94話「チペワ?」
「おぉっ……かっこいい」
シルヴィアは、マレーナの工房で完成したネクロドールを見て、満足していた。
竜の姿をしたそのネクロドールには後脚が無く、僅かに地面から離れて浮遊していた。
長い前腕がヒトの腕のように伸びており、漆黒の外殻は、甲冑のような見た目をしており、フルプレートの騎士を想起させた。
頭部は竜の頭骨のような形状をしており、眼窩にはぽっかりと穴が空いていた。
「やっと起動試験だね。とは言っても、シルヴィアがちゃんと動かせるか試すだけだよ」
ナトはそう呟くと、ネクロドールの眼窩に青い炎が灯り、身体を震わせながら上体を起こした。
甲殻の隙間からは冷気が漏れ出し、胸郭が風船のように伸び縮みしており、呼吸しているように思えた。
「え……これ、生きてるの?」
彼恐る恐る尋ねると、ウェールは首を振った。
「グレゴと違って生きてはないぞ……その、シルヴィアが居なくても……動けるようにしたんだ。擬似的な生体活動をさせれば……メンテナンスが要らないからな」
「えっ、どうやって」
思わず首を傾げた。この機体は、そもそも私の魔力を前提にしてやっと動ける代物だった筈だ。自律稼働できる理由も、魔力の供給源をどうやってケアしたのかが分からなかった。
「それは……」
「アーシェルトに手伝って貰ったんだ」
アーシェルト。
その名前を思い出そうとするも、いまいちピンと来なかった。
「ほら、ジレーザに来た炎の魔神。覚えてるよね?」
シルヴィアの脳裏には、雲を突く程の体躯を持つ巨人の姿が浮かんでいた。
「えっ、あの人!??魔界に行ってたの?」
「うん。それとお義父様から貰った周りを無限に凍らせる石を詰めて、魔力の永久機関を作ってみたんだ」
「永久機関って……一体幾らするの」
「誰も支払えないよ。クリフ君の剣や、オムニアントみたいな、神の武具を持ってくるしかないかな」
ナトがキッパリと言い切った。
そんな話に放心していた私をよそに、ネクロドールは周囲を見渡し、私に手を差し出して来た。
「同期するから手を繋いで」
「えっ、魂抜かれたりしない?」
思わず顔を歪めながら彼女の顔を見る。
「いつの時代の人?」
ナトは微笑し、口元を抑えていた。
「そう、だよね。うんっ」
顔をひきつらせながらネクロドールの手を取る。その瞬間、右手全体をくすぐられるような感覚に見舞われ、咄嗟に手を引いた。
「魔力を抜かれたの……?」
「ああ……少し練習は居るけど、頑張ったら動かせるように……」
ウェールがネクロドールの肩を叩いた瞬間、ネクロドールが両腕を広げ、鎧のような外殻を花弁のように開いた。
冷気の放出量が増し、作業室の温度が一気に下がった。
側に居た彼女は腰を抜かし、尻もちを付いた。
「……上手いんだな、はは……」
ウェールは乾いた笑いをこぼすも、私は首を傾げた。
自分が操作した訳ではないからだ。
それにナトが反応し、右手に緑色の魔力を纏わせた。
その瞬間、顔の筋肉が攣ったような感覚に襲われ、勝手に口が動き出した。
今、姉に顔を乗っ取られた。
「私が操作してるの。どうせ暇だから」
テレシアはそう答えると、再び顔の感覚が戻り、自由に動かせるようになった。
『お姉ちゃん!あたしと変わるなら言ってよ!びっくりしたじゃん』
『ごめんね?ナトさんが動きそうだったから』
確かに一理はあった。
「……はぁ、びっくりした。ともかく、動かせるなら話は早いね。なら、試運転でセジェスを走って来てね」
ナトはやや呆れた口調で指示し、腕を組んだ。
「えっ?」
ネクロドールがこちらに振り向き、私もまた、彼女に向き直って目を合わせた。
「こんな目立つのに乗るの!?」
ナトに抗議するも、彼女は無常にも頷いた。
◆
市内の馬車用道路に、ネクロドールの背に乗って走っていた。
下半身の無いヒト型なだけあって乗り心地は悪く、岩肌にしがみ付いているかのような状態だった。
「ちゃんとサドル作ってくれるよね……?」
『無い方がカッコ良いけどね』
と、姉が頭の中で話しかけて来た。
「乗る時だけ代わる?」
『ごめん、私の負け』
ネクロドールが彼女の仕草を代弁するように、両手を上げて下ろした。
その仕草に、通行人達がざわついた。
「お姉ちゃん、手を下ろしてっ……!」
ネクロドールの肩を叩きながら、ささやく。
ただでさえ目立つこの機体が、不自然に手を上げるだけでも、過剰な程に目立ってしまった。
『飛ばそうか?』
「お願い……」
ネクロドールの背に顔を埋めながら答えた。
次の瞬間、甲殻の隙間から強風が噴き出し、周囲の砂利を巻き上げた。
『第二エンジン起動。温度……安定したっ!!』
