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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第四章 続・魔導学園デザイア編
120/140

12 小さな願い



 歓声を遠くに聞きながら、ニトは終始下を向いたまま先を行くカゲトラの後をついて歩いていた。すっぽりとフードをとかぶって、赤髪が見えないように覆い隠すスタイルはいつものことだが、今日のニトは例の新しい鍛錬着を着ていた。よく見れば、ニト用の鍛錬着だけ専用のフード(耳用の穴有り)がついていたのだ。どこまでも至れり尽くせりな仕様に、ニトはもらって以来お気に入りになり、この鍛錬着ばかりを着ていた。


 カゲトラの口から第四試験参加禁止の知らせを聞かされたのは、クラウがダントリオたちと再会を果たした次の日であった。午前中の授業が終わってから呼び出しを受け、ニトが、クルック、クラウと共に出向くと、例の“学園の決断”とやらを告げられたのである。


「…なんですかそれ!?ただの監禁じゃないですか!」

 と、真っ赤な顔で怒りだしたのは一緒に話を聞いていたクルックだけであった。クラウはじっと黙ったまま何も言わず、そしてニト本人は反論もせず、ただ「わかりました」の一言ですべてを受け入れたのだった。 

「本当に良いんですか、ガレシア嬢!?休みの間、あんなに頑張ってきたのに…!」

「―――ええ、いいのよ」

 心配そうなクルックの視線を前に、ニトはただ笑っていた。どんなに理不尽な条件でも学園の決定ならば従うし、自分の方が制約を受けなければならない存在であることを、ニトは誰よりも知っていたからだ。

 そして、当日の今日―――

 ニトは、試験が行われている間、闘技場から少し離れたところにある臨時の宿泊用施設で一人、隔離されることになっていた。こぢんまりとした二階建ての建物の中には6つの部屋があり、それぞれにトイレと炊事場・シャワー室が完備され、臨時指導員や来客が寝泊まりするために作られた施設である。ニトはその中の一階端の部屋をあてがわれると聞かされていた。


「―――大丈夫か?」

「はい」

 目的地が見えてきたころ、カゲトラが心配そうにニトを振り返った。

「…すまないな。窮屈で退屈だろうが、宿舎の部屋全体に結界が張られる予定だから、試験のすべての工程が終わるまで外出はできない。……いいな?」

「はい。のんびり昼寝でもして過ごします」

 図書館から本も借りてきたと、荷物を掲げて言えば、カゲトラは優しげな笑みを浮かべてそっとニトの頭を撫でた。

「――――お前、ずいぶん変わったなぁ。前は俺のことも怖がってただろう?」

 外見は魔人族のカゲトラだが、獣人族の血も混じっていることは生徒も知っている。その所為かカゲトラが話しかけると、ニトはどこか警戒したように身構えていた。尤も、ニト本人は必死に隠そうとしていたが。

「指導員がクルックに変わった時は、正直ひやひやしてたんだが…。でもまぁ、なんか知らんが、あいつもうまくやってるようだな」

 こうして見違えるような笑顔を見せるニトがいるのだから、結果的によかったのだろうとカゲトラは嬉しそうに言った。

「…あの人、そんなにダメな人じゃないと思いますよ」

「―――それを生徒に言われるようじゃ、まだまだなんだがな。まぁ、いろいろ残念なところを差し引いても、お釣りがくるぐらいの才能はあるんだよ、あいつは。

 ……って、俺がこんなこと言ったなんて知ったら調子に乗るから、本人には黙っとけよ?」

「フフッ、はい」

「それにしても、本当に変わったなぁ。あのツンケンしてたカガチも真面目にやってるみたいだし、ウェイクストンもうまくなじめてるようだし…。エドガーに至っては、腕の制御まで順調だって言うじゃないか」

