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20/23

投げて、凹んで、びばのんのん

 それはレオンが漏らした何気ない一言だった。

 彼は言った。鼻をヒクヒクさせた後に言った。元気よく言った。


 「ますたー、チョット、臭イナ」


 レオンの馬鹿。ホント馬鹿。バカバカ大嫌い。

 当然、私は泣いた。





 その日は、気持ちの良い目覚めだった。相変わらず風の音はうるさいし、薄明かりの迷宮内は辛気臭いままなのだが、それらの不愉快要素を補って余りある程に、ベッドの性能が優れていたのである。流石ウォルフである。戦闘レベルだけでなく寝具としてのレベルまで高いとは、伊達に偉ぶっていた訳ではないらしい。そんな極上のもふもふに包まれて目覚めた私は、とても良い気分だった。


 その後、朝食としてイシュドラを頂いた。朝はガッツリとご飯を食べたい派の私としては、フルーツだけというのは何とも物足りなかった。が、今は贅沢を言える状況ではないのである。食べるものがあるだけでもありがたい事なのだ。当然、美味しく頂いた。


 ただ、私がイシュドラを摘む度に、「ますたー、イシュドラ、投ゲテクレ」だの「ますたー、俺様、俺様、先ニ投ゲテクレ」だの「イヤ、我ガ先ダ」だのと言いながら、毛玉さん達の押し合い圧し合いが始まったのには閉口した。ご飯くらい静かに食べさせて欲しい。しかしながら、すっかりイシュドラキャッチの魅力にとりつかれてしまった毛玉さん達は、私の手にイシュドラがあるのを見ただけで、辛抱堪らなくなってしまうようなのだ。全くしょうがない毛玉達である。


 「もうちょっと待っててくださいね」となだめると、「ヌゥ、ますたー、早ク、食ッテクレ」だの「俺様、代ワリニ、食ッテヤルゾ」だの「我モ、食ッテヤルゾ」だの言いつつ、その場は不承不承ながら引き下がってくれるのだが、その様子に安心して、食事を続けようと新たなイシュドラを摘み上げると、まるで示し合わせたかのように、お耳をピクピクさせながら大興奮し出すのである。ホントーーーにどうしようもない毛玉達なのである。


 幸い、私の手元には大量のイシュドラがある。つまり、投げろと言われればいくらでも投げれるだけのストックはあるのだ。それこそ腹が裂ける程食べて、腕がつるまで投げたとしても、とても消費できないであろうという程のイシュドラが、私の傍にうずたかく積み上げられているのである。そうである。新メンバーの鳥の仕業である。イグルーは、先程から、何度も何度も繰り返し繰り返しイシュドラを運んで来ては、執拗に「食エ」「モット食エ」と無茶振りしてきやがるのである。いくら「もう十分ですから」「そんなに食べれませんから」と断ろうとも、まるで嫌がらせのように延々と運び続けてくるのだ。その結果、今では「さては私をイシュドラで埋葬する気だな?」と真剣に疑うレベルのイシュドラで溢れかえっているのだ。


 どいつもこいつもはしゃぎ過ぎである。

 しかしこんなのはまだ序の口だった。


 本番は、数々の妨害をいなしつつ朝食を終え、イシュドラキャッチを始めた瞬間訪れた。私が「ごちそうさま」と手を合わせたその瞬間、毛玉さん達が良くない方向へハジけたのである。


 レオンとティガは目をキラキラさせ、高く掲げた尻をフリフリさせつつ「ますたー、投ゲロ、俺様、俺様!」「ますたー、コッチ、頼ム!」と大変なはしゃぎようなのである。その上、いつもはスカした態度を崩さないあのウォルフまでもが、目をキラキラさせ、まるで短距離走のクラウチングスタートを思わせる前傾姿勢をとりながら「ますたー、早ク頼ム!」と大興奮なのである。まさに元気いっぱい、夢いっぱい。イシュドラの投擲フォームに入った私に、まるで焼き殺すかのような熱視線を送って来ているのである。


