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レジェンド オブ 転生  作者: 新名とも
第三章 魔導学園デザイア編
102/140

28 二人



 学園に来てから―――というよりも、クラウと再会して以降、キラの一日はずいぶんと早い時間から動き出すようになっていた。

 朝4時半。まだまだ薄暗い中、女子寮第二寮の41号室の中では、ベッドの上でもぞもぞと動き出す塊があった。

『ぷはっ!』

 布団から顔をだし新鮮な空気を求めて深呼吸をするのは、この部屋の主ではなく、光精霊のアウラ。彼はずりずりと芋虫の様にベッドから這い出ると、ほんのりと光り輝く身体を宙に浮かせてふわりとあくびを漏らした。それからベッドわきの窓から外を覗き、今日の天気を確認する。

 あいにく空模様はいまいちだが、幸いにもまだ雨は降っていないようだ。これなら朝恒例の憩いの場にも行けそうだと、アウラはにんまりと含み笑いし、窓枠の隅に置いてあった愛用のお菓子ビンを抱えて窓を開けた。 

 湿気を含み、少しだけ涼しくなりつつある風にのって、いろいろな声が届けられるのを、アウラは窓枠にちょこんと座って聞いていた。

 妖精や微精霊たち友人は、今日も元気らしい。

 おはようと挨拶してくる声に応えながら、朝一のお菓子をむさぼる。キラがまだ睡眠中の今は、食べ過ぎで怒られることもないのでアウラは上機嫌である。

 静寂にぼりぼりと咀嚼する音が響く中、やがて陽の光が世界を照らし始める。


 世界の目覚めの時間だ―――


『おはよう!!』


 アウラは己の身体に力がみなぎってくるのを感じながら、瞳をキラキラと輝かせて世界に挨拶した。

 それから、飛び跳ねるようにベッドへとダイブし、相棒の腹に乗っかると独特の節をつけて歌い出した。

『キッラちゃん!起、き、てぇ、ください!あっさでっすよーーー!!』

『んぅ………』

『おきて~おきて~、おきましょう!おっはよう、うったおう、あっさですよーーー!』

『………』

 もぞっと、布団の塊が動くが、今一つ覚醒には至らなかったらしい。アウラは徐に布団に顔を突っ込むと、まだすやすやと眠っているキラの脇に手を差し込んで思いっきりくすぐった。

『やだ!アウラっ、やめてっ、ふふっ!』

『キラ、起きて!はやく、早くぅ!』

『わかった!わかったから、ふふ、アウラ、やめてったら!』

 涙を浮かべて体をよじるキラに、アウラは満足そうに頷いて顔を覗きこんだ。

『おはよう!キラ!』

『おはよう、アウラ…もう、もっと普通に起こしてくれればいいのに』

 と、どこか拗ねたような言い方をしながらも、キラは笑顔を浮かべて相棒に挨拶し、布団を押しのけた。

 ついつい出てしまうあくびを噛みしめ、ベッドの上でぐっと伸びをする。

 昨日は少し薬学の勉強で夜更かししてしまったので、眠気も残っているし、どことなく気だるい感じがするが、だからと言って朝の貴重な時間を無駄にはできない。女の子は何かと身支度に時間がかかるものなのだ。

 キラはとにかく急ごうと、ベッドから飛び降りた。

 そこへ―――じっと見守っていたアウラが悲鳴じみた叫び声をあげた。

『きゃあ、キラちゃん、頭が大爆発!!』

『ええ!?うそ、やだっ…!』

 狼狽えながら、キラはあわてて壁にかかった鏡を覗きこんだ。

『やだぁ…!だから雨は嫌いなの!』

 と、絶望的な気分で鏡に映った自分の顔を凝視する。

 まさに、大惨事。

 もともと癖が強く、柔らかい髪質の所為か、湿気が多いこの時期はとにかく髪への影響が半端なく、キラの長い髪はいつも以上にあちこちにはねて、絡まって、まさに爆発にあったかのような有様になっていたのだ。

