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竜娘と行く世界旅行記  作者: 塩分
3章.魔道の国
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86話「銀の弾丸」

姉の手を引きながら、日が暮れ始めた森の中を進んでいた。

細く尖った枝葉によって、脚には多くの生傷ができ、ぬかるんだ地面を踏み締める度に、穴の空いた皮靴に泥が侵入し、足枷のように足取りを重くしていた。


「マリィ……」


姉が弱々しく私の名前を呼ぶ。

顔色はとても悪く、彼女が休みたがっている事は分かっていた。


「だめ。立ち止まったら……助からない」


そう言って強く姉の手を引く。

ぬるく湿った空気は鉛のように重く、吸い込む度に身体が重くなっていく気がした。


そんな折、草木が揺れた。

姉がひきつった悲鳴を上げた。

その時、茂みから一頭の狼が現れた。

狼もまた痩せ細っており、腹部には軽い裂創(れっそう)があった。

血走った目からは、彼にはもう後が無い事を表していた。


多量の(よだれ)を滴らせながら、瞳孔が縮んでいた。

両親を殺した時に使った手斧を握り締め、私もまた狼を(にら)んだ。


「お前が……死ね」


互いに飛び掛かろうとしたその時、姉が大声を上げて泣き喚き始めた。


「……っ!??」


一瞬気が揺らぐも、それは狼も同じだった。

狼の牙よりも先に、斧の刃が彼の首に突き刺さる。


気持ち悪い手応えを感じたのも束の間、狼の勢いは止まらず、私を押し倒した。

迫る顎を両手で受け止め、押し合いになる。


涎と血の混ざったものが降り掛かり、目に侵入した。

視界が赤くなり、目が染みる。

しかし、抑えた手だけは絶対に離さなかった。


割れそうな程に歯を食い縛り、渾身の力で押し返す。

しかし、獣の力に勝てる筈が無かった。


「あ……」


手が滑り、狼の牙が勢い良く喉元に迫る。

思わず目を瞑り、これまでの記憶が走馬灯として流れる。

暴力を振るわれた記憶。耐え難い空腹に苦しんだ記憶。寒い倉庫の中で、姉と肌を寄せ合って耐え忍んだ記憶。

そのどれも、(ろく)なものでは無かった。


「嫌だぁっ……!!」


思わず、情けない声がこぼれた。

それと同時に乾いた炸裂音が響き、顔に液体が降り注いだ。


「……え?」


(まぶた)を開くと、狼の側頭部に深々と矢が突き刺さっていた。

体を痙攣させた後に狼が倒れ、のし掛かった。


「なに……?」


狼の遺体を押しのけ、上体を起こす。

眼前には、ボルトガンを握り締めた大男が立っていた。


「何処から来た」


軽蔑し、汚物を見るような眼差しで私達を見下ろしていた。


「えっと……」


家から滅多に出されなかった私には、彼が満足する答えを用意できる程の語彙がなかった


「ベルクレールから来ました」


男が顔を顰め、ボルトガンが僅かに持ち上がったその時、姉が口を開いた。


「ふむ」


男は意外そうに片眉を上げ、姉を値踏みするように眺めていた。


「私達は……ハイエルフみたいです……それで、お父さんとお母さんに叩かれて……逃げてきました」


そう言って姉は両手を前に出し、手のひらから水色の魔力を滲ませた。


それを見た男は目の色を変え、ボルトガンを腰に提げ、片膝を付いた。


「……乱暴な態度を取ってすまなかったな」


彼は柔和に微笑むと、立ち上がり東を指差した。


「歩けるか?近くに私の家がある。そこでひと晩休んだら、街に行けるよう手配しよう」


一転した態度に戸惑っていた所を、姉に手を引かれた。


「うん……行きます」


「両親には私が話を付けておこう。もう、怯える事はない」


彼は姉の手を取り、優しげにそう言った。

しかし、私は言葉に詰まった。


「……二人は、私がっ、私が殺したんだ。殺されそうになったから……ウェンディは関係ないんだ……」


男は少し名目した後、しゃがみ込み、私に手を伸ばした。

言葉にできない恐怖を感じ、震えながら目を瞑った。

しかし、彼の手はそっと私の肩に置かれた。


「そうか……姉を守ったんだな。よくやった……!」


彼が送った言葉は、非難ではなく賞賛だった。笑みを浮かべる彼を見て、私の情緒がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。


