恋が実るための秘密のレシピはあるのかな? 7
「これ、昨日忘れていったぞ」
「えっ?」
水洗いが終わった洗濯物を三階にあげにきた暁ちゃんに声をかけられて振り返ると、暁ちゃんがポケットに手を突っ込み何かを取り出して差し出した。手のひらをのぞきこむと、小さな花の形のピアスが乗っていた。
「えっ、うそ。ごめん、ぜんぜん気づかなかった」
それは昨日私がしていたピアスだった。
「昨日はちょっと飲みすぎたかな、お互い」
「そうだね~」
私も暁ちゃんもお酒好きで、割かし強いから二人で飲みに行くとついつい飲みすぎてしまう。
私はお酒に強い方だけどいっぱい飲むと眠くなるたちで、昨日は家に帰った後の記憶があまりない。いつもお風呂入る前にピアスは外しているけど、あまりの眠さにピアスがないことにも気づいていなかったみたい。今朝は眠すぎて起きるのが時間ぎりぎりになってしまい、ピアスをつけている余裕もなかった。
「ほらっ」
そう言いながら手をこちらに突き出して受け取るように視線で言うから、手を伸ばしてピアスを取ろうとしたらつまづいてしまい、つんっと触れた指先がピアスを床に転がしてしまった。
「ああー、たくっ」
呆れたため息をつきながら腰をかがめてピアスを拾ってくれた暁ちゃんは。
「ほらっ」
さっきと同じ言葉なのに、今度はにやにやしながら言う。
「つけてやるよ」
言うのとほぼ同時に、暁ちゃんが腰をかがめて私の耳元に顔を近づけて、ピアスをつけてくれた。
あまりに突然のことでびっくりしてしまったけど、明らかに子ども扱いされたのが分かって、唇を尖らせる。
「まったく、うさちゃんは器用なのに不器用だね~」
「悪かったわねっ」
そう言いながら二人視線を合わせて、ぷっと噴き出した。
「ありがと。また飲みに行こうねっ! 暁ちゃんが酔いつぶれるとこ見てみたいし、飲むと笑い上戸なのは分かったけど」
「お前なぁ~」
からかわれた腹いせにからかい返したら、頭を腕で抱えこまれてぐりぐりやられた。
暁ちゃんは工場長ほどじゃないけど身長が高くて、身長百四十八センチの私はすっぽりと腕で頭をおおわれてしまう。
そんなふうにじゃれあっていたら。
「宇佐美さん、暇そうだね」
ぽんっと肩をたたかれて、耳元で甘くかすれたバリトンボイスでささやかれる。振り返ると、微笑みを浮かべたその表情は爽やかなのに瞳が笑っていない。
工場長の背後に吹雪が見えたのは……、気のせいだと思いたい。
「お喋りしているなら、これお願いね」
言い方は丁寧なのに有無を言わせない威圧感たっぷりに工場長が言った。その手には大量の衣装……
「なんか、おっかないから退散する……」
笑顔をひきつらせながら、暁ちゃんが小声でささやいてさっさとフロアを出ていってしまった。
うわーん、裏切り者ぉ……
工場長がにっこり笑顔を浮かべてこちらを見ていて、その逆らえない迫力に私は頷くしかなかった。
「は、はい……、わかりました……」
私は渡された衣装を受け取って、自分の持ち場に戻った。
アイロン台の横のパイプハンガーに渡された衣装をひっかけ、手前から引き寄せてアイロンをかけていく。
ふんわりとアイロン台に広げ、皺がなくなるように手でしっかり平にしてから、シューっと蒸気をあげながらアイロンをかけた。
正確に、かつ迅速に作業を行いつつ、ふっとさっきの工場長のことを思い出す。
暇そうなそぶりをちょっとでも見つかると大量の仕事を押しつけられるのはいつものことだし、大量といってもちゃんと私がこなせる量しか渡さない工場長の的確な采配を知っている。それに、さっきは暁ちゃんとふざけていたのは本当だから仕事を押しつけられても文句はない、んだけど……
なんか工場長の雰囲気がいつもより怖かった。
いつもは背後で誰かが花びらや光の粉をまいているのだと聞かされても納得してしまいそうな麗しい雰囲気なのに、さっきは雪が吹きすさんでいるような凍りつきそうな雰囲気だった。
顔が笑顔だっただけになおさら怖く感じた。
でも、それは気のせいではなかったらしい……
お昼休憩を済ませ、自分の担当分のアイロンがけが予想外に早く終わってしまった私は包装の手伝いに四階に上がったんだけど……
「なにかやることありますか?」
今日はもともと中須賀さんがお休みの日で工場長が包装機の置かれた作業台で伝票をチェックしていた。
作業台の上には包装待ちの畳みの衣装が山積みになり、机に乗りきらずに作業台の横に置かれたリスボックスの中にもまだ包装されていない衣装がたくさん入っていた。
工場長はアイロン作業をしながら合間に伝票チェックや包装をするので手が回っていないのだろう。
これを包装した方がいいんだろうな、とは思いながらも指示を仰ぐために声をかけた。
「これ、包装しますね」
あまりに工場長が忙しそうなので、私は自分から仕事を見つけて作業台を回って包装待ちの衣装に手を伸ばそうとしたら。
「いいです、触らないでっ!」
「…………っ!」
工場長はこちらを見ようともせず、静かだがわずかに声を荒げた。私は反射的に伸ばしかけた手を素早く引っ込めた。
普段穏やかな工場長が張り上げた声に、同じフロアで作業していた高安さんと塚本さんがなにごとかとこちらに視線を向けた。
だが、工場長はちらりとも私を見ようとはしない。
私という存在自体を拒絶するように向けられた背中に、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「わ、かりました……」
なんとか絞り出した声は、ほとんど掠れていて自分でも聞き取れないほどだった。
私はそのままゆっくりと踵を返してフロアを出ると、一気に階段を駆けおりた。
込み上げてきそうな嗚咽を堪えて、強く唇を噛みしめる。
タイミングよく、三階に戻るとすぐに江坂さんに声をかけられ、「これお願いね」と頼まれた衣装を持ってアイロン台に向かい、黙々と作業をする。
やることがあるのが今は救いだった。
なにもすることがなければ、きっと涙が溢れてきていただろう。
すっかり体に染みついたアイロン作業は、次の動作を考える余裕がないくらい呆然としていても正確無比に動かされていく。
なんか、私したかな……
工場長が声を荒げたとこなんて初めてみた。工場長が怒鳴りたくなるくらい、私はなにかをしたのだろうか……
考えても考えても理由は見当たらなくて、頭がずきっと痛みだす。
なんか、嫌だな……、この感じ。前にも知ってる……
脳裏に浮かんだのは、高圧的な物言いをする中須賀さんの姿だった。
中須賀さんにこちらの言い分を聞かずに頭ごなしに怒鳴られていた頃を思い出して、胃がチクチクと痛む。
工場長は中須賀さんみたいに訳もなく怒ったりしないのは分かっているから、自分になにか落ち度があったのだろう。でもいくら考えても工場長がなぜ怒っているのか分からないから、余計なさけなくなる。
まだここで働き始めて半年ちょっと。分からないことの方が格段に多い。気づかないうちになにか工場長に迷惑をかけてしまったのかもしれない。
とにかく、これからは失敗しないようにいつも以上に気をつけないと。まずはいまやっている仕事をちゃんとこなさなきゃ!
そう決意した時、ずきんっとさっきよりも大きな痛みが頭に走り、眉根を寄せる。
くらっと眩暈に襲われ、次の瞬間、視界が暗闇に飲み込まれた――……




