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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第四章 続・魔導学園デザイア編
128/140

20 プロローグ



 観劇というにはあまりにも異様で、だが誰も結界内に干渉する術もなく、第一会場内の人間は勝手に始まった劇らしきものをただ見ているしかなかった。




(白い仮面の男):――――ねぇ、どうして泣いているの?


(男):『…あの子がいない。どこにもいないんだ』


(白い仮面の男):――――どうしていないの?


(男):『どうして?……ああ、そうだ。奴等に奪われたからだ。

    しあわせだったはずだ。

    すべてが光と愛にあふれ、満ち足りていたはずだ。

    なのに…!』


(白い仮面の男):――――悲しいんだね。僕と一緒。一人ぼっちで泣いている。


(男):『あの子は俺から離れて行った。

    俺の手を選ばずに、あんな不浄な羽なしどもと共に…。

    何故…!』


(白い仮面の男):――――怒っているの?それとも、憎いの?


(男):『ああ、憎い…すべてが憎い!

    あの男も、あいつらも、神も世界も何もかも!

    この世のすべてが憎くてたまらない!

    ―――何故だ!?

    なぜ、俺からあの子を奪った!?

    返せ、返せ、返せ返せ返せ返せ!!!!』


 

 果たして、これは演技なのか―――

 観客たちはあまりにおぞましい男の叫びに戦慄した。憎しみに侵された魂の叫びだけが、結界の壁を突き抜け会場中に木霊する。

 


(男):『業深き、腐った欲の掃き溜めで、

    二度と愛を受け取れぬよう、その手を切り落とし、

    二度と奪えぬよう、その身を縛り、

    二度とこの地に還ること適わぬよう、

    赤で染め上げたこの大地で、魂ごと滅び去れ!

 

    …ああ、哀れで可愛い、俺だけの天使―――

    お前以外、何もいらないのに…どこにも見つからない』



(仮面の男):―――僕たちは同じ。同じものを欲しがって、泣いている。

       “あれ”が欲しい……欲しい、欲しい、欲しい!!!

       だから、僕をその身に受け入れて、共に行こう。

       きっと大丈夫

       僕たち二人なら、もう一度取り戻せるから―――




  (二人):『だから、どうかもう一度……

      俺たち(僕たち)の前で笑ってくれー――』





 観客を置き去りのまま劇は進み、再びあふれた光と共に場面が転換した。発動した二つの転移魔法陣によって男二人の姿が消え、今度は新たに別の人間が会場の中心に姿を現した。

「お、おい…あれって…」

 ざわざわと観客の間で動揺が広がる。

 男はどう見てもデザイアの研究生が着ている制服を身に着けていたからだ。しかもその顔が、デザイアでは有名な人のものと来れば、いよいよ会場中が疑問の声で溢れた。

「…あれ…アンソールさん、だよな…?」

「た、たぶん…」

 尋ねられた生徒の返事に自信が無いのは、ある意味仕方のないことであった。アンソールの見た目の変化があまりにもひどかったからだ。ただ何をするわけでもなく焦点の合わない瞳で天を仰ぎ、何かぶつぶつとつぶやいているように見えるが、あれは確かにアンソールだとささやく声が会場内に伝わっていく。


 だが、何故彼があんなところにいるのか―――


 その答えを持つ人間はこの場には誰もいなかった。同じ研究生も、教師も、長であるフェンデルですら答えを持ちえない、“謎”だ。教師陣がなんとかアンソールの元へ駆けつけようとするが、強固に張り巡らされた結界の壁に阻まれ手の出し様がなかった。フェンデルが何度も教師に指示を出してことの収集にあたろうと奮闘しているようだが、状況は変わらなかった。

 そんな中、またあのオルゴールの音が鳴り始め、先ほどの男二人の声がどこからともなく聞こえてきた。



 (仮面の男):――――あーあ、またダメだったね。失敗だ。残念。


 (男):『…これで何度目だ?あれから何年経った?

     俺は一体、いつまで待たなければならない?

     あの子はどこにいる?』


 (仮面の男):―――…まだ、ダメだよ。まだ完全じゃないんだ。

       確実に取り戻すためには、もっと力を制御できるようにしなきゃ。

       …ああ、ほら!

