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「はいはい、何なんですかこんな朝早くから……って、はい? お城の? ……は? ちょっと、待ってくださ……何、何!? 私そんなの知らないんですけどー!?」
“伝説屋”に奇妙な客が来たその翌日、ルヴァは久しぶりの全休を家でのんびり過ごそうと暖かいベッドの中にいた。城勤めは意外と厳しく、特に仕事がないときでも訓練には参加しなければならない。丸1日休みになることなど滅多にないのだ。よって今日はとても貴重な休日なのである。ところがそこへ慌しい足音と玄関のドアを叩く音がして、しまいには彼の母親が大きな声で息子の名を呼んだ。
「何……?」
寝ぼけ眼のまま居間に顔を出せば、そこには息を切らせた友人の姿。いつもは身だしなみに大層気を遣うネビが軽く上着を羽織っただけの格好でルヴァを睨んでいた。
「大変なことになった!」
開口一番にそう言われてルヴァもいささか目が覚める。ネビがこのように慌てていることは珍しく、情報収集を生業とすることから考えても何か異常事態が起きていることは間違いないだろう。何? とルヴァがごく短く問い掛けると、ネビはこれまた短く「理乃が逮捕された」と答えた。
「……逮捕ぉ!?」
ルヴァは思わず素っ頓狂な声を上げる。これにはさすがにはっきりと目が覚めた。
「どういうことだよ、それ!」
「店で盗品を扱ったとかで……」
「まさか、そんなことあるわけ……いや、物が物だから万が一ってことはあるかも知れないけど」
何せうさんくさい“伝説”の品々を扱う店だ。店主である理乃の父親はあくどいことはしない人だと思っているが、それでも不安は残る。仕入れに際して騙されることだってないではない。
「だからって……理乃が仕入れしてるわけじゃないだろ」
「近所の人の話じゃ、いきなり兵士が10人くらい来て引っ張っていったらしい。理乃本人は知らない知らないぎゃーって喚いてたって」
「早速聞き込みしてきたのか……そりゃあ喚くだろうな……」
それにしても兵士10人とはただ事でない。おそらく理乃を連行した後で店の中を調べたのだろう。そこでもし盗品が出てくれば、どうなるか。
「……なんか、もしかしてすごくヤバいことになってるんじゃ……」
「だからルヴァ、ちょっと出勤して調べてきてよ。さすがに俺も城の中までは行き届かないからさ」
「……そういう用事か」
どうやらネビは初めからそれを依頼するためにやってきたらしい。とは言え、ルヴァとしても友人の危機にただ黙っているほど薄情ではいられない。すぐに疑惑が晴れて放免されるならそれでよし、万が一何かの間違いで盗品が見付かった場合には多少なりと弁明の手伝いをすることも厭わないつもりだ。何をするにもまず情報が必要、というネビの判断も正しいと思う。
ルヴァは急いで身支度を整えると、愛用の槍を持って城へ向かった。ネビは一旦自宅に戻って情報をまとめたいということなので後で落ち合う約束をして別れる。
ルヴァの城での仕事は少し特殊で、普段は一般の兵士同様見回りやその他の雑務と訓練を並行して行なっているが、時に王から直接の指令を受けて国の外に出向き情勢を探るなどの任務に就くことがある。これは彼の家が槍と共に代々受け継いできた役目で、ルヴァも10代の前半から何度か旅に出ていた。そういうわけなので彼は王と直接言葉を交わした経験もあり、城の中では顔が利く方である。他の兵士でも牢番でも、ある程度の情報は教えてくれるだろう。
そんなことを考えながらルヴァが城の前に辿り着いた、まさにその時だった。突然城の中で大きな破裂音が3度続けて鳴ったかと思うと、右手の窓から薄く白煙が上がる。そして城の中では兵士達が慌てて走り回る気配。ルヴァは何が起きているか事態をよく飲み込めないまま、とりあえず城の中へと飛び込んだ。
途端に見知った顔の若い兵士に呼び止められる。
「ルヴァ先輩!」
「あ、キト。何があったんだ、これ?」
