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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第四章 続・魔導学園デザイア編
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2  報告と考察



「おはようございます!クラウさん!」


 朝の7時。盛大に寮の扉を叩きながら己の名を呼ぶ声に、自室で黙々と作業していたクラウは顔を上げた。休暇の朝早くから客が来たらしいが、こんな風に大声でクラウの名を呼ぶ人間は一人しかいない。

 クラウは作業の手を止めずに、傍でくつろいでいたイアに代わりに出てくるように頼んだ。

 イアも、相手がだれか分かっているのだろう。けだるそうにのっそりと起き上がると、扉の取っ手に器用に前足を引っ掛けて、客を迎え入れた。


「うほーー!イアさん、おはようございます!いつ見ても美しいですね!最高ですね!こんな美獣な方に四六時中おさわり放題のクラウさんが、羨ましすぎます!」

 と、朝からハイテンションでイアに飛びつこうとしたのは、もちろんクルック―――もとい変態である。入ってくるなり、怪しい手つきとにやけた笑みを浮かべて、クラウが毎日手入れしているその美しい肢体に触れようと飛びかかってきたが、当然、イアがそんな魔の手につかまるはずがない。

 彼女はするりと交わしてクルックを冷たく一瞥すると、クラウの足元へと戻って瞳を閉じてしまった。


「…うお、ご主人と一緒で相変わらず冷めた対応。でも、そういうつれないところもまたたまりません!」

「おはようございます、クルックさん。何か用事でも?」

 クラウは積みあがった本の合間からちらりと顔を覗かせた。

「うへへ、おはようございます!いやぁ、なんていうか、たまにはクラウさんと一緒に朝食でもと思いまして。なんと、今日は例の月一の特別料理の日ですよ!君のことだからあまり興味はないかもしれませんが、ついでに買ってきました!」

 と、クルックが自慢げに掲げて見せるのは、食堂から調達してきた2人分の朝食だった。わざわざお弁当型を注文して、買ってきてくれたらしい。

 クラウは礼を言い、適当に座って先に食べてくれと促した。

「はえ?クラウさんは食べないんですか?すぐに鍛錬の時間ですよ?」

 午前中はずっとニトとユウマを交えて鍛錬に精を出す予定になっているのだ。ちゃんと食べておかないとだめだとクルックが誘うが、クラウはやはり生返事を返すだけで作業の手を止めなかった。

 その熱心な様子に、何をやっているのかと近づいてクラウの手元を覗こんだクルックは、

「うげぇ…、また魔法陣ですか?好きですねぇ」

 と、いささか呆れた顔をした。

 それもそのはず、ベルクアに製作法を学んで以来、一度は収まったかに見えた魔法陣研究への熱が再発し始めたクラウは、時間が空けばこうして机にへばりついて黙々と魔法陣の開発にいそしんでいるのだった。

 周りには分厚い専門書が所狭しに広げられ、クラウが書いたらしいいくつもの魔法陣の下書きが散らばっていた。単純なものから複雑なものまで様々だが、昔から魔法陣があまり得意ではないクルックには、その魅力が理解できないらしい。

 彼は、じっと見ていると頭が痛くなると早々に目をそらし、空いた椅子に腰かけると、一人いそいそとお弁当の包みを広げたのだった。


「よく、魔法陣好きには変人が多いと聞きますが、君はまさに噂を体現したような存在ですね。そんなに熱心に、何を作ろうとしてるんです?」

「―――映像を記録する魔法陣を創れないかと思いまして」

「映像を、記録…???」

 何を言っているのだと聞き返すクルックを無視し、クラウはようやく描き終えた板を見つめた。

 魔力を押し当てて最後の仕上げを行ってから、板の真ん中に光属性の結晶石をはめ込む。

「よし――――クルックさん、ちょっとそこに立ってもらえますか?」

「はえ!?ぼ、僕ですか!?」

 突然呼ばれたクルックは、何が始まるのかと緊張した面持ちで椅子から立ち上がった。


「しばらくじっとしていてください―――テスタ<開始>」

 クラウはクルックの前に跪くと、さっそくできたてほやほやの魔法陣を起動させた。

 瞬間、まばゆい光の波動と共に形成されたのは三メートル四方の結界である。ただ、普通の結界とは違い、上下左右に魔法陣が形成された四重構造で、その中心に立つクルックを四方から取り囲む極めて複雑な作りをしていた。


