88話「思い切りぶつかって」
燃え盛る劇場の近くでは、負傷者が次々と担ぎ出され、憲兵達が集っていた。
そんな状況を遠くから眺めていたエレネアは目頭を揉み、悩ましげに思案していた。
「……生きて、しまいましたね」
彼女はため息を吐いた。
薄く下唇を噛んでおり、予定が狂った事への苛立ちが隠せないでいた。
「万事休すか?俺が殺してやってもいいぜ?」
そして、彼女の隣には黒地の和装に身を包み、鬼の角を生やしたクレイグが立っていた。
「では、ナト様をどうなされるつもりで?」
エレネアは普段の繕った語気を崩し、眉を顰めながらクレイグを見上げた。
「纏めて殺せる。魔神の雑種は強いが……奴らには技が無い。図体ばかりの竜や獣と変わらねぇ」
彼が腰に差した刀に手を掛けると、周囲に甘い香りが漂い始め、救助活動にあたっていた人々の動きが鈍り始めた。
それは、死の香りだ。
「リスクが釣り合いませんわ」
エレネアはそれを意に介さず、手で彼の前を遮ると、クレイグは不服そうに刀を納めた。
「……良いぜ、お前の盆栽だ。好きに整えな」
彼は腕を組み、空を見上げた。
「感謝いたします。後程お祖父様からの使いが来るとは思いますが……どうか穏便に願いますね?」
「てめぇ、俺を肉食獣だと思ってやがるな?」
エレネアに向き直り、眉を顰めた。
「いえ、心強い協力者と思っていますよ。お気に障られたのでしたら、謝罪致します。申し訳ありません」
彼女は柔和に微笑んだ後、深々と頭を下げた。
暁国式の一礼に、クレイグは困惑した。
「よく知ってるな、俺の故郷を」
「間違っていないのでしたら、何よりです。あなた程のお方に、礼節を欠く訳にはいきませんから」
「そうかよ……」
クレイグの動きが鈍り、再び空を見上げた。
彼にとって、エレネアのような人間はどうも慣れなかった。
今彼の関心を惹いていたのは、クリフだった。
セジェスに滞在しているのは認知していたものの、超域魔法が使えなくなった以上、関心が失せていた。
だが今再び、彼は超域魔法を取り戻していた。
二年弱……ルナブラムが言うにはたったそれだけの期間で自身を超えると予言したのだ。
良き戦いに飢えたクレイグにとって、彼への関心が尽きることは無かった。
空に浮かぶ円状の氷が砕け散り、空から二つの人影が視認できた。
「来いよ、クリフ」
クレイグは短く呟き、獣のように鋭い歯をぎらつかせた。
二人の人影は、彼に迫って来ていた。
そして、マレーナを抱えたクリフが目の前で着地した。
高高度からの降下にも関わらず、石畳に一切傷を付ける事なく、軽やかに降り立っていた。
「無事でしたか」
クリフは彼の前を横切り、わざとらしく無視してエレネアに声を掛けた。
「ええ、こちらの冒険者様に助けていただいたのです」
彼女は手の平をクレイグに向け、彼の意識を否応なしに向けた。
クリフは抱えたマレーナを地面に下ろすと、顔を顰め、嫌悪の眼差しを向けていた。
「ジレーザの二割を焼き払ったお前がか?何を考えてやがる」
クレイグはわざとらしく深い笑みを浮かべた。
互いの契約関係が知れ渡るのをエレネアは望んでいないと、彼は察していた。
「てめぇの好きに解釈しな」
周囲の空気が張り詰め、クリフは微かに殺気立っていた。
そんな傍ら、彼の隣に立っていたマレーナがそわそわしていた。
「なぁクリフ……多分だけど、ウロボロスのクレイグだぞ……?」
そう話す彼女はどこか嬉しげで、著名人に会ったような反応をしていた。
「ウロボロス?」
「セジェス……いや大陸いちの冒険者チームだ、あいつらがセジェスに居た頃はそれはもう凄かったんだ。毎日のようにでっかい魔物が討伐されてだな……」
昔を惜しむように彼女は話すも、クリフの注意はクレイグに向き続けていた。
「……近々再結成するつもりだがな」
対して、クレイグの反応は平坦だった。
「本当か?セジェスに来たばっかの頃は、あんた達の活躍が楽しみで……」
クリフは、クレイグの反応が妙に不自然に思えた。突然、妙に冷めたその態度が鼻について仕方なかった。
そんな折、彼の記憶の中で空千代の姿が浮かび上がった。それも、初対面の時のものだ。
「……マレーナぁっ!!」
喉が裂けんばかりの声量で、怒声を飛ばした。
それが経験から来る危険信号であると気が付いた時、全身が総毛立った。
「えっ」
