91話「これがそうだったのか」
クリフはナパルク邸の庭をシルヴィアと歩きながら、少し思案していた。
「……話は付いた、か」
悩ましげに呟く。
フランドラ家の介入が終わった所で、根本的な解決にはならないからだ。
「あたしたちにとっては、アルバが問題だもんね……」
「ナトは何か言ってたか?まあ、進展は無さそうだが」
シルヴィアは目を細めた。
「大当たりだよ。でも、あたしの先生に乱暴しないでよ」
思わずため息が漏れ、俯く。
打てる手は無く、ほぼ手詰まりだった。
「やらねえよ……多分ケルスも噛んでるだろうしな。家族の問題だ……今の所はな」
ナトがアルバの位置を把握していない事などあり得ないことだった。
仮に難航していたとして、ケルスを、ひいてはヴァストゥリルを経由すれば一撃で見つかることだろう。
つまり彼女はケルスと話した上で、アルバを放置している。
だがもし、心情の都合で先送りしていたのなら……容赦はしない。
「……そうなの?」
「多分な、気になるならナトに聞けば良い」
シルヴィアは下唇を尖らせながら思案した後、首を振った。
「やめとこっかな……なんかモヤっとしちゃいそう」
思わず、乾いた笑いがこぼれた。
「良いんじゃないか。思い付きで行動するとロクなことにならない」
彼女は目を見開き、何か言いたげにしていた。しかしそれを話すことはなく、暫く沈黙が続き、シルヴィアは咳払いをした。
「そういえばさ、今日もマレーナさんのとこ行くの?」
「ああ。この間ギルドの依頼を受けてな。アイツと冒険者を始めてみたんだが、驚いたよ」
「驚いたって?」
「グリフィンを狩るだけで半年暮らせるんだ」
セジェスの報酬は法外だった。
アウレアで狩人をやっていた時の報酬が、仮にセジェスで支払われたのならば、恐らく一生暮らせる程の金が手に入っていた。
「命懸けな訳だし、普通そうじゃないの?」
シルヴィアの純粋な疑問が、胸に深く突き刺さった。
「……グリフィンやコカトリスで食費を切り詰めて1ヶ月分だ」
「嘘……?」
彼女は目を瞬かせ、絶句していた。
「やめてくれ、惨めになってきた」
「でも良いじゃん。今じゃ高級取りだよ?ヴィリングの貯金なんて凄いことになってるでしょ」
「……まあな。多分無職になっても暮らせる」
「この調子でじゃんじゃん稼いでね。叔父さん」
シルヴィアの瞳には、金貨が映っているように見えた。
「よせよ、マレーナの小遣い稼ぎに付き合ってるだけだ。俺とアイツが本気でやれば、セジェスに失業者が出て来る」
「そっか。式はいつ上げるの?」
シルヴィアの発言に、頭が混乱する。
全くと言って良いほど会話の前後がなく、心当たりさえ無かった。
「式?何のだ。冒険者になったのを祝ってくれるのか?」
「マレーナさんとの結婚式」
彼女は口元をにやけさせて言った。
しかし、困惑は増すばかりだった。
「お前が何を勘違いしてるのか知らないけどな……俺とマレーナはそんな関係じゃない」
言い返すと、シルヴィアは目を細めて眉間に皺を寄せ、信じられないものを見るような目で見返して来た。
「あれだけ毎日ずっと一緒に居て、付き合ってすらないの!??じゃあ、どんな関係?」
ふてくされたように言われた。
「そうだな……師弟……じゃない。友達……あー……親友__」
「クリフには初恋の人が居たよね?あの焼かれた人」
シルヴィアに鋭く遮られた。
「……ああ、居たな」
脳裏に幼い顔の彼女の姿が映る。
それと同時に焼かれた時の悲鳴と炭化した死体も思い出した。
嫌な記憶だ。
「じゃあ、その子に恋してた頃を思い出して」
