特別だと思っていた。2
痛い程の静まり返った沈黙の後。
母も・・懺悔する様に話始めた。
「昔、私とあの人がまだ婚約者だった学生の頃。あの人は貴方と同じ様に一人の女性に恋をしました。」
母がゆっくりと話してくれた話は…まるで自分の事のように私の心をギュッと固くさせた。
父が…私と同じ・・恋をしていた。
父が私と同じ様に恋した相手と一度も触れ合わなかった。
父は私と同じ様に、一時の恋を誰にも告げず、それでも母を選んだ事。
「私は…気付きましたよ…。そして深く哀しみました。小さな頃からあの人が私の全てでしたから…。」
無理して笑う母に…思わず苦しくなって走りより手を握る。
「それでも嬉しかったのです。私を選んだのだから…。」
「嬉しかったからずっと頑張って…。」
母が私の頬に手を添えて、そして幼い頃の様にぎゅっと抱きしめた。
「そして、結婚してから…あの人は誰よりも私を愛してくれました。」
「あの時の事はまるで無かった様に…何も語らず、誰にも悟らせない様に…」
「病める時も健やかなる時も…一片の曇りもなく。常に私にだけ心を砕いて私だけを…。」
母の温もりを感じながら私は言い様のない苦しさで胸が詰まっていた。
「だから…だからでしょうね…。私は貴方を産んで…娘を産んで…もう1人息子を産んで…もうあの人に残せるものは全て終えた…もう私がいなくてもと思った時に…一度だけ彼を裏切りました…。」
母の声に涙が混じっていた。
「愛していたのです…。」
「あの人を変わらず愛していたから…今もこれからも…この先もずっと…。」
母が震えて私の背中をぎゅっときつく抱きしめる。
「だから…ずっとあの日…学生の頃に見た…幼くて淡いあの人と彼女の嬉しそうな笑顔がトゲになってずっと心を刺し続けて…。消えないのです…。」
「私の心はあの人が愛で満たしてくれていたから幸せです。ずっと…ずっと幸せでした。あの人の隣は私。私の隣はあの人。そこに一片の疑いも無くなったその時でさえ…それでも…静かに誰にも気付かれないように私の心が血を流していました。」
頭を殴られた様に視界が白くなっていく…。
母が話すことは誰よりも…。
「それに気付いていたのは…一人だけ…ずっと側で守ってくれていた私の護衛騎士でした…。」
震える母…の告白がどこか遠くに感じられる。
「私は…抜けないトゲに耐えれなくなって…。」
「あの人より堕ちて行きたい…。と彼に…私をずっと守ってくれた騎士に願いました。」
「そして彼は一度だけ…私の実家の別荘で一度だけ私を抱いて…私の側から離れました。」
「私は追いすがりませんでした…。」
「哀しそうに、泣きながら愛していると…幸せになれと伝えてくれた彼に…。」
「それから、私はね、あの人よりも堕ちてしまって初めて…あの人の愛を素直に受け入れられたのです…。」
「トゲを抜いてくれた彼がいたから…。」
私は何が正解なのかわからなかった。
確かに、昔からの母の護衛がいつの間にか消えた事は知っていた…。
裏切った母が悪いのか…。
母を最初に哀しませた父が悪いのか…。
「貴方の母は最低な…。」
震えながら抱きしめてくる母は、止めどなく涙を流している。
私は必死で首を振りながら母を抱きしめる。
「…ごめんなさい…。最後まで強くいられなくて…ごめんなさい…。」
母はあれからひたすらに泣き続けて…ソファーで眠ってしまった。
程なくして…父が部屋に入ってきて、静かに母を抱き上げた。
「父様…。」
私は言葉を出せずにいた。
理想的な国王夫妻でいつも愛情を持って育ててくれた両親…。
かける言葉が見付からなかった…。
「知っていたさ…。」
父が優しい顔でこちらを見る。
「堕ちても病んでも…私が付けた傷なのだから…。」
父が悲しそうに眠る母の前髪を撫でた。
「それでも…守ると決めたから。」
「あの時…守れなかった妻の心を…今なら守れる。」
「馬鹿だろう…。この歳になっても妻は泣くのだ…。少女の様に…泣くのだ…。私のいない所で…。」
「馬鹿な私の妻は…堕ちようと堕ちまいと私の唯一であるのに…。」
優しく…見たこともないような優しい顔をして父が大切に大切に母を抱き上げて部屋を出ていった。
どうしようもない感情に心が塗り潰されて、馬鹿みたいに大声を上げながら私は泣き叫んだ。
あぁ…あぁ…。
心のどこかで思っていたのさ…。
身分差に嘆き…浮わつく心に諦め、言い訳をして…。
自由ではない環境に…。
王子だから…。
だから特別だと…。
この恋は・・世界でたった一つの特別なものだと思ってしまっていた…。
あれから、私は二つ隣の国の第二王女と政略結婚をした。
奥ゆかしく、優しく、聡明な彼女は…私の過去を知りながらもいつも私の隣に寄り添ってくれた。
私はとにかく大切にした。
誰よりも何よりも彼女だけに心を捧げて。
それでも、一度だけ大きなケンカをした。
息子を一人産んでから次の子供が中々出来ず…彼女が思い詰めて側妃を望み…。
そんな者はいらないと愛しているといくら伝えても距離を取る彼女に疲れてしまった…。
どうして伝わらない…。何故わかってくれない…?
