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この世界、温泉ですら、非常識

 思ってたのと何か違う。

 ようやく到着した温泉を目の当たりにし、私はそんな事を思っていた。

 

 広場がそうであったように、泉がそうであったように、大空洞がそうであったように、今回の目的地である温泉も、何の前触れもなく唐突に私の前に姿を現した。

 曲がり角を曲がる前まではごくごく普通の石畳の迷宮だったのだ。それなのに一本角を曲がった途端、地面からもくもくと湯けむりが立ち上っていたのである。流石に4回目ともなると多少は慣れたものの、それでもビックリするものはビックリする。


 尚、私を驚嘆させたのは、その突然過ぎる出会いばかりが原因ではない。

 繰り返しになってしまうが、ここは今一度主張しておきたいと思う。


 思ってたのと違う。


 そう。私が想像していた温泉と、目の前で湯気を立ち上らせている温泉との間に、若干どころではない差異が存在しているのである。私は、その想像もしていなかった『差異』について呆けたように考え込んでいた。

 

 まずお湯の色に元気がない。

 透明なのに輝度が無いというか、見るからにゲンナリする空気を醸し出しているというか。うまく言葉で説明出来ないのだが、目の前の温泉はどこか禍々しい感じを漂わせていた。間違いなく「やったー!早速入っちゃおう!」と乗り気になれるような雰囲気ではない。

 

 しかしながら私は、この件については特に問題視する気はなかった。何故なら先日立ち寄った泉も最初はこんな感じだったからである。もちろんこのまま元気がないままという事にでもなれば具合が悪いのだが、幸いな事に我が家は、高性能トラ型浄水器を完備しているのだ。どんな禍々しい温泉でもトラのしっぽをポチャリと浸せばアラ不思議、みるみる間に浄化されてしまうのである。

  

 そうこう考えてる間にも、くだんのダダ漏れ系男子はのっしのっしと温泉の淵まで歩み寄り、温泉に向かって尻を突き出した姿勢で『お座り』した。そして得意気にしっぽ一回転させると、ゆっくりと湯の中に沈めた。その途端。それまで元気がなかった温泉が、みるみる間に元気を取り戻していく。相変わらず見事な浄化性能だった。流石は聖獣様である。

 

 と、いう訳で一つ目の問題は無事に解決した訳なのだが……。

 私は、改めて眼前に広がる温泉を見つめた。

 

 相当に大きな温泉である。優に20人は手足を伸ばして浸かれるに違いない。そんな立派な温泉を貸切にしちゃっうなんて此花ファミリーってば、何てセレブなのかしら。ウフフ、ハイソサエティでごめんなさいね。ウフフ。さて、現実逃避はこの辺りにしておこうと思う。

 

 私は目を凝らし、『パチパチと軽妙な音を響かせる』温泉を、更に検分した。

 

 何度見ても、そしてどれだけ凝視してみても、二度見しても三度見しても、やはりパチパチしているものはパチパチしている。まるで炭酸飲料のような細かな気泡が、温泉中から無数に湧き出て来ているのだ。

 

 そう。私を呆然とさせた主原因――それは、現在もパチパチと消泡音を響かせている、無数に湧き出る謎の気泡の存在だった。

 

 聞くところによると世の中には、浸かるだけで身体中に気泡がまとわりついてくる「炭酸泉」なる泉質があるらしい。しかしいくら「炭酸」という名を冠しているとは言え、所詮は温泉のお湯である。それがよもや炭酸飲料と見まごうばかりのパチパチ具合であろうとは、夢にも思っていなかった。ってそんな馬鹿な。夢に思うも何も、流石にここまでファンキーな湯が湧き出る温泉があってたまるものか。そう。いうなれば、目の前のコレは「超炭酸泉」とでも名付けるべき、超常的な温泉なのである。どう贔屓目に見たとしても、普通の泉質で無いことは火を見るよりよりも明らかだった。となると、ある一つの疑惑が頭をもたげてくるのである。つまり

 

 果たしてこの温泉……入っても大丈夫なのかしら?

