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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第一章  アルフェンの里編
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10 エルフの戦士



 ドルモア・ジージェラは上機嫌だった。

 スースラ街東にある屋敷の自室で、昼間からワインを開け、くつくつと笑いをもらす。ここまで気分がいいのはいつぶりだろうか。

 なにせずっと狙っていた隣のメイルス鉱山の採掘権利の一部を、先日ようやく譲渡してもらう約束にこぎつけたのだ。

 メイルス鉱山の持ち主である貴族は、ドルモアに負けず劣らずのケチで有名な男だ。今までドルモアがいくら目の前に餌をちらつかせても、のらりくらりとかわし、取引に応じることはなかった。

 しかし、今回の餌はここ一番の大物である。

 ドルモアの予想通り、奴はその餌に目の色を変えた。


「くくっ、エルフ族様々だな」


 ニタニタと、頬が緩むのを止められない。

 そう、エルフ。実に運がよかった。街での騒ぎを聞いて、これを逃す手はないと思ったドルモアは早急に腕の立つ傭兵を集め、行方を追わせた。そしてつかまえた男は、噂通りのエルフ族。もう絶滅したと言われた森の民が、生きていたのだ。

 今年120歳を迎えるドルモアは、それこそ「狩り」が行われたころは、まだほんの子供であったが、一度だけエルフ族を目にしたことがあった。何よりも目立つ美しい銀髪、そして整った顔立ち。清く、凛々しいその神秘の姿に、幼いドルモアは一瞬にして目を奪われたものだ。


 「狩り」が行われて以降は、全くその姿を見かけることはなくなってしまった。実に残念なことだと、ドルモアは悲しんだ。もちろん同情からくる感情ではない。この男の頭の中では常に損得の計算しか行われていない。

 古くから長寿の象徴として尊ばれ、一部ではその血に不老不死の益があるとまで噂された一族である。貴族の間ではしばしば高値で取引されることも少なくない。


 ―――「狩り」などばかげたことがなければ、いい商売ができただろうに…。実に惜しいことだ。


「ドルモア様、移動の準備が整いました」

 今後の計画をいろいろと思案していたドルモアのもとに、側近の男がやってきた。

「予定通り今夜出発します」

「ぬかるなよ。決して周囲に悟られないようにと伝えろ。特に騎士どもの連中に見つかれば、すべてが台無しだ」

「はい。護衛は三人、いずれもハンターの経歴を持つ手練れです。心配はないでしょう」

 ドルモアは「うむ」と高揚に頷いた。

「あっちの準備の方も気を抜くなよ。今回の客は大事な公家も多い。最高の状態で「商品」を提供するためにも、例の世話、きちんとやれ」

「はい、心得ております」

「ふん。…もし成功すれば10億メルは下らんはずだ。まさに金のなる木だな」

「そ、そんなにですか…!?」

 あまりの桁の違いに、側近の男も信じられないとばかりに驚きを示す。

「道楽好きの貴族共には格好の嗜好品だ。しかも女。欲望にぎらついた奴らは、金に糸目はつけんはずだ」

「…私なんかには到底想像もつかない世界ですね。ところで、例の男はどうしますか?報酬をきちんと貰うまでは帰らない、と客間で騒いでおりますが…」

 側近の言葉に、ドルモアは急に不機嫌さを露わにして舌打ちした。

「ふん、小物が。…仕方あるまい、今回はあの男の情報がなければガーランドの居場所はわからなかったろうからな。約束通り払ってやれ」

「御意に」

 男が出ていくのを見届けてから、ドルモアは残ったワインを口に流し込んだ。


 「世界は変わった」と誰もが口にする。

 現に最近巷でもよく耳にする言葉で、同業者の商人達もぼやいているが、ドルモア自身はあまりそうは思っていなかった。

 確かに変わった部分はあるだろう。だが、どんなに街を整え、法や教えを説いても、武力をもってしても、人の「本質」は変わらないとドルモアは信じていた。


 ――― 所詮、人は人だ。何も変わりはせん。


 戦争で故郷を亡くした人たちのために支援を申し出る人間もいれば、一方で貧しい民から税金をむしりとり豪遊する領主がいる世界なのだ。

 普段は友人面をしておきながら、目の前に餌をまかれると簡単に飛びつき、裏切る。

 取引先の貴族だって、普段外ではニコニコと愛嬌を振りまき差別撤回や平和への声に賛同の意を示してはいるが、その実、裏では珍しい人間に執着し、自分のものにしようと言うのだから、世界はとことん腐っている。いや、もともと腐っていたのだから、それをもとに戻すことなど到底できないのだ。


