擬竜の出産
ラネリーたちが住んでいる建物から竜舎までは200メートル弱。全力疾走するには苦しい距離だ。だがドンゴルはそれをものともせずに走り抜けていく。かつて竜兵として鍛えた体は四十半ばの彼を今でも支えていた。
他の擬竜牧場では、もう少し近い所に住居を構えるのが普通である。しかし擬竜があまり人と接しすぎると、戦闘時に支障が出るというのがドンゴルの持論だ。主になる人間とは親密な関係を持ちながら、他人には決して気を緩めない。それが戦闘生物として育てられている擬竜の理想型だと彼は考えていた。
ドンゴルとギフレンが竜舎に着くと、擬竜士頭でもあるペリザーが三人の擬竜士と共に出産間近のザウリーを押さえつけている。拘束具を使用しているとはいえ、人一人を乗せて自由に空を駆け巡る力を持った擬竜を組み敷くのは容易な事ではなかった。普段ならパートタイマーのアシスタントが4~5人いるのだが、折り悪く早朝の出産であった為、もう一人の経営者ペリザーとドンゴル、正式な擬竜士4人に見習いのギフレンを加えても、合計5人しかいなかった。
「ペリさん。どんな具合だ」
さすがに息の荒くなったドンゴルが尋ねる。
「あぁ、ドンさん。ちょっとやばいなぁ。産気づくのが早すぎる。まだザウリーの方で準備が出来ていないのに、赤ん坊が出ようとしてるんだ」
ドンゴルの共同経営者であるペリザー・ゼドスが額の汗を拭った。彼はドンゴルより5歳年上の50歳。20年前、ドンゴルと共にこの牧場を開いた背の高いガッシリとした男である。経営者ではあるが、現在は家族と離れており、この牧場の従業員宿舎に寝泊まりしている。ドンゴルが全幅の信頼を置くベテランの擬竜士だ。
「ギフレン、なに突っ立ってるんだ。さっさとこっちへ来て押さえるのを手伝え!」
ペリザーの怒号が飛ぶ。
「は、はい……!」
裏返った声で返事をした少年が、慌てて擬竜の背中を押さえにまわった。彼にとっては初めての経験なのだ。オロオロしてしまっても無理はない。しかしペリザーは容赦なかった。普段はおやじギャグを飛ばして皆を笑わせる彼であったが、こと擬竜に関しては妥協する事がない。彼の厳しい指導の末、辞めてしまった擬竜士見習いの数は十指に余る。
しかし決して理不尽な要求ではないので、擬竜士の才能に恵まれた者はその意図をきちんと理解し彼につき従っていた。その結果、優良な擬竜士だけが残る事になり、このドンペリドン牧場が小規模ながら一目置かれる理由の一つになっている。
「……確かに。これは危ない状況だ。厳しい選択を迫られるかも知れない」
雌擬竜の産道をチェックしたドンゴルがつぶやいた。一同の顔に緊張が走る。ただ一人ギフレンを除いては。
厳しい選択。それは親竜か赤ん坊のどちらかを犠牲にする事を意味している。ギフレン以外の擬竜士たちは、ドンゴルの一言にその意味を即座に理解したのだった。
「ドンさん、どうするよ」
ペリザーが共同経営者の顔をのぞき込む。雌擬竜のザウリーはもうかなりの歳だ。この先、子供を産む事はないだろう。それならば親竜を犠牲にして……。誰もがそう思ったが、ドンゴルは暫し迷った。
確かに理屈はそうだ。でも、それでは擬竜を子供を産む道具としてしか扱っていない事になるのではないか。この動物を単なる戦闘の道具としては考えていない、彼らしい発想だった。
「ドンさん、あんたの気持ちも分かるが、ここはやはり赤ん坊を優先して……」
盟友であるペリザーの言葉に決心を固めたドンゴルが、その老竜の命を剥奪するための道具に手を伸ばし掛けたその時。
「どうなってる!? もう生まれた?」
息せき切ったラネリーが竜舎の入り口にようやくたどり着いた。みな一斉にラネリーの方へ顔を向ける。異様な雰囲気に一瞬固まるラネリー。その彼女にペリザーが語りかける。
「ラネ嬢、来たのか。……だけど来ない方が良かったよ。ザウリーはもう駄目だ。赤ん坊を助ける」