 

 ティガは平気な顔してしっぽを浸しているが、だからといって私も大丈夫だと考えるのは早計であろう。ここは決して楽観視はせず、まずは事情聴取から始めるべき場面なのである。

 

 「ますたー、風呂、入ラヌノカ?」

 

 と、ちょうどいいところに犬型のカモが迷い込んできた。

 私はちょこんと『お座り』して、首を傾げるウォルフに向かって、眉根を寄せた表情で尋ねた。

 

 「何か、パチパチ泡立ってるみたいなんですけど、身体に害はないんですか?」

 「ますたー、コレハ温泉ダゾ。パチパチスルニ、決マッテイルデアロウ?」

 

 どうしよう。土台からして認識が異なっているようなのだが。

 

 どうやら私が「パチパチする温泉とかありえない!」と思うのと同じように、彼らは「温泉なんだからパチパチするに決まってるじゃん!」と思っているようだ。もしこれがコー○やファン○等の炭酸飲料の話であれば、確かに彼らの主張が正しかろう。しかしながら今話題にしているのは温泉の話なのである。決してのどごしの良し悪しを語っているのではないのだ。

 

 ケモノさん相手の情報収集なので、多少は手間取るだろうなと覚悟はしていたのだが、まさかのっけからつまずく事になろうとは思ってもいなかった。

 

 「えっと……。ものスゴく初歩的な質問かもしれませんけど、温泉ってパチパチしてるもんなんですか?」

 「当然ダ。パチパチシテイナクテハ、温泉ノ意味ガ無カロウ?」

 

 聞けば聞く程、炭酸飲料の話をしている気分がしてならない。

 私は根気強く質問を続けた。

 

 「えーっとーー……。ということはパチパチしてない温泉っていうのは無いんですかね?」

 「パチパチシナイ湯ガ、湧キ出テイル、場所ハアルゾ。シカシ、温泉デハナイゾ、ますたー」

 

 「そっちの方の湯は、どうして温泉じゃないんですか?」

 「パチパチシテ、イナイカラダゾ」

 

 あ、これはあれですわ。無限ループに入る流れですわ。私は即座に話題をすり替えた。

 

 「なるほど。じゃあ温泉に浸かると、私はどうなりますかね?」

 「キレイニナルゾ、ますたー」

 

 アラ素敵。口説かれてるのかしら?

 咄嗟にそんな考えが浮かんだが、当然そんな訳ないのである。私は即座にウォルフの意図を察して、首を傾げた。

 

 「ということは、パチパチしないお湯に浸かっても、キレイにならないって事ですか?」

 「モチロンダ、ますたー。パチパチシテナイカラ、キレイニナル訳ガ、アルマイ?」

 

 ようやく話の全貌が見えてきた気がする。要するに、この湯の中から無数に湧き出てくる気泡は、消毒液のような働きをするのではあるまいか。それならこの異様な見た目も頷ける。過酸化水素を利用したタイプの消毒液は、あわあわになって傷口を除菌するもんね。まさに全身除菌。臭い女の私にお似合いの洗浄力である。

 

 そんな事を考えて地味に凹んでいると

 「モシヤ、風呂ニ入ッタ事ガ無イノカ?ますたー」

 と、目を見開いたウォルフから、そんなツッコミを受けてしまった。

 

 どうやら私が、余りにも当たり前過ぎる事を聞きまくった為、そんな結論に思い至ったようだ。だって仕方がなかったのである。私が知っている温泉と、目の前で湯けむりを立てている温泉とでは、まるで別物なのだから。

 

 しかしこうも真正面から驚かれてしまうと、流石に少々バツが悪い。私はポリポリと頬を掻きながら、弁明する為に口を開いた――のだが

 

 「ダカラ、ますたー、臭カッタノダナ」

 

 ゴフッ……!

 

 余りにも無慈悲なウォルフの一言に、あやうく意識を狩られかけ、目眩を伴った絶望に叩き落とされた。

 

 私って……私って……。

 

 思わず自虐モードに入りそうになる。が、ここでひよる訳にはいかなかった。私は最後の力を振り絞り首を左右に振ると、薄れゆく意識を何とか繋ぎ留めた。

 

 この勘違いだけは何としても正さねばならない。恐らく彼は「産まれてこの方、マスターは一度もお風呂に入った事がないんだな。だからあんなに臭いんだ」と納得しようとしているに違いないからである。大いなる誤解である。そして大いなる侮辱である。いくら何でもヒド過ぎる。

 

 そもそも私が本格的に臭くなったのは、大量にかいた汗を長時間何もせずに放置していたからである。つまり、君と出会った時はそこまで臭くなかったはずなのだ。思い出せウォルフよ。徐々に臭い女に成り下がっていった私の軌跡を。そして、その「出会った瞬間から臭かった」と言わんばかりの失礼な決めつけを、今すぐ止めていただきたい。それとも何か?もしかして君は本当に「出会った時から臭かった」とでも言うつもりなのか?それだけはお願いだから勘弁しろよ?そんな事言われようものなら二、三時間は泣き止まんぞ私は。

