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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第四章 続・魔導学園デザイア編
127/140

19 幕開け2



 クルックは全速力でかけた。

 運動神経も持久力も平均に遠く及ばない残念な身体だが、それでも必死に走った。心臓がバクバクと脈打ち、息が苦しい。あまりの辛さになんでこんなに宿泊施設が離れているんだと頭の中で文句を叫びながらも、クルックはアンソールの願いのためにただ走り続けた。

 ようやく小道の先に白い屋根が見えたころには、額から滝のように汗が流れていた。

「き、キラさん!キラさん!お願いです、ぼ、僕と一緒に、来てくださいっ!」

 荒い息の合間に、なんとか呼び出そうと声を上げるが、ニト達が一体どの部屋にいるのかわからず、クルックは手当たり次第に窓付近の結界を叩いて行った。

「キラさん、お願いです!クルックです!」

「…クルックさん?」

 途方にくれながら、裏手にまわってようやく反応があった。一番端の窓がゆっくりと開き、そこからニトが訝しげに顔をのぞかせた。

「ガレシア嬢!あの、キラさんとアウラ様はいらっしゃいますか!?」

「キラ?ええ、もちろん、いるけど…」

『あ、クルックさん!どうしたんですか?』

 と、ニトの後ろからひょっこりとキラの顔が覗き、聞きなれた鈴の音色を聞いた瞬間、クルックは安堵に思わず涙ぐんだ。

 とにかく事情を説明して、キラとアウラに一緒に来てほしいと頼めば、キラは戸惑いながらも分かったと頷いてくれた。

「ありがとうございます!キラさん!」

『いえ、私は何も。アウラの力が役に立つなら、全然。でも…』

 と、キラは心配そうにニトを振り返った。ニトが一人で退屈しないようにこうして女子会を開くことにしたのに、結果的にニトを一人置いて行かなければならない状況になってしまった申し訳なさにキラが困っていると、ニトは自分の事は気にしなくていいとキラの背中を押した。

「大丈夫。私はちゃんとここでおとなしくしてるから。それよりも今は困っている人を助けなきゃ。それが、キラが目指す聖導師のお仕事でしょう?」

『ニトちゃん…ありがとう!』

 ニトの許しを得てほっと頷いたキラは、さっそくアウラに一度結界を解いてもらい、来た時と同様に窓から外へと出ようと窓枠に手をかけた。

 しかし、キラより前にひらりと窓枠を飛び越えた影があった―――イアだ。彼女は窓下へと飛び降りると、その場でじっとキラの行く手を阻ばむように動きを止めた。

「い、イアさん、あの…?」

 焦れたクルックが、申しわけないと謝りながら無理にキラへ手を伸ばそうとすれば、イアは今度は明確に、クルックに向けて低く警告の唸り声を上げた。

「ひぃ!」

『イアちゃん、どうしたの!?ダメだよ!』

 仲間であるクルックに吠えてはダメだとキラが諌めるが、イアはじっとクルックを見据えたまま譲らなかった。

『な、なんだか怒ってるみたい…』

「…もしかして、クラウの命令以外の事だからダメだって言ってるんじゃないかしら?」

 と、ニトは困惑しながらも、状況を推察していった。

 これまでのイアとクラウの関係を見ていれば、イアがクラウに対し絶対的な忠誠心を持っていることは一目瞭然だ。そのクラウからニト達に誰も近づけるなと言われている以上、イアとしては例えクルックだろうと認めるわけにはいかないのだろう。どんな都合があろうと、人間側の事情などイアには関係なく、その強い忠誠心のもとイアはキラ達のお守を完遂するため一歩も譲らなかった。

