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ジョギング後、出会い、ゴミ認定された私

 私は歩いていた。

 日曜日だった。


 首にタオルを引っ掛けて、上下お揃いのジャージを着用して、隣を軽快に走り抜けるおじいちゃんを横目に私はひたすら歩いていた。


 お腹にお肉がついてきたのだ。見た目では分からない些細な変化ではあったがスカートのファスナーは誤魔化せなかった。これはいけないと半年前に購入したオシャレジャージを身にまといジョギングに出かけたのは乙女として当然の話だった。


 ただ私は忘れていた。自分の体力のなさというものを。

 意気揚々と家を出発したまではよかったのだが目的地の公園に着く頃には既に体力の底が見え始めていた。当初の目的を忘れ「走ってくるんじゃなかった」と本気で後悔したくらいだ。


 とてもじゃないがこれから走り出せるコンディションではない。しかしここで諦めれば、お腹にしがみついているお肉共はこれ幸いと定住してしまうだろう。それは何としても避けたい。


 そうした強迫観念と妥協のせめぎ合いの果たどり着いたのがこのリハビリのごとき速度のウォーキングだった。恐らく私ほどノロノロしたスピードの人は一人もいない。そりゃそうだ。だってここにいる人達の大半は常日頃からジョギングに勤しむ生粋のジョガーだからだ。お腹のお肉を追い出すために頑張る私なんかとは根本が違っている。


 だから今の私は無性に恥ずかしかったりする。こんなことになるならもう少し人気のない公園をチョイスするべきだった。後で悔いると書いて後悔とはよく言ったものである。まさに今の私の心情を表すにふさわしい。


 「大きなお堀の周りをグルッと回るコースなんて素敵」とか考えていた1時間前の自分を殴りたい。お前のせいで今恥をかいてるだぞと。


 その代わりと言っては何だが目標の1時間ジョギング――じゃなくてウォーキングを成し遂げた今の自分については心から称えたい。例え「まぁ最低でも1時間は走らないと効果ないよね」という目標の最低限を満たしただけとはいえ目標達成は目標達成である。なので私は誰に憚られることなく胸を張りたいと思う。よくやった私。今頃腹の肉どもはビクビク怯えていることだろう。


 ノロノロと歩きながら見上げた空は清々しい快晴だった。

 まさにスポーツ日和。気持ちよく身体を動かし気持ちのよい汗をかく。実に健康的だ。


 しかしながら人には限界というものがあるのも事実。

 いくらスポーツに絶好の日和とはいえ、初日だしこの辺がよい頃合だろう。投げ出すのは良くないが無理も良くない。何事もほどほどが一番なのだ。


 私は今にも笑いだしそうな膝を誤魔化し誤魔化しノロノロウォーキングの終点を探った。本音を言えばもうスグにでも投げ出したいのだがいきなり停止するのはマズい。なぜなら歩みを止めたその瞬間。一斉に膝が笑い出すに決まっているのだから。ひょっとしたらその場で崩れ落ちてしまうかもしれない。


 そしてその光景は傍から見ればさぞかし滑稽に見えることだろう。なんせ一番ノロノロ歩いていた奴が死にそうなくらい疲れているのだ。鼻で笑われても不思議じゃない。


 せめて崩れ落ちても不自然じゃないようベンチの近くまでは頑張ろう。

 そう決意した瞬間



 グラリ

 ――と世界が揺れた。



 唐突に大きくバランスを崩し前のめりにへたれ込む。

 常ではないその感覚に思わず声が漏れた。


 「え……?」

 「何だこれは。ハズレもいいところじゃないか」


 まるで返事をするように頭上から知らない男の声が聞こえた。どこか無機質に響くその声は隠しようのない落胆と不満を孕んでいる。平素であればそのぞんざいな物言いに腹を立てていたかもしれないが、この時の私にとっては些事だった。


 私はどうしようもなく混乱していた。


 家を出たのは午前10時過ぎだった。それから1時間のウォーキングをしたから今は昼前のはずだった。天気も良かった。だというのにこの薄暗さは何なのだろう。


 両手をついたままの地面を見つめる。私は舗装されたお堀の周りに居たはずだった。歩くたびにジャリジャリと砂音を響かせていたはずなのに、何故苔むした石畳になってしまっているのだろう。


 そして目の前にある足。恐らく先ほど失礼な発言をした男のものと思われるその足は分厚い金属の板で覆われていた。いや金属の板というよりはまるでゲームに出てくる全身鎧の一部にしか見えない。


 どういうことなのだろう。

 まるで状況が掴めない。


 そんな私の耳に再び男の声が聞こえた。


 「おい女」


 恐らく彼が呼ぶ「女」とは私のことなのだろう。混乱した頭でもその程度の判別はついた。


 ゆっくりと頭を上げ視線を合わせた彼は、先ほど予想した通りゲームでしか見ないような銀色の全身鎧を着込んだ若い男だった。手には抜き身の剣を握っておりその剣先からはポタリポタリと液体が滴り落ちている。あいにく薄暗いこともありその色まではわからなかったが、その色が何色であるか推理するのは非常に簡単なことだった。私はますます混乱した。