次の瞬間、クレイグから爆発的に殺気が溢れ出し、彼は刀に手を掛けた。
それと同じタイミングでクリフも刀を握り締めた。
血肉を凍り付かせるような殺気が激突し、二人同時に刀が引き抜かれた。
澄んだ金属音が静寂を引き起こした。
周囲に居た冒険者や憲兵はその場で足を止め、言葉にできない恐怖に身体を硬直させてしまった。
刀同士が鍔迫り合う最中、クレイグは破顔して頬を緩ませた。
「ああ……やるようになったじゃねえか」
そう呟いた瞬間、彼の両手が滑り落ちた。
「おおっ!」
彼は関心した様子で、続けざまに振られたクリフの一太刀を、そのまま身体で受け止め、首を刎ね飛ばされた。
「ははははっ!!!理まで無視できるようになってたか!!!」
宙を舞う彼の首が高らかに笑うと、頭部が血煙となって霧散した。
「いや満足だ!!」
クリフが胴体に再び意識を向けた時には、頭と両腕が元に戻り、彼は刀を納めていた。
「予定は繰り上げだ!!一年後に故郷に帰るとしよう!!!」
瞳を輝かせ、衆目すら気にせず喜ぶその様は、プレゼントを貰った子供とよく似ていた。
無邪気で、何より恐ろしさを孕んでいた。
「帰れると思ってんのか」
クリフは切先を彼の喉元に向けた。
しかしクレイグはその笑みを崩すことはなかった。
「やるか?俺は周りに遠慮しないぜ」
焦土と化したジレーザの景色がクリフの脳裏に浮かんだ。
「……っ、クソ」
クリフは顔を引き攣らせ、刀を納めた。
「……どうか俺にお前を摘み取らせないでくれ。お前は俺の……運命なんだ」
「何を言ってやがる」
暗く、しかし燃えるような情愛を感じ、クリフは肝を冷やした。
「ジレーザでルナブラムが予言してくれたぜ、二年あれば俺を越えることが出来るとな!!」
姉が証言した。その事実にクリフは動揺して目を見開き、クレイグは想い人を見るかのような眼差しで、彼の瞳を覗き込んだ。
「まあ急くなよ……一年後に殺し合おうぜ。例えお前が世界の何処に居ても、会いに来てやるよ」
クレイグの足元に転移門が出現し、彼はゆっくりと地面に沈み始めた。
「ああ、慈悲を期待するなよ。絶対に殺してやる」
「約束だぞ、情熱的にやろう」
クレイグはそう言って地面に沈み切った。
見届けたクリフは刀を納め、手を叩いて払った。
「ああクソ……」
クリフはため息を吐き、片手で顔を覆った。
今後彼が悩みの種となる事は決まったようなものだった。
「悪い、油断してた」
マレーナは肩を落とし、少し沈んだ声音でそう言った。
「相手が悪かったな。俺だって似たような経験があったから対処出来ただけだ」
クリフの脳内では、空千代が笑顔で親指を立てていた。
全くもって腹立たしかったが、あの初対面が無ければマレーナが死んでいたのかと思うと、複雑な気持ちにさせられた。
しかし、暁国の人間は出会い頭に人を斬る風習でもあるのだろうか。
「似たようなって、よく生きてたな……?」
マレーナは目を丸くし、首を傾げた。
「色々あるんだよ」
彼はそう言って、エレネアに近付く。
彼女の顔色は少し悪くなっており、額には汗が滲んでいた。
「……っ、お祖父様の元に向かいましょうか」
「……ええ」
きっと、問い詰めてもはぐらかされる。
そう思い、クリフは追及する事をしなかった。
◆
同刻、長く続く洋館の廊下で、アルバとメイシュガルが肩を並べて歩いていた。
「案の定、失敗したね」
アルバは軽くため息を吐き、軽々しい口調で呟く。その態度は、今回の襲撃で死亡した人々への関心がない事を表していた。
「シルヴィアに魔法が効かなかったのが明暗を分けました。想定していたので?」
メイシュガルは首を傾げる。
失敗を想定していたのならば、彼らに襲撃を行わせた理由が分からなくなってしまう。
「姉さんがどれ程の時間で駆け付けるのかを知りたかったのと……彼が本当に力を失ったか疑問だったんだ。そういった意味では、ベルナールは役不足だったね」
「……そうでしたか。セザール様の処遇は如何しますか?」
「さしあたって殺す理由は無いかな。いや、面白い人間だったよ」
変わらずアルバの声は平坦で、到底面白がっている人間の声音ではなかった。
「……処刑台の最後尾に並べて欲しい。でしたか」
「屠畜されるのが分かっていて、首輪を付けた人間は初めてだったよ。いやはや、頭だけ良いのも考えものだね」
