27 穏やかなある日
ルクセイアのごたごたは、それからしばらく教師たちの間で話題に上ることはあるものの、幸い生徒達は何も知らないまま月日は過ぎて行った。クラウはキラの不在理由やフィリップ側と秘密裏に交わされた勝負については仲間に伝えず、ただクルックとカゲトラにキラを迎えに行ってもらったと伝えるだけに留めた。そこに深い意味はない。単純に伝える必要がないと判断したからだ。
仲間たちは不思議そうな顔をしながらも深くは追求せず、キラが戻ってきたことをただ喜んだ。一人、キラ本人だけは、どこまで事情を知っているのかわからないが、自分がすんなり学園に戻ってこられたことに対する疑問はあるようで、帰ってきてからもどこか憂い顔で過ごすことが多かったが、それも仲間と毎日過ごすうちにうやむやになっていったようだ。
そんな中、予定通り通常の授業が始まり、順調に日常が戻りつつある一方で、各担任による第五試験の詳細が伝えられ、生徒達はいつもとは違った内容に戸惑いながらもなんとか最終合格点に届くようにと早くも学園内のあちこちで仲間と共に勉学に励む姿が見え始めていた。
かくいうクラウ達も、もう後がない状態だ。
今度の第五試験で合格点に届かなければ救済措置の追試を受け、それでも合格を手にすることが出来なければ、問答無用の落第が宣告される。もちろん、そんな不名誉な結果は己の主義に反するし、醜態をさらす気もないクラウは、早々に『花組五班、特別試験対策』と称した新たな試験勉強用のメニューを組み立て、さっそく仲間に披露したのだった。
「―――というわけで、本日から第五試験が終わるまではこれまでの鍛錬と勉強用の時間を逆転させて、集中的に試験勉強に費やすことに決定した。異存はないな?」
クラウが他の仲間たち、とくにユウマ、ニト、エドガーの顔を順に追って確認すれば、三人は何ともいえない微妙な顔つきをした。
「異存って…そりゃ俺たちが文句言う筋合いがないのはわかってるけどよ…」
「逆転ってことはつまり、午後は始めからずっと勉強して、最後の一時間だけ鍛錬するってことでしょう…?」
「そうだ」
クラウが頷けば、ユウマもニトも情けなく眉を下げた。
「それを今から二か月も続けるのか…?」
「なんだか、息がつまりそうね…」
「たかが二か月だ」
と、クラウがぴしゃりと言い返すと、二人は気まずそうに黙ってしまった。
「いいか?今度の筆記ですべてが決まる以上、単純計算で五人全員が平均点を確保しなければ、合格の確率は絶望的だ。赤点など論外、わかるな?」
「わ、わかるけどよぉ…」
と、尚も往生際悪くごねるユウマに、クラウは厳しく言い返した。
「追試があるからいいだろうという考え方は捨てるんだな。そんな甘い考えで挑んでも、追試すら合格できない醜態をさらすことになるぞ。今日から一発合格を目指すぐらいの気合いで挑め。それが合格への道だ」
逆に言えば、それぐらいしなければ活路はないということ―――
もちろん、クラウの言葉が脅しでもなんでもないことがわかっている三人は、ようやく覚悟を決め、頷いたのだった。
ということで、クラウはこれまでのニト・ユウマ・エドガーの身体づくりをメインに構成されていたメニューをがらりと変えて、一人余裕のあるキラの鍛錬をメインに持ってくることにした。一日、鍛錬に集中するのはキラだけに限定し、例の三人は、クルックとともに勉強に勤しむ計画だ。しかし、全く身体を動かさない日が続けばこれまでの努力が無駄になってしまうので、鍛錬時間の残り一時間だけは、みんなそろってのトレーニング時間に充てることにした。
まずクラウはクルックに過去の試験問題を集めてもらい、それをもとに毎日例題を作り、仲間にできるだけ多くの問題を解く機会を与えた。間違えたら何故間違えたのかをその場ですぐに教え直し、理解度を高める。さらにこれまでの試験結果を分析することで、各々の苦手分野と得意分野を把握するとともに、毎日の予習・復習で伸ばせる部分を最大まで伸ばすことにも力を注いだ。単純に点数を稼ぐには、苦手な教科の克服よりも、得意な科目で稼ぐ方が効率がいいからだ。もちろん、苦手教科をそのまま放置しては意味がないので、そっちの方は夕食後と休日を使ってクラウとクルックによる個別指導で徹底的に仕込むことにした。
