ⅢーⅢ
「お兄ちゃん、八時ですよ。起きて下さい。もう八時ですよ」
体を大きく揺さぶられて、目を覚ました。
けれどまた眠気に襲われて、体を動かす気にもなれず微睡む。
「お兄ちゃん! 起きて下さいよ、お兄ちゃん! このまま不用心にも寝顔を晒し続けるおつもりなら、夏海が襲っちゃいますよ? それでも良いのですか?」
遠くで夏海の声がする。
ああ、そうだ。勉強をしていたのだけれど、休んだ方が良いということになって、少しここで眠っていたのだった。
まさか布団でもベットでもあるまい、ここまで眠ってしまうとも思わなかった。
襲うだとかいう、物騒なことを言っているものだから、俺はなんとか意識を手繰り寄せる。
「すっかり眠ってしまったよ。夏海、ちゃんと時間通りに起こしてくれて、ありがとうね」
時計を確認すると、八時十三分を指していた。
夏海のことだから、きっちり八時ぴったりに起こしてくれたことだろう。この十三分は、俺が起きずにいるうちに経った時間だろう。
彼女は、俺が寝ている間にも、ずっと勉強をしていたんだ。
そして勉強の途中だったろうに、俺が八時に起こしてくれと言ったから、八時から俺が起きるまでずっと、起こしていてくれた。
「当然です。お兄ちゃんが夏海にお願いをしてくれることなんて、あまりありませんから」
本人はなんでもないことかのように言うけれど、誇らしくもあり、自分が恥ずかしくなるくらいに立派な妹だ。
頼ることが少なくなるのは、兄としてのプライドだよ。単純に、兄として妹に頼る、情けない存在ではありたくないというのもある。しかしそれだけでなく、夏海はあまりに真面目であまりに優秀なものだから。
彼女は努力を知っている。だからこそ、上へ登れるのだ。
その完璧さが、反対に俺は怖いのかもしれないな。本当につまらないプライドだ。
それともう一つ。夏海に甘えることを知ってしまったら、俺はもう、自分じゃ何も出来なくなってしまうと思う。
きっとそうしてくれと頼めば、分担なんてしなくたって、夏海は家事を全て熟してくれるだろう。そうしないのは、怠惰が染み付かないようにする為だ、そうなんだろう。
「夏海、ありがとうね」
理由は分からないけれど、俺はもう一度、彼女にお礼を言った。
今日のことばかりではなくて、今までのありがとうも含まれているのだろう。
不思議そうに夏海は首を傾げるけれど、その表情は嬉しそうで、それを見ていると俺も嬉しくなるのであった。