『イアちゃん、お願い。私はアウラがいるから平気だし、結界もちゃんと張り直していくから、ニトちゃんだって大丈夫。だから…』

 と、キラが願ったところで、イアの忠誠心の前では何の効力もなかった。

 困ったキラがクルックとニトの顔を見返す。だが、当然二人もイアを説得する術などなく、同じように困り果てた顔で見合うしかなかった。

 すると、それまでキラの腕の中でおとなしくしていたアウラが、キラの顔を覗き込んで首を傾げた。

『キラ、どうしたの?うーん、って顔してる!』

『アウラ……あ、あのね、クルックさんのお友達で具合の悪い人がいるらしいの。だからアウラに治してほしいんだけど…』

『ム?その人治したら、キラ、嬉しい?』

『う、うん、もちろん。でも…』

 と、キラは目の前にいるイアに視線を向けた。するとアウラは何か理解したのか、キラの腕からスルリと抜け出し、イアの前にふわりと降り立った。

 それからじっと視線をイアに合わせ、人には理解できない言葉で問いかける。


『キラが困ってるの。お願いします』


 可愛く首を傾げて、軽く願いを口にするアウラには悪気など微塵もなく、きっと自分がしていることの意味も理解していないのだろう。まして、生まれて間もないアウラは、世界の理の中で自分がどういった存在なのかをまだ把握していない部分がある。ただ大好きなキラが困っているから退いてほしいと願うことが、本来精霊が持つ自由な精神から大きくずれた行いだとしても、アウラには悪意の欠片などなく、己の愛を捧げるたった一人の人間のためにした行いに過ぎない。

 イアだって人より長く生きている分、精霊が人にかける愛情の純粋さや、精霊にとって加護付との関係性がどんな意味を持つかをよく理解していた。それは、イアにとってクラウのすべてが尊いように、アウラにとってもキラのすべてが愛しくかけがえのない存在であることと同義なのだ。

 どこまでも一途で無垢なアウラの願いを前に、イアは到底、無視することなどできなかった。

 本意ではないが、イアはゆっくりと横へ移動し、キラのために道を開けた。

『イアちゃん…!ありがとう!』

 嬉しそうに礼を言いながら、キラがひらりと部屋から飛び出していく。そして、アウラが再び建物外周に結界を張るのを見届けてから、イアは結界の外側でニトを守るように座り込んだ。あえて結界の中に戻らなかったのは、万一のときに対処できるようにするためだ。そんな事態にならないことを願いながら、イアはそっと目を閉じ、だんだん遠ざかっていく足音に耳を澄ませた。






 クルックはキラの手を引き、キラはアウラの手を引いて、三人は学園を急いで駆けていた。キラはもちろんアンソールと面識はないが、カゲトラから元々自分達花組五班の指導員としてついてもらうつもりでいたことと、自分の魔法指導をしてもらう予定だったことを聞いていたので、名前は良く知っていた。それに学園でも上位の魔法成績を持ち、何かと話題に上る人でもある。キラはその度に、きっと素晴らしい術師なのだろうとひそかに憧れを抱いていたぐらいだ。だからクルックからその名を聞いたキラは、ひどく驚くと同時に重いショックを受けた。そんな優秀な人が、何か大変な事件に巻き込まれたのかと想像すると、あのガーナでの襲撃を想いだしとても怖くなったのだ。

 イノヴェア妃や救えなかった命を前にただ涙するしかできなかった自分の不甲斐なさを、キラは今でも忘れていなかった。

 力のない自分が聖導師になる意味―――

 それはアウラの愛と癒しを、他の人にも分け与えることに他ならない。それが、ディアナやベイン達、聖宮の仲間が自分に期待する道なのだから―――

 キラは一生懸命走りながら、アンソールがどんな状態だろうと、アウラの力で治して見せると強く心に誓った。

 だが、ようやくたどり着いた裏道の木陰にアンソールの姿はなく、クルックがアンソールに待つように言った場所には、泥で汚れた白いローブが置き去りにされているだけだった。


「そ、そんな…!あんな状態で、どこに行ったんでしょう…。アンソール君!アンソール君、どこですか!?クルックです!」

『アンソール先生!』

 と、二人は狼狽えながらも懸命に周辺を探しまわったが、やはりどこにも姿はない。

「ああどうしましょう…!」

【もう誰か他の人が保健室に連れて行ってくれたのかもしれませんよ?】

 パニック気味に右往左往するクルックを落ち着かせようと、キラは一生懸命考えた。

「…そうかもしれません。しかし、僕が尋ねた時、聖導師ではダメだと拒絶したんです…!酷く怯えている様子で、何度も何度も、キラさんとアウラ様を呼んできてほしいと言って…」

『そんな…。じゃあどこへ?』

「キラさん!アウラ様に、近くに人の気配がないか聞いてみてくれませんか!?アンソール君はとても魔力が高い方ですから、もしかしたら普通の人より目立つんじゃないでしょうか!」

『あ、はい!アウラ、どう?』

 人間よりも魔力の感受性が強い精霊ならば何かわかるかもしれないと、キラ達は一縷の望みをかけてアウラに問いかけてみる。しかし、アウラは意味が分かっていないのか、不思議そうに首を傾げるだけだった。