ラネリー嬢ちゃん。昔はそう呼ばれていたが、いつからか短縮されてラネ嬢と呼ばれていた。そのペリザーの一言で事態を把握したラネリー。
「ちょっと、それってザウリーを殺すって事?どうして!どうしてよ!」
走り疲れ、まだガクガクしている膝で、ラネリーは命運の尽きかけようとしている擬竜の側へ駆け寄った。
「来るな!素人が余計な口を出すんじゃない!」
擬竜用の医療道具を手にしたドンゴルが叫ぶ。その悲痛な声にたじろぐラネリー。
「でもそんな、だめよ。そんなの絶対だめよ!」
何が起こっているのか、何故そうしなければならないのか。事情が全くわからない彼女はただそう言うしかなかった。
「ラネ嬢、聞き分けておくれ。赤ん坊があんまり急いで外へ出たがるんで、ザウリーはメチャクチャ痛がっている。このままじゃ苦痛に耐えかねて死んじまうんだ。そうすると子宮が急激に収縮して赤ん坊も死んじまう。こうなったらザウリーの腹を一気に切って、赤ん坊を取り出すしかないんだよ。でもラネ嬢も知っての通り、下腹部は擬竜の泣き所だ。腹を割いて生き残れるもんじゃねぇ」
ペリザーは諭すように言った。これが他の擬竜士だったら、殴ってでも黙らせただろう。しかし、生まれた時から娘のように接してきたラネリーには、ついつい甘くなってしまう。
その時、擬竜が悲痛な唸りをあげた。
「よし、切るぞ。しっかり押さえててくれ」
覚悟を決めたドンゴルが指示を出す。
「まって!暴れなければいいんでしょう。痛がらなければいいんでしょう!」
ラネリーが父とペリザーの間に割って入る。
「どけ、邪魔をするな!」
苦渋に満ちた目がラネリーを見据えた。
「ラネ嬢、どういうことだ。何か考えがあるのか」
ペリザーがラネリーの背後から尋ねる。
「治癒の魔法よ。私がこれからザウリーにそれをかける。そうすれば痛がらなくなるわ。その間に子供を産ませれば……」
「魔法?魔法だって!?」
擬竜士見習いのギフレンが素っ頓狂な声で叫ぶ。意外な展開をまるで理解できないようだ。
「半月前に来たお前は知らないだろうが、ラネ嬢は童魔士なんだよ」
先輩の擬竜士リドッカが、ギフレンの耳元でささやいた。
そう、ラネリーは童魔士なのだ。正確に言えば「魔法使用許可者・第二種」の資格を持っている技術者という事になる。一年前、皆学舎を卒業した時に取得したものだ。略して「魔可二種」をもっている者は俗称として「童魔士」と呼ばれる。魔可一種を取得している「魔法使い」より限定的とはいえ、一般に通用する魔法はひと通り使う能力があり、またその使用を法的に認められている。
「なに?しかしそんな……」
切開用のメスを握ったドンゴルの手が止まる。
「いや、だめだ。そんな事は無理だ。第一、擬竜に麻酔は効かないんだぞ」
決断を鈍らせた父が、娘の目を凝視する。
「ドンさん、可能性はあるぞ。確かに麻酔は効かないが、治癒の魔法は麻酔とは違うんじゃないか。俺の見立てじゃ、あと10分か15分くらいは大丈夫だ。試してみる価値はある!」
即座に頭をフル回転させるドンゴル。多少の余裕はあるにしても、早く処置した方が成功率は高い。しかしそれは哀れな雌擬竜を無惨に殺す事に他ならない。経営者としては甘いのかもしれないが、ドンゴルはどうしてもその考えを捨て去れなかった。そしてペリザーは娘の提案を支持している。彼がラネリーに甘いのは知っているが、こと擬竜に関して全く可能性のない提案を受け入れるほど緩い男ではない。
「……よし、試してみろ。だが、少しでもうまく行かない兆候が見えたら直ぐに開腹するぞ」
「はい!全力を尽くします!!」
昔のラネリーなら、”うん、一生懸命やる”と答えていただろう。しかし、父が許可したその瞬間から、ラネリーはプロの童魔士として、同じくプロの擬竜士ドンゴルと向き合ったのである。