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電車の通るその上で

作者: 正義の味方

  高校3年の春、ぼくは幸か不幸か、教壇の目の前にすわることになった。

「ついてない」その一言で気分がすっきりするなら日本から『うつ病』という病はなくなるだろう。

 さらについてないのは担任の教師がインケンな野郎だってことだ。そして新学期早々の命令はクラスの様々な係を決めろ――と言うことだった。

「不運だ」とぼくに共感してくれるクラスメイトが何人いるだろうか。

「ゼロ」だ。ただの一人もいない。

 それがどういうことか?

 もし何も決まっていなければ、(おこ)られるのは、ぼくなのだ。

 地獄だ。

 まさしく地獄だ。


 10分くらいだろうか、教室中の誰もが沈黙をよそおった。

 ぼくは一人覚悟を決め、立ち上がった。そしてクラスメイト全員をにらむように見回した。

 これが戦隊ヒーロードラマならぼくは勇敢な戦士だ。

「えぇと、それじゃあぼくが委員長やろうと思うんですけど『ダメ』って人誰かいますか?」

 またしても「ゼロ」だ。みんな自分が少しでも偏差値の高い大学に合格することしか考えていないのだ。

ぼくは黒板の方へふり返り「副委員長」「黒板掃除係」と黒板に適当なスペースをあけて係分の直線を縦に数本引いた。

「それではみなさん」やりたい係のところに名前を書いてください」

 一瞬にして、みんな立ち上がり、我先にとできるだけ楽な係につこうと躍起(やっき)になった。ぼくはそんなヤツらに腹を立てていた。

 もう1度言う、みんな自分さえよければいいのだ。

 でもぼくは、ほっとしていた。

 これであのインケンなセンコーに怒られずに済む。


 それから1ヶ月ほど経ったゴールデンウイーク開けのことだ。教師を志す大学生がやってきた。

 ぼくは、そんなことがあるとはまったく知らなかったが、ぼくのクラスに女優になってもおかしくないようなきれいな女子大生が来た。

 担当は「理科」

 理科――ぼくはこの言葉に今だ払拭(ふっしょく)できない苦い思い出がある。

 まずその話をしよう。


 中学3年の3月、日本全国の中学3年生は高校を受験する。もちろん就職する生徒もいるだろうが。

 そして高校受験当日、やはり大バカ野郎のぼくは、やらかしてしまった。

 各教科の解答用紙の右下に名前を書く(らん)があったのだが、なぜか、ふたつにわかれていて上の欄の下に「科」と印字されている。

 ぼくは1時間目の国語の試験の時「国語科」と書いた。そして次の英語の試験の時「英語科」と書いた。

 しかし人生には優しい神様がいるのと同じように意地の悪い悪魔も存在する。

 3時間目の理科のテストの時、ぼくは悪魔に襲われた。

 ぼくは、1時間目の国語の時、そして2時間目の英語の時と同じように「理科科」と書いた。しかし「理科科」というのはどう考えても不自然だ。ぼくはさんざん迷った揚げ句「理 科」と書いた。

 そして入学試験がすべて終わり、帰ろうとした時、試験の解答用紙を集めた一番後ろの席にすわっていた、のちに「ナベ」と呼ばれることになるヤツに、

「理 科」「リ カ」「り か」と言われながら、本当は「普通科」と書かなければならなかったことを指摘され、バカにされ、笑われた。

 自分でも思うのだが、そんなヤツが試験に合格したのだから、人生って何があるかわからない。

 まさに「奇跡」だ。


 教育実習の話に戻そう。

 ある日、クラスに一人不登校の男子生徒がいるということを知り、ぼくは何とかその男子生徒を学校に登校させようとそのクラスメイトの自宅に電話をかけた。

 ぼくは「教育実習にすごい美人の大学生がきてるんだ。一目でいいから見に来ないか」と彼を()こうとした。何回も彼の自宅に電話したが、結局彼は教育実習の間、学校には来てくれなかった。残念だった。もしかしたら、ぼくの電話は彼にとっておせっかいだったのだろうか。