『近くに、何か様子がおかしい魔力を感じるとか、すごく大きな魔力を感じるとか…何かない!?アウラ!』

『んーー?あっちにいっぱいいるよ?』

 と、アウラは闘技会場の方を指差した。確かに、あそこにはフェンデルやクラウ、エリザベスたちに加え、各国から優秀な人が観客として集まっているので、アウラの答えは何も間違っていないが、キラ達が求める答えではなかった。

『そ、そうじゃなくてね、アウラ…。あ!じゃあ、何かすごく苦しんでる感じの人はわからない?助けを求めてるような…』


『――――――いるよ』


 アウラはじっと闘技会場の方角を見つめながら言った。その金の瞳に何が見えているのか、アウラはただ見えた景色を説明するかのように言葉をつづけた。


『ずっと助けてって泣いてる。死にたくない、死にたくないって叫んでる――――その人、キラの名前を呼んでるよ』


「あぁ…それです!きっと、それがアンソール君ですっ!」

 キラがアウラの言葉を通訳すると、クルックは顔面蒼白になりながら急ごうとキラの手を引いた。

『アウラ、その人はどこにいるの!?』

『んー……?ちょっと、わかんない。なんだかゆらゆら揺れてるの』

『ゆらゆら?どういう意味?』

『わかんない。でもたぶん、この先ずっと行ったところ。なんだかとってもにぎやかな場所―――』

『この先って……第一会場?』

 アウラが指差す方向は、紛れもなく午後の試合で盛り上がっているはずの第一会場で、キラはクルックに伝えると再び走りだしたのだった。





「クルックさん、どうしたんだろう?」

 すでに第一会場の客席に座っていたエドガーがあたりを見回すも、クルックの姿が見当たらず、エドガーは心配そうに顔を曇らせた。

「ねぇユウマ君、ちゃんとクルックさんに席の番号伝えたんでしょう?」

「あ?ああ、わかれる前に言ったよ」

「じゃあどうして来ないのかな?」

「知らねぇよ。ていうか、あの変態の事だから途中でなんか見つけて、一人で観察でもしてるんじゃないのか?それか、客の中で珍しい容姿の人を見つけて後ついて行ったとかだろ。心配するだけ無駄だって」

 と、ユウマはさほど心配はしていない様子で放っておけと言った。

「でも、午後の試合、あんなに楽しみにしてたのに…。クラウ君、どうしよう?」

 エドガーはそれでもやはり心配なのか、クラウの方へ縋るような視線を送ってきた。

「…そうだな。確かに少し遅いな」

 鼻血で汚れた服を着替えに行くだけにしては時間がかかり過ぎているなと、クラウも頷いた。あれだけ双子に心酔していたクルックのことだ。二人の試合は是が非でも見たいはずだし、クルックの性格ならば何があろうと試合観戦を優先しそうなものだ。だが、もうすぐ試合が始まるというのに帰ってこないのは確かに可笑しい。どこかほかに良い観察場所を見つけてすでに待機しているならいいが、それなら自慢の双眼鏡を置いていくわけがないし、少なくともクラウに何か連絡していくはずだ。だが、クルックから預った荷物はそのまま空席の上に放置されたままで、持ち主は帰ってこない。

「何かカゲトラ先生にでも呼び出されたのかもしれない。もうしばらく待ってみよう―――ほら、試合が始まるぞ」

「うん…」

 いくら考えたところで内容の推測などできないので、とりあえずクラウはまだ心配げなエドガーを促し、視線を壇上に向けた。



 体長一メートル弱。長い耳を揺らし舞台袖で待機する双子の姿に、会場の熱はヒートアップ状態のままであった。先ほどのコハクの試合も相当なものだったが、こちらは双子対決という珍しい人選なだけに、観客の期待と魅入り方も凄まじい。クラウの近くの客たちなどは、ずっとどちらが勝つかで賭けをしているらしく、喧嘩に発展しそうなほどの熱弁を繰り返していた。

