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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第四章 続・魔導学園デザイア編
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6  おかえり



 その日、クラウはいつも通りの時間に目覚めると、朝の森へと出かけて行った。すでにほとんどの生徒が戻り、日中はずいぶんと賑やかさを取り戻しつつある学園内だが、さすがにこの時間帯はクラウや妖精たちが独占できる静かな一時であった。


 ここ、デザイアが位置するベルト地方では、5月から6月にかけて湿った空気が流れ込む以外は、年末の13月から少しだけ気温が下がるくらいで、そこまで激しい気温の変化は見られない。休暇中も、シャツ一枚でも十分過ごせるほど快適な気候が続いていた。

 基本、この世界の気候は、魔力の変動に起因する。

 というのも、この世界にある太陽は、地球のそれとは似て非なるものであり、ある種の光源としてしか存在していないためだ。東から上り、西に沈む構造は同じだが、世界が自転しているわけではなく、太陽自体が動いているのだ。クラウが良く知る宇宙の摂理にのっとって季節ごとに距離間が変わることもなければ、一年中、ほぼ世界の真ん中の軌道を通って周回しているのがこの世界の太陽なのだ。その点だけ見ても、地球と同じ次元に存在してないことは明白だろう。

 そして、最大の違いは、この世界の太陽は強大な光属性の魔力が集結して構成されているという点である。

 ベルクアが言っていたように、もしこの世界の始まりが“闇”だとするなら、この巨大な魔力の光源は、誰かが作り出したということになるのだろう。

 次元の違う、しかも闇しか存在していなかった世界で、何故“太陽”という発想が出てきたのか――――

 例の饅頭のことだってそうだ。

 字こそ違えど、発音も見た目の形もほとんど一緒だ。米や、お風呂の習慣。それに、魔人族の名前―――

 何故、異次元でありながら地球、それも日本の単語や知識が混じっているのか。ここまで来ると、やはり世界同士が繋がる方法があると考えるべきなのだろう。ならば、次元を渡ってきた自分の魂も、いつか本来のあるべき場所に帰ることができるのだろうか―――


「――――…疑問だらけだな」


 次々とあふれる謎を解明するのに、一体どれだけの時間がかかるのやら…。

 我ながら情けなくなるほどの疑問量だとクラウは自嘲気味につぶやきながら、皆が待つ憩いの場へとのんびり歩いて行った。

 



「おはよう」

 クラウが広場に顔を見せると、わらわらと妖精たちがクラウを取り囲んで、あれこれと話しかけてきた。

 何やら、みんな興奮状態らしい。

 耳を傾けてよくよく聞いてみると、もうすぐキラとアウラが帰ってくるのだと、妖精界隈でも噂になっているというのだ。

 やれ、昨日はどこの森から見えただの、人間がいっぱいいただの、果ては、今日のアウラのお菓子の内容や、アウラが食べ過ぎでキラに怒られていたというマニアックな情報まで掴んでいるらしい。その伝達能力は人間界の比ではない。

 相手が精霊のアウラだからなのか、それともただキラとアウラの愛らしさゆえの盛り上がりなのかは分からないが、二人の情報は、クラウが聞くまでもなく勝手に耳に届いた。

 ひとしきりはしゃぐ仲間に囲まれながら、クラウは笛を取り出し、最初の一音を響かせた。すると、面白いぐらいに周りのおしゃべりがぴたりと止む。皆あわてて自分の定位置に着くと、じっと調べに耳を傾け身体を揺らすその姿は、何とも素直でかわいらしい。

 ようやく普段の光景に戻ったことを目の端で認めながら、クラウは演奏を続けた。


 

 興奮する妖精たちにせがまれ、いつもよりものんびりと過ごした所為か、クラウが朝の個人鍛錬を終え再び寮に戻る頃には、すでに何人かの生徒が起き出していた。

 人目がある中で窓から戻るのも憚られ、きちんと玄関から入って自室へ向かうと、部屋の前でうろうろするエドガーを発見した。

「あ、おはよう!クラウ君!」

「おはよう、エドガー」

「もしかして走ってきたの?」

「ああ。君はどうしたんだ?」

「あ、うん、昨日渡すのを忘れてたから、みんなに配ってたんだ。はい、これクラウ君の分だよ!」

 エドガーは菓子折りのような包みの箱と、何やらスーツケースのような大きな鞄をクラウに差し出した。

「これ、全部僕にか?」

「うん!一つはお土産の丸煎餅だよ」

「まる、せんべい…?」

「あれ?知らない?ローグロゼリアの名物なんだよ」

 黒饅頭とは違い、こちらはどこででも手に入るそうだが、そんなことよりもやはり名前の方に驚かされてしまうクラウだった。まんじゅうといい、せんべいといい、どうしてこうも食べ物に関しては、馴染み深い名前が多いのか―――

