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love it  作者: 滝沢美月
1便
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これって恋のはじまりかな? 1 



 作業の手を止めずにちらっと視線を上げると、くるくると癖の強い髪を後頭部でまとめた工場長の後姿が見える。髪色はアッシュカラーで窓から差し込む日差しを受けて透けるようにキラキラ輝き、艶めいている。

 十三時に店舗に届けなければいけない分のチェックをしている工場長は、真剣な表情で伝票と鉄レールにつられている品物のタグとを交互に確認していた。

 工場長に思わず見とれてしまっていることに気づき、私はぷるぷると首を左右に振って自分の作業に意識を持っていこうとする。

 だって、工場長は思わず見とれてしまうほど格好いいんだから仕方がない。

 まず壮絶に顔がいい。天使もかくやとばかりに整った顔立ち。癖の強いアッシュヘアーは艶やかで、星空を切り取ったような吸い込まれそうな黒い瞳、微笑みを浮かべた唇に漂う色気。そしてなにより素晴らしく魅惑的な声をしている。少しかすれた甘い声。そんな声で耳元で囁かれたら……腰が抜けてしまう。破壊力抜群の声の持ち主。

 だけど、仕事をしている時の真剣な表情に一番惹きつけられてしまう。

 工場長から離れた場所で作業している私はもう一度だけ、と作業をしながら視線を工場長に向けた。

 瞬間、こっちを振り返った工場長と視線がばっちりぶつかってしまった。


「ん? 宇佐美さん、なに?」


 言いながら、口元に微笑みを浮かべた工場長がつかつかと私の方に歩いてくるから、私は内心で絶叫する。

 いやぁー、こっち来ないでくださいぃ……

 私は作業していた作業台を回って工場長から距離を取ろうとしたけど、しょせんそんなに大きくない作業台だからぜんぜん距離は稼げないし、コンパスの違いなのか、工場長はあっという間に私の目の前に立っていた。


「俺の顔に何かついてる?」


 腰をかがめながらかすれた甘い声で言い顔を覗き込んでくるから、私は慌てて後ずさる。


「なっ、なにもついてないです。ってか、工場長のことなんて見てませんよっ!?」

「そうかなぁ~」


 そこで言葉を切って、工場長はちらっと流し目で見る。


「……視線感じたんだけど?」

「そっ、それは、保管のチェック大変そうだなぁって思って……」


 自分でもどもりすぎて挙動不審だとは思うけど、間近に端正な顔が迫ってきてドギマギするし、破壊力抜群の甘い声で尋ねられて、平静ではいられない。


「大変だって思うなら、手伝う?」


 屈めていた腰を伸ばして手を当て、ふぅ~とため息をつきながら物憂げな表情を浮かべてとんでもないことを言った工場長に、私は間髪入れずに反論する。


「なっ、に言っちゃってんですか……、さっき私に『暇そうだからこれお願い~、ちなみに十三時の分だから』とか言って大量に押しつけたの、誰ですかっ!?」

「え~、誰かね? そんな極悪非道上司~?」

「うぅ……」


 間の抜けたような口調で言い、邪気のないにこにこ笑顔を向けられて、私は言い淀む。

 誰もなにも、工場長じゃないぃ……っ!!!

 って叫びたかったけど、私はぐっと我慢する。

 だって、今はこんなこと言ってる場合じゃない。


「もう、あっち行って保管チェック続けてくださいぃ!! 私はこの量をあと三十分で仕上げなきゃいけないんですからぁ~っ」


 涙混じりで叫び、私は手元の作業に集中する。

 そうなんだよ、もう十三時までに三十分もないし、包装する時間も考えたら……

 考えただけで恐ろしくて、私は作業スピードを上げるべく、作業に全意識を向けた。



  ※



 なんとかギリギリで十三時の配達便のドライバーに商品を受け渡して、私は、遅めの昼食をとるため休憩室に向かった。


「はうぅ~~……」


 脱力しきって息を吐きだし、休憩室の机に突っ伏した。

 休憩室といっても、工場本社ビル五階の事務所の奥のパーテーションで区切られているところで、楕円形の長机と椅子が八脚置いてあるだけ。

 ここは接客にも使われるんだけど、ほとんど来客なんて来ないから従業員の休憩スペースも兼ねている。

 ほとんどの人が十二時から一時間の休憩をとっているから、さっきまで休憩室でご飯を食べていた従業員は私と入れ違いで仕事に戻っていき、休憩室にはいま私しかいなくて、情けないため息もつけるというわけ。