 

 「お風呂入ってます。毎日欠かさずピッカピカになるまで磨いてますから私」

 「ソウナノカ?」

 

 「そうなんです。ただ私の知ってる風呂っていうのはパチパチしないんです。だから驚いてたんです」

 「ヌゥ、パチパチシナイ湯カ……。ソレデハ、キレイニ、ナラヌダロウニ……」

 

 どこか腑に落ちない様子でウォルフがボヤく。しかし、その後直ぐに「アァ」と呟くと、ウォルフはまじまじと私の全身を見つめながら

 

 「ナルホド、ダカラ、毎日、風呂入ッテルノニ、臭カ――」

 

 ちょっと待って。それ全部聞くと多分泣く。

 皆まで言わせてなるものか。私は強引にウォルフの話を遮った。

 

 「違います。確かにお湯はパチパチしてませんでしたけど、その代わり石鹸を泡立てて身体洗ってました」

 「フム。湯ガ、パチパチシナイカラ、石鹸デ、パチパチサセルノカ?」

 「んー、石鹸の泡はパチパチっていうより、もこもこって感じですね」

 「モコモコ……?猫ノ、タテガミミタイナ感ジカ?」

 

 あ、そっち連想しちゃいます?

 確かにレオンのたてがみも、それはそれは立派なもこもこっぷりではあるが、石鹸の泡と比べるようなものではない。なので私はその旨を正直に告げた。

 

 「んー、確かにどっちももこもこしてますけど、レオンのタテガミと石鹸の泡とでは大分違いますね」

 「デモ、ドチラモ、モコモコナノダロウ?」

 

 エラくこだわるね君。

 またどうせロクでも無い事を考えてるんだろうなーと思いつつも、私は頷いた。

 

 「そうですね。どちらも、もこもこしてますね」

 

 すると

 「フム……」

 と、それはそれは満ち足りた表情でそう呟くと、ウォルフはファサリとシッポを振り回した。

 

 「ナルホドナ。ますたーハ、大分アレノ、タテガミヲ気ニ入ッテ居タヨウダガ、所詮、他ノモノデ、代替出来ル程度ノ、モノデアッタカ」

 

 やっぱりロクでも無い事を考えていたらしい。

 

 どうやら彼は「レオンのタテガミ=もこもこ」「石鹸の泡=もこもこ」という二つの方程式を連立させて、「レオンのタテガミ=石鹸の泡」という式を導き出したようだ。確か私は「大分違う」と否定したはずなのだが、どうやらそれは無視されてしまったらしい。

 

 何でも一番でなければ気がすまない。それも「唯一無二」の一番でなければ満足しないウォルフの事である。石鹸の泡で代替の利くレオンのタテガミと、今のところ代替品のない自分のふさふさしっぽを比べて、「我のしっぽに並ぶものなし!泡如きで代替される貴様のタテガミ等とは格が違うのだ!」とでも思っているのだろう。相変わらず好戦的。そして大人気ないワンちゃんである。

 

 しかしながら、ウォルフの機嫌が良くなったのは僥倖ぎょうこうだった。今ならば何を聞いても、嫉妬せずに答えてくれそうである。

 ドヤ顔で「グルッグルッ」と喉を鳴らすウォルフに向かって、私は改めて確認した。

 

 「温泉入っても大丈夫なんですよね?」

 「モチロンダゾ」

 

 「念の為に言いますけど、私スッゴく弱いですよ?そんなスッッゴく弱い私でも大丈夫なんですよね?」

 「モチロンダゾ」

 

 「あのパチパチは、汚れを落とす効果しかないんですよね?肌を溶かしたり、髪を溶かしたり、そんなデンジャラスな効能はないんですよね?」

 「モチロンダゾ」

 

 「少しでも嘘吐いてたら、ウォルフを二番に格下げして、レオンとティガを一番にしちゃいますからね?」

 「ソノ時ハ、猫共ヲ殺ス」

 

 ごめんなさい。ちょっと調子に乗りすぎました。

 

 一瞬にして剣呑な視線になったウォルフに「な、なーんちゃって。嘘ですよ嘘嘘。ビックリしました?☆」と、必死に言い訳しながら、私は冷や汗を拭ったのだった。

 