「いよいよっちゃねぇ、楽しみだっちゃ!」

「あの双子、すげぇ獣姿じゅうしが出てるよな。あそこまで人型から離れてると、人間味が薄いって言うか、ああいう動物がいるって言われても違和感ないよな」

「たい!可愛いっちゃねぇ」

 自分の容姿はさておき、ナチルは頬を染めながら双子の容姿に見惚れていた。

 二人そろってピョコピョコ跳ねる姿は、確かに小動物じみて愛らしい。

「いよいよ始まるぜ!」

 ユウマが身を乗り出して、壇上を凝視した。


 籠手をはめ終えた双子が、互いに闘志をむき出しにしてにらみ合いながら壇上へのぼってくれば、早々に二人の名を呼ぶ場外の声援合戦が始まった。

「マーチ君、かわいい!付き合って!」

「サーチ姫、俺を蹴ってくれ!」

 と、よくわからない声援も飛ぶ中で、双子はじっとお互いの顔から視線を外さなかった。

「うひゃ!おいら達人気じゃけぇ、みんなに応援されるは、嬉しいとねぇ」

「フン。マチ応援、同情。マチ、即敗北。これ当然」

 マーチがゆらゆら身体を揺らしながら言えば、サーチはすぐさま馬鹿にしたように鼻を鳴らして否定した。

「ムー!今回はおいらが勝つと!鞭使えんけ、姉ちゃんの強さも半減だや!」

「フフン。ちびマチ、雑魚。私、勝つ。これも当然」

「ムー!!!数センチ差なんて関係ないだや!姉ちゃんの意地悪!」

 マーチはバタバタと地団太を踏んで、姉に抗議した。だが、やはりサーチはすでに勝ち誇ったように弟を見下し、ニマニマと笑うのを止めなかった。

「無駄。マチ男、弱い。これも常識」

「そんなことわからんだや!だったら、おいら最初から全力で行くと!覚悟しいや、姉ちゃん!」

 姉の余裕に憤慨したマーチは、教師が開始合図の手を上げると同時に、エドガー戦で見せた弾丸戦法のスタイルを取った。お遊びではなく本気の構えだ。だが、弟の本気度を見て会場がより一層盛り上がる傍らで、やはりサーチは余裕に腕組みしたまま微動だにしなかった。



「二日目最終準決勝―――マーチ・ラットルフェイン対サーチ・ラットルフェイン!試合開始!」


 合図よりややフライング気味に、マーチが攻撃態勢に入り、弾丸となって飛び出す。

 ほんの数秒、いや、もしかしたら一秒にも満たないごくわずかな時間だったかもしれない。マーチの高速弾丸に誰もがアッと息をのんだ次の瞬間、「ドゴッ!」と鈍い音がしたかと思うと、なぜかマーチの身体が地面にめり込んでいたのだった。

「ぐぇ…!」

「フン、馬鹿マチ。全部お見通しだや。いつも誰があんたの弾丸、転がしてると思うとると?姉ちゃんに勝とうなんて、百年早いだや」

 と、サーチは珍しく訛り全開の言葉で、横の地面に転がっている弟の顔をにやにやと見下ろしていた。

 なんと、サーチはあのマーチの驚異的なスピードの攻撃を見切っただけでなく、正確に弟の背中に踵落としをかまして地面に沈めてしまったのだ。

「いてて…、姉ちゃん、酷いと!おいらの鼻、潰れとらんと!?」

「うひゃひゃ!ぺちゃ鼻は、ぺちゃ鼻のままじゃけ。変わらんだや」

 真っ赤に擦りむけたマーチの鼻頭をみたサーチは、お腹を抱えて笑いころげた。笑い方も姉弟そっくりである。

「むぅぅぅ…。でも、まだおいらの実は割れてないじゃけ、勝負はまだまだこれからだや!」

 と、マーチは元気に飛び上がると、ベルトについた実を姉に見せつけた。

「まぁ、咄嗟に実を横にずらして守ったんは、偉いと。褒めてあげるじゃけぇ、さっさとそれ、あたいに渡しな」

「いやじゃけぇ!次はもっと高速で行くじゃけぇ、後悔しても知らんとよ!姉ちゃん!」

 マーチはすぐさまサーチから距離を取り、再びグルルと唸り声をあげて弾丸戦法の構えを取った。


 そこからはマーチによる弾丸攻撃と、サーチの足蹴りの応酬が始まった。

 飛んでは姉に蹴飛ばされ、また飛んでは地面に転がりながらも、マーチは馬鹿の一つ覚えのように高速で飛び続けた。びゅんびゅんと風を切って飛ぶ姿に、観客はもはや残像を追うことすら適わない。それでもただひたすらに飛び続ける弟の姿に、周りの応援もさらに熱を帯び、ある種のエネルギーの波となって奮闘するマーチの背を後押しした。