「とにかく、午後の鍛錬時間中は、ユウマ、ニト、エドガーの三人は勉強にひたすら集中。キラは簡単な体力づくりとアウラとの連携、それに武器の扱い方などを徹底的に鍛錬する。いいな?キラ」
『……』
「キラ?」
『……え?あ、はい!』
何やらぼうっとしていたらしいキラは、慌てて返事を返した。
「僕はキラの鍛錬につきあうので、その間他の三人の勉強に関してはすべて、クルックさんにお任せします―――クルックさん?」
「……へあ?は、はい!お任せください!」
と、こちらもどこか上の空の様子に「大丈夫かよ…」とユウマが苦笑いを浮かべた。
「残り一時間は皆でいつものように基礎鍛錬する。あとは夕食後各自自室で勉強。わからないところがあれば、僕が談話室で付き合おう」
「ち、ちょっとまて……まさか、毎日その流れか!?息抜きの日は!?」
「僕もそこまで鬼ではない。休日の午後は完全な自由時間に充てる。好きに過ごしてもらって構わない」
もちろん、自主的に勉強してもらっても構わないとクラウが言えば、ユウマは冗談じゃないと速攻で断ってきた。
とにもかくにも、第五試験に向けた花組五班の特別対策が実行されることになったのだった。
◇
日の出とともに一日が始まり、闇の気配と共に一日を終えるそのサイクルに乗って、日々を忙しく過ごすうちに、月日は怒涛のように過ぎて行った。あれから、世界では呪魔襲撃に対する警戒が続く中、人々の懸念とは裏腹に平和な日々が続いていた。一時は物々しい雰囲気にあったデザイア学園も、見えない危険よりも今は目の前の最終試験をいかに乗り切るかのほうが大事だと、おびえていた生徒達も無事進学するために必死で頑張っていた。もちろん、花組五班もクラウが特別に考案した新メニューに沿って、日夜勉学に勤しんでいた。
暗記が苦手なニトにはひたすら書いて覚えさせ、論理の組み立てが苦手なユウマには、クラウがよりわかりやすいように噛み砕いて説明し、時にはクラウお手製の紙芝居形式でユウマが納得できるまで何度も繰り返し教え込んだ。また、計算が得意にもかかわらず、緊張で失敗をしてしまうエドガーに関しては、毎日時間制限を設けて問題を解かせ、プレッシャーに慣れさせる訓練を積んだ。時には、甘いお菓子のご褒美をちらつかせ、またある時にはクラウ特製の“青汁お仕置きバージョン”を脇に置いて妙な緊張感を演出しながら、なんとかエドガーの精神を強くしようという作戦だ。幸い、エドガーがとても素直な性格をしているためか、この作戦は想いのほか効果を発揮し、一か月を過ぎたころには、十分でどこまで問題を解けるかという挑戦にも、エドガーはそこそこの記録を出すまでに至っていた。
「もしかして、僕ってすごいかも…!?」
解き終わった自分の回答を見ながら、エドガーが嬉しそうにはしゃぐ横で、様子を見ていたユウマが、
「お前の場合、罰のおやつ抜きがどうしても嫌だっただけだろ」
と、突っ込み、ニトやクルックの笑いを誘った。
キャッキャと笑い合う声が、静かな自由鍛錬場に響き渡る。試験前の重苦しい空気に似合わず、文句を言いながらも和気あいあいと勉強に励む彼らは、どこか楽しそうだ。
そんな仲間の様子に一人走り込みから帰ってきたキラが気づき、遠巻きに見つめていた。決してクラウと二人で鍛錬するのが嫌なわけではないのだが、ニト達が楽しげに笑っているのを横から眺めるだけでは、やはり寂しいと思ってしまうのは仕方がない。
「お帰り。だいぶ体力がついたな」
『あ…クラウ君!ん、ありがとう』
クラウが差し出さしたタオルを受け取りながら、キラは礼を言った。
「息が整ったら、昨日の続きをしよう」
『はい』
『きゃー!キラ、早く早くぅ!』
『あ、もう…!待って、アウラったら!』