 実に不思議だと思いながら、クラウは礼を言って受け取った。

「それからこっちの鞄はねぇ、おじいちゃんから!」

「…まさか、もう作ってくれたのか?」

 渡されたそれはずっしりとした質量を伴うもので、クラウはすぐに中身に見当がついた。しかし、どうして今ここにあるのかと、理解の方が追いつかず困惑気味に鞄を凝視した。

「あれ?クラウ君があの手紙で、おじいちゃんに作ってくれって頼んだんじゃないの?」

 と、エドガーは不思議そうに首を傾げた。

 確かに、別れ際にエドガーに渡した手紙で、クラウはあるものを作ってもらいたいとエドガーの祖父宛にお伺いを立てたのだ。しかし、それはあくまでも依頼を申し出ただけで、制作にかかる費用や時間的な相場がわからなかったクラウは、具体的な見積もりを出してほしいと頼んだだけなのだ。詳しい見積もりが出て、自分が払える範囲だと判断したら正式に制作を依頼しようと思っていたのだが―――

 まさか、すでに作り終えて送ってくれるなど誰が想像しただろうか。


「―――なんてお礼をすればいいのだろうか…」

 戸惑いが大きすぎて、クラウはしばし反応に困った。

「そんなのいらないよ、大丈夫!おじいちゃん、すっごく喜んでたから」

「喜んで…?何故だ?」

「僕、家族みんなにクラウ君のこと話したんだ。すごく親身になって僕のこと考えてくれて、僕が夢をあきらめなくて済むように解決しようと頑張ってくれてるって。そしたらおじいちゃん、すごく感動しちゃって。クラウ君の手紙渡したら、さらに興奮しちゃって大変だったんだよ。最後には張り切り過ぎて鼻血出しちゃうし」

 エドガーはニコニコと、本当にうれしそうに言った。

「それで感激のあまりおじいちゃん、休みの間に仕上げるって言って、この通り!」

「しかし…」

「あ!お金のこと、クラウ君はきっと気にするだろうからって。えっと、何だっけ…?ああ、僕用の手袋代を差し引いて、残りは出世払いでいいってさ!」

「出世払い…」

 つまり、代金はいつでも待っていてくれるということだ―――

 もろもろの道具代などかかる費用をまかなうために、休暇中にできるだけ採取依頼をこなし資金集めをしていたのだが、正直ギリギリだったのは確かだ。そこにこのありがたい申し出―――


「――――ありがとう。僕がとても感謝していたと、おじい様にそう伝えてくれ」

「うん、もちろん!……でも、きっと本当に感謝しなきゃいけないのは、僕たちの方なんだよね?」

 エドガーは、急に笑顔を消してしょんぼりと項垂れた。

「何故だ?」

「……僕、おじいちゃんに言われるまで気づかなかったんだ。クラウ君、僕たちのためにすごく一杯してくれてるけど、でも、そのお金がどこから出てるんだって。そんなの絶対学園からの費用だけじゃ足りないはずだって…」

 そんなこと知らなくて当然だ。クラウはクルックにもあらかじめ口止めし、意図的に黙っていたのだ。だからエドガーが気にする必要はないと言っても、それじゃだめだとエドガーは激しく首を横に振った。


「ちょっと考えればわかることなのに、僕浮かれて、楽しくて、全然考えもしなかった。もし、クラウ君が一人で負担してるなら、お前もちゃんと背負わなきゃダメだっておじいちゃんに叱られて、初めて気づいたんだ」

「エドガー…」

「だからね、僕決めたんだ!来年の長期休暇はここに残って、クラウ君を手伝って、一緒にお金を稼ぐって!子供だからって、何も知らないからって、一人だけに押し付けちゃダメだよね――――だって僕たち、仲間だもん!」