 そこまで期待されたからには投げぬ訳にもいくまい。


 私は

 「それじゃ、いきますよー」

 と、イシュドラキャッチの開始宣言を行うと、右手に持っていたイシュドラを、虚空に向かって力の限り投げつけた。


 誤解のないよう言っておきたいのだが、ここで言う「投げつける」というのは、正しく文字通り「ぶつけるように投げる」とう意味である。決して、お利口さんなペットに向かってオヤツを放る時のような、ポーンと放物線を描くような生温い投げ方では断じてない。あんな素人丸出しのぬるい弾道では、到底毛玉さん達を満足させる事など出来ないのである。彼らの身体能力を甘く見てはいけない。「さ、流石にこれは無理でしょ……」と思える投擲だろうと、その尽くをキャッチしてみせるのが彼らなのである。


 故に全力投擲。遠慮など無用である。憎いアンチクショーの顔にパイをぶつける気合いで、思い切りブン投げなければならないのである。投げる方角も、誰一人としてスタンバイしていない無人の方向が望ましい。順番を決め平等に投げてみたところで、それを守るような毛玉達ではないのだ。「今ハ、俺様ノ番ダゾ!」「ダメダ、我ダ、我ガ取ルノダ!」「俺、サッキカラ、全然取レテナイ!ダカラ、ソレ、俺ノ!」「デモ、今、俺様ノ番!」ってな具合いに、そりゃもうヒドい有様になるのである。実話である。そうです。既に体験済みなのである。


 なのでいつの間にか、「誰もいないあさっての方向へ全力投擲する」という今の形に落ち着いたのだった。悲劇は繰り返してはならない。興奮し過ぎて暴走した巨大獣に押し潰されかけるなんて経験、もう二度と味わってなるものか。


 しかしまぁ、毛玉さん達が楽しそうで何よりである。


 私は、無慈悲なボディアタックでお猫様達をまとめて吹き飛ばし、見事イシュドラをゲットしたウォルフを眺めながら、そんな事を思っていた。空中キャッチを決めた彼は、その後優雅に着地するとそれはそれは嬉しそうにブンブンと首を振り回した。そうである。獲物の首根っこに噛み付いた際にワンコやニャンコがヤル例のアレである。口の中に入っているのは小さな果実が1つだけにも関わらず、彼らは決まってああやって首を振り回すのだ。恐らく本能的なものなのであろう。


 そしてそんな勝者のお首ブンブンを、敗者達は悔しそうに睨め上げるのである。「ヌゥ……狼、強イ」とか「俺、マタ、負ケタ……」とか言いながら。しかしそんな切ない展開も、私が次弾の準備を始めるまでの話である。周りにうずたかく積まれたイシュドラを摘まみ上げた瞬間、彼らのお耳はピンッと立ち上がり、ピクピクッと震え出すのである。そして速攻でこちらを振り向むいたかと思うと、再び「次、俺様!俺様ダゾ!」「ダメ、次、俺!」「我ガ取ル!」と大はしゃぎし始めるのだ。


 繰り返しになってしまい大変恐縮なのだが、敢えて主張させていただきたい。

 毛玉さん達が楽しそうで何よりである。


 次弾を投げるやいなや、レオンを蹴り飛ばしティガを踏み台にして、見事に連続空中キャッチを決めたウォルフを眺めながら、私は「相変わらず、大人気ないなぁ……」と、溜め息をこぼすのだった。


 ちなみに、常に全力投擲する関係上、イシュドラキャッチをやると、私の肩や肘に溜まる疲労が半端ない。つまりいくらせがまれようとも、私の体力では、そう何度も放ってあげることはできないのである。だからといって、途中でフェイントを入れて時間稼ぎするような姑息な手段だけは取ってはならない。


 どうも、彼らは私が考える以上に集中してイシュドラキャッチに挑んでいるようなのだ。全然遊びじゃないのである。真剣勝負なのである。それこそ、私がイシュドラを投げつけるタイミングを今か今かと待ちわびているのだ。つまり待機中の彼らというのは、猛る興奮と高まる集中の相乗効果により非常に暴走しやすい状態なのである。というかぶっちゃけてしまえば、私がイシュドラを放るのを合図に、毎回暴走しているようなものなのである。


 つまり「イシュドラを放る」というのは、銃でいうところの「引き金を引く」のと、全く同じ行為なのだ。私が腕を振り上げたと同時にドカン!と発射されるのが毛玉さん達なのだ。そんなキレッキレな彼らに対し「残念!腕は振ったけど、イシュドラはまだ投げてないですよー」等というふざけたフェイントを入れると、どういう事態に陥ってしまうのか?