 だが、どんなに速さを上げても、どんな角度から仕掛けても、サーチの余裕っぷりは健在で、マーチの攻撃は彼女の華麗な足技によってすべて不発に終わった。

 もともと姉の方が強いらしいという噂は学園内でもささやかれていたことだが、双子で、身長的にそれほど変わらないのに、実際の実力差を見せつけられた生徒達はただ驚きを隠せない様子だ。

 ちょこちょこと飛び回るマーチの軌道を確実に見極め、一撃を加えるサーチは、実に堂々としていて落ち着きがあり、あのマーチの攻撃すら稚拙に見えてしまうほどであった。


「口だけマチ。直線だけじゃ勝てんと、そろそろ大人しく負けを認めな」

「ううぅ…いやじゃけぇ。なら、これならどうだや!」


 あっという間に時間が無くなり追い詰められたマーチは、再び構え、狙いをつけて飛び出した。今までと違い、中腹でぐっと体をそらし軌道をカーブさせ、サーチの後ろに回り込もうという作戦だ。だが―――


「否!へたくそ!」

「ぐげぇ!」


 結局大したカーブもかからず、不格好にサーチの右わき腹に飛び込む格好になってしまったマーチは、無残にもまた踵落としを食らって地面に撃沈した。


「フン!馬鹿マチ、こうやってやるんじゃけぇ―――」


 サーチは伏せたままのマーチを更に蹴り飛ばし二人の間に距離を開けると、自分も弾丸戦法の構えを取った。サーチが大衆の前でこの技を見せるのは初めてと言うこともあり、会場が大きなどよめきと興奮にざわつく。

 四つんばいの姿勢で予備動作もなく軽々飛び出したサーチの身体は、マーチの身体目がけて一直線に飛んだ。だが、ぶつかる目前でサーチは身体をねじるように右に一回転させると、うねりの反動を利用して軌道を変え、美しい曲線を描きながらマーチの真後ろへ回り込み着地した。

「後ろががら空きじゃけぇ、馬鹿マチ!」

 着地体勢のまま地面に手をつき、一秒とかけずに再び飛び出す。サーチの身体は弾丸となって、容赦なく至近距離から弟の背中目がけて突撃した。


「ぎゃん!!」


 背中に強烈な一撃を食らったマーチの身体は、壇上外にまで弾き飛ばされ、そのまま壁に激突した。

「大丈夫か!?」

 慌てて駆け寄った教師が、地面で目を回してぐったりしているマーチを抱き起す。そして、腰部分で見事につぶれた実が服を汚しているのを確認し、その場で高らかに勝利宣言を告げたのだった。


「――――しょ、勝者、サーチ・ラットルフェイン!」




「うきゅうぅぅ…、やっぱり姉ちゃんには適わんと…」

「マチ、負け当然。圧倒的練習不足」

「うひゃひゃ、姉ちゃんの練習量にはおいら追い付けんだや」

 大喝采に包まれた空気の中を堂々と歩き、自分の横に立ったサーチを見上げてマーチはへらりと笑った。その笑顔の中に負けた悔しさはあれど、やはり自慢の姉を誇りに思う嬉しさも混じった愛らしいものであった。

「はぁー…、えろう疲れたじゃけぇ、姉ちゃん。おいらもう動けんとぉ……」

「――――チッ」

 ぐったりと地面にころがったまま、甘えたように見上げてくる弟に、サーチは短く舌打ちを返した。かと思えば、乱暴に弟の腕を引っ張って無理やり立たせると、そのまま自分の肩に担ぎあげた。

「え~、おいら、おんぶか抱っこがいいとやぁ」

「黙る!馬鹿マチ!」

 担がれながら甘える弟に、サーチは思いっきりマーチのお尻の肉をつまみ上げた。

「いたたたたた!いたいだや、姉ちゃん!」

 サーチは更にマーチのお尻を叩いて黙らせると、未だに歓声がやまぬ会場の中央へと戻っていった。それから観客席に向かって丁寧に一礼し、弟を肩に抱えたまま壇上を降りて行ったのだった。


 姉の完封という劇的な試合結果に終わりつつも、誰もが文句ひとつない満足感を得ながら各々が感想を言い合う。そして、次はいよいよ二日目の決勝、コハク対サーチの女子対決となれば、会場の盛り上がりは落ち着くどころかさらに激しさを増すばかりであった。