 花組一、ギスギスした班だったのが嘘のようだと、カゲトラは不思議がった。

「それにその服、五班の奴等みんなおそろいだろ?どうしたんだ?」

 クルックに聞いても、ニマニマと気持ち悪いドヤ顔を返されるだけで教えてもらえず、ずっと気になっていたカゲトラであった。

「すごいでしょう?全部、クラウが作ったんですよ」

「はぁ!?オーウェンが?…あいつ、ほんとわからん奴だな!」

 あの無表情で黙々と裁縫をしている姿を想像すると、何とも微妙な顔になるカゲトラであった。


「クラウのことは、私たちもまだ全然わからないですけど。でも、うちの班の頼れる班長です」

「―――そうか。よかったな」


 ――――やっぱり、俺の勘もまだまだ衰えてないな


 クラウを自慢するニトの様子に、カゲトラはニヤニヤと顎を撫でながら己の判断を自画自賛した。一方的に期待し、さらに条件まで突きつけ、その小さい肩に五班のような特殊な班を任せることに躊躇がなかったとは言わない。だが、他の子とは何かが違うと感じた予兆めいたものが、カゲトラには確かにあったのだ。

 ――――まぁ…、正直、ここまでやるとは思ってなかったけどな


「それにしても、あの顔、どっかで見た気がするんだがなぁ」

「?何のことですか?」

「…いや、こっちの話だ」

 クラウの期待以上の働きを嬉しく思うものの、初めて会った時に抱いた既視感の謎だけがどうしても消えず、カゲトラは半年経った今も、自分の記憶の中から答えを見つけ出せずにいたのだった。




「じゃあ、試験が終わったら、また迎えに来るからな」

「はい」

 カゲトラに見送られ、ニトは建物へと入っていた。

 玄関を通り目的の部屋に着くと、すでに術者の教師が二人、待機していた。挨拶もないまま無愛想にさっさと中に入れと言われ、ニトは黙って従った。

「忘れ物はないな?」

「はい」

「扉を締めたらすぐに魔法陣を発動する。その後は外部との接触は一切できなくなる。ただし、万一何かあった場合は、この魔法瓶を割りなさい。魔力の異変を察知し、アイゼリウス様が学園長に知らせてくださるはずだ」

「はい」

 この場合の万一の事態など想像もしたくないが、ニトは頷き、人差し指ほどの小瓶を受け取った。

「では、中に入ったら念のために扉の施錠を行い、部屋中央で五分ほど待機しなさい。あとは好きに過ごして構いません。それから、これは学園から支給された昼食です」

 もう一人の術師が差し出した包みを受け取り、ニトは扉の内側へと入った。言われた通り鍵をかける。

 それからベッドとテーブルが一つあるだけの質素な部屋の真ん中で、ニトはぽつんと立ち尽くした。

 五分待てといわれたが、数十秒も経たないうちに『キン!』と、小さな超音波のような音が聞え、ニトは自分が隔離されたことを悟った。

 途端に脱力感に苛まれ、その場にズルズルと座り込む。

 この無駄に空いた時間で、自分は何をすればいいのか。何かしようとする気も起きず、ニトはその場にうずくまったまま、首から下げていた結晶石を何気なく手に取り眺めた。

 光属性の魔力が込められている所為か、淡く光を放ち、触るとほんのりと暖かい。見た目はただの結晶石のはずなのに、じっと見つめていると心が落ち着くような気がして、いつの間にかニトは、何か不安を感じると無意識に結晶石を触るクセがついていた。



 ――――エドガー、大丈夫かしら…


 手の中で結晶石を転がしながら、ニトは今頃必死に頑張っているはずの仲間のことを思った。

 すでに開幕式も終わり、参加者は四つの会場に分かれ、それぞれ第一試合から始めているころだろう。

 ニトが参加できない以上、必然的に五班の代表はユウマとエドガーに決まり、一日目に割り振られたエドガーは、第三会場の五試合目の予定だ。

 当初、自分が班の代表だと聞かされたエドガーはひどく戸惑い、自信なさ気にしていたが、今朝は一変して、

「僕、ガレシアさんの分も頑張ってくるから!」

 と、宣誓するほどのやる気をみなぎらせていた。きっとユウマあたりが発破をかけたのだろうが、いくら試験とはいえ、本来争い事が嫌いなはずのエドガーに、いらない責任感を抱かせてしまったことがニトの気を重くした。