       あそこにちょうどいい実験体がいるよ!

       今度はとびきり優秀なあの子で試してみよう!

       今度こそきっと、うまくいくから―――




「ああぁぁあ…いやだ、いやだっ……!」


 声が途絶えると、それまでピクリとも動こうとしなかったアンソールが突然己の身体を掻きむしりながら、悲痛な叫び声を上げた――


「お願いだ…助けてくれ、だれか、助けてくれ…!」


 アンソールは反乱狂になりながら、何かから逃れるように結界の壁を叩いて、助けを乞うていた。到底演技とは思えないその叫びに、観客の何人かが反射的に助けようと腰を浮かせ立ち上がるも、何をどうしていいのかわらないまま皆その場に立ち尽くしていた。

 やがてオルゴールが止まり、一瞬の静寂が訪れた時―――

 悲痛なアンソールの叫びと共に、背中からどす黒い渦があふれ、複雑な模様を描いた魔法陣が爛々と浮かび上がった。そこから無数の黒い触手がうねりながら生え広がって行く悪夢のような光景に、会場中から悲鳴が上がった。さらに敗れた服の合間から見えた肌の異常さに、誰もが息を飲む。


 アンソールの身体が、首元まで黒く変色していたのだ―――



「―――――…の、呪いだ…あいつは、呪われている…!!!」



 最初にそう叫んだのは誰だったのか。だが、その叫びをきっかけに会場は一気にパニックに陥った。黒く光る皮膚に、ぼこぼこと歪に浮き出た血管が今にも破裂しそうなほど膨れ、どくどくと脈打つさまは妙に生々しく、あまりのおぞましさに泣き出す女子生徒もいた。

 身体に受ければ確実に死ぬと言われてきた『黒の呪い』―――

 実際に見たことがない若い人間でも、その脅威についての知識だけは豊富だ。この百年、姿を見なかった脅威を目の当たりにして冷静を保てる人間などそう多くない。ただ『呪い』という単語の恐怖だけが伝染し、自分の足元に死の影を見た人間たちが一目散に逃げ出していく。

 あちこちから悲鳴が上がり、落ち着けと注意する教師の声もかき消され、我先にと逃げ出す客たちが出口に殺到した。契約している聖獣を呼び出し空に逃げる者もいれば、相棒の背に乗って人の壁を無理やり押し倒していく者もいた。早く行けと叫ぶ罵倒に、押され、転んで、踏まれた生徒の悲鳴が混じっても、誰もがこの異常事態から逃れたい一心で出口へとひた走る。

 さらに、アンソールの背から生えた黒い触手が縦横無尽に動き回り、あんなに頑丈に見えた結界の壁に亀裂が入る頃には、いよいよ会場内の恐怖は抑えきれないものとなり、あたりは収取がつかないほどの混乱に見舞われた。



「なんなんだ、こりゃあ…こんなところでまた呪いだ?冗談じゃねぇぜ…!」

「兄貴、どうするっちゃ!?おいら達もにげるっちゃ!?」


 ガーナでの悪夢がようやく記憶から薄れ始めていたところへ、この騒ぎだ。偶然にしては笑えないと、混乱した客席内でダントリオは一人立ち尽くしていた。早く逃げようとチャットとナチルに腕をひかれても、何故だという疑問だけが脳内を繰り返し、ダントリオはその場から動けなかった。


「ダントリオさん!!!」

「…っ!クラウ?」


 一際強い声で名を呼ばれ、ダントリオはハッと我に返った。振り向けば、じっと強い視線で自分を見つめるクラウがいた。どこか見覚えのある瞳の輝きに漠然とした不安を感じたダントリオだったが、混乱した頭でようやく理解した時にはクラウの意志はすでに決まっていた。