 人は人である限り、そのうちに秘める欲望に翻弄され続ける。

 それこそが、人の「本質」。  


 そしてドルモアのような男は、その「本質」を利用し、商売をする。ただそれだけの話だ。

 昔も今も、何一つ変わっていない。むしろ、縛れば縛るほど、人はその欲望を抑えきれなくなるものなのだ。ドルモアは長い商売人生の中で、その「本質」をよく理解していた。


 ――― 人間、自分の心に従って素直に生きるべきなのだ。


 その結果、人に騙されようと利用されようと、少なくとも我慢して耐えて生きるつまらない人生よりかはずっと人間らしい生き方ではないのか。


「せいぜい、わしの欲の糧となってくれ」


 ドルモアは、先に起こるだろう宴の中で勝利の笑みを浮かべる自分を想像しながら、一人陰湿に笑った。







「ん?なんだ…?」

 ちょうどその時、ドルモアの屋敷の見張りを行っていたのはコモルであった。サイルスと交代し、一時間が経とうとしていたころである。

 コモルは屋敷から50メートルほど離れた木の上から、屋敷の様子を覗っていた。もうすぐ日付が変わろうかという真夜中である。その時、屋敷の東側、地図で怪しいと睨んでいた場所のすぐそばの茂みから、何やら人影が動くのが見えたのである。


 思いがけず、雲行きが怪しくなってきた気配に、コモルは一瞬あわてた。しかし、ここで焦りは禁物だと自分を落ち着かせる。ガルフのいうように、下手に動けば里の仲間にまで危険が及ぶかもしれないのだ。


 コモルはもう数メートルだけ近い木へと飛び移り、そっと様子を覗った。

 一人、二人、腰や肩に武器らしきものを携えているところを見ると傭兵のようだ。全部で三人の男が茂みの中から出てくると、屋敷の壁の方へと近寄った。

 さすがに何を話しているかまではわからないが、男の一人が、何の変哲もない壁を二、三度ノックする。

 すると―――


「魔法陣…?結界扉か!?」


 コモルは目を見開いた。暗闇の中、淡く魔法陣が光ると、壁の一部がなくなり、地下へと続く階段がかすかに見えたのだ。睨んだ通り、あの空間は地下への入り口になっていたのだ。

 やがて地下から背の低い使用人のような男が出てくると、そのあとに手を拘束され、目隠しをされた背の高い男が引きずられるようにして出てきた。さらに、その後ろには小さな子供の姿まである。子供の髪は、闇夜でも目立つ、銀髪。


 ――― 間違いない、彼らだ…!


 エルフの仲間が、やはりつかまっていたのだ。顔は見えないが、おそらく背の高い男がガーランドだろうと確信したコモルは、どうするべきか悩んだ。まずはサイルスと、そして近くで待機しているはずのレノに知らせなければならない。

 しかし、屋敷のそばに馬車らしきものが見え、仲間がその荷台へと押し込まれるのを見て、コモルは迷った。


 ――― くそ、今から間に合うか…!?


 移動先がこの領地内ならば問題ないが、馬車の向かう先が鉱山方面のさらに奥、隣の領土への関所だとすれば事態はまずいことになる。何が何でも今ここで彼らを救わなければ、確実に見失ってしまうだろう。

「さすがに3人相手は、俺じゃきつい」

 コモルは魔法専門の戦士である。一応近接武器として短剣を持ってはいるが、腕の方はあまり誇れるものではない。ガーランドが拘束されている以上、戦力は自分の力だけになってしまうことを考えると、とても三人を相手に善戦できるとは思わなかった。この狭いところで魔法を放ってもつかまっているガーランド達も一緒に巻き添えになるだろう。

 もし、ここにいたのが弓使いのサイルスであったならば、あるいは奇襲をかけて救い出すこともできたかもしれない。


 コモルは再び焦り始めた。

 馬車は早くも出発し、コモルのいる木の下を通り過ぎようとしている。

「くそっ」

 とりあえず、コモルは見失う前に自分も魔法陣で聖獣を呼び出した。

「ジュラ、頼むぞ!」

 大きなシカのような聖獣は、「キュウ!」と一鳴きすると、その背にコモルを乗せ馬車の後を追うように走り出した。

 ――― まずは二人に知らせないと!

