第18話 負けられない
あの時
銀色の集団が現れて、
何かが爆発したと錯覚する程の強烈な光に、視界が真っ白になった。
わけがわからないうちに組み伏せられた。
皆の悲鳴が聞こえた。
「まだガキじゃないか」
「殺しとけ。キト族は一匹残らず潰せとのお達しだ」
動けない。わからない。何が起こってるの?
敵?敵は盗賊だけじゃなかったの?
でも今度は敵の悲鳴が聞こえた。
視界に躍り出た真っ黒な二つの塊。
サンキとディスが戦ってる。あの子達は耳がいいから、目が暗んでも戦えるんだ。
ディスが走ってきて、傍にいた男に飛び掛った。
次第に目が見えるようになる。
「早くそいつを殺せ!」
誰かが叫ぶ。
目の前に突きつけられていた刃の先が、視界から上へと消えた。
アレが降りてきたらどうなる?
死ぬ?
いやだ。死にたくない。どうして?
どうして?
生々しい赤が、草の上に飛び散った。
痛くない。
代わりに目の前には、サンキがいた。
わき腹に深々と剣を埋めて立っていた。
「…サンキ…!?」
彼は走り出した。
目を爛々と燃やして、狂ったように舞い踊った。
敵が悲鳴をあげる。
彼の牙が肉を削ぐ。
やめて
走るたびに、何本も何本も、彼の体に敵の獲物が刺さっていく。
「やめてぇえ!」
ガラサの面影があった。
兄のようでもあった。
サンキとディスがいてくれれば、人間の子と言われたって平気だった。
2匹と一緒なら、誰にも負けない。
2匹がいれば、何だって出来る。
もしガラサが、いなくなっても
サンキはきっと傍にいてくれる
だから、サンキを傷つけないで
お願い、逃げて
二匹で一緒に―――…
あたしを押さえつける敵の頭を喰いちぎった時、
サンキの喉に槍が突き通された。
「いやぁあああああああ!!!!」
耳すれすれのところを、何度もダガーが通過する。
騎士団なら剣で受けとめればいいところを、カレイラはそうはさせてくれなかった。
彼女の武器はスピードと、異常なまでの手数の多さ。
一歩の踏み込みで五撃だぞ?それでいて、その攻撃の一つ一つにはきちんと重みがある。全ての攻撃を受けきることが出来ず、俺は咄嗟に頭や身体を動かしてそれをかわしていた。
「本気で殺す気でこなきゃ、あたしには勝てないよ!」
「いや、それじゃあ意味がないんだって!」
俺にはカレイラを殺すことは出来ない。でも確かに殺せない分不利かもしれないけど、俺は手加減をしている気なんて全くなかった。初めて出会う戦い方に翻弄されて、防戦からの反撃がやっとだ。
剣がぶつかり合って生まれた火花が消える前に、また次が生まれる。
カレイラは俺の反撃を大きく下がってかわし、着地と同時に跳躍して再び迫ってきた。
ガシン、と大きく組み合った。
瞳孔が縦に開いた獣のような瞳が、真っ直ぐ俺を捕える。
「そんな腕で戦えるの?」
「言うなよ…考えないようにしてるんだから」
俺の上着は左の肩から袖にかけて、じわじわと赤く染まっていた。
傷に直接的なダメージがなくても、男に掴み上げられた時から左腕が妙に脈打つのを感じていた。それが崖からの不時着とカレイラとの交戦で完全に開いてしまったらしい。剣を振ると時々視界が眩むような痛みが突き抜ける。
出来るだけ左腕を使わないようにしていても、痛みで呼吸が乱れてきた。
だけど、
「それはそっちだって同じことだろ?」
カレイラの右肩も赤く染まっている。
俺の片手剣と違い、二本のダガーを扱う彼女は舞うような動きで攻撃してくる。
小柄な上にダガーで、それでも俺と同じ間合いを保つためには、彼女は常に全身を使って戦う必要がある。当然肩への負担は大きく、傷は開いてしまう。
それなのに、何故カレイラは息一つ乱してないんだ?弱体化するどころか、攻撃は鋭さを増していた。
「ふふ、キトは人間とは根本的に違うんだよ。防衛本能ってやつ?クルーガが身の危険を感じると凶暴化するのと同じさ」
手負いの体とは思えない力で、カレイラはシゼを弾いた。
「キトは、傷ついた分だけ闘気を上げる!」
一歩の踏み込みで七撃。受けきれなかった斬撃が右頬を切り裂いた。
「ッ…!」
俺は下がって距離をとる。
どうすればいい?
