わしの所為か!?お前のその遠慮ない口の所為じゃろうが!」
「俺の口は素直なだけですよ。おい、もう泣くなよ。かわいい顔が台無しだぞ?」
「そうじゃぞ、こんなかわいげのない男なんて放っておいて、お嬢ちゃんはおじちゃんとあっちに行こうな。ここは危ないからな」
「うぇえええん。ぼく、おじょうちゃんじゃないぃぃぃぃ、おとこのこぉおぉぉ」
「ええ!?」
「なん、じゃと!?」
二度あることは、何とやら…。盛大に泣きながら自分の性別を訂正したククリに、ユンガイル達は絶句し、固まってしまった。幾人もの子供の面倒を見て、弟子として育ててきたユンガイルの眼すら曇らせてしまうほど、ククリは大変かわいらしかったのだった…。
「もう、なんだよ、みんなして…!」
ククリは丘の合間の道を歩きながら、一人ぷりぷりと怒っていた。会う人みんなが自分を女の子だと勘違いするのだ。
「そんなに、変かなぁ」
自分の容姿がどう見えるかなんて、ククリはわからない。髪を伸ばしているのも、母親と姉がとても気に入って切らせてくれないからだ。ククリは短くても長くてもどっちでもいいのだが、二人が喜んでくれるからそのままにしているだけなのだ。
「でも、クラウもあの男の子も短かった…」
自分が可笑しいのかもしれないと思いながら、ククリはユンガイルからもらったお菓子をかじった。
「ん!?おいしい!!」
口にひろがる、甘い味。元来甘いものが大好きなククリは、さっきまでの怒りも吹き飛び、その幸せな味にうっとりと頬を緩ませた。
もぐもぐと口を動かしながらククリはさらに進む。周りの丘は、あたり一面、何かの植物が生えていて女の人がしゃがみ込んでその葉を摘み取っている。ククリはそれらの様子を眺めながら、歩き続けた。
「そういえば、クラウのおうち、丘の上だって言ってた」
モールスが言っていたことを想いだし、ふと立ち止まり、北側の丘の頂上をみあげる。
――― あれかな?
大きな木の隣に、一軒だけ立っている家が目に入り、ククリは目を輝かせた。
「クラウ、いるかな?」
また逢えたら、お話ししようって言ってくれた。会いに行ってみようかな、迷惑かな、いるかな、いないかな。
ククリはどうしようかと迷い、でもちょっと様子を見るだけなら…と思い直し、進行方向を丘の上へと変更した。
家に近づくとククリはこそっと庭のほうから近づいて、中の様子を覗った。窓枠に手をかけ、なんとか部屋の中をのぞくが、残念ながら人の影は見当たらなかった。
「いないのかなぁ…」
ククリは半ばがっかりしながら、あきらめきれずにあたりをきょろきょろ見回す。すると裏の方で何か話し声のようなものが聞こえ、ククリはハッと耳を澄ました。
「三日間もかかるのですか?雨が降らないといいですけど、雲行きが怪しくなってきました」
――― クラウだ!
忘れるわけがない。あの独特の話し方はクラウだと判断したククリは、うれしくなって走り出した。
家の裏手に回り込み、走り寄ろうとしたククリは、けれど、そこにクラウが一人ではないことに気が付き、足を止めた。
「あらクラウったら、また重くなったわねぇ~。もうすぐに抱っこもできなくなるわねぇ」
「…かあさま、離してください」
「ふふ、だってクラウの背じゃ届かないじゃない」
「……」
何か植物のようなものを木の棒にぶら下げる作業をしているクラウを、後ろから持ち上げているのは、クラウと同じ白い髪の女性だった。その顔のつくりを見れば、二人が親子だということはククリにもすぐにわかった。
「ふふ、普段あんまりくっつくと嫌がるし、こういう時じゃないとあなたに構ってもらえないんだもの。少しくらいいいでしょ?」
そいって息子を胸に抱き、浮かべるアリーシャの笑みは優しく、とても幸せそうだった。
クラウも言葉では迷惑そうにしていたが、本気で嫌がっているわけではないらしい。そんな二人の様子に、ククリは、ぎゅーっと胸を握りつぶされるような痛みを感じた。
分からない苦しみに顔がゆがみ、泣きそうになるのをなんとかこらえる。気づけば、ククリは無意識に踵を返して走り出していた。
――― どうしてだろう。
あんなに会いたかったクラウがいたのに…。ククリは、今すぐクラウ達から一番遠い場所に飛んで行ってしまいたかった。
「どうしたの?クラウ」
「…いえ、なんでもありません」
走り去っていく小さな魔力に気づきながら、しかし、クラウはただ黙々と作業を続けた。