「ダントリオさん、エドガーとユウマをあなたに預けます!できるだけ遠く、安全な場所…キラとアウラの元へ、お願いします」

「クラウ……?」

「―――すみません。僕はやっぱり、黙って見ていることはできません。怪我だけはしないと、約束します」

「…クラウ!?待て!どこに行く気だ!?」

「ああ!クラウ、また一人で行く気っちゃ!」

 と、大人三人が気づいたときには、クラウは人の波の合間を縫って行ってしまった。


「…あの馬鹿野郎がっ!」

「兄貴、どうするんだ!?追うのか!?」

 チャットに急きたてられ、ダントリオはしばらく迷った。だが、今は何より、庇護すべき子供の命を守ることが大人の役割だと頭を切り替えた。

「ナチル、チャット、俺は先に二人を連れて神子さんたちと合流する!お前らは他の生徒を見てやってくれ!逃げ遅れている生徒がいたら、手ぇ貸してやるんだ!一人で無理なら、その辺の大人捕まえて一緒に連れて行くように頼め!いいな!?」

「はいっちゃ!」

「わかった!」

 頷き、さっそく行動を始める仲間を見送り、ダントリオはユウマとエドガーを振り返り、離れずについてくるように言った。

「お、おい、クラウは!?あいつはどうするんだよ!置いて行くのか!?」

「―――あいつのことは放っておけ。言っても聞きやしねぇんだから」

「で、でも、クラウ君だってまだ子供だよ…!!」

 ユウマとエドガーが仲間を置いていくことはできないと縋ってきたが、ダントリオはもう迷わなかった。

「クラウなら大丈夫だ、心配ねぇ。もっとガキの頃から一人で旅してたし、ガーナの騒ぎの時もケロッと帰ってきたんだからな。今回もちゃんと戻ってくるさ」

「そんなのわかんねぇだろ!?あいつ今、イアがいないんだぞ!?一人で何ができるってんだよ!」

「だったら、のこのこあいつの後ついて行って、てめぇに何ができるって言うんだ!?あ?自分の身一つ守れねぇ子共が、他人の心配なんかしてんじゃねぇ!なんでクラウが俺にお前たちを預けたと思ってる!?」

「……でも…!」

「そりゃ俺だって!あいつの首根っこ引っ張ってでも連れて行きてぇさ!でもな、あいつはいつだって自分の頭ん中で全部決めて、自分だけで行っちまうやつなんだよ。…はじめっからそうだ―――あいつの足手まといになりたくないなら、今は自分の安全だけを考えろ。いいな!」

「…くそっ!」

 ユウマは昨日クラウに、『庇われても余計な手間が増える』とはっきり言われたことを思い出した。だから、後ろでおとなしくしていて欲しいとも―――

 確かにその通りだと、自分の無力さに奥歯を噛み締めながら、ユウマはエドガーと共にダントリオの後についていった。




「こりゃひえでぇな…どうなってやがる!?」

 三人が席を離れ、会場の外周廊下に出ると、あたりは想像以上の大惨事になっていた。人がギュウギュウに押しかけ、ほとんど身動きが取れない状況だ。

「何だ?何でみんな逃げねぇんだ?」

「――――扉が全部、結界で閉じられているのですわ」

「おわ!?ビクセントライン…!」

 突然割って入ってきた声にユウマがあたりを見渡せば、すぐ目の前にエリザベスたち花組一班のメンバーがいた。

「あ、ホートン君だぁ」

「よっ、エドガー。昨日ぶり!」

 と、獣人族コンビが呑気にハイタッチする横で、ユウマはエリザベスにどういうことだと聞き返した。

「誰の仕業か知りませんが、ご丁寧に出口全部を結界でふさがれて、みなさん、どこにも逃げ場がない状況なのです」

「なら壁を魔法でもなんでもいいからぶち破ればいいだろうが!教師や大人は何してやがる!?」

 と、ダントリオが苛立ちを隠さずに叫ぶも、エリザベスは無駄だと首を振った。

「先ほどからみなさん、いろいろと試してくださってますわ。ただ、この学園に入るとき、観客の皆さんも武器をすべて預けてしまっていますし、教師は生徒の回収で手がいっぱいで、大したこともできずにお手上げの状態なのです」