「はぁ、…私って、ほんと、ダメね」


 ここまで仲間に想われて、自分は彼らに感謝と恩だけを返すべきなのに。

 何故だろう―――時々、慣れない優しさを前に怯える、情けない自分がいた。

 卑屈でねじまがった思いが心の奥底から湧き上がり、そんな日は必ず例の赤い悪夢に魘され、飛び起きるのだ。そして、ニトはまた一人、ひどい自己嫌悪に陥るのだった。


「……ダメダメ!先のことは考えない!考えない!」


 1人になるとろくでもないことばかりが浮かんでくる。ニトはブルブルと頭を振って暗い考えを追い払った。

 今日という特殊な一日はまだまだ始まったばかりだ。まずは何をして過ごそうか―――と、持ってきた荷物をごそごそと漁り始めた時、ニトの耳が、かすかな物音を拾った。




『…もう!だめだったら!』


「―――だ、だれ?誰かいるの…?」

 耳をぴくぴくと動かして注意深くあたりを探ると、部屋の外で人の足音のようなものがかすかに聞こえた。こそこそと、入り口の反対側、窓に面した壁の向こう側に確かに気配がある。

 ニトは、すぐさま警戒態勢に入り、物音を立てないようにそっと足音を忍ばせて歩くと、窓枠の横に張り付くように身をひそめた。


『――――もう、アウラ!どうして先に食べちゃうの!?それはニトちゃんと一緒に…』

『だって、うまうま!』

『そりゃあとってもおいしそうだけど…。でも、これは皆の分なんだからね!?アウラだけ先に食べちゃったら、後で一人だけ食べられなくなるんだよ!』

『!!!!』

「……?キラ…?」


 チリチリと可憐に鳴る聞きなれた音に驚いて、ニトが窓の下を覗きこめば、窓と木の間に隠れるようにして蹲るキラと、衝撃の表情を浮かべるアウラの姿があった。さらにその後ろにイアまでもが揃っている光景に、ニトは状況が読み込めず、言葉が続かなかった。


『もう、アウラったら…。いいわ、とにかく人が来るといけないから、早く中に入らないと!』

『はーい!』

『あ、ニトちゃん!窓の鍵開けてくれる?』

 と、キラはニトを振り返り、身振り手振りのジェスチャーでカギを開けてくれと頼み込んできた。

「…え、鍵?鍵って、開けてどうするのよ?結界があるのに…」

 今も窓の外には見えない壁があって、キラとニトは声以外の接触が遮断された状態だ。しかし、『早く!』と迫るキラの勢いに押され、ニトは混乱しながらも指示に従った。

『さあアウラ、出番だよ!』

『はーい!』

 アウラは元気よく返事すると、すっと人差し指で結界をつついた。昔、ガーナの城で結界を突き崩したように、今度もたった一突きで、構築された結界の壁が砕け散る。

 キラは手早く窓を開け放ち荷物を入れると、先にイアに部屋に入るように促した。

 イアが軽くジャンプし、軽やかに部屋への侵入を果たす。それをそばで見ていたニトが、信じられないと目を見開いた。

「な、何してるの!?え…?け、結界は!?」

『ん…、よっこいっしょっ、と!』

 続けてキラが窓枠に手をかけて、じりじりと身体を部屋の中へ入れようとしている姿に、ニトはあり得ないと悲鳴を上げた。

「キラ!?あなた、自分が何してるか分かってるの!?」

『ん、だい、じょうぶ!ほら、アウラもこっちに来て!急いで』

 無事侵入を果たしたキラは、手を伸ばしてアウラの身体を引き上げて部屋に放り込んだ。そして、もう一度結界を張り直すようにアウラに頼めば、すっと小さな手が宙を舞い、先ほどと寸分違わぬ結界が構築されていた。

 実に見事な連携で、あっという間の出来事である。

 念のために窓の鍵をかけ直し、外から見えないようにカーテンも引いてから、キラはようやくほっと息をついた。


『誰にも見られなかったみたい。良かった!』

「キラ!!!」

『あ、ニトちゃん、ごめんね。急に押しかけて』

 と、キラは怒っているニトに構わず、ニコニコと笑顔を向けた。

「もう、何よその顔!可愛いけど、そういうことじゃなくて!自分が今、何してるのかわかってるの!?」

 このことがもし学園に知られたらどうなるか、ニトは途端に怖くなり、軽いパニックに落ちいった。自分が処罰されるのは構わない。だがキラまで咎められることになったら、自分はどうすればいいのか―――