「こ、これ、結界ですか?」

「ええ。医療用魔法陣の一つ、ゼグライト<投影>を少し改造したものですね」

「ほぇー…。で…?僕はどうすれば?」

「そのまま、3分ほどじっと動かずにいてください」

 フェンブルを片手に、ついでに頬にソースをくっつけたままぼうっと待つこと3分。その間魔法陣を操作しているクラウの視線がじっと張り付いていて、妙な緊張感に駆られたクルックは居心地の悪さを感じながらも大人しくしていた。


「そろそろいい感じでしょうか」

 と、一人頷きながら、クラウはクルックに結界から出るように言った。

 すると――――


「ひょえ!???」


 これはどういう状況なのかと、クルックが驚きに目を見開く。

 結界の外へと出て行ったその跡に、クルックの立ち姿を模した黒い影が残像のように残っていたのだ。


「はわわわわ…!僕の身体、どうなったんですか!?」

「どうもしません。ただの映像で、実体はありませんよ」

「え、映像…?」

 混乱したままのクルックに、クラウはいつものように淡々と説明した。

 そもそも、元となっているゼグライト<投影>の魔法陣は、上下から光を当て、その屈折と反射を利用し、体内の様子を特殊な結界の壁に映し出す機能を持っている。クラウはそこに少しの手を加え、上下左右から光を当てそれぞれの影を映し出すことで、物体の影を立体的に残す魔法陣を編み出したのだ。


「あくまでも影ですから、映像というよりは影絵のようなものですが。今はまだ制止している物体しか残せませんし、さすがに実物をそのまま映像として残すには、別の術式が必要です」

 一見、黒い人影がゆらりと写る様子は不気味で、影魔に見えなくもない。人の形を成してはいるが、誰が映っているのかも判別しにくいし、正直実用性は皆無だ。いずれはデジカメのように動く物体をそのまま記録できる魔法陣を創るつもりだが、最初の一歩としては十分だろう。

 クラウは一人、己の創った魔法陣を見ながら満足したように頷いた。


「はぇー…。クラウさん、本当に魔法陣開発が好きなんですね。将来、ベルクア先生のような陣開発の研究者になるおつもりなんですか?」

 と、クルックが感心したように言った。

「今はまだ、そこまでは考えていません」

「そうなんですか?もったいないですね。才能も人脈もあるんですから、素晴らしい研究者になって名声を得て、いつか英雄杯で優勝!!……なぁんてことにでもなったら、僕もとても鼻が高いのに!」

「やりがいはありそうですが―――いろいろなものを知ったうえで、追々考えますよ」

 と、クラウは適当に返事を返しながら魔法陣を停止した。

 今は目の前のことを一つ一つこなすことで手いっぱいなのだ。自分の将来はこの旅が終わってからでも遅くはない。期待してくれるクルックには悪いが、それがどれだけ先になるかはクラウにもわからなかった。

 下手な期待は持たせるべきではないと、クラウは早々に話を終え、てきぱきと机の上を片づけた。

 先に保存箱から新鮮な実を取り出してきれいに洗い、専用の皿に盛ってイアの前に差し出す。それから二人分のお茶を用意し、食事用のテーブルまで椅子を引っ張って座ったクラウは、改めてクルックを見つめた。


「―――それで?僕に何か話があったのでは?」


 朝食を一緒にどうのとは言っていたが、クルックが何か話したいことがあってここに訪ねてきたことなどクラウにはお見通しだ。朝早くから寮まで来たところを見ると、ニトやユウマにはあまり聞かれたくない話題だろうと見当がつく。

 勿体ぶらずに話したらどうだと、視線の圧力だけで問い詰めると、

「…いやぁ、うへへ。やっぱり、バレバレですかね…」

 と、クルックは気まずそうに笑ったのだった。



「えー、大変残念なことに、本日午後より僕は指導研修会に参加しなければなりません。三日ほど留守にしますので、その前にやはり、いろいろとご報告するべきかと思ったんです」

 毎年行われる指導研修生同士の交流会みたいなもので、いつもなら参加せずに終わっていたクルックも、今年はめでたく指導員になったため、強制参加させられることになったらしい。

「研修会ですか。そういえば、よその学園の指導員も集まるそうですね?」

「はい、全部で5つの地域だったでしょうか。研修会の中では比較的大規模なものらしいですけど、まぁ、僕はほとんど知り合いもいませんし、あまり居心地がよくないというか…。うぅ…ここでクラウさんや皆さんと一緒に過ごす方がどんなに楽しくて、有意義な時間か…!うおーーー!しばらく会えず寂しいですが、どうかお元気でっ…!」