再び記憶を辿ると、彼女にどうにかアプローチしようとしていた俺の姿が思い浮かんだ。
言葉選びは下手くそで、彼女に何と返事をされたのかも思い出せない。
しかし、それを思い出すだけで胸が少し高鳴った。
「……これに、何の意味があるんだ」
「いいから。じゃあ、マレーナさんとその子を被せてみて」
彼女の指示通りに、あの日の記憶の余韻に浸りながらマレーナとの思い出を辿る。
その時、心の内で閃光が弾けた。
古びて固着していた蓋を無理矢理開けるように、押さえ込んでいた気持ちが爆発した。
「……そっか。そうだったのか」
爽やかな心持ちだった。
肩の力が抜け、それと同時に溶岩のように煮えたぎった行動欲求が心の底からせり上がって来た。
「どう?伝わった?」
シルヴィアは再びにやけながら俺の顔を覗く。
しかし、今はそれどころでは無かった。
「そうか。これだったのか!」
彼女を無視し、右手に金色の魔力を纏わせる。
「クリフ?」
キャブジョットから教わった魔法を使う時が、早速やって来た。
〈__砲戟〉
「えっ、ちょっと!?」
自分自身を砲弾に見立て、見えない大砲をイメージする。
そして、魔力という名の火薬を炸裂させた。
周囲に突風を巻き起こしながら空高く打ち上がり、雲を突き破った。
その過程で、シルヴィアが「思い付きじゃん!」と、叫んでいたが、やはりそれどころでは無かった。
上空に吹き飛びながら、今度は横方向に自分を射出した。
空気の壁を突き破り、摩擦熱で皮膚や毛先が焦げ、ひりついた痛みに襲われる。
だがやはり、それどころでは無い。
胸の内から溢れるこの想いを、何としても伝えなければならなかった。
遠方にマレーナの家が見えた時、斜め下に自分を射出した。
狙いは、玄関前だった。
凄まじい速度で地面が迫る最中、今度は逆方向に自分を射出し、その勢いを殺した。
しかし、音速飛行中に急停止を行なった事で、肺は押し潰され、両手脚を始めとした全身の骨が砕けた。
着地と同時に躓き、転倒する。
全身から骨が擦れ合う音が耳に響き、肺が風船のように膨らみ、窒息感と不快感に苦しみながらも、瞬く間に組織を再生させた。
「マレーナ!居るか!?」
勢い良くその場から立ち上がり、勢い余って転びそうになりながらも、マレーナの家のドアを叩いた。
家の奥から駆け足で来る足音が聞こえ、扉が開いた。
「クリフ……?今日は早いな?」
やや嬉しげに話す彼女の手を取り、目を合わせる。
宝石のように澄んだ青い瞳だ。
「マレーナ。俺っ、お前の事が好きだったんだよ。付き合ってくれないか」
「えっ?」
彼女は固まった。
口は半開きになり、やって来た情報に混乱した為か、目の焦点が合わなくなっていた。
しかし、程なくして彼女の顔が茹で蛸のように赤くなり、少し俯いた。
「……からかってる、訳じゃないよな?」
彼女は顔を上げ、やや上目遣いで尋ねる。
「ああ。本気だ、やっと気付いたんだよ」
そう答えた途端、マレーナは大粒の涙を流し始めた。
嫌だったのか__そう失望しかけるも、僅かに綻んだ口元を見て、考えを改めた。
「……ありがとう」
そう微笑む彼女の身体を抱き寄せた。
咄嗟に彼女は目を逸らすも、熱っぽい眼差しで俺を見つめ直し、目を閉じた。
◆
「それでねっ、追いついた時には、二人がくっついて、ぶちゅーって、キスしてたの!!」
ウェールの工房に訪れていたシルヴィアは、かなり興奮した様子で事の顛末を話していた。
ウェールは持っていた工具を落とし、ナトは笑いを堪えていた。
ネクロドールは完成に近付いており、黒い鱗の竜の姿に、狼男のような逆三角形の人型をしていた。
「そっ……その後は?」