 最悪、ここでの仲間とのわずかな生活すら失ってしまうのではないか―――と、どんどん悪い方向へと想像が膨らみ、ニトはどうしてこんな無謀な真似をしたのかとキラを問い詰めた。


【だって、クラウ君が、応援はまかせて、今日は“女子会”を楽しんでこいって】

「じょし、かい…?何よ、それ!?わけわかんない!」

【女子会っていうのはね、女の子だけで集まって、お茶とお菓子を片手におしゃべりを楽しむんだって!クラウ君の故郷では流行ってたって】

「知らないわよ、そんなこと!大体、アウラ様は男じゃない!?」

【アウラは精霊だし、性別なんてあってないようなもんだってクラウ君が。イアちゃんは聖獣で、性別ははっきりしてるらしいけど。だから、今日は私と一緒に来たんだよ】

 『ねー!』と、キラがニコニコ笑みを浮かべながらイアの顎下を撫でると、イアは気持ちよさそうに目を閉じてされるがままだった。

「だから、そういう問題じゃ…」

『あ、それに見て!これ、食堂のおばさまに頼んで作ってもらったの!』

 そういってキラはいそいそと大事に持ってきた箱を掲げ、ニトの目の前で中身を披露した。

 果物がたっぷりと乗ったパイが、ニトの視界いっぱいに映り込む。

 若干、端っこがいびつに欠けて、大胆な歯形が残っていることを除けば、とても美味しそうなお菓子である。

『あとね、森で見つけた木の実を使ったお菓子も焼いてもらったの!おいしいって評判のお茶も、エドガー君に分けてもらったから、一緒に飲もうね!あとはねぇ…』

 女子会には必需品なのだと、クラウの受け売りを自慢げに口にしながら、キラは楽しそうに次から次へと、荷物の中身を机に並べていった。

 ニトだって女の子だ。

 お菓子だって、果物だって、甘いものだって大好きである。

 色とりどりのデザートを前に嬉しいはずなのに、でも、何をどういえばいいのか分からず戸惑った表情を浮かべた。

 怒りと恐怖と、戸惑いと嬉しさ――――胸の奥からあふれてくる思いに息がつまる。ごちゃ混ぜの感情に堪え切れず、ニトはついに力なくその場に座りこんでしまった。

 そして、次の瞬間、大粒の涙をこぼしながら、しゃくりあげるように泣きだしたのだった。


『ニトちゃん!?どど、どうしたの!?』

 キラがギョッとしたように慌てて駆け寄り、理由を尋ねても、ニトはお菓子を見つめたままボロボロと泣くだけだった。

『え、えっと…あ!もしかしてアウラが先にたべちゃったから…!?ご、ごめんね?ちゃんと後でみんなで分けるって言い聞かせてたんだけど、ちょっと預けたらかじっちゃってたの…!ほら、アウラも謝って!』

『ム?ごめんなさい?』

 訳も分からずきょとんとしたまま、アウラは泣かないでとニトの頭をその小さな手でポンポンと撫でた。その愛らしいしぐさに、ニトはますます歯止めが利かなくなったように声を張り上げて泣いた。


「―――どうしてっ…!」

『に、ニトちゃん…?』


「どうしてよ…!どうして、私なんかのために、そこまでするのよ…!私の事なんて、放っておけばいいじゃないっ」


 “赤髪のために何かをする”

 その意味を何もわかっていないと、ニトは泣き叫んだ。


「馬鹿じゃないの!本当、どうしようもない、ばかよ!揃いもそろって、どうして、そんなにみんな、馬鹿なのよっ…!」

『えっと、ご、ごめ…』

 だが、うろたえたキラが思わず謝ろうとしたとき、ニトはそうじゃないんだと頭を激しく振った。


「でもっ、でも…!本当はわかってるの…。 


 一番の大馬鹿者は、私だって…―――」



 やがて、ニトは涙と一緒に己の気持ちを吐き出した。

 クラウから第四試験に参加しろと言われた時、どうしようもない恐怖を感じたこと。いつもの悪夢が現実になるのでないか。取り返しのつかない悲劇を生むのではないか―――と、また暗い思考に囚われ、怯え、ニトは自分がどうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。