 そんな熱気あふれる空間の中で、最初に異変に気付いたのは、二階の客席で観戦していたとある獣人族の女子生徒だった。


「―――ねぇ、何か聞こえない?」

 と、その女子生徒は耳を傾けながら、隣の友人に耳打ちした。

「何かって何よ?」

「なんか、変わった音…。音楽みたいな」

「音楽?」

「うん……あ、ほら!また!」

「…ほんとだ、何か鳴ってるね。どこから?」

 と、見回すも、音の出処はわからず二人は不思議そうに首を傾げた。しばらくすると、会場のあちこちから同じような会話が広がり、ざわつき始めた。


「なんか、ざわついてないか?」

 と、ユウマがあたりを見回す横で、エドガーがぴくぴくと耳を動かした。

「ねぇねぇ、なんだか不思議な音がするよ…?」

「…ああ、何か聞こえるな」

 クラウ達の仲間内で一番にその音に気付いたのは、エドガーとダントリオの獣人族コンビであった。二人は音の出何処を探るようにじっと耳を傾けた。やがて皆がその音に耳を傾けようと会話を止め、あたりが静けさを取り戻すと、ようやくクラウの耳にも聞き取れるようになった。

「これは……」

 何気なく耳に入ってきたその音に、クラウはひどく懐かしい哀愁を感じて驚いた。

「すごくかわいくて、不思議な音だね!」

「そうかぁ?なんか、頼りねぇ音だな。なんなんだよ、これ?」

「――――これは…オルゴールだな」

 そう、それは地球では何の珍しくもない、オルゴールの音色であった。だが、クラウ以外の仲間は誰一人聞いたことがないのか、

「おるごーる?ってなんだ?」

 と、不思議そうに首を傾げた。

「…知らないのか?」

「知らねぇよ。こんな音、聞いたことねぇもん。なあ?」

 と、ユウマが他の仲間に問えば、エドガーもダントリオたち三人も同意した。仲間や周りの反応を見る限り、どうやらこの世界にオルゴールというものもなければ、それに似た仕組みの装置も存在しないらしい。

 だが、クラウが聞く限り、このどこかせつなくも美しい音の羅列は、ぜんまい仕掛けのあの懐かしい音だった。

「きれい…」

 何処からともなく流れ、いつの間にか会場中に響くほどの音量で鳴り続ける音色に、その曲名すらわからないまま誰もが心を奪われたように聞き入っていた。

 だが、この場にいる誰一人、それがこれから起きる悲しい物語の幕開けになることなど予想もしていなかった。

 



『―――ごきげんよう、お集りのみなさん。

 今日はこの素晴らしい晴れ舞台にふさわしい最高の余興をみなさんにご披露したく、格別の想いで準備させていただきました。ご来場の方々、ぜひ最後まで、お楽しみください』

 

 オルゴールと共に、どこからか聞こえてきた男の声に、一体何事かとまた会場内が騒ぎ出す。試験中にこんな余興があるという話は生徒はもちろんのこと、教師側も知らなかったらしく、会場の脇で急遽会議のようなものが開かれる様子がクラウのいる客席からも見えた。すぐさま、事態の異常を察知したらしいフェンデルが特別席から退いていった。おそらく何かしらの対処を検討し、教師に指示を出すためだろう。だが、その間も音楽は始めから予定されていたかのように、何度も繰り返され、会場に備え付けられた拡声器を通して、また男の声が流れてきた。



『さて、これは遠い昔のお話―――

 とある王国に、とある哀れな男がいました―――』



 何か加工がしてあるのか、ひどく聞き取りにくい男の声と共に、あたりが一瞬まばゆい光にあふれた。右目の眼光を刺すような痛みに思わず目を閉じたクラウだが、次に目を開けた時に見えた光景は、到底予想のつかないものだった。

 いつの間にか壇上をきれいに囲うように巨大な結界が張り巡らされ、その中で真っ白のローブを纏った人間が一人、項垂れるように顔を伏せて椅子に座っていたのだ。ローブの帽子をかぶり俯いているため、表情は見えないが、体格的に成人した男性のようだ。

 さらにもう一人、向かい合うように立つ小柄な人間がいた。こちらも同じく白のローブに身を包んでおり、表情は一切見えない。

 なぜなら、その顔にとても奇妙な真っ白い仮面がついていたからだ―――


「なによ、あれ?」

「さあ…なんだか気味悪い…」


 奇妙な二人の出現に困惑する観客を置き去りにしたまま、ただ途切れることなくオルゴールの物悲しいメロディだけが静かに響いていた。






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