『キラ~、急いで!』

『わ、わかってるけど…もう!』

 急かされ、キラは涙目になりながらも必死で爆発した髪の毛と戦った。

 とにかく、クラウが森で待っているのだ。

 一秒でも早く会いたいのに、思い通りにいかない現実に焦りながらも、キラはなんとか身支度を整えた。





 齷齪あくせくしながらも、二人がなんとか森へと足を踏み入れる頃には、いつもより10分近くも遅れてしまっていた。

 キラは相変わらず不思議なきらめきを放って迎えてくれる森を必死でかけながら、クラウの待つ場所へと向かった。風になびく髪がまだ少し跳ねているのは、ご愛嬌である。

 ようやく着いた広場の岩上にはすでに多くの仲間がクラウを取り囲み、みんなで何やら相談している様子が見えた。

「――――そうだな、以前約束したし、次の休みにでも会いに行こう」

 クラウが何か言うと、よほどうれしいことだったのか、近くにいた妖精たちがとびっきりの笑顔を浮かべて飛び跳ねた。

 みんないつもよりも興奮しているらしい。キラは森に入った時から感じていたその浮足立った気配に首を傾げながら、見慣れた背中に挨拶した。

『クラウ君、お、おはよう!』

『おはよ!!!』

「―――ああ、おはよう。今日は遅かったんだな、どうした?」

 と、クラウはキラ達を振り返って出迎えながら言った。

『あのね、キラの頭がねぇ、だいばくっ…』

『アウラっ、何言ってるの!?』

 キラは馬鹿正直に報告しようとしたアウラの口を慌てて塞いで、遮った。


「どうした?」

『あ、ううん!あの、な、何でもないの!』

『む?んー!』

「―――相変わらず、仲がいいんだな」

『う、うん!そ、それより今、みんなで何話してたの?』

 と、キラは必死で話題を変えようと話しかけた。


「ああ。ほら、以前、レンゲルの森にいるという彼女たちの友人に、笛を聞かせに行くと約束していただろう?」

『あ、うん』

「一段落したし、次の休みにでも、一度会いに行ってみようかと思っただけだ」

『わぁ、いいな…』

 だからみんなどこか興奮し、浮き足立っていたのかとキラは納得し、同時に羨ましいとつぶやいた。もちろんキラは、休日もクラウと一緒にいられる森の仲間たちの方をうらやましく思っているのだが――――

『で、でも、あの森って勝手に入っていいの?聖獣の縄張りじゃ…?』

「その辺は事前に彼女たちが説明・交渉しておいてくれることになっている」

 もともとそんなに気性の荒い聖獣ではないようで、人道に反する行いを働かなければ自由に行き来できるらしいが、やはり断りは必要だろうとクラウが頼んだのだ。

『そ、そっか。あ、あの…えっと…』

 キラは、どうにか自分も一緒に行きたいと思い言葉にしようとするのだが、でも迷惑かもしれないと怖気づき、もじもじと俯いた。大体にして休日はそれぞれ自分の時間を過ごしているようで、一緒に出掛けることもなければ、約束することもなかったから、ここでついて行きたいと我がままを言っていいのかわからない。

 だが、そんなキラの迷いなどなんのその、アウラはクラウに飛びつき、

『アウラも行く!!!!キラも一緒!』

 と、宣言したのだった。

 実に自由奔放な精霊らしく、彼には人の”複雑な都合”も、断られるかもしれないという危惧も全くないらしい。

『アウラったら、また!ごめんなさい、いきなり…』

「―――別に構わないが。君たちは予定はないのか?」

『え!?あ、う、うん!全然!大丈夫!』

 ぶらぶらと図書館にでも行って、勉強の続きでもしようかと思っていただけなので、予定変更はいくらでも可能だ。

 できれば一緒に行きたいと遠慮がちに言うキラに、クラウは快く頷いた。


「―――ならば、次の休みに一緒に行こうか」

『う、うん!!!』


 思いがけない約束を取り付け、嬉しさに、キラは早くも一人どきどきと胸を高鳴らせた。




 かくして、それからの休日までの数日間、キラは一人浮かれ、そわそわと落ち着かない時間を過ごす羽目になった。なんせ、リオ以外の男の子と出かけるなど生まれて初めての事なのだ。当然アウラもイアもいるし、周りには森の仲間たちもたくさんいるのだから、二人きりというわけではないが、それでも、キラにしてみれば一大イベントに変わりない。