と、一人異常なはしゃぎを見せるアウラに手を引かれて、キラは前のめりになりながら鍛錬場の中を移動した。そして、すでにクラウが準備してくれていた絵札が並べられた場所に、二人はお互いに背中合わせになるようにして座った。
『早く選んで!キラ』
『もう…。じゃあねぇ……これ!』
キラは並べられた絵札の内、パーヴィーの絵が描かれた一枚を手に取った。
『はい!これ!』
すかさず、アウラが自分の前に並ぶ絵札へとその小さい手を伸ばす。選んだのはキラと同じパーヴィーの絵が描かれた一枚だった。相手が何の絵札を選んだか全く見えない状態で、同じ絵札を選ぶという、クラウが考えた二人の以心伝心力を高める鍛錬の一つだ。
『次、僕!えっとねぇ、これ!』
『えー…?んっと………たぶん、これ…かなぁ?』
と、今度は順番を変えてアウラが選んでからキラが選ぶのだが、やはりキラはアウラのように瞬発的に答えることはできず、若干の考察タイムが必要になる。しかし、迷いながらもちゃんと同じ絵札を探し充てるところを見ると、キラもアウラの考えを感じ取っているのだろう。日を追うごとに、キラの考察タイムも徐々に短くなっていた。
『じゃあこれ!』
『……あ、わかった!絶対これでしょう?』
『キャー、キラちゃん、一緒!』
『もう、アウラったら単純すぎだよ。だって、さっきから食べ物の絵札ばっかりなんだもん!』
どこまで食いしん坊なのだとキラが呆れる後ろで、アウラは同じ手札を持ったキラを見ながらキャッキャと笑い声をあげて楽しそうだ。
どうやらアウラは数日前から始めたこの鍛錬がいたく気に入った様子で、他でもない相棒と一緒に作業できることがとても嬉しいらしい。いつもならお菓子をむさぼって我関せずのアウラが、ニコニコと終始笑顔を浮かべながらはしゃぐのは、何よりもキラとの距離が縮まっていくのを肌で感じているからだろう。わかりやすいそのアウラの愛情表現は、見ている側のクラウとしてもなんとも微笑ましいものであった。
「いい感じだな。そろそろ次の鍛錬をしてみようか」
最初の頃と比べるとずいぶんと早い時間で互いに間違わずにすべての絵札を選びきった二人の様子を見たクラウは、もう少し実戦向きの鍛錬に移ろうと提案した。
第二段階は、クラウが魔法を飛ばした先に、一メートル四方の単純な結界を張る鍛練だ。もちろん、キラがアウラに指示し、アウラが結界を張るわけだが、此処でクラウはお手製の小さなアイマスクを取り出しアウラに着用させた。視界を覆われるという初めての経験に、アウラがしきりに首を傾げ、不思議そうにしている。
「アウラ、何か見えるか?」
『見えません!』
「そうか。ならキラの精神を通じてならどうだ?何か“感じる”か?」
『はい、感じます!』
「―――よし、十分だ」
元気よく返事を返すアウラに、クラウはいい感じだと頷いた。
要するに、アウラの視界が隠された状態でキラが指示を飛ばし、確実に結界を張るという鍛錬だ。
『で、できるかな?』
「最初は戸惑うだろうが、君たちの絆の強さがあればできるはずだ。僕が飛ばした魔法弾が落ちた地点に結界を張ってみてくれ、いいな?」
『…はい!』
緊張気味に返事をするキラに、最初はゆっくりでいいと声をかけてから、クラウは小さな水魔法弾を超スローペースで五メートルほど先へ飛ばした。
魔法弾が地面に落ちて、水がはじける。
『アウラ、あそこだよ!えっと、四、五メートル、先!』
『んーー…?ここ?』
『え…、全然違うよ、アウラ…』
アイマスク状態でアウラがエイッと結界魔法を放つも、キラが指示した場所から三メートル近くも右にずれており、キラはがっくりと肩を落とした。
「もう一度だ。行くぞ」
『はい!』
クラウは、今度は今しがたアウラが結界を張った場所に魔法弾を飛ばした。
『あ、アウラ!さっきと同じ場所だよ!』
『エイッ!』
『………え、なんでそこなんですか、アウラさん……』
『ム?』
『んー……やっぱり難しいよ、クラウ君…』