テレシアが元気よく叫んだ瞬間、シルヴィアは嫌な予感に駆られた。
「ねぇっ、飛ばすって__」
彼女に尋ねた瞬間、ネクロドールの下半身から爆風が生じた。
凄まじい力で後ろに引っ張られるも、持ち前の握力で堪え、両脚で胴体を挟み込んだ。
ネクロドールはこれまで体感した事の無い速度で加速し、道行く馬車を機敏に避けながら、オレンジ色の残光を残した。
「っ……ぶぶぶぶっ!!」
お姉ちゃん止めて。と、口に出すも、顔面に叩き付けられる突風が口内に押し込まれ、声を潰した。
『あははっ、シルヴィ!これすっごく楽しいね!!』
姉は上機嫌に呟きながら、更に速度を早める。馬車や通行人と鉢合わせる度に、鋭い回避軌道を取る為、その度に内臓や血液が揺らされ、今にも指先と意識が離れそうだった。
飛び降りる覚悟を固めたその時、建物の角から一人の少女が飛び出した。
『あっ!?』
姉は慌てて少女を避けようとネクロドールを操作するも、反対側には馬車が来ていた。
〈__白加〉
判断は一瞬だった。
加速した時間の中で、ネクロドールの頭を踏み付け、少女の前に飛び降りる。
全ての動きが緩慢になった中でさえ、ネクロドールは人間が走った時と同じ速さで移動していた。
もし少女に激突すれば、彼女の身体はバラバラになる事だろう。
彼女に飛び付く形で体当たりをし、少女を押し倒す形で、歩道に飛び込んだ。
それと同時に、時間の流れが元に戻り、姉の操るネクロドールが一瞬の内に背後を通過した。
片手で少女の後頭部を守るようにてをまわし、、地面に倒れ込んだ。
「大丈夫!?」
身体を起こし、少女に手を差し出す。
「えっ、ああ。うんっ、大丈夫……です」
少女は、差し出した手を取る。
その左手には一輪の花が握られていた。
「ごめんなさい。私の不注意で貴方を危険な目に遭わせてしまいましたね」
それを見て我に返り、なるべく清廉そうな面持ちで笑顔を作って、彼女の手を引いて起こした。
「あっ、いえっ……竜人様だったんですね。ごめんなさい、私の為に」
少女は逆に落ち込んだ様子で目線を落とし、謝罪された。
「気に病むことはありません。元はと言えば__」
言葉を遮る形で、テレシアの操るネクロドールが道路を滑走し、目の前で静止した。
『ごめんシルヴィ、調子に乗っちゃった!』
『二度としないで、バカ』
目を細め、声を出さずに罵倒した。
「……あのっ」
少女が意を決した様子で呼びかけ、振り向いた。彼女は両手で花を握り締め、目を僅かに潤ませていた。
「おじいちゃんのお墓に、付いてきてくれませんか……っ」
返答に困り、周囲を見渡すも、何故か人通りが少なく、真っ白な髪に白い服を着た女性が路地裏に消えると、少女と二人きりになってしまった。
「……うん、じゃあ。特別だよ?」
そう言って少女の手を取り、ネクロドールは両手を広げ、私と彼女を抱えた。
走る直前に、やや強めに甲殻を叩いた。
『はい……安全運転で行きます……』
テレシアの落ち込んだ声が脳裏に響き、ゆっくりと走り始めた。
風の切る音が耳に心地よく、人通りも戻り始めていた。
「おじいちゃんは……天国に行けましたか……?」
少女から嫌な話題が飛んできた。
ティロソレアやナトが言うには、この世界に死後の世界は存在しない。
回収された魂は記憶と自我を抜き取られ、様々な世界を巡って誰かの記憶の容器として分配されるそうだ。
「……うん。きっと行けたよ」
もう何度目かも分からない嘘をつき、心に小さな棘が刺さる。
「良かった……」
少女の安堵した顔を見た時、気持ちが荒れた。
「……そうだね」
衆目を気にせず走り続けた。
『シルヴィ、少し飛ばして良い?』
姉に脳裏で話しかけられた。
『……どうして?』
少女に聞こえないよう、心の中で尋ねる。
『何人かついて来てる。竜人は目立っちゃうからさ。ただの賑やかしなら良いけど、ネクロドール目当てだったら面倒だから』
「急に曲がらないで。この子が耐えれない」
『分かった。でも押さえてて』
テレシアがそう呟くと、再び全身から突風を吹き始めた。
「……何?」
「ちょっと飛ばすよ。捕まってて」
片手で胸郭を掴み、少女の脇腹に手を伸ばし、抱き寄せる形で締めた。
ネクロドールの走り出しに備えた瞬間、強烈な浮遊感に襲われた。
「えっ?飛べるの??」
思わず間抜けな声を上げた瞬間、ネクロドールはその場から上昇し、墓地に向かって飛翔した。
私と少女は悲鳴を上げながら、必死にしがみついた。
雲を突き抜け、陽の光に照らされる。
澄み切った青い空を下地に、真っ白な雲の地平線が広がる光景に、思わず目を奪われたのも束の間、ネクロドールは斜め下に方向を変えた。