「なら、お前ご自慢の派手魔法でなんとかならねぇのかよ?」

 こういう時こそ、出番なんじゃないのかとけしかけるユウマに、エリザベスは再び「無理ですわ」と首を振った。

「なんでだよ?」

 と、聞き返すユウマに、エリザベスは一つ面倒臭そうにため息をつくと、突然軽く右手を挙げて遠慮なしに炎の魔法弾を壁にぶっ放したのだった。

「おわ!?いきなり何してんだよ!あっぶねぇな!」

「――――ご覧の通りですわ。この会場の壁は、どこも魔法耐性が強い鉱石で作られているそうで、魔法はほとんどききませんの。もちろん、物理耐久の方も“最高級”だそうですけど」

 エリザベスが言う通り、魔法弾がぶち当たった壁は、ひびどころか焦げ目一つついていなかった。

「くそっ、なんだって壁一つにそんな金かけてんだ!?この金持ち学園はよ!」

 ダントリオが見当違いに責めたところで状況は変わらない。どうにかして外への逃げ道を確保しなければならないのだが、方法が見つからず焦りだけが募る。

「なら二階は?二階の客席の壁を登れば、後は風魔法使いか、鳥獣系の聖獣と契約してる奴に協力してもらって…」

「それこそ無茶ですわ。この数全員を悠長に運んでいる時間なんてありません。大体、空から逃げる手段がある方は、とっくに学園から避難してしまっていますわ」

「くそっ…。どいつもこいつも、子供より自分の命か!」

「―――そんなことより、あなたたち、キラさんは?ご一緒じゃなくて?」

 エリザベスは花組五班のメンバーが足りないことを訝しんで首を傾げた。

「キラは、この二日俺たちとは別行動してるぜ。今もこの会場内にはいねぇよ」

「……それは困りましたわね。なんとか、キラさんと連絡は取れませんの?」

「できるわけないだろ」

 と、ユウマがあっけらかんと断言すれば、エリザベスはため息とともに「万事休す、ですわね」と肩を落とした。

「キラがどうかしたのかよ?」

「…厳密には、キラさんではなくアウラ様ですわ。おそらく、この事態をなんとかできるのは、アウラ様の光魔法だけでしょう。ですからあなた方を探していましたのに、この場にいないのでは意味がありません」

「なんでだよ?他の聖導師は?学園の聖導師がいるだろ?結界ならこっちからも結界をぶつけりゃ、なんとか穴ぐらいは開くんじゃないのか?」

「…今回の場合は、そう簡単ではないようですわ。この結界、こちらの魔法干渉を一切受け付けないばかりか、魔法自体が跳ね返されるほど強固なもののようです。いったい誰が、どうやって創造したのか知りませんが、おそらく相手は最上級の魔術師…。精霊であるアウラ様か、あるいは六聖宮の方々でなければ難しいでしょう。…とにかく、我々は完全にこの第一会場内に閉じ込められたということですわ」


「―――じゃあ、やっぱ壁ごとぶち壊すしかねぇじゃん」

 と、一人得意満面で意見を述べたのは、ユウマだった。


「はぁ………。あなた、わたくしの話を聞いていませんでしたの?」

 エリザベスが心底軽蔑したような憐みの視線をユウマに返した。

「ちゃんと聞いてたって。魔法でどうにもできないんだろ?だったら、力でぶち破ればいいじゃん!」

「だから、武器も道具もなしに、この頑丈な壁をどうやって壊すつもりですの?その方法がないから、困っていると先ほどから…―――」

「いるじゃん、ここに」

「…?何のことですの?」

 いよいよユウマの言いたいことが分からず、エリザベスは苛立ったようにユウマを睨みつけた。

「だからぁ!いるだろ、ここに!俺たちの救世主が!」

 同じように苛立たしげに叫んだユウマが指差したのは、それまでおろおろと不安そうにユウマの後ろに隠れていたエドガーであった。


「え…ええええっ!?僕!?」


 


「―――エドガー…?そうか、エドガー、お前だ!お前がいたな!」

「…わたくしとしたことが、すっかり忘れていました。盲点でしたわ」

 ようやくユウマの意図が読めたダントリオとエリザベスは、希望を見つけて瞳を輝かせた。ただ一人、エドガー本人はまだわかっていないのか、不安そうにおろおろとしていたが、ダントリオは最後の手綱に縋るようにその肩をつかんで揺さぶった。

