終端抵抗/未来モンスター・カリュド 03: 地下室 悪い冗談
03: 地下室 悪い冗談
廊下の漆喰が湿っている。
外は雨なのだろう。冬の雨は、少し空気が暖かい。
響児のお気に入りの腕時計のアナログ針は、午前七時を少し回った頃だ。
響児が古城で過ごし初めてから、今日で2カ月程が経とうとしている。
その生活の中で一番苦痛なのが、この朝食の時間だった。
響児の寝室から食堂まで4分かかる。
眠い目をこすりながら、たった一枚のトーストとコーヒーにありつくために、必要な4分はきびしい。
だが今朝は、若干、状況が違っていた。
響児には、新しい同居人がいたのだ。
「お早う御座います。」
響児の登場を計算したかのように、サブリナがサーバーから香り高いコーヒーをカップに注いでいた。
「あ?ああ。お早う。サブリナさん。仕事の方は、いいんですか?コクーンシティに行くなら、間に合いませんよ。」
サブリナが用意したスクランブルエッグをかき込みながら響児が訊ねた。
彼の普段の仕事ぶりの影響だった。
食事は速く、食事と共に些末な用件を済ます。
「今日は日曜日ですわ。」
たしかサブリナは、コクーン公営図書館の司書をやっていた筈だ。
民間人が休みの時に休業してる公営図書館に何の意味があると、獅子吼は思っていたが、コクーンで司書になれるのは高学歴・高階級の人間ばかりだったから、その意味で、日曜の図書館開館がないのは当たり前だった。
世間では、今日が休日だと、いかにも令嬢風に微笑みながら答えたサブリナは、コーヒーを飲む響児の顔を暫くじっと眺めていた。
「俺の顔に何かついてますか?」
「お爺様が選んだ人の顔の表情。お爺様の秘密の部屋は、もうご覧になりまして?」
「直接、ティム・ハリーハウゼンが俺を選んだわけじゃない。でも、地下室なら一日一度は見てますよ。帝王のSFXの秘密は、まだ判らないが。」
「私が言ってる秘密の部屋は、地下室にある隠し部屋の事ですわ。私も一度しか見た事がないのですが。でも、遺言で地下室全部を貴方に送ったのだから、隠し部屋も当然、貴方のものでしょうね。」
響児の鼓動が早くなった。
隠し部屋!!
サブリナの話が本当なら、帝王が「メイクアップ」した俳優は一日で身長が変わるとか、生命のあるクリーチャー創造とかの、伝説の技術がそこで判るかも知れない。
「案内してくれますか?その秘密の部屋とやらに。」
「元から、そのつもりですわ。今考えると、お爺様が、私にあの部屋を見せたのは、隠し部屋を貴男に案内させる為だったと思いますの、、。ここの後片付けをしてからでも、いいですか?」
よほど、獅子吼の顔は、がっつていたに違いない。
地下室に下っていく階段の壁には、ガス灯がしつらえてある。
勿論、コクーン住居指定地区でないこの古城に、ガスなどが送られている訳がない。
照明の中身は、自家発電の電力だ。
全ては帝王の趣味なのだ。
この城にしても帝王が、吸血鬼映画に登場するトランベスバニアの古城をイメージして作らせたものだ。
サブリナと響児の影が石畳の階段に長く揺らめいている。
地下室の統合SFXの機材は、フランケンシュタイン博士の研究室のイメージを模して作ってあった。
時代の差による科学技術の落差を楽しむ帝王の洒落っけだ。
だが、今見れば、それらの機材の性能は、その古ぼけた偽装通りの能力しかなく、響児が売り払ってしまった機材とは、比べものにならない程旧式なものだった。
この程度の機材では、帝王の残した数々のSFX上の伝説を作り上げるのは不可能な筈だった。
伝説は、あくまで伝説であり、そこには誇張と過大評価しかないのだろうか?
しかし響児は未だに、帝王の作りだしたクリーチャー達の生々しさを強烈に覚えている。
スクリーン映画が再び復興したのは、高解像仮想空間映像を支えるチップの供給が途絶えたからだと言われているが、ただそれだけだけでは極限まで自在に変化する映像に慣れ親しんだ人々が、二次元のスクリーンに帰っては来ない。
帝王の卓越した技術によって、映画は仮想空間映像に取って変わられた娯楽の王座の位置を、再び取り戻したのだ。
『帝王は本物のクリーチャーを使っている。』という都市伝説じみた噂話さえあった程だった。
「これが入り口のスィッチ。」
サブリナが、二十世紀の偉大なホラー作家のクライブ・キングの胸像の頭部の眼球を押し込むと、目の前の煉瓦作りの壁が二つに割れゴロゴロと動いた。
帝王ハリーハウゼンのいたずら笑いが聞こえそうだった。
隠し部屋の奥から硫黄のような臭いが吹き上がってくる。
「この臭い、奴らの体臭だと、お爺様は仰ってましたわ。」
隠し部屋の左右の壁には、巨大な円筒の水槽が設置してあり、中には青い水が入っていた。
「帝王が死んでから10年たつ。君の家族が此処を管理していたのかい?汚れがまったくない。」
「いいえ。お爺様は、私だけを初めて此処に入れたと仰ってました。、、でも私がこの部屋に入った時は、水槽にクリーチャーがいたのに。」
獅子吼は、その言葉を無視した。
付き合って二日とたっていないが、この女性のエキセントリックさを十分に理解していたからだ。
人によれば、それを「どこか調子の狂った」と表すだろう。
獅子吼に言わせれば、それは「魅惑」だった。
「見ろよ。コンピュータだ。型は古いが、かなりの演算能力が有りそうだ。音声対応型だと助かるんだが。」