 それに、もしガーランドが戦士として里で指導を受けていたなら、あるいは…。

 そこまで考えて、コモルは一か八か、賭けに出ることにした。

「お願いだ、気づいてくれ…!」 

 急いで腰のベルトに下げていた皮袋から5センチほどの小さな笛を取り出す。そして夜空に向かって高らかに吹きあげた。



 ピュイッ、ピューヒュロローーー!



 およそ半径1キロの範囲に、鳥の鳴き声のよう笛の音が鳴り響く。その音の意味するものに気づいたのは、三人の男であった。

 一人はサイルスである。遅い夕飯を終え、一休みしようと宿の方へと歩き出していた彼は、聞きなれたその音にいち早く気づき、踵を返した。

 向かう先は、コモルがいるであろう屋敷の方角。人の波をかき分け、サイルスは走り出した。


 二人目は、屋敷から200メートルほど離れた林の中にいた男だった。暇を持て余し大人版の絵札板で時間をつぶしていた男、レノ・ブランドは、突然聞こえたその音にニヤリと不敵な笑みを浮かべ、立ち上がった。

「ようやく出番かよ」

 いつでも出られるよう脇に準備しておいた槍をつかむと、レノはそのまま全速力で走り出した。向かう先は、今聞こえた音の方角。その姿はあっという間に闇の中へと消えた。


 そして三人目は、手を縛られ、目隠しをされ馬車に放り込まれた男、ガーランド・ホラットであった。

 

 ――― まさか、ありえない…!


 ガーランドは、震えた。

 恐怖か、いや、それとも興奮か。心臓が早打ち、ごくりと喉を鳴らす。

 聞こえた音はとても懐かしいものだった。もう何十年も聞いていなかったが、ガーランドは確かにその音を知っていた。

 普通の人間が聞けばバイハルンドという大きな鳥の鳴き声にしか聞こえないだろう。しかし、エルフ族にとっては特別な音なのだ。昔から緊急の連絡用にと作られた戦士専用の笛は、各地にあったどの里でも共通の音色である。間違えるはずがなかった。


 ピ――、ヒョロヒョロ…

 

 再び、確かに聞こえたそれに、身体中の細胞がかっと熱を持つ。


 ――― やはり、仲間がいる…!


 この近くに、自分と子供以外のエルフ族がいるのだ。あきらめかけていたところに、かすかな希望の光を見出し、ガーランドは歓喜した。

 じっと耳を凝らし、馬車が地面をかける音にかき消されそうになるそれを、聞き逃さないよう集中する。

 音は斜め後ろ、割とすぐそばから聞こえてきていた。危険を知らせる最初の警笛から、今は場所を知らせる号令に変わっている。

 やがて別の方角から同じように笛の音が上がった。返答の音である。少なくとも二人はいるらしい。


 ガーランドは、次に車内の気配を覗うように耳を澄ました。先ほどから絶え間なく続いている話し声からして、敵は傭兵三人と馬車を運転している男の計四人のはず。

 外の仲間の腕がどれほどかはわからないが、少なくとも戦士としてそれなりに戦えるはずだろうと期待する。でなければ、こんなふうに仲間を救おうと後を追ってきてくれるわけがない。

 問題は自分の方だとガーランドは焦った。手を縛られている状態では、足手まといになるだけだ。なんとかして拘束を解こうと腕を動かすが、なかなかきつく縛られたそれはほどけそうになかった。


 ――― くそ、どうにかして…。


 ガーランドは、後ろに縛られた手を隣にいるはずの子どもへと伸ばした。びくりと震えたその体をそっと引き寄せ、ささやいた。

「…ククリ、父さんの腕の縄がほどけるか?」

 前で談笑する男たちに気づかれないよう、小さな体を自分の身体で隠すように移動し、腕を息子の方に向ける。おずおずと伸ばされた小さな手を、自分の腕へと導いた。

 ククリと呼ばれた子供は、固く結ばれたそれをなんとかほどこうと手を動かした。



 馬車から付かず離れずの距離を保ちながら、道路わきの木々の間をジュラの背に乗って追っていたコモルは、街の方角から合図の笛の音が上がったのを聞いて安堵した。おそらくサイルスが気づいて戻ってきたのだろうとあたりをつける。音の大きさから言って、だいぶ近いところまで来ているようだ。