 ニコッと笑ったその笑みに、クラウはどうしようもなく心が温まる気がした。


 クラウ自身、何一つ無理をしているつもりはなかった。この地道な“工程”は、少なからずクラウが目指す未来に必要なものだと信じているからだ。

 だが、それではだめなのだとエドガーは言う。

 助け合ってこそ、本当の仲間なのだから、と――――


「ありがとう、エドガー」


 クラウの口から、素直な感謝の気持ちが自然と声になって出ていた。

 だからなのか、その時のクラウの顔は、とても自然な笑みを形どっていた。


「わぁ、クラウ君笑った!?今、笑ったよね!」

「?そうか?」

「うん、絶対!わぁどうしよう、僕すごくいいもの見た気分!」

 と、一人はしゃぐエドガーに、クラウはそこまで驚くような顔だったのかと自分の頬を撫でた。

 リオの忠告通り、夜な夜な笑顔の練習をしていた成果が、思わぬところで発揮されたらしい。もう一度笑ってみてとエドガーに催促され、クラウはニコッと再び笑みを形作った。

「あれぇ…?なんか、さっきと違う…」

「………」

 二度目のそれは、エドガーにはお気に召さなかったらしい。

 やはりそう簡単に習得できるものではないようで、その奥深さ(?)を実感しながら、クラウは受け取った品を大事に運んだ。



「予定よりも早くそろったな」

 それから自室に戻ったクラウは、机に並べた品々を一つ一つ見渡した。

 あれこれと考え、こつこつ準備してきたものが、ようやく一通りそろい始めたのだ。一部まだ足りないものもあるが、これで心機一転、本格的な鍛錬に移ることができそうだ。

 来週からは授業も再開され、来月頭には第4試験が控えている。

 いろいろ思うところはあるが、なんとか無事に“新生”花組5班のスタートを切ることができそうだと、クラウは満足した。


「――――さて、出かけよう、イア」


 今日はギルドの依頼も受けず、ニト達の鍛錬も休みにし、久しぶりにのんびりとフリーの時間を過ごすと決めていたクラウは、仲間の誰にも行き先を告げず、身一つのまま学園を後にした。







「ねぇ、キラ達今、どの辺かしら?」

「…お前、それ何回目だよ?いい加減にしろ!」

 と、ユウマはうんざりした顔で隣に座るニトを見やった。というのも、つい5分前も全く同じ質問をされたばかりだったからだ。

 今日は鍛錬もなく、しかし他に特別やることもなかったユウマは、いつもの自由鍛錬場でクラウから借りた世界図鑑を読んでいたのだが、そこへ妙にそわそわとした様子のニトが、休暇中の課題を片手にやってきて隣に座ったのだ。と、そこまではよかったものの、ニトは一向に課題を開く様子もなくため息を連発し、先の質問を繰り返したのだった。

 どうやら、キラが無事に学園に到着するか心配らしいのだが、隣でそう何度も同じ質問をされるユウマはたまったものではない。


「そんなに心配なら変態とエドガーと一緒に正門で待ってろよ。そのうち帰ってくるだろ!」

「…でも、やっぱり私みたいなのが出迎えたら、あっちの人たちは嫌な気分になるでしょう…?」

「はあ?誰がどう思うが、どうだっていいだろうが!キラ本人は飛びついて喜ぶだろ」

「そ、そうかな?でも、やっぱり――――」

 と、もじもじと嬉しそうにしながらも、数秒後にはまた悩みはじめるループに、ユウマもこれは重傷だと呆れた。

 そもそもキラが怪我を追うようなことはないのだから、心配するだけ無駄だとユウマが言い聞かせても、でも世界は物騒だし、なにか事故にでも巻き込まれて、学園に戻ってこれなかったらどうしようと、ニトは心配らしい。