 イシュドラを掴んで腕を振り上げた時には、もう既に毛玉さん達の暴走は始まっているのである。放たれた弾丸が止まらないように、割れた花瓶が戻らないように、暴走を始めた毛玉さん達もまた、鎮まってはくれない。実際にイシュドラを投げてようが投げてまいが、そんな事はもう関係ないのだ。暴走した彼らの頭の中には「何としてもゲットする!」という本能だけが満ち満ちており、あとはその暴走エネルギーをどこにぶつけるかの選択を残すのみなのである。

 

 イシュドラを投げていれば、全力でイシュドラが狙われる。イシュドラに生まれなくて本当によかった。

 問題はフェイントをかけた場合である。エネルギーをぶつけるべき対象が喪失した事で、毛玉さん達は大パニックに陥った。


 その結果。


 「ま、ますたー!!投ゲロ!早ク、投ゲロ、ますたぁぁぁぁ!!!!」

 「ヌゥ!ますたー!早ク!早クシロ!!!!」

 「俺様!!!俺様!!!!早ク!!!!」


 と、いう感じで、全ての暴走エネルギーを、元凶たる私目掛けて照射して来やがったのである。堪らなかった。


 大きな口を開き迫り来る3匹の毛玉。目を見開きまるで泣き出す一歩手前のような潤んだ視線で訴えかけてくる3匹の毛玉。そして押し寄せてくる3匹の毛玉。完璧に正気を失ってしまった3匹の毛玉。その余りの迫力に、私は生命の危機を感じた。そして瞬時に悟った。投げねば殺られる、と。

 

 そこから先の私の行動は、無意識だったと言ってよかろう。弱者としての本能だったのだろうか、脳が命じる間もなく私の腕はしなり、恐らく今までの自己ベストを大きく上回るであろうナイスなスピードでイシュドラを投擲したのだった。


 その後、毛玉さん達が見せた表情を私は一生忘れないと思う。


 「グルァァァッァアウゥゥァァァァァァアアアッッ!!!!」

 「ガァァァァァウゥゥウアァァァァァアアアァァッッ!!!!」

 「ガルグルルルゥゥゥウウウウァァァァゥゥアアアアアッッッ!!!!」


 どんなに忘れたくとも忘れないだろう。

 絶対に絶対に忘れないだろう。……こんなにも、こんなにも狂おしいほど、忘れたいのに。

 

 そうして私は新たなトラウマと引き換えに、新たな教訓を得たのだった。

 

 【イシュドラキャッチでのフェイント、ダメ、ゼッタイ】

 

 それからは腕が疲れて動かなくなるまで、私は粛々とイシュドラを投げる機械に徹したのだった。そのお陰でぐっすりと眠れた私は、本日爽やかな目覚めを体験したのである。人生とは何とも皮肉なものである。




 そんな楽しくも疲れるイシュドラキャッチを終え、残る問題は、それでも尚「食エ」「モット食エ」と執拗にイシュドラを運んでくるイグルーの始末をどうつけるかであった。


 恐らく、ウォルフ辺りに「イグルーが全然言う事聞いてくれないんです」とでもボヤけば、瞬く間に鳥のマルカジリが始まるだろう。しかし流石にそれではイグルーが不憫過ぎる。大量のイシュドラに囲まれ、現在進行形で困ってはいるものの、これはイグルーなりの親切なのである。例えどんなに、それがありがた迷惑だったとしても、せめてその親切心にだけは報いてやれねばなるまい。