 しばらくすると、道の反対側に見慣れた姿が見えた。

 向こうもコモルの姿に気づいたらしく、お互い目が合うと頷いた。やはりサイルスだ。

 コモルはすぐに道を横切り反対側へと渡った。そのまま相棒を後ろに乗せ、再び馬車の後を追った。

「二人、中にいる!一人は子供だ!どうする!?」

「敵は!?」

「武器を持っているのはたぶん後ろの三人だ!運転席の男は、わかんねぇ!」

 コモルの言葉に、サイルスはしばし考えた。

「この先は鉱脈地帯だ!先回りして、高いところから狙うのがいいだろう!」

 サイルスの提案にコモルは頷いた。

「ジュラ、スピードを上げるぞ!向こうの崖の上だ!」

 ジュラは、また「キュウ」と一鳴きしてさらにスピードを上げた。


 あっという間に馬車を追い越し、やがて崖のふもとまで来ると、ジュラは身軽にジャンプしてその斜面を登って行った。

 二人は崖の上に降り立ち、岩陰にその身を隠した。

「ここを抜けたらすぐ関所だ。隣の領に渡られたら厄介だぜ。今ここでどうにかしないと見失う」

「ああ、わかってる。…レノさん、気づいてくれたかな?」

 弓の弦の状態を確かめているサイルスに、コモルは不安げに問いかけた。

「あの人ならきっと来てくれるさ。目立ちたがり屋が、こんなおいしい場面放っておくわけないだろう」

 サイルスはその不安を自ら跳ね飛ばすように、ニカッと笑った。コモルも、その無邪気な顔を見て、「そうだな」と明るい方へ考えることにした。


「コモル、あの崖に一発お見舞いして、道をふさいでやれ。外に出てきたところを俺が狙う」

「了解!」

 馬車は200メートルほど先のカーブを曲がってきたところである。

 コモルは腕を掲げ、魔法発動の詠唱を行った。

「ヒュエルマージン<鋭翔疾風陣>・アストレア<展開>!!」

 瞬間、コモルの手の先に幾重にも重なった魔法陣が輝きだした。風属性魔法の中低位技にあたる攻撃魔法である。

 コモルの手から放たれた魔法は、するどい風の刃となって向かい側の崖へと飛んだ。二発三発と、そのまま続けて叩き込む。やがて崖の一部が崩れ、土砂となって道へと滑り落ちていった。


 あたりに騒音が響き、衝撃が地面を揺らす。

「何だってんだ!?」

 いきなり行く手をふさがれる形となり、馬車を操縦していた男はあわてて手綱を引いた。その急な命令に馬が悲鳴を上げながら急停車した。

「危機一髪だな…」

 間一髪衝突を逃れた男はほっと息をついた。

 やがて、馬車の中にいた他の男たちが何事かとわめく声がきこえはじめた。



「サイルス!」

「よし、先に馬車をつぶす」

 サイルスは矢の切っ先に小さな火薬袋を付け、馬車の前方車輪に向けて撃った。命中率九割を誇る腕前を持つサイルスの矢は、狙い通りに馬車の車輪の主軸に突き刺ささった。続けて火薬袋めがけて、今度は火の矢を撃つ。

 またもや命中し、「ドカン!!」と小さな爆発音とともに車輪が砕け散った。その衝撃に、運転席の男は頭をぶつけたらしく、うなだれ気絶していた。

「ちくしょうっ!どこからうってやがる!?」

 斜めに傾いた馬車から男が一人転がり出てきた。すかさず、サイルスの矢が狙い撃つ。

 しかし、男の動きの方が一歩早かったらしい。それは腕をかすっただけで、そのまま地面に突き刺さった。敵は転がるように地面を這い、馬車の死角へと隠れて見えなくなってしまった。


 馬車の中に残っていた二人は、小窓からそっと外の様子を覗った。

「くそ、どうなってやがる!?追手がかかるなんて聞いてねーぞ!」

 一人がイライラしたように叫ぶのを、もう一人が冷静に絆した。

「まだ仲間がいたのかもしんねぇ。とにかく、この「荷物」をちゃんと届ねーと、俺たちだってどうなるかわかんねぇんだ。…敵の姿は見えるか?」

「…いや、ここからじゃ無理だ。だがたぶん崖の上だろう。弓使いだ」

「遠距離はお前の仕事だ。俺が外にでて囮になるから、探して狙い撃て」

 こんな暗闇で無茶だと思いながらも、「…わかった」と男は頷いた。所詮金で雇われた使い捨ての傭兵ではあるが、ドルモアの陰湿さはわかっているつもりだ。ここで今「荷物」を奪われでもしたら、自分の身が無事では済まない。