 そこへ、カゲトラから試験参加禁止だと聞かされ、内心すごくほっとしたのだと、ニトは嗚咽混じりの涙声で吐露した。


「ほんと、馬鹿よねっ…。騎士になりたいって、クラウにあんなに大見得切ったのにっ…。それを信じて、クラウもクルックさんも、いっぱい私のために考えてくれてるのに。でも、いざ戦う場に放り出されそうになったら、私、どうしようもなく怖くて、逃げたくなったの…」


 人を信じられないだけじゃない。ユウマが言っていたように、誰よりも一番、ニト自身が自分を信じられないのだ。


「…ごめんねっ、ごめんね、キラっ。このまま一緒にいれば、優しいあなたたちに、私の呪いの後始末を手伝わせることになっちゃうかもしれないのにっ。…でも、私…、わたしっ……やっぱりあなたたちと、一緒に、いたいって……!

 ごめんね、ごめんねっ……――――本当に、ごめんなさい…」


 拒絶するべきだという思いの一方で、知ってしまった仲間との楽しい時間を手放せないでいる自分が一番の大馬鹿者だと、ニトは自分の弱さを蔑んで泣いた。


『ニトちゃん…』

 しんと静まり返った室内で、ニトの嗚咽だけが響いていた。聞いているこっちまで苦しくなるような泣き声に、キラはたまらず紙の束を鷲掴み、自分の想いを書き殴った。


【私、ニトちゃんが好き!とっても大好きだよ!!】

「キラ…」


 だから笑っていて欲しいし、助けになりたい―――

 クラウの言う通り、この世界で自分だけがニトの隣に立つことを許された存在だというなら、キラは絶対にその場所を捨てたりしない。出会ったこと、自分の意志で友達になりたいと願ったこと。この先何があろうと、自分は絶対に後悔などしないとキラはニトに誓った。


【―――それに、きっと大丈夫!絶対、クラウ君がなんとかしてくれるから!】


「…クラウ?」

『うん!』

 根拠もなしに言い切るキラに、ニトは思わず呆れ、小さな笑みを浮かべた。

「…すごいのね。キラは、クラウを信じているのね」

『うん!!』


 力強く頷くキラの顔を見れば、本当にクラウという男を信じているとわかる。

 果たして、二千年以上も続いたこの呪いをたった一人の少年がどうにかできるのか―――

 ニトにはわからなかった。

 クラウならあるいは…と、ニトも一度は思ったりもしたが、やはり一人になると暗い考えが頭を支配して、とてもキラみたいに信じきることはできなかった。

 なぜなら、クラウもキラも知らないのだ。

 世界を恨み、血を求めて叫ぶ魂の叫びを―――

 そして、血に染まった悪夢の中で、ただひたすら同胞の絶滅だけを願う、悪魔の声を―――




「…ダメね。せっかく来てくれたのに、泣いたりなんかして……。ごめんね、キラ」

『ううん!…大丈夫?』

「…フフッ、なんか、泣いたらお腹すいちゃった!ね、これ、食べていい?」

『うん、もちろん!!』


 キラが屈託のないとびっきりの笑顔を浮かべる。その横で、待ってましたと言わんばかりにアウラが顔を輝かせてパイに飛びつく光景は、ニトにとってかけがえのない幸せな時間だった。

 だが、この幸せは学園にいる間だけ―――

 三年後、何があろうと自分は仲間の元を去る。ニトはキラの笑顔を見つめながら、そう固く心に決めた。



 ―――だからせめて、せめてここにいる間だけは、どうか私は私のままで…

    

