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そして、我らは、旅立った

 さていよいよ旅立ちの時である。

 準備は万端。但し不安も満タン。私はジャージについた埃を手で落としながら、密かに緊張していた。


 会議の後。「ソレデハ、早速、行クカ」とノリ気なウォルフに向かって、私は、出発する為にはそれ相応の準備が必要だと反論した。そんな私をチラリと一瞥すると、ウォルフは首を傾げて不思議そうに言った。「何ヲ準備スルノダ?」と。生憎、私は手ぶらである。目に付く持ち物といえば首から下げたデッカいスポーツタオルくらいのものである。故にこの場合、ウォルフの疑問も最もだったのだが、実はこの時、私は、目に見えないところに、のっぴきならない事情を抱えていたのである。つまり


 「あの……早速で悪いんですが、壁に……穴、開けてもらえませんか?」


 そう。「どこを見ても薄汚れた石造り」という殺風景な雰囲気に耐えられなかった私は、せめて花の一輪でもあれば心が和むだろうなと思い立ち、お花摘みを申請したのだった。なんたる女子力の高さであろうか。我ながら自分の「気配りスキル」の高さが怖いくらいである。正真正銘の乙女なのである。当然嘘である。私はのっぴきならない事情を抱えた下腹を手で押さえながら、縋るような目でウォルフを見つめた。


 幸い訴えは了承された。ウォルフはしばらく壁の様子を確認した後、おもむろに壁に向かって猫パンチならぬ犬パンチを繰り出した。ズガァァァンと地響きにも似た重低音を上げ、たった一発の犬パンチでいとも容易く崩落する迷宮の壁。普段であればさぞかし驚いたであろう光景だったが、割と切羽詰っていた私はそれどころではなかった。「あ、ありがとうございます」とお礼もそこそこに、見事にブチ抜かれた横穴に入り込むと、いそいそと本懐を遂げたのだった。


 ちなみに私の名誉の為に言っておきたいのだが、キチンとティッシュを使いましたので、その辺りは誤解の無いようお願いしたい。ティッシュ持参でジョギングするというのはあまり一般的ではないのかもしれないが、花粉症を患っている私にとっては至極当たり前の行為なのである。もちろん花粉症の薬は服用している。しかし何事も100%大丈夫ということはありえないのだ。そういう意味では、我々花粉症患者は常に爆弾を抱えているようなものなのである。そう。いつ鼻からキラキラしたものが垂れ出て来ようと不思議ではないのである。そうなった時、もしもティッシュを携帯していなければ、その後に待っているのは女子力崩壊の大惨事だけなのである。故に我ら花粉症患者にとって、ポッケにティッシュを忍ばせて置くのは春先の常識なのだ。まぁ流石に……まさか見ず知らずの迷宮で、お花を摘みの為に使う事になろうとは夢にも思わなかったが。


 しかし結果オーライである。用心深くティッシュを用意した過去の私よありがとう。そしてそのキッカケをくれた花粉症にも心からの感謝を捧げたいと思う。春が来る度に「スギ絶滅しろ」「ヒノキは全て風呂釜になってしまえ」と呪っていた私が、よもや花粉症に感謝する日が来ようとは、人生とは数奇なものである。


 私は残り9枚になったポケットティッシュをジャージのポッケに大切にしまうと、毛玉さん達に声をかけた。


 「お待たせしました。もう大丈夫です」

 「ますたー、チャント、出タカ?」


 やだもう。何このワンちゃん。デリカシーの欠片もありゃしない。大体、穴の外で控えてたんだから音とか聞こえてただろうに。それとも何か。実は私を辱める為のセクハラなのか。であるならば一言物申さねばなるまい。確かしつけというのは、間違いを起こしたその時が一番効果的らしいし。そう決意を固めたのだが


 「出ガ悪イヨウナラ、我ガ、舐メテヤルゾ」


 という余りにも無慈悲なウォルフの追撃を食らってしまい、私の決意はズタズタにブチ壊れた。知ってる。これあかんやつや。恐らく彼は二つの意味で本気であろう。つまり本気で心配しており、且つ本気で舐める気マンマンという意味である。考えるよりも早く口が開く。私は脊椎反射をも凌駕する超スピードで返答した。


