これって恋のはじまりかな? 2
中学高校と私立の女子校の被服科に通い、そのままエスカレーター式で付属の女子大の被服科に進んだ私は、就職もそのまま問題なくできると思っていた。大学四年の冬までは――……
小さい頃から子供服のデザインをするのが夢で、大手子供服のアパレルメーカーに就職するのが希望だったのだけど、履歴書を送っても書類審査で落とされ、ようやくこぎつけた面接でもことごとく落とされて、それでも諦めずに何十社にも履歴書を送った。デザイナーが無理なら販売員としてでも子供服に関わる仕事をしたいと思って面接を受け続けた。でも……
落とされ続け、大学三年の秋から始めた就職活動期間は一年が経ち、周りがどんどん内定をもらう中で、私は戦線離脱した……
私のなにがダメなのだろうか……
きっとなにかダメな理由があるのだろうけどその理由が分からなくて、悩んで眠れない日が続いて。もう考えるのも疲れちゃって、もういいやって思っちゃった。
中学から大学まで私立に通わせてくれた両親には、ちゃんと正社員として就職して、初給料でいままでの感謝の気持ちをプレゼントで伝えようって思っていたのに。
もうなにもかもがどうでもよくなってしまった。
年が明けて卒業制作も終わり、制作物や課題で忙しかった大学生活の終わりを目前に控えた二月、このままじゃだめだよねって思った。
派遣も考えたけど登録とかなんか面倒だと思ってしまう私の性格には合わなさそうで、家から近いところでアルバイトを探し始めた。
暇があればネットや無料の求人誌を見ては、カフェのバイトは制服が可愛くていいかなとか、テレアポは座り仕事だしお給料高くていいかなとかも思ったんだけど、やっぱり気になるのはアパレル関係のバイトだった。
やっぱり……、服の仕事がしたいなぁ……
そう思った時、目に留まった求人広告に私はすぐに応募した。
『ラビットクリーニング★クリーニングスタッフ募集★未経験者大歓迎!!』
クリーニング屋さんはお母さんに頼まれて時々行ったことがある程度だったけど、クリーニング店の受付じゃなくて工場スタッフというのに興味を惹かれた。
制作の時、まず必ずやるのがアイロンがけで、どんな生地だってアイロンしてからパターンを切り出す。縫合の途中でもアイロンは大活躍。
クリーニングやしみ抜きなんかも授業で習って、結構実践的にやったことがある。
大学で学んだことを役立てられるんじゃないかと思った。
応募はメールでとあり、私はすぐにメールを送ると間を空けずすぐに返信が来た。
『○月×日に面接を行います。 採用担当 紅林』
採用担当と書かれた名前を私は心の中で呟いた。
紅林さん――……
大学中もバイトはしていたけど、“面接”という単語に緊張感が押し寄せてきた。
数日後、指定された日時に、勤務地であるラビットクリーニングの工場本社に出向いた。
そこはどこにでもあるような五階建ての鉄筋コンクリートのビルで、外観は水色のタイルが張られた清潔な印象だったが、どの階の窓も開け放たれ、そこから湯気がもくもくと吐きだされていた。
応募した後に、ネットでクリーニング工場のアルバイトについて調べてみたら、立ちっぱなしで重労働とか、ライン作業だから時間に追われて大変って書いてあって、ただでさえ面接に緊張していたのが不安も覆いかぶさって、私の心臓は壊れそうなほどばくばくとうるさく鳴っていた。
私は勇気を振り絞って本社ビルに一歩を踏み入れ、事務所になっている五階に向かった。
エレベーターを降りるとすぐに事務所の扉が開いていて、私は軽く開け放たれた扉をノックしてから室内に一歩を踏み入れた。
「おはようございます、あの~」
顔をのぞかせながら言うと、入ってすぐのデスクに座っていた強い癖のついたアッシュベージュの男性がぱっと振り返って立ち上がった。
「ああ、宇佐美さん?」
「はいっ、宇佐美ですっ」
立ちあがった男性はかなり身長が高くて、身長百四十八センチしかない私は間近で見上げる形になって首が痛かった。
だけどそれよりもなによりも驚いたのがその端正な美貌だった。夜空を切り取ったような吸い込まれそうな黒い瞳、彫像のように整った輪郭と鼻筋、微笑を浮かべた唇は艶やかで色気が漂っている。思わず見とれてしまうような美貌をまじまじと見上げてしまう。
男性はすっと瞳を細めると口元に薄い微笑を浮かべて、奥のパーテーションで区切られた方を指す。
「こっちにどうぞ」
低くかすれた声が甘く耳に響き、ぴくりと肩を震わせる。
うっわぁー、なんて破壊力抜群に色気のある声なんだろう……
こういうの、バリトンボイスっていうのかなぁ。なんて甘く心に染み入る声なんだろう。
そんなことを考えながら男性についていくと、パーテーションの奥は大きな会議用の簡素な楕円形の机が置かれてあり、その周りに椅子が八脚あった。
その角の椅子の一つをひいて視線で座るように示すと、男性はその斜め向かいに座った。
「失礼します……」
緊張から震えそうになる声で言い、お辞儀してから座った。
斜め向かいといってもすぐ隣で、直角に向かい合うような恰好だった。
メールのやり取りで持ってくるように言われていた履歴書を取り出し、おそるおそる差し出す。
「お願いします」
「ああ」
隣に座った男性は相槌を打って履歴書を受け取った。広げて私の履歴書を見て、くすっと笑った気がした。
「紅林です」
言いながら名刺を差し出され、私は両手で恭しく受け取り机の上に置いた。
この時の私は完全にテンパってて、名刺をじっくり見る余裕なんかなかった。ただ、この目の前に座ったあまりの美貌を持った紅林さんが、メールのやりとりをした採用担当の人だということだけは分かって、緊張しながらも紅林さんの質問に答えるのが精一杯だった。