 だが、ニトがここまで悶々としている理由がそれだけではないことを、ユウマは薄々察していた。

 きっと、ニトはキラがちゃんと自分の所に帰ってくるか不安なのだろう。

 忌み嫌われる自分との交流を持つことで、キラが聖宮の仲間から注意を受けたり、怒られたりしていないか―――

 また休日前と同じように、キラが変わらず自分と一緒にいてくれる道を選んでくれるのか―――

 キラに限ってはそんなことはないだろうが、ユウマが信じろと言ったところでニトの不安がなくなるわけでもない。

 信じたいのに信じきれない自分に苛立っているのか、時折思いつめたように唇をかみしめる様子が痛々しくて、ユウマはつい視線を図鑑に戻した。


「―――ところであいつは?朝から見てねぇけど」

「あいつって?」

「クラウだよ。あいつがいなかったら、それこそキラの奴がっかりするんじゃねぇの?」

「そうね…そう言えば、私もまだ今日は会ってないわ。エドガーは朝一で会ったって言ってたけど」

「ほんとか?でも、俺が行ったときは部屋にいなかったぞ」

「じゃあ、例の先生の所じゃないの?」

「いや、研究塔はしばらく行かねぇって言ってたぞ?図書館にもいなかったって、クルックが言ってたし」

 現在モーモルンは規制が敷かれ、今朝学園の放送でも街への外出を控えるようにと連絡があったほどだ。目立つのを避けるきらいがあるクラウが、そんなところに出向くとも思えない。

 じゃあ、どこへ―――?

「…まぁ、そのうちひょっこりと出てくるか」

 クラウに限っては本当に心配するだけ無用だ。ユウマもニトも、深く考えることもなくそのまま放っておくことにした。



 しかし、お昼になってもクラウが戻る様子はなく、夕刻に近づくころ、ついに学園の正門前に豪勢な馬車が横付けられた。護衛団に守られながらゆっくりと降り立った人物に、集まった野次馬の歓声が響き渡った。

「レイシス様ーーー!」

「嘘、本物!?」

「だってほら、ライラック様も一緒よ!」

「リオディアス様、おかえりなさーい!」

 と、叫ぶ声の大半が女性の声で、生徒だけでなく職員や研究生まで混じり、正門はあっという間に異様な熱気に包まれた。それは自由鍛錬場にいたニト達の耳へも届くほど、前代未聞の騒ぎであった。


「―――ほら、着いたみてぇだぞ」

「…うん」

「行って来いよ。ライラックの出迎えはいっぱいいるのに、肝心のクラウもお前もいないんじゃ、キラも寂しんじゃね?」

「…うん」

 と、ニトは気になるのか、ちらちらと入り口の方を振り返っては様子をうかがうしぐさを見せるが、結局は腰が上がらず動こうとしなかった。

「あーもう!面倒くさい奴だな。ほら、行くぞ!」

 5分、10分たっても決めかねているニトに、とうとうユウマはブチ切れた。

 有無を言わさず、ニトの手をひいて無理やり引っ張っていく。

「うじうじ、うじうじ、辛気臭ぇな!今にカビ生えるぞ、てめぇ」

「だって…」

「だってじゃねぇ!」

「…ねぇ、待って!や、やっぱりだめ、私行かない!ここで待ってるから…!」

「はあ!?ここまで来て何言ってんだ?」

「だって……あ」

 ぐずぐずしているうちに、だいぶ時間が経ってしまっていたらしい。

 廊下の角から人影が現れたと思えば、満面の笑みを浮かべるエドガーとクルック、そして二人の間に挟まれて、はにかみながら歩いてくるのは、ニトがこの数日心待ちにしていた人物だった。


『あ、ニトちゃん!!!』


 チリチリンッ!


 ニトの姿を認めた瞬間、キラの顔がパッと華やぐ。それはニトの不安など一瞬で吹き飛ばしてしまうほどの威力を持った、まぶしい笑顔だった。

 キラは嬉しさを抑えきれない様子でその場に荷物を放ると、ついでにアウラも放って駆けだし、勢いのままニトに飛びついた。


『ニトちゃん、ただいま!』

「…ぁ、おかえりっ…!お帰り、キラ!」



 ―――やれやれ、世話が焼けるな


 まだ騒ぎの声が遠くで響く中、胸に飛び込んできたキラを大事そうに抱き返すニトの様子を、男三人は穏やかな表情で見守っていた。





 その頃―――

 クラウはといえば、相棒のイアと二人、さびれた石碑の前に立っていた。

 レンゲルの森最北端―――モルツ山脈の崖の一部が森の上空に突き出ていて、広大な森の全体像が眼下に見渡せるようになっていた。

 そして、目の前には小さな石板のような石碑が一つ、グレイスの花に埋もれるように鎮座していた。苔が生えかけ、端の方が小さく欠けてしまっているそれは、はるか昔、冒険家グノエが旅の先々で残したとされる遺物の一つである。


 

【我、此処にその訪れの記録として石碑を残す。

 出会いし友へ感謝と祈りを、この地に住むすべての愛しき存在に、敬愛の意を――― グノエ・スノートマン】


 