「いいか、エドガー!この壁の向こうはもう外だ!扉がだめなら、もう直接壁をぶち破るしかねぇ!お前のその拳ならきっとできる!やれるな!?」

「え、えっと、でも…」

「いいからいいから、さっさと腕出せって」

 ユウマに言われ、エドガーは戸惑いながらももぞもぞと両手を突きだした。早々に手袋を外され、馴染みのある魔力がじんわりと腕の先に戻ってくる懐かしい感覚がした。その手を、ユウマがギュッと握ってきた。

「ほら、お前の力が役に立つ、一世一代の見せ場だぞ。シャキッとしろよ!」

「ユウマ君…」

「―――大丈夫。お前なら絶対にやれる。今、俺たちには、お前のこの力が必要なんだ」

 そう言い切るユウマの瞳には不安など何も映っていなかった。ずっと扱いに困り、何度もいらないと思ったこの力を信じてくれる仲間が、今目の前にいるのだ。

 みんなのために、自分のために、

 今ここで使わずに、いつ使うのか――――


「…ユウマ君、ありがとう。僕、やってみる!」

 エドガーは大きく頷き、ユウマの手を握り返した。

「ああ、頑張れ!」

「よぉし!おい、お前ら、怪我したくなけりゃ此処からできるだけ離れろ!」

 ダントリオが壁から人を遠ざけるのを待ってから、エドガーは一人前へ進み出て壁の前に仁王立ちした。それから再び魔力が戻った手の平を握り込み、じっと目の前の壁を睨みつける。

 今まで壊し、傷つけることしかなかった力を、今度は人のために役立てる時が来たのだ。みんなを助けるためなら自分の拳がどうなろうと、エドガーは構わなかった。


「いっけぇ、エドガー!思いっきりブチ破れ!」


「任せて!」


 エドガーはムフッ!と闘牛のように鼻息を荒く吐きだすと、握り込んだ右の拳をそのままフルパワー状態で壁に叩きつけた――――


「ヤァッ!!!!」


 ドゴオッ!っと鈍い音と共に壁にエドガーの拳がめり込み、廊下全体が衝撃に一度ずしんと揺れる。だが、それ以上ひびが入ることなくびくともしない壁に、失敗かとみんなが肩を落としそうになったとき、遅れてみしみしと数メートルの亀裂が四方に走った。

 エドガーがそのままもう一度拳に力を入れて突き出せば、壁は跡形もなく粉々に砕け散って、一気に崩れ落ちていった。

「ケホケホッ……わぁ…!」

 急に差し込んだ外の光に、エドガーは思わず眼を細めた。


「―――やった!でかしたぞ、エドガー!最高だぜ!」

「エドガー、すっげえぇ!」

 壁の崩落にあっけにとられる人をかき分けて、ユウマとホートンが満面の笑みでエドガーの巨体に飛びついた。

「…で、できた?僕、ちゃんとできた?」

「ああ、上出来だ!お前やっぱり、すげぇよ!」

「エヘヘッ、そ、そうかな?」

 エドガーが照れくさそうに頬を染めれば、呆けていた他の人たちも喜びの声を上げ、エドガーへ賛辞の拍手を送った。

「よーし!この調子で、向こう側の壁もぶち破ろうぜ!行くぞ、エドガー!」

「う、うん!!」

「お、おい!?こら!勝手に行くな、お前ら!」


 ――――クラウ、無茶だけはするなよ


 ダントリオは、走っていく子供たちをあわてて追いかけながら、一人行ってしまった仲間を思って祈った。








 その頃、仲間から離れ人が消えた観客席をぐるりと一周していたクラウは、途中座席の間に挟まって動けないでいる女子生徒を見つけた。

「―――大丈夫か?どこか怪我したのか?」

「あ、足が、動かないの…!」

 足がつぶれた座席下に挟まり、動けなくなったらしい。クラウはぐちゃぐちゃに泣いて助けてと繰り返す彼女に「大丈夫だ」と声をかけながら、ひしゃげた座席を元に戻し、素早く足の具合を確かめた。