 囮役の男が馬車の扉に手をかけ外へと飛び出した。一撃、二撃、と矢が狙い撃ってくるのをなんとか紙一重で避けながら、男は馬車から遠ざかっていく。

 車中に残ったもう一人は、弓が飛んでくる方角を見定め、崖の上を見上げた。そして、はるか上空の岩陰に何かが光るのを見た。


「エルフか…!?くそっ、本当にまだいやがったのか…!」


 月明かりに照らされ光って見えたのは、風になびくコモルの銀髪だった。ローブのフードが脱げたままになっていたのが災いした。

 男は素早く弓矢を取り出して構える。もちろん狙いは崖の上のエルフ族。こちらも腕には自信があるようで、しっかりと矢の先を銀髪に狙い定める。相手は気づいていない。男はニヤリと口元をゆがめてつぶやいた。

「勿体ねえが、俺だって命は惜しいからな…!」

 そして、手から矢が離れようとしたその時―――

「ぐっ」

 いきなり後ろからものすごい力で首を羽交い絞めにされ、男はその苦しさに思わず弓を落としてしまった。

 ガーランドだ。息子に手の拘束を解いてもらうことに成功した彼は、じっと仲間が動き出す機会をうかがっていたのである。そして、敵が一人になったところを見計らい、目隠しを外すと瞬時に敵の背後へと回りこんだのだった。


「ククリ、走れ…!」

 ガーランドは、男の首を締め上げたまま、馬車の後方でうずくまっている子供に向かっていった。すでに拘束は解いてある。

「この暗闇と、お前の足ならきっと敵を巻ける!いけ!行くんだ!走れ!」

「と、父さん…!」

 ククリはいやだと、首を振った。不安と恐怖で涙があふれる。しかし再度父親に怒鳴られ、ぐっと唇をかんで覚悟を決めた。

 馬車の荷台の幕を捲り上げ外へと飛び出す。


 傾いた車体の陰から、父親譲りの俊足で弾丸のように走り出した子供に気づいたのは三人だった。

 コモル、サイルス、そして馬車の死角に隠れていた男だった。

「ちっ、くそガキが!」

 子供が逃げたことに気づき、男がすぐさま後を追う。

「コモル!」

「わかってるっ!」

 そのあとをジュラにまたがったコモルが追った。崖を駆け下り、あっという間に追いつくとコモルは男と子供の間に割って入った。

 いきなりの登場に驚き、敵が腰に刺した剣に手をかける前に、コモルは眼前に腕を伸ばし詠唱した。

「ノエル<爆風>・アストレア<展開>!!」

 手に付けた魔導具から魔法陣が発動し、男の身体にめがけて突風が吹きつける。その強烈な風の壁に弾かれ、男の巨体が吹っ飛んだ。

 数メートル後方に転がった様子を確認して、コモルは前方の子どもへと近づき、そのまま後ろから抱き掬うようにして身柄を確保した。

「おとなしくしてろよ!暴れると落っこちるぞ!」

「…!」

 コモルとククリを背に乗せたまま、ジュラはさらにスピードを上げ闇夜を駆け抜けた。



 馬車の中で、弓矢の男を一人締め上げそのまま気絶させたガーランドは、縄で縛り動けないよう拘束してから、馬車の外をそっと窺った。

 ククリの姿は見えない。ほかの敵の姿も、味方の姿も、確認できない。

 ガーランドはじりじりと音を立てぬように荷台の後ろへと移動し、そっと外に出た。車体の陰に隠れながら、どの方角に逃げるべきかを見定めながら少しずつ移動する。


「ガーランドさん!後ろだ!」


 突然、サイルスの叫びが崖の上から木霊した。

 仲間の言葉にガーランドは後ろを振り返る。

 視界に映ったのは、運転席にいたはずの男。その口元が、ニヤリと笑った。



 ――― しまった…!