 「出ました。そりゃもう景気よく」

 「ウム、ソウカ。デハ、問題ナイナ」


 あ、危なかった……。


 ギリギリの綱渡りを成功させ、私は安堵の息を吐いた。全く油断も隙もない。フラグを叩き折ったからといって気を緩めていると、いつの日か本当に尻を舐められる展開になりそうで怖い。今後はより一層気を引き締めていかねばなるまい。そもそも子分にシモの心配をされる事自体、親分としての名折れなのだ。今後は、マスターの名に恥じないよう、しっかしと此花ファミリーのイニシアチブを取っていかなければ。そんな事を考えていると


 「デハ、行クゾ」

 と、お猫様2匹を従えたウォルフから声をかけられた。その泰然とした様子は、まさに群れのリーダーと呼ぶに相応しい威風堂々っぷりである。


 そんな超偉そうな子分に対して一体何が言えようか。いや何も言えまい。


 「え……。あ、はい」

 こうして親分気質な子分に先導され、子分気質な親分は出発するのだった。ちょっとだけメゲそうです。




 横並びになったウォルフとレオンを先導に、私はティガに護衛されながら歩いていた。


 家族会議や毛玉会議の甲斐あって十分な休憩をとることができた為、もう足がプルプルする心配もない。いやこの説明では語弊があるだろうか。より正確に言うのであれば――今の私に、足のコンディションを心配する余裕など1ミリたりともありはしなかったのである。


 何このカオス。

 此花ファミリーの往く道は、さながら百鬼夜行の様相を呈していた。


 ドグシャァァァァ!とやけに景気のいい音を立てて地面に沈む謎の物体。続いてダンッ!と床石に着地したウォルフの足音を聞いて、私は今日何度目かも分からない目眩を感じていた。


 「大丈夫カ、ますたー?」


 大丈夫ではない。大丈夫な訳がない。真っ白だった毛皮の一部を真っ赤に染めて首を傾げるウォルフに対し、私は引きつった笑顔を返した。


 「ギシャー!」という恐ろしい鳴き声が聞こえたのが5秒前の事である。そしてフッとウォルフの姿が消えたのが4秒前。後はご存知の通り、奇声を上げて襲いかかってきた『何か』が、ドグシャァァァ!と地面に叩きつけられたのが3秒前で、突然消えたウォルフが足音も高らかに着地したのが2秒前。そうして今まさにウォルフから体調を心配されている訳なのである。最早正気の沙汰ではない。


 な、何なのよコレ……。


 出発からようやく1時間程が経過しただろうか。その間「ギシャー!」やら「グバァー!」やら叫ぶ物体に襲われること7回。いくらなんでも多過ぎであろう。あまりにも頻発する襲撃事件のせいで、私のハートは既にバキベキに折れ曲がっていた。


 「あ、あの……。ここは、いつも、こんなに物騒なんですか?」

 「イヤ、コノ辺リハ、比較的平和ダゾ」


 1時間で7回の襲撃事件が発生する地帯が平和だと?気が遠くなる思いがした。しかもウォルフの言葉を深読みしてみると「他の場所はもっと危ない」という意味にも取れる。「ドラゴンの巣」等という物騒極まりないコースを進む事が決定している我が一行と無関係な話とは思えなかった。その上


 「デモ、狼。普段ヨリ、チョット多クナイカ?」

 どこか腑に落ちない表情でレオンが口にした疑問に対し


 「ウム、ソレハ仕方ナイ。ますたー、トテモ美味ソウダカラナ」

 と、何でも無い事のようにウォルフが答えるのを聞いて、更に血の気が引いた。


 余りの恐怖から、思わず、左前でユラユラ揺れるティガのしっぽをギュッと掴んでしまった。不意打ちになってしまい、ティガには申し訳ない事をしてしまったが、こちらとていっぱいいっぱいだったのである。何かに縋り付いていないと怖くて歩けなくなる気がしたのだ。ティガは「ンガゥ」とか何とか声を上げていたようだが、この際そんなのは些細な問題である。首だけでこちらに振り返り、目をウルウルさせるティガに向かって私は心の中で断じた。