 授業でカゲトラが言っていた通り、碑文はクラウが知るこの世界の一般的な文字で書かれていた。

 そして、石碑の後ろに掘られたマークは、どの冒険記にも必ず出てくるもので、グノエ自身が碑文と一緒に残したものだ。彼が生涯を賭けて挑んだ膨大な冒険の証であり、ある種の彼のシンボルとも言われている。

 だが、そのマークが何を意味し、グノエが何故同じものをすべての石碑に残したのかは今日まで謎のままらしい。大陸では一切の記録が見つからないことから、一説には、グノエの故郷に関係しているのではないか、あるいは何か魔法陣の一部ではないかと言われているようだが、結局グノエはそのマークについての説明は最後まで日記に残さなかったらしい。

 円の中に精霊語らしき文字と、三つの輪が折り重なった中央に何かの花をモチーフにしたマークが刻まれている。

 図書館で借りたグノエの日記をすでに読み終えていたクラウは、当然このマークのことは知っていたし、いつか自分の目で実物を確かめてみたいと思っていたのだ。

 そして、今日という一日をどこで過ごそうかと考えた時、ふとそのことを思いだしたクラウは、こうして見に来たというわけだ。


 それに――――


 クラウにはもう一つ、腑に落ちないことがあった。

 つい最近、このマークと同じものを意外なところで目にしたのだ。

 そう、ベルクアの研究所で見かけた、あの古い書物だ。その表紙裏に描かれていたマークは、確かに、今クラウが目にしているものと同じだった。

 この二つの一致が、何を意味するのかは分からない。

 ただ、クラウはあの擦り切れた手書きのマークを見たとき、奇妙な引っ掛かりを覚えたのだった。

 

 

「―――ん?ああ…、終わったのか。知らせてくれてありがとう」


 しばらく、じっと石碑とにらめっこしていると、愛らしい妖精が飛んできて、クラウになにやらこそこそと耳打ちしていった。

 敢えて誰とは言わないが、クラウが接触を避けたがっていることに彼女たちは気づいているらしい。頼んだわけでもないのに、妖精達はこの日、学園の様子を探っては逐一クラウの元へ報告してくれていたのだった。

 すでに一時間ほど経っているだろうか。学園長室に訪れていた従弟殿の用事もようやく終わったらしく、天人族一行はキラとリオを置いてすべて学園から引きあげていったそうだ。

 崖上から南西へと視線を向ければ、確かに、遠目に白い馬車が街道を西に向かって走る姿が見えた。これからモーモルンへと入り、予定通り西地区で宿泊するのだろう。


 日が沈み始め、街の明かりが輝きはじめる中、クラウは崖上で突っ立ったまま、馬車が己の視界から消え去るまでじっと見つめ続けた。





 結局、クラウが寮に戻ったのは門限ギリギリの時間だった。

 食堂からの帰りらしい生徒の集団の後ろを歩いて寮内に入ると、談話室にいたユウマが気づいて手を上げた。

「よう、やっと帰ってきたな。不良生徒が」

「―――どうした?何か用事か?」

 出待ちするぐらい緊急の用事かとクラウが聞き返すと、ユウマは呆れたように肩をすくめて見せた。

「別に、お前のことだから心配なんてしてねぇし、どこ行ってたかなんていちいち問い詰める気はねぇけど、一個だけ。―――キラの奴、お前がいないって聞いて寂しそうだったぞ」

「………」

「そんだけだ。じゃあな」

 明日ちゃんと謝っておけと言って去っていくユウマは、見た目に反してなかなか他人想いなところがあるらしい。まさかユウマにそんなアドバイスを受けるとは思わなかったクラウは、半ばあっけにとられたものの、ふっと短く息をつき、しばしその場で考えた。

 クラウのような男でも、さすがにキラには悪いことをしたと思っているのだ。だが、選ぶべき優先順位はクラウの中で決まっている。


「―――難しいものだな」


 キラが『笑って過ごせる未来』を実現させるのもまた、クラウの目標の一つであることは確かだ。

 何を選ぶかなど、いつだって自分を基準に考えていた誠吾時代は簡単なことだったはずなのに、クラウとしてここに立つ今、人のために動くことの難しさに直面し、どうするべきかと悩む。