 ガーランドの頭めがけて、棍棒が振り下ろされる。

 その刹那。

「がっ…!?な、に…?」

 男の胸を、鋭い槍頭が貫いていた。

 ガーランドの眼前で、男が口から血を垂れ流し、地面へと崩れ落ちる。

 どさりと転がったそれは、完全に事切れピクリとも動かなかった。

 

「おっと、危うく出遅れるところだったな。まぁ、間に合って何よりだ」

「レノさん!!!」

 と、崖の上からサイルスが歓喜の声を上げた。

 ガルフ似の顔立ちに、とがった耳、そして銀の髪。どこからどう見てもエルフ族の男、レノ・ブランドは槍の先についた血を振り払いながら不敵に笑った。


「怪我はねーか?」


 安堵からか、それとも歓喜からか―――

 自分と同じエルフの民の姿に、ガーランドの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。







 

「隊長…、これは…」

 ガルフの隣で、部下の一人が悲痛な声を上げた。

 無理もない。

 確かに人が住んでいたらしい小屋の中に、今は声なき死体が4つ、置き去りにされていたのだ―――


 そこは、グルテン鉱山西側にある森のずっと奥深くに建てられた、小さな小屋だった。

 ガルフは部下たちを連れ、ガーランドの住処を探してこの森へとやってきたのだが、入り口からずいぶん深い、四方を崖に囲まれた場所にひっそりと建てられたその小屋を見つけたのはほとんど偶然だった。

 確かに森の規模は小さいが、人の目を裂け森の景色に溶け込むようにひっそりと建っているそれは、普通に歩いていたら気づかずに通り過ぎていただろう。

 やはりガルフ達の読みはあたったのだ。

 しかし、見つけた喜びもつかの間、近づくにつれ漂ってきた異様な匂いとあちこちに残る襲撃の爪痕に、ガルフ達は皆、自分たちの行動が一歩遅かったことを悟ったのだった。


 死体の二つは入り口付近に転がり、一つは獣人族の男のようだった。ドルモアが雇った傭兵の一人だろうか。すでに腐敗が進み、あたりに強烈な匂いが漂っていた。仰向けのその胸にはナイフのようなものが刺さり、怒りと焦りが混じったような瞳で天を睨む形相が妙に生々しかった。

 そのすぐそばにうつぶせで倒れている死体の髪色は、銀。血らしきものがこびりつき黒ずんではいるが、確かにそれはエルフ族のもの。無残にも背中を斜めに切られた跡があり、どす黒く変色した血だまりの上に横たわっていた。


 そして――――


「こんな、あんまりだ…!」

「惨すぎるっ…」

 あまりにも酷い現実に、皆が言葉を失う。

 小屋の隅の方で蹲るようにして横たわっていたのは、まだ年若い女のエルフと、生まれたばかりの赤ん坊だった。

 いずれも喉を引き裂かれた状態で絶命していた。そして、母親だろうその女の手に握られていたのは、小さな短刀。


「…自害、したのか」


 きっと、夫を失った絶望と先に待ち受ける恐怖に耐えられなかったのだろう。そして自ら命を絶つ道を選んだのだ。幼い赤ん坊と共に―――

「あまり長居はできない。ほかに手掛かりになりそうなものがないか、探せ。供養したら、出発する」

 ガルフは、あえて事務的に指示した。

 部下たちはただ黙ってうなずき、それぞれ作業に取り掛かっていった。


 仲間の遺体は、そのまま連れ帰ることはできないので、三人集めて燃やすことにした。ほかの多くの仲間と同じように、アルフェンの里の墓地に埋めてやらなければならない。それが自分たちにできる精いっぱいの供養だと、ガルフは残った灰を手ですくい、袋へと仕舞った。

「できれば、その眼で、アルフェンの里を見て欲しかったがな…」

 きっと気に入ってくれたに違いない。生まれ故郷と比べることはできないが、それでもアルフェンの里の素晴らしさは彼らもわかってくれただろう。もっとも、里の名前さえ知らずに死んでいった彼らには、意味のないことなのかもしれないが。


 ――― 遅れてすまない…。


 もう少し早く気づいていれば、あるいは救えた命かもしれない。しかし、過ぎたことを悔やんでも、彼らが帰ってくるわけではない。

 ガルフは、まだ見ぬ仲間の為にも、このやりきれない思いと悲しみを背負って進むことを、胸にしまった灰に誓った。


「隊長、サイルスからの連絡です」

 部下の一人が伝令の紙をもってガルフの方へと歩いてきた。その肩には大鷲のような鋭い眼光の鳥、バイハルンドが、羽を休めるようにしてつかまっていた。エルフ族によって特別に訓練された鳥で、普段は連絡手段として活躍している。

 ガルフは紙を開き内容を確かめた。

 暗号化されたそれを素早く読み解き、眉を寄せる。

「隊長?サイルスは、なんて…」

「ローデス、撤収だ。すぐに基地に戻るぞ」

「は、はい!」

 ローデスと呼ばれた部下は、ガルフのただならぬ様子に、急いで撤収の合図をかけた。








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