ウェールは顔を赤くしながら尋ねた。
シルヴィアは目を細めて首を傾げ、眉間に皺を寄せた。
「うーん。家の中に入って分からなくなったの……ヤったのかな?」
彼女はにやけ笑いをし、よからぬ妄想を広げていた。
「流石に無いんじゃないかな。クリフ君がそこまで盛っているタイプには見えないけれど」
シルヴィアはあごに手を当て、思案すると頷いた。
「確かに、よく同じベッドで寝てるけど……そういうの見たことないしなぁ」
ナトは瞼を瞬かせた。
「えっ……あー。そっか、シルヴィアまだ2歳にもなってないもんね」
その事実を思い出し、ナトは顔を顰めた。
2歳の子供が下品な話題をするような教育を、クリフがしている事に。
しかし、戦災孤児がアウレア最強の英雄と魔神の妃に育てられたのだ。
クリフもきっと、マトモに育っていなかったのだろう。
「ナトは長生きしてるけど、そういった事無かったの?」
シルヴィアが尋ねると、ナトは苦笑した。
「ケルスと付き合ってたよ」
「「えっっ!??」」
ウェールは再び工具を落とし、シルヴィアは大きく口を開けていた。
落とした工具が自身の爪先に直撃し、ウェールは悶えていた。
「普通に結婚するかと思ってたんだけどさ……人間の女性と出会ってから、ケルスが変わったんだ」
苦しむウェールをよそに、ナトは作業の手を止め、少しうんざりとした様子で天井を見上げた。
「変わった?」
「うん。何というか……考え方が大人しくなってさ。おじさんみたいになったんだ。何でも諭すように喋るケルスが嫌になって、私から別れたかな」
シルヴィアは首を傾げた。
何度かケルスと会ったことはあるものの、理知的で、それでいて少し気さくな大人の男。
といった印象だった為、ナトがそこまでの嫌悪感を抱く理由が分からなかった。
「そんなに嫌なの?ケルスさんも素敵に見えたけど」
ナトは暫し考えた後、頷いた。
「私って、1000年も生きてる割には、子供っぽいでしょ?」
「……そういえばそうだね」
シルヴィアは苦々しく答えた。
「私達みたいに、寿命の制限のない生き物は老いる事は無いけれど、一度でも心が老いると、アンセルムやケルスみたいに、見た目まで老けちゃうんだ。実際、ウェールなんて32なのに背も低いし、肌も潤ってるよね?」
そう言われたウェールは胸を張り、少し嬉しげだった。
ナトは子供っぽいと言っていたのだが、彼女は気付いていないようだった。
「突然ね、クリフ君がおじいちゃんみたいな喋り方や、考え方したらって想像してみてくれないかな。しかも、顔を合わせる度に別の女の人のこと考えてるんだ?耐えられる?無理だよね?」
ナトは早口でまくし立て、心の内の愚痴を凄まじい速度で吐き出していた。
「あー……そうかも。確かにおじいちゃんになったクリフは嫌かな」
シルヴィアは無理に同意し、ぎこちない口調で返事をした。
「その……シルヴィアは、好きな人とか居たのか?」
ウェールが話題を変える為に助け舟を出すも、全くフォローになっていなかった。
むしろそれはシルヴィアにとって、非常に返事のし辛い話題だった。
「あー……」
彼女の脳裏には、ジレーザで会った少年の姿が思い浮かぶ。
似通った産まれを持ち、歳もほんの僅かな差。短い間であったものの、行動を共にし、ソフィヤに関する騒動を追った。
仲はかなり良かった。
そう、最後に頭を潰す事さえ無ければ。
「……特には無かったかな」
シルヴィアは無理に笑い嘘をついた。
失恋の話題として扱うには、あまりにも血生臭かったからだ。
しかし今、彼はどうしているのだろうか?
彼女はふとそう思った。