カレイラだって、痛くないわけがない。それでも死ぬ気で戦ってる。
負けられない。人間を許さないという思いだけが、彼女にダガーを握らせている。
だけど、俺だって負けられない。正面からなら負け知らずなキト族は、正面から勝負してこない騎士団には勝てない。ここで俺が負けたら、キト族はきっと騎士団の手に落ちてしまう。
人間の手の内を読めるのは、人間だけだ。
長引いてもいいことはない。
勝負に出るしかない。
「次は二十撃だ。受けきれるかな?」
カレイラは不敵に笑むと、低く低く腰を落として構えた。
一度に二十撃なんて、常識的に考えれば不可能。でも、はったりとは思えない。
俺は右手でシゼを握り締めた。
「来いよ!」
カレイラが走りだす。地面を蹴って跳び上がったかと思えば、傍の崖を蹴って急降下してきた。
体を回転させ、カレイラは文字どおり宙を舞う。
「はぁあっ!」
「おおお!」
俺は空中からの剣舞に飛び込んだ。交互に、しかも軌道を変えて襲ってくる二本のダガーは、生き物の牙のように見えた。瞬きをしたらやられそうな、間隔のない連撃。
一、ニ、三、四、五、六、
もう一度体を捻って、頭上から二本が同時に振り降ろされる。速度と重力を生かした重い攻撃を、シゼを地面と平行にして同時に受けた。
七、八…
「かかったね!」
カレイラは叫ぶと、体を折り曲げてシゼの腹を踏み台に、再び飛び上がって宙返りをした。
腰に手を伸ばしたカレイラが放ったのは、十二本の投げナイフ。それが雨のように頭上から降り注ぐ。
その異常な速さ。
到底シゼでは受けきれない。
飛び散る鮮血。
彼女の攻撃は狙い通り俺に当たった。が、
「―――えっ?」
仕留めたと思っていたんだろう、まだ宙にいるカレイラは目を見開いた。
左腕の激痛と違和感で吐き気がして、込み上げてきた苦いものを必死に押さえ込む。
貫通はしなかったが、数本のナイフは刺さったまま。シゼで受けきれなかったナイフを、俺は左腕を捨てることで切り抜けた。
閉じたくなる目を見開いて、地面を掴むように走りだす。速く、もっと速く。カレイラが着地する前に。
「うあああ!」
俺は全てを右腕に集中させて、全力でシゼを振った。
カレイラは咄嗟にダガーを交差させて、それを受け止めた。
鳴り響く金属音。まだだ、このままダガーを弾き跳ばしてしまえばいいんだ。
「ああああっ!」
左手を添えて、さらにシゼを強く握り締めた時だった。
突然強烈な青白い光が、細く、鋭く、宙を駆け巡った。発光原は探すまでもない、俺の手の中のシゼ。
切り結んだはずのシゼを、俺はいとも簡単に振り切ることができた。
そして渇いた音と共に、二本のダガーは真ん中から真っ二つに折れた。いや、斬れたと言った方が正しい。粉や破片が飛び散ることもなく、ただ綺麗に断面がわかるダガーの上半分が、視界の端を飛んでいく。
「あっ…」
尻餅をついたカレイラは、呆然と俺を見つめていた。
金属をまるで熟した果実のように切り捨てた、シゼの異常な切れ味。そして…
…どういうことだ?
左腕が痛くない。
シゼの放つ光と同じように、俺の左腕は青白く光っていた。あれだけの重傷を負ったはずなのに、傷も痛みも一瞬で消えてしまった。
それだけじゃない、頬の切り傷、全身の打ち身、あらゆる怪我が一瞬のうちに完治していく。
何が起こっているのかわからない。
ただ一つ明確なのは、勝負はついたということ。
「あっ…あっ…!」
驚きと恐怖の為か、カレイラは焦点が合っていないらしく、動くことも出来ていなかった。
そんな彼女との間に割って入った黒い獣。
それまで勝負を見ていたディスが割り込んできたんだ。これ以上は手出しさせまいと、鼻に皺を寄せ、低い唸り声を上げながら俺を睨んでいる。
しかしそれを見たカレイラは、
「嫌ぁ!やめて!どいて!嫌ぁあああ!」
取り憑かれたように叫びだした。
「やめて!殺すならあたしを殺して!ディスを殺さないでぇえええっ!!」
黄色の瞳に、涙が溢れていた。
いや
サンキと同じように、ディスもいなくなってしまう
一人になりたくない
ディスを、傷つけないで
殺さないで
「…殺さないって」
俺はシゼを収め、ゆっくりと近付いていく。
カレイラはディスを抱き締めていた。真っ赤に染まった肩が、小さく震えていた。
ディスは既に警戒を解いて、カレイラに身を任せている。
俺は出来るだけ優しい声音で話し掛けた。
「もう一回言うけど、俺たちは助けに来たんだ。じゃなきゃ、わざわざ騎士団と乱闘したり、視界の悪い崖から飛び降りたりしないだろ?」
ぽたぽたと涙を流しながら、カレイラは俺の顔を見つめている。
「絶対に助ける、だから」
人間に裏切られた彼女に、俺の言葉は響いてくれるだろうか。
「もう一度だけ、俺たちを信じてほしい」
それが何を意味しているのかは、彼女が一番理解しているはずだ。
それは即ち、今一度、一族の命運をその身に背負うということ。
ぎゅっと固く目を閉じ、開いて真っ直ぐに俺を見つめて
カレイラは、頷いた。