部屋の片隅にあったコンピュータに取り付いて響児は電源を投入した。
ディスプレイにリクエストが現れる。
自動対応型のモードにポインタをあわせてリターンキィを押す。
ディスプレイの側に設置してあった出入力用マイクのアクセスランプが赤く点った。
「俺は獅子吼響児。ティム・ハリーハウゼン氏の遺言に依って、此処の設備を譲り受けた。帝王の秘密を知りたい。」
『検索単語に、帝王、及び秘密は有りません。しかし遺言に関するデータは大量に保存してあります。開示しますか?』
コンピュータの合成音が響いた。
セキュリティはザルだな、と思ったが、この秘密の地下室とサブリナ自体がセキュリティなのだと響児は気付いた。
響児はサブリナに振り向きながらウィンクして見せる。
「これで、君のお爺さんが、どういうつもりで、あんな遺言状を書いたのかわかる。それに帝王のテクニックも判るだろう。」
側にあったもう一つのスチール椅子を、サブリナの為に用意しながら、響児はリターンキィを押した。
『私の後継者よ。私の真の遺産を受け取って欲しい。私の声を君が聞く頃、私は既にこの世になく、君が私の遺産と、やり残した仕事を引き継いでくれるかどうか確認する事も出来ない。しかし、君が創造力に富み、更に夢を愛する人物である事を信じている。』
「お爺様の声だわ。」と言うサブリナの声は既に鼻声だ。
『君は、私のSFXの技術の秘密を知りたいはずだ。しかし私のSFXは「技術」ではない。総て「本物」だ。私はSFXでクリーチャーや異常現象を作り上げて来たのではない。あれらは、総て本当に生き起こったことなのだ。あれらは我々の世界とは違う可能性の上の時空に進化した未来の生物だ。彼らは我々の世界にやって来て、しばらくの間、自分の姿形を変えられずにいた。したがってその身を隠す為に、私の元にやって来たのだ。我々の世界を、自由に誰にも怪しまれる事なく、歩き回るために、私のクリーチャーを装ったと言うわけだ。』
「君のお爺さんは、冗談の塊だな。俺は、君のお爺さんの冗談に付き合うために、全財産を失ったというわけだ。」
「シッ。黙って聞いていて。」
『一番目に、私の元に現れた者は、映画(魔首都ポロドキア)に出演した。後継者よ、君なら覚えているだろう。あの手足のひょろ長い半魚人型の悪魔だよ。奴は、自らをボヌアーヌと名乗った。ボヌアーヌは、私にSFXの技術者としての名誉と富をもたらして、奴らの世界に帰っていった。それからだ。私と奴らの世界との付き合いが始まったのは。次に遣ってきたのは、頭のやけに大きい青白いチビスケだった。奴は、名前を名乗らなかったので、私は東洋の妖精の名を取ってFUKUSUKEと名付けた。FUKUSUKEは、私に簡単なものながら人体改造の技術を授けてくれた。シモーヌ・バルボンが、(エースのカード)に出演した時、身長が七センチ伸びたのは、FUKUSUKEの技術を使ったのだ。勿論、撮影が終わったあと、彼女の身長はこっそり元に戻しておいたがね。しかし、彼らは私に見返りを要求しなかった。彼らは、彼らで、我々の世界に滞在する間に、自力で人間界のあらゆる事を吸収していたのだ。何の為か?我々の世界を侵略する為だ。既に、我々の世界には、奴らの先兵が姿を変えて侵入している。私が、その事実に気付いたのは、もう少し後のことだ。』
響児は怒りに震える指で、コンピュータの終了ボタンを押した。
「何を、なさるの!」
「俺は、つくづく間抜けだ。こんな使い古されたシナリオは、今日日、誰も書かない。帝王は晩年、色々な奇行があったそうだが、ここまでボケていたとはな。」
「お願い、最後まで聞いて頂戴。私は、物心付いた時から、お爺様の身の回りで起こった不思議な出来事を何度も体験しているわ。私の家族が、貴方にこの城を売ったのは、単にコクーンシティに行きたかったからだけじゃないのよ。、、ここから、その恐怖から逃げたかったのよ。」
サブリナが、立ち上がりかけた響児の手を持って哀願した。
男は美女の哀願に弱い。
それが惚れかけの女性なら尚更だ。
響児は肩をすくめながら、コンピュータの操作を、もう一度始めた。
『私とて、指をくわえて、奴らの行為を眺めていたのではない。奴らの侵略を止める方法を探していた。奴らは人間と融合して、この世界に紛れ込んでいる。そして奴らは、この世界を破壊しつくすための、強力な力を備え始めている。だから、私はその逆をやる方法を考えていたのだ。我々の方が、奴らに融合するのだ。奴らの中には、変わり者もいてな、そいつは、ゴッドなどとふざけて名乗りおったが、、、ゴッドが、そのヒントを私に与えて呉れた。その仕掛を、この部屋に整えて置く。2201年11月14日の午後3時に、奴らの世界でも最強の戦士が、全面戦争の宣戦布告の役目をおってやって来る。そいつに融合するのだ。奴らは馬鹿ではない。これがやれるのは、一度きりだ。後継者よ。無理にとは言わぬが、その気になったら、その日の10分前、コンピュータのリセットボタンを5回続けて押し、この部屋で待機してくれたまえ。』
「やはり俺は、失礼するよ。これ以上、帝王の悪い冗談に付き合っているつもりはない。この城を売り払う段取りでも考えるよ。君は最後まで、爺さんの声を聞いていればいい。」
サブリナが、何か叫んだ様だったが、響児は構わずに隠し部屋から出て行った。
『11月14日、明日だ。』
頭をふりながら、響児は地下室のドアを閉めた。