13 帰還3
「いやだ!!」
もらったフォンブルを食べ終え、父親のそばで大人たちの会話を黙って聞いていたククリは、突然強い拒否反応を示し父親の身体に抱きついた。
ここまでの話の内容などほとんど理解していない。しかし、自分と父親が引き離されるという部分だけは幼いククリにも理解できた。
「いやだ!僕も、父さんと行く!」
「…ククリ、言うことを聞きなさい。危険なのだ、わかるだろう?」
「いやだぁ…!」
ついには泣き出してしまったククリにガーランドもガルフも困ったように見合った。
「ククリ、不安なのもわかるが、仕方ないんだ。里には君と同じ年齢の子供もいるし、きっと退屈しないでみんなの帰りを待っていられる。危険なことは何もないし、森には見たこともないいろんな生き物がいる。きっと楽しいぞ?」
「……動物…?」
少しばかり反応を示したククリに、ガルフはその頭を撫でてやった。
「ククリは精霊を見たことがあるか?」
「せい、れい…?」
「そうだ。きれいだぞ」
「まさか、まだ地上に精霊が…?」
ククリ以上に、ガーランドの方が驚いたらしい。彼はガルフに信じられないと言いたげに問い返した。
「ええ。ある方の恩で、その森の近くに我々一族で移り住むことを受け入れていただいたのです。本来なら我々のような人間が足を踏み入れてはいけない場所なのでしょうが、森の主の慈悲に甘え、今も助けられているのです」
「今はどれほどの仲間が?」
「移り住んだばかりの頃はほんの40人足らずでしたが、今は60人近い仲間が住んでいますよ」
もっとも以前は一の里の住人だけでも200人近くいたのだから、増えたとはいえ数自体は少ない。加えて長寿の所為か、繁殖能力が極端に低いため、人口の増加にはまだまだ年月がかかるだろう。
「そうか…。我々三の里は、ほとんど全滅に等しくひどい有様でな…」
当時のことを思い出しているのか、ガーランドは悲痛の表情を浮かべた。
「私はちょうど、暇をもらい、妻と、友人夫婦四人で森の外れへ出ていたのだ。だが、いざ帰ろうとしたときに、父から「決して戻るな」と知らせが来てな…。友人とどうすべきか話し合った結果、一日だけ様子を見ようということになって…。翌日、私は友人と二人で里へ向かった。しかし…」
その時にはもう手遅れだった。
里へ続く森の入り口へ入ろうとしていたガーランドたちに、昔から懇意にしていた獣人族の老夫婦が、あわてたように駆けつけ教えてくれたのだ。
天人族が「エルフ族捕獲の命令」を下したこと。賞金までかけて、まるで「狩り」のように一方的な虐殺が行われたこと、今戻れば間違いなくつかまるから絶対に戻ってはならない、遠くへ逃げなさい。そういって老夫婦はガーランドたちが森に入ることを必死に止めた。
「私にも、友人にも、妻がいる。彼女たちを置いて、死ぬことはできなかった…」
「…さぞ、無念だったでしょう」
ガルフにはその気持ちが痛いほどわかった。あの「狩り」でガルフ達は両親を失っているのだ。
ほとぼりが冷めたころ、ガーランドたちが里に戻ってみれと、そこには「何も」なかった。
家も仲間の遺体も、森の木々までも、すべて燃やされた後だった。
「もうだいぶ時が経ったのにな…、それでもあの時のことは忘れられない。…ああ、それでその友人だが、ここからちょっと距離があるが、鉱山の外れの森に住んでいるはずだ。ついこの間子供が生まれてな。家族三人で静かに暮らしている。案内するから、彼らもククリと一緒に連れて行ってやってくれないか?」
「……」
ガルフはガーランドの言葉にしばし黙り、やばてそばにいた部下を見やって頷いた。
「ククリ、まだお腹すいてるだろう?森でとった木の実があるから、あっちで食べないか?」
ガルフの意図をくみ取った部下は、そういってククリの手を引いて洞窟から出て行った。
二人がいなくなってから、ガルフは荷物の中から一振りの短剣を取り出した。
「ガーランド、この短剣に見覚えは?」
「…これは…?まさか…」
短剣を手に取ったガーランドの顔色が一気に変わった。シンプルな造りだが、柄の部分に聖獣ロックマイアンの彫刻が施されているそれは確かに見覚えがあった。なにせ、ガーランドが友人の結婚祝いに送った品なのだから当然だ。
「これを、どこで…?」
――― 嘘だ、まさか、そんな…
震える声でガーランドはガルフに聞いた。
「あなたの行方を捜していた時に、森の奥にあった小さな小屋で見つけました」
――― やめてくれ、やっと、子供が、生まれたばかりなんだ…!