 たかが三日の別れで、この有様。だが、泣きまねしながら別れを惜しむクルックの深い信仰心は、当然、クラウには全く響かなかった…。

「それで、報告したいこととは?」

「……まぁ、わかっていましたけど。そういう人ですよね、クラウさんは…」

 と、いつも通りの冷めた反応にがっかりしながらも、クルックは一つ大きく深呼吸すると、真面目な面持ちで話し始めた。


「とりあえず、第三試験についてですが。学園長を交えた会議の結果、あの一件は学園側の準備における管理不足という結論に終わったそうです」

「管理不足、ですか」

 予想していた展開ではあるが、クラウはいささか気に入らなかった。

「はい。試験関係の係りはすべて教師、指導研修生のみで行うのが通例です。あの時も、コボロムの実を準備・補充する係りに選ばれた人員は、手伝いの研修生3人だけだったそうです。素性もはっきりしています」

「…?待ってください。クルックさんの調べでは、4人だったはずでは?」

「あ…、は、はい。あの、当日も報告しましたが、あの日僕が調べた限りではあの場には係りの人間が4人いたはずなんです…!ほ、本当ですよ!?」

「わかっていますよ」

 クラウがちゃんと頷いて見せると、クルックの顔にほっとしたような安堵の色が浮かんだ。

「…でも、不思議なことに、その”4人目”について言及する人間が僕以外誰もいないのです。ちゃんとカゲトラ先輩にも報告し、先輩も上に調査を依頼してくれたそうなんですが、僕の証言だけでは信じられないそうで。結局、手違いで実が入ったままのものが混じってしまっただけだろうと―――…すみません」

 と、クルックは自分の力不足を恥じるように謝った。だが、彼に何の非もないことは明白だ。

 実際、クルックは良く動いてくれていた。

 あの日、クラウの言いつけ通りに会場内を歩いて回り、人員の配置を調べてくれていなければ、クラウも係員の数まで確認できなかっただろう。学園側には信じてもらえなかったようだが、十分な情報だとクラウは礼を言った。


「魔法陣の件についてはどうですか?」

「あ、はい。そっちの方は明確な答えがなかなか出ず、しかし、怪しい点も見つからず…。結局は魔法陣を酷使しすぎたせいで魔力の循環が不安定になっていたのではないか、と言う意見で落ち着いたそうです」

 生徒が交代するたびに魔法陣を繰り返し起動しなければならないにも関わらず、人手不足を理由に術師一人に任せていたこと、そして魔法陣を何度も酷使したことで、陣自体に負荷がかかり、魔力が均等に循環されなかったのではないか―――というのが学園側の最終的な見解らしい。

 が、当然、これもクラウは気に入らない。

「―――そこまですべて、計算済みというわけですか」

「え?何か言いましたか?」

「…いや。客や、周りの反応はどうですか?」

「あ、はい。まぁ、幸い大事に至らなかったとはいえ、今回のことは学園の管理体制が甘かったのではないかとの指摘は結構あったそうですよ。その意見を真摯に受け止め、今後は交代要員と、代わりの陣符を用意するなど対策を強化する方針だと、すでに報告書も提出し終えているそうですが…」

「―――では、学園側は第三者の関与はなかったとみているのですね?」

「…はい、結局そういうことですね」

 と、自分でもあまり納得できていかないのか、クルックは不満そうな顔をしながら頷いた。

 当然だろう。

 これまでのことを考えれば、ただの偶然で片づけてしまえるほどクラウもクルックもお人よしではない。


「…ある程度わかっていたとはいえ、学園側のこの結論を、僕たちはどう捉えるべきなのでしょうね。クラウさんはどう考えてるんですか?何か気づいたこととか…」

 と、改めて問われても、あいにくクラウもこの件に関しては少々ばつが悪い。

 正直、あの時はノエルの魔力を見た衝撃に気を取られていた所為で、魔法陣に異常があったかどうかの兆しに気付くことはできなかったからだ。それだけ衝撃が大きすぎたわけだが、ただ、あんな風に途中で魔法陣の発動が遮られるというのはどうにも不可解で、クルック同様、納得はできていなかった。