「お姉__」
文句を言う前に、身体が浮き上がりそうになった。
鋭角に地面に向かって突撃し、離れた墓地へと急降下を始めた。
「馬鹿ぁぁぁっ!!」
地面に激突する瞬間、ネクロドールの下半身から大型の脚がせり出し、土煙を巻き上げながら接地した。
自分がクッションになるように少女を抱き締めるも、衝撃はあまり来なかった。
『内臓は痛めないようにしたよ?』
姉はそう呟くと、私達をその場から下ろした。
文句を言おうとするも、少女はその場でへたり込んでしまった。
「大丈夫!?」
「びっくり……しました」
少女は頬を緩ませて笑っていた。
無理をしているようには見えなかったものの、握り締められた花は少し潰れ、傷んでいた。
「ごめんね。ちょっと貸して」
彼女から花を取り、それに白色の魔力を流し込む。
ソルクスが持っていた活性の力を受け、花の傷は癒え、白い花弁が再び開いた。
「はい」
彼女に花を返す。
「……すごい」
摘みたての状態と見紛う程に、生気を取り戻した花を受け取った少女は、息を飲むと、にこやかに笑った。
「ありがとう」
「ううん。元はあたしのせいだから」
そう言って並びながら歩き、墓石の前に立った。
少女は墓石の前に花を置き、片膝を着いて深く祈った。
目の前に建つ、白く冷たい石塊を見て、何とも言えない気持ちにさせられた。
「天国に行っちゃったおじいちゃんにこんな事するのも、変かもしれないですけど……」
少女は顔を上げ、苦笑した。
「ううん……ここが、私達と死んだ人との、最後の繋がりだから」
墓石を見下ろして呟く。
「最後の……?天国に行けたりしないんですか」
少女は首を傾げる。
それが失言だった事に気が付くも、隠し通す程の気力は無かった。
「ごめん……嘘ついたんだ」
片膝を着き、墓石に手を触れる。
脳裏に浮かんだのは、死んだクリフの姿だった。
もし、村で私が戦えなかったら。
マレーナに斬られてそのまま死んでいたら。
あの村でチペワに呑まれていたら。
兵隊に囲まれていた時に、私が声を上げなかったら。
そんな有り得たかもしれない、もしもの光景が無数に浮かび上がった。
目尻からは一筋の涙が流れていた。
「死んだら……終わりなんだよ。魂が空に連れて行かれて……記憶を、自分を燃やされて……」
我慢出来ずに、会って間もない少女に全てを吐き出してしまう。
話す度に、とめどなく涙が溢れた。
「神も、あたしも、あたしの大切な人だって……全部一緒なの」
少女は戸惑い、周囲を見渡していた。
しかし彼女は深呼吸をし、私の前に立ち、両膝をついて私の手をとった。
「分からない……けど、話してよ」
少女は口調を崩し、不器用な笑みを浮かべてくれた。
「……あたしの家族が、傷ついてるの」
「うん」
少女は、優しく相槌を打った。
「私の為に無茶をして、私の為に誰かを殺して……私の為に死ぬような人でっ……」
言葉が続かず、息苦しかった。
「あたしも……それが正しいんだって、同じ事をしたの。でもっ、何も良くならなかった」
涙が溢れ出し、嗚咽した。
少女は、私の背中を優しく撫でてくれた。
「大丈夫……ゆっくりで良いよ」
「……クリフに戦って欲しくない。死んで欲しくないよ……死にたくない……」
私は俯き、少女に目が合わせられなかった。
「でも、誰かが戦わないと……駄目なんだ」
少女は首を傾げた。
「その人と話したの?」
「え……」
投げられた言葉に困惑する。
「家族なんだったら、お話ししようよ。言葉を交わして、想いをぶつけて、受け止め合うものじゃないの?」
少女は、私がジレーザで落とした気持ちを言葉にしてくれた。
両脚が深いぬかるみから抜けたようだった。
「……名前、聞いてなかったよね」
流れていた涙を拭う。
「私はミシェル。あなたは?」
「シルヴィア。ありがとミシェル、楽になった」
思わずミシェルを抱き締め、声を震わせながら礼を言った。
気持ちはまだ落ち着かず、微かに手が震えていたが、心のつかえが取れたようだった。
「うん、良かった」
ミシェルは屈託のない笑みを浮かべた。
「クリフと会って来る、家まで送るね」
そう言って彼女の手を引くも、踏み止まられた。
「大丈夫。私の家近いし、シルヴィアは話をしてよ」
そう言って彼女は指を離し、手を振った。
「……分かった。行って来る」
踵を返し、ネクロドールに乗り込もうとした時、踏み止まった。
「ねえ、ミシェル」
振り向いて彼女の名を呼ぶ。
「どうしたの?」
「また会おうね」
「うんっ、友達になろっ」
ミシェルと私は手を振り、目一杯の笑顔を浮かべて別れた。