多忙の疲れ、責務に押しつぶされそうになりながらも、一番信じてほしい妻に距離を取られて・・
どうしようもない日々・・。
その日も、夜会で貼り付けた笑顔で隣に座る妻。
息が詰まる様に体調不良を言い訳に抜け出した庭の奥で…アリアナに再会した…。
あれから、彼女は私より少し後に…妻を亡くして小さな男の子と女の子がいる黒髪の魔術に秀でた家の伯爵と結婚していた。
何も後妻として嫁がれなくても…と社交界で一時話題にもなっていたが、まるで昔から知ってるかの様に家族仲良く寄り添っているアリアナを見て…人々は次第に口を閉じた。
「懐かしい顔が見えたわね…。」
まるで昔に戻った…いや…あの頃よりもずっと綺麗になったアリアナに吸い寄せられる様に私は彼女の隣に座った。
「アリアナ…。」
瞬間。自分で何故かわからないが…鼻の奥が痛くなる程…涙が出そうで…狂おしく愛しい気持ちが溢れてきた…。
アリアナはそんな事は知らない様に寂しそうに笑っていた。
「旦那様がね、新しい弟子の女性と踊っていたのよ。」
「仕事だから仕方ないし・・浮気なんてしないってずっと前から知っているのに・・。」
「なんだかなーってむすくれてたの!」
馬鹿でしょう?と苦笑するアリアナ。
幼い頃に戻った様に庭園の奥でアリアナと二人だけの時間・・。
「アリアナ・・。」
涙が零れない様に彼女の手を取ろうとして躊躇する。
「ふふ・・。どうしたのよ。もう、国王陛下でしょ?」
アリアナが寂しそうに笑っているのに・・私はどうしても心が抑えきれずに・・
王妃との事を話してしまった・・。
アリアナは何も言わずに静かに聞いてくれた・・。
昔と同じように、私の心を重んじて・・ただ聞いてくれた。
耐えきれずに、私は・・。
「あの時・・あの時・・私が間違えなければ・・何よりも守るべき貴女を・・間違えなければ・・。」
アリアナは子供の様に座っていた噴水の淵で足をぶらぶらさせながら黙っていた。
「アリアナ・・。なんで・・なんで私の隣に・・君は・・・。」
瞬間・・パシャっと少ない量の水が顔にかかった。
アリアナはいたずらが成功した様な顔をしてクスクスと笑っていた。
「ありがと!ありがとうね。レイ様。」
まだクスクスと笑いながら
「あぁ・・」
なんだか心がふわっと軽くなった様に私はアリアナの笑顔を見つめていた。
この人は綺麗だ。ずっと隣にいて、ずっと自分のものだと信じて疑わなかった彼女は・・・。
「あーもう。私、もう少しがんばんなきゃね!レイ様が見惚れるくらいに良い女で居続けたいから・・。」
少しだけ寂しそうに笑って
小さな声で
「だから、誰かを・・一生懸命な奥さんや・・親を信じる子供を悲しませるような・・女にさせないで。」
「ね・・・」
遠く離れていても彼女は酷く優しい人だった。
「あぁ・・。」
私はきっとまた間違えた事を言ったのだろう。
でも、彼女は笑い飛ばしてくれた。
少しだけさみしそうに。
「アリアナ!!!」
遠くから彼女の夫が息を切らして駆けてくるのが見える。
「あちゃあ、もう見つかっちゃった!!」
彼女はころころ笑いながらおかしそうに夫に手を振る。
乱れた服装を気にもせずに一直線に走ってくる彼女の夫を、そんな資格もないのに精いっぱい睨みつける。
アリアナが見てくれなくても。守らせてくれなくても。今の一瞬だけは彼女を曇らせたあいつを・・。
彼女の夫はそれに気付きながらも懸命に彼女の側に跪いて手を握る。
「叱ったから!!!破門したから!!べたべたするなって!!弟子を破門したから!!!」
彼は必死に彼女に言い訳している。
まるであの時の私と同じだ・・。
「まぁ・・。」
彼女はコロコロと笑っていた・
本来なら不敬に当たるだろうに・・彼女の夫はそのままアリアナを抱き上げてあっという間に私の前から魔術を使って消えていった。
一度だけ、とても殺意のこもった目で私を睨みつけてきながら・・。
だから私も負けずに幸せにしなかったら処刑するからと口パクで伝えて睨みつけ返した。
アリアナはまたねとでもいうように綺麗な笑顔を私に見せて・・ありがとうと小さく言葉にしていた。
「貴方は本当に周囲に恵まれています・・。」
気付いたら妻が近くにいた。
「すまない・・。」
私はどうしようもなくて・・妻の前で項垂れた。
「一人で良いんだ・・。」「君一人だけって決めて結婚したんだ・・・。側妃なんて・・もう言わないでくれ・・。」
妻はあきらめたように呆れたように
「貴方は贅沢なんですよ。」
「彼女に振られて当然です。」
「本当に・・本当に馬鹿・・。」
私は妻に許された。
でも、決して私の全てを許しているわけではないのだろう。
それを忘れないように、また妻と支えあいながら生きていった。
子供は息子がもう一人だけ生まれた。
妻にも昔からの騎士はいる。
妻が私一筋だったのかはわからない。
それは、私は父と違って知らなくて良いこととした。
