92話「これがそうだったのか」
電気。
それは、今の俺たちが扱うにはあまりにも抽象的な力であり、事実アウレアではこの力に用途を見出せる者はほぼ居なかった。
発光することを活かした客寄せや、あまり意味のない研究物を作る程度に留まった。
ああ、拷問器具としては優秀だったな。
ともかく、雷の要素を含んだ魔石をアウレアでは持て余しており、大した価値はなかった。
だがセジェスでは別だった。
首都内にある小さな工場で、一人のエルフが巨大なケトルのような炉に手を直接入れ、目を瞑り、集中していた。
そして彼が目を見開いた次の瞬間、炉の中で青い光が弾けた。
彼は再び目を瞑り、魔法の発動を試みていた。
しかし、長時間の集中を維持していた為、既に息を切らし、疲労しきっており、思うように魔力を出せていないようだった。
「ファビアンさん、そろそろ交代して下さい。俺はもう充分休憩出来ました」
新兵時代の心境を思い出しながら、好青年の声音を作る。
明るく、しかし耳障りにならない程度に調整した。
「すまないね、ジュピテール君。君が来てくれなければ、どうなっていた事か」
初老の男は額に滲んだ汗を拭い、不器用に笑った。
俺は今、ニールという名を置き、ハイエルフのジュピテールと名乗っていた。
「俺みたいな根なし草のハイエルフを雇ってくれたのは、あなただけですよ」
そう言って炉に手を入れた。
実際の所は世辞だ、身元がハッキリしていなくとも、ハイエルフであるだけで引く手は数多だ。
そんな中、潰れかけの工房に押し掛けたのは、衆目を引かない為。
そして何より、俺の魔法の価値が高かったからだ。
〈__磁雷〉
掌から魔法を放つと、炉の内側が光で満ち続け、その眩しさに、隣に居たファビアンは片手で光を遮っていた。
アウレアに、雷の魔石の価値は低い。
しかしセジェスでは、ネクロドールと呼ばれる兵器の主要部品として用いられており、天然での生成過程の希少さもあって、高い価値を付けられていた。
アウレア人からすれば、ネクロドールはあまりに異質な技術であり、百年以上先の技術としか思えない代物だった。
「無事、出来ましたよ」
炉の上部を鍋蓋のように開くと、炉の内側には、びっしりと紫の魔石がこびりついていた。
ファビアンはその光景に思わず笑みをこぼす。
無理もない。
俺が何気なく作ったこれだけで、ひと家族が一週間暮らせる資金が手に入るのだから。
そんな事もあって、一日に二度が限界だと嘘をついている。
その気になれば、1時間で魔石の相場を破壊できる量を生産できたが、金の卵を産むガチョウにはなりたくなかった。
俺は、英雄ニールではなく、ただのジュピテールとして生きると決めたのだから。
「相変わらず、惚れ惚れする腕だね。我が家の婿に欲しいくらいだよ」
「……心に決めた人が居るんです。すいません」
「無理を言ったね。君のお陰で、この工房は何とか立て直せたんだ。もう充分過ぎるくらいさ」
ファビアンは乾いた笑いをこぼし、その場に腰掛けた。
「ささ、今日はもう帰っても大丈夫だよ。出荷作業まで手伝わせたら、俺たちの立つ瀬が無くなってしまうからね」
「そうですか、ではお先に失礼します」
なるべく快活に答え、工房を後にした。
扉を開くと、彼の娘が箱いっぱいに詰められた石塊を運んでいた。
「あっ、ジュピテールさん!もうお帰りになられるんですか?」
彼女は汗水を垂らしながらも、眩しい笑顔を浮かべていた。
幼さの残る端正な顔立ちをしていながらも、力仕事によって、体つきはしっかりとしており、働く女性といった姿をしていた。
「ファビアンさんがもう帰っても良いと。良ければ、手伝いますよ。」
正直言って、彼女は好ましく思えた。
もしイネスを介護していなければ、ファビアンの提案を受け入れたかもしれない程に。
「いえっ、父がそう言ったなら、家でゆっくりして下さい!ジュピテールさんにばかり無理をさせられませんから!」
彼女は力強く息を吐き、木箱を持ち直して、工房の扉を開いた。
「じゃあ、お疲れ様です!」
「ああ、お疲れ様……」
足取りが少し重くなる。
正直、自宅に帰りたくはなかった。
が、イネスを放置すると彼女の精神は刻一刻と悪化してしまうだろう。
「帰るか……」
ため息をこぼし、大通りに踏み出した。
「よう、元気してたか?」
その時、背後から聞き慣れた声に呼び止められた。
「……わざわざ探したのか」
振り向くと、クリフが冒険者らしき女性を連れて立っていた。
彼女は少し緊張した様子で、こちらを凝視していた。