今度は更に右にずれてしまった結界に、キラは情けない顔をしてクラウを振り返った。
「距離や方向を具体的に考える必要はない。もっと感覚的なものでいいはずだ」
『感覚?』
「ああ。アウラは君が見たもの、感じたものを共有できる。だから、君は具体的な距離など考えずにもっと視覚的…つまり、自分が見ている映像をアウラに伝えるような感覚でやってみたらどうだ?」
『映像…』
「そうだな―――どちらかと言えば、君自身が結界を張るような感覚だ。一度、そのつもりでやってみてはどうだ?」
クラウの説明はどこか抽象的でとらえにくいが、キラは何となくわかったような気がして頷いた。
クラウが軽く構えて水魔法を放つ。キラはしっかりその着地点を見極めながら、他には何も考えずにただ自分で魔法を放つ感覚で右手を振り上げた。
『そこ!』
『エイッ!』
キラとアウラ、二人の声が重なり、キラが思い描いた場所からわずか二十センチほどずれたところに、結界が出来上がっていた。
『…!わ、アウラ!おしい!でもいい感じだよ!』
『ム?キラ、嬉しい?』
アウラはアイマスクを取ると、キラの腕の中から相棒の顔を見上げた。
『うん!私たち、やっぱりすごいね!」
自分とアウラの間にある絆を誇るキラに、アウラは文字通り飛び上って喜び、ますますはしゃぎながら鍛練を続けたのだった。
「―――よし、今日はここまでにしよう」
『はい。アウラ、疲れてない?大丈夫?』
『ん!とっても大丈夫!』
『ふふ、とっても?』
『とっても!キラと一緒!とってもニコニコ!』
始めから終わりまで、嬉しさがあふれて止まらないアウラの様子に、キラも思わず頬を緩めて相棒を抱きしめた。仲睦まじい二人の様子にクラウも癒されながら、その日の鍛錬は終わったのだった。
しかし、道具を片づけて戻ってきたクラウ達を出迎えたのは、何故か勉強の手を止めて、唖然とこちらをガン見して固まっているユウマ達だった。
「みんな揃って呆けて、どうした?」
「いやいや、それはこっちのセリフだよ…。お前、何してんの?」
と、ユウマが不審者を見るような目つきでクラウに問い返した。
「見ての通り、キラの新しい鍛錬だが?」
「いや、それはわかってるっつうの!そうじゃなくて、お前が何してんだって聞いてんだよ!」
「何を怒っているんだ?」
次第にキレ気味に声を上げるユウマに、クラウは何が言いたいんだと眉をしかめた。ユウマの隣に座るニトもエドガーも、ついでにクルックもなんだか微妙な顔つきでクラウをじっと見つめている。
「――――いやぁ、今更驚くも何もないですけど。クラウさん、水魔法も使えるんですねぇ…」
『……あ!』
苦笑いと共にしみじみと言ったクルックの言葉で、キラもクラウもようやくこの場の気まずさを知ったのだった。尤も、キラはすでにクラウが水属性魔法も扱えることを知っていたので特別驚きもしなかったが、確かに何も知らない人間にしてみれば信じがたい光景だろう。驚愕の事実を前にどういう反応をすればいいのか困っている仲間に、キラはひそかに同情したのだった。
「……言ってなかったか?」
「聞いてねぇよ!いや、もう、まじでありえねぇからな、それ!」
発狂したように頭を掻きむしるユウマの隣で、
「クラウ君、すごいねぇ。三属性使える人なんて、僕初めて見た!」
「私も。魔法は詳しくないけど、やっぱりすごいことなんでしょう?」
と、エドガーとニトが感心した様子で褒める。
そして、残ったクルックは一人、何故か自分のことのように自慢し始めたのだった…。
「すごいも何も、三属性を扱える術師なんて早々いませんよ!まさに、奇跡!いやぁ、さすが我らがクラウさん!もう何を見せられようと僕は驚きませんよ!よっ、世界一!」
「いや、そこは驚いとけよ、人として……」
「いえ!僕はもう、クラウさんと一心同体なので!これくらいの衝撃、なんのその!どーんとこいですよ!」
「え、すっげぇ気持ち悪いんだけど…」