「歩けそうか?」

「…ん…だめ、力が入らない…!」

 また泣きだしてしまった女子生徒にもう一度「大丈夫だ」と語りかけ、クラウは軽々と腕に抱き上げた。骨に異常はなさそうだが、靭帯か神経に損傷を負ったかもしれない。仕方ないと、女子を抱えたまま一度廊下へ出ようとしたところに、

「おい!お前ら、大丈夫か!?」

 と、研修生らしき男が走ってくるのが見えた。

「足を負傷しています。早く聖導師の元へ」

「わかった!」

 クラウは状況を説明しながら、研修生に女子生徒を預けた。

「二階はもう、彼女だけです」

「お前、わざわざ見回ってくれたのか?…わかった。一階の客席ももう誰もいない。お前も一緒に避難しよう、いいな?」

 と、研修生がクラウにも一緒に来るように指示したが、クラウは動きを止めて、振り返った。それから二人を背に庇うように進み出て、じっと二階席奥に視線を向ける。何か、地面付近の大気中の魔力が、蜃気楼のように歪んで視えた気がしたのだ。

「お、おい、どうしたんだ?」

「シッ!静かに――――何か、来ます……下がってください!」

「え?」

 驚く研修生が問い返す前に、会場中にまたまぶしい光が輝いた。会場のあちこちで光ったそれは、いう間でもなく転移魔法陣で、そこから今度は人ではなく魔物が飛び出してきた時には、すでにクラウは右手に魔力を集め、魔法陣に向かって風魔法をぶっ放していた。

 現れた魔物が気づく間もなく、身体を分断され地面に転がる。だが、その後からすぐにまた別の魔物が次々と姿を現す悪夢にクラウは舌打ちした。


 思い出したくもない、ジェルニドラの群れだ―――


「な、何だこいつら!?いったいどこから…?」

「―――ここは僕が抑えます。行ってください!」

「無茶だ!お前も一緒に…!」

「大丈夫です。それよりも彼女を早く、安全な場所へ」

「お前…」

 明らかに自分よりも年下でありながら、妙な落ち着きを払った声で言うクラウの姿に圧倒され、研修生の男はひとまず頷き避難することにした。

「…無茶するなよ!すぐに応援を呼んでくる!」

 研修生が走って階段を降りて行くと同時に、その後を追うように走り出したジェルニドラに向かってクラウは躊躇なく魔法を放った。

 蘇るのは、アルフェンの里で起きた襲撃の光景―――

 あの時は動揺と幼さゆえに、ククリを守りきれなかった無念の思いが一瞬にしてクラウの心を埋め尽くした。

 だが、今は違う。

 あれから五年――毎日欠かさずに鍛錬してきた時間は、クラウにとっても確かな自信となっていた。


「今度は、ヘマはしない!」


 クラウはぐっと一度右手握り、魔力を圧縮すると、群がったジェルニドラの集団に向かって解き放った。猛然とした風が吹き抜け、小さな竜巻をお越し、ジェルニドラの小さな身体を次々と巻き込んでいく。すべての敵を風の渦の中心に捕らえると、クラウは魔法を一気に集束させ、中央から外側に向かって無数の風の刃を爆発させた―――第三試験の時にノエルが披露した技の応用だ。

 粉々に砕け散った魔物の身体が四方へ飛び、血が床を汚す。クラウはその無残な最期に目もくれずに、輝きを宿したままの魔法陣に向かって走りだした。

 あの日、確かにベルクアは言っていた。

 一度起動した魔法陣でも、相手より優れた魔力を持ってさえいれば妨害が可能だと。それが本当なら、今、ここで試さずにいつ試すのか―――

 魔法陣に使われている魔力とクラウの魔力。どちらがより優れた質の高い魔力かはわからないが、クラウはここでただ黙って見ているだけで終わらせるつもりなどなかった。

 薄々予想していたことだが、里の襲撃も、世界中で起きた襲撃も、そしてガーナの襲撃も、今しがた見たように敵側が転移魔法陣を使って魔物だけを送り込んでいたとすれば、突然集団発生した説明もつく。そして、敵はいつだって遠くから高みの見物よろしく静観しているだけで、自ら姿を見せることなく、毎回こちらは何も手掛かりをつかめないまま終わってしまう。