 何を着て行こうかと衣装を漁り、靴はどうしようかとアウラに問いかける。

 何か森の皆に差し入れでも持って行った方がいいのか、最初の挨拶はなんと言おうか―――と、いろいろ考え過ぎて悩む始末。結局、前日は気持ちが高ぶっていたこともあるせいか、なかなか寝付けず、早くからベッドに入ったものの、何時間もゴロゴロと寝返りを打ち唸る羽目になったのだった。



 そして、当日の朝、7時―――


『わぁ、キラちゃん!またまた大爆発!!!』

『!!!!!』


 なんとか時間ぎりぎりに間に合うように起きたものの、開口一番アウラの叫ぶ声にキラはまた顔面蒼白で鏡に向き合った。

 ちゃんと念入りに乾かして、セットして寝たはずなのに、その努力空しくキラの髪は好き勝手に跳ねて、うねって、遊んでいた。

 しかも、爆発具合がいつもよりも派手で、水をつけようと、何をしようと、綺麗に収まってくれなかった。

 よりによってこんな大事な日に限って、トラブルが起きるのか―――

『ど、どうしよう…』

 クラウと約束した時間までもう30分を切っている。なのに何も準備が進まず、軽いパニックに陥ったキラは、突然部屋を飛び出し、そのまま静かな廊下を走ると、三つ隣の部屋の扉を叩いた。


 ドンドンドン!ドンドンドン!


「―――誰?こんな朝早くから…、って、キラ……?」

『ニ、ニトちゃん…』

「どうしたのよ、キラ…、それにその頭!」

『うわぁあああん、助けて、ニトちゃんっ!』

 不審げに扉の向こうから顔を覗かせたニトは、見たこともないぐらいの寝癖のまま泣きついてきたキラを、困惑しながら受け止めたのだった…。




「ほんと、びっくりしたわ。こんな朝早くから、誰が来たのかと思ったじゃない」

『…ご、ごめんね』

 ニトの部屋に入れてもらって、頭の大惨事をニトに直してもらっている間、キラはぐずぐずと泣きながら謝った。

「別にいいけど。ほらもう、泣かないの。目が腫れちゃうわよ」

『ん、はい…』

「それにしても、ふふ、ほんと、すごいのね。私、ここまでひどい寝癖、見たことないわ」

 自分も寝癖は付きやすい方だが、それ以上だと、ニトは感心しながらもつい笑ってしまいそうになるのを必死で我慢していた。

 いつもどこかしら跳ねているような気がしていたが、元々天パでうねっているし、腰元まで伸びた長い髪なので、そこまで悪目立ちはしないのだ。それでもきっと毎朝時間をかけているのだろうと思っていたのだが、想像以上に大変らしいとニトは一人同情した。

『…なおる?』

「まぁ、今から洗い直す時間もないみたいだし、編み込んでわからないようにしてあげる」

『ありがと!』

 手先が器用らしいニトは、慣れているのか、キラの髪をてっぺんから左右に編み込んで、あっという間におさげに結ってくれたのだった。

「はい、できたわよ」

『―――わぁ!すごい、すごい、ありがとう、ニトちゃん!』

「別にいいわよ、これぐらい。それより時間ないんじゃないの?クラウと出かけるんでしょ?」

『な、なんで!?』

 誰にも話してないのに何で知っているのかと、キラは途端に真っ赤になって挙動不審にニトを振り返った。

「……見ればわかるわよ」

 そんなにめかしこんでいて、相手が男じゃなかったらびっくりだとニトは苦笑いを浮かべた。

 キラらしい、淡い黄色の布地に白い花の模様が入ったワンピースに、おしゃれなブーツ。ニトなど被ったことなどないこれまたおしゃれな帽子は、服や小物同様黄色のレースとリボンが付いたかわいらしいもので、キラにとてもよく似合っていた。