だから私は、妻一人をずっと信じて・・寄り添った。
周囲からも責務からも可能な限り守り通した。
ただ一人の妻として。
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「杖を・・。」
何度も鏡を確認して服装に不備がないか、匂いはおかしくないか・・入念にチェックを入れる。
「ハイハイ、もう。前陛下・・そんなヒゲを気にしても髪の毛は生えてこないですよ?」
長年付き従ってくれた従僕は、悪口と共にため息を吐きながらも静かに後ろを歩いてくれる。
「わかってる。けれども。大事なことだからな。」
私はソワソワとしながらお忍びで使う目立たない馬車に乗り入れた。
あれから・・。
私は息子に王位を譲って妻だけを愛して妻を看取った。
最後に、私は妻に「愛している。一緒に生きてくれてありがとう。」と言う。
妻は、
「どうしようもない人でしたね。でも私も愛していました。幸せでした。」
そう答えてくれて・・
幸せそうに家族に見守られて天に帰っていった。
私は最後まで情けない夫だったと思う。
そしてまた一人になった・・。
コツコツコツ・・。
図書館までの道をゆっくりと杖をついて歩く。
建物と建物の間にひっそりと奥まった広場。
日よけの木が立ち並ぶ小さなベンチに目の見えない老婆が一人で座っている。
「こんにちは。お嬢さん。」
年上の夫を先に亡くしたアリアナは、夫と出会った思い出の図書館のベンチにこうして毎日二時間だけ従者に連れてきてもらって座っている。
「あら、初めまして。」
アリアナは声のした方に見えない目を向けて笑っている。
「ごめんなさいね、目が見えないの。」
申し訳なさそうにしながら、それでも私の話す好きな本や、行ったことのある国の話を嬉しそうに聞いている。
アリアナはもう認知症でその日の事は覚えていられない。
でも時折、昔を思い出したように家族の話や好きな本の話や・・そして初恋の話を懐かしそうに話してくれる。
そして一時間程話すと、彼女は何もかも忘れてしまう。
だから・・私は卑怯にも・・・彼女に問う。
「私は、私はまた・・恋をしても良いでしょうか・・。」
彼女はクスクスと笑いながら
「恋は・・いつどこで?なんて待ってくれないでしょう。」
私はそうして、今日を覚えることの出来なくなった彼女に、明日を問う。
「明日、また逢いに来ても良いでしょうか?」
「私で良ければ喜んで。」
彼女はもうしわくちゃだ。目も見えない。髪も手も艶なんてない。
でもその笑顔は・・その笑顔だけは私をいつでも青年に戻してくれる。
幼かった自分の苦い思い出と。
許されてきた自分の後悔と共に。
「ありがとう・・。」
私は彼女に触れない。
それでも彼女は何も言わない。
胸が痛くて動けなくなりそうだ。
こんな死にかけの老人になっても自分は情けない・・。
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もう私の身体もあまり動けなくなった。
家族に見守られながらアリアナも静かに天に戻っていった。
三年間。時間の許す限りアリアナと恋をした。
毎日、毎日、恋をした。
そして今日。
最初で最後・・一度だけアリアナの墓に参りに行った。
とめどなく涙があふれて
「生まれ変わったら・・もし時が戻ってやり直せたら!!」
その先は願えなかった。
時を戻す事を心から願っているけれど、それを願うよりも私の周りが寛大で優しかったからだ。
あぁ・・。
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「それで、おじいちゃんはどうしたの?」
婚約者が出来た次の王になる孫が十五歳になった時に全てを話した。
「どうもこうもないさ。時戻りの国宝は城の地下深くにあるさ。」
そう、この国には時戻りが出来る魔道具があって、代々の国王だけに明かされる秘め事だ。
「使ったら怒られるだろう??」
祖父はベッドの上で笑いながら、女にはかなわないのだ!!王様になってもそれを忘れるな、とカラカラ笑っていた。
いったい・・どっちで・・誰に・・どの様に怒られるのか・・立太子した王子にはわからなかったが・・。
それでも祖父の事を大好きだったので曖昧に笑っておいた。
まだ恋を知らない初々しい姿に嬉しそうに目を細めて祖父は孫の頭を撫でる。
深いしわに沢山の苦悩と幸せを詰めて。
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孫もいつかこの話を子孫に話すのだろう。
真面目で優しい国王のちょっと情けない物語を・・。
愛しい者に向けて。
殿下視点「完」
ちょっと正義感に欠けるけれど、人間味のある男性を書いてたら・・ちょっと詰め込み過ぎたかな。
これにて完結。
最後までお付き合いいただいた方に。感謝です。
アリアナの旦那様と子供達は・・勿論!前世の家族ですよ☆