 

 

 という訳でようやく念願のお風呂タイムである。

 

 着替えが無いのが不満ではあるが、この際贅沢は言うまい。いざとなれば「秘技:裏返して履く」を発動させるまでの事である。

 そんなことより問題なのは、最近若干ではあるがふくよかになってしまった我がぷにぷにボディを、ケモノとはいえ男の子達の前に晒さねばならない事の方だった。

 

 ぶっちゃけ、とても恥ずかしい。

 だって相手はあのエロ獣共なのだ。

 

 これまで受けてきたセクハラ行為の数々を思えば、ここで迷いなく「キャッホー!お風呂だー!」と全裸になれる訳がなかった。しかし服を脱がないことにはいつまで経っても風呂には入れない。苦肉の策として「服を着たまま入る」という選択肢もなくはないが、その場合入浴後に着る服がなくなってしまう。最早「裏返して着る」とかそういうレベルの問題ではなく、正真正銘着る服がなくなってしまうのである。

 

 もちろん、風呂を諦めるというのは論外である。今後も引き続き「臭い」と罵られ続ける生活だけは何としても避けたい。そう。言うなればこの入浴には、私の女子力の存亡がかかっていると言っても過言ではないのである。しかし脱ぐのは恥ずかしい。しかし臭いと罵られるのはもっと――と、一人でもんもんとしていると、ふとある言葉が頭をよぎぎった。

 

 ああ、そういえば「聞くはいっときの恥聞かぬは一生の恥」ってことわざがあったっけな……。

 

 うまいことを言った古人がいたものだ。正に今の私の立場を示すに相応しいことわざである。そしてその偉大な古人は、このことわざを通じて「いっときの恥を恐るな」と提言しているのだ。つまりこの場合「とっとと服を脱いで風呂入れ」という意味だ。

 

 覚悟決めるしかないのよね……。

 思わずゴクリと生唾を飲み込み、私は上ジャージのファスナーを一気に引き下げた。

 

 と、まぁ私としては結構な決意と覚悟を決めて、服を脱いだ訳なのだが。

 

 ジャージの上を脱いでも、下を脱いでも、1ミリたりとも反応を示さないケモノさん達の様子を見ているうちに、何かどうでもよくなって来た。意識していた自分が馬鹿みたいである。私は左腕でブラを隠し少しずつTシャツを脱ぎながら (片手だと脱ぎにくい!)小さく溜め息を吐いた。


 そういえば恥ずかしさの余り失念していたが、彼らは常に全裸なのだ。ということは、彼らには「全裸=恥ずかしい」という価値観自体がないものと思われる。つまり私の裸を見たところで「それが何か?」ってなもんなのであろう。まぁ、年頃の乙女的に「私の裸はそんなに無価値かッ!」と、ムカつく気もするのだが、深くは考えるまい。何にせよ「グヘヘー」と言わんばかりのスケベな視線を向けられるよりは何万倍もマシである。

 

 もちろん、だからといって「無防備に裸を晒せるか?」と問われれば「それでも恥ずかしい!」というのが本音である。がしかし、先程まで感じていたような絶望的なまでの羞恥心が消え去ったのも事実だった。

 

 私はTシャツに悪戦苦闘 (ホンット脱ぎにくいッ!)しながら、各々で寛ぐ彼らに向かって質問した。黙って服を脱ぐというこの状況に耐え切れなかったのである。


 「そういえば、皆さんはお風呂入らないんですか?」

 私としては間を繋ぐ為の何気ない質問だったのだが

 

 「入ラヌ。我ハ、臭クナイ」

 「俺様モ、臭クナイゾ」

 「ますたー、俺モ、臭クナイ」

 「ン?俺様モ、臭クナイゾ」

 

 それに対する彼らの返事は、鋭利なナイフのように私のハートにブッ刺さった。こんなのってヒドい。

 

 しかしへこたれている場合ではない。何せ今私は脱衣の真っ最中なのだ。へこたれるには少々どころではなくタイミングが悪い。彼氏に浮気現場を目撃されたダメ女でもあるまいに、脱ぎかけの状態で固まる等死んでもゴメンである。私は「なんぼのもんじゃーい!」と気を引き締めると、首部分で停滞していたTシャツを力任せに引き抜いた。

 