「おそらく、あなた方家族同様、ドルモアの部下に襲われたのでしょう。すでにみなさん亡くなっていました」
「うそだ…、嘘だと言ってくれ!」
悲痛の叫びも空しく、ガーランドはガルフが首を横に振るのを唖然と見つめた。
「だれも…?赤ん坊もか…?」
「ご友人が敵を一人倒したようですが、逆にそのことが敵の怒りを買ってしまったのかもしれません。三人とも…」
「あいつが…?…戦闘なんてほとんど経験がなくて、護身用にと、この剣を贈ったんだ。一か所に集まっていると目立って危険だからと、お互い少し離れたところで暮らそうと…」
「…残念です」
「私の所為だ…!私が、あの男を信用さえしなければ…!」
「あの男?」
「…私が時折、街に出ていたことは知っているだろう?その時、情報をいろいろと教えてくれる男がいたのだ。もうかれこれ五年ほどの付き合いになるので、私も油断していた。帰りが遅くなり、仕方なく宿に泊まった時に、髪の一部の染料が落ちているのを見られたのだ」
「そうですか…」
「あの男は、気にするな、自分は決して誰にも言わないと約束したのだ。そして私はうかつにもそれを信じてしまった…!」
――― 結果はどうだ?家族を危険にさらし、友人たちを死に追いやった。
ガーランドは深くこう垂れ、肩を震わせて涙を流した。
「…すまない、すぐに…。だが、少しの間だけ、一人に…」
ガーランドの気持ちを察し、ガルフ達は洞窟の外へと出て行った。
「隊長、…本当のこと、言わなくていいんですか?」
洞窟の入り口で、部下の一人がガルフに言った。
本当のこと。つまり、妻と子供は殺されたのではなく、自ら自害したということだ。
「知らなくていいことだ。お前たちも、口外するな」
「…はい」
ガーランドが落ち着つくのを待ってから、ガルフはククリを伴い帰路へとついたのであった。
「アリーシャ様?」
ハンスの声に集まっていたみんなの視線がアリーシャに向かった。
「大丈夫ですか…?」
「ごめんなさい、大丈夫よ…」
アリーシャは予想以上にショックを受けていた。顔は青ざめ、じっと何かに耐えるように膝に置いた拳を握りしめていた。
――― わかっていたことでしょう?
何かが起こると覚悟していたはずなのに、その無残さに心がえぐられそうな痛みを感じた。
「何も、変わっていないのね…?」
アリーシャはガルフの目をじっと見つめた。
「いいえ、そんなことはありません、アリーシャ様」
その視線を真正面から受け止め、ガルフは静かに首を振った。
「確かに、世界はまだ我らに厳しい一面を見せる。だが、それでも確かに変わり始めているのです」
「……」
自分以外の種族を決して受け入れなかった100年前に比べれば、今は世界のあちこちでいろんな種族の姿を見かける。確かに、お互いの確執や嫌悪感が完全に消えたとは言い難いが、それでも世界は少しずつながら、平和の道をたどろうとしている。
ずっと世界中を回り、見てきたガルフだからこそわかるその変化を、彼はアリーシャや里の皆にも伝わるよう説明した。
「闘神の怒りを買って、一時は滅びる運命にあった人間が再び手にした機会を、失うわけにはいきません。それは何より5人の英雄たちが一番わかっていることです。『英雄王の聖戦』は確かに世界を変えたのです」
アリーシャはガルフが話す言葉にじっと耳を傾けた。しかし、悲しげなその表情が消えることはなかった。
無理もない、とガルフは思う。
何より一番苦しんだのはアリーシャ自身である。そして、世界が変わろうとしている中、彼女の時間だけはいまだに止まったまま、進んでいない。
――― だが、俺にはどうすることもできない。
慰めの言葉をかけることは誰にでもできるが、それはただの気休めにしかすぎず、アリーシャの心の奥にたまった悲しみを癒すことはできないだろう。ガルフはその役目だけは、自分にはできないことを十分に理解していた。
「同じ世界に生きるもの同士、争い、命を奪うなど、悲しい行いよのう」
と、のんびりと伸びた髭を撫でつけながら、ガライアスがアリーシャに語りかけた。
「…ガライアス様」