 私は、首を左右に傾げながら「美味イカ?」「モット食エ」「美味イカ?」と繰り返すイグルーに向かってニコリと微笑むと、右手にスタンバイしておいたイシュドラを半開きになっている彼の口へとねじ込んだ。


 当然、手を突っ込むような愚は犯さない。イシュドラの実だけを素早くイグルーの口に放り込むと、私は笑顔のまま彼に告げた。


 「これお返しです。おかげでお腹いっぱいになりました。大好きですよ、イグルー」

 その効果こそ絶大だった。


 イシュドラを突っ込んだその瞬間だけはポカンとしてたが、その後すぐさま正気を取り戻すと、彼はバサッと羽を広げ、まるでその広く大きな翼の中に隠れるように、自らの身を覆った。パッと見、まるで近未来のシェルターのような半円である。羽で身体を隠した彼は、どうやら羽の中でモジモジしているらしく、半円自体が微かにフラフラと移動しているのが見て取れた。しかし十数秒程経つと、そのフラフラも収まり、彼は半円状に広げた羽の隙間から、片目だけでジッとこちらを見つめてきた。


 「ますたー、餌クレル時ハ、チャント、事前ニ、言ッテクレナイト、ダメダ……」

 

 それだけ言うと、片目を覗かせていた隙間がピシャッと閉じ、またしてもフラフラ移動が始まる。そしてやはり十数秒もするとピタリと動きが止まり、まるでそうするのが当然であるかのように、少しだけ開けた羽の隙間から、片目でこちらの様子を伺ってくるのである。


 「デモ、俺様、嬉シカッタゾ……。デモ、ヤッパリ、次カラハ、チャント、言ッテクレ……」


 この後の彼の行動は、最早語る間でもなかろう。そして今のイグルーの状態についても、そう多く語る必要はなかろう。そうなのである。どうやら不意打ちの求愛給餌に対し、この鳥、猛烈にテレているようなのである。従魔契約時にあんな小っ恥ずかしいセリフを言っていた君はどこへ行ってしまったというのか。


 何でも毛玉さん達に言わせれば、イグルーというのは、まだ尻にタマゴのカラをくっつけたヒナのようなものらしい。ウォルフ曰く「マダ、200年程シカ、生キテハオルマイ」との事なのだが、正直ピンと来なかった。流石に自分の10倍以上生きている生物を前にして、子供扱いするのは間違っていると思ったのだ。

 

 しかし、私が納得するかどうか等関係なく、彼らケモノ社会では、イグルーは正真正銘のペーペーなのである。故にちょっとでも過激な事があると、ああやって羽ドームを作成し、しばらくテレてしまうのだった。イグルー曰く「チャント、事前ニ、教エテクレ」とのことらしい。どうやら心の準備が必要らしい。自分から押していくのはいいが、押されるのにはとことん弱い、そんなシャイな年下 (実は年上)の男の子。どうにもイジらしい性格をしているイグルーなのであった。

 

 そんな初々しい反応を示すイグルーに対し、レオンとティガは生暖かい視線を送っていた。それも「おやおや若いねぇ」と言わんばかりの上から目線である。とてもさっきまでガウガウ言いながら嬉々としてイシュドラ追いかけていたヤツの反応とは思えない。私の目からみれば、初心な反応を返すイグルーも、イシュドラ1個でお手軽にガウガウ元気になるお猫様達も、子供っぽさという点に置いてはどっこいどっこいとしか思えないのだが。ただ唯一ウォルフだけは眉間にシワを寄せ、不機嫌そうにぶーたれていた。相変わらずブレないワンちゃんである。

 

 まぁ、そんなこんなで、ようやくイグルーの強制給餌から開放された私は、残ったイシュドラを処分中の毛玉さん達に、今後の予定を尋ねたのである。「今日はどこへ行くんですか?」と。「何か気をつける事はありますか?」と。質問はその2つだけだったはずなのだ。にも関わらず、鼻をヒクヒクさせた後にレオンが返してきた答えこそが「ますたー、チョット、臭イナ」だったのである。


