ⅢーⅥ
その後は夏海も特におかしなことを言い出しはせず、恐怖の電話が掛かってくることもなく、突然に父さんが帰ってくることもなく、平凡な日が続いた。
仕事もたまに入るけれど、それだってもう、平凡と言えるくらいになってしまったし。
相変わらず夏海は大きな役を持っていて、俺はエキストラ感覚で出演させて貰う。
そういえば、唯織さんと会うこと自体が、少なかったような気もするな。
避けられているのだろうか?
ショコラティエでの活動は今までどおりなのだけど、あまり夏海が同行させないのだ。
しかし唯織さんが俺を避けるにしても、それを夏海には知らせないと思うが。
だから彼女の方から、俺を連れてくるなと、夏海に言うことはないと思うんだ。
「ねえねえお兄ちゃん、発売が近付いている訳ですけれど、大丈夫ですか?」
関係ないことを考えていたのだが、俺が俯いているのを近付くCD発売のせいだと思ったのか、気遣うように夏海が声を掛けてくれた。
CDが発売されたなら、手渡し&サイン&握手会を行うらしかった。
自分でサインを考えるのは、あまりに恥ずかしかったので、サインのデザインは夏海に考えて貰ったものだ。
俺でも書けるくらい簡単なもので、丁度良くオシャレなものを夏海が作ってくれた。
しかし実際に書くのは初めてで、序盤の人のものは、下手になってしまうんだろうなと思う。
「そんなに緊張しなくても大丈夫です。それでももし不安なら、夏海が傍で寄り添っていましょうか?」
まだ一か月も先の話だし、緊張をしていなかったのだが、夏海に言われたことにより、急に意識して緊張してしまう。
そんな俺の様子を見てか、夏海は本当に心配そうにしてくれる。
こういった寄り添いの言葉は、下心の少しもない、夏海の優しさを感じられて良い。
忙しい夏海を巻き込む訳にはいかない。
夏のイベントは駄目だったが、今度のイベントは、俺の力だけでやり遂げたいと思うんだ。
夏海ファンはがっかりするかもしれないけれどね。
「ううん、大丈夫。それに、夏海は最近、長期のレギュラーが取れたんだろ。ますます忙しくなるんだから、自分の方を大切にしな」
少しずつ入れては貰っているものの、夏海に比べたら、俺の仕事量なんてないようなもの。
なのに学校の予習復習が厳しくなっているくらいなんだから、夏海の方は、勉強をする時間なんてほとんど取れないだろう。
空いた時間で勉強して、良い成績を一生懸命にキープし続けていることを知っている。
そんなただでさえ忙しい夏海に、無理なんてさせられないだろ。それに、俺の為になんて。




