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7x2 -Willful Chronicle-  作者: 雪山ユウグレ
第1話 風の日に針の音
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3

 シュルスとの握手の後、するりと外された手に残るのは柔らかな温もりではなくやはり硬い皮の感触だ。鍛えて皮の厚くなった手の平はあまり温かくないものだと、理乃は以前聞いたことがあった。

 シュルスは興味深そうにひとつひとつ商品を見ている。旅人なら護身用の武器くらい持ち歩いていてもおかしくないが、帯剣はしていない。理乃と同じ年頃の少年としては決して大柄な方ではなく、どちらかと言えば華奢な体格をしているためにむしろ小柄に見える。武術の心得があるようには思えなかった。他に手を鍛えるような職業は何があったかと理乃は考えてみるが、例えば山仕事や畑仕事、港の荷運びなど手だけでなく全身を使うような力仕事しか思い浮かばず、そのどれもが彼には似合わない気がする。あの人形のようななりで斧を振るって山仕事、などミスマッチ以外の何物でもないではないか。

 一方で彼がいるだけでこのガラクタばかり並べたような店の中がどこか神秘的な、妖しげな魅力を持った場所に見えてくる。力仕事よりは魔法使い向きだ、と理乃は勝手な判断を下した。

 やがてシュルスは棚にあった小さな箱を手に持って、理乃のところまで戻ってくる。

「これはどういう物ですか?」

「はい、ええと……」

 それは西方の樹海で採れた一種の魔石だった。含まれる魔力は少ないが、緑と青、金色と様々な色が混ざり合った美しい石である。そして “伝説屋”の売り物なのでもちろん伝説にまつわる品である。


 昔々、この世界ができるよりも前の話。

 そこには今とはまったく別の世界があった。その世界には2人の姫がおり、1人は青い瞳を、もう1人は金色の瞳を持っていた。青い瞳の姫は全てを愛し、金色の瞳の姫は全てを疎んだ。

 ある時緑の瞳を持つ魔物が金色の瞳の姫をさらって世界の果てに逃げてしまった。青い瞳の姫は全てを愛していたので、緑の瞳の魔物と和解しようと世界の果てに赴いた。

 しかし全てを疎んだ金色の瞳の姫は魔物と共に世界を滅ぼそうとした。そこで青い瞳の姫は全てを守るために自分と金色の瞳の姫と緑の瞳の魔物を1個の石に封じ込めた。


 それがこの石――というわけである。理乃の説明にシュルスは興味深そうに頷く。

「不思議なお話ですね。どうして青い瞳の姫は自分ごと封印してしまったんでしょう?」

「さぁ……可哀想に思ったんでしょうかね? 金の姫と緑の魔物を」

「優しい姫だったんですね。……これ、いただきます」

「あ、はい。ありがとうございます。……軟らかいので取り扱いに気を付けてください」

「え?」

「樹脂なんですよ、それ。西の樹海の翠琥珀です」

 伝説の真偽はともかくとして、珍しい品には違いない。西方の樹海にしか生えない木の樹液からできたこの琥珀は透き通った緑色をしており、まるで宝石のように珍重されるのだった。シュルスは改めて琥珀を眺め、満足そうに目を細める。

「メルテコナの翠琥珀……話に聞いたことはありましたけど、こんなに美しい物なんですね」

「魔石としてはそこそこの魔物除けになりますよ。あと、地魔法との親和性が高いので媒体にも向いています。あ、鑑定書取ってくるんで少々お待ちください」

 店長代理として客への応対をこなしながら、理乃は確かに浮かれていた。メルテコナの翠琥珀は店の商品の中でもかなり高価な部類に入るいわば“本物”であり、しかしその取り扱いの難しさから旅には向かないということで店主の行商荷物に入らなかった一品なのである。そんな品物がまさか売れることになるとは。しかもこんな綺麗な子に……とは理乃の勝手な感想である。

「はい、鑑定書と箱です。ええと、7万ルブリ……ですけど」

 少し心配だったのがこの価格である。珍重される翠琥珀の中でも更に様々な色合いの混じったこれは地元でも滅多に取引されることのない品だと聞く。決して法外な値段ではないのだが、それでも一介の旅人にはなかなか手が出せない額ではないだろうか。しかしそれでも理乃はシュルスを上客と踏んでいた。何故なら彼のまとう黒い外套は東の大陸の小さな村でしか作られていない高級な古代織だったからだ。店長代理として、それくらいの目利きはできるのである。

 理乃の懸念を知ってか知らずかシュルスは僅かのためらいもなく外套の内側から財布を出すと、6万9千ルブリをカウンターに置いた。理乃が訝しげに見やると彼は困ったように微笑む。

「すみませんが、ちょっと手持ちが足りなくて……残りはこれで、というのはいけませんか?」

 そう言うと彼は同じく外套の内側から青い石のついたブレスレットを取り出し、6万9千ルブリと並べて置いた。物は悪くないようだが、理乃は渋い顔をする。

「ええと、今は主が留守で私じゃちゃんと鑑定できないので……」

「似合うと思うんですけど」

「はい?」

「君に、よく似合うと思ったんですよ。……はい、残りの1千ルブリ」

 自然な動作で置かれる紙幣を目で追う理乃。どういう趣向なのと訝る彼女に追い討ちを掛けるようにシュルスはどこか楽しそうに微笑んで理乃の左手を取った。

「……な、何ですか?」

「プレゼントですよ。気に入ってもらえると嬉しいです」

 シャラリと音を立てながら、細い環を連ねたブレスレットが理乃の左手首に絡みつく。飾られた青い石は小振りだが、魔石だということは一目で分かった。石の奥底から射抜くような視線を感じるのだ。何と言うか、むしろ呪いのアイテムのように思われる。気に入るわけがない。

「意味が分からないので返します」

「そうですか? ……残念だな」

 シュルスがそう言ってあまりにも寂しそうに瞳を伏せるので、理乃は少しばかり申し訳ない気持ちになる。しかし気味の悪い物を受け取るのは御免なので、ブレスレットは丁重にお返しした。理乃の手首から外された細い鎖を、シュルスは少しだけ名残惜しそうに見つめた後で元通りにしまう。

「ええと、では代金はちょうど受け取りました。どうぞお持ち帰りください」

「どうもありがとう。じゃあ……またどこかで会えるといいですね」

「……はぁ。お買い上げありがとうございました」

 理乃はぺこり、と頭を下げた。できれば早く帰って欲しいと願う彼女の困惑した態度にも笑顔を崩すことなく、シュルスは満足そうな足取りで去っていった。その後姿がドアの外に消えたことを確かめてから理乃はほーっと長い溜め息をつく。

「何だったんだよあの子は……綺麗で可愛いけど金持ちだけどよく分からん」

 来店なしの連続日数記録更新は止まったが、理乃の胸には喜びとは言いがたい感情ばかりが残った。1日でこれだけの売上げが出ることなど店始まって以来のことかも知れないが、それでもあんな客はもう来て欲しくないと思ってしまう。客なら客らしく買い物だけをしていってくれればいいのだ。世間話くらいならする用意はあるが、シュルスとのやり取りはあまりに外れすぎていた。左手首に今も残る鎖の感触を打ち消すように、理乃はぶんぶんと手を振る。

「……よし、掃除だ掃除。掃除の続きをしなくては」

 言わなくてもいいことを呟いて気持ちを切り替えようとしたものの、あまり効果があったようには思えなかった。結局掃除は大してはかどらず、他に客も来ないままその日の営業は終了となったのだった。

執筆日2011/03/28

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