「……え?」


「君たちハイエルフの身に万が一の事があれば、祖国にとって大きな損失になってしまう……君達が無事で、本当に良かった……」


彼は、心の底から安堵したように、声を震わせて言った。


「……良い機会だ。苗字を貰うついでに、名前も変えよう。農村から来ただけで、差別する者も居るからね」


この日から、私はマレーナになった。殺人を(とが)められず、名前すら変わった事で、マリィという人物が、削り取られてしまった気がした。



「……はっ……あ」


再び人を殺した。

目の前で横たわるアウレア人の頭には斧が深々と突き刺さり、事切れていた。


今度は狭い家屋の中ではなく、広大な戦場の中でだ。

ボルトガンの風切り音が消え、勝利を知らせるラッパの音が響き渡った。


私は殺した相手の胸を踏み、斧を引き抜いた。

強敵だった。そして何よりも、恐ろしかった。

こんな事はやめにしよう。そう考えた矢先に、仲間たちが私の元に駆け寄って来た。


「マレーナ!!生きてたか!」


先頭を走っていた男は、裏表のない笑みを浮かべ、私の生存を喜んでくれていた。


「ああ……なんとかな」


震える手を隠すように後ろに手を組み、作り笑いを浮かべる。


「私っ……こんな事は」


仲間の一人が横切り、私が殺した相手を見て驚いた。


「マレーナ!あなた勇者を倒したの!?」


女性の兵士がそう声に出すと、他の戦友達も私を横切っては、死体を確かめに向かった。


「本当だ、マジかよ……!」


「大手柄だぞ、英雄だな!!」


次々と称賛の言葉を投げられ続けられた。

私は、人を殺した筈なのに。

その時、私の中で何かが壊れた。

両親を手に掛けたあの日の記憶が濁り、眩しい程の肯定と称賛がそれを覆い隠した。

誰にも褒められて来なかった筈の私が、褒めて貰えた。


だからこそだった。

だからこそ、それを否定されるのは嫌だった。


「やり過ぎだよ、マレーナ」


冒険者を始めて間もない頃の最初の相棒は、すぐに私を非難した。


「盗賊の捕縛が依頼だろ!?何してる?」


その次のパートナーは、私の行いを否定した。


「悪いけど、もうお前とは組めない。ギルドにはもう話はつけてある」


そして……もう何人目かも分からない相棒にも、愛想を尽かされて逃げられた。


意識が劇場へと戻り、目の前に立つクリフを鋭く睨む。


「お前も、私を否定するのか……!!」


彼は瞑目し、大きく息を吐いた。


「ああ……殺す事を目的にしてるような奴を、俺は絶対に認めない」


心臓の鼓動が早まり、呼吸が乱れる。


信じていたのに。

私の根っこを知っても、側に居てくれると信じていたのに。

クリフだけは……私を否定した奴らとは、違うと思っていたのに。


「ならっ、だったらお前だって殺す相手にしてやるっ!!」


大剣を彼に向けた。

支離滅裂な事を言っている自覚はあった。

だがもう引き下がれなかった。私は、脅してでも肯定が欲しかった。


しかし、彼は眉ひとつ動かしていなかった。


「そんなに殺してえならやってみせろよ!ビビりのてめぇに出来るならな!!」


次の瞬間、彼は怒りの形相を浮かべた。

私は、それに気押されて剣を振り上げた。


「……後悔するなよ」


攻撃の軌道を変え、彼の横腹目掛けて薙ぎ払う。

しかし、彼は一切回避することなく、そのまま身体で受け止めていた。


クリフを両断する光景を思い浮かべ、私は手を止めてしまった。

しかし、慣性そのものを止める事が出来ず、彼の左腕を切断し、脇腹に浅く大剣が刺さってしまう。


「あ……っ」


彼の腕が床に落ち、噴水のように多量の血が溢れ出した。

しかし、彼は汗一つ流す事なく、冷ややかな眼差しで私を見つめていた。


「どうした?笑えよ。楽しいだろ?」


情緒の失せた、凍りつくような声音で彼は言った。

手が激しく震え始め、呼吸が激しく乱れ始める。涙腺が綻び、今にも涙が溢れ出そうだった。


思わず一歩引き下がった時に、あの声が聞こえた。


『お願い、やめて。マリィ……!!』


真っ白になった頭の中で、母を殺した時の記憶が蘇る。


「うわっ、わああぁぁっ!!」


目眩がする中、あの日をなぞるように武器を振り上げ、クリフに振り下ろした。


クリフは、やはり避けなかった。

彼の肩から腰に掛けて大剣が通過し、その身体を寸断した。


彼の上半身が滑り落ち、床に飛び散る。

その光景に、ポチが慌てて駆け寄るも、何も出来ずにうなだれていた。


「あ……あぁっ……」


大剣を床に落とし、掻きむしるかのように自身の頬に触れ、その場にへたり込む。


息が出来ない。


そうだ私は、殺したかったんじゃない。


褒めて欲しかった訳でもない。


そう、最初は……


「止めて……欲しかったんだ……」


その場で倒れ、大粒の涙が溢れ出た。

クリフとの思い出にヒビが入り、親しかった者たちの記憶に穴が空き始めた。

生きる気力が、欠けた気がした。


「……」


腰に常備していたナイフに手を伸ばしかけたその時、視界に金色の魔力が漂っていた。


「え」


砂金のようなそれに目を奪われた時、近くで気配を感じた。


「……だったら最初からそう言えよ」


聞き慣れた声に顔を上げ、身体を起こすと、殺した筈のクリフが立っていた。


切断した筈の腹部は痕すら残さず治癒しており、真っ黒だった彼の黒髪が黄金の光を帯び、瞳は澄んだ湖面の如き輝きを放っていた。


意味が分からなかった。

とても、理解の及ばない状況だった。


「ほら、剣を取れよ。スッキリするまでやり合おう」


震える手で大剣を取り、立ち上がる。


「殺すかもしれないんだぞ……」


「そうなったら絶対に止めてやるよ」


彼は得意げに微笑み、剣を構えた。

あの日ぐちゃぐちゃになったままの心が、少しずつ解け、形を取り戻している気がした。


きっと、これは夢だ。過ちを悔いた私が現実から逃げる為に見た、都合の良い現実逃避なのだろう。


「ありがとうクリフ」


だからどうか、夢から醒めないで。

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