 と、それまでTシャツに邪魔されて見えなかった4匹の姿が目に映る。

 彼らは相変わらず、のんびりとした様子で寛いでいた。確かに、こうして見る限りでは、どいつもこいつも清潔そうである。こんな小汚い迷宮を延々と歩いて来たというのに、何故彼らは汚れないのだろうか。中でも解せないのが前衛組のウォルフとレオンである。

 

 彼らはこれまでに、何匹もの敵を屠り、その返り血を随分と浴びてきたはずなのに、汚れ一つついていないのだ。白なんて汚れの目立つ被毛のくせしてピッカピカのつやっつやをキープするとは、誠にけしからんヤツらである。もちろん、前衛よりも汚れる機会が少なかったティガについては言わずもがなである。だけどね

 

 鳥よ。オメェだけはダメだ。

 

 まるで黒曜石のようにしっとりとした美しさを誇るイグルーの羽を、私は胡乱気な目で見つめた。

 

 もちろん見た目はとても美しい。毛玉さん達と同じく、まるで磨き上げられたかのような美しさである。しかし私は知っているのだ。昨日、命令違反の制裁としてウォルフにカジられまくっていたという事実を。それこそ「羽が濡れて力がでないよぅ……」という状態になるまで、彼は徹底的にガジガジされていた。そう。つまり今のイグルーは、どんなにキレイに見えたとしても、ウォルフの唾液まみれのハズなのである。故に

 

 「イグルーはお風呂に入りましょうね」

 

 笑顔でそう告げた私は正しかったハズだ。

 

 そんな私の発言を受けて、イグルーは「ン?俺様、何デ?」と首を左右交互に傾けていた。が、その程度のオトボケで引き下がる私ではないのである。何としても一緒に入ってもらうからなイグルーよ。だって私一人だけなんて辛すぎる。それじゃまるで「お前一人だけが臭いんだ」と言われているようではないか。もちろん、私が臭いのは認めよう。しかしながら、せめて一匹だけでもいいので仲間が欲しいのである。そしてその仲間こそが君なのだよイグルー君。

 

 「デモ、俺様、臭クナイゾ?」

 

 相変わらず怪訝な表情のまま首を傾げるイグルー。この期に及んで往生際の悪い鳥である。そこまでして入浴を拒むというのなら、こちらにも考えがあるぞイグルーよ。

 

 「ウォルフ」

 「何ダ、ますたー?」

 

 私の呼びかけに反応して、『伏せ』の姿勢でのんびりしていたウォルフが、顔だけ上げこちらへ振り向く。そんな彼に対し私はものスゴくいい笑顔でお願いした。

 

 「イグルーを温泉へ突っ込んで下さい」

 「分カッタ」

 

 了承するなり、一瞬でウォルフの姿が視界から消えた。

 そして次の瞬間、上空5メートル程の位置にイグルーを咥えた状態で彼は姿を現した。

 

 つまり、起き上がる、イグルーに襲いかかる、イグルーを咥える、上空に飛び上がる、という4つの工程を一瞬の内に終わらせてしまったのだ。相変わらず凄まじい運動神経である。


 何の脈略もなくカジられたイグルーは、どうやら自分の置かれている状況が分からないらしくギャーギャーと暴れている。遠目に、ウォルフの口の中で羽をバタバタさせている姿が見えた。が、それも長くは続かなかった。

 

 騒ぐイグルーの事など完璧に無視したまま、ウォルフは大きく頭を振りかぶった。

 そして、そのまま勢いよく首を縦に振り下ろすと――

 

 ヒチュン……!

 

 という、おおよそ耳にしたことがない風切り音をたてて、彼の口からイグルーが撃ち出された。どうやら首を振り下ろす反動を利用してイグルーを投擲したらしい。ウォルフの放った一投は、それはそれは凄まじい勢いで着水し、そしてそのままの勢いで、一直線に水底へと消えていった。まるでライフルの如き弾道であった。


 まさかこんな事態になろうとは。

 

 毛玉さん達は、どいつもこいつもイグルーを粗末に扱い過ぎである。ポンポン放られてばかりの彼が不憫でならない。まぁ、今回の投擲事件については、元凶私なんですけどね。私は心の中でイグルーに詫びた。


 「ますたー、コレデイイカ?」

 

 優雅に着地を決めたウォルフが首を傾げながらそんな事を聞いてくる。どうやら水底へ突撃していったイグルーについては微塵も興味がないらしい。ちなみに、未だにイグルーの姿は水底へと消えたままである。

 

 「ま、まだ浮かんで来ないんですけど、イグルー大丈夫なんですよね?」

 