 私の護衛になってしまったのが運の尽きです。

 少々歩き辛かろうが抗議を受け付ける気はないので、悪しからず。と。


 「ますたー……」


 だからそんな切なそうな声を出しても無駄なのである。何を言われようと私はこの手を離す気はないのだ。その決意を示す為に、私はしっぽを握る手に更に力を込めた。すると「ンアグッ」と声を上げて、更にティガが涙目になる。しかしどうやら嫌がっているという訳でもなさそうだ。ティガはしばらくの間、私の顔を見つめたまま歩き続けた。脇見運転も甚だしいが、フラつきもせず真っ直ぐに歩けている事をかんがみるに、彼らにとっては出来て当たり前の事なのかもしれない。ティガはしばらくの逡巡の後、やや遠慮がちに訴えてきた。


 「ますたー、モウ少シ、優シク握ッテクレ」

 「ご、ごめんなさい。でもこうでもしてないと私怖くて……!」


 今となっては彼のしっぽが最後の頼みの綱なのである。故に何と言われようとも手放す気はないのだ。そう決意を固め、「絶対に離すものかッ!」と気合いを入れたのがいけなかったのだろう。思わず身体に力が入ってしまい、更に彼のしっぽをギュッと握り締める事になってしまった。「優しく握れ」と抗議された直後に、この仕打ちである。ティガは鼻から抜けるような悩ましい声音で「ングアァッ」と短い悲鳴をあげた。よくよく見てみるとしっぽの毛も逆立ってしまっている。誠に申し訳ない。しかしこれは不可抗力なのである。平にご容赦いただきたい。


 「ムゥ……ますたー」


 どことなく辛そうな様子でティガがうめく。彼はしっぽの先だけを器用にクネクネ動かしながら、抗議を続けた。


 「俺、狼ト違ウ。シッポ、トテモ、デリケートナノダ。アンマリ強ク握ラレルト、身体、ビクビクスル」


 何それエロい。反射的にそう思ってしまった私はきっと悪くない。


 その余りにも衝撃的なティガのセリフに私はしばし呆然とした。そして気づく。しっぽを掴まれた事に対して、ティガが少しも嫌がっていないという事実に。


 そうなるとだ。あのシットリと潤んだ目は、身体がビクビクしてしまったが為に発生した副次的なものだったのではなかろうか?許容量以上の刺激を与えられて、思わず涙ぐむ男の子。何それスゴくエロい。そういえばウォルフも、しっぽを触られる事に対して嫌がっていなかった。それどころかヤツの場合、自ら、抱き枕として進呈してきてたんだった。つまり巨大獣さんたちって


 「えっと……。別にしっぽ握られるのが嫌って訳じゃないんですか?」


 恐る恐る尋ねると、ティガはコクリと頷いた。


 「嫌ジャナイゾ」


 そうなんだ。そうだったんだ。

 意外な事実を知り一人で納得していると、恥ずかしそうな様子でティガが口を開いた。


 「デモ、俺、狼ミタイニ、シッポニ、毛生エテナイ。ダカラ、シッポ、トテモ、敏感。ダカラ、ますたー、シッポ触ル時ハ、優シク、触ッテクレ」


 どこの生娘なのだ君は。しかもその理屈でいくとティガよりもさらに毛足の短いレオンの場合とんでも事になりそうなのだが……それは気にしたら負けなのだろう。


 「わ、わかりました」


 私は神妙な面持ちでそう同意すると、ティガの言葉に従ってしっぽを握る手の力を緩めた。何せこっちはしっぽを「握らせてもらっている」立場である。しっぽの所有者が「力を緩めろ」と言うのであれば、その要望に答えるのは当然の事なのだ。これでティガの希望通りになったはずである。にも関わらず


 「…………」


 ティガがものスゴく微妙な表情で見つめてくるのは、一体どういった理由があっての事なのだろうか。

 どう見ても嬉しそうには見えないのだが、一体何に不満があるというのだろうか。


 まるで「あ、本当に緩めちゃうのか……」と言わんばかりなのだが、よもや「嫌よ嫌よも好きのうち」みたいな意味で言ってた訳ではあるまいな。予め断っておくが、いかに悪女レベルが上がろうと、嫌がる毛玉さんに対して「良いではないか、良いではないか」とか「口じゃ嫌だと言ってるが、身体は嫌だとは言ってねーぜ?」みたいなセクハラを迫ったりはしませんからね私。嫌だと言われたらスッパリ諦めますからね私。


