Ⅷ
もし夏海が俺のことを「嫌いだ」と言ってくれたなら、今度は俺が夏海のことを「好きだ」と言えるだろう。
どちらかが一定の距離を保たなければ、壊れてしまう。
どちらもが近付こうとしてしまったなら、いくらでも距離は近付いてしまう。
一つ屋根の下で暮らし続けている、兄妹なのだから。
「俺のこと待ってばかりいないで、ちゃんと彼氏でも作れよ。可愛い夏海なら、良い人がたくさん見つかるに決まっているし」
「嫌です。そもそも、夏海が彼氏を連れて来て、お兄ちゃんは嫌じゃないんですか? 夏海は、お兄ちゃんが彼女を連れて来たら、すごく……耐えられないくらい嫌で堪りません」
本当に羨ましいくらい素直な人だ。
夏海は、どこまでも素直に、俺に気持ちを伝えてくれる。
釣り合いを取る為に、どれほど俺は自分の気持ちを隠さなければならないのだろう。
いつまで兄のような顔をしていろと言うのだ。
「ありがとうな。俺も夏海が彼氏のところへ行くのは寂しいよ」
「え?」
「……それじゃ、今日はもう休むよ。なんだか、いろいろと分からないことがあって、頭が混乱しそうなんだ」
「お兄ちゃ……」
引き留めようとしてくれていたが、俺が背を向けたなら、夏海は何も言わないでいてくれた。
「本当にごめんね」
小さく聞こえないような呟きで、彼女にそっと謝って、部屋に戻るとそのまま眠ってしまった。
頭がズキズキするようだった。
何かが、辛かった。
頭が痛いのだけれど、痛いのは、頭だけじゃないような気がした。
そんな気が……。
大人になっているような、無邪気なばかりじゃない夏海の姿を見るのが、俺は何よりも辛いんだろうな。
妹の成長が嬉しくない訳がないのに、最低な兄なのかもしれない。
良い人の仮面を被って、本当に俺は最低の兄なのかもしれない。
それならば、この良い人のふりだけでも、するのをやめられたなら。
またはこの最低を抜け出して、って、そっちは出来たら苦労しないって話だよな。
今より更に仕事に向き合って努力したなら、全力で挑んだなら、少しは夏海にも近付けるだろうか。
兄として、妹の背中を追うような行為、何があっても避けたいものだけれど。
仕事の場では先輩として、堂々と夏海を仰ぐことが出きる。
やはりそう考えたなら、逃げ道として用意するのは悪いことだろうが、夏海と俺とで向き合う為には、仕事上での先輩後輩という関係が良いのだろう。
家にいるときに、兄としての俺と妹としての夏海とで会話をするのなら、夏海が俺に頼る形になる。
それが兄妹というものだから、そうなる。
けれど仕事場にいるときは、後輩としての俺と先輩としての夏海とで会話することになるのだから、今度は俺が夏海に頼る形になる。
スタジオにいるときだけは、そうすることが出来るのである。
ただし兄妹の二人とは違うように思えて、少し苦しくもあるというのが現実だが。