 そして教育実習が終わりに差し迫るころになったころ、ぼくは教育実習の先生に何か記念になるものをプレゼントしようと、無い頭を振りしぼって考え、「寄せ書き」を送ることにした。

 しかしぼくはバカだからクラスメイトに、どう伝えればいいのかわからなかった。だが、

「天使は舞い降りた」

 ぼくのななめ前の席の女子が、積極的にぼくに協力してくれた。

 ぼくはその子があまりにも一生懸命だったので「この子おれのこと好きなんじゃねえぇの?」と思い、告白したんだけど、「わたしあなたのこと男として見たことがない」と言われて、あっさりフラレてしまった。

 けれど教育実習最終日、女子大生の瞳から涙をあふれさせることに成功したのだから、失恋の痛みはすぐに消えた。


 そしてあっという間に時は過ぎ、ぼくは高校を卒業し、大学生ではなく浪人生になった。

 しかしすべての時間を自由に使えるようになったぼくは、何をしてすごせばいいのかわからず、中学時代の親友に電話をして、彼も浪人することになったことを知ると、近所のカラオケボックスにばかり行くようになった。

 だいたい2時間のワンドリンク制で、1時間延長するのがお決まりのパターンだった。それからカラオケの帰りにファミリーレストランでベルギーワッフルを食べながら、離れていた高校時代のこと、中学から一緒にはじめたサッカー部のこと、そして話題は一気に飛んで「人生」のことについて語り合った。でもそのころはやっぱり大学よりも人生よりも、どうしたら女の子にモテるかについて話してばかりいた。そしてぼくは、1年前に仲良くなった、あの教育実習生の女子大生(おそらく大学を卒業して社会人になっていただろうから女子大生ではなかったかもしれないけど)に電話して、映画に誘った。

 返事は「OK」だった。


小田急線の海老名駅で待ち合わせてぼく達は映画館に行った。

 しかしぼくは緊張して、映画を見るどころではなかった。体中がゾクゾクして、それをどうすればいいのかわからず、ふわふわした感情のまま映画はエンディングをむかえた。

 そして夕食をごちそうになって、帰りの電車の中、ぼくの心臓の鼓動は激しかった。その理由もぼく自身完璧に理解していた。

 それが、ぼくの生まれて初めてのデートだった。


 ぼくの家の最寄(もよ)り駅は小田急線の伊勢原駅で、彼女の家は伊勢原の一個下りの鶴巻温泉駅だったのでぼくはある理由を持って、

「鶴巻まで送るよ」

 と言って、ぼくは伊勢原を通り越して鶴巻温泉駅まで行き彼女と一緒に電車を降りた。

 今はもう改築されて「上り駅」と「下り駅」の改札口は一つになったがその当時は別々になっていて、反対側の電車に乗る時は陸橋をわたらなければならなかった。

 そしてぼくは陸橋の上で彼女の両肩をつかんで彼女の体を自分の方に向け、くちびるを奪った。そしてかき抱いた。

 おいしかった。

 例えるなら、缶詰のみかんを食べる時に感じるようなやわらかい感触がした。

 しかし、その時のぼくの感情は「恋」でもなく「愛」でもなかったと、今は思う。


 ぼくは彼女を送ってからすぐタカに携帯電話をつないだ。「タカ」と言うのはぼくの親友のあだ名だ。

「おめでとう」

 とタカはぼくを祝ってくれた。

 そんな浪人時代を1年すごして、ぼくは北海道の大学に合格し、タカは二浪生になった。


 ぼくとタカはまた遠く離れた場所で暮らすことになったが、それでも頻繁(ひんぱん)に連絡を取り合っている。それがぼくとタカの「友情」だ。


 それにしても、キスっておいしいんだね。



    「この話で完結します」





 


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