「うーん。でも少し寒いんじゃない?大丈夫?」

 と、ニトは準備が整ったキラを頭からつま先まで眺めながら心配そうに言った。

『そうかな…?』

「私のでよかったら、上に羽織るもの貸してあげる」

 そういって、ニトはクローゼットからベージュの薄手のカーディガンらしきものを引っ張り出してくると、キラに着せてやった。


「―――うん、これで完璧!すごく可愛いわよ、キラ」

『ほ、ほんと?ニトちゃん、ありがと!』

「いい?どこ行くのか知らないけど、気を付けてね。世の中、いろんな人がいるんだから」

 それでなくても目立つのだ。こんなにかわいいのだから、誘拐されてもおかしくないと、ニトは保護者のようなセリフを吐いてキラに注意した。とはいえ、クラウとアウラが一緒ならば、早々危険なこともないだろうと思い直す。


「あと、アウラ様はあんまり二人の邪魔しないであげてくださいね」

『ム?』

 ニトにお邪魔虫になるなと言われて、アウラは一人不思議そうに首を傾げた。


「さぁ、遅れるわよ、行った行った!―――あとで話聞かせてね」

『ニトちゃん、本当にありがとう!』

「―――やれやれ、朝っぱらから大仕事ね」

 どたばたと駆けて行く友人を見送り、ニトは呆れながらも笑みを浮かべ、もう一眠りしようとベッドへ戻っていった。






 

 ここ二日ほど続いていた雨は嘘のように姿をけし、その日は、晴天が広がっていた。まだ休日の朝ということもあり、人気もほとんどない学園の正門前。一足早く待ち合わせの噴水脇に到着していたクラウは、キラが来るまでの間、近くの木に寄りかかり、昨日図書館で借りてきた本に目を通していた。

 表題は、例の『グノエの日記』だ。読もうと思っていて、ずいぶんと先送りになってしまっていたが、ようやく目を通す機会にありつけたのだ。

 ここデザイアにも、それはいろいろな種類と分野にわたって出版されており、初心者のクラウは何から読めばいいのかわからなかったが、馴染みの司書さんの勧めもあって借りてきた一冊である。

 皮つくりのずいぶんと年季の入った代物で、変に物語調に編集されたものではなく、グノエが書いた日記の文章をそのまま書き写したものらしい。クラウもできれば原文に近いものを読みたかったので、ならばとこれを選んだのだ。

 グノエ・スノートマン―――

 生まれは西の果てのどこか、詳しいことは記されていないが、日記は彼が故郷を出る前日の『旅立ち』から始まっていた。授業内でカゲトラが言っていたように、最初にミネアヴァローナを目指そうとして、砂漠で迷い、途中である男と出会うところまで読んでいると、寮の入り口からキラとアウラが出てくるのが見えので、クラウは本をしまった。