 思わず手近にあったイシュドラぶつけてやろうかと思いましたね。

 もちろん我慢しましたよ。だって、そんな事すれば、報復どころか、逆に喜ばせる事になっちゃいますからね。


 我ながらよく我慢できたものだと思う。正直かなりのプンスカプンだったのだ。だというのに、自分が如何にヒドい事を言ったか、まるで自覚していないレオンは、再びバクバクとイシュドラを食べる作業へと戻っていった。「久々ニ食ウト、チョット、美味イ」とか言っているのである。そこには罪悪感の欠片も見当たらなかった。完璧に私の一人相撲である。何というか非常にやるせない気分だった。


 す、少し落ち着かなくちゃ……。


 そう。まずは冷静にならねばならないのである。親分たるもの常にクールでなければならない。私は軽く目を瞑り、大きく息を吸い込――んだところで、今度はティガの声が聞こえてきた。

 

 「確カニ、ますたー、チョット、臭イナ」

 

 吸い込んだ息で、当然むせた。

 ブルータスお前もか。最早泣きそうである。つまりボロボロなのである。お願いだからこれ以上イジめるのは勘弁して欲し――

 

 「我モ、ソウ思ウ」

 

 勘弁してよ。お願いだから。

 今度こそ、正真正銘涙が溢れてきた。但し最後の意地で心の中に留めておいた。我ながら見上げたガッツである。

 

 だって仕方がなかったのである。元々私はジョギングをしていたのだ。その後、こんな変な場所に飛ばされて、ティガやウォルフに紹介されて、泉まで延々歩かされて、大空洞まで歩かされて、そりゃ汗くらいかくに決まっているではないか。それを寄ってたかって、臭い臭いと、連呼する等まさに鬼畜の所業である。許すまじ毛玉共。


 とはいえ非力な私に出来る仕返しなど、精々嫌がらせくらいが関の山である。私は自分の無力さを呪いながら、それでも目一杯の仕返しをするため、元凶たるレオンご自慢のタテガミをむしり取るように引っ張った。すると「ガウゥン」と、艶かしい声と共にレオンの動きが止まる。どうやらタテガミを引っ張られたのが気持ちよかったようである。もうヤだこのライオン。こんなのってヒドい。仕返しされて喜ぶようなヤツ相手に、これ以上どのような復讐をせよというのか。


 その上、今のレオンのリアクションを目の当たりにした残りの毛玉共までもが、ラッキースケベ狙いでソロリソロリと集まって来やがったのである。恐らくレオンのチャームポイントであるタテガミが引っ張られたのを察知したのだろう。ティガはさりげなく背中の縞々を近づけ、ウォルフは私の傍の床をご自慢のしっぽでファサリと撫で付けてくるあたりが、尚小賢しい。

 

 しかし今はそんな誘いに乗る気分ではないのである。何といっても今の私はプンスカプンなのだ。そうして、しばらく無視してダンマリを決め込んでいたところ、とうとう我慢できなくなったのだろう。ウォルフとティガから「グッグッ」と催促の喉の音が聞こえて来た。それでも頑なに無視し続けていると「ますたー」と、甘えたような声でウォルフに呼ばれた。更に、それに続くようにティガも「ますたー」と甘えた声を出す。どうやら彼らにとっては「何もしない」というのが、最も効果的な復讐方法だったらしい。当然、無視してやった。


 それでも諦め切れないのか、更に近寄ってくる2匹に向かい、私は不機嫌そうな声音で問い詰めた。

 

 「私……そんなに臭いですか?」

 「ウム、ますたー、臭イナ」

 「確カニ、臭イゾ」

 

 聞かなきゃよかった。私は即座に後悔した。

 

 が、私はこんな事で挫けるような柔な女じゃないのである。幼き日より、母から、友から、師から、そして想い人からまでも「お前って、ごんぶとだよなぁ」と言われ続けていたのは伊達ではないのである。未だにジリジリとにじり寄ってくる2匹に向かって、私は訴えた。