 かと言って、事故でないならどういう方法で妨害を行ったのか―――

 この辺のからくりがいまいちわからないと、クラウは首をひねった。

「そもそも、魔法陣は何度も使用したからと言って、消耗するような代物なのでしょうか?」

「さ、さぁ…?でも確か、古い魔法陣は不安定で、たまに文字が擦り切れたりしているものもあると聞いたことありますが…」

 だとしても、試験用の魔法陣にそんな不安定なものを使うだろうか。

 本来、試験で使用する魔法陣は、正確な時間や威力を発揮できるように、大気中の魔力を使って発動する、ベステ<生成>指定の完全自動変換魔法陣でなればならないはずだ。ドゥマ<自家>やアージュ<拡散>指定では、術者が魔法陣を操作しなければならないので、どうしても公平さに欠けてしまう。

 ベステ<生成>を基盤に作られる魔法陣は、常に魔力伝達・維持が一定であるのが特徴だ。なのに、あの時は、一度起動したにも関わらず、突然何かにさえぎられるように停止してしまった状況を考えると、やはり人為的な妨害があったとみるべきか――――

 クラウは一度その辺の事情に詳しそうなベルクアに聞いてみようと思い立った。




「あ、あの…クラウさん」

「―――はい?」

「もう一つ、ご報告が…。ほら、例の、キラさんの武器申請の件ですが…」

「ああ、何かわかりましたか?」

「それが、その……」

 クルックはしばらく言いにくそうにしていたが、やがて覚悟を決めたのか、緊張した面持ちで言った。


「…本当は休みに入る前に、すでにわかっていたことなのですが、ずっと言い出せなくて……。やはり、申請が通らないのは僕たち花組5班だけだそうです。他の班の指導員に何人かあたってそれとなく聞いてみましたが、どこも何も問題などなかったと…」

「そうですか」

 こちらも予想はついていたことだったので、クラウは大して驚くこともなく頷いた。

「どうして我々の申請だけ通らないのか、カゲトラ先輩に何度か掛け合ってもらったんです。でも、結局受付や経理の返答では埒が明かず、先輩、学年主任のデリック先生の所へ直接申請に行ったそうですが、そこでもはっきりとした理由を聞かせてはもらえなかったそうです。それで先輩、伝手でいろいろ探ってくれたそうなんですけど……」

 と、クルックはまたそこで一度言葉を切ると、辛そうな顔でぎゅっと拳を握った。


「―――どうやら、聖宮側からキラさんが武器を持つことに反対する意見が出ているらしいのです。それで、今回の申請を拒否するように圧力がかかっていると…」


「そうですか」

 そんな報告を聞いても、クラウはやはり驚くでもなく頷くだけだった。

 そのあまりにも平然とした様子に、クルックは、

「ク、クラウさん、もしかしてわかってたんですか?」

 と、怪訝な顔をした。


「いえ。ただ可能性としてはあり得る話だと思っただけです。大方、聖宮側はキラ自身が力をつけることにあまり好意的ではないのでしょう」

「ど、どうしてですか?」

「必要ないからですよ」

「必要、ない…?」

「そうです。どんな人間であれ、アウラの加護がある限りキラを傷つけることはできません。ならば、キラ自身が力を持つことに意味がないと考えてもおかしくはありません」

「そ、それはそうかもしれませんが…、でも、キラさんは自分も仲間の役に立ちたいと、あんなに一生懸命頑張っているのに!」

「キラの意志は関係ありませんよ。彼らにとって重要なのはアウラの加護であって、キラの力ではありません」

「そんなこと…!」


「――――人の世は、決して優しさだけで成り立つものではありません。それはあなたもよく分かっているはずでは?」

「っ……!」


 言葉に詰まり、悲壮な顔をするクルックを、クラウは真正面からじっと見つめた。

「長い間、ゼウラミディア様の帰還を願っていた天人族にとって、アウラの存在はそれに代わる希望として期待されているはず。ならば、その手綱を握るキラを、自分たちの手の中に収めておきたいと思うのは当然のことです」


 きれいごとを並べても、どこか打算的で利己的な欲が付きまとうのが人の世だ。

 以前クラウが言ったように、聖宮がキラを手厚く保護してきたのは、他人の悪意に晒されキラが利用され傷つくのを防ぐためでもあるだろう。だが、同時にそれは、キラに自分たち以外とのつながりを持たれることを避けるためだともいえるのではないか―――


 自分たちの監視のない場所で、自分たちの知らない力やつながりを持つことに対する、『不満』。


 そんな幼稚で嫉妬じみた感情、クラウには到底理解できないものだが、驚きもしない。

 そもそも、指導員に選ばれていたアンソール・ゼモントがルクセイアに引き抜かれた一件も、クラウはずっとおかしいと思っていたのだ。あれはどう考えてもタイミングが良すぎた。


 ――――もし、今回の武器の件と同じ理由で天人族側が謀ったとすれば…?