アルバが苦笑したその時、館が激しく揺れた。
「おっと、お客さんだ」
彼が踵を返すと、背後に突然ドアが出現した。
「殺されないよう気を付けるんだよ?」
彼が勢い良く扉を開くと、洋館のメインホールに出た。
メインホールには銀色の鎖が蜘蛛の巣のように張り巡らされており、ウァサゴやアキムを始めとしたメンバー達が鎖に巻かれ、壁に貼り付けられていた。
「やあ兄さん。会いに来てくれたんだね」
玄関前には、ケルスが立っていた。
彼はやや俯いており、その面持ちを伺うことは出来なかった。
しかし、かなりの距離が開いているにも関わらず、メイシュガルは喉元に刃を突きつけられたような感覚に陥っていた。
「……アルバ」
ケルスが一歩踏み出す。
次の瞬間、館の床が撓み、網目状の亀裂が館全体に入った。
彼が踏みしめた瞬間、館そのものが傾斜し、走り出した衝撃で彼の後方にあったものが全て弾け飛んだ。
メイシュガルは、目で追えなかった。
彼が気が付いた時には既に、目の前に現れた彼に両腕を千切り取られ、銀色の鎖に巻かれて身動きを封じられていた。
「こんなものか」
ケルスの拳がメイシュガルにの腹部に直撃した。
破城槌で殴られたかのように、彼の腹部は大きくへこみ、館の壁面に激突した。
「うぇ……うっ」
彼は、潰された内臓を口から吐き出しそうになるのを堪え、痛みに歯を食いしばった。
次元が違う。メイシュガルは思い知らされた。
「メイもダメだったか」
壁に縛り付けられたアキムが、彼に話しかけた。
彼の胸には鎖が深々と突き刺さっており、どう言った原理か、それが彼の分裂を抑制していた。
「さ、俺たちは役立たずらしく転がっていよう。アルバが上手くやってくれると良いけどな」
アキムはどこか楽観的であり、とても自分が殺され掛けている人間の反応ではなかった。
だが、メイシュガルは返事が出来る状態ではなかった。
「で、何の用かな。僕達を潰しに来た訳じゃ無いだろ?」
暴力の化身と化したケルスを前に、アルバは一切焦る素振りを見せなかった。
それどころか、吠える子犬を嘲笑うかのようだった。
「今回だけは見逃してやると言ったのを忘れたのか?」
ケルスの語気は強く、その面持ちは平坦ではあったものの、あらゆる者を萎縮させるような気迫がそこにあった。
「ならペルギニルをけしかければ良かったんじゃないかな?きっとあの子なら、命令通りに動いてくれた筈だよ」
「あいつに器用な事は出来ない。これから、お前の四肢を砕いて閉じ込める」
ケルスの両腕が振れると、アルバの腕が千切れ飛んだ。
しかし、彼は一切眉を動かす事なく、微笑を崩さなかった。
「そんな嘘をついちゃダメだよ兄さん。ならどうして、真っ先に僕の部下達を殺さなかったのかな?」
仲間を売るかのようなその態度に周囲がざわめき、アルバに抗議の眼差しを向けた。
しかし、その場に居たメアリーだけは、彼の意図を理解し微笑んでいた。
「ああ、本当に老いたね……不憫だよ。肉体と技は最盛を迎えているのに、心が老いさらばえてしまった」
ケルスはアルバの右足を蹴り砕いた。
ヒトの骨ではなく、建造物の支柱が折れたかのような音だった。
白い樹液をこぼしながら、千切れた右足が階段から転がり落ちる。
常人なら痛みで叫ぶ状況下の中、アルバは堪えるように笑みをこぼした。
それは、痛みを超えた狂気であり、笑みには兄への皮肉と嘲りが込められていた。
「……今なら引き返せる。このまま進めば家族共々消えることになるぞ」
ケルスは、弟の歪み切った姿を見て、思わず眉を震わせた。
「あのさぁ……似合ってないよ兄さん!昔みたいに、汚ったない口調で罵って、僕を殺す気でやりなよ!!ははははっ!!」
ケルスはアルバの身体を持ち上げ、パンを千切るように彼の腹部を引きちぎった。
多量の樹液が溢れ出し、別れた下半身が階段に落ちる。
しかし、アルバの笑い声は更に激しさを増し、歓喜でその表情を歪めていた。
「自由意志すら持てず、お祖母様のラジコンに成り果てるなんて!兄ぃさんっ、肩書きが増える度に惨めさが増してくね!!」
ケルスはアルバの胸を貫き、胃を握り潰した。
しかし、彼は多量の樹液を吐き出し、咽せながら笑い続けた。
「大人しく帰りなよ、お爺さん!アハハハハ!!」
攻撃を続ける度にケルスの顔は険しさを増し、アルバの笑みは深まって行った。