『お、遅くなってごめんね!』

「いや、時間通りだ」


 クラウは挨拶を返しながら、どこかいつもと違う雰囲気を感じて、じっとキラを見つめた。

 違って見えるのは、見慣れた制服ではないからか、それともその髪型の所為だろうか。

『あ、あの、これ、ニトちゃんにしてもらったの…!』

「ほう、器用なのだな」

 と、感心するように頷いても、この男が気の利いた言葉を口にするはずがなく、クラウはごくごくいつも通りであった。


「では、行こうか。ディレイスと外出届は持っているな?」

『あ…、はい!』

 カゲトラにはすでに提出済みのそれを、二人で門の守衛に提示して、いざレンゲルの森へと歩き出した。



 しばらく歩いて、門からだいぶ離れたところに来てから、クラウは突然足を止めた。

『クラウ君…?』

「―――よし、この辺なら目立たないだろう。イア、頼んだぞ。三人用だ」

 と、クラウが振り返って相棒に声を掛けると、イアはさっと体を大きくしてその場に身をかがめた。

 いつもよりもずいぶんと素直なのは、乗せる相手がキラだからだろうか。狂は特別イアの機嫌もいいらしい。

 クラウがひらりと飛び乗る。それから一人戸惑った様子のキラに向かって手を差し伸べた。

「さあ、乗れ」

『え、…わ、私も、いいの!?』

「一人だけ歩いていくつもりか?」

 それは嫌だとキラはぶんぶんと首を横に振って、それから急いでイアの前に回ると、

『よ、よろしくお願いします!』

 と、律儀に頭を下げてからまた元の場所へと戻ってクラウの手を握った。

 軽く引き上げられ、クラウの後ろに座らされる。すでにアウラはちゃっかりと一番前を陣取って、出発を今かと心待ちにしていた。

「揺れは少ないと思うが、念のためしっかりつかまっていろ」

『は、はい!』

「では出発だ」

『わっ!』

 クラウの掛け声と同時にイアが軽やかに走り出す。一瞬の浮遊感にも似た感覚に、キラはあわててクラウの背中しがみついた。

『きゃー!いけいけ!』

 アウラのはしゃぐ声に応えるように、イアはぐんぐんとスピードを上げて、人気のない学園の外周を駆けて行く。

 その光景を何と言葉にしていいのか―――

 朝日が降り注ぐ中、どんどん流れていく景色に心を奪われ、キラは驚くばかりで何も言葉にできなかった。

 まさか、自分が聖獣の背に乗ってこんな風に世界を走るなど、想像もしたこともなかったのだ。

 夢心地のままクラウの背にしがみつき、ただ感動の中で息を飲むキラの視界に、やがて、いつもとは違う森のきらめきが映る。

 レンゲルの森だ―――

 イアは、そのまま少しの迷いもなく背中の三人を乗せたまま森へと踏み入った。



 ―――『汝、そのすべてにおいて、公正であれ』




『あ、今の…!』

 頭に直接響いてきた声に、キラが驚きの声を上げた。

「縄張りの警告だ。やはり試験のときは、故意に消していたようだな」

 掟の内容も、おおかたクラウの予想通りだったらしい。

 以前会った聖獣リクシミリオンの様に人と距離を取り、試す聖獣もいれば、ここの主の様に人に協力的な聖獣もいるらしい。人と領域を分かつ彼らはただ、縄張りという掟を守りながらも、己の意志のままに生きているのだろう。

 今日はその主に挨拶できるかはわからないが、試験のときに回った西側からさらに東へと進み、事前に妖精たちから聞いていた小高い丘を目指す。

 進むごとにうっそうとした植物がわさわさと生え、クラウもいささか興味をそそられた。きょろきょろと視線を動かし、物珍しさについぶつぶつつぶやく。そんな主の興奮具合を敏感に察してか、イアは一転してスピードを落とし、ゆっくりと歩き始めたのだった。


「おお、あれはまさか、チムゴールの実か?珍しいな」

『わぁ、ねぇねぇ食べていい!?』

「やめておけ。固いし、苦いはずだ」

『ム…。じゃあ、あっち!』

「クーボンの実か。味は知らないが、あの茎の汁が皮膚につくとかぶれて、ただれるぞ」

『ムム…』

 精霊に耐性があるかはわからないが、口にするにはいささか勇気と覚悟が必要だと言われ、アウラは無念と口を尖らせた。

『あ、クラウ君!ほら、あそこ!すごくかわいい子がいる!』

「―――ああ、あれはモームーシューだな」

 キラが指差す方向には、猿のような動物が木の枝にぶら下がってこちらの様子を覗っているのが見えた。自分たちの森にやってきた見慣れぬ一行を怪しみ、敵かどうか品定めしているらしい。

「朝早くからすまない。少し、君たちの住処を通らせてくれ」

 クラウが声をかけると、どこからともなく次々とモームーシュ―が顔をだし、キャッキャと声を上げた。森中に反響するその声に、違う方向から別の声が答え、歌い始める。

 まるで合唱でも披露しているかのようなその音の重なり合いに、次第に森が活気付き、色めいていく様子がクラウにもはっきりと感じられた。どうやら、敵ではないと認識し、歓迎してくれているらしい。



「―――さあ、着いたみたいだぞ」


 学園を出て早30分ほど。森の中央で少しだけ盛り上がった丘のような場所は、芽吹く白いグレイスの花が咲き乱れ、先にクラウの訪れを知っていたらしい妖精たちがまだかとそわそわと待ち焦がれていた。