   “ニト・ガレシア”のままで、いられますように―――




 心の内に小さな願いを仕舞い、笑顔を浮かべるニトを、後ろでイアが優しく見つめていた。









「――――勝者、花組1班、ホートン・ウェルムック!」


 第三会場に割り当てられた審判の高らかな勝利宣言が聞こえ、応援席からわっと歓声が上がった。

 栄えある一勝を挙げたホートンは、戦った相手と握手を交わしたのち、観客席で自分を応援してくれた仲間に向かって笑顔で手を振り返した。

「お嬢!まずは一勝~!」

「当然です」

 歓声に沸く仲間の中で、班長であるエリザベスだけは冷静に試合を見ていた。双子ほどの柔軟性と瞬発力はないものの、ホートンも立派な獣人族。半端に鍛えただけの純人族相手に負けるわけがないとエリザベスが予想した通り、ホートンは余力を残して勝利した。

 会場分けはくじ引きによって決められたが、周りで待機する生徒を見る限り、ホートンが苦戦しそうな相手はいないように思えた。幸いなことに、第三会場には魔人族が一人もいないのだ。加えて、最大の難関とされたリオが第一会場になったのも運がいい。もしホートンがリオとやり合うなら、今日の最終試合以外にないからだ。第三、第四に割り当てられた生徒は皆、一番の脅威を遠ざけられたと安堵していることだろう。

 だが、エリザベスは試合前、油断だけはするなとホートンによくよく注意を促していた。当然、半年前の能力測定時よりもみんな鍛えているはずだし、特に空組一班の獣人族、モラン・デイ・ロッシュメイアが同じ会場に入っている。そしてもう一人、同じ花組五班の代表者―――エドガー・スプリッツェル・フォーグ

 周囲には怪力しか能力がないと思われているが、その唯一の能力こそが厄介だとエリザベスは考えていた。

 体格の良さだけなら一年生随一だろう。そして、今回の試験のルール上、動き方によってはそのガタイの良さがとても有利に働く。

 さらに、エリザベスは五班が班長を中心にまとまり始め、自分たちと引けを取らないほどの鍛錬量をこなしていることをひそかに調べあげていた。誰もが花組五班をライバル視することがない中、この時、エリザベスの観察眼だけが鋭く周りを見据えていた。



 どの会場も大賑わいの中、出番が明日のユウマは、今日一日、仲間のセコンドを務めるべく、控え場所で待機しているエドガーの隣に張り付いていた。

 今、壇上ではちょうど第四試合が終わろうとしている。均衡状態が続きなかなか決着がつかないまま、制限時間の十分の笛が鳴り、最後は三人の審判によって勝者が決定されるところだが、同じ班の生徒たちが固唾をのんで見守っている中、エドガーも顔を引きつらせた状態で判定を待っていたのだった。

「お前…そんなガッチガッチに緊張してて、大丈夫かよ?」

「……」

「おい、エドガー?聞いてるのか?おい!のろま!!!」

「え、あ、はい!何!?」

「はあーーー、ちょっと水でも飲んで落ち着け」

 ユウマは引きつった笑いを浮かべようとするエドガーの肩をたたき、水筒を差し出した。ついでに額の汗もごしごしと乱暴に拭いてあげる。

 今朝、クラウからはエドガーに対してあまり過度に発破をかけるなと言われていたユウマだが、さすがにこの状態はまずいと思うのだった。元々ビビリで気が小さいエドガーだ。あれだけ鍛錬したにもかかわらず、何もできずに逃げて負けたとなれば、自分のように厄介なトラウマを抱えかねない。

 なんとか緊張をほぐそうとエドガーが乗ってきそうな話を持ちかけるのだが、効果はなく、結局他に方法が思いつかなかったユウマは、物理的にエドガーの顔を手で挟んでもみほぐす強硬手段にでた。

「わ!?あにふるの~?」

「いいか、エドガー!お前は自分のこと出来が悪いって思ってるかもしんねぇけどな、俺にいわせりゃお前は良いもんたくさん持って生まれてきたんだぞ」

「…いいもの?」

「ああ、まず第一にその身体だ。俺の貧弱な身体は、これからお前の何倍も鍛えないととても剣指としてはやっていけねぇ。それに比べてお前はなんだ?親から受け継いだ立派な体じゃねぇか」

 比べるのも馬鹿らしいほど、ユウマにしてみれば羨ましいことこの上ない。

「それに、その怪力だってそうだ。クラウのおかげでようやく実用性が見えてきた力だろう?人を傷つけるために使いたくないっていう気持ちはお前らしいけど、力は力だ。今、俺たち花組五班には、お前のその力が必要なんだ。わかるな?」