その顔立ちにどこか見覚えがあったが、思い出せなかった。
「ああ、大怪我をしたアンタがどうしてこんな場所に居るのかと思ってな。良かったら聞かせてくれよ」
感動的な戦友との再会。
そう思っていたのは俺だけだったようだ。
クリフの身体は僅かに脱力しており、鞘に手が掛かっていた。
「やる気か?」
クリフが俺を殺しに来る理由が無数に思い浮かぶも、それらをすぐに振り払った。
彼の立ち居振る舞いで分かった。
最後に戦った時とは、比べ物にならない程に強くなっている。
それは、クレイグやイネスのような剣豪が放つ、独特の存在感を備えていた。
おそらく、斬り合いでは勝負にならない。
即座に距離を取り、超域魔法で削り合いをするしかない。
「あんたが俺の知り合いそっくりの偽物ならな」
クリフの言葉を聞き、腑に落ちた。
肩の力が抜け、思わず口元が綻んだ。
そうだ、俺は死んだ事になっているんだった。
「悪いな、ジレーザで一度お前を見たから失念していた。俺はお前の知り合いで間違いないよ」
親指で遠方に聳え立つ防壁を指差した。
「人気のない所に行こう」
「……ああ」
そうして都市の端、巨大な防壁のそばに寄り掛かりながら、クリフ達と情報を共有していた。
「はぁっ!??お前っ、あのマレーナだったのか!」
「ああ……その、いろいろあるんだよ」
マレーナは少したじろぎ後ずさるも、クリフに手を繋がれ、引っ張られた。
彼は彼女を片手で抱き寄せると、屈託のない笑みを浮かべた。
「今じゃこういう仲だ」
彼女はその場で俯き、耳を赤くしていた。
「人生、どんな巡り合わせがあるか分からないものだな」
感慨深く呟くと、クリフは苦笑した。
「そうだな。隊長も出会いはあったか?」
そう尋ねられると、イネスの姿が脳裏に浮かび、思わず口角が下がった。
「ああ……イネスが俺の家に居る。いろいろあってな、少し精神を病んでる」
クリフは目を細め、僅かに固まった。
「俺を逃したせいか?」
「いいや、発端はそれだが、軽い事情聴取に向かったら殺し合いになってな。一年前の死因はそれだ」
「おいおい、殺し合いになった奴と同行してるのか?ぶっ飛んでるな」
クリフが苦笑しながらそう言った途端、マレーナが不機嫌そうに彼の脇腹へ肘を入れた。
「はは……お前も人のことを言えないみたいだな?」
彼の人助け精神を鑑みれば、恐らく彼女と剣を交えたのだろう。
月日が経っても、彼の心情に陰りが無いようで、つい笑みがこぼれた。
「ああそうだよ、昔っから後悔しない方を選びたいんだ」
「そうだな、お前はそういう奴だった」
久しぶりに、心が安らいだ気がした。
見知らぬ土地、息をつく間もない殺し合い。
心を病んだパートナー。
それらに疲れた心に、かつての戦友との会話は、心に沁みた。
「そういえば隊長」
「隊長はよせ、ニールで良い」
アウレアを見捨てて逃げた身としては、その称号は少し嫌だった。
「じゃあニール。あんたは誰との息子なんだ?」
思わず眉が上がった。
クリフがエルウェクトの転生者とすれば、彼は叔父になる。
数奇な運命と言えるだろう。
「ああ、ケテウスだ。よろしくな、叔父さん」
そう答えた瞬間、クリフとマレーナが固まり、身体の筋肉が、僅かに戦闘態勢に移ろうとしている事が分かった。
「……魔神なら良かったか?」
少し腹が立ち、皮肉を吐いた。
「ケテウスと交流はあるのか?」
疑問が二つに増えた。
彼の口ぶりはまるで、ケテウスが生きているかのように話していたからだ。
「ある訳ないだろう。どういう意味だ」
話の空気が壊れ、少し腹が立った。
「……ジレーザに現れたソルクスは、ケテウスが体を乗っ取ったと言っていた」
クリフは重々しく答えた。
その瞬間、頭の中で違和感となっていた事が全て繋がった。
俺が遅れて産まれたこと、皇城でケルスが現状と噛み合わない情報を伝えていた事も。
確かに、彼が皇帝達に言える筈が無い。
主神ケテウスが人間を滅ぼそうとしているなどと。
「……嘘じゃないんだろうな」
軽い立ちくらみに見舞われる。
これまでの人生の半分を英雄として過ごして来た。
不服や苦痛は数えきれない程あった。
だが意義はあったと信じていた。
しかし、もしクリフの言葉が事実ならば……俺は父の悪趣味なジオラマの上で踊っていた事になる。
「ソルクスの言う事を信じるならな」
「じゃあなんだ……俺がこれまでしてた事は……茶番だったのか?」
柄にもなく、弱気な言葉を吐いてしまう。
「そんな事ない。あんたは、確かに皆を救った。背景なんてオマケだ、卑下する事ないだろ」