 私はだらりと机に体を投げ出して、横を向いて頬を机につけ瞳を閉じた。

 疲れすぎて、食欲ないなぁ……

 このまま休憩時間いっぱい寝ちゃおうかなぁ……

 そう思ってまどろみに落ちかけた時。


「お疲れさま~」


 低く心に染み入るバリトンボイスに、私の心臓は飛び出しそうになった。


「――っ!?」


 飛び起きて振り返ると、パーテーションを越えて工場長がこっちに来るところだった。


「あれ、宇佐美さん、寝てた?」

「いえっ、寝てませんよっ!」


 慌てて否定する。だって、寝ようとしてたなんて知られたら、工場長のことだもん、絶対からかってくるんだから。


「へぇ~、そうなんだぁ~」


 全然そうは思っていない軽い口調で言いながら工場長はにやにやとこっちを見る。私はちょっとむっとして、唇を突き出した。

 否定してもからかってくるんだから、たちが悪いのよ、この人。


「俺も休憩なんだけど、隣いいかな?」


 そう言って仕出し弁当をささげて見せるから、私は丁寧な言葉で、でもちょっときつめの口調で言う。


「どうぞ、隣以外もいっぱい空いているので」


 八席あって私と工場長だけなんだから、わざわざ隣に座らなくてもいいじゃんって、はっきり言ったつもりなんだけど……


「じゃ、失礼して」


 そう言った工場長は、ちゃっかり私の隣の椅子を引いて座るんだから――、嫌になる。

 私は露骨に嫌な顔をして、それから、あまり食欲がなくて食べるつもりのなかったお弁当を目の前に寄せて広げると、食べ始めた。

 もちろん、工場長に話しかけられたりしたくないから。

 ご飯を食べてるから話はできませんって無視を決め込もうと思ったのに。

 隣で仕出し弁当を広げて食べ始めた工場長が物欲しそうな瞳で私のお弁当を覗き込んでくる。


「いつ見ても宇佐美さんのお弁当は美味しそうだね~」

「いちおう家政学部出身なので」


 っといっても、家政学部被服学科で食物学科とはカテゴリー違いなんだけど。


「お裁縫も上手でお料理も上手なんて、いいお嫁さんになれるねぇ~」

「褒めてもあげませんよ。ってか、その仕出し弁当だって十分美味しそうじゃないですか」


 私は工場長の言葉に被さるように早口で言って、さっさとお弁当を食べ始める。

 もちろん、こんなことで工場長が黙るなんて思ってないけど。


「え~、ここの弁当、味が濃いんだよねぇ~、それにレパートリーも少なくて食べ飽きてきちゃった」


 じゃあ、違うお店で注文すればいいのに。

 っと思っても突っ込まずに黙々とお弁当を食べ続ける。


「今日の服、着ぐるみみたいだねぇ~」

「着ぐるみじゃありません」


 お弁当が食べ終わった頃、工場長の一言に私は即座に切り返した。


「うさ耳ついてるから、うさぎの着ぐるみみたい」

「パーカーの帽子に耳がついてるだけで着ぐるみじゃないです」


 にやにやしながら頬杖をついてこっちを見ている工場長。

 かんっぺき、私の反応を見て楽しんでるよ、この人。

 そうは分かっていてもつい反論してしまった自分がなんだか悔しい。


「昨日もうさぎ柄のシャツ着てたよね~?」

「うさぎ柄じゃなくて、うさぎのワンポイント刺しゅうです」

「どうしてセーターその色にしたの?」

「いいいじゃないですか、赤が好きなんですっ」


 今日の私の格好は、黒の綿パンツにVネックの赤の薄手のセーター、その上に黒に近いグレーのパーカーを羽織っている。

 赤いセーターを着たのはただ何となくで、うさぎ耳つきのパーカーだってただ寒いから羽織ってきただけだ。

 一応は全体のバランスとかは見てるけど、そのアイテムを選んだ理由なんてないから聞かれても困る。


「じゃー、その靴は……」

「もー、ほっといてくださいよっ。工場長が人のファッションチェックに厳しいんですけどぉー!!」


 切り返しても切り返しても質問攻めにしてくる工場長から助けを求めるように、椅子の背もたれから大きく上体をそらしパーテーションの向こうに顔をのぞかせる。

 すると、事務の牧野(まきの)さんが座ったまま椅子をくるっと回転させて振り返った。

 パーテーションで仕切ってあっても、会話は筒抜けで聞こえていたからか、牧野さんがくすくすと苦笑してる。


「工場長がファッションに厳しいのはうさちゃんにだけだよ~」


 軽い口調でそう言うと、またくるっと机に向き直ってしまった。

 うぅ……

 ちなみにうさちゃんというのは私のこと。

 苗字が宇佐美(うさみ)だから宇佐ちゃん。

 クリーニング工場で働く人達は年齢幅が広いんだけど、みんな仲良くてあだ名で呼び合うことが多い。

 牧野さんが言うとおり、工場長はやたらと私のファッションに興味を持って質問攻めにしてからかってくる。

 確かに工場長はお洒落だけど、私のファッションだって別に突っ込みたくなるほどおかしくないと思うんだけど、なぜか工場長は私のファッションには手厳しい。

 これでも被服学科を卒業しているから、おしゃれや流行には敏感だし、ダサくはないと思うんだけど……

 私は工場長の質問攻めに閉口してしまう。

 ってか、もう寝たふりでスルーしてしまえっ!

 そう思うが早いか、私はがばっとパーカーを頭から目深にかぶり、机に突っ伏して昼寝の態勢に入った。

 もちろん私をからかうことに命をかけているんじゃないかっていう工場長は、パーカーのうさ耳を引っ張ったり、いろいろ話しかけてきたけど、完全に無視を決め込んだ。

 工場長の甘くかすれた声を子守唄にだんだん薄れていく意識の中で、ここに来た時のことを思い出した。

 大学進学した時はまさかクリーニング工場で働くなんて夢にも思ってなかったこと。

 偶然見つけた求人広告。

 もう、この人と出会ってから半年が経とうとしているのか――……




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