秘密暴露には慣れていると変な自慢をするクルックは、残念ながら、ユウマの目には自分の変質ぶりをアピールする残念な人にしか映らなかったのだった。
「…なんか怖いんだけど!前より悪化してるんじゃね?やっぱ怪しいって、お前の宗教…!」
ユウマは何か変な洗脳を行っているのではないかと、疑いのまなざしをクラウに寄越してきた。
「可笑しいのは彼だけだ」
「いや、お前も大概変だからな…」
と、すかさずユウマに突っ込まれたクラウは心外だと視線だけで訴えた。
自分が普通というカテゴリーから”少し”外れているという自覚はあっても、決して変態ではないと思っているクラウにしてみれば、クルックと同列にされるのはいささか不服なのであった…。
◇
「――――じゃあ制限時間は二十分ですよ、はじめ!」
クルックの掛け声とともに、ニト、ユウマ、エドガーの三人がクラウが用意した例題集を必死で解き始めた。あれから順調に―――いや、時には弱音や愚痴を吐きつつも、特別メニューをこなしてきた花組五班のメンバーは、今では問題用紙を前にすると、あっという間に集中できるようにまで成長していた。内容もずいぶんと正解の割合が増え、毎回答え合わせをするクルックは、日ごとに成長していく子供たちの様子についにやにやしてしまうのだった。
特に、三人の中で一番進歩が著しいのはニトであった。彼女は元々集中力はある方だが、これまで事情が事情だけに、勉学に積極的に取り組んでこなかったのだろう。時間をかけて一つ一つ丁寧に教えていくとニトはぐんぐんと吸収し、一人だけ先に成長の兆しを見せ始めたのだ。それが徐々にニト本人も面白くなってきたのだろう。一人だけますます点数を伸ばす様子に触発されてか、残りの二人も負けじと張り合い、少しずつだが着実に五班全体の成績は上がってきていた。それは、毎日試行錯誤しながらクラウが作っている問題集の回答を見れば一目瞭然で、このまま順調に行けば、三人全員が平均点超も可能なのではないかと、クルックは確信に近い期待を抱いた。
「―――今日はこの辺にしましょう。試験本番まであと五日です。みなさん、これまでの問題集を見返しながら最終調整を頑張ってくださいね!」
「うおー!なんか俺、今ならすげぇできそうな気がする!」
と、珍しくユウマが大胆な宣言をすると、追随してエドガーも奮起した。
「僕も!今回は行ける気がする!」
「いいですよ二人とも!その調子でどんどん頑張って、此処は一つ学年一位を狙って見ては!?」
子供たちの勢いに乗っかって、クルックが大それた発言をかますと、
「いや、それは言い過ぎ。今から一位なんて無理に決まってるだろ」
と、ユウマは途端に勢いを無くして苦笑いを浮かべた。
「そ、そんなの、わからないじゃないですか!ここまで来たんですから、もう少し頑張れば、奇跡的に、案外行けちゃうなんてことも…!」
「いやいや、俺たちの場合、赤点回避だけで十分奇跡だろうが」
「でも…!」
尚も熱く語ろうとするクルックに、ユウマはちゃんと現実を見ろと呆れた。
「そりゃ、こんなに勉強頑張ったのは人生初めてだし、受けるからにはいい点とりたいってのが本音だけど。一位って…、そこまで高望みはしねぇよ。クラウが言ったように、一発合格出来りゃ十分だって。なぁ?」
ユウマが同意を促すと、隣のエドガーも遠慮がちに頷いた。
「僕は何とか、平均点、取れたらいいなぁって…」
「それじゃあ、ダメなんですよ!それじゃあ、キラさんは…!」
「はぁ?キラ?キラがどうしたんだよ?お前、何必死になってんの?」
「………なんでも、ありません」
ユウマに不思議そうに顔を覗かれ、クルックはそのまま黙ってしまった。それ以降、何を聞いても口を堅く引き結んだまま返事しかしないクルックの様子を訝しながらも、ユウマ達はその日の鍛錬時間を終えたのだった。
細かいところではちょっとした問題を抱えながらも、概ね順調に第五試験を迎えようとしていたクラウ達だったが、やはり運命は時としていたずらが好きらしい。