 矢も盾もたまらず安否を確認すると、ウォルフはジッと水面を眺めだした。どういう意味なのだろうか。よもやウォルフ自身にも結果が分からないのではあるまいな。思わずつられて私も水面を眺める。しばしの沈黙の後、プカァとうつぶせの体勢で水面に浮かんできたイグルーの姿を見て、私は戦慄した。

 

 大丈夫じゃなかったようだ。

 明らかに深刻なダメージを負っている雰囲気である。

 

 水面にプカプカ浮いたままピクリともしないイグルー。そんな彼の姿を見つめたまま、ウォルフは眉間にシワを寄せ、それはそれは嫌そうな口調で呟いた。

 

 「ヌゥ、軟弱ナ……」

 

 心配ゼロである。その上、罵倒を浴びせる無慈悲さである。イグルーを助けようという気は微塵もないらしい。ノリノリで命じた私が言うのもオカシな話だが、何て狼だコイツは。

 

 この様子では、恐らく何を言っても無駄だろう。そう判断した私は、イグルーを救出する為大急ぎで温泉目指して踏み切った。ブラとおパンツを身につけたままなのだが、そんな事を気にしている場合ではない。今は風呂上りに着る下着の心配よりも、目の前でプカプカしている鳥の救出の方を優先せねばならないのである。

 

 彼我ひがの体格差を鑑みるに、私一人の力で湯から引き上げる事は不可能だろう。しかし、仰向けにする手伝いくらいは出来そうである。まずは彼の呼吸を確保してやらねばなるまい。

 

 狙い通りイグルーの傍に着水した私は、ドボンッと音を立てて勢いよく温泉の中に沈んだ。手を伸ばせば届く絶好のポイントである。

 

 待っていてくれイグルーよ。今助けてやるからな!

 そう決意も新たに手を伸ばす。身体を包むようにパチパチと爆ぜる気泡など当然無視であ――無視で――無視――ちょ、何だこの感じはッ!?

 

 まるでぬるい炭酸飲料に氷を落とした時のような凄まじい気泡に包まれ、私はただただ驚愕した。

 

 全くの想定外だった。

 そりゃ少しくらいの刺激はあるだろうと覚悟していたが、まさかここまで盛大なシュワシュワ地獄が待っていようとは、夢にも思っていなかったのだ。

 

 ジェットバスの吹き付けるような泡とは違い、まるで無数の小さな気泡が、優しく肌の上を滑りのぼってくるような感覚である。傍目には、私自身が発泡しているように見えたのではなかろうか。気分はまるでバスボムである。ただバスボムとは違い、いくら発泡しようとも私の体積が減る事はないのだが。

 

 折角なので、腹の肉辺りでよければ遠慮なく持って行ってくれても構わないのに、そうそうウマい話があるはずもなかった。私的には一刻も早く縁切りしてしまいたいのだが、生憎、腹の肉共は末永いお付き合いを希望しているのだ。全くもって忌々しい連中である。「絶対いつか追い出してやるんだから!」と決意も新たにしたところで、私はようやく正気に戻った。

 

 って、イグルー助けなきゃ。

 

 そうだった。今、私は救難救助の真っ最中だったんだ。予想だにしなかったシュワシュワ地獄のせいでしばし現実逃避してしまったが、一大事だったのである。私は相変わらずプカプカ浮いたままのイグルーに向かって、今度こそ腕を伸ばした。

 

 「大丈夫ですか、イグルー!」

 

 そう声を掛け、大慌てで彼を仰向けにすべく力を込める。言わずもがな相手は巨鳥である。湯の浮力が働いているとはいえ、どう考えても女子高生一人の手には余る大きさである。さぞかし苦労するだろうと覚悟していたのだが、そんな私の予想を裏切って、イグルーはいとも容易くクルリと回った。

 

 「ン?ますたー、ドウシタ?」

 

 そしてこのリアクションである。

 

 そんな極めて軽いノリのイグルーを見て、私はようやく悟ったのだった。

 あぁ今回の「イグルー撃ち込み事件」も、彼らにとっては単なる日常なのだなと。つまり安否を気遣ってやる必要などなかったのだ。

 

 こんな事なら、下着脱いでから入るんだった……!。

 

 すっかり緊張の糸が切れドッと疲れを感じた。一人で騒いで一人で疲れて、これではまるでピエロである。しかし、まぁ、それでも無事でよかった。私はフゥと安堵の息を漏らすと、ヤレヤレと頭を振った。

 

 イグルーは相変わらずプカプカ浮いている。極めて暢気な光景である。と、ここにきてようやく私は違和感を覚えた。

 

 「あれ……イグルーはシュワシュワしないんですね?」

 

 そうなのだ。若干発泡量が減ったとはいえ未だにシュワシュワしている私とは違い、水面に浮かぶイグルーは全く発泡していないのである。先程までは慌てていて、こんな事にまで気を回す余裕はなかったが、こうやって冷静になって考えてみると明らかにおかしい。

 

 どういうメカニズムなんだろう?