 「ここはどこ……?」

 「アルティスの迷宮だ。恐らくお前には分からないだろうがこれ以上説明する気はない。それよりも女。こちらの質問に答えろ」


 アルティスの迷宮。分かってはいたが公園ではなかった。むしろこの状況で公園だと言われたら逆に違和感を感じていただろう。

薄暗い照明。石造りの部屋。そこから伸びる暗い暗い通路。なるほどこれほど『迷宮』という名称がふさわしい場所も他にはないように思える。


 それにこの場所が迷宮であることに疑問があるわけではないのだ。

 私の疑問はもっと別――つまりどうしてそのアルティスの迷宮とやらにいるのだろうか。この一言に尽きた。


 「なぜ私は――」

 うわ言のように漏れた私の言葉を


 「聞いていなかったのか?質問をするのは俺だ。お前じゃない」

 チッと舌打ちをして忌々しそうに吐き捨てた男が遮った。


 その口調があまりに冷たく、そして男から感じる気配があまりに恐ろしかったため私は小さく身震いした。反発する気も起きない。混乱して思考がグチャグチャな私にとって目の前の男はただただ恐怖でしかなかった。


 だから私はこれ以上男の機嫌を損ねないためにも、震える声で男が望んでいるだろう言葉を口にした。


 「な、何が聞きたいんですか……?」


 恐らくこれで正解だったのだろう。相変わらず冷めた視線のままだが男は質問を開始した。


 「何でもいいスキルは使えるか」

 「スキル……?」


 訳が分からなかった。質問の意味も男の意図も何もかも。

 オウム返しに呟くと男は一瞬目を伏せ、それから何事もなかったかのように次の言葉を口にした。


 「手を広げてこちらに見せろ」


 それは最早質問ですらないただの命令だった。

 相変わらず男の考えはさっぱり分からない。しかしだからといって逆らうことも尋ねることも自重すべきなのだろう。そんなことをすれば再び男の理不尽な勘気に触れるのは明白だった。


 私はおずおずと手を広げると精一杯男に向けて腕を伸ばした。

 手のひらに男の視線を感じる。男はジッと見下すように私の手のひらを眺めていたが、数秒もすると再び目を伏せ軽く頭を振った。


 「スキルもなければ、武器を握ったこともないか……」


 男は溜め息混じりに呟いた。その口調は失望やら諦めやらが混じっていてとてもとても疲れた様子だった。

 改めてハァと重々しく嘆息すると男は吐き捨てるように言った。


 「ゴミめ」


 冷えた男の視線に貫かれ


 「え……?」

 私に出来たのは、その短い一言を吐き出すことだけだった。


 「凄腕の火炎魔道士が呼び出せたと聞いて遥々39層まで出向いて来たというのに何なんだこの差は」

 「だから俺は止めようって言ったじゃないか。ハズレばかりだってのは散々聞かさせてただろ?」


 突然聞こえてきたのは別の男の声だった。

 唐突に出てきた(ように思えたが実際には最初から傍にいたのだろう)男は、私を睨みつける男の肩をバシバシと乱暴に叩きながらあくまで軽い口調で続けた。


 「ランダム召喚なんてもんがそもそも博打なんだよ。使えるアタリがそうホイホイと呼び出せるもんかよ。こういう酷いレートのギャンブルには端から手を出さないのが利口だったのさ」

 「それにしても酷すぎる」


 その言葉に後から出てきた男は苦笑した。


 「世の中こんなもんだぜぇ?努力が必ず報われるっていうなら今頃俺は億万長者だ」

 「お前に金を貯める才能はない」

 「ハハハッ!そりゃ違いない。今回の稼ぎも明日には残ってねぇだろうなぁ多分」

 「絶対残ってない」


 片方がひたすら陽気に語りかけ、もう片方がそれを容赦なく切り捨てる。

 長い付き合いなのだろう。とてもではないが和やかとは言い難い空気の中にも独特の気安さが漂っている。そしてその気安さが功を奏したのか、冷え冷えとした男の視線から徐々にトゲトゲしさが減っていった。