面接が終わった時は頭の中が真っ白で、なにを聞かれてなんと答えたのかさっぱりだった。
面接に落ち続けたトラウマからか、この面接もダメだぁー……って、帰り道はこの世の終わりのような落ち込んだ気分で帰ったことだけが記憶に残っている。
合否の連絡をすると言われた当日、受信ボックスにラビットクリーニングからのメールを見て、どきんっと心臓が飛び出しそうなほどびくついてしまった。
きっとダメだろう……、そう思いながらもどこかで受かっててほしいという希望も捨てられなくて、私は恐る恐る震える手でマウスを操作して受信メールをクリックした。
『選考の結果、採用が決定いたしましたのでご連絡申し上げます』
その文字を見た瞬間、私は思わずパソコン画面に張り付いてしまった。
「うそっ!?」
あまりに信じられなくて、思わず声に出してしまう。
それからもう一度ゆっくりとメールを読み直し、間違いでないことを確認した。
半分以上無理だって諦めていただけに、私の驚きは尋常じゃなかった。
受かったことに驚いたけど、アルバイトでもとりあえず仕事が決まって、心配している両親を安心させてあげられると思って安堵した。
こうして大学生活を残り一ヵ月残した私は、なんとかアルバイト先を見つけることが出来たのだった。
※
そうして、ラビットクリーニング勤務初日――……
面接の時に簡単に工場内を案内してもらい作業内容を教えてもらっていたが、実際にどんなことをするのかは分からないまま、クリーニング工場に向かった。
指定された時間に本社五階の事務所に行くと、採用担当の紅林さんともう一人若い男の子がいた。
長身の紅林さんよりは低いけど、それでも結構背が高い方だと思う、なんといっても紅林さんは男性の中でも背の高い方だと思うから。
入ってきた私に気づいた若い男の子にぺこっとお辞儀され、私も会釈を返す。彼の動作でこっちを見た紅林さんが私が来たことに気づいた。
「ああ、おはようございます、宇佐美さん」
「おはようございます」
「いまタイムカードのやり方を説明していたとこだから宇佐美さんもこっちにきて」
そう言って手招きされ、私は若い男の子と紅林さんがいる方へ近づいた。
それから、彼が私と同じ期間に求人募集に応募してきて採用された難波君だと紹介された。
ちらっと工場を案内してもらった時、年上の人ばかりそうだなって思ったけど、難波君とは年が近そうで安心した。
それから難波君と一緒に従業員に挨拶するために工場内を一通り周り、それぞれ指示された持ち場に向かった。
私は四階で包装をメインに担当することになり、包装担当の中須賀さんという六十代くらいの白髪交じりの年配女性が指導役だと紹介され、彼女から教わりながら作業をすることになった。
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
すでに忙しそうに働いていた中須賀さんは手を動かしたままちらっと視線を私に向けた。その視線がなんだか威圧感たっぷりで鋭くってどきっとするが、私は笑顔を浮かべてもう一度頭を下げた。
第一印象が大事だよね。
従業員は明らかに両親より年配の人ばかりだけど、近くに祖父母が住んでいて交流があるから、年配の人ばかりでもそれほど抵抗はない。
うん、なんとか上手くやっていけそう。
そう思ったのはその時点までだった。
包装はクリーニングし終わった衣装だけでなく、ホテルのシーツや布団、シャワーカーテン、はては下着なんかもあって、こんなもの家で洗えばいいのに……なんて思うものもあってビックリしてしまった。
そして、作業はただ包装すればいいってものでなく、空気を入れないように機械で包装しなければならなくて、ぴっちりすぎてもダメだし、余裕がありすぎてもダメ。
シーツや布団にいたってはそれぞれ畳み方があって、まずタグが見えるように畳まなければならないし、工場にある包装袋に入る大きさに畳まなければならなくて。その袋もSS、S、M、L、Wなんてあって、ちょうど良い大きさの袋を見分けなければならないから大変。
コインランドリーにあるような巨大な乾燥機から出てきた毛布を中須賀さんと二人がかりで畳む時も、中須賀さんは瞬時にその毛布をどの袋に入れるからこの大きさに畳まなければならなくて、だからこういう畳み方、っていうのを判断して、「次はこうっ!」っててきぱき畳み方を指示する。
「こっちはこう持ってっ!」
「それはまだっ!」
バイト初日数十分の間に、すでに何回、中須賀さんに怒鳴られたことか……
まあ、私ができないから仕方がないんだろうけど、始めてやることで分からないことだらけなんだから、そんな怒り口調で言わないでもいいのに……
っと、ちょっと心が挫けてしまいそうになる。
でも。
あたふたと包装機に毛布を詰めようとしていたら。
「はじめてなんだからゆっくりでもいいからっ!」
そう言った中須賀さんの言葉は皮肉でもなんでもなくて、本当にはじめてなんだからそんな焦んなくていいよって言ってるふうに聞こえて、ああ、って悟る。
中須賀さんは別に怒ってるわけじゃなくて、そういう高圧的な口調が普通なんだって。きっと性格がせっかちなんじゃないかな。私が新人で出来ないのは分かってるけど、ついイライラするっていうか。
他の人と話す時も怒り口調なのを見て、中須賀さんはそれが普通なんだって割り切ることにした。
そりゃあ、怖いしビクビクしちゃうけど、毎回気にしてたら身が持たないっていうか。
そう割り切って、頑張ることにしたんだ。