 クラウがイアの背から降りると、早く早くとその手をとって笛を聞かせてくれとせがむ。

「そうたいしたものではないのだがな…」

 さすがにここまで歓迎されると、クラウのような図太い男でもいささか気が引けるらしい。本当に、たかが笛を一曲、披露するだけなのだ。

 だが、その一曲が彼らにとっては、思い入れのある、かけがえのないものなのだろう。

 クラウは手をひかれるまま花畑の中心に腰を据えると、期待に満ちた視線に囲まれながら静かに笛を吹き始めた。アウラは早々に他の仲間を指し置いて、クラウの膝に落ち着く。キラもその隣に寄り添い、しばしその音色に耳を傾けた。


 やがて一曲を吹き終えるころ、どこからもなく穏やかな風が吹き付けた。グレイスの甘い香りと白い小さな花弁が空へと舞い散る中、あらゆるものを労わるように、愛でるように駆けていくその風に、キラはハッと気づき、目を見開いた。

『これって…』

 どこかで感じた風だ――――

 そう思った瞬間、風の塊は緩やかに姿を変え、人の姿を成し、一行から少し離れた丘の上へとふわりと舞い降りた。

『く、クラウ君、あそこ…!』

 演奏を止めずに、視線だけを動かし確認したクラウは小さく頷いた。


 風の精霊神、アイゼリウス―――


 以前見た時とは違い、魔力の波動を意図的に抑えているようで、彼が纏う空気は終始穏やかに流れ、凪いだ風がその身を包んでいた。

 ただ何をするわけでもなく、瞳を閉じて、聴こえる音色に耳を傾け懐かしむように聞き入る。

 精霊が総じてこの笛の音を気に入っているという話は、どうやら本当らしい。

 アルフェンの里で同じように聞き入っていたミネルディアの姿を思い出しながら、クラウは無言のリクエストに応えるべく、繰り返し笛を吹き続けた。




 やがて終演の時が来る。

 クラウが笛をおろし、ほっと息をつくと、まわりの空気も一気に緩み、現実へと戻っていった。妖精たちがお礼を言いながら、素敵な時間をくれてありがとうとクラウに拍手を送る。そん中、早々にアウラがもぞもぞとクラウの膝から抜け出した。

『あ、アウラっ、どこ行くの!?』

 キラが呼び止めるのも聞かずに、アウラはまっすぐアイゼリウス目がけて飛んで行ってしまった。


 彼らにとっては、久しぶりに同胞と触れ合う機会である。嬉しさを隠しきれず、アウラは穏やかに腕を広げて待ってくれているアイゼリウスの懐へと、突撃する勢いで飛び込んだ。そのままゴロゴロと喉を鳴らすように懐いて、しがみつく。

 その幼いしぐさに、アイゼリウスは仕方ないというように表情を崩した。


『―――相変わらずのようだな。顔つきは、あまり似てはおらぬが…、警戒心が薄いところは一緒か』

 二頭身の丸いフォルムに、丸いくりくりの瞳。

 すべてが愛らしく、まぶしく光り輝くその姿に、アイゼリウスは過去を思い、懐かしんだ。

『やはり魂は同じか。よもや、そなたまで加護付になっているとはな…』

『うん!キラっていうの!』

 アウラはニコニコと、自分が選んだ相棒なのだと自慢げにキラのことを話して聞かせた。アイゼリウスにとってのフェンデルがそうであるように、アウラにとってのキラもかけがえのない存在なのだろう。

 腕の中からじっとアイゼリウスを見つめるその瞳は、ただとても幸せなのだ語っていた。


『……生まれ変わって尚、人に尽くすことを選ぶか。お前はいつだって、人と共に生きる道を選ぶのだな』

 