 だが、だからこそ、この場で唯一敵とつながっている物がある―――そう、この転移魔法陣だ。


「そっちが姿を見せないなら、こっちから探らせてもらう…!」


 クラウは陣の上に素早く手をかかげ、一気に自分の魔力を放出した。そのまま魔力を帯びた文字を外側から順に、無理やり自分の魔力で上書きしていく。

 手に伝わるのは確かに黒の魔力だ―――それでもクラウは器用に魔力を変質し、己の魔力を問答無用で押し流し、魔法陣の主導権を自分で握るべく圧力をかけた。

 もし、本当にこれが里で見た転移魔法陣と同じ種類のものならば、必ず転移起点にある基本の魔法陣とつながっているはずだ。そこには当然、この襲撃に関わる人物もいるはず―――相手の顔まではわからなくても、気配か、せめて転移場所だけでもわかれば何か足取りがつかめるかもしれない。

 とにかく、クラウはこの機会を逃すまいと全神経を集中させ、魔法陣の中の情報をすべて記憶するべく陣の乗っ取りを量った。普通なら、魔法陣を丸々一つ自分の魔力で塗り替えることはとても繊細で危険な作業になる。魔力同士の衝突・逆流によって血管が切れて、最悪指が吹き飛んでもおかしくないほどの負担がかかることもあるのだ。だが、そこは偉大な母アリーシャと、得体のしれない父親の底知れぬ力を受け継いだクラウのこと。相手の魔力の抵抗などあっさり押し返し、陣の文字は見る見る内にクラウの魔力によって上書きされていった。

 無意識下で、クラウの右目がじんわり金色みを帯び、光りはじめていく―――

 しかし、あと少しで何かに届くと感じた矢先、早々に陣の輝きが失われ、あっという間に消えてしまった。


「――――気づかれたみたいだな」


 どうやら、クラウが魔法陣にちょっかいを出していることに気づき、向こう側の人間が慌てて陣の発動を止めたようだ。

 残念だが、魔法陣が消えてしまった以上追跡は無理だろう。仕方がないと一つ息を付き、気持ちを切り替えあたりを見回わせば、出現した魔法陣は他にもあったらしく、会場のあちこちで大人たちが必死にジェルニドラの群れと攻防する光景が見えた。


「おい、オーウェン!無事か!?」

「カゲトラ先生」

「すまん、武器の調達で遅くなった!って、お前…まさか、これ、一人でやったのか?」

「ああ……―――いえ、知らない大人の方々が、助けてくださいました」

 クラウはそこでようやく、無残に砕けた魔物の死体に目を向け、驚くカゲトラに適当に言い訳をした。彼が信じようと信じまいと、クラウが実際に倒したところは見ていないはずだ。ならば証拠はないと、クラウはそのまましらを通すことにした。

「ここはすぐに魔法陣が消えたので、大人の方は皆、他の応援に行きました」

「…そ、そうか。とにかく、お前が無事ならいい。俺はこのまま他の加勢に行く。お前は早く外に避難するんだ、いいな!」

「………」

「オーウェン?聞いてるのか!?」

「この音は……?」

「音?…」

「シッ!―――――」

 クラウはそっと手をあげ、カゲトラの言葉を遮った。耳障りな音と、何か異様な気配を感じて、会場の中心を振り返る。


「――――駄目だ……結界が、破れます!」

「え?あ、おい!?どこに行くんだ!オーウェン!?」


 クラウはカゲトラを無視し客席を一気に飛び越え、駆けだした。向かう先はいう間でもなく会場中心だ。壇上の結界内で、黒の触手に侵されながら彷徨うアンソールへ視線を固定しながら、クラウは、足元も見ずに障害物を避け難なく二階席の柵の上へと飛び上がった。その幅五センチもない細い柵の上を猛スピードで駆けて行く。そんなクラウの並外れた身体能力に驚きながらも、後を必死に追いかけるカゲトラがいた。