「う、うん…でも…」

「でも、じゃねぇ!」

「いた、いたたたっ!…何するの、ユウマ君…」

 今度は思いっきり頬を引っ張られ、エドガーは涙目になってユウマに抗議した。

「いいから、これ以上余計なこと考えるな!結果なんて終わってみなきゃわかんねぇんだ。お前はただ、クラウとおっさんに仕込まれた必勝法を信じて戦え!忘れたのか?今朝、お前はあいつになんて言った!?」

 ユウマの言葉に、エドガーはハッとしたようにユウマを見つめた。


「あいつに胸張って報告できるように、頑張るって決めたんだろう!だったらごちゃごちゃ考えてねぇで、やれるだけやってみろ!」

「ユウマ君…」

「まぁ、センリにビビってる俺が言っても説得力ないかもしれないけどな…。でも、配点の低い試験だとしても手を抜くな。相手に失礼だし、何より、お前を信じて鍛練に付き合ってくれたクラウやおっさんの気持ちを踏みにじるな!―――負けたっていい!そん時は、お前がめちゃめちゃ頑張ったって、俺がちゃんとあいつに証言してやるから。だから、がんばってこい!」


「―――うん。ユウマ君、ありがとう」


 エドガーは一度思いっきり自分で自分の頬を叩き、喝を入れた。

 係りの教師から壇上に上がるように言われ、のっしりと巨体を揺らしながらも背筋を伸ばして歩く姿は、出会ったころのエドガーとは見違えるように堂々としていた。

 場内ではすでに対戦相手が待っていた。

 メリック・ベッソン―――見た目は純人族の生徒で、背丈はエドガーの半分ほどだ。体格はなかなか鍛え上げられ、腕力がありそうに見えるが、だいぶ贅肉が絞られたエドガーと比べれば大したことはない。

 壇上に上がる前に、教師から拳ほどの丸い果実がぶら下がったベルトを手渡され、エドガーはしっかりと腰に巻きつけた。この第四試験ではただ武力を競うのではなく、勝つためにはこの実を相手から奪うか、あるいは割らなければならないのだ。

 続いて模造武器か籠手のどちらを選ぶか問われたエドガーは、迷わず籠手を選んだ。メリックも同じようだ。お互い体術勝負―――エドガーにとってはさらに好都合であった。


 準備を終え、場内の中央に並ぶと審判係から説明を聞かされた。

 頭や顔・胸への攻撃はNGで、即失格。場外に出た場合は、その度に一点ずつ減点されていく仕組みだ。そして、制限時間の十分を過ぎても決着がつかない場合は、減点の少ない方が勝利となる。もしそれでも同点の場合は最終的に審判三人による多数決判定に委ねられる――――

 以上がこの第四試験の大まかなルールである。

 簡単な説明が終われば、いよいよ勝負の時。教師が手を振り上げ、開始の合図が宣誓された―――


「第五試合、はじめ!」



「やっちまえ、メリック!相手はただでかいだけだ!」

「奴の怪力だけは気をつけろ!吹っ飛ばされるなよ!」


 と、開幕早々、場外からのあちこちから声援と指示が飛びかい、熱気が立ち込める。メリックも仲間の声援に応えるように、ギリッとエドガーを見据え、動向を探っていた。 

 一方、エドガーは周りの騒ぎに臆することなく、脳内でひたすらクラウの教えを反芻していた。


『いいか、エドガー。もし僕が相手なら、開始早々君の右下に入り込んで、速攻で実を奪いに行く。が、おそらく初戦の相手は様子を見ながら、なるべく正面からの攻撃は避けるはずだ。みんな君の怪力を知っているからな。捕まれば終わりだと警戒し、できれば君の背後から実を狙おうとするはずだ』