 クラウとしては偶然で片づけられるよりも、そんな”人間臭い理由”の方が、まだ納得できる気がするのだ。



「…で、では、クラウさんは、これまでの嫌がらせはすべて、聖宮側が望んだ結果だと考えているのですか?」

「―――すべてとは言いません。それに、”聖宮”というよりは”極一部の天人族”と言うべきでしょう。あくまでも可能性の話ですが」

「…でも、でも!仮にそうだとして、天人族の神子が落第なんて、不名誉もいいところです!わざわざ進級の邪魔をして、キラさんの評判を落とすようなことを同胞の天人族が望むでしょうか!?」

 


「―――だからこそ、ガレシアなのですよ」



「え…?」


「将来、このままキラをルクセイアの希望に据え置くつもりなら、天人族側はどんな小さな悪評も排除したいはずです。ならば、世間が納得、あるいは同情する形でキラを聖宮に連れ戻すには、退学の理由を『キラ以外の仲間の責任』にしなければならない―――」


「そ、そんな…!」

 クラウの言いたい意味を理解したのか、クルックは顔を真っ青にして今にも泣きだしそうな顔をした。


「ガレシアがキラと同じ班になったことは、彼らにとっても予想外だったのでしょう。しかし、獣人族側が赤髪の存在を排除したがっていることは、天人族側も知っているはずです。ならば、どうにかキラを連れ戻そうと機会をうかがっていた彼らがそれに加担し、利用しようと考えてもおかしくありません」

 名目上はあくまでもニトを学園から追い出すために嫌がらせし、5班を落第させる。そして、ただ獣人族のいざこざに巻き込まれた可哀そうな被害者として、キラを聖宮に連れ戻す――――


「そ、そんなひどい話…!僕は、絶対に納得できません!それじゃあ、一生懸命頑張っている皆さんが可愛そうで、あんまりですっ…!」


 涙目のまま、怒りに震えて叫ぶクルックに、クラウは今の話はあくまでも自分の想像で、そうと決まったわけではないと再度言い聞かせた。

 実際、証拠は何もないのだ。

 だが、もしこのまま本当に5班が落第ということにでもなれば、当然周りは黙っていないはずだ。獣人族も天人族も、5班が散々嫌がらせされた事実を自ら表ざたにし、ニトの進学を許した学園を非難するだろう。

 重要なのは、『なぜそんな事態になったか』であって、犯人の追及などどうでもいいことなのだ。そして、証拠がない以上、理由の中心にいるニトだけが責められる一方的なシナリオを止める術は、ない。

 また、当初反対の意を示していた貴族側からも、学校の管理体制を問題視する声が上がるかもしれない。そうなれば当然、ニトの進学を後押ししたフェンデルとオリヴィアも非難の対象となり、これまで英雄王として絶対的な地位にいていた二人に、ケチ付ける口実ができる―――と、そこまでの筋書きを相手が期待しているかはわからないが、可能性は否定できない。

 クラウは、未来に不安要素がある以上、“起こり得る最悪の状況”を常に想定して動き、備えるべきだとクルックを諭した。


「ほ、本当に、そこまで疑う必要があるのでしょうか?僕にはわかりません…!」


 眉間にしわを寄せ、信じたくないと首を振るクルックの気持ちを非難も否定もしない。

 だが、相手も同じ感情を持った人間―――

 一つの行為の真意が、善意であれ、悪意であれ、根底にあるのは人が抱える様々な情だ。

 矛盾の世に生きる人間に、『絶対』という言葉は存在しない。

 クラウはただ、可能性の模索の先にある一つの仮定だとクルックに告げた。




「…これから、どうするつもりですか?」

 やがて、クルックがぽつりと言った。

 クラウの考察を聴いてますますどうしていいのかわからなくなったのだろう。その顔は不安に揺れ、途方に暮れていた。

「こんなの、一指導員でしかない僕には荷が重すぎます…。とはいえ、カゲトラ先輩も思うように動けないみたいですし…。いっそのこと学園長様に直訴して、早々に実態を明らかにする、とか…?」