 「そりゃ、あれだけ身体を動かしたんだから汗くらいかきます」

 「ウム、実ニ、臭イ」

 

 ウォルフよ。流石に心折れるから、そういう合いの手は自重していただきたい。まるで抉り込むように脇腹に刺さったウォルフの一言で、早くもめげそうになりながらも、私は続けた。

 

 「それにこの服以外、持ってないので、着替える事もできません」

 「ソウダナ。実ニ、臭イ」

 

 いい加減めげますよ?さしもの私でも、そう何度も、抉り込むようなドリルパンチをノーガードで耐えれる訳がないのである。「ちょっと静かにしててください!」という意味を込めて、軽くウォルフを睨みつけると、私の視線に気がついたのだろう。彼はスンスンと鼻を鳴らした後に「臭イ」と言った。胸の奥に大事にしまっていた何かがパキンッと割れた気がした。バカバカ大嫌い。

 

 私は改めて2匹を睨みつけると、今までよりも遥かに大きな声量で最後の訴えを行った。

 

 「そもそも、お風呂ないんだから、臭いに決まってるじゃないですか!分かってますよ私だって!」

 

 思ったよりもヒステリックな感じになってしまい、近くで聞いていたウォルフとティガがギョッとしたような表情になった。どうやら私は、自覚しているよりも何倍ものストレスを溜め込んでいたらしい。臭いと言われた事。お風呂に入れないイライラ。臭いと言われた事。着替えも出来ないイライラ。臭いと言われた事。そして臭いと言われた事。極めつけに臭いと言われた事。そりゃストレスも溜まるはずである。ってかストレスの大半は君達なんだからな。私はいつか地味に仕返ししてやろうと心に誓った。のだが


 まさか、誓ってから1分足らずで、その誓いを破棄する事になろうとは、流石に予想もしていなかった。

 

 私の魂の訴えを聞き、キョトンとした表情でティガがこんな事を聞いてきたのである。

 

 「ますたー、風呂、入リタイノカ?」

 「入りたいね!ええ、入りたいですとも!」

 

 そして臭い女からの華麗なる脱却を狙っておりますとも!

 心の中でそう付け足し終わったのを見計らったかのようなタイミングで、今度は、キョトンとした表情のウォルフがこんな事を言い出したのである。


 「ジャア、ますたー、今日ハ、風呂ニ、寄リ道スルカ?」

 「……え?」

 

 「ますたー、風呂、入リタイノダロ?」

 「そ、そりゃ、入りたいですけど……え?」

 

 流石にお風呂はないだろう。だってここは迷宮である。陰鬱とした薄暗い石畳が延々と続き、時にマジキチ生物に襲われるような天外魔境なのである。そんな場所にお風呂等ある訳が――と、そこまで考えたところで、ようやく私の頭は正常に戻った。

 

 いや……この迷宮なら本当にあるのかもしれない。

 

 何といっても広場の隅に泉なんてものを拵えるような迷宮である。しかも非常識はそれだけに留まらず、強風の吹き荒む大空洞やら、普通に美味しいイシュドラなる果実を生らす木々まで生息しているのである。この上、天然の温泉が湧いていようと、何を不思議がる事があるのだろうか。という事は本当にお風呂に入れてしまうのだろうか?

 

 私は、胸のドキドキを抑えながら、震える声でウォルフに尋ねた。

 

 「ホ、ホントに、お風呂あるんですか?」

 「モチロン、アルゾ」

 

 「きょ、今日、寄り道するって言ってましたけど、それって今日中にお風呂に入れるって事ですよね?」

 「モチロンダゾ」

 

 その返事を聞いて、私の頭の中でハレルヤが高らかに鳴り響いたのは言うまでもなかろう。


 もちろんその後は、ワンちゃんやらネコちゃんやらトリちゃんやらを、必要以上に甘やかしまくり、媚を売りまくる事も忘れなかった。何事もネマワシというのは大事なのである。私は「温泉で癒してもらうんだ」を合言葉に、人生初の左腕でのイシュドラ投擲を繰り返すのだった。

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