 だから、まず試合開始直後は、相手との間合いを測るように見せながら、場内のギリギリまで下がれというのがクラウの第一指示であった。

 言われた通り、メリックが一歩前に出れば、エドガーは一歩二歩と後ろへ下がり、じりじりと線の手前まで後退した。

「おい、逃げるなよ!」

「正々堂々、勝負しろー!」

 逃げ腰のエドガーにヤジが飛ぶ。しかし、エドガーは扇動されることなく、ただクラウの教えを忠実に守ることだけに専念した。実を守るように腕をあげ、視線を自分の足元に下げて立つ。腕だけは絶対に下ろすなというのが、クラウの第二の指示だ。地面と水平に開かれた掌は、己の間合いに獲物が来るのをじっと待っていた。

 エドガーの作戦を知っているユウマでさえも、あまりのじれったい試合運びに、つい怒鳴りそうになるぐらいだ。当然、相手のメリックも、次第にエドガーの態度に腹が立ったのか、

「なんのつもりだ!?戦う気がないなら、さっさと終わらせてやる!」

 と、それまでの慎重さをかなぐり捨てて走り始めた。

 巨体目がけて、メリックの自慢の足蹴りがさく裂する。だが、エドガーは下半身に力を入れ、腕で庇うように衝撃に耐えた。尤も、固い鱗に覆われた身体に大したダメージはなく、エドガーは不動のまま一ミリも動かず、じっと地面を睨みつけながら体勢を保ち続けた。

 ますますじれたメリックが二撃目、三撃目を繰り出すが、エドガーの巨体はビクリともしなかった。

「くそ!なんなんだよ!?」

 

『耐えろ、ひたすら耐えるんだ。背後も取れず、ダメージも通らない。となれば相手がとる方法は一つだ。僕が最初に言ったように、君の斜め下の懐に入って実を奪う――――』

 その時こそが勝機だとクラウは言っていた。だからエドガーは全神経を集中させてその一瞬を待っていた。

 


 ―――僕が、勝つためにやるべきことは、三つ…!

 

 『1、掴かんで・2、崩して・3で刈る!』


 今日までずっと反復してきたクラウの号令が、頭に響く。と同時に、ピクリとも動かずに立ち尽くすエドガーの右下に隙を見たメリックが、即座に動き、狙いを定めてエドガーの懐に飛び込んできた。


 ―――来た!


 エドガーの反応は早かった。この一瞬を勝ち取るためだけに、何百回と仲間相手に鍛錬してきたのだ。時には体の大きなダントリオを相手にし、また時には身体の柔軟性に富んだニト、さらにスピード・反応に秀でたクラウを相手にみっちり練習してきたのだ。身体にしみ込んだ一連の動作は、伸びてきたメリックの腕が己の視界に入った瞬間から、流れるように始まっていた。


『1、掴んで!』

 エドガーは素早く左手でメリックの腕をつかみ、さらに右手で相手の襟元をつかむと、しっかりと握りこんだ。

 同時に、メリックの右足横に、自分の左足をつけるように踏み出す。

『2、崩して!』

 左足に重心を置いたまま、メリックの腕を手前に引き込み、自分の巨体でメリックの身体を後方へ押し出す。とっさにメリックが対抗しようと足を踏ん張るが、所詮、エドガーの怪力にかなうはずもなく、メリックはバランスを崩し、その右足に重心が偏った。

 ―――今だ!

「3で、刈る!!」

 ここが決め時だと確信したエドガーは、右足を大きく振りあげ、エリックの右足を刈りにいった。



 ドシン!と響いた音に唖然とし、驚き固まったのは、床に投げ出されたメリックだけではなかった。周りの観客も何が起こったのかと困惑し、そしてエドガー本人も、自分の技が決まったことに驚き、きょとんと固まってしまった。

 そんな中、いち早く我に返ったのはユウマだった。


「馬鹿!何してんだ!はやく実を奪え!エドガー!」

「あ、そっか…!」


 届いたユウマの怒声にエドガーはようやく倒れ込んだメリックのベルトから実を奪い、審判に見えるように掲げた。



「――――しょ、勝者、花組5班!エドガー・スプリッツェル・フォーグ!」


「うおおおお!」


 勝利宣言に、会場内がどよめきと興奮に湧いた。

 ここが”柔道”の会場であったなら、文句なしの“一本”宣言が上がっていたことだろう。


 クラウ直伝の足技『大外刈』を華麗に決めたエドガーは、大事な初戦で見事、勝利を勝ち取ったのだった。






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