おそいブレックファースト
「ドッツル、赤ん坊を洗え。リドッカはザウリーの拘束具を外せ。ギフレンは新しい藁を持ってこい」
ペリザーがテキパキと指示を出す。最大の危機は乗り切ったものの、油断をするわけにはいかない。一見、上手くいったように見えても、赤ん坊や親竜が突然死んでしまう事は稀にではあるが報告されている。幸い、このドンペリドン牧場ではそのような事態に陥った事はないが、手抜かりは許されない。
拘束具が解かれたザウリーの診察をするドンゴル。赤ん坊も心配だが、あれだけ元気な産声を上げたのだ。とりあえず不安はないだろう。それよりも、かなりの長い間苦しみ続けたザウリーの方に介意しなければならない。
産道はもちろん、ドンゴルは母竜の目や舌、内蔵の触診を丹念に行った。せっかく助かった命なのだ、後はゆっくり老後を過ごさせてやりたい。ドンゴルは今まで11匹も子供を産んできたザウリーを優しくいたわった。
母擬竜に問題がないとわかり、続いて赤ん坊の診察に取りかかろうとした擬竜士ドンゴル。赤ん坊を洗っているドッツルの方へ行こうとしたその時、
「わぁ、かわいい!元気な男の子だね!」
童魔士の顔から一転、普段のじゃじゃ馬娘にもどったラネリーが、生まれたばかりの赤ん坊のそばに駆け寄った。
「生まれたての擬竜の坊主。お前や、おっかさんが無事でいられたのも、このワンパク童魔士のおかげなんだからな、感謝しなよ」
赤ん坊を洗うのを手伝っていたペリザーが、我がことのように自慢する。
「もう、ペリさん。今時、ワンパクなんて言わないよ。っていうか、ペリさん。赤ん坊に夢中で、私の事、すっかり忘れてたでしょう」
ラネリーが嫌みっぽくペリザーを指さした。
「え?そ、そんな事はないぞ、今回の立役者はなんといってもラネ嬢だからな。わ、忘れるはずないじゃねぇか、ハハ、アハハハ……」
かつては格闘兵としてならした厳つい男の言いわけは、ミットもないというよりも微笑ましかった。周りの擬竜士たちからも、笑いがもれ出る。
「バ、バカヤロウ!おめえら笑うんじゃねぇ」
照れ隠しに必死な五十路の擬竜士。
「ラネリー、具合はどうなんだ」
後ろからドンゴルが尋ねる。彼だけは赤ん坊が生まれた直後から、片目でラネリーの様子を絶えず伺ってた。なんのかんのいっても父親である。
「はい!童魔士ラネリー、全くの無事であります!」
おどけた表情で敬礼をするラネリー。先ほどの苦しげな様子が嘘のようだ。
「いや、ほんとに大丈夫かラネ嬢。結構やばい感じに見えたけどな」
ペリザーが心配そうに聞いた。
「うん、本当に何ともないよ。ペリさんがザウリーの無事を確認したのをたしかめて、髪の毛に貯まっていた治癒の魔法を自分自身に使ったの。だからもう、元気いっぱい無敵の子よ」
ラネリーは両手を腰に添え、どんなもんだいとばかりにそっくり返った。普段の顔は、まだまだ16の子供である。
「さあってと、一仕事終えたからゆっくり朝ご飯でも……。って、なんか忘れているような気が……」
ラネリーは頭を傾げ、しばし記憶の糸をたどる。
「あーっ!ゆっくり出来なーい。ヤバイ、完全に遅刻よ遅刻。今日は早めに出勤するよう、店長に言われてたのにー!……って事で、みなさん、あとはよろしくー!」
呆気にとられる擬竜士たちを後目に、ラネリーは一目散に家の方へ駆け出した。
「あらあら、いそがしいこったなー。一番の功労者が最初にいなくなっちまうなんてよ」
ドッツルと一緒に赤ん坊を洗いながらペリザーが笑う。
「みんな、いっとくけどな。ラネリーをあんまり褒めるんじゃないぞ。アイツはすぐにツケアガるからな。わかったな。ペリさんもちゃんと頼むよ?」
ドンゴルが擬竜士たちに睨みを利かせる。
「とかなんとかいって、本当はラネ嬢の活躍が嬉しいんじゃないの、ドンさん。素直に喜んだらどうなのよ?」
ペリザーがニヤニヤしてドンゴルをからかう。
「な、なにいってるんだ。あの程度、童魔士としては当然さ。特に誉められるようなこっちゃない」
頑固で知られる擬竜士の顔が、わずかに赤らんだ。
「ふーん?無理しちゃってぇー」
ペリザーがいっそうニヤニヤする。
「あー、もう、うるさい、うるさい!ほら、みんなも早く仕事仕事。赤ん坊が冷えては良くないぞ。体を拭き終わったら、さっさと草藁に移す!」