 だが、人に寄り添い生きるということがどういうことなのか、わかっているのかいないのか―――

 この幼い同胞が何をもって一人の少女を選んだのかは知らないが、アイゼリウスはこの先待ち受けるだろう二人の未来を憂い、その小さな体を優しく抱きしめた。


『それでそなたが幸せというのなら、我らは何も言わぬ。望むままに、愛し、生きよ。あの子もきっとそれを願っている』

『うん!!』


 暖かな腕に包まれ、アウラは己の中にしみわたる愛を確かに感じながら、幸せそうに返事をした。



 それからアイゼリウスはアウラを抱えたまま移動すると、心配げにこちらを見つめる少女の元へふわりと降り立った。

『キラ!』

『アウラ…!もう、勝手に行って、ご迷惑でしょう!?』

『構わぬ。我も話したいと思っていたからな』

『あ、えっと…!』

 精霊の神に穏やかに話しかけられ、キラは途端に緊張に身を固くした。

 いつもならアウラ以外の言葉は何となくでしかわからないはずなのに、さすがに最高位につく精霊だけあってか、その言葉は明確にキラの元へと届いていた。人の声とも違う、低く響く、神秘の声に緊張しないわけがない。


『あ、あの、私、キラっていいます。キラ・ウェイクストンです!』

『知っている』

『あの、この間…、入学式の時、助けていただいて、ありがとうございました!』


 キラはとにかく挨拶し、会う機会があったらずっと言おうと思っていたお礼の言葉を述べて、ガバッと頭を下げた。あの時、アイゼリウスが気を効かせて姿を見せてくれなかったら、きっと式の間中キラは好奇の目にさらされ、居心地の悪い思いをしていただろう。キラにだって、彼があんなに多くの人間の前にわざわざ姿をみせたのは、他でもない自分とアウラの為だと気づいていたし、とても感謝していたのだ。だからどうしてもお礼を言いたかったのだと緊張につっかえながらも、キラは何度も頭を下げた。

『それこそ、いらぬ礼だ』

『で、でも…』

『お主にはこの子が世話になっている。その礼も込めての、挨拶代わりだ―――愛し、大事にしてやってくれ』

『は、はい!』

 しっかりと頷くその瞳に、フェンデルと同じ慈愛の色があることを確かに認め、アイゼリウスはアウラを託した。

 それから、今度はゆっくりとクラウへ視線を向ける。


 ただ静かにたたずむ少年―――

 ありふれた白髪に碧眼。だが、意志の強さがにじみ出るそのまっすぐな瞳。

 やはり、似ているなと思う。

 誰にとは言わない。いや、言う必要もないのだ。

 目の前の少年は、紛れもなく世界の子なのだと、そのすべてが物語っていた。

 

「いずれ会いたいと思っていましたが、挨拶が遅れてすみません。クラウ・オーウェンです」


 耳に届いたその“名”の響きに、アイゼリウスは静かに天を仰ぎ、瞳を閉じた。

『―――まこと、懐かしい音だ。ほんのひと時ながら、ずいぶんと長い間、この時を待っていたように思う』

 語るには多く、浸るにはあまりにも残酷な世で、託され、生まれた魂は、何を思い、何を望むのか。

 定めか、あるいは意志か。

 今は不明瞭なれど、いずれその答えは出るだろうと、アイゼリウスは一人頷いた。



『一つだけ聞かせてくれ、世界の子よ。

 

 ――――我らの愛し子は、元気だろうか?』




「はい。多くの仲間と共に、同じこの空の下で、元気に生きていますよ」

 アイゼリウスが誰のことを指して言っているのか、クラウはすぐに察して頷いた。


『さようか。ならば、これ以上を我らは望まぬ。

 見定めよ。

 そなたが創る世界を見守ること、それすなわち、我らの総意なり――――



 精霊の神は穏やかに微笑むと、そのまま音もなく去って行ってしまった。


 一瞬の静寂の後に、やがて歌声が響き渡る。



 ――― 『歌おう、紡ごう、世界の目覚めの瞬き

     すべてに連なる原点に咲く 大輪の花

     崇高なる御霊に頭を垂れ 

     変わらぬ光の現身に 我ら親愛の意を乗せて

     流れ行く時に身をゆだね 今日も愛の夢を見る』




『…クラウ君、すごく素敵な声が聞こえる』

「ああ、精霊の歌声だ」

『精霊…?』

 意味までは分からないが、初めて聞く神秘の旋律に、キラはうっとりと聞き入った。


『きれいだね、とっても…』

「ああ、そうだな――――」




 幻想と現実のはざまに揺られ、クラウ達はしばし時間を忘れてその歌声に聴き入った。






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