 やがて


 「そうだな。戻ろう」

 抜き身だった剣を鞘に収めながら男はハッキリと言い切った。


 その表情は相変わらず険しいものの、恐らくこの表情こそが男の地なのだと思われる。若い見た目にも関わらず眉間に深々と刻まれたシワが何よりの証左だ。


 カチッと小さな音を響かせて納剣した男に向かってもう一人の男が上機嫌に告げた。


 「お。ようやく諦めがついたか。それじゃ急いで戻るぞ!」

 「警戒しながらでなければ危ない」

 「カーッ!つまんねぇこと言うなよ。地上ではたくさんのオネーチャンたちが俺の帰りを待ってんだぞッ!」

 「違う。アイツらが待ってるのはお前の懐にある財布の中身だけだ」

 「金を稼ぐのが男の甲斐性ってもんよ。そんな頼りになる俺だからこそモテるんだろうが!」

 「金があろうがなかろうが掃いて捨てるほど女は寄ってくる」

 「テメェ……俺よりちぃっとばかし顔が整ってるからっていい気になってんじゃねぇぞ……」

 「いい気になっていない。ただの事実だ」

 「よーし上等だ。今すぐ表に出ろ。お兄さんがその綺麗な顔ボコボコにしちゃるから!」

 「お前では無理だ。しかし――」


 そこで言葉を切り男はクルリと踵を返した。

 純白のマントが回転の風に煽られてバサリと広がる。


 「表に出るのは賛成だ。周囲を警戒しつつ迅速に帰還する」

 「いや表に出ろってのはそういう意味じゃ……。あーもう!分かったよ。こんな験が悪い場所とっととおさらばすんぞ!」


 半ばやけくそな口調でそう言うと足音荒く通路へ向かって歩を進める。

 そんな男の後に続くようにぶっきらぼうな口調の男も歩き始めたので、私はあせって声をかけた。


 「あ……あの!」


 私の声に反応して二人の足が止まる。

 そしてこちらを振り返ることもなく、後から出てきた男が苛立たしさ満点の声音で言った。


 「せっかく落ち着けたってのに、掻き乱してんじゃねぇぞゴミが」


 それはこれまでの軽薄な口調とは違う冷え冷えとした響きを持っていた。

 男はカツカツと靴で石畳をノックしながらその底冷えのする声音のまま続けた。


 「二度と口を開くな。そして黙って"処理"を受け入れろ」

 「処――」


 思わず聞き返そうと口を開いた瞬間、喉に狂おしいまでの痛みを感じた。


 「グァッ!」

 「口を開くなと言っただろ」


 痛みを堪えて目を開けると、いつの間に接近したのか軽薄な口調の男が片手で私の喉を掴み締め上げていた。


 あまりに突然すぎて接近されたことにすら気づけなかった私に対処が出来るはずもない。少なくとも5mはあった距離を一瞬で詰めるなど男の行動はあまりにも人間離れしすぎていた。


 男は私の首をギリギリと締め上げたままかったるそうに言った。


 「突然呼び出されて訳分かんねぇとは思うがそんなもん俺の知ったこっちゃねぇ。お前はこのままここで座ってればいいんだ。意思を持つな、疑問を持つな、希望を持つな。もう既にお前の"処理方法"は決定された。それはもう覆らねぇ」


 冷え冷えとした男の目。まるでもう片方の男が見せたような底冷えのする視線に再び身体の奥から恐怖がにじみ出す。


 この時になって私はようやく気がついた。

 どうして彼らが私と接するときだけこんな態度をとるのか、その理由に。


 つまり彼らは――

 「人の役に立たないゴミがこれ以上手間をかけさせるなよ?」

 私を人と認識していないのだ。


 「いくぞ」

 「へいへい。ったく最後までケチのつく探索だったぜ……」


 ぶっきらぼうな口調の男に催促され、おざなりに返事をしつつ軽薄そうな男は私の首から手を離した。支えを失った私の身体はそのまま石畳に崩れ落ち、久々に吸った新鮮な空気に肺が驚いたのかゲホゲホとむせてしまった。


 脳裏に「二度と口を開くな」と言った男の警告が蘇り背筋が寒くなったが、咳が落ち着く頃には二人の姿は部屋のどこにもなかった。


 シンと静まった部屋の中、私はポツリと呟いた。


 「どういうこと……一体何が起こったっていうの……?」


 もちろんその声に答えてくれる人はいない。

 その代わりに望まぬ変化が訪れた。


 「え……何よこれ」

 突然光り出した石畳にしばし呆然とする。


 よく見ると、その光は地面に書かれた大きな丸い模様から発せられていた。大小様々な文字とも記号とも言えない、無数の印が散りばめられた不思議な模様――まるで物語の中で見る『魔法陣』のようなそれはますます光量を増してゆく。


 やがて視界を全て塗りつぶした真っ白な光の奔流の中


 グラリ

 と私は再び世界が揺れる感覚に襲われた。


 身体のバランスを失っただけの1回目とは違い、今回の揺れは脳や魂すら傾がせるほどに強烈だった。


 しかも今回の揺れはこれで終わりではなかった。今にも意識が刈り取られそうな私を


 グラリ

 と、再び全てを攪拌する揺れが襲う。


 「ぅ……ぁぁ……」


 意識が混濁する。


 元々正常とは言えなかった思考がさらに濁り、自分が立っているのか座っているのかすら判断できない強烈な酩酊感に襲われる。そんな私を更なる揺れが襲った。


 グラリ

 と三度襲った強烈な揺れに、今度こそ私の意識は闇に沈んだ。

2015/03/22 字下げ修正

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