 少なくとも、今起きていることをどうにかしてフェンデルの耳に入れるべきではないのか―――

 そう提案するクルックに、クラウは無駄だと首を横に振った。

「ど、どうしてですか?」

「今訴えたところで証拠は何もありませんし、これまでのことを考えると、学園内部に相当の協力者がいるとみるべきです。となれば、相手は絶対にしっぽを見せないでしょう。フェンデル様がどこまで把握していらっしゃるかはわかりませんが、どうあがいても、結局ガレシアが一方的に非難されるだけです」

「そんな…」


 また、騒ぎを大きくすればそれだけ多くの人が知り、噂も広まる。そして、騒ぎの原因に”仕立て上げられた”ニトは、早々につぶされるだろう―――それこそ、相手の思うつぼだ。

 悪循環しか生まないこの計略に乗らないためには、今は黙って平静を装うしかないのだ。



「―――とはいえ、そう易々と落第する気はありませんが」


「く、クラウさん…?」



 相手の思惑がどうであれ、そんなものは関係ない。

 すべきことは、ただ一つ――――



「―――とりあえず今は、こちらの基盤を整える方が先です」



 クラウは不安そうに見つめるクルックにそう宣言すると、隣で朝食を終えたイアの頭を優しくなで、ようやく自分も朝食に手を伸ばした。








 明らかにテンションが下がり、暗い雰囲気のクルックを励まして送り出してから、クラウは午後からの予定まで空いた時間、さっそくベルクアの元へ行くことにした。

 5階の研究室に足を運ぶのももう何度目か。

 扉をノックをするも返事がなかったので、静かにドアを開け、無人の部屋に向かって一応断りの声をかけてからクラウは中に入った。そのまま借りていた本を元の場所へと戻そうと、ずらりと並んだ本棚に近づく。

 ベルクアと出会ってすでに半年。

 この部屋から借りた書物は、すでに全体の半分近くに及んでいた。主に魔法陣作成や魔法性質に関するものがほとんどだが、中にはベルクア自身が監修した研究本も交じっていてなかなか面白い。それを読む限り、ベルクアは研究者らしくとても論理的思考を持つ人物に思えた。

 クラウはまだ手を付けていない棚を端から順に見ていった。どれも興味深い題名が並んでいる中から、また新たに三冊ほど手に取り、鞄に仕舞うと、早々にすることもなくなってしまった。

 肝心のベルクアが戻ってくる気配はない。

 とりあえず時間いっぱいはここで待ってみようと、クラウはぶらぶらと研究室の中を見て回った。


 とはいえ、ベルクアの研究室は本当に書物しかないので見学もすぐに終わってしまった。唯一の私物と言えば、湯呑と茶葉ぐらいのものか―――

 クラウが出入りするようになって以来、乱雑に積み上げられたままだった書物は、綺麗に棚へと収納され、今は図書館さながらに整頓されているが、その所為もあってか、もともと生活感のない部屋にいっそう寒々とした雰囲気が漂っていた。


「―――不思議なものだな」

 クラウは改めて研究室の中をぐるりと見回した。

 正直、どう見ても研究者の部屋とは思えないのだ。

 メモが散らばっているわけでもなければ、研究資料も見当たらない。何か実験をしている様子もなければ、クラウはベルクアがここで書物を読んでいる以外の行動をしている場面に出くわしたことがない。

 実際の作業場が別にあるとしても、この生活感のなさは、やはりどこか不自然に見えるのだった。


 そんなことを一人考えながら部屋を見て回っていたクラウは、ふと、ベルクアの机の上に、一冊の古びた本が置いてあるのを見つけた。


 いったいいつの時代のものなのか。紙は黄ばみ、背表紙もボロボロだ。

 クラウはそっと手に取ると、ボロボロの表紙をめくってみた。書かれた文字はほとんどが擦り切れ読みづらく、さらに、クラウが全く知らない言語であったため、内容はさっぱりわからなかった。

 ただ、表紙の裏にぽつんと描かれたマークのようなものを、クラウはつい最近どこかで見た気がして、首をかしげた。


 ――――これは、確か……



「――――何か、面白いものでも見つけましたか?」



 突然届いた声に、クラウもイアも驚き、入り口を振りかえった。


 一体、いつからそこにいたのか―――



 奥の部屋へと続く戸口に立っていたのは、良く知ったこの部屋の主で、わずか数メートルの距離にもかかわらず、全く気配を感じ取ることができず不意を突かれたクラウは、自分でも気づかぬままじっとベルクアを凝視していた。








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