 ふと感じた疑問に頭を捻っていると、目の前のプカプカバードの口から衝撃的な真実が語られた。

 

 「俺様、臭クナイゾ。ダカラ、シュワシュワシナイゾ」

 

 な、なんですって……?

 私は瞬時に、その『真実』の意味を悟り心の中で絶叫した。

 

 今、彼は「臭くないからシュワシュワしない」と言った。しかしそれは裏を返せば「臭いヤツだけシュワシュワする」という意味である。もちろん発泡量も一定ではあるまい。スゴく汚れている場合はスゴい発泡量に、そして汚れが落ちるに従って発泡量も少なくなっていくのだろう。私を取り巻く発泡量が徐々に少なくなっているのが、その証左である。

 

 つまり現状、たった一人で盛大なシュワシュワを披露している私は

 差し詰め、全身で「私ってメッチャ臭いんですよーッ!!」と宣伝しているようなものなのだ。

 

 何それ恥ずかしい。顔から火が出るんですけど。

 私は湯の中に沈んだ。ブクブク。

 

 どうか私を探さないで下さい。そしてシュワシュワする私を見つめないで下さい。お願いだからそっとしといて。恐らくそろそろ息継ぎの為に浮上すると思うけど、その時はどうか優しい気持ちで無視して下さい。決して話しかけないで。そして絶対に見つめないで。

 

 温かい湯に全身を浸し、そんな祈りとも訴えとも違う願望を、頭の中で延々と垂れ流す。そうこうしている内に息が苦しくなり、息継ぎの為に頭を出すと

 

 「ますたー、頭出シチャ、ダメダ。チャント潜レ。臭イノ取レナイゾ」

 

 という、何とも心抉るお言葉を頂戴し、私は「いつかその黒い羽全て毟ってやるからな……」という怨念を込めながら再び湯の中に沈んだ。

 

 返す返すも忌々しい鳥である。そもそも君は何故発泡しないのだ。ウォルフからガブガブされネトネトになっていたではないか。ひょっとして汚れないコツのようなものがあるのだろうか。もしそんなステキなものがあるのならば、是非とも教えて欲しいものである。必要とあらば、土下座くらいは余裕でこなしてみせるぞ私は。

 

 しかしまぁ、当然そんなウマい話もある訳がなく。

 

 その後も、息継ぎの為頭を出す度に、私はイグルーから心を抉られ続けたのだった。許すまじ鳥。この恨み晴らさでおくべきか。

 

 

 

 

 ちなみに、濡れたブラとおパンツについては、恙無く乾かす事ができた。

 いや、下着だけではない。スポーツタオルもジャージもTシャツも――つまり私が所持していた衣類全てが、温泉で洗浄され、まるで新品の如くピカピカになっているのだ。

 

 もちろん服が乾くまで温泉に浸かって待っていた訳ではない。いくら長風呂好きの私といえど「服が乾くまで湯の中で待機する」というのは、どう考えても不可能である。百歩譲って下着とジャージだけならギリギリいけたかもしれないが、流石に厚手のスポーツタオルが乾くのを待っていては、先に私がふやけてしまう。

 

 そこで私は、「いつか覚えてろよテメー……!」という怨嗟をひた隠し、ダメ元でイグルーにお伺いを立ててみたのである。「下着が濡れてしまったので、乾かしてもらえないでしょうか?」と。「出来れば他の服も洗いたいんですけど、そっちも乾かせませんか?」と。

 

 大空洞をあれだけ見事に飛び回っていたイグルーである。洗った服を咥えてもらって、ちょいとひとっ飛びしてもらえれば、ひょっとしたら乾くのではなかろうか?そんな一縷の望みを掛けて提案してみたのだが、意外にもイグルーは「分カッタゾ」と、二つ返事で引き受けてくれた。あまりに軽々しく了承したものだから、かえって私が驚いたくらいである。