「お、おい!オーウェン!危険だから戻れっ!!」

 後ろから聞こえるカゲトラの声をまたも無視し、クラウは何かとても嫌な予感に、己の五感を最大に研ぎ澄ませて周囲を警戒した。

 アンソールの背中から生えた触手が結界の壁にぶつかるたびに、亀裂が入る嫌な音が耳に届く。すでに結界の一面にひびが入り、もう一分と持たないほど崩壊し始めていた。

 東の入り口付近で、魔物の群れと戦う大人たちの姿が見えたが、その中にフェンデルとアイゼリウスの姿はない。反対の西口でも、別の魔導部隊が魔物と戦っている姿が見える。その前線の結界付近でリオ達星組一班が大人に交じって交戦している姿を目に留めたクラウは、思わず叫んでいた。


「―――ライラック!!皆を下がらせろ、結界が破れる!!!」

「あ!?」

「もたもたするな!触手に捕まれば、呪いをもらう!急げ!」

「!!サーチ、マーチ!戻れ!」


 張り上げたクラウの声を聴いたリオは、即座に判断し、すでに魔物に向かって走り出していた双子を呼び戻した。そこはさすが学年一統率がとれた星組一班である。班長の号令に、サーチとマーチはすぐにリオの元へ下がろうと方向転換した。だが、その後ろをしつこく魔物が猛然と追いかけてくる気配に、サーチは忌々しそうに舌打ちした。追い付かれるより先に応戦して片づけた方が早いと判断したサーチは、素早くマーチに号令を飛ばした。

「マチ!右に転がって、旋回!走んな!」

 姉の号令を聴き、マーチがすぐさま右方向へと転がり、再び大きく曲線を描きながら走り抜けた。魔物がマーチを追って方向を変える。その間に反対方向に転がったサーチは弾丸戦法の構えを取ると、マーチを追って行った魔物目がけて飛び出した。

 超速でサーチは先の試合で見せたあの曲線の軌道で飛び、華麗に魔物の前面に回り込むと、容赦なく自慢の爪先で魔物の首を裂き切った。

「マチ!標的下、構えな!」

「了解だや、姉ちゃん!」

 飛び散る血の雨を潜って、サーチの足の間からマーチが地面を滑り込んでくる。

 サーチは絶命した魔物の身体を上段蹴りで吹っ飛ばすと、滑り込んできた弟の後ろ首を引っ掴んでそのまま真上に放り投げた。

 後ろから追い付いた別の魔物が、隙を狙い、サーチ目がけて牙を向け飛びついてくるその頭上で、マーチがひらりと身を翻した。


「マチ!」

「はいだや!―――天誅・背面狩り!!!」

 

 マーチの眼光が怒りに燃え、鋭い爪が魔物の身体を突き破る勢いでその背を抉った。声にならないおぞましい悲鳴と共に、派手に血しぶきをまき散らして地面に落ちた魔物があっという間に絶命する。その様を横目で見届け、サーチは弟の手をとって再び走り出した。

「二人とも、急げ!」

 リオが叫ぶと同時に、触手の最後の一突きによって結界の壁が崩れ去っていく。解き放たれた触手が、双子の背を狙ってぐんぐん伸びていく光景に、リオに続いて周りの大人が気づき急いで駆け寄るも、到底間に合わない。

 後ろから押し寄せる得体のしれない気配に、サーチはゾッとした悪寒を感じて全身に鳥肌を立てながら弟の手を引いて走った。この触手に捕まればおしまいだ。だが、とても弾丸戦法の構えを取っている余裕はなく、逃げ切れそうにないと悟ったサーチは、せめて弟だけはとその身を腕の中に引き寄せ、庇うように覆いかぶさった。

「ね、姉ちゃん!?」

「サーチっ!!!」

 さらに、中央で転移魔法陣が光り、そこから黒い皮膚を持つ新たな魔物が見えた時には、クラウの身体も二階からダイレクトに飛び降りていた。


「オーウェン!?…くそっ!―――タマコォ!!下だぁ!!」


 事態の緊急度を理解したカゲトラが怒鳴ると、二階客席の反対側を走っていたタマコがクラウ同様柵を飛び越え、ひらりと身を翻す。その手に握られた黒き刃がきらりと陽の光を反射しながら、華麗に宙を舞った―――







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