 この学園では、門限の六時を過ぎると学園からの外出は一切できなくなる。だが、寮の玄関が閉じられる八時半までならば、学園内に限り行動は自由だ。


 今は六時過ぎ――――


 一瞬迷ったものの、クラウはくるりと方向転換すると、寮を出て行った。



 自室へと帰ろうとする人の波に逆らうように進み、クラウは人気のない森の入り口まで来ると、一応他の目がないか確かめてから中に入っていた。だいぶ薄暗くなりつつある道を、光魔法適当に飛ばしながら進む。すると、気配を察して現れた妖精達が面白がって光魔法と追いかけっこを始めた。その相手をしてやりながら歩く間、クラウは森が奇妙にざわついていることに気付いた。

 何かあったのかと周りに問うと、妖精達はニコニコと笑みを浮かべてクラウの手を引くだけで、教えてくれない。ただ、彼女たちがとても楽しそうにしている様子を見るに、悪いことが起こったわけでもないのだろう。

 隣を歩くイアも、とても落ち着いていた。

 ならば気にする必要もないかと、クラウはそのまま飛びかう妖精たちの合間をのんびりと歩き、いつもの憩いの場を目指した。

 しばらくして、進行方向の先から、か細い歌声らしきものが聞こえ、クラウは足を止めた。


「―――誰だ?」

 

 耳を澄まして聞き入れば、やがてどこかで聞いた歌声だと気づく。

 それに、この強烈な魔力の波動と淡い魔力の影を、クラウが間違えるはずがなかった。




『♪合言葉は愛しい名前 あら、騎士様 お出かけですか?

 私から一つ 幸せの花をおすそわけ

 別れの門出に泣かないように

 離れる距離に 思いを見失わないように

 集めた勇気の欠片 一つ おすそわけ

 合言葉は愛しい名前 もう一度帰る場所で 祝福の鐘が鳴る頃

 あなたも私も 愛の腕の中―――♪』



 歌には独特の節が付いていて、どうやら劇中の一節らしい。

 クラウが憩いの場に到着すると、いつも自分が座っている岩場に華奢な背中が見え、周りには歌声にじっと聞き入る妖精達がいた。

 そして、みんなの視線の先で一際楽しそうに踊りに興じているのは、淡い光を纏った精霊、アウラだった。

 しばらく傍観して様子を見るに、アウラはどうやら歌の登場人物である“騎士様”を演じているつもりらしい。

 木の枝を剣に見立て、恰好をつけて振り回している姿は到底強そうには見えないが、踊り慣れているのかなかなか様になっている。元々の愛嬌も相まって、何とも愛らしい騎士様である。

 やがて歌が終わり、アウラがかしこまってお辞儀をすると、観客の妖精達からあふれんばかりの拍手が湧き起こった。

 クラウも混じって拍手を送り返すと、すでにクラウの気配に気づいていたらしいアウラは、誇らしげに胸を張ってにんまりと笑った。



「――――君の歌を聴くのは、二回目だな」

『!!!?く、クラウ君!?なんで!?』



 歌うことに夢中だったらしいキラは、一人だけ、クラウの存在に気づいていなかったらしい。いつからそこにいたのかとあわててふり返った顔は、薄暗い中でもわかるほど真っ赤に染まっていた。


『も、もしかして、いいいい今の…聴いてた…!?』

「ああ。やはり、良い声だな」

『うぅ…』

 クラウが頷くと、キラは羞恥に堪えられずその場に撃沈した。まさか、クラウが来るとは思っていなかったらしい。だが、それはクラウも同じだった。


「――――今から呼びに行ってもらうつもりだったんだ。君に、先を越されているとは思わなかった」

『え…?』


 さすがにクラウも女子寮には入れないので、またプーラに伝令を頼むつもりだったのだ。


『わ、私を、呼びに行くつもりだったの?』

「ああ」

『ど、どうして…?』



「やはり、今日中に言うべきだと思ってな。


 ――――おかえり、キラ」



 たった四文字の言葉に、キラの顔がくしゃりと歪んだ。



『ぁ…、ただいま……ただいま!』

 


 おかえり―――――


 泣き笑いの顔をさらして答えるキラを前に、クラウはアドバイスをくれたユウマに、そして自室に戻らず引き返した自分に感謝した。


 この気持ちに、名前をつけるなら……?

 人は何と答えるのだろう―――



 その日、己の心のどこかに湧いた小さな感情の芽吹きに、クラウ自身が気づくのはまだもう少し先の話であった。

 





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