試験を三日後に控えた朝、ユウマとエドガーが並んで育成舎の校舎に出向くと、遠巻きに周りの生徒から見られている気がして、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「なんか、さっきからみんなに見られてる気がするんだけど…。俺ら、なんかやらかした?」
「わ、わかんない…」
確かに入学当初は注目されたこともあったが、今更こそこそ噂される覚えはない。中には「可哀そう」だとか、クスクスと嘲笑うような声まで聞こえ、短気なユウマは早々にブチ切れてしまった。
「てめぇら何見てんだよ!」
「ちょ、ちょっとユウマ君…!」
「ウザったいんだよ、さっきから。俺らに何か言いたいことあるんなら、はっきり言え!」
と、ユウマがギロリと例の三白眼で周囲を睨みつけると、生徒達はまたこそこそと本人達に聞こえないぐらいの音量で囁き合いながら、小走りで散っていった。
「たく、朝っぱらから何なんだ?行くぞ、エドガー!」
「あ、うん…待ってよ!」
エドガーは何となく嫌な雰囲気を感じながらも、あわててユウマのあとを着いて行った。
結局、教室に入っても周りの視線は収まるどころかますます増える一方で、花組五班の子供たちは理由も分からないまま、終始誰かの視線にさらされる状態に神経をすり減らしながらも、なんとか午後の鍛錬時間を迎えた。
「あー、やっとあの視線から解放されたぜ!」
自分達しか使わない自由鍛錬場に着いた途端、ユウマがしびれを切らしたように叫んで地面の上に寝っころがった。共に来ていたニト、エドガー、キラもその横に疲れたように座り込んだ。
「なんだったのかしらね…今日のあれ」
『……うん』
と、注目に慣れているニトとキラですら、今日の視線攻撃は滅入ったらしい。二人とも声に疲れがにじみ出ていた。
理由がわかればまだ対処の仕様もあるのだろうが、誰かに聞こうにも早々仲のいい友人もいない彼らは、結局訳も分からず噂の的にされ続けたのだった。
「あの変態、何かやらかしたんじゃねぇだろうな?」
「クルックさん?何かって何よ?」
「……なんか、やばいところ覗いてたのがばれたて警備の人に捕まった、とか?」
「あんたじゃあるまいし。あの人、そこまで馬鹿じゃないわよ」
と、ニトは一応クルックの擁護をした。
「じゃあなんなんだよ!?」
「ちょっと叫ばないで。私が知るわけないでしょう?」
「―――でもさぁ、クラウ君だけ、すっごく普通だったねぇ…」
ぽつりと言ったエドガーの呟きに、他の面々は今日一日のクラウの様子を思い出して、揃って苦笑いを浮かべた。
勿論、クラウも花組五班の生徒なので、当然噂される側に立っていのだが、あの異様な注目度の中、クラウだけはほとんどいつもと変わらない様子で淡々と一日を過ごしていたのだ。見られているからなんだと視線など気にもせず、平然と登校し、授業を受け、食事をとり、また平然と学園内を移動して、今は一人ベルクアの研究室に寄り道中だ。その平常心たるや、他の四人はとてもまねできないと感心してしまった。
「あいつはなんでああなんだ?もしかして、羞恥心ってもんがないのか?」
「そう言えば、クラウが恥ずかしがってる所って見たことないかも…」
と、ニトがつぶやく横で、エドガーも頷いた。
「そもそもクラウ君、失敗することがほとんどないんじゃないかなぁ。だから、僕たちみたいな劣等感には縁がないっていうか…」
「確かにそうね。おまけに顔もあんなだし、頭も運動神経もよくて、さらにはあの性格でしょ?そりゃ羞恥なんて感じる必要ないのかもね」
ニトの疑問に、それまで一人静かに仲間の話を聞いていたキラも妙に納得したのだった。以前、キラは地下世界でクラウが魔法を失敗した姿を見たことがあるが、あの時も申し訳なさそうに謝罪を述べてはいたが、クラウ自身は失敗したことを恥じる様子は微塵もなかった。
「羞恥心がないとか…それ、最強じゃね?」
人は誰しもコンプレックスを抱えて生きているものではないのか―――
もし、本当にクラウに人が誰しももつ羞恥の心がないとしたら…?