「……ああ、そうだな」
クリフの言葉を受け止めた訳ではない。
ただ、喋る気力が消し飛んでしまった。
「まぁ……俺の方でも探っておこう。幸い、ケテウスの武具を二つ持っている」
寄りかかっていた壁から背を離し、空を見上げる。
「ああ、頼んだ」
「頼まれた。じゃあなクリフ、久しぶりに戦友と会えて良かったよ」
そう言って左手を差し出した。
「俺もだ。またな」
クリフは気の良い笑みを浮かべ、握手に応じた。
◆
クリフと別れ、セジェスの端にある自宅に向かっていた。
切り出された木材のみで作られたその建物は、正規に依頼したものではなく、超域魔法で周囲の木材を引き裂いて半日で組み立てたものだ。
イネスを匿う都合上、人の多い都心部に暮らせる筈は無く、そもそも土地代も高かった。
大量の切り株が並ぶ砂利道を踏み締め、家の前に立つ。
思わず、ため息が出た。
煙突からは煙が上がっており、窓の隙間から漏れ出た夕食の香りが、食欲をそそった。
だがしかし、気は少し重かった。
玄関の前に立ち、ドアノッカーを独特のリズムで叩いてから扉を開ける。
隠れたり、逃げなくても良いという合図だ。
部屋の奥から走る音が聞こえ、キッチンのある部屋からイネスが飛び出した。
平服に身を包んだ彼女は俺の姿を見ると、唾を飲み込み、満面の笑みを浮かべた。
「お帰り、ニール君。遅かったから心配してたんだよ!もうご飯も作ってあるから……あっ、荷物持つね!」
快活に話す彼女を見て、胸が痛む。
それは元来のものでは無く、俺に見捨てられないよう必死に取り繕って用意した、歪んだものだったからだ。
「ああ……ありがとう」
そう言って腰に提げた財布袋と上着を彼女に預ける。
自分で出来るから。と、断ってはならない。
彼女が自己を肯定できなくなってしまう。
荷物を渡す間に、何度も俺の顔を見ていた。
恐らく、クリフと話して帰るのが遅くなったからだ。
俺の顔色を伺っている。
「遅れて悪かったな」
笑顔を作り、彼女を優しく抱き締める。
その身体は小刻みに震えており、服に大きな皺が出来る程きつく抱き締められた。
「……うん」
彼女は弱々しく返事をした。
情緒が壊れそうだった。
確かに、俺は彼女に恋していた。
幼い頃から、少し前までずっと。
しかし、それは彼女の毅然とした生き方に、太陽のように眩しい在り方に焦がれていたからだ。
だが現実は違った。
彼女はただの人間だった。感情のまま行動し、英雄として祭り上げられ、最後に心を壊した、ただの犠牲者だった。
人類史最高の英雄は、俺の同類でしかなかった。
「夕飯が冷える前に行こう。久しぶりに、クリフと会ったんだ」
そう言って彼女と離れ、手を引いてリビングに向かおうとした時、彼女がその場で立ち止まった。
「……そう、なんだ」
彼女は光の失せた瞳で俺を凝視していた。
涙腺が綻び、今にも泣き出しそうな顔を見て、失言だった事に気が付く。
「イネス」
訂正しようと彼女の名を呼ぶも、彼女は凄まじい速度で駆け寄り、俺を壁に向かって押し付けた。
肘で胸を圧迫される中、
しかし、すぐに正気に戻ったのか、数歩下がった。
「……っ、ごめんなさい。嫌いに……ならないで」
堪えていた大粒の涙を流し、謝罪された。
拒絶すれば、そのまま死んでしまいそうな予感さえするほどだった。
「ああ……嫌いになったりしないさ」
右手を差し伸べ、言葉に気を付けながら彼女を励ます。
だがしかし、愛している。と口に出来なかった。
「ねぇ、ニール君」
彼女は俺の手首を掴むと、自身の胸にそれを押し当て、掴ませた。
暖かく柔らかな手応えを感じ、指先からは彼女の鼓動が伝わった。
「……」
言葉に困り、彼女の顔を見つめると、その行為に反して、今にも生気が失せそうな面持ちだった。
「私の事、好きだよね……?」
「ああ……」
彼女の濁った瞳を見つめながら、彼女の左手を掴んだ。
「……あのね、好きにして良いよ」
儚げに笑いかけたそれは、命乞いのようにさえ思えた。
__断れる筈が無かった。
思わず乾いた笑いがこぼれ、彼女をその場に押し倒した。
彼女の衣服を脱がせながら、昔読み聞かせてもらった勇者の話を思い出していた。
童話の中の彼女が粉々に砕け散り、イネスの姿に上書きされて行く。
気が付くと、俺の頬から一筋の涙が滴っていた。
最後に恋心を抱いた時の情景が思い浮かぶも、それに蓋をして心の奥底に沈めた。
ああ、これはそうじゃなかったんだな。
そう心の内で呟いた。