「正義、精進、進化、博愛、創造。若き英雄たちの真の理念とその誠意が成す未来に、光あれど、また闇は尽きぬ。それが人というものよ。のう、アリーシャ殿」
「はい…」
「じゃが悲観する必要はない。いつの時代も、その未来には必ず希望があるものじゃ」
「希望、ですか?」
「さよう。我ら一族にとっての希望はまさしく、そなたとクラウ殿じゃ」
「そんなこと…」
ガライアスの思いがけない言葉に、アリーシャは困惑した。人の重荷になったことはあっても、希望になどなれるはずがない。
買いかぶりすぎだとアリーシャは否定した。
「我らの使命は、そなたらを守ることにある。この百年、その使命のために、ジークやガルフをはじめ、皆ずっと頑張ってきたのじゃ」
「でも…」
「ほっほ、そなたはちと優しすぎるのう。だから苦しみ、人の悲しみまで背負ってしまう。じゃが、その優しき慈悲と強さのおかげで、今我々はここに生きておるのじゃ。あまり自分を責めるでない。誰もそれを望んではおらぬ」
「…はい、ガライアス様」
人柄あふれる優しい慰めに、アリーシャはようやく少しだけ笑みを見せた。
「ごめんなさい、話を中断してしまって」
「なぁに、構わんさ。だがやはり、笑っておられる方が似合いだな。アリーシャ殿の涙は、あまり見とうない」
ふむふむと頷くのはユンガイルだ。その隣でオリエントが同意するように頷いた。
「愛される定めのもとに生まれた天の子ですもの。その笑顔に、私たちがどれだけ救われたか分かりません。ガルフ」
「はい」
「子供の為にも、アリーシャの為にも、その母子の命、何としても救わねばなりません」
「はい」
ガルフの力強い頷きに、一同は改めて気持ちを引き締めた。
「母子の行方は、まだ分かっておらんのだろう?」
ジークの問いに、ガルフは頷いた。
「はい。今皆に調べてもらっていますので、じき報告が来るでしょう」
居場所さえわかれば、後は機会をうかがって総攻撃を仕掛けるまでである。
「そうなれば、一番の問題はやはりその魔人族だな。お前か、レノのどちらかが応戦せねばなるまい」
ガルフも「わかっています」と同意した。
「相手の戦力がわからない以上、こちらも相応の準備をしなければなりません。ハンスをしばらく借りたいのですが、構いませんか?」
「俺は大丈夫っすよ」
ハンスが了承したと頷く。
「ふむ、他にも腕の立つ奴を連れていけ。なんならわしも行ってもいいぞ。最近ちと運動不足でな」
と、ユンガイルは穏やかに笑いながら、腕で剣を振る真似をして見せた。
「わたくしも、力が必要なときは言ってください」
「オリィ…!」
争い嫌いなはずのオリエントまでも賛同を示す様子に、アリーシャは悲痛のまなざしを浮かべた。
「本気なの…?」
「ええ、仲間のために使う力ならば、いつでも貸しますよ。若い彼らにだけ任せて、のんびりしているわけにはいきません」
「でも…」
「そんな顔をする必要はないのですよ、アリーシャ。わたくしも一応は最高位魔術師、まだまだひよっこに負けるつもりはありません」
「…お前にかかれば、どんな人間もひよっこじゃろうが」
「何か言いました?ユン」
「……」
ぼそりとつぶやいたユンガイルの言葉をきっちりと拾っていたオリエントは、じろりと睨み黙らせた。
確かに、600歳を超えるオリエントからしてみれば、長くても300歳前後しか生きられないほかの種族の人間など、ひよっこ同然だろう。
「お二人方、ありがとうございます。情報が入り次第、改めて連絡しますので、もし戦力が必要と判断した場合は、お力を借りることになるやもしれません」
ガルフはそういって丁寧に頭を下げた。
「それから、連れ帰ったククリのことですが…」
「安心せい、俺とセニアがちゃんと預かる。ガーランドには、心配せぬよう伝えてくれ」
「はい、お願いします」
「お前も、レノも皆、くれぐれも気を付けるのだぞ。何か必要なことがあれば、すぐに連絡せい」
「はい」
ガルフは再度、丁寧に頭を下げ、その言葉に感謝した。
その夜、ガルフはハンスと数人の男を連れて、また外の大陸へと出向いて行った。