嬉しさを誤魔化そうとする父親の言動に、みな笑うのを必死にこらえながら、擬竜士たちはそれぞれの役割にいそしんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……。何で竜舎からウチまでこんなに離れてるのよ……。兄さんの代になった絶対近くに建て直すべきよね」
生命の誕生した神聖な場所から、やっとの思いで家の裏口にたどり着いたラネリー。その小さな肩が大きく上下動している。
「あー、こんな場所でノンビリしていらんない」
ラネリーはもつれた足を引きずりながら、上へと続く階段を昇り始めた。朝御飯をゆっくり食べている時間はほとんどないだろう。かといって、いまだ育ち盛り真っ最中の彼女に朝食抜きはかなり辛い。
手すりにへばりつくように二階へ到達すると、母ミリューが呑気に声をかけてくる。
「あら、ラネリー。お産の方はどう?もう、終わったの」
母の問いかけに答えることなく、ラネリーは、テーブルにあった自分の麦茶を一気に飲み干した。
「あー、生き返った。じゃ、トーストの残りをっと……」
食べかけのパンに手を伸ばしかけた時、四十歳とは思えない白魚のような手が、ラネリーの右手をピシャリとうった。
「痛っ!なにすんのよ、母さんてばっ」
寝間着姿で髪もグシャグシャに乱れた少女が文句を言う。
「なにすんのよじゃ、ありません。竜舎へ行ってきたんでしょう?だったらチャンと手を洗いなさい!コップだけならまだしも、トーストを手掴みなんて、母さん許しませんよ」
ミリューが言うことはもっともだ。しかし、寝不足と竜舎での疲労と遅刻へのプレッシャーが重なったラネリーは、不機嫌この上ない状態である。
「もうっー、ちょっとくらい、いいじゃない。ね、このままじゃ遅刻しちゃうよ」
再びトーストに手を伸ばそうとしたラネリーだったが、そこで二度目のピシャリ!
「だめったらだめ。おなかを壊して泣くのはあなたの方なのよ。ちゃんと手を洗いなさい」
これ以上の抵抗が無意味だと悟ったラネリーは、渋々、洗面所へと向かう。
「全く、見た目は若いけど、中身はやっぱり40歳の口うるさいオバさんなんだから……」
ブツクサ言いながらも洗面所に到着したラネリー。ふとイヤな予感におそわれて、正面の鏡を見上げる。果たしてそこには母の姿があった。満面の笑みを浮かべたハーフエルフの母の姿が……。
「あ、ご、ごめんな……」
ラネリーが謝る間もなく、背後に立つミリューの両こぶしが、娘のこめかみにしっかりと押し当てられた。そして中指の関節を中心に、微笑みを浮かべたままの母の両手が不気味に回転し始める。
「イターイ!いたいよー、ごめんなさい、ごめんなさい、もう言いません。オバさんなんて言いませーん、やめてー」
母の定番おしおき攻撃のなか、娘は必死に哀願する。
「”オバさん”だけじゃないでしょう?口ウルサいっていうのはナーニ?ラネリーちゃん」
比較的ゆっくりだった一速回転から、より回転率の高い二速へと手首の輪転が加速する。
「ごめんなさい、ごめんなさい、口うるさいとかも言いませーん!」
娘の悲痛なごめんなさいのあと、悪魔のこぶしはゆっくりと停止する。
「よろしい。誓いを忘れないようにね」
怒濤の回転攻撃が終わり、ミリューは台所へと戻っていく。
「全く、暴力ママなんだか……」
と言いかけて、ラネリーは思わず口に手を当てた。そうーっと台所へ目をやるラネリー。どうやら母には聞こえなかったようである。
心の中で母への抗議を繰り返しながらも、ラネリーは言いつけどうり手を洗い、念願のチーズのせトーストをほうばった。
「で、ザウリーの方はどうだったの?」
何事もなかったようにミリューが尋ねる。
「うん、それがさぁ……」
ラネリーの方も、同様に答える。一度解決したことには頓着しない、似たもの母子の二人であった。
「……って、いうわけよ」
自分が活躍した部分を多少おおげさに脚色したラネリーの講談が終わる。
「それは大活躍だったわね。ところでお店の方は大丈夫?」
「あーーーーーーーーーー!」
デザートのオレンジもそこそこに、三階の自室へかけあがるラネリー。
母さんたら、自分が話を聞きたいから遅刻のこと、わざと黙ってたな。着替えながらそう思ったが、全ては後のまつり。まぁ、自慢たっぷりに話し続けたラネリーの方にも責任がないでもない。
「えっと、あとは……」
着替え終えたラネリーが、机の引き出しから髪留めのリングを二つだした。次に彼女は右頭頂部の髪を束ね、リングの一つに通す。するとリングが収縮し、ちょうどよい大きさに収まった。それと同時に束ねられた髪の方にも大きな変化が現れる。