 暫くの間、そんな微妙なティガの視線を浴びながら私は歩いた。ひたすら歩いた。しかしいつまで経ってもティガは微妙な表情で私を見つめるばかりだった。やがて


 「ムゥ……。ますたー。モウチョットダケ、強ク握ッテイイゾ」


 少し照れながらこんな事を言われたのだが、私はどうしたらいいのだろうか。根拠など何もないが、どうもティガが現在進行形で道を踏み外している気がしてならない。危ない刺激に憧れる男の子というか、未知の刺激に興味を示すエロ男子というか。今のティガからはそういう類の危うい雰囲気を感じるのだ。であるならば少々荒療治となるが、いっその事開き直って「ちょっとじゃないでしょ!力一杯ギュッってしてほしいんでしょ!」とでも言いながら、渾身の力で握り締めてやるのもいいのかもしれない。流石にそこまで徹底的にやればティガも嫌気が差して大人しくなるだろう――いや、果たしてその程度で大人しくなるのだろうか?私の胸裡に言いようのない不安が広がった。何だかんだ言っても毛玉さん達の順応性はすこぶる高いのである。であるならば、案外すんなりと刺激にも慣れ「ますたー、シッポ、ギュッテ、握ッテクレ」と纏わり着いて来るようになるのではあるまいか。それは何として避けたい。私はティガを説得することを心に決めた。


 「私は今くらいの力で十分満足してますから、気を遣ってくれなくても大丈夫ですよ。気持ちだけ受け取っておきますね。ありがとうございます」

 「ムゥ……。ますたー、満足シテルノカ」


 「はい。ティガがしっぽを貸してくれるお陰で、とっても心強いです」

 「ソウカ。ジャア、俺、言イ方変エル」


 「え……?」


 嫌な予感がした。そしてそれは瞬く間に的中した。

 ティガは少しだけ視線を伏せると、それはそれはよろしくない事を宣ったのである。


 「ますたー、俺、モウチョット、強ク握ッテ欲シイ」


 それは、どストレートな訴えだった。

 今やもう「優しくして」と恥じらっていた彼はどこにも居ないのである。


 しかしながらダメだ。それはダメなんだよティガ。その扉はまだ君には早い。開けちゃいけない扉なのだ。だから、お願いだから、そんなキラキラした眼差しをこっちに向けないで。


 さてどう言って諦めさせようか。

 ティガの健全な明日を守る為、私は無い知恵を振り絞った。


 少々頼りないかもしれないが、こう見えても私は毛玉さん達の親分なのである。つまり壮絶に道を踏み外しかけている子分がいるのならば、何としても救ってやらねばならないのである。しかしそんな私に対して運命はどこまでも残酷だった。


 「グギャーーーーーーッ!!」


 曲がり角の先から奇声を共に飛び出て来たのは、全身から角やらトゲやらを生やした黒い『何か』だった。そしてそれは、ティガをどう説得しようかと考え込み、すっかり警戒を忘れてしまっていた私を混乱させるには十分なインパクトを持っていた。


 つまり、唐突に現れた8匹目の襲撃者を目の当たりにした私は


 「きゃーーーッ!!」


 と悲鳴を上げると共に、身体中に力が入ってしまったのだ。当然ティガのしっぽを握ったままだった左手も例外ではなく、その結果


 「ングォァァァァッ……!」


 全力で握り締めてしまったしっぽへの刺激に耐え兼ねてティガが叫んだ。流石に強すぎたのだろう。彼は眉根を寄せ苦悶の表情を浮かべていた――のだが、何故だか目だけはシットリと濡れ、見ようによっては、どこか爛れたような熱が篭っているようにも見える。つまり、もう、どうにも手遅れのようなのだ。


 ごめんなさいティガ……。


 少しだけ大人の階段を昇ってしまった可愛い子分に向かって、私は心の中でそっと侘びたのだった。




2015/3/22 字下げ修正

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