 

 「本当に大丈夫なんだろうか?」「もし失敗したら着る服が全滅するんだけどどうしよう」「でもウマくいけばこれ程ハッピーな事もないな」等と悶々と考え込む私を他所に、イグルーは早速湯から上がると、レオンにお願いして壁ダイブに勤しんでいた。ズガンッ!ズガンッ!という衝突音が響く。どうやら今更「やっぱ止めときます」とは言えそうにない雰囲気である。

 

 という事で、無事に乾いた羽を大きく広げて「ますたー、ドレカラ乾カスノダ?」と得意気に胸を張るイグルーに向かい、私は湯の中で外したブラを手渡したのだった。正直、半信半疑だったのだ。なのでもし万が一失敗しても「まぁ最初から濡れてたしね。プラマイゼロだよね」と思えるブラで試してみることにしたのである。

 

 しかしそんな私の疑惑を、まるで嘲笑うかの如く、イグルーは「任セロ!」と元気よく請け負い高らかに飛び立った。そして30秒も経たない内に舞い戻り、私が脱いだジャージの傍にブラを置くと、これまた元気よく宣ったのである。「次ハ、ドレヲ乾カスノダ?」と。


 思わず「え……?もう乾いたんですか?」と尋ねる私に、イグルーはキョトンとした表情で「乾イタゾ」と頷く。そんな馬鹿な。私の使っているブラは、スポーツブラとはいえそこそこ厚みがあるのだ。それがこんな短時間で乾くとは、にわかには信じ難い。私は湯をかき分けて温泉の縁に近づくと、手を伸ばし、今しがたイグルーが持ち帰ったブラを触った。

 

 若干湿っている。というのが第一感だった。そしてスグさま気づく。違う。これはブラが湿ってるんじゃなくて私の指が濡れているだけなのだと。指を離し、改めて他の部分に触れてみると、確かに乾いた感触がした。私は信じられないものを見る目で、ブラをまじまじと見つめながら「本当に乾いたんだ……」と、うわ言のような声を漏らしたのだった。

 

 もちろん、その後の展開は推して知るべしであろう。

 

 私は意気揚々と、ジャージやらスポーツタオルやらを湯の中に浸す (浸けた瞬間、爆発したように発泡した。死にたくなった)と、次々にイグルーにお願いして乾かしてもらった。流石に厚手のスポーツタオルは乾くまでに5分程度かかってしまったが、それでも高性能乾燥機の何倍もの性能である。そうしてドンドンと乾燥を終え、とうとう最後の一枚――つまりおパンツの乾燥をお願いする際、私はふとした不安に捕らわれ、一言だけ注意を添えて手渡した。

 

 「これとても繊細な素材で出来てますので、他の服よりもずっとずっと優しく取り扱ってもらっていいですか?」

 

 何といってもシルク。デリケートな扱いが望まれる最たる素材である。力いっぱい咥えられ穴でも開けられれば大惨事である。ちなみに「男の子におパンツを咥えられる」という事についての覚悟は既についているので一切問題ない。「問題はない」と言い切る事自体が大問題なのだが、背に腹は代えられないのだ。

 

 私としては「気をつけて咥えてくださいね」とお願いしたつもりだったのだが、イグルーはさらに深刻に受け止めてしまったらしい。彼は少し困った表情で「ンー……。デモ、俺様、クチバシモ、爪モ、鋭イ。ますたー、ドウスレバイイ?」と言いながら頭を捻り出した。


 そんなイグルーの勘違いを正すべく、私は彼に向かって改めて説明しようとしたのだが

 

 「そうじゃなくて、私が言いたいの――」

 「ソウカ。俺様、分カッタゾ!」

 

 何やら思いついてしまったらしい。

 元気よく言い切ったイグルーによって、私のセリフは見事に遮られてしまった。


 そして彼は羽をバサバサと動かしながら、それはそれは飛んでもない事を言い出したのであった。

 

 「ますたー、俺様ノ頭に、ソレ被セテイイゾ!ソシタラ、クチバシモ爪モ、使ウ必要ナイカラナ!」

 

 わーお。それは名案である。

 つまり君は頭におパンツを被って飛翔するって事だね。わーお。ってバカヤロー。そんなの認められる訳がないでしょうが。

 

 まるで「名案を思いついた!」とばかりにハシャぐアホの子を前に、私は湯の中でそっと頭を抱えるのだった。男の子と付き合うのって難しい。

 

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