いや、それはさすがにあり得ないだろうと、四人は顔を見合わせて、引きつった笑いを浮かべあった。
「………いくらクラウでも、ないわよ、ねぇ?」
『う、うん…』
「でもあのクラウだぜ?想像できるか?」
「………無理」
「だろ!?…あ!なぁ、エドガー、お前今度クラウに聞いてみろよ」
「何を?」
「クラウは人前で全裸になっても、恥ずかしくないのか?って」
「ええ!?そ、そんなこと、僕が聞くの!?」
突然のユウマの提案にエドガーが素っ頓狂な声を上げた。すかさずニトが
「何馬鹿なこと言ってんのよ!」
と、ユウマの頭を叩く。その隣では、キラが顔を真っ赤にして俯いていた。
「え、だって気にならねぇ?あいつ絶対平然としてるって!」
クラウが顔を真っ赤にして逃げ出す姿など、どんなに脳みそを柔らかくしても想像できないとユウマは断言した。
つられて他の三人もついクラウが全裸で突っ立ている姿を想像してしまい、慌てて浮かんだ映像を振り払った。揃って顔がさらに真っ赤になったのは言うまでもない。
「うわ、何想像してんだよ、お前ら。やーらしぃ!」
「う、うるさいわね!何も想像なんてしてないわよ!ね、キラ!?」
『ええっ私!?私は、何も、その…』
赤い顔のニトに話を振られ、キラはもじもじと俯いてしまった。自分は決してそんなやましい気持ちでクラウの全裸を想像などしていない、不可抗力だと涙目で訴えるも、ユウマはニヤニヤとやらしい笑みを浮かべるだけだった。
「でも実際さ、あいつの肉体って生で見たことないじゃん?あいついっつもローブ着てて見えねぇし。でも絶対やばいって!」
「やばいって、ど、どんなふうに?」
興味をそそられた様子のエドガーが身を乗り出して聞き返した。
「そりゃあ、筋肉だよ!細いけど、あの身体能力だぜ?絶対すごいって!」
すごいという単語を何度も繰り返すユウマは、他に表現のしようがないらしい。その語彙力のなさを遠慮なく突っ込みたいニトだったが、しかし、内容が内容だけに女子二人にはいささか会話に乗りずらいのだった。
「そんな下世話なこと気にして、趣味が悪いわよあんたたち!」
「なんでだよ?お前らだってあのローブの下がどうなってるか、興味あるだろ?あいつのことだから、見せてくれって頼んだら、案外あっさり見せくれそうじゃね?」
「もう、やめなさいったら!あんたも十分変態よ!」
わーわーギャーギャーと騒ぐ声が、自由鍛錬場に木霊する。話題の内容はさておき、大事な試験を前に変な緊張感もなく、終始和やかな雰囲気で年末を迎えようとしていた花組五班だったが、その日、招かざる客が暗雲を連れてやってきたのだった。
「―――底辺の人間は、相変わらず低俗で下品な笑いしかできないらしいな」
「はぁ!?誰かしらねぇけど、今なんて…っって、お前ら…!何しに来た!?」
ユウマの口から飛び出た怒声を聞いても臆することなく、ただ不敵に笑って立っていたのは、モランを筆頭とした例の獣人族の一行であった。