「分かりません。東棟で爆発か? って一報でみんな動いているんですが」
「東棟って……爆発するような物はないだろ」
「はい。にしてもルヴァ先輩、早いですね。今日非番なのに、もう駆けつけたんですか」
「いや、俺は別の用で……」
そう言ってからルヴァは自分が何の用事で城へ来たのかを思い出した。
「キト、今朝盗品を取り扱ったとかで通りの“伝説屋”の店員が逮捕されたんだろ? 今どうなってるか分かるか?」
「え? 何ですかそれ」
きょとん、とする後輩兵士。どうも本当に何も知らないらしく、仕方がないのでルヴァは引き下がった。理乃はまだ城にいるのか、それともすでに放免されているのか。せめてそれだけでも知りたいところだが、それにはまず状況が分からないことにはどこに行って調べていいかも分からない。
東棟へ向かう後輩兵士を背に、ルヴァは兵士の詰め所へと向かうことにした。そこならばきっと事情を知っている者がいるはずだ。しかしその思惑は見事に外れてしまった。
誰も理乃が逮捕された件について知らなかったのだ。朝早くから城に詰めていた者がほとんどなので誰かは知っていると思ったのだが、誰もが「何それ?」という顔をしてルヴァを睨んだ。今はそれどころじゃないだろう、と言いたげなのがよく分かった。つまり、どういうことなのだろうか?
ルヴァの胸に焦りが生まれる。ネビの情報が誤っていたと考えるのが最も楽観的だが、そうあって欲しいと願うが、しかし一方で彼の情報が信頼に足ることは長い付き合いの中でよく分かっている。ではもしかすると何かややこしい事態になっているのではないか。そんな懸念が頭をもたげて、不安が頭をかき乱した。
「……行ってみれば、はっきりするか」
行き先は口にするまでもない。逮捕された後は普通兵士の詰め所で尋問か、とりあえず仮牢に入れておくものだ。詰め所にはもちろん理乃の姿はなかったので、もしいるとすれば牢屋ということになる。友人が鉄格子の向こうにいる姿など想像したくもなかったが、確かめなければならない。
ルヴァは爆発があったと思われる東棟とはちょうど反対の西棟地下にある牢屋へと向かった。しかしそこでまた思わぬ事態に遭遇する。牢屋の入り口では何故か厳戒態勢が敷かれ、大臣の許可を受けた者でなければ中に入れないようになっていたのだ。いくらルヴァの顔が利くといってもこのような場合にまで特例として扱ってもらえるほどではない。しまいには番をしていた兵士から槍を向けられ、ルヴァはたじろいだ。
「……何があったっていうんですか?」
「爆発の詳細が判明するまでは牢も閉鎖だ。脱走の恐れがある」
「こんなことは今までありませんでしたよね」
「だから厳重に警備をしている」
「何かおかしくないですか?」
「そう思うならとっとと現場に行ったらどうだ、ルヴァ=ターチェル! お前の仕事はここにはない!」
全く埒が明かない。ルヴァは舌打ちでもしたい気分だったが、何とかこらえてその場から引き下がった。情報が手に入らない。爆発の方も気にはなるが、今は他の兵士のほとんどがそちらに急行しており、非番の彼が行っても邪魔になるだけだろう。それよりも理乃の方が問題だ。となるとここは一旦戻ってネビと合流するべきだろうか。
「何なんだよ、一体……!」
状況の変化についていくことができずにいる自分がもどかしかった。しかしこの様子ではほとんどの者が今何が起きているのか分かっていないようだ。それだけでも非常事態といえるが、それにしてもあまりに訳が分からない。
思えば2年前、先代の王とその1人息子である王子が西方の視察先で不慮の事故のために崩御して以来、城の中は少し雰囲気がおかしかった。ルヴァの仕事も減り、兵士達は王都に留まる時間が多くなった。何も関わりなどないと思うのだが、こういうときは悪い想像ばかりするものだ。もしも面倒な事態になったら、と思うと気が重くなる。ましてやそれが友人に累の及ぶところとなれば。
ルヴァは食いしばった歯の間から長い溜め息を漏らしつつ、城の高い天井を仰いだ。
執筆日2011/04/23